ただのモブ(大嘘)がTSした原作主人公の代わりに逆転世界で頑張る話 ―女性特効ラスボスは俺が倒す―   作:つくもいつき

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第68話 マリーの尊き信仰(マリーSide)

 

 

 

-マリー Side-

 

 

 モブ・アイカータ様。

 呪われた血が流れる私を突き放さず、あまつさえ手を引いてくれる人。

 

 

『前も言ったろ? 俺はマリーとレベルが同じで、ほかの男と違って、耐性があるってさ。もしも襲ってきたら、返り討ちにしてやるよ』

 

 

『心配するな、マリー。俺はそんじょそこらのやわな連中とは鍛え方が違う。君にも負けない』

 

 

 そう言って、あるがままの私を受け入れて、側においてくれる人。

 

 

『俺が淫魔王を殺す』

 

 

『俺が、そうしたいからだ。俺は祝福持ちじゃない。けれど、俺は男だ。淫魔王を殺せる可能性を秘めている』

 

 

『俺の手で百年の不幸を防ぐことができるかもしれない。なら、俺は戦うよ。俺を愛してくれる人たちには、笑顔でいてほしいんだ。──俺が苦労するのは構わない。それ以上の多くの幸せを、俺はすでに受け取った』

 

 

 女神の祝福を持たない男性なのに、モブ様は英雄の代わりを果たそうとしている。どんな苦難に満ちた道とわかっていても、モブ様は進んでいく。

 それがまぶしくて、それがなによりも美しく見えて──。

 

 

 モブ様の力になりたい。

 モブ様を、ずうっと支えたい。

 

 

 そう思っていたはずなのに──。

 

 

「モブ様ぁっ!?」

 

 

 (のど)から悲鳴がこぼれる。

 カーラやセレスとともに、冷暗薬草庫の扉を出てすぐのこと。

 祈祷陣の上で、首の付け根から血を噴き出すモブ様の姿を、私は目の当たりにした。

 

 

 カイウスの右腕を抱え込んだまま、モブ様は膝から崩れ落ちるように倒れる。

 まぶたの下で、焦点を失った黒い瞳が揺れる。

 

 

 血が。

 血が祈祷陣を染めていく。

 剣が少し離れた石床に転がっている。

 モブ様の左の肩口から鎖骨をかすめ、首の付け根にかけて、深い傷が開いていた。

 

 

 血の臭い。

 焼けた鉄の臭い。

 焦げた肉の臭い。

 全部が、一度に肺に流れ込んでくる。

 

 

「モブッ!?」

 

 

 礼拝堂の入り口側へ目を向ける。

 ルーに肩を貸したカナメが、敷居のところで足を止めていた。

 隣のルーは無表情のまま、魔導杖を握る指だけを強ばらせる。

 

 

「あ、あ……!」

 

 

 私の肩を支えるカーラが、身を震わせている。

 かすれた声が、カーラの喉から漏れていた。

 信じられないものを見たかのように、顔色を失っている。

 

 

 私は、走り出す。

 肩を貸してくれていたカーラの手が、腕から滑り落ちた。

 足が、うまく前へ出ない。石床が遠い。

 礼拝堂の冷気が膝の内側をなぞり、指先から力が抜けていく。

 

 

 それでも止まれなかった。

 止まった瞬間、モブ様が本当に遠くへ行ってしまう気がした。

 足元の血にブーツが取られかける。どうにか、モブ様の側へ寄った。

 さっきまで体を押さえつけていた聖素の残り香が、胸の奥にまだ重く残っている。

 息を吸うたび、肺の内側が冷たく痺れる。

 けれど、それどころではない。

 

 

 私はモブ様の側に膝をつく。

 血が青の僧衣に染み込んだ。

 

 

「マリー! 私も手伝うわ!」

 

 

 セレスが後ろから声をかけてくる。

 私から見て右手側──モブ様とカイウスの頭の近くに彼女は座った。

 続いて彼女はカイウスに視線を落とす。

 

 

「……セレスティーネ、様。あなた、は──」

 

 

「──カイウス」

 

 

 カイウスが、モブ様に抱え込まれていた右腕を抜こうとした。

 床に擦れた鎧が、低く鳴る。

 焼けた腕をかばうように、カイウスはゆっくりと仰向けになった。

 その動きに引かれて、モブ様の体がずるりと横へ流れる。

 

 

 私はそっと両手でモブ様の肩を支えようとして、すぐに指を引っ込めた。

 不用意に触れれば、魅了しかねない。

 こんな時でさえ、自分の血を疑わなければならない。

 

 

 なんて、なんて憎たらしい血か。

 愛しい人を助けることの邪魔にすらなるなんて……。

 

 

「ここまで、か」

 

 

 カイウスのつぶやきが聞こえてくる。

 誰に聞かせるでもない声が、血の臭いに混じって、宙に溶けていく。

 それは、計画そのものに向けた言葉のように、私には聞こえた。

 

 

「マリー!」

 

 

 その間に、カナメが私の近くに膝をつく。すぐにモブ様の頭側へ回った。

 和国装束の袖が、血の上に触れる。

 

 

「我が支える。頭と肩は任せろ。マリー、そなたは魔法に専念せよ」

 

 

「……はいっ」

 

 

「せ、施療布の余り! 使ってくれ!」

 

 

 後ろから、カーラがカナメに声をかける。

 袋から取り出したであろう白い清潔な布を、カナメはうなずきながらカーラから受け取った。

 カナメは、すぐにそれをモブ様の首の付け根にあてる。

 あっという間に白地が赤に染まった。

 

 

 血が多い。多すぎる。

 息はある。

 喉の奥で、わずかに空気が鳴っている。

 

 

「回復ポーションはっ……!?」

 

 

 カーラが袋へ手を伸ばしかける。

 私は反射的に首を振った。

 ダメだ。

 意識のない人に、まして首の付け根を裂かれ、呼吸まで細っている人に、飲み薬を流し込んではいけない。

 

 

 むせれば血と薬液が気道へ落ちる。飲み込ませようとあごを動かせば、傷口も首も動いてしまう。

 仮に喉を通ったとしても、開いた血管から命が流れ出ているうちは、薬の力が体に留まらない。

 

 

「そうだ! 簡易再生ジェルとかは……!?」

 

 

「あれは軽傷用だから……」

 

 

 薬草庫の棚にある外傷薬や簡易再生ジェルでは、この血を止めきれない。

 高級な血管封止用の再生パッチでもあれば別かもしれない。けれど、そんな救命棟の備品は、いま私の手元にはなかった。

 薬を選んで塗る時間もない。

 いま必要なのは傷口を押さえ、首を動かさず、出血源を塞ぐことだった。

 

 

「いまはこれで!」

 

 

 私はモブ様に触れずに、手をかざす。

 指先に熱を通す。

 蒼い魔力光が、またたいた。

 

 

『〈小回復(マイナー・ヒール)〉』

 

 

 基本にして王道。ひとり分の治療と軽度の状態異常回復を担う、レベル1の光属性魔法。

 青い光でモブ様を包み込む。

 じわりと、汗がひと筋、頬を伝う。

 構わず、私は回復を続ける。

 

 

「カナメ、布を傷口に押しあてたままにして……。首は動かさないで」

 

 

「わかった! ……モブ、死ぬなよ。死んだら、許さぬぞ……!!」

 

 

 私は、施療布越しに光を送り込む。

 魔力を送り込むたび、指の骨が内側から軋む。

 傷口は閉じない。

 カナメの手の下で、布の赤みだけがまた濃くなっていく。

 青い光はたしかに届いているはずなのに、血だけが当たり前のようにあふれ続ける。

 

 

 ダメだ。回復が、追いついていない。

 私の喉奥は冷える。

 息を吸っているのに、胸に空気は入らない。

 

 

「……セレスティーネ様に、任せなさい」

 

 

 かすれた声が、私の耳に届いた。

 カイウスだった。

 焼けた右腕を押さえ、血の気の失せた顔で床に伏している。

 灰色の瞳が私を見据え、なお言葉を突き立てようとしていた。

 

 

「あなたが、闇に通じながらも、光の癒しを使えるとしても……。その傷は、あなたが、癒せる傷では、ない……。女神はあなたに、力を貸さない……。(げん)に、癒えていない……」

 

 

 手が、止まりかけた。

 指先の青い光が揺らぐ。

 胸の奥で、さっき消えたはずの〈光輝地帯〉の圧がぶり返した。

 

 

「カイウスっ。喋ってはなりません」

 

 

 セレスが、カイウスに手をかざし、白い魔力光でカイウスを包み込んでいる。

 白い法衣の裾が、血と煤で汚れる。

 

 

「あなたの治療は、私が引き受けます。マリーは、そのままモブさんを……」

 

 

「いいえ、セレスティーネ様。私よりも、彼を。……未来ある若者を、優先してください」

 

 

「カイウス、あなた……」

 

 

「お願い、です」

 

 

 カイウスの声は震えていた。

 セレスの治療を受け、途切れ途切れながら言葉を繋げるだけの息を取り戻している。

 

 

 一方で、モブ様の傷は癒えない。

 青い光の下で、施療布だけが赤く染まり続けている。

 やはり、私ではダメなのだろうか。ついに、女神に見放されてしまったのだろうか。

 そんな焦りが、生まれる──。

 

 

「私は……」

 

 

 言葉が喉で潰れる。

 闇に通じるもの。

 カイウスの言葉が、指先から力を奪おうとする。

 青い光が細り、施療布の赤だけが濃く見えた。

 

 

 モブ様の力になれない私に、何の価値があろうか?

 唇を噛む。

 私では足りない。

 ならば、セレスに代わろう。女神に愛された彼女の手なら、モブ様を救えるかもしれない。

 そう思った瞬間、胸の奥が裂けるように痛んだ。

 

 

「──マリー。〈治癒の水(ヒーリング・ウォーター)〉のほうがいい」

 

 

「ルー!?」

 

 

 ルーがいつの間にか、膝を引きずるようにして私の左隣まで来ていた。

 魔導杖に体重を預け、片手で帽子を直している。

 私は光をあてながら、無表情のルーを見上げる。

 彼女はいつものように、たんたんと言葉を続けた。

 

 

「マリーなら、光属性の低位魔法より、そっちのほうが回復効果が高い」

 

 

「それって……?」

 

 

「他の女神教の人と違って、マリーは最初から、純粋に自分の力だけで癒していた。モブも知ってる。マリー。……ルーとモブが、保証する。マリーの癒しの力は、本物だって」

 

 

「……どうして、それを、いままで」

 

 

 責めたいわけではない。

 けれど、声は勝手にこぼれていた。

 ルーはまばたきを一度だけした。

 

 

「聞かれなかった。あと、言っても、マリーは信じなかったと思う」

 

 

「……」

 

 

「いままでなら、〈小回復〉でも、マリーの力なら回復効果は十分だった。マリーが女神に祈ることを、ルーが勝手に壊す理由もなかった。でも、いまは必要。モブを治すために」

 

 

 言葉が、胸の奥に落ちる。

 否定したかった。

 女神に見放されたのではないと言われても、すぐには信じられなかった。

 けれども……。

 

 

 私はルーの紫水の瞳を見つめ返す。

 応じるように、ルーが帽子のつばを持ち上げた。

 彼女は、ほんの少しだけ目を細める。

 

 

「我も、信じるぞ」

 

 

「わ、私も」

 

 

 カナメが、モブ様の肩を固定したまま、短く告げる。

 カーラが替えの布を用意しながらも言い放つ。

 

 

 私はかぶりを振る。

 女神の助力があるかどうかを、いまここで疑っている暇はない。

 ルーの言葉を、私は信じる。

 仲間が信じる私を、信じる。

 

 

「……水を司る精霊(もの)、ウンディーネよ──」

 

 

 私は胸の前で指を組む。

 祈りの言葉は、自然に口からこぼれた。

 

 

「傷深きものをどうか、現世(うつしよ)にお(とど)めください……」

 

 

 組んだ指のうちで、水の魔力を集める。

 光の魔力を混ぜる。

 冷たさと温かさが、祈りの形をした手の中で溶け合っていく。

 私は震える唇で、力ある言葉を紡ぐ──。

 

 

『〈治癒の水(ヒーリング・ウォーター)〉』

 

 

 レベル3水属性魔法、〈治癒の水(ヒーリング・ウォーター)〉。

 淡い水光が、私の手のひらからにじみ出る。

 モブ様を中心に、鏡のような水面が生まれ、祈祷陣の上へ静かに広がる。

 石床を染めていた血が、水の膜にほどけて薄まっていく。

 赤く濁った水面から、透明な水玉がひとつ、またひとつと昇った。

 それらは淡い光を宿し、モブ様とカイウスの傷へ吸い込まれていく。

 

 

「大丈夫です。大丈夫ですから……」

 

 

 誰に言っているのか、自分でもわからなかった。

 モブ様へか。

 それとも、私自身へか。

 

 

 水玉がカイウスの右肘を覆う。

 右肘の火傷跡を水玉が覆い、瞬く間に新しい皮膚に塗り替わったのが見えた。

 カイウスが目を見開く。

 セレスも自身の治療の手を止めている。

 私が作り出した光景を、彼女は瞳を潤ませ、唇を強く結びながら見つめ続ける。

 

 

「そう、か……」

 

 

 カイウスがぼそりと口にする。

 灰色の瞳は、私の手元から離れない。

 どこか憑き物が落ちたような顔で、私を見ていた。

 

 

 同じようにして。

 カナメが抑える施療布の上から、魔法の水玉がかぶさる。

 カナメの手ごと、水はモブ様の喉を覆った。

 徐々にモブ様の息が、落ち着いていく。

 閉じたまぶたが、ほんのわずかに震えた。

 

 

「おおっ……!!」

 

 

 カナメが声を上げる。

 血に染まった布をカナメがゆっくりめくる。

 首の付け根にあった傷は、塞がっていた。

 肩口の肉も、少しずつ閉じていく。

 

 

 ルーの言う通りだった。

 けれど、気を抜くことはできない。

 指を組んだまま祈りを続け、私は全身の魔力を水面へ注ぎ込む。

 

 

 私はいま、モブ様の力になれているだろうか?

 そうであってほしいと、願う。

 背を丸めて息を吐く。

 その途端、涙が一粒、モブ様の厚みのある手に落ちた。

 

 

「モブ様……。お目覚め、ください……」

 

 

 返事はない。

 上下する胸に、私は視線を落とす。

 

 

「マリー、呼吸は少し戻った。だが、まだ顔色が悪い」

 

 

 カナメが、すぐ横から低く告げる。

 その声には、隠しきれない焦りがあった。

 

 

「スタミナ再生薬推奨。衰弱気味」

 

 

「す、スタミナ再生薬なら、余りがあるはず……! ちょっと待ってて!」

 

 

 ルーの言葉を受け、カーラが後ろで袋を漁り始める。

 私はもう一度、魔力を練る。

 水面が震え、傷口へ淡い光が吸い込まれていく。

 裂けていた肉は、すっかり元に戻っている。

 喉の奥で絡んでいた呼吸音も、かすかに整いはじめる。

 

 

「心拍、安定方向」

 

 

「モブ様。戻ってきてください。お願いです。あなたがいなくなったら、私はきっと……」

 

 

 その先を、言葉にすることができなかった。

 口にした瞬間、本当になってしまいそうで、喉が震える。

 そのとき、モブ様の指がぴくりと動いた。

 

 

「っ」

 

 

 カーラが息を呑む音が聞こえてくる。

 カナメの肩から力が抜ける気配がした。

 

 

 モブ様の胸が、深く上下する。

 ひと呼吸。

 ふた呼吸。

 今度は、両目が開いた。

 

 

「モブッ!!」

 

 

「も、モブくん……!?」

 

 

「っ、げほっ」

 

 

 焦点の合った黒い目が、誰かを探している。

 空咳をひとつこぼし、彼はかすれた声を上げた。

 

 

「……ま、マリー、は?」

 

 

「モブゥ!!」

 

 

「ぐえっ!」

 

 

 いつも通りの声色。

 まっさきに、私を探してくれた。

 カナメが歓喜の声を上げる。両手を彼の背に回し、力強く引き付けた。

 

 

 よかった。

 本当に、よかった。

 膝から力が抜けそうになる。

 私の頬を、大粒の雫が伝い続ける。

 強く組みすぎた指には、いつの間にか血がにじんでいた。

 

 

「無茶しよってからに……!! みながみな、お前を心配していたぞ!!」

 

 

「モブぐん、よがっだ……!! ほんどうに、よがっだよぉ……!!」

 

 

 カナメが頬をモブ様の頬にこすりつけ、涙をこぼす。

 その後ろで、カーラが自分の鼻頭に両手をかぶせ、感極まった声を上げる。

 

 

 モブ様と頬を合わせるカナメを見て、胸の奥がちくりと痛んだ。

 あんなふうに、迷わず触れられることが。

 うらやましい。

 そう思ってしまう自分が、情けなかった。

 

 

 私は、半淫魔だから。

 触れれば、モブ様を苦しめるかもしれない。

 だから、仕方がない。

 モブ様が助かった。

 それだけで、私は十分すぎるほど救われている。

 

 

「でえい!! マリー、マリーはいるか!?」

 

 

「は、はいっ」

 

 

 モブ様がカナメの頭を撫でつけてから、引きはがす。

 唇を尖らせるカナメを横に置き、私を探した。

 まだ支えが必要な体を起こし、左斜め前へ視線を向ける。

 視線が合う。

 私を、見つけてくれた。

 

 

 私は身を乗り出す。

 前髪に隠れた、深淵を覗く黒い瞳に、目を奪われる。

 組んだ指に、あご先から伝う雫が、落ち続ける。

 モブ様の言葉をひとつもこぼさないように、私は息を詰めて耳を傾ける。

 

 

「……回復ありがとう、助かった。マリーが治してくれるって信じてたから、なんとかじいさんを止めることができたよ」

 

 

 そう言ってモブ様は、隣で横たわるカイウスと視線を交わす。

 勝ち誇るでも、責めるでもない。

 互いに生き残ったことを確かめるような目だった。

 

 

 すぐに私へ顔を戻す。

 声は(かす)れていた。

 それでも黒い瞳には、私の知るいつもの強情な光が戻っていた。

 

 

「なんという、無茶を……」

 

 

「悪い。これ(・・)しか、思いつかなかった。……けど、狙いどおりにいって、よかったよ」

 

 

「よくありません!!」

 

 

 親指で自身の首の付け根を示すモブ様を見て、気づけば、私は声を荒げていた。

 モブ様が、わずかに目を細める。

 叱られた子どものような顔を、ほんの一瞬だけした。

 気まずそうに視線を外す。けれどすぐに視線を戻し、もう一度私を見た。

 

 

 私は唇を強く結ぶ。

 胸の前で組んだ指が、ほどけない。

 爪が手の甲に食い込んでいるのに、痛みが遠かった。

 モブ様がこちらを見ている。

 逃げずに、私の言葉を待ってくれている。

 ただそれだけで、押し込めていたものが喉元までせり上がった。

 

 

「あなたがいなくなったら、私は……」

 

 

 血まみれになったあなたを見て……。

 ようやく起き上がったあなたを見て……。

 私はやっと、自分の本心を理解した。

 ──かつて、あなたにかけてもらった言葉が、私の胸中を温めていく。

 

 

『君は、俺たちの側にいていい』

 

 

『……マリー。アリスの言い方はきついけど、言ってること自体はもっともだと思う。俺はいい。君の事情ごと背負うって、もう決めてる』

 

 

『……夏になったら、予定通りこのメンバーで中級ダンジョンに行こう。絶対に、乗り切ろうな、マリー』

 

 

 モブ・アイカータ様。

 本当は、恥ずべきことなのに。女の身で男を頼ってはいけないと、何度も自分を(いまし)めてきたのに。

 差し伸べられた手の温度を、私はもう忘れられない。

 あなたに手を引かれることこそが、本来あるべき姿なのだと、錯覚してさえいる。

 

 

 口から、想いがあふれ出す。

 

 

「あなたがいなくなったら、私はきっと、もう、生きていけません……。だから……」

 

 

 ああ、わたくしの神(モブ様)よ。

 私は、あなたにすべてを捧げたい。

 なぜ私は、いままでこの気持ちをないがしろにしてしまっていたのだろうか。

 もはやあなたを失うことが、一番恐ろしいのに──。

 

 

「だから、どうか、ご自愛ください……」

 

 

 比類なき新たな光(・・・・・・・)に向かって、私は祈りを捧げる。

 涙は止まらない。視界はぼやける。

 どうか、長く生きてください。

 長く、支えさせてください。

 そう、私は強く願った。

 

 

「……マリー」

 

 

 モブ様の左手が、私へ伸びる。

 私は反射的に身を引こうとするも、袖口をつかまれる。

 弱い力だった。

 袖をつかまれた瞬間、心臓が跳ねる。

 

 

「モブ様、触れては……」

 

 

「平気だ。構うもんか」

 

 

 短く言って、モブ様は私を抱き寄せた。

 血の臭いが鼻をかすめる。

 弱った腕の熱が、僧衣越しに伝わってくる。

 モブ様の手が、ゆっくりと私の背を撫でた。

 

 

 触れてはいけないはずなのに。

 その温もりにすがるように、私は息を吸っていた。

 

 

 ああ、わたくしの神(モブ様)よ……。

 私はもう、声を出せなかった。

 

 

「今後は、気を付ける。俺も、長生きしたいからな。……ありがとう、マリー」

 

 

「~~ッ」

 

 

 嗚咽(おえつ)が喉につかえて、声にならない。

 返事をしなければと思うのに、私は小さくうなずくことしかできなかった。

 背に置かれた手の温かさだけで、頭の奥が白くなる。

 

 

 モブ様が、今度はセレスに顔を向けた。

 私の体を抱き止めたまま……。

 

 

「セレスティーネ様」

 

 

「は、はいっ」

 

 

「ひとまず、マリーの話、聞いてくれる気になったんですかね?」

 

 

「……ええ。そのつもりです」

 

 

「感謝します。……じいさん」

 

 

 モブ様がカイウスに目を向ける。

 そこに勝者の(おご)りはなかった。

 その黒い瞳を見て、私は不思議なことに父性を覚えてしまう。

 母性と言い換えるのも違う。

 罰するためではなく、(ゆる)すためでもない。

 相手が立ち上がるまで見届けるような、厳しくも温かな目だった。

 

 

「マリーの話、今度こそ聞く気になれたか?」

 

 

 体を起こさず、カイウスは血と水に濡れた石床から天井を仰いだ。

 眉間の皺はほどけている。

 灰色の瞳には、まだ悔いと痛みが残っていた。燃えていた断罪の熱は、もう薄れている。

 いまのカイウスの横顔には、私がかつて女神教国で見た、厳しくも人を見捨てない教導者の面影があった。

 

 

「──ええ。ようやく」

 

 

「そいつはよかった」

 

 

 そう、モブ様が言い終えた瞬間。

 胸の奥で、何かが静かに鳴った。

 鐘の音にも似ていた。けれど、それは耳ではなく、魂の底に響いている。

 温かな黄金の光が、聖素と涙で冷えた体の内側からあふれ出す。

 

 

 私だけではない。

 目の前のモブ様もまた、同じ光に包まれていた。

 

 

「これは……!?」

 

 

「観測値、レベルアップ」

 

 

 肩越しに振り返ると、カーラとルーもまた黄金の光を帯びていた。

 カーラは涙で濡れた顔のまま目を丸くし、ルーは帽子のつばの下で静かにまばたきをしている。

 

 

 私は、すぐにモブ様へ視線を戻した。

 血の気の戻りきらない横顔が、淡い金に縁取られている。

 私の視線に気づいたモブ様は、私を抱き止めたまま、かすかに微笑んだ。

 

 

 その笑みだけで、天にも昇る気持ちになる。

 黄金の光も相まって、私には、モブ様の背に後光が差しているように見えた。

 

 

「俺たちの行動が、偉業の大精霊(グラン・トゥール)に認められたみたいだな。よかった、よかった。試練を乗り越えた(クエストクリア)ってとこか」

 

 

「うむ! なぜいまかはわからなんだが、とにかくよし!!」

 

 

 隣で、カナメが腕を組んだまま笑い立てた。

 すでにレベル4の彼女だけは黄金の光を帯びていない。

 なのに、その顔は誰より晴れやかだった。

 

 

 ひょっとして、偉業を司る大精霊は、カイウス・オルフェンの心の移り変わりを察したのだろうか? それをなしたことを、偉業と認めた?

 あれこれ考えているうちに、黄金の光が止む。

 

 

「レベル4に、なられたのですね、モブさん。ふふ、やはりあなたは、大した男だ」

 

 

「4!? え、え? 男性で、そのお歳で!? そ、そもそも、レベル3なのに、あなたはカイウスと……!? そ、それはそうかもしれないですが……!? え、ええぇっ!?」

 

 

 カイウスの言葉に、セレスが目を見開く。

 淡い金髪を揺らしながら、カイウスとモブ様を何度も見比べる。

 その慌てぶりに、モブ様の口元がわずかにゆるんだ。

 顔色も戻り、肌は赤みが差している。そこにはいつもの悪戯っぽさが戻っていた。

 

 

 そんなモブ様の横顔を私は息が触れ合う距離で見上げる。

 私は胸の前で指を組み直す。

 祈りの形を取った指先が、小さく震えていた。

 激しく鳴る心音に、私は身を委ねる。

 

 

 ──私は、この方を愛している。

 この想いは、決して薄れない。

 この方が()された次の日に、私が生きていることはないだろう。

 

 

 地下礼拝堂の冷ややかな空気が、私の火照る頬をさらう。

 奥に立つ女神像の白い頬には、祈祷陣の水光が揺れていた。

 けれど、その石の瞳は何も語らない。私を見放しているかのように。

 私を抱き止める腕だけが、温かかった。

 

 

 

 

 

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十四歳の〇〇耕太郎には家族がいない、友人は失ったばかり、ものごころつく前に健康もなくなり、多分寿命もほとんど残ってない。▼そんな人生ないない尽くしの彼がある日目を覚ますと、何故か知らない母と妹が出来ていた。▼その上世界の男女比は崩壊していて、貞操観念も逆転しており、ついでに怪物と謎のマスコットまで彼の前に現れる。▼妖精を名乗る謎の生き物、らびらびに導かれるま…


総合評価:5300/評価:8.67/連載:72話/更新日時:2026年05月15日(金) 21:00 小説情報

世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件(作者:赤坂緑語)(オリジナル現代/冒険・バトル)

この世界が前世でプレイしていた悪魔とエクソシストの殺し合いで年中ヒャッハーしている鬱エロゲームの世界であると気が付いたその日、僕は恋人になってくれた彼女に告げた。▼「ごめん……別れて欲しい」▼ 彼女はこの世界を主人公と共に救うメインヒロインだと知ってしまったから。あとは主人公と一緒に何とか世界を救ってほしいと願っていたんだが――▼「逃がさないよ。絶対に、絶対…


総合評価:19569/評価:8.76/連載:84話/更新日時:2026年05月17日(日) 23:00 小説情報

貞操逆転世界で占い師(軍師)を務めていたら、貴族令嬢方に包囲され逃げられなくなった件について(作者:ですわお嬢様)(オリジナルファンタジー/戦記)

男女の役割が入れ替わった中世っぽい異世界で、ガリティア王国の女爵(男爵)家に転生した。▼軍事貴族の家柄に転生したことも相まって、勝手に憧れて軍略などを学んでいたが、この世界では男性が故に出征することもなく箱入り息子として育てられることに。▼だか、ある日にまさかの革命が起こり、王家と共に軍人だった母は戦死してしまう。▼慌てて隣国に亡命すると、そこには同じく革命…


総合評価:11616/評価:8.52/連載:51話/更新日時:2026年05月26日(火) 12:10 小説情報


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