ただのモブ(大嘘)がTSした原作主人公の代わりに逆転世界で頑張る話 ―女性特効ラスボスは俺が倒す― 作:つくもいつき
-マリー Side-
モブ・アイカータ様。
呪われた血が流れる私を突き放さず、あまつさえ手を引いてくれる人。
『前も言ったろ? 俺はマリーとレベルが同じで、ほかの男と違って、耐性があるってさ。もしも襲ってきたら、返り討ちにしてやるよ』
『心配するな、マリー。俺はそんじょそこらのやわな連中とは鍛え方が違う。君にも負けない』
そう言って、あるがままの私を受け入れて、側においてくれる人。
『俺が淫魔王を殺す』
『俺が、そうしたいからだ。俺は祝福持ちじゃない。けれど、俺は男だ。淫魔王を殺せる可能性を秘めている』
『俺の手で百年の不幸を防ぐことができるかもしれない。なら、俺は戦うよ。俺を愛してくれる人たちには、笑顔でいてほしいんだ。──俺が苦労するのは構わない。それ以上の多くの幸せを、俺はすでに受け取った』
女神の祝福を持たない男性なのに、モブ様は英雄の代わりを果たそうとしている。どんな苦難に満ちた道とわかっていても、モブ様は進んでいく。
それがまぶしくて、それがなによりも美しく見えて──。
モブ様の力になりたい。
モブ様を、ずうっと支えたい。
そう思っていたはずなのに──。
「モブ様ぁっ!?」
カーラやセレスとともに、冷暗薬草庫の扉を出てすぐのこと。
祈祷陣の上で、首の付け根から血を噴き出すモブ様の姿を、私は目の当たりにした。
カイウスの右腕を抱え込んだまま、モブ様は膝から崩れ落ちるように倒れる。
まぶたの下で、焦点を失った黒い瞳が揺れる。
血が。
血が祈祷陣を染めていく。
剣が少し離れた石床に転がっている。
モブ様の左の肩口から鎖骨をかすめ、首の付け根にかけて、深い傷が開いていた。
血の臭い。
焼けた鉄の臭い。
焦げた肉の臭い。
全部が、一度に肺に流れ込んでくる。
「モブッ!?」
礼拝堂の入り口側へ目を向ける。
ルーに肩を貸したカナメが、敷居のところで足を止めていた。
隣のルーは無表情のまま、魔導杖を握る指だけを強ばらせる。
「あ、あ……!」
私の肩を支えるカーラが、身を震わせている。
かすれた声が、カーラの喉から漏れていた。
信じられないものを見たかのように、顔色を失っている。
私は、走り出す。
肩を貸してくれていたカーラの手が、腕から滑り落ちた。
足が、うまく前へ出ない。石床が遠い。
礼拝堂の冷気が膝の内側をなぞり、指先から力が抜けていく。
それでも止まれなかった。
止まった瞬間、モブ様が本当に遠くへ行ってしまう気がした。
足元の血にブーツが取られかける。どうにか、モブ様の側へ寄った。
さっきまで体を押さえつけていた聖素の残り香が、胸の奥にまだ重く残っている。
息を吸うたび、肺の内側が冷たく痺れる。
けれど、それどころではない。
私はモブ様の側に膝をつく。
血が青の僧衣に染み込んだ。
「マリー! 私も手伝うわ!」
セレスが後ろから声をかけてくる。
私から見て右手側──モブ様とカイウスの頭の近くに彼女は座った。
続いて彼女はカイウスに視線を落とす。
「……セレスティーネ、様。あなた、は──」
「──カイウス」
カイウスが、モブ様に抱え込まれていた右腕を抜こうとした。
床に擦れた鎧が、低く鳴る。
焼けた腕をかばうように、カイウスはゆっくりと仰向けになった。
その動きに引かれて、モブ様の体がずるりと横へ流れる。
私はそっと両手でモブ様の肩を支えようとして、すぐに指を引っ込めた。
不用意に触れれば、魅了しかねない。
こんな時でさえ、自分の血を疑わなければならない。
なんて、なんて憎たらしい血か。
愛しい人を助けることの邪魔にすらなるなんて……。
「ここまで、か」
カイウスのつぶやきが聞こえてくる。
誰に聞かせるでもない声が、血の臭いに混じって、宙に溶けていく。
それは、計画そのものに向けた言葉のように、私には聞こえた。
「マリー!」
その間に、カナメが私の近くに膝をつく。すぐにモブ様の頭側へ回った。
和国装束の袖が、血の上に触れる。
「我が支える。頭と肩は任せろ。マリー、そなたは魔法に専念せよ」
「……はいっ」
「せ、施療布の余り! 使ってくれ!」
後ろから、カーラがカナメに声をかける。
袋から取り出したであろう白い清潔な布を、カナメはうなずきながらカーラから受け取った。
カナメは、すぐにそれをモブ様の首の付け根にあてる。
あっという間に白地が赤に染まった。
血が多い。多すぎる。
息はある。
喉の奥で、わずかに空気が鳴っている。
「回復ポーションはっ……!?」
カーラが袋へ手を伸ばしかける。
私は反射的に首を振った。
ダメだ。
意識のない人に、まして首の付け根を裂かれ、呼吸まで細っている人に、飲み薬を流し込んではいけない。
むせれば血と薬液が気道へ落ちる。飲み込ませようとあごを動かせば、傷口も首も動いてしまう。
仮に喉を通ったとしても、開いた血管から命が流れ出ているうちは、薬の力が体に留まらない。
「そうだ! 簡易再生ジェルとかは……!?」
「あれは軽傷用だから……」
薬草庫の棚にある外傷薬や簡易再生ジェルでは、この血を止めきれない。
高級な血管封止用の再生パッチでもあれば別かもしれない。けれど、そんな救命棟の備品は、いま私の手元にはなかった。
薬を選んで塗る時間もない。
いま必要なのは傷口を押さえ、首を動かさず、出血源を塞ぐことだった。
「いまはこれで!」
私はモブ様に触れずに、手をかざす。
指先に熱を通す。
蒼い魔力光が、またたいた。
『〈
基本にして王道。ひとり分の治療と軽度の状態異常回復を担う、レベル1の光属性魔法。
青い光でモブ様を包み込む。
じわりと、汗がひと筋、頬を伝う。
構わず、私は回復を続ける。
「カナメ、布を傷口に押しあてたままにして……。首は動かさないで」
「わかった! ……モブ、死ぬなよ。死んだら、許さぬぞ……!!」
私は、施療布越しに光を送り込む。
魔力を送り込むたび、指の骨が内側から軋む。
傷口は閉じない。
カナメの手の下で、布の赤みだけがまた濃くなっていく。
青い光はたしかに届いているはずなのに、血だけが当たり前のようにあふれ続ける。
ダメだ。回復が、追いついていない。
私の喉奥は冷える。
息を吸っているのに、胸に空気は入らない。
「……セレスティーネ様に、任せなさい」
かすれた声が、私の耳に届いた。
カイウスだった。
焼けた右腕を押さえ、血の気の失せた顔で床に伏している。
灰色の瞳が私を見据え、なお言葉を突き立てようとしていた。
「あなたが、闇に通じながらも、光の癒しを使えるとしても……。その傷は、あなたが、癒せる傷では、ない……。女神はあなたに、力を貸さない……。
手が、止まりかけた。
指先の青い光が揺らぐ。
胸の奥で、さっき消えたはずの〈光輝地帯〉の圧がぶり返した。
「カイウスっ。喋ってはなりません」
セレスが、カイウスに手をかざし、白い魔力光でカイウスを包み込んでいる。
白い法衣の裾が、血と煤で汚れる。
「あなたの治療は、私が引き受けます。マリーは、そのままモブさんを……」
「いいえ、セレスティーネ様。私よりも、彼を。……未来ある若者を、優先してください」
「カイウス、あなた……」
「お願い、です」
カイウスの声は震えていた。
セレスの治療を受け、途切れ途切れながら言葉を繋げるだけの息を取り戻している。
一方で、モブ様の傷は癒えない。
青い光の下で、施療布だけが赤く染まり続けている。
やはり、私ではダメなのだろうか。ついに、女神に見放されてしまったのだろうか。
そんな焦りが、生まれる──。
「私は……」
言葉が喉で潰れる。
闇に通じるもの。
カイウスの言葉が、指先から力を奪おうとする。
青い光が細り、施療布の赤だけが濃く見えた。
モブ様の力になれない私に、何の価値があろうか?
唇を噛む。
私では足りない。
ならば、セレスに代わろう。女神に愛された彼女の手なら、モブ様を救えるかもしれない。
そう思った瞬間、胸の奥が裂けるように痛んだ。
「──マリー。〈
「ルー!?」
ルーがいつの間にか、膝を引きずるようにして私の左隣まで来ていた。
魔導杖に体重を預け、片手で帽子を直している。
私は光をあてながら、無表情のルーを見上げる。
彼女はいつものように、たんたんと言葉を続けた。
「マリーなら、光属性の低位魔法より、そっちのほうが回復効果が高い」
「それって……?」
「他の女神教の人と違って、マリーは最初から、純粋に自分の力だけで癒していた。モブも知ってる。マリー。……ルーとモブが、保証する。マリーの癒しの力は、本物だって」
「……どうして、それを、いままで」
責めたいわけではない。
けれど、声は勝手にこぼれていた。
ルーはまばたきを一度だけした。
「聞かれなかった。あと、言っても、マリーは信じなかったと思う」
「……」
「いままでなら、〈小回復〉でも、マリーの力なら回復効果は十分だった。マリーが女神に祈ることを、ルーが勝手に壊す理由もなかった。でも、いまは必要。モブを治すために」
言葉が、胸の奥に落ちる。
否定したかった。
女神に見放されたのではないと言われても、すぐには信じられなかった。
けれども……。
私はルーの紫水の瞳を見つめ返す。
応じるように、ルーが帽子のつばを持ち上げた。
彼女は、ほんの少しだけ目を細める。
「我も、信じるぞ」
「わ、私も」
カナメが、モブ様の肩を固定したまま、短く告げる。
カーラが替えの布を用意しながらも言い放つ。
私はかぶりを振る。
女神の助力があるかどうかを、いまここで疑っている暇はない。
ルーの言葉を、私は信じる。
仲間が信じる私を、信じる。
「……水を司る
私は胸の前で指を組む。
祈りの言葉は、自然に口からこぼれた。
「傷深きものをどうか、
組んだ指のうちで、水の魔力を集める。
光の魔力を混ぜる。
冷たさと温かさが、祈りの形をした手の中で溶け合っていく。
私は震える唇で、力ある言葉を紡ぐ──。
『〈
レベル3水属性魔法、〈
淡い水光が、私の手のひらからにじみ出る。
モブ様を中心に、鏡のような水面が生まれ、祈祷陣の上へ静かに広がる。
石床を染めていた血が、水の膜にほどけて薄まっていく。
赤く濁った水面から、透明な水玉がひとつ、またひとつと昇った。
それらは淡い光を宿し、モブ様とカイウスの傷へ吸い込まれていく。
「大丈夫です。大丈夫ですから……」
誰に言っているのか、自分でもわからなかった。
モブ様へか。
それとも、私自身へか。
水玉がカイウスの右肘を覆う。
右肘の火傷跡を水玉が覆い、瞬く間に新しい皮膚に塗り替わったのが見えた。
カイウスが目を見開く。
セレスも自身の治療の手を止めている。
私が作り出した光景を、彼女は瞳を潤ませ、唇を強く結びながら見つめ続ける。
「そう、か……」
カイウスがぼそりと口にする。
灰色の瞳は、私の手元から離れない。
どこか憑き物が落ちたような顔で、私を見ていた。
同じようにして。
カナメが抑える施療布の上から、魔法の水玉がかぶさる。
カナメの手ごと、水はモブ様の喉を覆った。
徐々にモブ様の息が、落ち着いていく。
閉じたまぶたが、ほんのわずかに震えた。
「おおっ……!!」
カナメが声を上げる。
血に染まった布をカナメがゆっくりめくる。
首の付け根にあった傷は、塞がっていた。
肩口の肉も、少しずつ閉じていく。
ルーの言う通りだった。
けれど、気を抜くことはできない。
指を組んだまま祈りを続け、私は全身の魔力を水面へ注ぎ込む。
私はいま、モブ様の力になれているだろうか?
そうであってほしいと、願う。
背を丸めて息を吐く。
その途端、涙が一粒、モブ様の厚みのある手に落ちた。
「モブ様……。お目覚め、ください……」
返事はない。
上下する胸に、私は視線を落とす。
「マリー、呼吸は少し戻った。だが、まだ顔色が悪い」
カナメが、すぐ横から低く告げる。
その声には、隠しきれない焦りがあった。
「スタミナ再生薬推奨。衰弱気味」
「す、スタミナ再生薬なら、余りがあるはず……! ちょっと待ってて!」
ルーの言葉を受け、カーラが後ろで袋を漁り始める。
私はもう一度、魔力を練る。
水面が震え、傷口へ淡い光が吸い込まれていく。
裂けていた肉は、すっかり元に戻っている。
喉の奥で絡んでいた呼吸音も、かすかに整いはじめる。
「心拍、安定方向」
「モブ様。戻ってきてください。お願いです。あなたがいなくなったら、私はきっと……」
その先を、言葉にすることができなかった。
口にした瞬間、本当になってしまいそうで、喉が震える。
そのとき、モブ様の指がぴくりと動いた。
「っ」
カーラが息を呑む音が聞こえてくる。
カナメの肩から力が抜ける気配がした。
モブ様の胸が、深く上下する。
ひと呼吸。
ふた呼吸。
今度は、両目が開いた。
「モブッ!!」
「も、モブくん……!?」
「っ、げほっ」
焦点の合った黒い目が、誰かを探している。
空咳をひとつこぼし、彼はかすれた声を上げた。
「……ま、マリー、は?」
「モブゥ!!」
「ぐえっ!」
いつも通りの声色。
まっさきに、私を探してくれた。
カナメが歓喜の声を上げる。両手を彼の背に回し、力強く引き付けた。
よかった。
本当に、よかった。
膝から力が抜けそうになる。
私の頬を、大粒の雫が伝い続ける。
強く組みすぎた指には、いつの間にか血がにじんでいた。
「無茶しよってからに……!! みながみな、お前を心配していたぞ!!」
「モブぐん、よがっだ……!! ほんどうに、よがっだよぉ……!!」
カナメが頬をモブ様の頬にこすりつけ、涙をこぼす。
その後ろで、カーラが自分の鼻頭に両手をかぶせ、感極まった声を上げる。
モブ様と頬を合わせるカナメを見て、胸の奥がちくりと痛んだ。
あんなふうに、迷わず触れられることが。
うらやましい。
そう思ってしまう自分が、情けなかった。
私は、半淫魔だから。
触れれば、モブ様を苦しめるかもしれない。
だから、仕方がない。
モブ様が助かった。
それだけで、私は十分すぎるほど救われている。
「でえい!! マリー、マリーはいるか!?」
「は、はいっ」
モブ様がカナメの頭を撫でつけてから、引きはがす。
唇を尖らせるカナメを横に置き、私を探した。
まだ支えが必要な体を起こし、左斜め前へ視線を向ける。
視線が合う。
私を、見つけてくれた。
私は身を乗り出す。
前髪に隠れた、深淵を覗く黒い瞳に、目を奪われる。
組んだ指に、あご先から伝う雫が、落ち続ける。
モブ様の言葉をひとつもこぼさないように、私は息を詰めて耳を傾ける。
「……回復ありがとう、助かった。マリーが治してくれるって信じてたから、なんとかじいさんを止めることができたよ」
そう言ってモブ様は、隣で横たわるカイウスと視線を交わす。
勝ち誇るでも、責めるでもない。
互いに生き残ったことを確かめるような目だった。
すぐに私へ顔を戻す。
声は
それでも黒い瞳には、私の知るいつもの強情な光が戻っていた。
「なんという、無茶を……」
「悪い。
「よくありません!!」
親指で自身の首の付け根を示すモブ様を見て、気づけば、私は声を荒げていた。
モブ様が、わずかに目を細める。
叱られた子どものような顔を、ほんの一瞬だけした。
気まずそうに視線を外す。けれどすぐに視線を戻し、もう一度私を見た。
私は唇を強く結ぶ。
胸の前で組んだ指が、ほどけない。
爪が手の甲に食い込んでいるのに、痛みが遠かった。
モブ様がこちらを見ている。
逃げずに、私の言葉を待ってくれている。
ただそれだけで、押し込めていたものが喉元までせり上がった。
「あなたがいなくなったら、私は……」
血まみれになったあなたを見て……。
ようやく起き上がったあなたを見て……。
私はやっと、自分の本心を理解した。
──かつて、あなたにかけてもらった言葉が、私の胸中を温めていく。
『君は、俺たちの側にいていい』
『……マリー。アリスの言い方はきついけど、言ってること自体はもっともだと思う。俺はいい。君の事情ごと背負うって、もう決めてる』
『……夏になったら、予定通りこのメンバーで中級ダンジョンに行こう。絶対に、乗り切ろうな、マリー』
モブ・アイカータ様。
本当は、恥ずべきことなのに。女の身で男を頼ってはいけないと、何度も自分を
差し伸べられた手の温度を、私はもう忘れられない。
あなたに手を引かれることこそが、本来あるべき姿なのだと、錯覚してさえいる。
口から、想いがあふれ出す。
「あなたがいなくなったら、私はきっと、もう、生きていけません……。だから……」
ああ、
私は、あなたにすべてを捧げたい。
なぜ私は、いままでこの気持ちをないがしろにしてしまっていたのだろうか。
もはやあなたを失うことが、一番恐ろしいのに──。
「だから、どうか、ご自愛ください……」
涙は止まらない。視界はぼやける。
どうか、長く生きてください。
長く、支えさせてください。
そう、私は強く願った。
「……マリー」
モブ様の左手が、私へ伸びる。
私は反射的に身を引こうとするも、袖口をつかまれる。
弱い力だった。
袖をつかまれた瞬間、心臓が跳ねる。
「モブ様、触れては……」
「平気だ。構うもんか」
短く言って、モブ様は私を抱き寄せた。
血の臭いが鼻をかすめる。
弱った腕の熱が、僧衣越しに伝わってくる。
モブ様の手が、ゆっくりと私の背を撫でた。
触れてはいけないはずなのに。
その温もりにすがるように、私は息を吸っていた。
ああ、
私はもう、声を出せなかった。
「今後は、気を付ける。俺も、長生きしたいからな。……ありがとう、マリー」
「~~ッ」
返事をしなければと思うのに、私は小さくうなずくことしかできなかった。
背に置かれた手の温かさだけで、頭の奥が白くなる。
モブ様が、今度はセレスに顔を向けた。
私の体を抱き止めたまま……。
「セレスティーネ様」
「は、はいっ」
「ひとまず、マリーの話、聞いてくれる気になったんですかね?」
「……ええ。そのつもりです」
「感謝します。……じいさん」
モブ様がカイウスに目を向ける。
そこに勝者の
その黒い瞳を見て、私は不思議なことに父性を覚えてしまう。
母性と言い換えるのも違う。
罰するためではなく、
相手が立ち上がるまで見届けるような、厳しくも温かな目だった。
「マリーの話、今度こそ聞く気になれたか?」
体を起こさず、カイウスは血と水に濡れた石床から天井を仰いだ。
眉間の皺はほどけている。
灰色の瞳には、まだ悔いと痛みが残っていた。燃えていた断罪の熱は、もう薄れている。
いまのカイウスの横顔には、私がかつて女神教国で見た、厳しくも人を見捨てない教導者の面影があった。
「──ええ。ようやく」
「そいつはよかった」
そう、モブ様が言い終えた瞬間。
胸の奥で、何かが静かに鳴った。
鐘の音にも似ていた。けれど、それは耳ではなく、魂の底に響いている。
温かな黄金の光が、聖素と涙で冷えた体の内側からあふれ出す。
私だけではない。
目の前のモブ様もまた、同じ光に包まれていた。
「これは……!?」
「観測値、レベルアップ」
肩越しに振り返ると、カーラとルーもまた黄金の光を帯びていた。
カーラは涙で濡れた顔のまま目を丸くし、ルーは帽子のつばの下で静かにまばたきをしている。
私は、すぐにモブ様へ視線を戻した。
血の気の戻りきらない横顔が、淡い金に縁取られている。
私の視線に気づいたモブ様は、私を抱き止めたまま、かすかに微笑んだ。
その笑みだけで、天にも昇る気持ちになる。
黄金の光も相まって、私には、モブ様の背に後光が差しているように見えた。
「俺たちの行動が、
「うむ! なぜいまかはわからなんだが、とにかくよし!!」
隣で、カナメが腕を組んだまま笑い立てた。
すでにレベル4の彼女だけは黄金の光を帯びていない。
なのに、その顔は誰より晴れやかだった。
ひょっとして、偉業を司る大精霊は、カイウス・オルフェンの心の移り変わりを察したのだろうか? それをなしたことを、偉業と認めた?
あれこれ考えているうちに、黄金の光が止む。
「レベル4に、なられたのですね、モブさん。ふふ、やはりあなたは、大した男だ」
「4!? え、え? 男性で、そのお歳で!? そ、そもそも、レベル3なのに、あなたはカイウスと……!? そ、それはそうかもしれないですが……!? え、ええぇっ!?」
カイウスの言葉に、セレスが目を見開く。
淡い金髪を揺らしながら、カイウスとモブ様を何度も見比べる。
その慌てぶりに、モブ様の口元がわずかにゆるんだ。
顔色も戻り、肌は赤みが差している。そこにはいつもの悪戯っぽさが戻っていた。
そんなモブ様の横顔を私は息が触れ合う距離で見上げる。
私は胸の前で指を組み直す。
祈りの形を取った指先が、小さく震えていた。
激しく鳴る心音に、私は身を委ねる。
──私は、この方を愛している。
この想いは、決して薄れない。
この方が
地下礼拝堂の冷ややかな空気が、私の火照る頬をさらう。
奥に立つ女神像の白い頬には、祈祷陣の水光が揺れていた。
けれど、その石の瞳は何も語らない。私を見放しているかのように。
私を抱き止める腕だけが、温かかった。