ただのモブ(大嘘)がTSした原作主人公の代わりに逆転世界で頑張る話 ―女性特効ラスボスは俺が倒す―   作:つくもいつき

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第70話 過去からの刃編エピローグ①:薬草茶屋にて

 

 

 

 春シーズン第十一週七日目、午前。

 カイウスが起こした騒動の翌日、俺は聖堂外苑本通りの角にある薬草茶屋を訪れていた。

 

 

 今日は四人掛けのテーブルに座る。

 俺の左隣にベルノ。向かいに座るのは青髪のネリスと、赤髪のプラムである。

 商会の面々と、俺はゆったりお茶をしばく。

 

 

「あ~うまいっスね~」

 

 

 プラムが、氷霊結晶で冷やしたハッカ柑橘茶をぐいっと飲む。

 透明なガラス杯の内側で、薄緑の茶が涼しげに揺れた。

 俺もネリスも同じものを飲んでいる。ベルノだけは、湯気の立つ黒い薬草コーヒーを選んでいた。見てるだけで汗が出る。

 

 

 口に含むとハッカの冷たさが舌先に走り、あとから柑橘(かんきつ)の酸味と蜂蜜の甘みがほどける。うん、生き返る。やっぱこれよ。暑くなってきた時分に飲むには、かなり具合がいい。

 

 

 昨日の雨が嘘のよう。

 日差しが店内にも差し込み、足元の床を光が縁取る。

 店内が多くの客で活気づくのも相まって、暑さが増す。首元にひと筋汗が垂れた。

 

 

 シャツの襟に指をかけてぱたつかせると、向かいのふたりが目を見開いた。顔を赤くして前のめりになっている。

 もういっちょサービスしたろかなと思ったが、ベルノがにらみをきかせてきたので止めておく。

 

 

 昨日と違い、俺もベルノも身軽な格好だ。

 俺は赤い半袖シャツの上に、黒い肩掛けを羽織っている。腰には黒革のベルト。茶の細身ズボンを膝下で絞り、足元は革サンダルである。

 ベルノは灰色の半袖シャツに薄茶のベスト。幅広の茶の帽子を被ったまま、薄茶の瞳を細めていた。

 

 

「若。ひとまず、お疲れさまでした」

 

 

 ベルノが、帽子のつばを指で上げる。

 

 

「身代わりする準備はしてましたが、いらん心配でしたね。孫らに泣かれずに済んでよかった。……これで若も、レベル4ですか」

 

 

「ああ、落ちないようにまたダンジョンに行かないとだけどな。幸い、次まで猶予(ゆうよ)はある。夏の初めまでには稼がんとな」

 

 

 カイウスの計画が成功し、もしも商会に影響が及ぶようなら、ベルノが出頭して責任を引き受ける手はずとなっていた。

 隣のベルノの顔をちらと見やる。

 何でもない顔で黒い薬草コーヒーをすする姿を見て、俺は口角をあげる。ふと背中をぽんぽんと軽く叩いた。

 ベルノが眉をひそめて俺を見上げて来る。

 

 

「ど、どうしたんで?」

 

 

「なんでもない。これからもよろしくな、ベルノ」

 

 

「はあ。……変な若だ」

 

 

 ベルノがカップの口に再び唇をつける。

 その隙に、お調子者のプラムが口を挟んできた。

 

 

「やっぱりただものじゃないスね若は。春先までレベル1だったなんて、信じられないスわ」

 

 

「いやー、それほどでも?」

 

 

 そうだろうそうだろう。俺は軽口で返す。

 プラムのグラスの中身はすでに空。

 気をよくした俺は、彼女のために給仕の気を引いた。

 新顔の女性給仕がこちらに会釈をする。空いたグラスを盆に乗せ、急いで奥に向かって行った。

 

 

 プラムの話に、ネリスも話にのっかってくる。

 

 

「ほんとほんと、男でレベル4だなんて、しかもその歳で……。なにか、秘訣でもあるんですか?」

 

 

「あるある」

 

 

 そう言ってから、俺もグラスの中身を飲み干す。うまい。

 木の卓にグラスを置いてから言った。

 

 

「最低でも月に一回、できれば二回。ダンジョン踏破(クリア)するか〈特殊徘徊魔物(高レベルモンスター)〉討伐を繰り返せば狙えるよ。あ、どっちも自分にとって未踏破、未討伐な?」

 

 

「……」「……」

 

 

 プラムとネリスがドン引いている。

 唇を引きつらせていた。

 それもそう。自分で言っておいてなんだが、狂気の所業である。

 

 

「あっしはあんま明るくねえが、そいつは大変なことで?」

 

 

「やーばいっスよ! ダンジョン踏破なんて、成り上がり目指してる冒険者でも年に一回あるかないかっスよ? あたしらも三年ぐらい粘ったけど、危ないと思って止めました。深層潜るのも、ヌシの相手するのも、怖すぎっスわ。未踏破のとこなら、なおさらス」

 

 

「〈特殊徘徊魔物(高レベルモンスター)〉なんて基本避けるし、そもそもレベル低いときにヌシとかに挑むとか、自殺行為では……」

 

 

「俺もそう思うわ」

 

 

「上級冒険者校ってすごいんですね……」

 

 

 ネリスがグラスを両手で包みながら、感嘆をこぼす。

 俺は頭をかきつつ苦笑いを浮かべた。もちろん、他の生徒はこんなペースでやっていない。うちのパーティぐらいだ。そのせいか、最近学内で〈ダンジョンマニア〉とささやかれる始末。

 これ以上は話が脱線するので、俺はツッコミは控えた。

 

 

 ふと、俺は窓際に視線を向けた。

 おととい、俺とカイウスが掛けていた席を見る。

 

 

 割れた窓には新しい板がはめ込まれ、折れた椅子は新しいのに替えられている。

 席では、巡礼客の男女が仲良く、店内のにぎやかな様子について語っていた。他の客同様、新顔の給仕の話で盛り上がっている。

 

 

 別れて間もないのに、俺は老騎士と向かい合っていた時間を、少しだけ懐かしむ。

 

 

『いやはや、志の高い若者だ。……アイカータ商会の代表ともなれば、レベル6は必要となるでしょうな。だが、いまのあなたを見るならば、夢物語でないやもしれません』

 

 

『さみしく、なりますな』

 

 

 あの男も俺と同じように、ダンジョンに潜っては、男である宿命に抗い続けてきたのだろうか?

 交えた剣の重みが、いまだ俺の体の芯を震わせている。

 

 

 グラスに口をつけようとする。

 持ち上げてから、俺は中身が空になっていることを思い出した。

 

 

「新しいもの、お持ちしましょうか?」

 

 

 にぎわいの最中(さなか)、透き通る柔らかな声が耳に届いた。

 聞き覚えのある声。

 俺は声のしたほうに視線を向ける。

 卓の前で、髪を白頭巾でまとめたセレスティーネが、盆を抱えて立っていた。

 

 

 

 

 新米給仕に扮するセレスティーネを、俺はまじまじと見る。

 金の髪は頭巾に隠れ、薄桃の前掛けをつけている。ほっそりとした体つき。マリーと比べれば、だいぶ華奢に見える。

 

 

 ぱっちりとした薄桜色のまなこでこちらを見下ろす。

 セレスティーネは、しまったといった具合に、急に口元を手で隠した。

 

 

「──ごめんなさい! この場合は……。お待たせしました、お客様! だったわね?」

 

 

 盆を両手で抱きしめながら小さく舌を出す。小首をかしげた。

 うぉわあああああ。そのさりげなくあざとい仕草に、俺は手を止める。

 稲妻に打たれたように、心かき乱された。

 

 

 いかんいかん。俺は首を横に振って、ノーダメージな素振りをする。別にきいてねーし。

 真顔で冷静に、俺は彼女にツッコミを入れた。

 

 

「その、注文用紙はなくて大丈夫か?」

 

 

「あっ!」

 

 

「せ、聖女様! こちらです!」

 

 

 慌てたように少年給仕が寄ってくる。さらに店の奥では女店主がそわそわと落ち着かない様子で、こちらを見つめていた。洗っている皿そのうち割るんじゃないか? 俺は心配になる。

 

 

「ご、ごめんなさいっ! 助かりました。ありがとう、セシルくん」

 

 

「はははは、はいっ!」

 

 

 セレスティーネが紙とえんぴつを受け取る。

 聖女候補に感謝され、少年給仕は頭をかいた。

 でれでれと照れ顔を浮かべている。

 

 

 年上のお姉さんに憧れる少年の顔だ。

 わかるぞ、セシルくん。俺は同意する。

 おまけに清楚のようで、その実、夜遊びが激しい点が色っぽさを感じさせてなおよし。

 まさに女神教のシスター(性に奔放なお姉さん)を体現するような女性である。

 

 

 俺はうんうんとうなずいてから、こほんと空ぜきをする。

 セレスティーネに注文を伝えた。

 

 

「はい、かしこまりましたわ! 店主さん、ご注文入りました──」

 

 

 注文用紙とえんぴつ片手に、セレスティーネが奥に小走りで駆けていく。

 セレスティーネが注文を無事取り終えたと同時に、店内ににわかに拍手が鳴り響いた。「いい……」「素晴らしい……」とささやきが聞こえる。

 子どもを見守る家族かのよう。女神教徒の結束に、俺だけではなく、ベルノたちも閉口していた。

 

 

「すごい人気スね……!」

 

 

「店の外にあれだけ行列ができるわけだわ」

 

 

 ネリスがちらと窓の外を見る。

 店の外には、折り返し列ができていた。大聖堂から派遣されたシスターたちが列の整理を手伝っている様子が、この席からでも確認できる。

 巡礼客だけでなく、聖堂外苑の地元民まで並んでいる。

 どう見ても茶屋に入るというより、給仕姿のセレスティーネを見るために来たような印象を受けた。

 

 

 俺が頼んだとはいえ、聖女候補の集客力はばつぐんである。

 昨日の騒動で傷ついた店が、今日は別の意味で悲鳴を上げている。

 

 

「ここまで混むとは思わなかったな」

 

 

 カイウスの連行後、俺はセレスティーネへ頭を下げ、カイウスの騒動に巻き込まれた店の救済手伝いを依頼した。

 

 

 俺が一日だけ集客してくれないかと伝えたところ、セレスティーネは思いのほか乗り気で承諾してくれたのだった。

 

 

「~~♪」

 

 

 前から、市井の仕事に興味があったらしい。

 そんな彼女の願望もあり、今日の一日給仕は実現していた。

 

 

 鼻歌まじりにセレスティーネが店内を歩き回る姿は、実に絵になる光景だった。思わず拝みそうになる。

 

 

「まあ、これでこの店も、『聖女候補が働いた店』という評判が立つ。若が気にしていた風評も、無事解決。むしろおつりがでたことでしょうぜ。……別に放っておいてよかったと思いますがね。話聞くかぎり、自業自得でしたぜ?」

 

 

 ベルノが黒い薬草コーヒーをすすりながら言う。

 その口ぶりは淡々としていた。

 

 

 店の連中は、善意でカイウスを手伝った。扇動されてしまった、と言い換えることもできる。

 ベルノの言い分は正しいのだろう。善人・悪人双方嫌いな母セリアから言わせれば、まさしく余計な世話という奴だ。

 俺は首を横に振る。ベルノに言ってのけた。

 

 

「恩を売っただけだ。二度目はないよ」

 

 

「そうですかい。ならいいんですがね。甘ちゃんな対応だと、またセリア様にどやされちまいますぜ」

 

 

「わーってるよ」

 

 

 セレスティーネが嬉々として、女店主に話しかけているのを、俺は眺める。

 困ったような顔を浮かべて応対する女店主。その瞳の中に、恐怖の色はない。

 ふと、店主と目が合う。

 彼女は申し訳なさそうに深々と俺に頭を下げてから、また、セレスティーネとの会話へと戻った。

 

 

 これで仕事がひとつ片付いた──肩の荷が下り、俺は胸を撫でおろす。

 セレスティーネを待つ間、俺はもうひとつの仕事を終わらせにかかった。

 

 

「ふたりとも、ちょっといいか?」

 

 

 そう言って、俺は魔法の携帯袋から包みをふたつ取り出した。

 卓の上に置く。

 

 

「?」

 

 

「これは……?」

 

 

 ネリスとプラムが、俺の顔と置かれた包みを交互に見やる。

 俺は包みの口をつまみ、ふたりそれぞれの前に差し出した。

 

 

「俺とベルノからの餞別(せんべつ)だよ。明日、もう()つんだろ? 仕事用具を入れておいた。ふたりの才能(タレント)に見合った品だ」

 

 

「えぇえ!?」

 

 

 青髪のネリスには〈栽培の才〉にちなんだもの、赤髪のプラムには〈酒造の極意〉を高めるものを、中に入れている。

 

 

「リヴィエ村でも頑張れよ。ネリスとプラムなら、きっとうまくいく。俺が保証するよ。俺の友人たちにも、よろしくな」

 

 

「……う」

 

 

「ぉおおおお……!!」

 

 

「ッ!?」

 

 

 俺がそう言うと、ふたりとも顔をくしゃくしゃに歪め出した。び、びっくりした。

 唇を内に引っ込め、差し出した手を震わせながら、ふたりは俺から包みを受け取る。

 それから振り絞った声を、彼女らは上げた。

 

 

「ありがどう、ございまず……!!」

 

 

「頑張っでぎまズ……!!」

 

 

「はじめでのどぎは、ほんど、しづれいしましだっ!! でも、声かげで、ほんとに、よがっだっで、おもっでます……!」

 

 

「おぶたりども、ぜわ、なりまじだ……!!」

 

 

 おんおんと泣くふたりを見て、ベルノは苦笑している。だが、どことなくうれしそうだ。帽子をつまみ、表情を隠しながら、彼は言った。

 

 

「へっ。出戻ってきたら、あっしが承知しねえからな? ……頑張んな」

 

 

「ふたりとも、達者でな」

 

 

 出会った時は、ふたりはただの向こうみずなよそ者だった。

 それがいまでは、リヴィエ村へ送り出す大事な人材になっている。

 

 

 ネリスとプラムが受け取った包みを抱え、大泣きを始める。

 う、うるせえ。そう思いつつも俺は口角を上げる。

 ふたりが女泣きする間に、セレスティーネが飲み物を持って再び現れた。

 

 

 

 

 

「だ、大丈夫なのですか、おふたりは?」

 

 

「感極まっちまっただけでさあ。ったく、女が人前で泣くたあ、みっともねえったらありゃしねえ」

 

 

「うぅ……」「っス……」

 

 

「まあまあ。……ところで」

 

 

 セレスティーネは俺たちの前に、ハッカ柑橘(かんきつ)茶と追加の菓子皿を置いた。

 薄桃の前掛けの紐が法衣の腰で揺れ、店内の何人かがまた小さく拍手する。

 

 

「?」

 

 

 セレスティーネが、盆を両手で抱えたまま、俺を見つめる。

 それから頭を下げた。はらりと金髪が頭巾のあいだから垂れる。

 唐突な振る舞いに、俺は面食らった。

 

 

「どした?」

 

 

「──モブさん。ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございました」

 

 

「んん??」

 

 

 まだ見えてこない。いったい、なにに対する礼なのだろうか? なんかしちゃいました?

 セレスティーネが(おもて)をあげ、潤みをおびたまなこを俺に向ける。

 どことなく情熱的な視線。

 柔らかな笑みを浮かべながら、彼女は言う。

 

 

「昨日、あなたがカイウスに、祈りの句を手向けたことです」

 

 

「──ああ」

 

 

 そんなことか、と返す間もなく、セレスティーネがずいと顔を寄せて来る。

 

 

 ちっか。

 吐息がかかりそうになる。店内のざわめきが、聞こえてきた。

 マリーと同じ桃の香りが鼻先をかすめる。教国で流行ってらっしゃる? 俺の心臓の鐘が、せわしなく音を立てる。

 

 

「私では同じように、彼の心を慰めることはできなかったと思います。あれを見た時、(わたくし)、いたく感動しましたの。あなたがああして見送ってくださったことで、カイウスの心は救われたのだと感じましたわ」

 

 

「……だと、いいけどな」

 

 

「それで、モブさん。──私」

 

 

「!?」

 

 

 ずずい。

 超絶至近距離。

 もはや鼻が触れ合うほどにセレスティーネが顔を近づける。桃色の瞳が、俺の眼前でぱちくりとまばたきした。

 思わず俺は椅子を引く。けれども、セレスティーネはなおも顔を近づけて来る。まっずい。店中の視線を集めているのを肌身に感じる。

 

 

 こちらの気も知らず、セレスティーネは満面の笑みを俺に向けた。

 

 

「私、すっかり、あなたのファンになってしまいましたわ♪」

 

 

 な、なんかとんでもないことを言いだしている!! そこかしこから殺気が漏れる。特に入り口側。護衛の聖騎士たちが剣に手をかけているのが、視界の端に映った。じ、地獄すぎる!

 

 

「マリーがほんとうにうらやましいですわ……。あなたと過ごす生活はさぞ(いろど)りあることでしょう。御一緒できず、とても残念ではありますが……、私は、陰ながら応援させていただくことにします……よよよ……」

 

 

「あ、ありがとう?」

 

 

「ふふっ、どういたしまして♪」

 

 

 そう言ってセレスティーネが身を引いた。教徒らの殺気がおさまる。

 ようやく離れていってくれて、俺はひと息つく。

 同席のネリスとプラムもほっと胸を撫でおろしていた。

 

 

「若のファンってことでしたら、いいもんがありますぜ?」

 

 

「あら?」

 

 

 隣のベルノはどこ吹く風と、何食わぬ顔でコーヒーをすすっている。

 卓の上には、跳ね兎の家紋を記した魔導板帳。

 いつの間に取り出したことやら。

 セレスティーネの視線が、魔導板帳に落ちた。

 

 

「魔導板帳、ですか? それがなにか……」

 

 

「こいつは特別でね。若と若のファンが集まって、日夜活発な会話が行われている、専用の板帳でさあ」

 

 

「なんと!」

 

 

「それがいまなら15銀」

 

 

「買います!」

 

 

 即決だった。

 商店の売値よりも3銀高く売りつけている。ベルノは悪びれた様子もなく、受け取った銀貨を一枚ずつ指先で弾き、音を確かめてから懐へしまった。

 セレスティーネはというと、専用魔導板帳を宝物でも抱えるように胸元へ寄せている。

 

 

 俺もベルノに負けじと、と言いたいところではある。

 だが、そろそろ行かなければならない。

 腰の金貨袋から銀貨を三枚抜く。四人分の茶代には多すぎる銀貨を置いてから、俺は椅子を引いて立ち上がった。

 

 

「あら、もう行かれるので?」

 

 

 セレスティーネが顔を上げる。

 薄桃の前掛けの紐が、彼女の動きに合わせて小さく揺れた。

 

 

「小教会に用事があってさ。マリーたちの様子を見にね」

 

 

「まあ!」

 

 

 ぱっと明るくなった顔が、すぐにかしこまる。

 セレスティーネは魔導板帳を大事そうに抱え直し、少しだけ背筋を正した。給仕の顔ではなく、聖女候補の顔だった。

 

 

「……モブさん。マリーをよろしくお願いします」

 

 

「ああ」

 

 

「──私はずっと、親友の苦しみをわかってやれていませんでした。どんな思いで、教国を去ったのかさえも思いやれず……。ただただ、独りよがりに友の行方を案じていた。……我が身の不明を恥じるばかりです。この巡礼の旅で、ようやくマリーのことを知ることができて、ほんとうによかった。あの子を支えるすばらしい友だちがいると知れて、ほんとうによかったです」

 

 

 セレスティーネの声は、茶屋のざわめきの中でも不思議と澄んで聞こえた。

 昨日までの彼女なら、きっとこんなふうには言えなかっただろう。そう思うと、胸の奥が少しだけ温かくなる。

 

 

「あの子の分まで、とは言いません。けれど、私が聖女になって、女神教を少しでもよい方向へ持っていければと、いまは思っています。カイウスや、彼が忘れられなかった人たちについても……」

 

 

 途中でセレスティーネが目を細める。

 (いた)むような声だった。

 俺は短くうなずく。

 

 

「できるよ、きっと」

 

 

 セレスティーネの肩から、ほんの少し力が抜けるのを俺は見た。

 これ以上、言葉を重ねすぎると野暮になる。

 俺は半身で通路へ向き直り、顔だけをセレスティーネへ傾けた。

 

 

「セレスティーネさん。それじゃまた。来週末からの査察巡礼、頑張ってな。時間があったらさ、うちの商店にも寄ってってくれよ。未来の聖女(・・)様が寄った店として、宣伝させてもらうからさ」

 

 

「ふふっ。ありがとうございます♪」

 

 

 セレスティーネは微笑んだ。

 それから、セレスティーネは一度だけ入口の聖騎士へ目をやり、俺に顔を近づける。声を落とした。俺だけに聞こえる距離で、祈りの句とは違う、現実の重みを帯びた言葉を彼女は告げる。

 

 

「……モブさんも、ご健勝で。レベル4になったあなたを、放っておかないものは多いでしょう。わ、私もいい関係になりたいと思っていますし……。ごにょごにょ……。えー、こほん。……カイウスも、かねてから言っておりました。立場のある男性には、『男神教』が寄ってくる、と。いまのあなたなら、いっそう気をつけたほうがよいと思います」

 

 

 男神教。

 その名が出た瞬間、喉の奥に残っていたハッカの冷たさが、別のものに変わった。

 無意識に、肩へ掛けた黒布を指で押さえる。

 

 

「……ありがとう。肝に銘じておくよ。それでは、お元気で」

 

 

「はい! またお会いしましょう! モブさん、ほんとうに、ほんとうにありがとうございました!!」

 

 

 深く頭を下げるセレスティーネに見送られ、俺は薬草茶屋を後にする。

 背後では、また誰かが拍手していた。ベルノ、ネリス、プラムへ肩越しに手を振り、俺は店の外へ出る。

 

 

 店の前では、変わらずに軒先から角まで順番待ちの列が伸びていた。さっき見た時より人数多いな?

 巡礼客だけではない。地元の男たちや子どもまで、扉が開くたびに首を伸ばして店内を覗き込んでいる。

 列の脇では大聖堂のシスターたちが人をさばき、白鎧の聖騎士が無言でにらみをきかせていた。

 

 

 俺は一度だけ振り返る。

 茶屋の窓の向こうで、薄桃の前掛けを揺らすセレスティーネが、また客の卓へ向かっていた。穏やかな笑みを浮かべて。

 

 

 このミカ巡礼が、彼女の中でどう消化されていくのか。

 女神教が拾いきれなかったものを知った彼女が、今後女神教国でどのようにそれに向き合っていくのか。

 原作にも描かれていない結末に、俺は想いを()せる。

 

 

 遠くで、聖堂外苑の鐘が鳴る。

 小教会〈聖滴の庵〉を目指し、俺はひとり歩みだした。

 

 

 

 

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