海鷲は来る 〜リップシュタット戦役補遺〜   作:くコ:彡の本棚

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プロローグ

 辺境は燃えていた。

 

 遥か彼方、帝都オーディンからの相次ぐ報せは雷光となって奔り、人々の頭上に落ちかかる。新帝エルウィン=ヨーゼフⅡ世の即位、リップシュタット連合の結成、ブラウンシュヴァイク公爵のオーディン脱出、ローエングラム侯率いる討伐軍の進発……。

 

 駆逐艦"トリエルⅡ"の艦橋にあって、マティアス・ヌーテンは自分が巻き込まれた時代の変転に思いを馳せていた。名も記されない端役とはいえ、平民出の一中尉が歴史のメイン・ステージに立っているような気がして、烏滸がましさに軽く自嘲する。

 

「そろそろ休まないか」

 

 両手に保存食料を携え、同僚のヴェルナー・フォン・ボイマー中尉が声をかけてくる。線の細い外見から察しうる者もいるだろう、貴族の生まれであった。マティアスより四歳年少である。

 

「落ち着いてるな、お前」

「どうだろう。慌ててどうにかなるというなら、僕も慌てると思うよ」

「それもそうか」

 

 温和で、自己主張をしないヴェルナーのことを、口さがない者は愚鈍と侮ることすらある。しかしマティアスはこの男の不世出の才を知っていた。

 

 射撃が抜群に上手いのだ。装甲服を纏った海賊との白兵戦となった時、ヴェルナーはブラスターより遥かに当てづらい実弾銃で狙撃手を担う。外したのを見たことがない。弾に魂が宿り、敵の喉笛を噛み裂いているかとすら思えるのだった。

 

「まぁ、今回は直の撃ち合いなんて起きないだろうがな。そうなれば任務失敗だ」

 

 今、船内には駆逐艦を動かす必要最低限の人員しかいない。今回の任務はそれほどに重大かつ危急のものであり、覚悟を決めきった者しか乗せる訳にはいかないと、基地司令の意向である。

 けたたましい警報と共に、三つの影がレーダー上に現れた。

 

「6時の方向より敵影、三。もう少しのところで勘付かれたな」

 

 巡洋艦一隻と駆逐艦二隻。それは"トリエルⅡ"と同じく帝国軍のものであったが、塗装が剥がれ、焼け焦げ、碌な整備もされていないように見える。しかし、それは"敵"の擬態だ。老朽艦を奪った海賊による蛮行。そうした虚言を弄し、追及を避けているのだ。

 

「周辺天体を観測。どうだ?」

 

 席についたヴェルナーは流石に緊張しているのか、眉の角度がやや上がっている。それも、顔馴染みでなければ気づかないことだろう。解析の間、"トリエルⅡ"は後背から幾本も射掛けられる光条を必死に躱し続けている。

 

「データ照合、見えた。航路は所定通りに」

 

 漆黒の宇宙で白い輝きを湛える球体が行手に現れた。白色矮星。一生を終えた恒星の骸。ブラックホールという怪物になり果ててはいないが、その密度と重力は取り込んだ艦艇など容易に押し潰す。

 マティアスにはそれが門に見えた。死出の門ではない、生と勝利に続くかもしれぬ道への門だ。

 

 巡洋艦が半時計回りに繞回しつつ、こちらの前に立ち塞がろうとしている。航跡のトレースを防ぐ妨害装置を積んでいるため、"トリエルⅡ"にはミサイルも磁力砲弾もない。巡洋艦を沈めるだけの火力がないのだ。

 

 駆けるしかない。

 

「亜空間突入速度到達まで出力上昇。ワープ航法準備!」

 

 唸る機関に応えた艦が、スイング・バイの要領で急激な加速を行う。窓を隔てた先の星が、軌跡となって背後へと消えてゆく。突き抜ける。このまま。残影だけを残して敵を振り切るのだ。

 

 巡洋艦の砲口に灯る光が弾道を描いて"トリエルⅡ"に追い縋ってくる。あちらから見れば、左から右に視界を切り裂く標的を、薙ぐように艦首を振って追跡しているだろう。

 ほんの一度、不吉な振動があった。艦体の損傷状況モニター。右舷後部に直撃弾。炎の赤が軌跡に差している筈だ。

 

「やられたか!?」

「いや、このまま大丈夫。だけど、かなり揺れると思う」

「総員に告ぐ、耐衝撃態勢──」

 

 上下の別がない宇宙において、乾坤を入れ替えるような衝撃。世界の全てが揺さぶられる。巨人の手に掴まれ、振り回されるのはこうした心地であろう。

 静が逐われ、動に支配された視界で外を窺う。艦首から突き刺さりつつ亜空間に飛び込んでいた。門を潜ったのだ。

 

 最初の壁を越えた微かな安堵により、マティアスの意識が、波にさらわれるように遠のいてゆく。目通りせねばならない。会わなければ。会わなければ……。動かぬ口で、その言葉だけを繰り返していた。

 

 ────────

 

 小惑星帯と宇宙気流が交錯する辺境の一角に、銀河帝国のシアルフィ要塞はあった。縦横に走る大小の航路が交わる要地を睨んでいる。

 

 小惑星を改造して築かれた、イゼルローン要塞とは比較にもならぬ古い様式である。一万隻の艦艇収容能力があるが、帝国歴488年時点で詰めるのは三千五百隻。これでも、辺境では纏まった数の戦力だった。

 

 マティアスは航法士官として駐留艦隊に務めている。宇宙海賊の監視、撃退に加え、独立を企図する地方領主の討伐にもあたった。カストロプ程の規模でないにしろ、イゼルローン失陥直後には頻発したものである。碌に情報も与えられぬまま、訓練も済んでいない新兵を増援として宛てがわれ、それでも苦心して平らげたのだ。

 

 4月末。士官以上の階級を有する者が格納庫に集められた。大ホールに類する施設はシアルフィにない。今後の艦隊行動について、重要な決定事項を伝えるとの名目である。

 聞かされたのはそれだけだったが、集められた者には察しがついていた。

 

「艦隊同士の対峙となったそうだ。いよいよだな」

「アルテナ星域といえば、レンテンベルクとそう遠くない。こちらとも無関係ではないぞ」

 

 ガイエスブルク要塞に集結した門閥貴族連合……いわゆる"賊軍"と、ローエングラム侯率いる討伐軍の衝突が始まろうとしている。いや、情報の伝達に時差があることを考えれば、既に砲火を交えていてもおかしくはない。

 

 帝国を二分する大戦なのだから、気にかかるのは当然である。だがそれ以上に、辺境の軍人には切迫したものがあった。

 辺境とは門閥貴族の重要な後背地なのだ。私設艦隊を隠し、水資源や鉱山を隠し、緊急時の逃亡先を隠す。財務省に記帳されない財が山をなしていた。帝都としてはそれらを暴き国庫に入れてしまいたい。シアルフィ駐留艦隊に課せられた裏の使命が、まさにそれだった。

 

 暗闘。そう称される程静かなものではない。潰しても潰しても消えない宇宙海賊の七割は、旗を掲げていないだけの貴族の私兵だと見込んでいる。拠点を突き止めて奇襲をかけたかと思えば、もぬけの殻だったこともあった。艦隊の大半が出払っている時、要塞を急襲されたことも。

 

 偏見や思い過ごしと見るには、流れた血が多すぎた。

 

 姿を現した偉丈夫に向け、皆が一斉に敬礼を施す。

 

「多忙の折にわざわざすまん」

 

 ジェラルト・クルーガー少将。シアルフィ要塞司令官兼、駐留艦隊司令官の座にある。

 如何にも軍人らしい、武張った閲歴の持ち主だった。六度目となるイゼルローンでの戦いにおいては、叛乱軍のミサイル艦隊に旗艦を潰された友軍の下に駆けつけ、果敢な指揮で要塞への後退を成功させている。

 

 信頼に足る人品でもあった。実直にして公正、己を大きく見せることもなく、不自由の多い辺境でも弱音を溢すことはない。この司令官を嫌悪する兵や士官を、マティアスは見たことがなかった。

 

 だが、いや、だからこそだろう。辺境の古びた要塞に押し込められたのは。門閥貴族と縁のある同僚の無謀を咎め、諍いになったという噂を聞いたことがある。同じように前線での活躍の道を断たれた者は、ここにどれだけいることだろう。

 

「説明するまでもないことだが、ローエングラム元帥率いる討伐軍は、本格的な作戦行動に移った。辺境にある我らだからこそ、無縁ではいられぬ。故に」

 

 やはり、それだった。威儀をただす皆を見渡しながら、少将は澱みなく言い切る。

 

「我が艦隊は討伐軍に身を投じる。辺境の鎮定にあたる別働隊に渡をつけ、その麾下に加わるのだ」

 

 息を呑む気配がした。しかし、ざわめきはない。皆が心の底で思っていたのだ、それしかないと。情とも理とも違う何かが導き出した答え。

 

「皆も気づいているとは思う。我らを煩わせ、流血を強いる輩の背後に潜む元凶が何であるか。辺境の地は彼奴らのものではない、そこに住まう臣民のものだ」

 

 皇帝陛下のものだ、と言えば冷水をかけられた気分になったかもしれない。ここにいる皆が、そして二度と戻らない同胞が、何のために身命を擲ってきたか。少将はそれをしっかりと覚えていた。

 

「旗幟を鮮明にする以上、シアルフィは八方から敵の攻勢に曝されるだろう。厳しい戦だ。降りたいと願う者は一両日中に名乗り出てもらいたい」

 

 ……士官を通じ、その言葉が兵士や下士官にまで伝えられた後も、離脱した者は一人もいなかった。戦雲に覆われ始めた要塞の中で、様々な言葉を聞いたものである。

 

「やろうぜ皆、理不尽が正される時は今だ」

「こんな好機が後にあるか?貴族どもの死体を踏み台にして、俺は高みに昇らせてもらう」

「兄貴はあいつらのせいで死んだようなもんだ。絶対に地獄に突き落とす」

「頭を下げてもどうせ潰される。や……殺られる前に殺ってやる」

「世の中ガラリと変わるって訳でもなかろうが、たまには善行を積んでおくか」

 

 マティアスとしては、戦友達と少し違う感慨がある。生まれ故郷がシアルフィのごく近くにあるのだ。

 海賊に怯え、皆が身を屈めるように生きている。運送業を営む父も、襲撃に遭って死にかけたのは一度や二度ではない。貴族が奴らの背後にいるという噂は平民の間でも囁かれていたが、軍に入るとそれは確信に変わった。

 

 自らの手で現状を変える機会が近づいている。自分が戦う意味を眼前に望みながら戦陣にあるというのは、初めての経験であった。

 

 先制攻撃の断が下される。

 形式ばって挑戦状を叩きつける余裕はない。海賊の潜伏する近辺の拠点四ヶ所を同時に強襲し、派手に開戦の狼煙を上げるのだ。

 だが、それは敵にこちらの動きを悟らせない目眩しでもある。戦端が開かれると同時に駆逐艦"トリエルⅡ"がシアルフィを脱し、万難を排して討伐軍の別働隊と合流する。そのような筋書きであった。

 

 マティアスが駆逐艦に乗り込む人員に立候補し、それが容れられたのは、偏に辺境の地勢的条件を知悉しているためである。白色矮星の強重力を利用してワープの距離を延ばし、警戒網を突破するというのも、その一例だった。

 

「おい。おい、しっかりしろ」

 

 肩を叩かれた。

 

 ────────

 

 靄に覆われていた視界が、上下にゆっくりと開かれてゆく。艦橋だ。激しく揺さぶられて気を失っていたことを、ようやく思い出す。

 マティアスは重い頭を上げ、呼びかけてきた同僚に問うた。

 

「現在位置は?」

「予定宙点に到達。皆も無事だし、艦も動いてる。大神のご加護というやつかな」

 

 窓の外の景色と、スクリーンに映る航行記録を交互に見る。間違いない。オーディンを発して辺境宙域に至るには必ずここを通るという宙点で、故にここで待つと決めていた。

 

 討伐軍の出撃日時から考えるに、最短であと一週間もすれば合流できるだろう。それまで小惑星帯に潜み、万一の敵襲に備える。問題は、シアルフィがどれだけ持ち堪えてくれるかということだった。苛烈な宣戦布告を受け取った敵は、間違いなく逆襲してくる。集結すれば二万隻は下らないだろう。

 

 横で身動ぎの気配がした。少し遅れてヴェルナーも目を覚ましたらしい。目を細め、ぼんやりと正面を見つめている。

 

「着いたぞ。お前の言う通り凄まじい揺れだったな」

「海鷲……」

「え」

 

 まだ意識が朦朧としているのかもしれない。医務室に連れて行ってやろうと歩み寄ると、

 

「赤い海鷲だ」

 

 マティアスはヴェルナーと同じ光景を見て、二の句を継げなくなった。まさしく言葉通りだったのだ。

 

 赤。冷たい闇に覆われた宇宙において、あまりにも眩しい真紅の艦影。見えざる翼をはためかせ、研ぎ上げられた刃の如き艦首で虚空を切り拓く。それに率いられた艦隊から陽炎のように立ち昇るのは、尽きないとすら思われる闘志なのか。

 

 銀河帝国軍上級大将、ジークフリード・キルヒアイス率いる討伐軍別働隊との、それが邂逅だった。

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