海鷲は来る 〜リップシュタット戦役補遺〜 作:くコ:彡の本棚
帝国軍中将・ベーリングは、怯懦の染みついた味方の再編に追われていた。
シアルフィは攻めるに難い要所である。宇宙気流が錯綜し、大軍の渡渉と布陣は困難をきわめる。故に、敵の抵抗力を削いだ第一陣を素早く退かせ、主力で攻める戦法を採用した。成功は目前だったのだ。
しかし、あの赤い艦は敵味方の予想を遥かに超える速さで現れた。懐に飛び込み、食い破っていくような突撃は、後方から遠望するだけでも息を呑むほどに峻烈であった。
艦の消耗以上に深刻なのは、心理面で水をあけられていることだろう。緒戦で拠点への強襲からの勝ち逃げを食らって、あまつさえこの敗北である。味方の戦意は冷え切った。恐れをなして戦場から逃亡し、自領に引き篭もって呼びかけにも応じない部隊が幾つもある。
「所詮は恃むに足らん寄せ集めか」
不満よりも、そんな奴輩を率いねばならないことを自嘲する思いが強い。鹵獲、または横流しされた老朽艦を騙るために偽装の施された艦を見ると、それはますます強まった。
ベーリングが門閥貴族連合に与する道を選んだのは、更なる栄達を求めてのことだった。貴族どもの言う"金髪の孺子"が勝利すれば、帝国の全権はほぼ奴の掌中となろう。
そうして再建の果たされた帝国に、野心家の居場所はない。貴族どもにはせいぜい悪足掻きをしてもらい、好きに泳ぎ回れる場を作ってもらいたいものだ。
連合軍の主要な提督達が一堂に会する軍議が開かれた。あまりに急激に事態が動いたために、今後の方針を諮る必要に迫られたのである。
ガイエスブルクから直接の沙汰を受け、辺境の戦力を統轄するのは、ラウジッツ伯爵という二十代の青年貴族である。熱烈な貴族主義の信奉者というより、五百年来の体制が覆ることなど想像もしていない、平凡な保守思想の持ち主と見えた。
議論の口火を切ったのは彼ではなく、傍に控える少壮の軍人である。
「シアルフィに敵艦隊の後続が合流し、駐留艦隊と合わせ、その戦力は一万二千を超えた。要塞を離れ、遊撃の態勢に移りつつある。これに如何なる処置を施すか考えるべきと存ずる」
ツァイツ中将。この男はリッテンハイムよりラウジッツに宛てがわれた軍事顧問であり、実質的には軍監と言ってよい人物だった。
往々にしてこうした手合いは、名目上の総司令官を差し置いて実権を握るものであるが、この男もその典型と言うべきであろう。副盟主の名代気取りで横車を押してくるツァイツを、ベーリングは好いてはいない。
「処置とは何を指して言われる?」
「分かりきったこと。全艦隊でもってシアルフィに押し寄せ、敵の首魁を討ち果たすのだ。伯爵閣下、金髪の孺子の片腕を斃したとなれば、侯爵の覚えもめでたくなりましょうぞ」
「うむ。そうであるな」
ラウジッツは肥えた顔を上下に振り、引き攣った笑みを浮かべている。誘い文句が恫喝に近い響きを帯びていることを、本能的に悟っているのか。
「それを論ずる前に、お耳に入れたき議が。分かれた敵のもう一方の動静について……」
「もう一方というと」
辺境に差し向けられた討伐軍別働隊は三万隻強。キルヒアイス上級大将を総司令官とし、ワーレン、ルッツ両中将が脇を固める。一万を率いてシアルフィに現れた総司令官にこちらの耳目が集まっている隙に、残りの二万は何かを期して動いているらしかった。
「我が艦隊の偵察部隊が足跡を掴みました」
「おお、手間をかけた。して、どうなのだ?」
お前達はそんなことも忘れていたのか、という嫌味を込めての発言である。ツァイツの方はそれに気がついているようで、露骨に眉を顰めていた。
ワーレン、ルッツの二万隻は想定される戦場の外縁部を迂回して、途上の抵抗勢力を鎮圧しつつ進んでいた。キルヒアイスの一万二千と、シアルフィを挟んでほぼ正反対の位置にあり、両者は要塞によって一つの線で結ばれる。
これを知った時、ベーリングは軽い息苦しさを覚えた。二万の動きが、キフォイザー星域での決戦に備えてのものであることが明白だったのである。
シアルフィを陥として敵を釘付けにし、キフォイザーまで引き込んで艦隊戦を挑むのが当初の構想だった。劈頭から躓いてしまった訳だが、キフォイザーでの決戦は辺境を制するのに不可欠のもので、それには勝つ自信があったのだ。正面で敵の鋭鋒を受け止め、ベーリング直率の精鋭で側面から突き崩す。
その、側面で動くための空間のゆとりが、二万の敵によって奪われた。シアルフィから脱出する駆逐艦を取り逃したという報告があったが、それを受け入れた敵将はキフォイザーのことを知ったのだろう。
友軍の窮地に駆けつけて暴れ回ったかと思えば、その裏で決戦を見越して足場を固めていたのだ。とんだ食わせ者である。
……こうした心中をベーリングは口に出して語らない。そのため、ラウジッツはまるで異なる危惧を抱いたようだ。
「そうなると、敵は背後に回り込んでガルミッシュを直撃することも考えられるぞ。これはまずい」
そこまでの無茶はまずすまい。しかし、絶対に有り得ぬとも言い切れない。戦における選択の幅があるか否かは、優勢か否かを直截的に示している。
「そこで上申仕りますが、全ての戦力をガルミッシュまで引き揚げては如何か」
ベーリングの考えは大して独創的でもない次善策である。それでも、最も現実性の高い戦術案ではあった。要塞に拠れば防御施設を戦力に組み込むことができるし、敵の攻め手も限られよう。
満座の反応を見る。概ね、後退の意義を理解してもらえてはいるようだ。エルベ少将、ザーレ少将、ボーブル准将といった前線指揮官達も点頭している。
「ならぬ。負けっ放しで要塞に引き篭もるとあっては、味方の士気が地の底に落ちようぞ」
やはり、横槍を入れてくるのはこいつか。
「しかしな、ツァイツ」
「伯爵閣下、敵は既に幾つもの惑星に降り立ち、一帯を蚕食しております。ここで動かぬとあらば、我らは辺境における信と足場を失いますぞ」
「今は敵にも好きなようにさせておけばよろしい。ガルミッシュまで敵を引きつけて大打撃を与えれば、降伏した惑星も一気に表返る」
「そうなるまでに敵がどれだけ大きくなるか、知れたものではないわ。ガルミッシュが孤立するような事態となれば、侯爵もさぞやお嘆きになるでしょうな」
ラウジッツの顔が白くなる。門閥貴族の犬は存外、主人の名を出して他人に言うことを聞かせる強かさを持っているようだった。
「ならば、侯爵閣下に御出馬をお勧めになられては?」
ツァイツの舌が回転をやめた。傲然とした勢いが失せ、目も泳いでいる。
「リッテンハイム侯が決戦の臍を固められ、大艦隊を率いて御出馬なされば、敵将も悠然と構えてはいられますまい。そうでなくとも、侯の御威光が健在なるを示すことで」
「閣下は決戦を仕掛けるにあたって御深慮を重ねておられる。わ、我らの考えの及ぶところではない」
冷笑を浮かべそうになるのを辛うじて抑えた。何が御深慮だ、ただ身動きが取れないだけだろうに。
皇帝か、門閥貴族か。後者を選んだ者がガイエスブルクに集っているのだが、彼らはまたも二者択一を迫られる。ブラウンシュヴァイクか、リッテンハイムか。
そして一つ目と異なり、二つ目は流動的なものである。門閥貴族の二大巨頭は富や地位といった餌を貴族達にちらつかせ、"将来"に向けての地盤作りに勤しんでいるのだ。軍事的な面のみを見れば、好きに動かせる兵力の奪い合いである。
リッテンハイムは決して認めたがらないだろうが、心の底では自信がないのだろう。自分にどれだけの戦力が付き従うか、ガイエスブルクを後にして尚、自分の意に沿う貴族がどれだけいるのか。だから動けない。事前に碌な折衝もしていないがために、このような為体になるのだ。
リッテンハイムの子分としては、そんなことを口にできる訳もない。
「ベーリング中将、何やかやと理屈を捏ねてはいるが、詰まるところ敵と戦うのが嫌なのか。正面から対する気概もないか?」
「実に勇ましいことを仰せになる。これまで前線では一度も閣下のお姿を見かけませなんだが、見えなくなる程前方に出ておられたのかな」
「貴様」
狼狽しきりの若き伯爵が割って入ってきた。
「まぁ、まぁ。いがみ合ったところで妙案が出る訳もない。和をもって難敵に対そうではないか、な?」
結局、ガルミッシュへの後退案は容れられることはなかった。辺境でかき集めた私兵艦隊の動員権は、リッテンハイムの代理人たるツァイツにある。それとて、一つの艦隊として統一されたものではない。
ベーリングらが自由に動かせるのは数百から二、三千隻の直率艦隊くらいのもので、それらによって迂回する敵の牽制を命じられた。その間に、ツァイツが指揮する主力がキルヒアイス艦隊を叩く。
「ふん。勇戦に期待したいものだ」
敵に痛手を与えうるとは全く思っていない。あの男にそんな力量はあるまい。
奴が失敗を重ね求心力を失えば、人心は自ずとこちらに集まる。つまらぬ任務の中、ベーリングは一人で打算を働かせていた。
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シアルフィを出て、艦列を組み直した。
手狭なシアルフィで守りを固めることはないと思ってはいたが、このような陣の敷き方もあるのかと驚く。キルヒアイスは麾下の艦隊を百隻単位の小集団に分け、数光秒の範囲で配置につかせた。互いの間隔を大胆に開く、雨雲を思わせる展開である。
「緒戦の余勢を駆って、一息に攻め潰すというのは?」
軍議上、駐留艦隊、キルヒアイス艦隊双方の幕僚から出た意見だった。敵が意気を挫かれたところに追い討ちをかけ、大勢を決してしまうことを、クルーガーも考えてはいたのだ。
「敵には、確固たる核がありません」
噛んで含めるようなキルヒアイスの口調である。
「そこに攻め寄せれば敗走した敵は各地に散らばり、再起を図って蠢動を始めるでしょう。それらを全て捕捉し、鎮圧するのは、大艦隊相手に勝ちを収めるより困難を極める」
確かに、その通りだった。艦隊を率いてここに来るのは初めてだろうに、息の根を止めきれない敵の厄介な性質を知悉している。辺境で戦う備えは十全ということだ。
「そこで、腰を据えることにしました。長い膠着が続けば、耐えかねた敵が大規模な反攻を仕掛けてくる。その時、核は確かに現れる。そこを叩きます」
敵接近の報を聞いて、クルーガーは組んでいた腕を解いた。シアルフィでの戦いからはや二週間、三十幾度目のことであろうか。
四千からの敵が砲門を開け放ち、光条を吐き出しながら前進してくる。正面からそれを受ける二百あまりの味方は、シールドを前面に押し出しつつ後退を始めた。
俯瞰すれば、陣の一画が凹んだように砲火を受け流していることが分かるだろう。敵はどうか。近視眼的な指揮官であれば、独立した一個部隊との局地戦としか思わないかもしれない。
「司令部の指示は」
「味方の砲艦部隊が集結中との由。それと呼応し、左側面を突くようにと」
クルーガーは再編された艦隊における三つの遊撃隊の一つを率い、指示に応じて前線に急行する任を帯びていた。点在する味方は遊撃隊を敵の目から隠し、遊撃隊も各処の味方の危機に即応する。連携が肝要だった。
四千の敵が見えてくる。一見、味方の影はない。あまりに散らばっているため、纏まった味方として認識し難いのだ。敵も、恐らくそうだろう。文字通り無人の野を征く勢いで、四千は密集陣形で進み続ける。
三段に構えた横列が現れた。否、浮かび上がった。各部隊から抽出された砲艦が壁となり、陣の最奥に踏み込んだ敵の眼前に聳え立つ。大口径砲の轟きが連鎖し、煌めきが立ち尽くす敵の先頭に殺到した時、クルーガーには光の橋が架かったように見えた。
中性子ビームの奔流が過ぎ去った直後、折り重なった爆発は熱と光で宇宙を震わせる。巨大な火球と化し、僚艦を道連れに消え散ってゆく戦艦。制御を失って狂乱し、戦艦の舷側に飛び込んで四散する駆逐艦。一見、原型を保ちながらも沈黙したままの艦は、動かす人間が被弾箇所から吸い出されてしまったのだろうか。
ものの三十分で先頭集団が半壊の憂き目に遭いながら、敵は抗戦の意思を捨てていなかった。被害の少ない後衛を前に出し、砲艦の横列に突貫せんとする。
クルーガーの遊撃隊が躍り出たのは、敵が陣形を切り替えようとした、まさにその瞬間だった。
遠望していればありありと分かるその間隙を狙い、先制の長距離ミサイルを叩き込む。着弾を待たずに増速を命じた。
「接近しつつ縦列に再編。断ち割るぞ!」
ミサイルに引き裂かれた装甲から炎を噴き上げる敵。艦橋の窓から差し込む光に目を細めながら、算を乱しつつある敵に横合いから突っ込んだ。右、左、前方。視界が敵影に埋め尽くされる中、短距離ビームの刃を振るって駆け通す。現れては後ろへ飛び去ってゆく破片と火球。
突き抜けた。周りを見渡してみると、味方は数を減らしたようには見えない。振り向けば、遊撃隊の駆けた軌跡が敵陣を貫くトンネルとして残っている。その縁が赤く光っているのは、短距離砲撃を浴びた敵の断末魔だろう。
「しかし、小官は瞠目しきりです。軍略の真髄は変幻にあると言うのは容易いですが、それを体現しうる将が帝国にどれだけ居りましょうや」
滅多撃ちにされて敗走する敵を見ながら、クルーガーは興奮冷めやらぬ副官に頷きを返した。
敵の、自制心を攻める戦である。緒戦から負け通している敵が、目の前の小勢を前にして耐えられるか。頭を冷やして、雲の如く広がった陣を見破ることができるのか。
不用意に攻め来る敵を、重層的な陣の奥へ奥へと取り込む。絡め取る。ある時は四方から取り囲み、またある時は戦艦の壁で退路を塞いだ。進むべき方向さえ分からなくなった敵を、ビームを射掛けて出口に導いてやったことさえある。
何をされるか分からない。何を仕掛けてきてもおかしくない。敵にはそうした恐怖と焦燥があるだろう。
キルヒアイスの唱える、核の現出を待つという戦略は、そろそろ次の段階に進みつつある。そして当人は、十日前から直率部隊を引き連れ、周辺惑星の制圧に赴いていた。これは何らかの布石であるらしく、シアルフィの将兵とも直に会って討議を重ねているという。
不在ではあるが、陣に隙が生じる不安はなかった。予め示された戦術案にはあらゆる想定と対処法が記されていたし、無用な追撃を戒めるという一点を守れば、諸将にはかなりの範囲で裁量が与えられているのだ。
いずれ必ず、決戦に臨んで存分に働きたい。それは恩を返すという感傷ではなく、使命を果たすべく邁進する武人に対して払うべき礼節だった。
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キルヒアイスによる辺境平定の有り様を、マティアスは具に見ている。
そうではない。辺境に生きる全ての人間が、見極めんとしているのだ。帝都から来た艦隊が何を求めているのか、何をしようとしているのか。有り体の振る舞いは、百の演説など及びもつかない程に雄弁である。
対象となる有人惑星を、三つに類別することから始まった。討伐軍を受け入れる意向を示すもの。敵対の意思を明確にするもの。そして、帰順あるいは不干渉を望みながら、やむを得ず抵抗の形を取るもの。
情報源として、シアルフィ駐留艦隊の面々は大いに期待された。帝都にも報告が上がる重大な懸念事項から、末端の兵士がたまさか見聞きした些事まで。部隊ごとにそれを取り纏めるのが士官としての任務だったのだが、辺境を駆けずり回った皆の苦労が結実したようでもある。
胸の奥から何か込み上げてくるのを、マティアスはどうにか抑えた。
集積した情報の精査が終わってからの展開は、迅速をきわめた。敵対の姿勢を見せる惑星に急行し、停船と武装解除を勧告する。どこに向かうべきかは明らかになっているから、無駄に時を費やすことはない。敵の動きもある程度は読める。
泡を食った敵の多くが、動揺して逃げ散るか勧告に従った。立ち塞がる強硬派に対しては、槍となった艦隊が真正面から突っ込む。穂先に灯る赤い輝き。先頭から最後尾まで貫けば、算を乱した敵は二度と集結することはない。せいぜい二十隻足らずが沈む程度だが、それを十倍、百倍の被害に錯覚するだけの下地がある。
一度、正面と左右の三方から敵に包囲されたことがあった。どうするのかと思っていたら、下されたのは全艦静止の指令である。平然と待機の艦列を組む。奇策の類を疑っているのか、敵も動かない。
静かな対峙が三時間続いた頃、示し合わせたように三者は退いていった。自分だけが突出して馬鹿を見る事態を厭ったに違いない。
キルヒアイスとしても、似たような状況で二倍の敵艦隊を撃滅したローエングラム侯の先例を、それとなく想起させていたようにも思える。そうした類の強かさもあるのだ。
これは、と思ったのが、心ならずも敵対姿勢を取る相手に対しての出方である。強引に攻めることも、先方の立場を悪化させる交渉を仕掛けることもなく、背後関係を徹底的に調べ上げる。それを基に、着実に外堀を埋めてゆく。
例えば、同星系に意向を無視し難い上位者がいるという場合は、そちらを先んじて制圧する。帰順を肯んじない縁者を説得できる領主がいると分かれば、その膳立てをする。快刀、乱麻を断たず。こじれにこじれた結び目を丁寧に解いてゆくように、成果を積み重ねていった。
逃亡した領主、暴政の度が過ぎて帝都に強制送還された領主の出た惑星は、住民達の自治に委ねられた。帝都への上納という名目で、過分に搾取されていた税や食糧は全て返還されている。
だが、キルヒアイスはただ与えるだけで是とはしなかった。自治とはつまり、己が力で生きてゆく術を知ることだ。
キルヒアイスが提示したのは、これまで統治者側が独占してきた産出品の流通プロセスの共有、修得である。自分達の育てた作物、掘り出した鉱物、加工製造した商品がどのような手筈で帝国中に出回るかを知る契機となるのだ。新しく参入する者、事業を拡大する者に対しては、ローエングラム侯の名で支援が行われる。安全な航路情報の提供も然りである。
いわゆる市場開放の施策だが、万民の快哉をもって迎えられた訳ではない。今まで領主に任せていればよかった領域に、放り込まれた困惑が皆にはあるのだ。
それでも、任せきりだったために損をしていた事実を知る者や、これまで門閥貴族に頭を抑えられ、挽回の好機が来たと見る新興業者も少しずつ現れている。マティアスは父の名を、支援申請者リストの中に見出した。
「叛乱軍が攻めてきた時の、しこりがあるのではないかなぁ」
キルヒアイスの政略についての話題になった時、ヴェルナーが言ったことだった。
「あの時、イゼルローン側の惑星では軍による食糧の徴発があっただろう。叛乱軍への暴動によって、多くの住民が死傷したというし。そういうことを忘れられる人品じゃないよ、彼は」
食糧を供与してくれた叛乱軍を住民は歓迎したが、供与が止まれば掌を返して牙を剥いた。これを蒙昧だと嗤う資格のある人間が、宇宙にどれだけいるだろう。当たり前のことなのである。まして、生存のかかったことなのだ。
それを変える一歩を、キルヒアイスは促したということだろう。臣民に刻み込まれた性質を利用し、勝つために流血も呼んだ側の責任を、必死に果たそうとしているようにも思えた。
それにしても、不思議なのはヴェルナーの語り口である。まるで旧知の心情を推し量っているようだった。いや、実際そうかもしれない。同年代なのだ。階を上る速度は隔絶しているが、スタート地点は同じ筈である。
「もしかして、昔同じ配属先にいたことがあるのか?」
「惜しいな。幼年学校の同級生だった」
マティアスが驚かされたのは、その事実か、それとも自然体に過ぎる口調の方であったのか。
「先日、声をかけられたんだよ。久しぶりだね、と。驚いたなぁ。覚えられていたとは思ってもいなかった」
「どうしてそんな大事なことを言わない」
「聞かれなかったから」
さらにヴェルナーは、射撃の成績だけはキルヒアイスをも上回り、首位だったと述懐した。実際に射撃の腕を見たことがあるので、それが法螺ではないことがよく分かる。キルヒアイスが覚えていた理由もそれかもしれない。
「そうか。もし射撃の腕だけで階級が決まるんなら、お前は元帥閣下になってた訳だな」
「よしてくれ。今は追い抜かれているかもしれないし、ルッツ大将も名射手だと聞くよ」
……惑星アスカーニに敵軍集結の報が齎されたのは、談笑の翌日だった。