海鷲は来る 〜リップシュタット戦役補遺〜 作:くコ:彡の本棚
ガイエスブルクから辺境に通ずる路は幾つかある。レンテンベルクを経由するものが最も主要であったが、要塞は敵の手に落ちた。守将は白兵戦において並ぶものがない、装甲擲弾兵総監のオフレッサーであったが、敵に内通して要塞を明け渡したという風聞まである。連合軍の陣中には不安と猜疑が波及しつつあった。
無人の岩石惑星アスカーニもまた、辺境の出入口となる中継点の一つである。ここに戦力を集中し、拠点を築いて守りを固め、敵の側面を窺おうとの展開が進んでいた。
「アスカーニは敵の左側面を狙いうる宙点にあり、ガイエスブルクとの連絡を保つのも容易い。脅威を感じた敵が惑星に攻め来たれば、それを待ち受けることができましょう」
発案者のザーレは惑星を固める利をそのように述べた。偽りではあるまい。だが、本意とも思えなかった。
惑乱するような陣を敷いてこちらを牽制する間に、敵は信じ難い早さで各惑星の鎮撫を進めた。後背に広大な安全圏を確保したのだ。平定した地を背に悠然と迎撃態勢を取られては、側面攻撃の意味がない。一手先を読んだ敵に、選択肢を奪われた形だ。
それでも、形式の整った提案をせねばならない事情は分かる。速戦を主張してなんら成果を上げられなかったツァイツの求心力が低下したことで、元々乏しかった私兵艦隊の自制心と協調性が底をついた。このままではめいめいに無謀な攻撃を繰り返し、戦力と士気が摩耗する恐れがある。戦術案という名の、枷が必要だった。
こちらがアスカーニに艦隊を動かしたのを認めた敵が、艦列を密集隊形に組み直して追ってくる。そのまま惑星を正面に望みつつ陣を敷くまで、迅速にして無駄がなかった。惑星に押し込められた、とベーリングが錯覚する程である。
赤い旗艦を中心に、各分艦隊で前後左右を固める、奇を衒わない形だった。やはり、背を守られた余裕が垣間見える。
翼を広げたような陣形で、包囲を狙いながら迎え撃つ。ベーリングは左翼を与り、右側から敵の中枢を透かし見る。目指すべきもの。一直線に陣を突き破り、その一点を撃ち砕く。勝利、将兵の信望、飛躍への足がかり。求めてやまぬ全てが手に入るだろう。
エルベ、ボーブルにはそれぞれ中軍と右翼を任せている。准将のボーブルにその権限は本来なかったが、他に適当な指揮官もいない。発案者のザーレは当然、惑星の守備と陣地構築の統括である。
ツァイツは最上位指揮官の体で、予備戦力を率いて後方に在るが、その実は足並みを揃えられない雑兵の掃き溜めだった。せいぜい、前線の邪魔にならない程度に手綱を握っておいてもらいたいものだ。
連合軍による長距離ミサイルの斉射で、いわゆる"アスカーニ会戦"は幕を開けた。敵という一点を目がけ、白い尾を曳くミサイルの大群が漏斗状に殺到してゆく。
脆弱な艦隊であれば、ミサイルの乱打を浴びて忽ち潰走してしまうものだが、当然ながらそれ程甘い相手ではない。駆逐艦を主体とした対空部隊が展開し、ミサイルとデコイ、短距離ビームの弾幕による盾を翳す。立て続けの爆炎は敵の外縁を包み込むばかりで、損害を与えられていない。
ミサイルを残らず叩き落とした敵は艦列を戻し、静止した。包囲を狙う側としてはその機を見出すこともできない。膠着は惑星を固めるのにはいいが、ここにいない敵への警戒が疎かになってしまう。ただでさえ、ガルミッシュとは距離が開いているのだ。
その懸念が浮上し始めた矢先、敵が正面からの砲戦を仕掛けてきた。主導権を奪られたのは痛いが、応じざるを得ない。敵味方の間を幾十万の光条が駆け抜ける度、空間そのものが煮え滾って脈動する。ビームの応酬が絶え間なく繰り広げられる中、ベーリングは攻勢の時機を計っていた。
「まさか、これは」
思わず呻いていた。少しずつ、敵は各処への砲撃に意図的な疎と密を作り出している。疎の位置にいた部隊は遮られることなく、知らぬ間に突出してしまうのだ。気づいた時には既に遅く、対処もできない規模の砲火とミサイルに、四方から串刺しにされる。その繰り返しが目に見える程の綻びを中軍に齎し、応射の勢いを削いでいた。
緒戦の激突からここまで翻弄されるとは。正面が混戦にもつれ込んだ隙を突き、側面から突入する構想は早くも破れている。むしろ、正面への圧力を減らしてやるための側面攻撃が必要な局面だった。舌打ちを堪える。
「紡錘陣形に再編」
扇を畳むように左翼の陣形を組み替え、ベーリングの旗艦は先頭に躍り出た。突撃の下命。それぞれの艦尾から迸る光。見えざる波を蹴立てながら、連合軍左翼の疾駆が始まった。
赤い旗艦。それが獲物だ。ベーリングは周囲への意識を遮断し、それだけを見据えて進む。面積を増してゆく赤い影を捉え、ビームの牙を突き立てようとする。
壁にぶつかった。唐突に現れたそれは、側面から強襲した筈のこちらに艦首を向ける、戦艦と駆逐艦の群れ。矢継ぎ早に射掛けられる光条に押し流されるように、後退を余儀なくされた。
敵の右翼が反転したとは思えない。反転時の隙などまるで無かったのだ。最初からこちらを向いて備えていた敵、しかし、どこから。
「交差進軍だと」
進行方向の異なる複数の艦隊が、衝突することなく交差して通り過ぎる。これを成功させられるか否かは、艦隊の練度を測る重要な指標と言ってよい。それを進軍中に行う、つまりは緊密な陣を二つ重ねることで、正面を維持しながら側背攻撃に逆襲しているのだ。
自分は、抗い得る筈もないものを相手にしてしまったのではないか。迷信じみた戦慄を打ち消すように、ベーリングは再突撃を下命する。
「ツァイツ中将にも連絡。至急、予備戦力の動員を請う」
あの男に頼み込むなど業腹きわまることであったが、敵の正面を牽制する戦力は、やはり一隻でも多く欲しい。
再び、敵の横腹に突っ込んだ。目指すものは同じだが、突入角度に変化をつけた。やはり、現れる敵の艦列。存在を認識していたので、交戦を避けてすり抜けようとする。しかし、目の前に現れたのは敵の旗艦ではなく、新たな艦列である。敵の備えは幾層にも重なり、通り過ぎる度にこちらが先細るようになっていた。
歯噛みして、敵中から脱する。麾下の数は減っていない。まだだ。
次は艦隊を主と副二つの集団に分け、二方向から攻めかかる。増速し、先刻までと同様に一直線に突入すると見せかけ、二つに分かれた。いや、分かれようとした。考えていたよりも早い時機に敵が前進してきて、砲門から迸る光を束にして叩きつけてくる。こちらの動きを読んだとしか思えない攻撃。
慌てて再集結を命じ、後退する。今度は無傷とはいかなかった。中性子ビームに撃ち据えられた十数隻が折れ砕け、物言わぬ破片と化すのを認めたが、それでも諦める訳にはいかない。艦隊を六つの縦列に組み分けた。錐のように捻じ込ませ、中枢を目指しそれぞれがひた駆ける。
艦列が出てこない。先程まで執拗に立ち塞がっていた敵の影がなかった。どうしたことだ。怪訝としたその時、索敵システムが甲高い警告音を発する。群れをなして近づいてくる小さな影。
「敵空戦隊の接近を確認!交戦距離まで……」
「ここでお出ましか」
つとめて皮肉な声を出すが、声色に不敵なものはない。身を潜めていた敵が左右から絞り上げるように散開を妨げてくるのだ。空戦隊がぶつかる、否、飲み込んでくる。間に合わない。
ビームと雷撃の暴風から遁走する。命じるまでもなく、全ての艦が必死だった。外の景色など見えないことも忘れて振り向く。取り囲まれ、鴉の群れに啄まれるように形を失ってゆく艦。エンジンが沈黙し、取り残されたまま敵が来るのを見ているしかない味方。確かに、壁の向こうに見えた。
ようやく敵陣からの脱出を果たし、肩で息をしながら席に腰を沈めた。全身から噴き出す汗のためか、肌寒さに震えそうになる。それを堪え、残存する戦力の把握に努めた。縦列が一つ戻ってこない。
「正面はどうした。奴は真っ直ぐ兵を差し向けることもできないのか」
憤懣に身を灼かれながらベーリングは吐き捨てた。開戦以来正面を支えるエルベとボーブルの艦隊は各処が寸断され、虫に食い散らかされたような穴がいくつも空いている。それをツァイツは埋めようともしていないのだ。
今度は最低限の礼節を捨ててでも行動を促そうと、通信を繋げようとした時。不吉な響きが回線に割り込んできた。震える声の士官が、ザーレ艦隊に属する戦艦を名乗る。
艦橋の空気が凍りついた。アスカーニで築かれていた陣営が、守備する艦隊ごと壊滅したというのだ。
『海賊が来た……輸送艦……爆発して……』
要領の得ない報告は、ザーレ艦隊の突き落とされた恐怖の深さを如実に現していた。全てが失われた瞬間である。この会戦に勝つ手段が。
爆ぜた。後方。一箇所に留め置かれた私兵達が恐慌に駆られ、めいめいに逃げ出し始めたのだ。その勢いは堤を破る濁流にも似て、交戦中の味方を背後から押し流す。
「もはや勝機はなし。全軍に退却の指示を」
負けた。今、この場においてはだ。雪辱を果たすためにも、健在な戦力は兵一人、艦一隻とて失いたくはない。舳先を転じて退路を見定めようとした時、視界を無秩序に横切る幾つもの影に忌まわしさを覚え、付け加える。
「後退途上の障害物の全ては、各自の判断で排除を許可する」
副官が鼻白んだ顔で振り向いた。
「ですが、一応は味方です。それを沈めるというのは」
「味方?」
味方とは何だ。前線を傍観して何ら寄与するところはなく、怯えるままに戦場に背を向け、剰え友軍を踏み越えて逃げ出す連中を、どうして味方と呼ぶことができよう。口にはしなかったが、副官は叱責されたように俯いて引き下がった。
ベーリングの退却指示は、補足も含めて実行に移された。
退路を遮る友軍を砲撃で穿ち、両断された艦を掻き分けて離脱する。そもそも、先に敵前逃亡の禁を犯したのは私兵どもであり、軍規に則った制裁であるとも言えた。航路の障害物となるデブリを撤去する程度の意識しか、持ち合わせない者もいるだろう。海賊に偽装した外観が、それらの判断を容易にしている側面もあった。
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追撃を振り切り、再集結が完了した時、味方は開戦時の六割に満たなかった。各分艦隊の被害を調査する中で、アスカーニ陥落の顛末も少しずつ分かってくる。
陣の構築を進めるザーレ艦隊に、ガイエスブルク方面から、千隻程の小艦隊が二隻の輸送艦を引き連れ接近してきた。主戦場での砲撃戦が激しさを増してきた頃だ。
「近日中、リッテンハイム侯の御出馬と相成る。我らはその先遣として、物資の輸送を仰せつかったのだ。ラウジッツ男爵にお取次願いたい」
そう申し出た小艦隊には確かに、海賊に扮するための偽装が施されていた。それに、リッテンハイムの遣いを名乗る者を下手に誰何すれば、後日の禍を招くことになりかねない。小艦隊はアスカーニの衛星軌道に通された。
異変は唐突だった。管制の制止も聞かず急加速してザーレ艦隊に割り込んだ輸送艦に、小艦隊から飛び出した長距離ミサイルの群れが突き刺さったのである。輸送艦は爆発した。恒星の欠片を思わせる巨大な火球が二つ、熱と爆風でもって周囲の艦を砕き散らす。
輸送艦には液体ヘリウムとゼッフル粒子発生装置が満載されていたのだ。
「自動操艦か、あるいは遠隔操作か。いずれにせよ、直進させるだけなら容易いことだな」
ザーレも麾下の将兵も、目の前の小艦隊が看過すべからぬ存在であることを悟った。しかし、如何ともし難い。懐で起きた巨大な爆発が、艦隊の秩序を瞬時に奪い去り、ザーレの旗艦は残骸を押し除けてきた敵に囲まれた。被弾した味方の巡洋艦に衝突され、反撃もできぬまま、ミサイルと磁力砲弾の針鼠と化して果てたという。
とんだ藪蛇だった。惑星を固め、出てきた敵を迎え撃つ構想であった筈が、惨憺たる結果である。得たものは何もなく、主要な連絡路の一つと、多くの機動戦力と、何よりザーレ達前線指揮官を失った。ボーブルの旗艦は撃沈された報告こそないが、消息が知れない。
集められた将兵の顔は一様に白い。戦力再編だの理由をつけてガルミッシュに戻り、顔を見せない者もいる。彼らへの期待は早々に捨て、現有戦力を如何に使うか定めねばならない。
「どうか私に全艦隊の指揮をお委ねください。ツァイツ閣下には、ガルミッシュまで男爵閣下をお連れいただきたく」
ベーリングがそう切り出すと、ラウジッツは恐怖に囚われた目を瞬かせた。
全艦隊。エルベ達正規軍のみならず、寄せ集められた私兵艦隊を含めての再編、指揮の統一をベーリングは進言したのだ。一中将の権限を大きく逸脱していることは、承知のうえでの献策だった。
「何を道理の通らぬことを言う。各地から集いし有志の戦力を専有するとは、増上慢も度を越している」
ツァイツに向けられるベーリングの視線は、隠し難い敵意に満ちている。取り繕う気も、とうに失せていた。
「開戦前より、同様のことを行う暇がおありだった筈。他ならぬ閣下の艦隊として再編できていれば、アスカーニでは正面から敵に抗い難い圧力をかけられたことでしょう」
「繰り言を……」
「過ぎたことではありますまい。向後の勝敗に関わるお話をし申し上げている。リッテンハイム侯の股肱たる閣下が集結した艦隊の手綱を握ることもできぬとあらば、辺境における侯の御声望を辱めることとなりましょうな」
外敵に怯える小動物の如く、ラウジッツが睨み合う二人を交互に見遣っていた。
この内戦が始まる前から、門閥貴族の力はここまで衰微していたのだ。積年の不満と、それを先導しうる"金髪の孺子"の台頭によって。数多の貴族を従えているといっても、所詮は富と権勢に擦り寄って野合しているに過ぎなかった。
だから、自分達の都合で振る舞う私兵達に強気な姿勢を見せられない。統制を強めようとすれば、サボタージュという形で意趣返しをされると恐れているのだ。頭を押さえる力は失われた。徳をもって諭すことなど、素よりできる筈もない。
威を借る虎が老いて衰えきったことを認められず、目を背けている哀れな狐。それが目の前にいた。
ツァイツは両の拳を握り締めたまま、無言で立ち尽くしている。どのように詭弁を弄するものか、皮肉な楽しみを覚えながら見ていたのだが、予想の埒外にある反応が返ってきた。笑み。捻くれた心を映したような暗い笑みである。
「ふふ、そうか……そこまで強弁するというなら認めてやってもよい。これまで敗北を重ねてきた責任は、確かに決断を欠いた私にあろう」
咄嗟には本心を掴みかねた。だが一つ、疑うまでもないことがある。ベーリングの見識を決して認めてはいない。
「だが、私に帰するは敗れた責任だ。勝てなかった責任ではない」
「何を言っている?」
「貴様はあの赤毛に追い散らされた」
一瞬、耳が周囲の音を拾うことを忘れた。決して大音声ではない一言が、幾度も反響する。
「私が正面からの圧力をかけ損なったために、全体として劣勢になったという主張は分かる。だが局地的に、卿は思うがまま側面攻撃を行っていたではないか。私は何ら掣肘を加えた覚えはない。それでも、卿の艦隊は赤毛の旗艦に一太刀も与えられなかった」
将兵の視線が自分に集まっているのを感じる。ぶるぶると震える両手を見て、息を呑んでいるようだ。
「つまり、貴様が赤毛に勝てなかったのは、何より己が力不足によるものであろう。劣勢を埋め、覆すだけの将器が無かったのだ。それさえも私の咎にされては、堪ったものではないわ」
「……それは本心からのお言葉か?」
「ああ、当然だ。貴様は自分を赤毛に勝てる唯一の将帥とでも思い上がっていたようだが、現実はどう──」
頭の中で何かが千切れる音を聞いた時、ベーリングの右手に鉄の重さがあった。ブラスター。銃口はぴたりとツァイツを捉えている。静まり返る一室で、ラウジッツの短い悲鳴が一度だけ響いた。
「とうとう馬脚を現しおったな!我ら連合の和を乱す異分子めが、この場で粛清してくれる」
ツァイツが宣言と共に腰からブラスターを引き抜いた。
しかし、直後に二人の間を奔った光は、銃口から飛び出す火線ではない。呆けたように固まったツァイツの凝視する先に、右腕に深々と突き刺さった軍用ナイフがあった。
取り落としたブラスターが床に転がる。持ち主であるツァイツの体もそれに続くように、崩れ落ちた。目を見開いて仰臥する様を、ベーリングは嘲弄の眼差しで見下ろす。
「刃に神経毒を塗りたくっている。半日は手足も動かせんが、それはどうでもよいか」
そう、無意味なのだ。そこまでの時は要らない。
ベーリングの撃ち放った細い光条が、ツァイツの額に吸い込まれて消えた。
いずれ実力で排除することになろうと、準備は整えていたのである。もっとも、より多くの戦力を掌握するため、もう少し時をかけるつもりだった。それでも、あのような放言を許しておいては、今後の指揮に差し支える。
川は既に越えてしまったのだ。
「敵指揮官の首を持ち帰らずして、我らは生きて戻ること能わぬ……」
事実ではある。副盟主の名代を殺害した以上、リッテンハイム当人に対する叛意と看做され、弁明もきかない。それがベーリングのみならず、この場にいる皆の業であると、錯覚させられるか否かだった。
「あの赤毛の軍を覆滅し、武勲を携えて盟主に復命すべし。目前に迫る死と不名誉を避け、生と令名の道を進むには、他に術は無いと心得よ」
大功をもって自らの値打ちを釣り上げ、ブラウンシュヴァイクの庇護を求める。現状、最も現実的な方針に大半の将兵が賛意の声を上げた。が、それは決してベーリングの本心ではない。
赤毛をこの手で討ち滅ぼす。その一事だった。後ろ指もさされぬ勝利を収め、不朽の武名を轟かせる。これからが本当の勝負だ。
不快な息遣いが聞こえる。目を向けると、ラウジッツが恐怖に肩を震わせていた。涙と洟を垂れ流し、腰が抜け、この場から逃げ出すこともできないのだ。
「こいつは救命カプセルに詰め込んで放り出しておけ。運が良ければ生き残るだろうよ」
ラウジッツが部屋から引き摺り出された直後、ベーリングはそのことを早くも忘れ、艦隊の再編に思いを馳せていた。