海鷲は来る 〜リップシュタット戦役補遺〜 作:くコ:彡の本棚
はや二年が経つ。
少佐となったマティアスは今や、ゴールデンバウム王朝の軍人ではない。銀河帝国皇帝・ラインハルト。ローエングラム王朝の開祖こそが、仰ぐべき主君なのだ。
どれだけ栄達を重ねたとしても、登極など「まさか」のことでしかない筈だった。常勝の天才はその「まさか」を軽々と飛び越え、志尊の冠を頭上に戴いたのである。
しかし、最大の元勲である腹心の姿は、その傍らにない。
フェザーンで、久方ぶりにヴェルナーと顔を合わせた。いわゆるリップシュタット戦役の終結後、射撃の腕を見込まれて憲兵隊に引き抜かれていた。新たな配属先には、馴染みきっているらしい。
「乗艦の乗り心地は、どうだい?」
「中々だ。整備を怠らなければ、性能以上に応えてくれる気さえしてくる」
マティアスは艦長として駆逐艦を預けられた。それも、あの"トリエルⅡ"だというのだから、縁とは不思議なものである。
「あれから、二年だね」
「あっという間、という気がしなくもないな」
ブローラでの戦いで勝利を収めたことにより、蟠踞する敵勢力の掃討は瞬く間に進んだ。そうして後顧の憂いを断ち、門閥貴族の領袖の一人であるリッテンハイム侯との決戦に臨む。
鎧袖一触と言うべきだったろう。ワーレン、ルッツ両艦隊が巧妙な射線陣で敵を拘束したところに、真紅の流星となったキルヒアイス直率艦隊が中枢を貫いた。それで大勢は決したのだ。
辺境に安寧を齎すという約束は、確かに果たされたのである。
ガイエスブルクを包囲する本隊との合流に出立したその背を、シアルフィの皆が敬意と感謝を籠めて見送った。その後、惑星ヴェスターラントの惨劇がありつつも、キルヒアイスを先鋒とする討伐軍本隊はガイエスブルクを制圧。帝国の内乱は終わりを告げた。
その直後、キルヒアイスはヴァルハラへと旅立った。
誤報だと思った。否、信じたかった。あの人がみすみす負ける筈がない。さらに飛び込んだ情報によれば、確かに戦場で不覚を取ったのではなかった。ローエングラム侯を狙う暗殺者を身を挺して阻止した末、殉職したという。
任地に腰を据えて辺境の治安維持を強化する旨、クルーガー少将は口にした。悲憤のあまりガイエスブルクに駆けつけようとする者さえおり、頭を冷やせと一喝したのだ。
「内乱が完全に終熄するまで、鎮定した辺境に万一がないよう目を光らせるべし。キルヒアイス提督が下された最後の命だ。それを卿らは蔑ろにするのか」
不当な存在から取り返した地を、守り抜く。それでようやく、皆は心の平静を取り戻したのだった。
ローエングラム侯の下で帝都が落ち着いてから、シアルフィ駐留艦隊は解体される運びとなる。門閥貴族の打倒により役目を終えたのだ。それ自体はかねてより、既定路線として皆に認識されていた。
もし配属先が変わるとして、それがキルヒアイス艦隊となれば、これほど嬉しいことはない。そう期待する同僚もいたのだが。
「君がバーミリオンから生還してくれて、本当に安心した。キルヒアイスが亡くなって、君までいなくなるとなれば、流石に寂しさを受け入れかねるからね」
ヴェルナーが憲兵隊への異動を肯じたのは、かつての級友が暗殺者の手に斃れた無念を、二度と繰り返したくないとの思いからかもしれない。
ローエングラム侯最大の危機であったバーミリオン会戦。マティアスは航海長の職責を得、戦艦"ヴィスマール"の艦橋要員に名を連ねていた。中将としてミュラー艦隊の一翼を担うこととなった、クルーガーの座乗艦である。
艦隊司令さえ幾度も旗艦を替えて奮戦を続ける死闘。誰も彼もが、全てを懸けて魔術師の猛攻を押し留めていた。帝国軍総旗艦"ブリュンヒルト"に砲火が迫る寸前、まさしくぎりぎりのところで、それは報われる。先だって主戦場から離れていた他の艦隊が、敵の本拠地である惑星ハイネセンを制圧し、戦いは帝国軍の勝利で幕を下ろした。
順番だ、という思いがマティアスの心の底にあった。砲火と残骸が吹き荒れる渦中において。かつてキルヒアイスに救われた自分に、誰かを救い出す順番が巡ってきたのだ。クルーガーも、各艦隊に組み込まれたかつての戦友達も、そうだったろう。
辺境で出会った赤い海鷲の勇姿は、軍人として再出発したマティアスの原風景だった。誰かの死によって消え失せてしまう、人の営みとはそんなちっぽけなものではない筈だ。
海鷲は来る。何度でも。
「暇なら俺の私室に来ないか。親父がバーラト産の面白い土産を送ってきてな」
辺境での市場開放政策も、実を結び始めている。襲撃に怯え燻っていた父のような商人が、回廊を越えた経済活動に与っているのだ。キルヒアイスの撒いた種を、根気強く育ててきた成果だった。
誘いに乗ってきたヴェルナーを連れ、歩き出す。話したいことは色々とあった。