奈瀬の見合い相手の選定となり、ヒカル個人のツテとして使える相手は意外と多くない。
まず奈瀬が言う「碁が打てる」という時点で、実はハードルが高い。奈瀬は自分より棋力が低い相手とは言ったが、あくまで院生を経由してプロになった彼女の物言いだ。この時点で求められる棋力というのは、低くて良いと言っても最低碁会所三段程度は必要だろう。
実際に打てる打てないはともかく、それくらい読めるか、あるいは別な観点なら代替えは可能かもしれないと希望的観測にすがるのも仕方ないと言える。
「棋力差があればよいっていうけど、
そこで白羽の矢が立ったのが筒井だ。三谷に関しては「結婚とかもうコリゴリ」と娘を肩車しながらそんなことを言っていて、それはそうと金子がそんな三谷の娘を気にかけていたりということがあったので、あまりつつかないほうが
棋力でいうと加賀がプロ関係以外で一番高いだろうが、それはそれで問題がある。囲碁への未練もゼロというわけではないが将棋一筋が現在な加賀ゆえ、碁の話は出来るが入れ込みすぎないという点で悪くなさそうに見えたが…………。
「加賀って
……意外なことに学業優秀だったからこその現在の加賀鉄男の進路はさておいて。
院生時代の奈瀬でいえば、いかに海外で揉まれようとも大本に「良い一局が打てたことが楽しい」というのがありそうな彼女の表情はなんとなく覚えているヒカルである。
もちろんプロに上がることも、プロになった後も弱肉強食、勝ち抜きであることに違いは無いが、だからといって中学時代と変わらないノリでああやって煽られ続けるというのは、日常的には中々辛いものがあるだろう。……ちょうどマンションの管理会社と裁判になりかけた時、加賀が売り込みに来たときの言動が完全にそうだった記憶があたらしいヒカルである。やむなし。
その点筒井はどうかと言えば、棋力的には奈瀬にも加賀にも及ばないものの、囲碁自体が純粋に大好きなタイプだ。負けん気は強く「いける!」と思った一手がはねのけられれば「くそぅ!」と悪態もつくし怒りも羞恥も覚えるが、それを飲み下して前に進もうと動くことが出来るのをヒカルは良く知っている。
高校でも大学でも囲碁部やら囲碁サークルやらを作って色々頑張っていたのは聞いているし、現在は私立校で国語系の教師をしているのも職業が手堅い。なんなら囲碁部の顧問とかもしているので、下手に大学デビューなどで人物が変わったりという問題もない。
「でもなー、三谷に聞いたけど加賀よりけっこう付き合ってるわりに初心っつーか……」
……まあ、その割に女性とのお付き合いは加賀より色々あるようなのだが。
最終的に至るところまで至らなかったにしても、全くトラブルが生じる別れ方をしていないあたり素の人物の良さがうかがえる。
高校入学後にそのまま3年間付き合った女性は卒業後はそのまま疎遠になり別れ。
大学で囲碁サークル立ち上げの際色々あったとかでなしくずしに付き合うようになった女性は、破局こそしたが別に険悪というわけでもなく。
その後付き合った女性に関しては、相手方に何か家柄の事情があったとかで付き合ってるフリという形で残りの大学生時代を過ごしたが、最終的にきちんと送り出したとか何とか。
何で三谷がその情報を知ってるのかとかヒカルとして突っ込みたいところではあったが……、ヒカルが院生になってからの囲碁部も色々あったことを思えば、自分よりそっちの方が親しくても不思議はないと、これはある程度は諦めるしかないところだろう。
なお、あかりもその話は知っていたらしくむしろ「ヒカル知らなかったの!?」と驚かれたくらいだったりするが、閑話休題。
「さっきから何をぶつぶつと言っているんだ、進藤」
「いや……、本当何で俺こんなところに連れてこられてんだろうなーって」
あかりでも居たら別に問題なかったろうけど、などと言いながらヒカルは遠い目をしながら筒井と奈瀬のことを見ている。
料亭の庭で色々話しながら、わざわざ持ってきていたらしいマグネット碁盤を取り出して詰碁をしているらしい筒井と奈瀬。学校で教え慣れてるのか、不安定だろうに碁盤を持つ手もだいぶ安定しており、ときどき奈瀬と指先が触れ合ったりしてお互い顔を見合わせてはにかんだり。……奈瀬の目がちょっと
そして、そんな様子を伺いながらも歯ぎしりをする目の前の女性。ぎりぎりと今にも視線で射殺さんとしているような彼女から目をそらし、隣のアキラを見て「で、本当に何でこの人来てんのさ」と問わずにはいられなかった。……なお、アキラの姫カットめいた長髪が時折肩に当たって鬱陶しいヒカルである。
「面倒くせぇ」
「────誰が面倒な女よ!」
「アンタだよ」
「何ですってッ!?」
ばるん。
ばるん、と。
彼女が振り返りながらヒカルに指さすと同時に、さほど色気はないだろうセーターで隠された
誰も言ってないっての、と言いながらヒカルは視線を無理やり上げて彼女と目を合わせる。
メリハリが利いたベリーショートの髪型は色こそモンブランのような黄色系の栗色に染められているが、みた時の印象はそこまで大きく変わらない。そんな髪型の短いもみあげをくるくる指で巻く視線は鋭く、美人ながら性格のキツさを感じさせるだろう。
そんな彼女は格式ばった格好ではなくラフな服装ではあるが、多少だぼつきそうなセーターやパンツルックスすら極端なメリハリが見て取れる程度にはスタイルが良い。本職グラビアアイドルなどでは断じてないが、もう何というか、
「ひ、日高先輩、抑えて抑えて…………」
声聞こえちゃいますよ、と珍しく(?)苦笑いしながらどうどうとするアキラに、はっとした顔をして「うかつだったわ」と口元を両手で覆う彼女、名は日高由梨と言い、かつて中学時代にアキラの学校での囲碁部の先輩であった女性だ。夏期囲碁大会では女性チームの大将をしていたらしいのだが、ヒカルとしては筒井に嫌味を言った以上の感想がさっぱりなかったため、今日はずっと困惑しっぱなしである。
そう、それは本当に今朝のこと。
『はーい、ちょっと待っててね~。
……ヒカル~、塔矢君来たけど何か今日あったっけ?』
『あん? いや別にないっつーか。ちょっと待ってろ、今出る────』
『────やってくれたわね塔矢のライバル! 人間関係ヤヤコシクしてくれてんじゃないわよ、センシティブよセンシティブ!』
ばるん。
ばるん、と。
ヒカルが扉を開けた瞬間に現れ出た豊満かつパワフルなナニカを見てあかりは一瞬表情から色を消したものの。後ろにいるアキラが「先輩、ちょっと抑えて……!」とか言って止めにかかっていた。まあ、腕力的な問題なのか勢いのある彼女を抑えることはできずに、ヒカルは見事に彼女に胸倉をつかまれることになるのだが。ついでに物理的に前方に当たる乳圧(?)で目を白黒させていたのはご愛敬だ。
そしてそのままタクシーを呼びつけて、連行された先が奈瀬と筒井の見合い先である。手配したのがアキラだったため場所そのものは知っていて何ら不思議はないものの、ものすごい剣幕の美女がイライラしながら件の筒井を睨んでいる様を見れば辟易するのも仕方ない。個人情報保護やらプライバシーもあったものではなかった。……そもそもヒカルの自宅まで乗り込むのにアキラのツテを頼ってるので、そこは時代もあるかもしれないが。
「……で、何でアンタいんだよ。
「いつの時代の話してるのよ、中学で終わりよ塔矢のライバル」
院生やってた時は頑張ってるところが良かったけどね~、などと鼻で笑う日高に表情が引きつるヒカル。自分が院生になるきっかけをつくってくれた相手であるため、なんとなくいたたまれない。恩師というほどの付き合いは全くないのだが、プロの道がどれくらい厳しいか、棋力差の暴力というものがどういうことかをこれでもかと理解できる立場故に、海王の元部長のことを思えば少しすっぱい気持ちになるのだった。
……まあ、ヒカル本人は岸本という名前すら思い出せていないわけだが。というか、アキラのことしか覚えていない当たりヒカルも大概である。
「全く、高校の頃からそうだったけどアイツ本っ当にアレよね……。ま、あんまり身体に目線がいってなさそうなのは良いケド。全く見られないってのもそれはそれで癪だし。
っていうか相手、プロ二段でしょ? 何をあんな楽しそうに詰碁してんのよ。どーせ初級編みたいなやつばっかり定石定石って出してるくせに────」
「なぁ、この人どうしたんだマジで……?」
「高校のころと、大学の頃に色々あったらしい……」
僕も全然知らないんだけどね、とアキラ。と、目ざとく(耳ざとく?)聞きつけた彼女は、出された緑茶をフーフーしてから一口煽り、半眼でアキラの方を見た。
「色々あったっていうか、
「「えっ!?」」
何よその意外そうな顔、と日高は肩をすくめる。ヒカルもそうだが、アキラとしても彼女と筒井に関しては、一度筒井を形容するときに「マグレで
「ズルとかは良くないけど、んー、まあ前哨戦だったし煽りはしたけど、別に低くは見積もってなかったわよ? あの頃から筒井のこと。
「……ん?」「えっと……?」
「何よ二人とも、プロだから逆にわかってないってワケ? センスとか、実力主義の世界でしょ? こういうやつって。だからフツー、マグレで相手がポカしたとか良い手が一回打てたとか、そのくらいで勝てないのよ。岸本君が院生のころ、ずっと1組に上がれなかったみたいに」
半眼なものの少しだけ優し気に微笑む日高に、ヒカルは少しだけ納得できる。あの和谷ですら岸本よりはるかに棋力が上だったこと、岸本についての扱いがどうであったかを思えば、その言わんとしているところは嫌でも伝わる。
「岸本君、大会の後に塔矢と打って完全に囲碁は諦めちゃったから。……ま、筒井だって別にプロになろうとか、そういうのは思ってないんだけど、でもほら、アレよアレ。部活作ろうって頑張ってるの見てたら、なんかヨシミというか、ほら、何かあんじゃないの」
そして少しだけ早口になる日高を見て、そういえばこの人面倒見は良かったなと思い出すアキラである。高校はよくわからないが、大学でサークルを作ったり勧誘を頑張ってる筒井のことを見て、知り合いだし放っておけなかったのかもしれない。
……その後何があって付き合うに至ったかは全く理解できていないが。
そもそもアキラの認識では、筒井は中学時代のヒカルの先輩以上の情報がない。
またヒカルからすると、ならそもそも何で別れたのかとか別なツッコミどころはあるのだが────。
「囲碁馬鹿ね二人とも、見合いどころじゃなくって完全に棋譜検討とか始めてる……? えっちょっと待ちなさいよ、何かフツーに楽しそうじゃない。ちょっと待ちなさいよ!」
ばるん。
ばるん、と。
胸元を大いに揺らしながら、奈瀬と筒井との仲良さそうなやりとりに腹を立てた日高が、立ち上がってその場に乱入していくのを、アキラとヒカルは一瞬茫然と眺め、止める瞬間を見失っていた。
……直後に慌てて向かうことにはなったが。
※ ※ ※
「いや、で何で筒井先輩よりあのヒダカセンパイって人と仲良くなってんだよ奈瀬お前……」
「いやー! いや何かさっぱりわっかんないんだけど、こう、シンパシー? 小宮君から『奈瀬は碁と結婚してるんじゃねえか?』とかこの間呆れられちゃった……」
「そりゃ言われるだろ」
後日。
筒井を紹介したこともあってその後どうなったかというのを確認するために奈瀬を呼びし出して一緒に碁会所で打っているヒカルであった。なお「せっかくだし」ということで場所はしれっと「囲碁さろん」で、いつの間にやら席亭が修から三谷になっていたりする。
なおヒカルが筒井に見合いを持ってきた話は元囲碁部ネットワークにあかり経由で流されているらしく、新聞を読みながらヒカルたちの会話に耳を傾けている気配ありありな三谷だった。なおそのあたり「ま、気になるよなぁ」と特に気にせずヒカルは奈瀬と話しいる。
結局あの後、雰囲気ぶち壊しで乱入した日高が「勝負よ!」と何故か奈瀬に対局を願い出て。そのまま断ればよいのに「いいね、打とうよ!」と楽し気に受けた奈瀬に筒井も困惑。そのまま親御さん置き去りにして近場の碁会所へ向かい、碁を打ち始めたらあっという間に意気投合していたというのがその時の顛末だ。
対局こそ真剣だったがお互い「親が」とか「見合いが」とか「孫の顔見せろと煩いよね」だとか、似たような状況にさらされているという愚痴が積もり、そのまま何度か対局したらカラオケに行ったり呑みに行ったり。巻き込まれるような形になった筒井は両手に花と言えるのか、女子会に放り込まれたあわれな子羊とみるべきか。
なおアキラは途中でギブアップ、ヒカルも面倒になって抜け出し、途中で飲み会会場となっていた寿司屋で握ってもらったものをお土産に帰宅。あかりが「何これ、握りずしとか初めてたべたけど……、美味しい」と感動したのか(?)何故か真顔でコメントしたりしてるのを見て、今度二人でどっか行くかと緒方あたりに相談したりもしていたが、さておき。
結局その後、筒井抜きでたまに会ってはあーでもないこーでもないと愚痴ったり歌ったりという感じで落ち着いているらしい両者。休みの隙間を無理やりひねり出すほどの親しさではないが、似たような苦労を抱えているらしくメールやらチャットやらはよくしているらしい。
「
「ご両親、キレるよりぽかーんってしてたからなぁ……というか、下の名前呼びかよ……」
「あら、別にあかりちゃんだって名前で呼んでるし」
何であかり引き合いに出したんだよ、というヒカルにくすくす笑いながら打つ奈瀬である。あちらも連絡先を交換しているらしく、時折家であかりから奈瀬の話題があがることがあった。だから何だという話なのだが、忙しくて会えない金子たちのような囲碁部の繋がりを思えば、友達が増えるのは悪いことではないだろう。
「筒井さんとはどうなってんだよ、それで結局」
「んん、いい人だし相性良さそうだけど、お互い仕事あるからね~。感触は悪くないから、これからこれから」
にっと笑いながら打った一手に対して、ヒカルが瞬時に打った次の手を前に笑顔のまま固まる奈瀬。見事に自分が築いてきた陣地を殺されたせいで、脳が破壊されている。
「確かにプロなってから全然まだまだだし、今のうちに勉強しといたほうがいいとかあるだろうけど……、もうちょっと手早くやった方がいいんじゃね? 塔矢とかも、見合い全然上手くいってないって聞くし」
「あ、塔矢って見合いしてるんだ」
「してるしてる、めっちゃしてるぜ。あの料亭だってそのつながりだし。……うかうかしてると市河さんが今から本気出して色々ヤバそうだからって、行洋さんもちょっと焦ってるし」
「だれだれ? 市河さんって」
興味津々という風にヒカルに上目遣いで聞いてくる奈瀬であったが、あえて詳細は語らないヒカルだ。今思えば、それこそ十代前半の
「んー、まあ私はまだ、もうちょっとプロ一筋でいいかなーって。
進藤はあかりちゃんいるからあんまり心配してないんだろうけど、人に言うより前に自分をどうにかしたほうがいいんじゃない?」
「あかりは別にカンケーねーだろっ! ……っと、そんなこと言うならちゃんとここから仕切りなおしてひっくり返してもらおうじゃねーか」
「えぇ!? これ、引っ繰り返せるの!? 噓でしょ、どこ読めばそう出来るのよ……」
にしし、と意地悪そうに笑うヒカルに四苦八苦してる奈瀬。色っぽい(?)話はここまでと、両者ともに盤面へと集中して打ち始めるのだが。
そんな様子を見て聞いて、三谷は一人ぼそりと「……んー、あのナマイキそうなねーちゃんはそう思っちゃいないよなあ」とつぶやいた。
後日、筒井が日高と籍を入れて「先越されたッ! まだ碁が第一でいいって言ったけど! 言ったけどさぁ!」と、ヒカルの自宅であかりに慰められながら酔いつぶれるまで、後数か月。