遠い宇宙のバトンリレー   作:黒兎可

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闇より暗い深淵より生まれし超重力の一手

 

 

 

 

 

 彼には少し悪いことをしたかもしれない────。

 

 ヒカルと父・塔矢行洋名人との対局が終わった後、アキラは悶々としていた。

 理由は明白で、帰宅後にすぐさまそのことを父に問いただす。

 父もまたアキラが動揺するだろうことを予想していたのか、飲み物を入れてからだとまず落ち着くように声をかけた。

 

 母親から心配されるが、それよりも自分の中にあるこのわだかまりを解消するのを優先したい。優先したいが……、なんとなく手洗いうがいくらいはしないと、ヒカルから「お前それはちょっと、なあ……」という顔をされそうなイメージが脳裏をよぎったので、あきらめてその程度はこなしてから居間に向かった。

 

 父も自分と入れ違いで身支度を改めて整え、居間で碁盤を前に対面する。

 母が入れてくれた麦茶を一口飲んでから、アキラは口火を切った。

 

「お父さん……、あの対局は何なのですか? 特に、最初の────」

「────三十七手まで、だな」

 

 はい、とうなずいたアキラは、その棋譜を並べる。秀策のコスミも合わせたそれらの石の運び。ヒカルが黒、行洋が白であるその碁盤は────。

 

「────()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!」

 

 そう。まるで示し合わせたかのように序盤の展開、乱戦が始まるよりも少し前の段階まで打った棋譜は、まるっきり自分とヒカルとが打った碁のそれであったのだ。

 行洋は対局前に言った。せめて三十七手までは我慢しろと。本人が気にする浮かれた打ち方をそこまで我慢するなら、後はこちらできれいに捌くと。

 

 だからこそ、その抑えた棋風が、それどころか流れそのものが同一というのが気持ち悪い。

 まるで示し合わせたかのようなその展開……、しかし父とヒカルは特にそんな話をしていたはずはない。

 

 そんなアキラの疑問に、少し悪いことをしたかもしれないと行洋はまず断りを入れた。

 

「これから先の話を聞いて、おまえがどう判断するかは任せる」

「お父さん……?」

「あの子の棋譜を見て、お前との対局の流れを見て私は考えた。おそらくだが。進藤ヒカルの棋力は()()()()()()()()()()()()お前をはるかに凌駕している」

「────ッ」

 

 そして、いきなりのその言葉。うろたえるなという方が難しいだろう。アキラの首筋に嫌な汗が流れる。

 そんな息子に、父は言葉を重ねる。

 

「私との対局では、おまえとやった一戦目と二戦目の打ち方を同時に使ったような形だった。だからこそ気づけた……、彼の棋風は二つある。かなり器用なことが出来る子なのは間違いないが……、それもまた才能(センス)と言って良いものか」

「二つの、棋風?」

 

 名人たる父は、棋譜を進めていく。

 

「かなり分かりにくくはしているが、これは秀策流……、あえて言うなら変化型の秀策流だ」

「……!」

「十二手目のコスミにひたすら繋げるように打っていたのは、どちらかといえば子供らしさを装っていたともいえる。実際はこの布石をいかに相手に意識させないか。……気が付いたらこの型が出来上がっていたのは、流石に面白いと感じたよ。決して盤全体をおろそかにしていたつもりはないが、あの年で十九路のすべてに同じように読みを働かせ()()()()()()()()()()()()のは、初めて見た」

 

 だから対局中、何度も父は「面白い」と口にしていたのかと。

 いや、だが、それはつまり……。

 

「ボクと彼との対局でも…………」

「おまえの感じた、今は意味がないように見える石というのも『一つの面では』それに近い。……若いころの御器曽君もそうだが、堅実に一つ一つの意味を見抜き盤面を見切るのが彼本来の棋風なのだろう」

 

 だからこそ、と、行洋は苦笑いを浮かべる。

 

「だからこそ彼は、その打ち方だけで満足していないらしい」

「……えっ?」

「はしゃいだ、と言ってはいるが、あれは常に藻掻いているようにも見える。『一つの面では』と言ったとおりだ。おまえが感じた楽しさも嘘ではないし、彼がそれをこらえられないのも間違いではないのだろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だけでないのは、偽れないのだろうがな」

 

 さしずめ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ような、と。

 いくら何でも、もっと何か言い方があるのではないかと、思わずアキラは首を傾げた。いや、深い読みの打ち方を秀策に例えているのはわかるのだが、教えを受けてるではなくケンカしているという言い方はどうなんだろう? という疑問である。

 ははは、と笑う父。

 

「その両方をもう少しわかりやすく見たかったんだが。はぐらかされてしまった。()()()()()()()()()()()()()()()()()と先に言っていたのだが、返礼はおまえとの碁の焼き直し。途中で気づいてもしやと思って、完全に合わせたらまさしくその通りだった」

「…………彼は、進藤くんはどうしてそんなことを……?」

「本当のところはわからない。……桑原本因坊に、私もカンは良いと言われたことはあるが、直感で良いのなら話そう」

 

 こくりと頷くアキラ。

 自分が今これだけ意識している、進藤ヒカルという打ち手のことを、誰よりも知りたい。

 彼の一手一手、その先が何につながるのかを知りたいという、徐々に色々な念の混じり始めているその視線を見て、塔矢行洋はどこか微笑ましそうにアキラを見た。

 

 そして、告げる。ある意味で残酷な言葉を。

 

「彼の中で……、その打ち方はもう完成してしまったのだろう。あるいは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と、そう思ってしまっているのかもしれない」

「……………………!」

 

 つまり何か、と。

 彼は、失礼に当たる打ち方になるからと言って自分との対局を断っていたのだが、本質はそういうことではないということか。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と、そう言いたいのか────。

 

 拳を強く握り、震わせるアキラ。父たる彼は、その先にある言葉を告げない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事実を。少し違うのは、進藤ヒカルもまたアキラに対して挑むような打ち方を織り交ぜていたところではあるだろうが。

 だが、つまりその打ち方というのは。

 それをアキラに仕掛けたということは。

 

「……彼とは仲良くしてあげなさい、アキラ」

「…………えっ?」

「おまえを相手に途中からはしゃいだということは、彼はおまえを()()()()()()()()()()()()()()。おまえを相手にそれを抑えるのが難しいということは、彼はおまえに期待しているということでもあるだろう」

「ボクに、期待…………?」

「彼が感じた何かが、おまえには有ったんだ」

 

 それはつまり──────。

 

「……ボクならいつか、彼のそちらの打ち方も伸ばせる相手になると思ってくれてると?」

 

 今まで、果たしてそう思える相手もいなかったとしたら、それはどんな孤独だろう。

 自分が感じていた退屈とは違う……、何が何でも周囲に迷惑をかけてまで碁に自分のすべてを賭けて生きる、そういうことをせずに得てしまった強さなのだろう、だからこの孤独。

 

 そして、それらを目の当たりにしたアキラは思わず立ち上がった。

 

 

 

 ────()()()()()()()()()()

 

 

 

 その場で駆けだしたアキラを見て、行洋は腕を組み少し眉間に皺を寄せた。

 

「……どうやら私の癪が強いところを受け継いでしまったらしい。苦労を掛けるね、ヒカル君」

 

 言いながら再び碁盤に目を向けた名人たる彼は、ヒカルとのその対局を思い返す。

 素人とも玄人とも判別がつかない手筋に交じりながら、時折繰り出されるイベントホライゾン(観測限界域)の向こうから繰り出されるような、盤面に得体が知れないほど自然に組み込まれ、息をひそめる石のいくつかを。

 潜み、機能していないにも拘らず()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、石の数々。

 

「アキラの前だから隠したのだ、と思えれば救いはあるかもしれないが」

 

 それらの石が打たれるときに密かに感じた、この年代から感じることのない、感じるはずがないと思わせるほどの────かつて全盛期に対局した当時の桑原本因坊すら易々と凌駕する、古豪の中でもさらに磨き抜かれた、感じたことのない鈍く鋭い気迫(未体験の蓄積された重圧)を。

 

「次は互先(たがいせん)で…………、というには、気が早い」

 

 仮にヒカルが聞けば、名状しがたいような百面相を経由してとても寂しそうな苦笑いを浮かべるような。そんなことを呟きながら、塔矢行洋も麦茶を一口含み、棋譜を並べなおした。

 

 

 

   ※  ※  ※

 

 

 

「別に無理に打とうとしなくても良いんだぜー? 最低限、話についてこれるくらいに棋力はあるんだし」

「でもやっぱり……、塔矢くんとヒカルがケンカしたときに()()()()()できるくらいには、打てるようになりたいなって」

「ハードル高ぇよ、あかり」

 

 思わず苦笑いするヒカルであるが、無理だの何だのと茶化したりはしない。「定石定石、まず一手ずつだな」と両手で後頭部を支えながら、空中を見上げてほうと何かを考えこむ。

 そんなヒカルの様子を、藤崎あかりは横目で見る。じぃー、と漫符で形容できるくらいには、いわゆる()()()であった。

 

 流石に視線に気づいたヒカルが、何だよと冷や汗。

 

「ううん。えっと……、ちゃんと私のことも考えてくれてて、うれしいなーって」

「そうはいっても、何が正解かなんて全然わっかんねーからなぁ……」

 

 人生二周目な現在の進藤ヒカルをしても、藤崎あかり(かつての妻の幼いころ)とどう接して、どう共にあるのが良いのかということが、ヒカルにはさっぱりわからなかった。

 子育ての経験や()()()()()……、アキラの孫娘と自分の孫との、かつての自分とアキラとのガチガチに意識しツンケンしたライバル的やりとりに時折混じる微妙な恋愛感情やら何やらをそろって出歯亀していた時の記憶やら何やらがミックスされど。所詮、思考の大前提が囲碁のそれであるからして、大体の話の帰着は碁へと還るようになってから八十年以上だったので、今更小学生に戻れどそうやすやすと生き方は変えられまい。

 

 さて。そんなことを話す二人は現在、区立葉瀬中学校に居た。

 中学の創立祭である。学校発表会というよりは、出店もしっかり出ておりより高校や大学の文化祭学園祭にニュアンスが近くなっているが、そんな中ヒカルはたこやきのパックを手に、隣のあかりと一緒に色々とめぐっていた。

 あかりは手元に文庫サイズの問題集を持っている。ヒカルの告白というか色々アレなプロポーズもどきがどう作用したものか、もう少し碁に熱を入れてみようという気になったらしい。あんまりそうやって義務的にやると面白くないよな、と思いはするが、それはそうとして自分のためにと頑張る彼女の気持ちに冷や水をかけることもないだろうと、見守り姿勢だ。

 ただ「ヒカル、一つちょうだい!」と本を読みながら言う彼女に、ときおりたこ焼きを「あーん」する仕事は、ちょっと前方不注意そうで心もとない。

 

 アキラと共にこども囲碁大会を散策してから翌週。自宅に塔矢家から「アキラは調子が悪いので囲碁サロンは二週間あとに」と名人から連絡が入り、恐縮しっぱなしなヒカルであったが。

 せっかく空いたタイミングで、あかりからデートに誘われたのだ。

 

 ……なおそのせいで、アキラから連絡を忘れられた緒方精次が翌週にヒカルと打つために囲碁サロンに訪れるも待ちぼうけをくらい、「あの糞ガキッ!」とブチ切れ後日面倒なことになるのは流石に気づくはずもないヒカルであるが。

 

 あかりが誘ったデートの行き先が葉瀬中であったことから「そういやもうそんな時期か……」と、少しばかり老人の自分に心が()()ヒカルであった。

 

(あの時けっこう意地張って一緒に来たりはしなかったけど、ま、今は付き合ってるしなあ……。いや、あかりもあかりでそのあたりは子供だったっつーことなのか何なのか)

 

 女心はわかるようでわからねぇ、と心の中で少しばかりため息をつくが。

 果たしてどうやって、このあかりに改めて碁の面白さを教えてやれないかと思案するヒカル。

 

「……よし、じゃあやっぱ行くか囲碁部!」

「囲碁部? あれ、ヒカルってプロになるんだよね。…………大丈夫かな」

「何が?」

「塔矢くんもいってたけど、あんまりすごく強いこがいるとみんな()()()()()()成長できなくなるって、言ってたじゃない。だから大会とかぜんぜんさんかできてないんだーって」

「いや、俺じゃなくてお前な? あかり」

「……わたし?」

 

 棋力的にはまあまあ無難だと思うぜ、というヒカルに「よくわかんないけど馬鹿にしてない? ない?」と頬を膨らませて詰め寄るあかり。

 そんな彼女の頭を撫であやしながら、サッカー部がやってるらしいお好み焼き屋台の食欲へ暴力的なソースの匂いの誘惑と戦いながら、なんとか目的地へとたどり着いた。

 

 テントが連なる中、休憩所スペースのように急遽むりやり作られたようなスペースとなってる囲碁部。もはや忘れかけてる記憶の中で「こんなんだったか……?」と思いながらも、ヒカルはそのブースの奥に座る筒井公宏(つついきみひろ)を見た。

 

(アキラ見たときも思ったけど、筒井さんめっちゃ若……! 頭フッサフサじゃん!)

 

 何やら大変アレな感想であるが、ちなみに九十九に至るまででヒカルは頭頂から河童のようにハゲ散らかし、アキラはでこからきれいに後頭部めがけて輝いた。誰しも老いには勝てないものであるが、それはそうとして伸ばした長髪に髭と仙人めいた容姿のスタイルになったアキラに「何かズルいぞ!」と叫んだりもした当時のヒカルであったが、それはさておき。

 

「詰碁?」

「こーゆーのなら、一緒にやって楽しめるだろ? えっと、アドバイスしながらこいつにやらせたいんですけど、大丈夫です?」

 

 いいですよ、と微笑むメガネの少年。正解したら景品にティッシュをあげますよ、と言う筒井少年に、ヒカルは自分とあかりの口元がまあまあ汚れていることを思い出した。

 あかりもそれは同時だったようで、ポシェットから取り出した濡れティッシュを二枚。一つで自分の口周りをふいて、もう一つでヒカルの方を拭いた。なれない手つきながら、もうすでにだいぶ甲斐甲斐しい。

 囲碁部ブースに来ていた老人たちも、微笑ましいものを見るような老人と「けっ」とイライラしてる老人とに分かれるが、このあたりはあまり突っ込むのも野暮な話。少し照れながら苦笑いの筒井の視線がヒカルには少し痛かった。

 

 何にしても一つ一つ、石の展開のヒントになるようなアドバイスを一つと、それに対してあかりが打った手を見る。恐る恐る正解かどうかを視線で聞きたそうなあかりを見て、筒井は視線をヒカルの方に向けた。

 

(この子……、なるほど。いいよ、僕も勉強になるし)

 

 少し苦笑いして頭を下げるヒカルを見て、筒井は笑顔で首肯しあかりの方を見た。

 

「じゃあ、ここに打ったらどうなるかを続けて打ちますね」

「え? え?」

「やってみろよ、あかり」

 

 解説はしてやるから、と言ってニヤニヤ笑いながら、椅子に座るあかりの両肩にぎゅっと手を添える。 

 それだけでバクバクと脳がオーバーヒート寸前になるあかりだったが、自分の手に指先で三回ほど「進藤あかり」と書いてから呑み込んで、事なきを得た。いやどんだけ好きだし、絶対当時ここまで俺のこと好きじゃなかったろあかり、などとヒカルもまた若干動揺したとかなんとか。

 

 さておき。

 

「あっ、俺やるとズルっこになっちゃうから、俺の分もあかりにさせてもらっていいです?」

「いいですよ」

「じゃ、今度はアドバイスなしで頑張れよ~」

「えぇ!? ちょっと、ヒカルぅ~」

「考え方はさっきと同じだから。二手、三手先を読めなくても、全体をとらえて、石が動かせないように打つ!」

 

 そんな流れで二回目も打ったあかりだが、今度は正解。

 三手で黒に囲われた白地の目を殺したあかりに、意外と打てるのかと周囲から声が上がる。

 

「なんだろう……、うん? こう、ダンボールとかに入ってるぷちぷちつぶしてるような感じ…………?」

「あかりはそういう気持ちよさな訳だな。って、えーっと────」

 

 

 

「────進藤くん!」

 

 

 

 お? と、かけられた声に振り向くヒカルとあかり。

 ついでに周囲の老人たちや、筒井もつられて、そして目を見開いた。

 

 そこには相変わらず制服姿なままの塔矢アキラが……、片手に食べかけのチョコバナナを持って肩をいからせてヒカルのことを見据えていた。

 …………どうやらヒカルを見つけるまで少し迷ったのか、お祭りをちょっとだけエンジョイしたようであった。

 

 

 

 

 

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