『オレと
『いやそんな無茶一発でバレるよーなこと言ってんじゃねーよ』
かつては加賀の強引さと筒井の迷走ぶりに振り回され、中学一年生に偽装して団体戦に出たヒカルだったが。諸々、その後のオチのことも含めて出た以上の実績が存在しなくなるということを鑑みて、思わず真顔で対応してしまった。
そうか棋力を見せて「コイツなら勝てる」と引き連れられたか、ということは佐為か自分がポカして打ち間違えて微妙な感じで負けたか何かで、言うこと聞けよって詰め寄られたか? とほぼ真実に思い至る。
とはいえさすがの加賀も完全に真顔で拒否されるとは思ってなかったのと、今回は加賀の方が負けていることもあって強くは言えない。
むしろヒカルが「条件ガバガバなんだからそれくらい先輩の意地でそろえてもらいたいですねぇ~?」なんて煽り散らして「良い度胸だなこぞうが」とぴくぴくとこめかみに血管が浮き出そうな加賀であった。
結果、囲碁大会は見学に行くと言う約束を無理やり取り付けられたヒカルと「当然」と言う顔でヒカルの腕に抱き着いて頷くあかり、ヒカルが行くならとしれっと参加を表明するアキラ。
加賀が若干表情をしかめたが、自分を下したヒカルに対して仲が良いもののアキラがどこか一定の距離をもって接しているのを見て「もしや」とお互いの棋力をいぶかしむ。実際、雑談から一勝一敗くらいだというのを聞いてはいるが、それにしては加賀が囲碁教室に通っていた時よりも、目にきらきらとした好奇心やら何やらの光が宿っているし。
なお、そんなアキラとヒカルとの間に時々割って入ってヒカルに抱き着くあかりという謎のバリアーが存在したりはするが、それはさておき。
「そっか、アキラ海王中行くんだな」
「うん。私立だから学区とかじゃないんだけど、囲碁をしているならってことで。……ボク、大会という大会は棋力差もあって出ないようにってお父さんから言われてるんだけどね」
「そこのところ全然詳しくないんだよなぁ……。いや、大会開く本拠地になるってんだから囲碁部強ぇってのは予想つくけど」
「そうだね。それもあって、学校としては囲碁部所属にしたいってことみたいでもう打診があって……」
「メディアに名前が知られてると大変だなーアキラも。……ま、メディアっつっても塔矢名人関係のやつにちょっとだけって感じだけど」
3号前くらいの週刊碁に載ってたし、とヒカルが言うのに、アキラは少し照れたように微笑んだ。
帰り道。アキラが駅の方だというので、ヒカルとあかりは途中まで送ることにしたのだ。一度来たから迷子になることはそうあるまいが、念には念をというやつである。……見た感じおぼっちゃまみたいな雰囲気もあって、あかり的には
「つーか、そういえばだけどお前何でこっちまで来たんだ? 調子悪いって言ってたから俺もあかりとデートするってことにしたのに。というかどうやって中学の場所知ったんだ……?」
「えっと、進藤くんのお母さんに、電話で……」
「いつ応じたんだよ母ちゃんよ…………。でもまあ、そういうのなければ、あかりも今回は囲碁サロンつれていってたぜ?」
「えぇ!?」
「で、俺とアキラで対局して解説しながら見せたりとか、まー色々やろっかなーとか思ってたんだけど。
用語はちょっと慣れてきてるし、ノビとか初歩的なところでは躓かないだろ」
「じ、じしんないよ~……」
「別に怖いところじゃねーし、そこは定石定石」
ヒカルのいう定石って絶対本来の意味じゃないし~、とあかりはぶぅと笑うヒカルにむくれた。
仲良いなあ、と少し困惑して(あと何故か照れてる)アキラだったが、ヒカルの視線が自分に向いたのを見て、ふと会話中にあった言葉について「ん?」と聞いてみた。
「進藤くん……、対局は
「お? んん、いや、まあ、どうすっかな。その時のテンション次第だけど……そういう意味じゃ指導碁は出来るけど、人に解説しやすいような対局って難しいな」
基本どっちも
数歩先に進んだヒカルとあかりは、不思議に思って振り返った。
夕日の逆光に立つアキラの姿は、表情は…………、どこか記憶の片隅にある、いつかの、牙を剥いた彼と重なる。
「君がボクに最初に打った一局、指導碁だったんだね」
アキラのその確認に、ヒカルは特に気にした様子もなく「バレたか」と肩をすくめた。
ヒカル? と不思議がるあかりを背に隠すように前に立ち、ヒカルはあくまで微笑んだまま。ただ少しばつが悪そうでもあった。
「参考までに聞かせてくれるか?
「…………やっぱりそうか。信じたくはなかったけど。……お父さんだ。お父さんが君の打ち方について、ボクに少し教えてくれたんだ。たぶん、きみの方がボクより読みが深いと」
「そこで言っちゃったかー。いや、別に他意があったわけじゃないんだけどよ」
「だとしたら、ボクは君に言わなければいけない」
「何を?」
特に気にした様子もなく、肩をすくめてうながすヒカル。まるでこの後自分が何を言うかわかっているような、そんな表情だ。どこでそう判断されたのかアキラには分からないが────一局打ったことで自分について察してくれたというならそれはそれで気恥ずかしく、嬉しく、こそばゆいが。
それでもアキラは、自分の激情を止めることが出来なかった。
「────ふざけるな、進藤ヒカル! ボクは、ボクは……、
「アキラ……?」
ここで、ヒカルは驚いた。アキラの方を見て目を見開き、あかりもまたヒカルの頭の上から視線を向けて、手で口元を覆っていた。
抑えきれなかった感情は、塔矢アキラの目から涙として流れ落ちていた。
袖で目元をぬぐいながら、アキラは続ける。
「きみが、ボクに期待してくれてるのかも、しれないって、お父さんはボクにそう言った。でもボクは、さっきの、
「……!」
そしてヒカルも驚いて言葉を失う。アキラではなく塔矢名人なのだろうが、当たり前のようにそれを見抜いてきたか、と。
ヒカルの打ち方が2種類あるというのだが、それはそう簡単に切り分けて説明できるものではない。
────そもそも、ヒカルから
彼は
つまるところ、加齢による頭の回転の良し悪し。若いころは
碁打ちに限らず人間にとって避けられない命題の一つ────それにぶつかったヒカルとアキラは、ともに今までの経験としてたまった分の棋力と、その経験から繰り出される変化した定石のパターンを、どう使いまわすか、どう改良するかということに苦心した。
結果としてバンジージャンプやらアクションゲームやら千本ノックやら剣道やら大食いチャレンジやら、バラエティ番組めいた方向に舵を切り迷走したあたりが今思い返すと謎ではあるが。そういった未体験の刺激とそこで得た知見や考え方、学びこそが、老いた自らの思考力においても新たな刺激になり、また今までの碁の経験値と融合することで新しいものの見方を発見したりと、そういったことにつながる。
その一例が加賀との対局で
つまるところ、そこまで試行錯誤した経験値すべてを継承している現在のヒカルにとって、単独での棋力の上限については
その前提で、今の若い思考力やひらめきが、ヒカルにとってどういう意味を持つか────。
「君が、きみ……、きみが、どうしてそんな、棋力を持ってるかなんてこの際関係ない。ボクは、今の君の、
「………………」
「でも、だからこそふざけるな……! いつかの未来で君に追いついたボクを相手に、ようやく打てると? そんな悠長な、幻影みたいな未来のことなんて考えるな!
止まらない涙を拭き、しかしそれでも目を見開き、睨みつけるように叫ぶアキラ。涙で目が潤ってる分、まばたきせずにじっとヒカルを咎めるように、ヒカルに挑むように、ヒカルに
その言葉には、ひたむきに、真摯に、ひたすらヒカルと打ち高めたいという想いがこめられていた。言ってることの半分もよくわかっていないあかりですら、胸に突き刺さる強い感情だった。
そんなアキラを見て「やっぱお前はそーゆー感じだよなぁ」と、ヒカルは苦笑いした。
「ちょっと待ってろ」
そういって、ヒカルはリュックからマグネット碁盤を取り出す。……相変わらず九路盤のそれである。百円ショップで十九路盤にまだ巡り合えていないのか。それはそうとあかりに付属の黒石と白石のケースを持たせて、ヒカルはぱちぱちと黒と白の石を乗せて盤面を作っていった。
「何をしているんだ……?」
「ちょっとお前、勘違いしてるからな。でも口で言っても伝わる気はしないし、少しだけ話そうかなって」
「……?」
アキラとヒカルのやりとりを、あかりはじっと見続けている。
やや泣きべそをかきながらも挑むようにヒカルを見続けるアキラと、そんなアキラに
碁盤に出来上がった盤面は、序盤の展開。ヒカルとアキラが、最初に打ったときの一角。
「ここ、秀策のコスミ打った後にお前こっちにサげてきたろ? 覚えてるよな」
「う、うん」
「定石通りっつーか、まー俺、お前ならなんとなくこことここに打ったら、こっち側にノバしてきて乱戦とかもっと先だって思ったんだよ。でも、お前ってばいきなりダイレクトにここにブツカってきてさ」
三々、くしくも今日ヒカルが早々に加賀に対して打った一手を指して、アキラがかつて打ったその一手を見せて、ヒカルは笑う。
「こっからノバしたらどうあがいてもケンカになるだろ? どうしてそうしたんだよ」
「それは、うん。……なんとなく、
「直観かよ……。でも、だから早々に乱戦、もつれ込もうって思って打ったんだろうけど、お前が打ったこれがさ、俺、面白くって」
「おも、しろい?」
そうそう、とヒカルは屈託なく笑う。
のちの時代に「ダイレクト三々」と呼称される、AI時代の新定石。
「
「……って、し、進藤!? 容姿は関係ないだろ、容姿は! というよりそれを言い出したら、君だってボクに何か言えるような感じじゃなくて体育会系な見た目だろうッ!!?」
「あー、そいつはまあ、自覚はあるから別にダメージになんねーんだけど……」
というか女の子っぽいこと気にしてたんだなコイツ、とヒカルはしみじみと何度も頷いていた。仕草がやや
「そういう手もあるっちゃあるんだけど、あえてここで定石を破って打ってくるっつーところがさ、面白かったんだよ。並べねーけど、
「可能性に……?」
「だったら俺だって、もっと堅実さとかより、お前ならどう展開してくるかとか、もっと俺だって勝ちにこだわって滅茶苦茶やったっていいだろって、そんな感じ。……あの時はマジでそういう感じで、抑えが利かなかったよ」
というか多分、今打っててもどっかで限界来て
「俺にとって
妙な言い回しをとっているヒカルである。その真実の意味をアキラやあかりは理解はできまい。結果的に少々違うが、頭の中で常に研鑽を重ねた自分と、今の若かりしパワーに振り回されてる自分とが、同時に検討してケンカしながら一局一局積み重ねているところなのだというのは。
ただ、それでも。
「俺はお前の
これでも
あ~~~、と頭を抱えながら悩むヒカルと、ヒカルの物言いを消化するためか押し黙ったままのアキラ。ついでに、ヒカルが上手に言葉を作れていないのを見ながら、唇に指をあててどういうことを言いたいのかを考えるあかり。
「だから……、ヒカルは塔矢くんにふざけてるんじゃなくって、ヒカルなりに正面から向き合って、ライバルになりたいってことだよね」
そして、彼女の短くまとまった言葉は、アキラに対して真っすぐに入っていった。
ヒカルをいつも見ているだろう彼女が言うからこそ、ヒカルがヒカル自身で上手く言えないことでも、ちゃんとわかってるのだろうと。そう納得できたからこそ。
アキラの涙は、そこで止まった。
目元をごしごしと拭い、やや赤く腫らしながらも、アキラはヒカルを見る。
「そういうことで、いいのかな?」
「……あー、ああ、たぶん?」
「頼りないなあ……」
言いながらも、少しだけくすりと笑うアキラには、先ほどまでの焦燥感が抜けて余裕ができていた。
深呼吸し、改めてヒカルを見据えるアキラ。
対するヒカルも、自然体でアキラの目を見ていた。
「まだボクは足りないかもしれないけど……、それでも等身大の君とは、ライバル」
「あぁ」
「………あ、あと、ボクたちは友達」
「あぁ。…………いや何でそこで照れてンだよ」
ヒカルが苦笑いするのも無理はない。「友達」と言ったときだけ、何故か頬を赤くして視線が左右に行ったり来たりして落ち着きがないのだ。何をそんなに照れてるのかと思うヒカルであったが…………、そういえばアキラの結婚式のときに囲碁関係以外の友人知人がどれくらい来ていたかと言うのを思えばということで、若干「あっ……ふーん」と察した。察してしまった。
どこか生温かいように目を細めたヒカルに、アキラは何度か深呼吸して、手をハンカチで拭いてから。
「怒鳴ってしまって、ごめん。でも……、これからも一緒に、よろしく!
差し出された手と、
むしろアキラのドギマギめいたそれが移ったように「お、おぅ」と言って視線をそらしながら、差し出された手をとって握手した。
なおそんな二人をヒカルの背後から無表情にあかりが見ていたが、これは完全な余談である。
※ ※ ※
そして翌週。
なんとか私立海王中学が会場になっている、北区の中学囲碁大会冬期の部に出場できた葉瀬中学校の健闘と、助っ人に連れてきた先輩生徒と筒井の惨敗に残念がったり。
対局一つ一つの検討をしながら、「等身大のヒカルだったら」どう打つかと検討を一緒に深めるアキラを、やっぱりどこか無表情で見つめるあかりが居たりといったことはあったのだが。
大会終了後、葉瀬中の面々と別れてアキラ、あかりと共に入り口から出た、その時!
「…………待っていたぞガキども、ちょっと来いッ!」
「お、緒方さん!?」「うわっ 来たよ……」「えっ? えっ?」
何と言うことだろう、当たり前のように赤いM○ZD○で待ち構えていた緒方が、アキラそっちのけでヒカルめがけて駆け出し、ちょっとした鬼ごっこが発生した。
面食らったのも無理はない。