千年後まで御機嫌よう   作:エクシーク

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序章
プロローグ:時を超えて


夜の風が静かに尖端島の大地を撫でていた。

 

雲一つない空には幾千もの灯りが散りばめられ、星と街灯が溶け合うように世界を淡く照らしている。

海沿いの高台から見下ろす街は、まるで夜空を映した鏡のようだった。

 

あの頃には存在しなかった巨大な橋も、高層の塔も、ガラスの壁面に光を反射させ、眠らない都市を形作っている。

 

 ――あの胎動窟での騒乱から、千年が経った。

 

アキユキは手すりに片肘をつき、風を受けながら黙って夜景を見つめていた。

 

自らの故郷である尖端島の片隅で、何も知らずに走っていた少年時代が、まるで夢のように遠い。

あの頃は世界は狭く、島も人々の心もまだ土の匂いがした。

 

今やザムドの存在は歴史書の片隅に押し込まれ、「ヒルコ」という言葉も、民俗学の授業でしか耳にしなくなった。

人々は魂の流転を信じず、かの大巡礼を“神話”として認知するのみ。

それでも、この身は――今もその記憶の中に生きていた。

 

「……随分と長かったな」

 

吐き出した息が、夜風に溶ける。

その響きはひどく軽く、それでいて、底知れない重さを孕んでいた。

“魂の導き手”としての真理に至った彼は、「真なるザムド」として、完全なる不老の存在となっていた。そして、この千年という時の全てを、たった独りで歩き続けてきたのだ。

 

ナキアミの導きによって真なるザムドと成ったあの日、北政府の権力の象徴として生み出されたザムド ――ヒルケン皇帝を激闘の末、浄化させることに成功した。

 

しかし、その代償として、アキユキは自我と名前を失い、物言わぬ石くれと成り果ててしまった。

内的世界へと旅立ったアキユキ。しかし、かつての親しき者たちは、石へと成り果てた彼を見捨てることはなかった。

 

 ――西村ハル。

 

彼女の祈りは、千の夜を貫いて響いていた。

ひび割れた石の奥に閉じ込められた意識の奥で、微かな声が何度も彼の名を呼んでいた。

時が凍りついた世界で――彼女は、少年の帰還を信じ続けていた。

 

そして、九年の歳月を経て、彼は目を覚ました。

あの高い丘の日差しの下で、ハルが泣きながら笑った顔を、アキユキは今でも鮮明に覚えている。

 

温もり。

声。

手のひら。

すべてが、生きる意味を取り戻させてくれた。

 

やがて彼らは共に年を重ね、短いながらも確かな時間を積み上げた。

だが、その時間は――彼女にとっては人生であり、彼にとっては永遠のほんの一欠片だった。

ハルは老い、笑い、そして静かに息を引き取った。

アキユキは、数十年変わらない姿のまま、ただその傍に立っていた。

 

――人は老いて死ぬ。

――自分は、老いず死ねない。

 

その現実が胸をえぐった。

ハルが目を閉じたその夜、彼は初めて、心の底から「時間」というものに怯えた。

 

「ハル……俺は……」

 

ハルが死に、息子たちにも先立たれ、遂には孫子にさえも置いて逝かれた。

 

――君は、今も俺の中にいる。今までも、そしてこれからも。

そう思いながらも、彼は笑えなかった。

 

そして、もう一人。

今もなお、心の奥底で鮮烈に息づいている少女がいる。

 

――ナキアミ。

 

今でも鮮明に覚えている――石くれに成り果て、内的世界にて自分の名前ですら分からなくなっていた幼き自分の元へ現れた。

 

“いつの日か、お前の名前を読んでくれる人が現れる”と。

 

彼女のあの声があったから、アキユキは戻ることができた。

彼女の導きがなければ、きっと自分はとうに心を閉ざし、自分の名前を呼んでくれる、愛する者の声すらも届かなくなっていただろう。

 

幾度となく彼を導き、彼を見捨てず、彼を救ってくれた真紅の髪の少女。

 

ヒルケン皇帝が目覚め、世界が闇に包まれたあの日――

彼女は、サンノオバたちの想いを背負い、世界を救済し、全てを胎動窟の最奥に閉じ込め、

そして――千年もの眠りについた。

 

「ナキアミ……君は……今、胎動の深奥でどんな夢を見ているんだろうな」

 

静かな夜に、その名を呟く。

風が返事をするように、右腕に埋め込まれた蒼いヒルコを優しく撫でた。

 

 

ナキアミが封印された胎動窟は、今や国家保護区域となり、ルイコン教の聖地として厳重に管理されている。

 

かつて狂信と暴力を生んだ思想は、千年を経て穏やかな信仰へと移り変わっていった。

 

時代を追うごとにかつての思想は薄れていき、やがてコミュニティの形成や精神的な支えるものとして、移り変わっていった。

 

それ自体は歓迎すべきことだ。何せ、あの地獄のような惨劇が生まれるのことが無くなるのだから。

 

だがそれと同時に、ヒルコの力を扱えるタマヨビも途絶えた。今の時代の人々は、ヒルコの正体を知らない。だが、今でもヒルコは確実に存在している。それ故に、その魂のことばを理解できる者が、もういない。

 

自分ただ一人を除いて。

 

 

何十年、何百年と迷い続けてきた。

だが約束の時が近づくにつれ、その迷いは霧が晴れるように薄れていった。

失ったものは数えきれない。

それでも、まだ――終わっていない。

 

自分はこの時のために、今まで生きてきたのだ。

 

アキユキは外套を翻し、夜風の中に一歩を踏み出した。

この世界に自分を縛るものは、もう何もない。

ただ、彼女の眠る場所へと向かうために歩けばいい。

 

幾万もの夜を超え、果てしなく遠い道のりの果てに、ようやく辿り着いた――

 

「遂にこの時が……。また、君に逢えるかな」

 

その声は夜空に吸い込まれ、星々のざわめきと混じって消えていった。

 

彼の瞳には、もう迷いはない。

 

千年という時間を超え、魂の導き手として歩んできた少年は――

己の最後の使命を胸に、再び運命の地へと向かう。

 

そこは、生命が誕生し、そして流転していく場所。

ナキアミが眠る、胎動窟。

 

永遠を生きる魂が、もう一度“始まり”を選ぶ場所だった。

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