ヒトガタ二体の文様が、まるで巨眼が開いたかのように爛々と輝いた瞬間――
アキユキの背筋にひやりとした感覚が駆け抜けた。
「来るか……!」
呼吸一つ置く暇もなく、二体の巨躯が同時に地面を蹴った。
戦車より巨大な身体が高速で二足歩行するたび、石畳が爆ぜ、空気が衝撃で歪む。
最初の一体が、背部に備えた砲台を前へ向け、ぐらりと角度を調整した。
文様が収束し、中心へ光が集まり――。
「生命電流砲ッ!? ここで撃つ気か!」
街路の壁面に反射した光が白く瞬き、次いで轟音が周囲を揺らした。
アキユキは、身体の一部をザムド化させ、右足で虚空を蹴る。
空中での“踏み込み”は、ザムドだけが可能な特殊な移動。
音より速く、景色が水平に飛ぶ。
直後、彼の残像をなぞるように白緑の光柱が通過し、背後の建物を一瞬で溶断した。
「くっ……相変わらず、シャレにならない威力だ……!」
その言葉とは裏腹に、胸の奥はひどく静かだった。
どれほど強力でも、撃つ瞬間さえ見切れれば、避けられる。
だが二体同時となれば話は別だ。
もう一体――右側から迫る巨躯が、膜の奥で脈動を強め、脚部の筋組織を尋常ではない速度で収縮させて跳び込んでくる。
その足音だけで地面が震え、近くの瓦礫が跳ね上がるほどだ。
「ハッ!」
アキユキの脚がザムド化し、膝から下が光の骨格をまとったように変形する。
跳躍。
空中を蹴る。
さらに光の円環を生みながら、空を踏み抜く。
(あのリングさえ断ち切れば……!)
次の瞬間、巨体の頭上へ出た。
「――っらあ!」
腕を変形させ、巨大な刃を構築する。
そのままヒトガタの首に装着されているリングをめがけて振り下ろす――。
ガキンッッッ!!
金属を切り裂く音。
リングごと、ヒトガタの頸部を両断するはずだった一撃。
しかし、実際は頸部が少し抉れたのみで、致命傷には至っていなかった。
(なんて硬さだ……。あれじゃワクチンの針も通りそうにないな……)
アキユキの使う注射器の針は、硬いヒトガタの皮膚も問題なく貫通するように改良してある。
しかし、あのヒトガタ兵器の皮膚の硬さは、どう低く見積もっても鋼鉄以上――。
(でも、あのリングは破壊できた……あとはどう解体してやるかだけど……)
あのヒトガタを解体する術についてはまだ見つかっていないが、制御するリングを破壊したことにより、無力化はできたはず――。
できたはずだった。
「……んなっ……はァ!?」
動くはずのなかった巨大な腕が唸りを上げ、アキユキを叩き潰さんと振り抜かれる。
彼は咄嗟に刃を即座に収め、空中を滑るように回避。
直後、叩きつけられた衝撃で空気が爆発し、地面に深いクレーターが刻まれる。
あんなの真正面で受ければ、ザムドでも無事では済まない。
「無駄です!たとえ首輪を破壊しようと、
(クソッ……!首輪を破壊するだけじゃダメなのか……!?)
あの巨大な両脚から生み出される怪力、そして街を瞬く間に焼き尽くす強力な生命電流砲。驚異的な守備力。ブレードによる一撃も有効打にはならず。
また再生能力も異常に高く、先ほど切り裂いたはずの傷口は、既に再生しきっている。
そして何より、リングの破壊による無力化が不可能であること。
強敵だ。
これまでの刺客とはまるで違う。
どうやら本気で自分を始末しに来たようだ。
(思ってたよりもはるかに厄介だな………仕方ない、アレを使うか)
アキユキは指先を開き、右腕に生命電流を集中させる。
光が奔り、掌に球状の閃光が生まれた。
「行け……!」
――拡散式生命電流弾。
まるで光片のように、数十発以上の散弾となってヒトガタ兵器へと四方から殺到する。
それら小さな散弾の一つ一つが、鋼鉄すらも容易く蒸発させる、高密度のプラーナによる電流弾だ。
ズドドドドドドドォン――!
爆音。
鋼鉄よりも硬いヒトガタの皮膚が溶け、膜が裂け、再生が追いつかないほどの無数の穴が瞬時に開いた。
膜が破砕し、黒い煙が散った。
巨体が、糸が切れたようにその場で崩れ落ち、やがて黒い石の塊へとその姿を変えた。
その隙に――。
キィィィィィィン――
背後のヒトガタが砲台をこちらへ向けている。
文様が集束する気配が走る。
「やっぱ二体同時は面倒だな……!」
アキユキは地面へ急降下し、石畳を砕きながら滑り込む。
大半の民間人が避難をしているとはいえ、これ以上市街地を破壊されるわけにはいかない。
腕をまくり、ヒトガタの砲撃から身を守るシールドを形成させた。
ヒトガタ兵器の生命電流砲が放たれた。
白い光柱が一直線に迫り――
シールドに直撃した。
――ギギギギギギイイイイイイ!!!!
光と光がぶつかり合う。
鼓膜が破れそうなほどの圧迫音。
視界を白く塗りつぶす暴力的な輝き。
だが、盾は割れない。
「……ッはぁ!」
そして――押し返す。
盾が逆流するように膨張し、光柱を押し返していく。
やがて、砲撃が途切れた。
「あの皇帝の砲撃も防いだ盾だ…………ナメんなよっ!」
アキユキは地面を蹴り、真上へ跳んだ。
空気を踏んでさらに跳ぶ。
一瞬で砲撃したヒトガタの真上に出る。
右手の五指を鋭い鉤爪へと変形させる。
そして鉤爪に強力なプラーナを纏わせ、その切っ先を高電圧の刃へと変える。
「悪いけど、加減は無しだ」
渾身の力でその腕を振り下ろす。
ザンッッ!!
その一撃はヒトガタの体を完全に引き裂き、瞬く間に巨体を肉片へと変えた。
二体の巨大ヒトガタ兵器――沈黙。
「……まだまだ未熟だな、俺は……」
加減ができる相手ではなかったとはいえ、ワクチンによって解体し、魂を浄化してやれなかった。
胸の奥に、微かにざらつく違和感が残る。
そんな思考の途中、後方の瓦礫の影から――。
「異端なる者よ……まだ終わりではありません……」
あの狂信者の声が、ねっとりと這い寄ってきた。
二体の巨躯が黒い石塊へと還り、広場に残ったのは、焼け焦げた空気と、ひび割れた地面だけだった。
その中心に立つアキユキは、ゆっくりと息を整えながら、瓦礫の影へ視線を向ける。
――そこに、あの男はいた。
白灰色の儀礼服は煤に汚れている。
だが、男の姿勢は崩れていない。
むしろ、どこか満足げですらあった。
「……返り討ちにされたって顔じゃないね」
アキユキの言葉に、男は小さく喉を鳴らした。
「ふふ……さすがですね。ですが、あなたはまだ――何も終わっていないことに、気づいていない」
その声色に、焦りは一切なかった。
追い詰められた獣のそれではない。
最初から“こうなることを知っていた者”の、余裕だった。
(……嫌な感じだ)
アキユキの全身に、ざらりと鳥肌が立つ。
ヒルコが、警鐘のように脈打っていた。
男は懐へと手を伸ばす。
取り出したのは――一本の注射器。
中で揺れているのは、ヒルコ特有の緑と濁った黒が絡み合う、異様な液体だった。
「……おい、なんだそれは」
「真理へと溶ける喜び……」
男はそれを、慈しむように見つめる。
「この身を捧げ、真理と一つになる。ああ……なんと、甘美なことか……!」
男は笑ったまま、躊躇なく注射器を――
自らの首へと突き立てた。
ぷすり、と乾いた音。
液体が体内へ流れ込んだ瞬間、男の喉から、ひきつった呻き声が漏れる。
「……ぁ……ぁあ……ッ!」
次の瞬間だった。
骨が鳴る。
肉が軋む。
内側から、何かが“押し広がる”。
男の身体が、ありえない速度で膨張し始めた。
腕が引き延ばされ、胴が歪み、皮膚の表面にヒトガタ特有の“目玉のような紋様”が、歪んだ配置で浮かび上がる。
しかし――それは、これまで見てきたヒトガタとは、決定的に違っていた。
「……っ!」
アキユキは、思わず一歩、後ずさる。
身体は骨格に沿って不自然に折れ曲がり、ところどころが裂け、
暗黒色にひび割れた“骨”が、むき出しになっている。
肉体は安定せず、痙攣するように、絶えずうねっていた。
まるで――影そのものが、無理やり形を与えられたかのような。
男だった“それ”は、完全にヒトガタのような、蠢く影へと成り果てていた。
そのとき。
――こな……いで……
微かに、耳鳴りの奥で、声がした。
(……また、だ……)
胎動窟の方角から。
小さく、かすれた、悲鳴のような“心の声”。
一瞬の動揺。
だが、影は容赦なく襲いかかる。
プラーナを溜める気配はない。
砲台もない。
代わりに。
――影が、伸びた。
あの絶えずうねっている真っ黒な異形から、無数の“手”のような触手がずるりと這い出し、一斉にアキユキへと伸びる。
「……っ、速い!」
反射的に跳ぶ。
しかし、触手は伸び、縮み、絡みつくように追ってくる。
一本一本が、尋常ではない力を持っていた。
腕に絡まれた瞬間、ザムドの膂力ですら、動きを阻害される。
「くっ……!」
右腕をブレードへ変形させ、薙ぎ払う。
触手は断ち切られ、黒い飛沫となって散った。
――だが。
次の瞬間、何事もなかったかのように、再生する。
「……再生、早すぎだろ……!」
ぞわり、と背筋を冷たいものが走る。
触手が絡みつき、身体を押さえ込もうとする。
純粋な力で、ザムドを封じにかかっている。
「……なるほど」
アキユキは歯を食いしばり、視線を鋭くした。
「単純な物理じゃ、ダメってわけね」
掌を開く。
生命電流――プラーナを収束。
「じゃあ……これならどうかな……っと!」
拡散式生命電流弾が、至近距離で解き放たれた。
白い閃光が、影を包む。
完全には消えない。
だが――再生が、明らかに鈍った。
「……効果アリだ」
確信。
次の瞬間、ブレードにプラーナを纏わせる。
刃が、白く唸る。
「悪いけど……さっさとケリをつけさせてもらうよ」
影へ飛び込み、滅多斬り。
光をまとった刃が、蠢く影を刻み、焼き、断ち切る。
触手が崩れ、骨が砕け、影が悲鳴のようなノイズを発する。
そして――
最後の一撃。
影は、黒い石塊にはならなかった。
さらさらと、
まるで灰のように、
塵となって、風に消えた。
「……石に、ならない……?」
アキユキは、眉をひそめる。
「……一体何だったんだあれは……」
人工ヒルコと思われる注射器。
異常な形態。
消滅の仕方。
どれも、今までのヒトガタの在り方とは違う。
「……持ち帰って、調べる必要があるな」
彼は静かに息を吐き、胎動窟の方角を一度だけ見やった。
――あの声の正体も含めて。
本当の試練は、まだ始まったばかりだ。
聖地近郊――
かつて人が暮らしていた痕跡だけを残し、今は風と瓦礫の音だけが支配する、廃墟群。
崩れかけた尖塔の地下。
石造りの広間には、無数の蝋燭が灯されていた。
壁一面には歪んだ壁画。
巨大なヒルコに包まれた天女と、その足元に跪く白き人影。
そして、その周囲を取り囲む、ヒトガタのような異形の存在たち。
アニマ=ノアのアジト――
信仰と狂気が、静かに沈殿する場所。
「――以上が、現地で確認された一連の経過となります」
黒衣の構成員が、床に片膝をついたまま報告を終える。
その声は震えていた。畏怖と興奮が、ない交ぜになっている。
「例の男……竹原アキユキは、今回も刺客を退けました。我らが
ざわり、と空気が揺れた。
「また、ですか……」
「何度目だ……あの忌むべき存在は……」
「教祖様の御前で、その名を口にするな……!」
構成員たちは、口々に呟きながらも、視線はただ一点に集まっていた。
広間の奥。
高く設えられた玉座。
そこに腰掛ける“教祖”は、薄く微笑んでいた。
「――そう」
透き通るような声。
怒気も、焦燥もない。
「彼は、また我らの“祝福”を退けたのですね」
教祖は、指先で肘掛けをなぞる。
その仕草は、あまりにも優雅で、そして――異様だった。
「そして何より……まるで、我らが
「はっ……!」
構成員が深く頭を垂れる。
「竹原アキユキは、組織全体の総意として――真っ先に排除すべき、最も忌むべき存在です」
「分かっています」
教祖は、即答した。
「彼は異端。我らの理を乱し、天女降臨の儀を阻む、最大の障害」
その言葉に、構成員たちは安堵したように息を吐く。
教祖もまた、アキユキを“敵”として認識している。
そう、信じて疑わなかった。
だが。
「――だからこそ」
教祖の声が、わずかに弾んだ。
「引き続き、彼を追いなさい。そして――必ず、生け捕りにするのです」
構成員の一人が、戸惑いを隠せず口を開く。
「……生け捕り、ですか?排除ではなく……?」
「ええ」
教祖は、穏やかに頷いた。
「どうやら彼――竹原アキユキは、強大なヒルコの力を有しているようです。それも我らが幾度と送って差し上げた、
その言葉が落ちた瞬間、広間の空気が凍りついた。
「……な……」
「ヒルコ、を……?」
「あの異端者が……そんな……」
構成員たちの間に、明確な動揺が走る。
誰もが知らなかった。
忌むべき異端者が、真理たるヒルコの恩恵を受けているなど――まさに寝耳に水だった。
「だからこそ、です」
教祖は、淡々と続ける。
「強大な、そして未知なるヒルコの力を持つ存在です。この大巡礼とも、きっとなにか関係があるはず。故に――」
「生け捕りになさい。天女をお迎えするための、その供物として――」
構成員たちは、互いに視線を交わし、やがて一斉に頭を垂れた。
「……教祖様のお告げに、異存はありません」
「御心のままに……」
驚愕は残りながらも、誰一人として否定の言葉を口にしない。
それが、アニマ=ノアという組織だった。
教祖は、その光景を見下ろしながら、微かに唇を緩める。
教祖は、穏やかに頷いた。
それは、教義として語られてきた、もっともらしい理由。
誰もが疑わず、受け入れてきた“大義名分”。
構成員たちは、再び深く頭を垂れる。
――しかし。
(……ようやく、貴方様とお会いできるのですね……)
教祖は、心の内で、そっと呟いた。
構成員たちの前では決して見せない、微かな吐息。
(お待ちしておりました……私の……白き従者様……)
彼女は、玉座の傍らに置かれた古い書架へと手を伸ばす。
埃を払うようにして取り上げたのは、一冊の装丁の擦り切れた本だった。
ナキアミとアキユキ――
現存する唯一の伝承として語り継がれる、『白き従者と天女の福音』。
教祖は、その中の見開きの1ページを指先でなぞり、静かに見つめる。
そこに描かれていたのは、白き人影と天女の描かれた福音図。
胸の奥が、熱を帯びる。
(さあ、早くこの虚ろな私を満たして――貴方様で埋め尽くして――)
蝋燭の炎が、揺らめいた。
その揺れは、まるで――
遠く離れた場所で、白き青年の歩みを、拒絶すようにも、また祝福しているようにも見えた。