千年後まで御機嫌よう   作:エクシーク

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(重要)これまで不定期で連載しておりましたが、今後は更新日時を定めて投稿することにいたしました。原則として、毎週木曜日、もしくは日曜日の20時に新しい内容をお届けする予定です。引き続き無理のない範囲で、内容の質を大切にしながら更新を続けてまいりますので、今後ともお付き合いいただけましたら幸いです。


第10話:邂逅 ―月と太陽―

瓦礫の広場を離れたアキユキは、しばらく無言で歩き続けていた。

戦闘の余韻はまだ身体の奥に残っている。ヒルコの鼓動が、完全には静まりきらない。

 

だが――

それ以上に、頭から離れないものがあった。

 

(……あの声)

 

刺客との死闘の最中、確かに聞こえた。

幻聴で片づけるには、あまりにも生々しく、そして“近すぎた”。

 

胎動窟。

聖地のさらに奥、魂の流れが集束する禁域。

気づけば、足は自然とその方角を向いていた。

 

「……あんまり良い予感はしないんだけどな」

 

自嘲気味に呟きながらも、歩みは止めない。

むしろ、確信に近いものが胸の奥で形を持ち始めていた。

 

――確かめなければならない。

 

やがて視界に、巨大な岩壁と、それに埋め込まれるように存在する胎動窟の入口が現れる。

何度訪れても、ここだけは空気が違う。

重く、湿り、どこか“母の子宮”を思わせる圧迫感。

 

「……ん?」

 

一歩、足を踏み入れた瞬間だった。

 

(……流れが、変わっている?)

 

アキユキは即座に気づいた。

ザムドの感覚を通して、胎動窟を満たす魂の力――プラーナの大河のような流れを捉える。

 

以前訪れたとき。

大巡礼を目前に控え、胎動窟の内部は異様なほど活発だった。

魂の力は脈打ち、うねり、抑えきれない熱のように外へ滲み出していた。

 

それは、解放の兆しだった。

扉が開かれる直前の、自然な状態。

しかし――今は違う。

 

「……間違いなく力は強まっている。でも……」

 

流れそのものは、確かに強い。

以前よりも、むしろ濃度は高いほどだ。

 

だが、その力は――

外へ、一切漏れていない。

まるで、巨大な堰で強引にせき止められているかのように。

 

アキユキは、胎動窟の奥へと視線を向ける。

そこに鎮座する、巨大な扉。

 

「……閉じたまま、か」

 

本来なら、この段階に至っていれば――

扉は、もう開いていてもおかしくない。

 

実際、千年前の大巡礼のときはそうだった。

魂の流れがこの状態になった時点で、胎動窟は完全に解放されていた。

 

指先が、無意識に強く握られる。

 

(何かが……この中で、起きている?)

 

しかもそれは、単なる遅延や異常ではない。

意図的な“抑圧”に近い感触。

 

魂の力が、外へ出ることを拒まれている。

いや――閉じ込められている。

 

(ナキアミ……)

 

確証はない。

だが、あの戦闘中に聞こえた声。

かすれた、悲鳴のような“心の声”。

 

それが、この場所と無関係だとは、もう思えなかった。

 

「……嫌な予感、的中してなきゃいいけど」

 

静寂の中で、魂の流れがざわめく。

 

――そして。

そのときだった。

 

背後でも、前方でもない。

すぐ傍から。

 

「……そこの御方、少しだけよろしいでしょうか?」

 

か細く、けれど確かに存在する声が――

アキユキを呼び止めた。

 

アキユキは、即座に声のする方へと視線を送る。

 

次の瞬間、アキユキの目に信じられないものが映った。

 

 

 

 

 

 

 

胎動窟の壁際、アキユキが振り返ったその先に――一人の少女が立っていた。

 

満月を思わせる、透き通った淡黄色の髪。

胎動窟の薄暗がりの中でもなお淡く光を反射し、現実感を失わせる色彩。

そして、その下でこちらを見つめ返す瞳は、夜空を切り取ったかのような深い黒だった。

 

だが――

問題は、そこではなかった。

 

「……は?」

 

思わず、声が漏れる。

 

少女の両頬には、見覚えのありすぎる刺青が刻まれていた。

線の入り方、模様の配置、角度に至るまで――ナキアミのものと、ほとんど同じ。

髪の癖や揃え方、そして骨格も。

 

何より、その顔立ち。

 

(…………なんで)

 

髪と眼の色を変えただけで、区別がつかなくなる。

そう断言できるほど、彼女はナキアミと瓜二つだった。

 

「……驚かせてしまいましたか?」

 

少女は、穏やかな声でそう言った。

口元には、柔らかく整えられた微笑みが貼り付いている。

 

「俺は……いや、君は……」

 

言葉を選ぼうとして、失敗する。

頭の中で、整理が追いつかない。

 

「初めまして……では、ありません」

 

少女は一歩、こちらへ近づいた。

その動きに、敵意はない。

それどころか、どこか懐かしさすら滲んでいる。

 

「私の名は、ナクセナと申します」

 

その名を聞いた瞬間、アキユキの胸の奥で、何かが微かに鳴った。

 

「……ナクセナ?」

 

初めて聞く名前だ。

しかし、同時にどこか懐かしさを感じる響きでもあった。

 

「覚えておられませんか? ずいぶん昔のことですけれど……」

 

ナクセナは少し首を傾げ、貼り付けたような笑みを崩さないまま続けた。

 

「北部に位置するあの街で、迷子になっていた私を……貴方が、安全な場所まで連れて行ってくださいました」

 

その言葉に、記憶の底がわずかに揺れる。

埃を被った古い情景。

 

――泣きじゃくる小さな子ども。

――夜空に浮かぶ満月のような見た目。

――手を引いて、宿の前まで送った、名も知らぬ少女。

 

「ああ……」

 

思い出した。

確かに、そんなことがあった。

 

「……あの時の子、か」

 

「はい」

 

ナクセナは、小さく頷いた。

 

大きくなったな……と、懐かしさと同時に、胸の奥に別の感情が芽生える。

 

疑問。

違和感。

そして、拭いきれない不安。

 

「……あのさ、少し聞きたいことがあるんだけど……いいかな」

 

「……?はい、何でしょう?」

 

アキユキは、慎重に言葉を選んだ。

 

「その名前についてだけど……その……『ナクセナ』って名づけられた由来」

 

そして、視線を彼女の頬へと移す。

 

「それに、その刺青について。差し支えなければ、理由を聞かせてほしい」

 

ナクセナは、一瞬だけ瞬きをした。

それは、人形が“考える”ために与えられた、最小限の間のようだった。

 

「……ええ。構いません」

 

彼女は、静かに語り始める。

 

「私は、元々孤児でした。名前も、家族もなく……ただ泣いてばかりの子どもだったそうです」

 

淡々とした口調。

感情の起伏は、ほとんど感じられない。

 

「そんな私を、ある部族の長が引き取ってくださいました。ですが……私は本当によく泣く子で」

 

ナクセナは、少しだけ目を伏せた。

 

「義父である長は、周囲にいつもこう言っていたそうです。『泣かすな』と」

 

その言葉を、何度も、何度も。

 

「やがて……名前を持たなかった私は、その言葉で呼ばれるようになりました。

『泣かすな』が訛り、転じて――『ナクセナ』に」

 

アキユキは、言葉を失う。

 

「……そっか」

 

短く、そう返すのが精一杯だった。

 

そしてアキユキの口が、わずかに開いたまま、閉じなくなる。

言葉の続きが、出てこなかった。

 

(……有り得ない)

 

胸の奥で、何かが軋む。

 

ナキアミの幼いころの話を、育て親の伊舟から聞いたときのことを思い出す。

 

幼き彼女はいつも涙を止めることができず、周囲から「泣き止め」「泣き止め」と言われ続けていたこと。

それが、いつしか名前として定着したということ。

 

(……名前の、由来まで)

 

あれから千年の月日が経った今、ナキアミの生前を知るものは存在しているはずがない。

――自分を除いて。

 

しかし、あまりにも、似すぎている。

 

故に、ただの偶然としか考えられないが、とても偶然とは思えない。

 

そんなパラドックスめいた事象に、アキユキは頭がおかしくなりそうになった。

 

「…………っ」

 

アキユキは、喉の奥がひどく乾くのを感じながら、ナクセナを見つめた。

 

彼女は、そんなアキユキの動揺に気づいているのかいないのか、相変わらず貼り付けたような微笑みを浮かべている。

 

「どうかなさいましたか?」

 

その問いかけに、すぐには答えられなかった。

 

「……えっ……い、いや、何でもないよ。じゃあ、その……刺青については?」

 

ナクセナは、再び顔を上げる。

その貼り付けた笑みを、ほんのわずかに強めて。

 

「それは、信仰の証です」

 

「信仰……?」

 

「はい」

 

彼女は、懐から一冊の古い本を取り出した。

擦り切れ、何度も読み返されたことが一目で分かる装丁。

 

『白き従者と天女の福音』

 

その表紙を見た瞬間、アキユキの背筋に冷たいものが走る。

 

「私は……この物語を信じています。天女に、敬意と……憧れを」

 

だからこそ、刺青を刻んだのだと。

天女と同じ印を、自らの身に。

 

ナクセナの話を聞き終えたアキユキは、しばらく沈黙したまま、彼女を見つめていた。

 

(……落ち着け)

 

頭の中で、自分に言い聞かせる。

 

彼女の名前や生い立ち。

刺青に髪型。

そして顔立ち。

 

どれを取っても、ナキアミの生き写しだ。

だが――

 

(違う)

 

決定的に、違う。

 

日輪のような赤い髪。

青空を思わせる瞳。

ぶっきらぼうで、不器用で、それでも時折見せる自然な優しい笑顔。

 

それが、ナキアミだ。

対して。

 

満月のように淡い白髪。

闇夜の底を覗かせる黒い瞳。

そして――常に浮かべられた、人工的な笑み。

本性を隠すための仮面のような、それ。

 

(……同じ姿をしていても)

 

その性質は、まるで正反対だ。

 

言葉にできない感覚に囚われながら、ナクセナと名乗った少女を見据え続けていた。

 

それは嫌悪でも、恐怖でもない。

ただ――アキユキの胸の奥は、ひどくざわついていた。

 

 

 

 

しばしの沈黙が、胎動窟に落ちた。

 

魂の流れが、低く、重く唸っている。

まるで二人の間に漂う空気そのものが、何かを測っているかのようだった。

 

やがて――

ナクセナが、ふと首を傾げた。

 

「……今度は、私からも。いくつか、よろしいでしょうか」

 

貼り付けたような微笑みは、そのまま。

だが、その瞳だけが、わずかに鋭さを帯びていた。

 

「うん、もちろん構わないよ」

 

アキユキは、短く頷く。

 

「ではまず……」

 

ナクセナは、淡々と問いを投げる。

 

「貴方のことを、もっと知りたいのです」

「貴方のお名前と……それから、普段何をなさっているのか、教えていただけませんか」

 

その質問は、あまりにも素朴だった。

しかし、だからこそ、探る意図を感じさせない。

 

「あれ、あの時はまだ教えてなかったか。――俺の名前は、アキユキ。竹原アキユキだ」

 

少しだけ間を置き、アキユキは正直に答える。

 

「普段は医者をしてるよ。外科と薬学が専門。怪我人や病人を診て、治す。それが仕事だ」

 

嘘ではない。

隠してもいない。

 

「まぁ……お医者さまでしたか」

 

貼り付けた微笑みはそのままだが、声の温度が、わずかに上がる。

 

「それは……これまで多くの方を救ってこられたのでしょうね」

 

「……はは、そんな大したものじゃないさ」

 

疑う様子はない。

探る気配もない。

 

ただ、事実をそのまま受け取り、納得している。

だが、すぐに次の問いが続く。

 

「では、次に……」

 

ナクセナの視線が、アキユキの顔をじっと捉えた。

 

「十年ほど前……あの街でお会いした頃と比べて、貴方はほとんど変わっていません」

 

言外に含まれた意味は、明白だった。

 

「年を重ねているはずなのに……なぜ、そのように見えるのでしょう?」

 

来たか、と心の中で呟く。

 

(まぁ、気になって当然ではあるな)

 

真なるザムドの力――

その一端が、肉体の老化を極端に遅らせている。

 

だが、それをそのまま語るわけにはいかない。

 

「医者だからね」

 

軽く肩をすくめて、はぐらかす。

 

「肉体を若く、健やかに保つ術にも、それなりに精通してる。そう見えるだけさ」

 

ナクセナは、じっと彼を見つめていた。

嘘を見抜こうとしている……わけではない。

 

ただ、事実をそのまま受け取るかのような視線。

 

「……そう、なのですね」

 

そう言って、彼女は微笑んだ。

貼り付けたままの、その笑みで。

 

結局、彼女はそれ以上踏み込まなかった。

 

「では……最後に」

 

ナクセナは、胎動窟の奥――

閉ざされた巨大な扉へと、視線を向ける。

 

「貴方は――なぜ、大巡礼に?」

 

この問いだけは、明確に違った。

 

「この地を訪れる方の多くは、私のように信仰が目的です。ですが……貴方からは、それとは少し違う雰囲気がするのです」

「祈りではなく……まるで観察者のような」

 

胎動窟の魂の流れが、かすかにざわめく。

 

「……医学者として、だよ」

 

アキユキは、慎重に言葉を選ぶ。

 

「魂の流転という教義を持つ、ルイコン教最大の行事だ。研究者として……興味があったんだ」

 

嘘ではない。

だが、真実でもない。

 

ナクセナはしばらく黙っていた。

貼り付けた笑みを浮かべたまま、何かを量るかのように。

 

――そして。

ほんの一瞬。

その笑みが、消えた。

 

彼女の表情から、貼り付けた笑みが、ほんの一瞬だけ剥がれ落ちた。

そこにあったのは、感情の温度を失った、ひどく冷えた真顔だった。

 

――ゾクッ

 

それは刹那の出来事だった。

だが――アキユキは、確かに見た。

 

「……」

 

心臓が、わずかに跳ねる。

 

(なんだ、今のは……)

 

思わず、息が詰まる。

だが次の瞬間、ナクセナは何事もなかったかのように、再び微笑んでいた。

 

「……なるほど」

 

声も、元通り。

だが、ほんのわずかに、空気が変わった。

 

ナクセナは、胎動窟の奥――閉ざされた扉へと視線を移した。

そして、まるで話題を切り替えるように、静かに口を開く。

 

「ですが……不思議ですね」

 

彼女の視線は、再び胎動窟へ。

 

「この胎動窟の持つ力のような流れが……以前とは、明らかに違っています」

 

その言葉に、アキユキの心臓が、ひとつ大きく跳ねた。

 

「以前、私がここを訪れたときは……」

 

ナクセナは、目を閉じる。

 

「この力の流れが、熱のように溢れていました。抑えきれず、外へ外へと滲み出して……とても、静かに立ってはいられないほどに」

「けれど、今は……完全に、閉じ込められているように思えます」

 

(……まさか)

 

ヒルコがもつ魂の力。

胎動窟のプラーナの流れ。

 

(――感知、している……のか?)

 

アキユキは再び、言葉を失った。

 

ヒルコ。

プラーナの流れ。

それを“感じ取れる”のは――

 

ザムドを除けば――ナキアミをはじめとした、ヒルコの扱いに長けたタマヨビの特性。

しかし、その存在は、現代では完全に失われていたはずだった。

 

(詳しく聞く必要があることだ……。けど――)

 

胸の奥で、警鐘が鳴る。

 

(少なくとも、今ここでは……聞いてはいけないような気がする)

 

彼女は、確かにプラーナを感知している。

にもかかわらず。

 

“知っているはずのことを、語らない”。

 

偶然か。

話の流れか。

それとも――

 

アキユキは、その疑念を、口にしなかった。

 

「……そうか」

 

代わりに、静かにそう返す。

 

ナクセナは、少し残念そうに微笑んだ。

 

「胎動窟の力の流れから……もうじき、中に入って――」

 

その声は、どこか夢見るようで。

 

「天女様に、逢えると思っていたのですが……」

 

そう言ってから、彼女は一歩、後ずさる。

 

「今日は……ここまで、ですね」

 

踵を返しながら、最後に振り返った。

 

「では……また逢いましょう」

 

その言葉を残して。

ナクセナは、胎動窟の闇へと、静かに溶け込んでいった。

アキユキは、その背を見送りながら、動けずにいた。

 

(……一体、何者だったんだ)

 

狐につままれたような感覚。

現実感の欠如。

 

そして、胸に残る、説明のつかない違和感。

 

そう、彼女はヒルコやプラーナを感知できるにもかかわらず――

最近、何度も起きているアニマ=ノアの人工ヒルコによる爆破事件について、彼女は一切触れようとしなかった。

 

偶然か。

話の流れか。

それとも――

 

(……意図的、か)

 

アキユキは、閉ざされた胎動窟の扉を見つめながら、先ほど感じた違和感を、何度も反芻し始めていた。

 

――彼女との邂逅は、きっと偶然ではない。

――そして、この大巡礼は……想像していた以上に、歪んでいるのかもしれない。

 

この邂逅は、始まりに過ぎなかった。

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