爆ぜるような金属音が止んだ。
既に路地の奥では、ヒトガタ兵器の残骸が二体分、既に黒い石となって完全に沈黙している。
現在アキユキは、聖地に赴いてから、既に何度目かになるアニマ=ノアからの襲撃を受けていた。
ただその甲斐もあってか、最初は苦戦した相手でもその性質は既に分かっていたため、対処はそう難しくはなかった。
問題は――その奥。
残骸の影が、不自然に揺らいだ。
「……既に注入してたのか」
アキユキがブレードの柄に手をかける、その前で。
人の形を保っていたはずの刺客が、音もなく崩れ落ちた。
骨格が軋む音も、肉が裂ける悲鳴もない。
ただ、黒だけが増えていく。
影が、影を喰らうように膨張し、やがて人影に似た輪郭を形作る。
――黒い影。
アニマ=ノアが「
「……まったく。今週になってもう三度目なんだけど」
アキユキは、静かに距離を取った。
これまでも何度かあったアニマ=ノアからの襲撃も、最近になって明らかに頻度が増している。
大巡礼が始まる前にカタをつけようって魂胆か。
黒い影は、応えない。
ただ、視線も口もないはずの“顔”の位置が、確実にこちらを捉えている。
そして次の瞬間、音もなく四方から無数の黒い腕が触手のように襲い掛かる。
「……ホント相変わらず、動きが読みにくいなっ……!」
悪態をつきつつも、それら全てをことごとく捌いていく。
前回までとは違い、相手の性質がある程度割れている以上、これまでよりは余裕がある。
アキユキは左手を懐へ滑り込ませ、ウツツダネのワクチンを取り出した。
「効果があればいいけど……聞きたいことも山ほどあるし」
まぁ喋ってくれるとは思えないけどね――と苦笑しつつも、アキユキはブレードにプラーナを纏わせ、最小限の迎撃で衝撃をいなしながら前進していく。
(相変わらず再生が早いな……!)
だが、考える暇はない。
無数の影の腕が、切断されたそばから再生を繰り返し、地面を抉りながらアキユキに迫る。
「よし、抜けた……!」
その刹那。
アキユキは無数の触手のような腕を掻い潜り、黒い影の本体に肉薄した。
ドスッ――!
ワクチンの針が、黒い影の内部へ突き立てられた。
押し込む。
一気に、全量。
「頼む……元に戻ってくれ」
通常なら、ここで反応が起きる。
肉体の構造が崩れ、プラーナの結節点が瓦解し、
数秒以内に水蒸気となり浄化する――それが通例だった。
だが。
何も、起きない。
「……?」
一拍。
二拍。
黒い影には、何も変化がなかった。
(なっ……効き目がないのか?元に戻らないだけじゃなくて、解体すら――)
アキユキの眉が、ほんの僅かに歪んだ。
――想定外。
だが、動揺を一瞬で振り払う。
「……しょうがない。ワクチンが効かないなら――」
アキユキは、後方へ跳び退く。
ブレードを正面に構え、プラーナの流量を一気に引き上げる。
刃が白く、鋭く輝き始める。
「これまで通りだ」
無数の黒い影が、再びアキユキに突進する。
次の瞬間。
アキユキの姿が、掻き消えた。
地を蹴る音すら遅れて届く。
踏み込みから斬撃まで、完全に一連。
「――ッ!」
プラーナを纏ったブレードが、影の中心を正確に切り裂いた。
一閃。
白光が、黒を引き裂く。
黒い影は悲鳴も上げず、文字通り塵となって霧散した。
霧散した黒の名残が、風に攫われて完全に消えるまで、アキユキはその場を動かなかった。
「……やっぱり、解せないな」
ブレードを下ろし、深く息を吐く。
刺客との戦闘が終わった今になって、ようやく頭の中に溜め込んでいた疑問が一気に浮かび上がってきた。
――胎動窟の魂は、なぜ未だに閉じ込められたままなのか。
――あのとき、確かに聞こえた声の正体は何だったのか。
――ナキアミに酷似した、ナクセナと名乗る少女は何者なのか。
どれも無視できない。
だが、今この場で向き合うべきは――ひとつ。
「……あの黒い影、だ」
ここ最近、襲撃のたびに現れる、アニマ=ノア構成員の“変異”。
ヒルコ特有の緑と濁った黒が絡み合う液体を体内に注入された構成員だけが、あの姿へと変わる。
それ以外の条件は、今のところ確認されていない。
「人工ヒルコを……なんだろう、液状化したものの様に見えたけど」
それ自体は、納得がいく。
北政府がかつて行っていた実験資料の中にも、似た構想はあった。
ヒルコを“器官”ではなく、“素材”として扱う発想。
問題は、そこに混ざっていた濁った黒だ。
「あれだけは……現物を押さえないと、何とも言えないなぁ」
少なくともこれまでの襲撃においては、回収は不可能だった。
刺客も、影も、すべて塵になって消えた。
そして、決定的だったのは――。
「まさかワクチンが全く効かないとはね……」
アキユキは、そう呟いてから、視線を落とした。
ウツツダネは、生物であれば例外なく持っているプラーナを一時的に蓄積し、ヒルコの活動を抑制する性質を持つ。
ヒトガタも生物として歪んでいてもなお、その例に漏れずプラーナを持っている。
だからこそ、あのワクチンによってヒトガタは解体できた。
だが、あの黒い影には――何の反応も起きなかった。
(まさか……抑制されるべきプラーナが……存在していない?)
そう考えた瞬間、背筋が冷えた。
物理攻撃はほぼ通らない。
ウツツダネも効かない。
討伐後、石化すらせず、塵となって消滅する。
――まるで、最初から存在していなかったかのように。
「……いや」
アキユキは、首を振る。
「存在していない、じゃない。もう――生きていなかったのか」
肉体は、機能していない。
プラーナも、存在しない。
それでも、確かに“在った”。
残っていたのは、魂だけ。
「……魂だけの存在」
そう口にすると同時に、胸の奥に、嫌な既視感が広がった。
脳裏に浮かんだのは、そう――
――ヒルケン皇帝。
死産した赤子にヒルコを埋め込み、ザムドとして無理矢理生かされていた虚ろな存在。
(……ただ彼は、魂を持っていなかった)
それでも、ヒルケン皇帝は絶大なプラーナを保有していた。
彼から放たれた、無数の生命電流砲による弾幕。
今でもアキユキは、昨日の出来事のように鮮明に覚えている。
――魂とプラーナは、必ずしも結びつかない。
ならば。
魂を持たず、肉体とプラーナだけを持つ存在。
そして――肉体もプラーナも持たず、魂だけが残った存在。
「……これまた随分と対照的、だな」
乾いた笑いが、漏れた。
とても、常識では考えられない推測だ。
だが、これまで見てきた事実と、驚くほど噛み合ってしまう。
辻褄が――合ってしまう。
魂の流転を教義としてきたルイコン教。
その狂信の成れの果てが、魂以外の全てを捨て去ったあの残影だったのか。
「……皮肉なものだよ、ホント」
千年経った現在でも、この大巡礼という舞台の中心にいるのは、”ザムド”と呼ばれているモノの存在だった。
ナキアミとナクセナ。
ヒルケン皇帝とあの黒い影。
アキユキの脳裏で、二組の存在が静かに並び立つ。
まるで歴史の揺り戻しかのように、同じような構図が、役者を変えて再演されている。
「……これもまた運命の巡り会わせなのか」
偶然で済ませるには、出来すぎていた。
アキユキは、ゆっくりと歩き出す。
「……一旦、頭を冷やそう」
考えるには、ここは落ち着かなすぎる。
瓦礫と血の臭いがまだ残る路地裏で、いくら頭を巡らせても、思考は同じ場所を回り続けるだけだ。
アキユキは軽く肩を回し、右腕のヒルコの感覚を確かめるように指先を動かした。
「……落ち着ける所が良いな」
そう呟き、アキユキは踵を返した。
聖地から少し離れた市街地は、先ほどまでの緊張感が嘘のように、穏やかな喧騒に包まれていた。
巡礼者と地元民が入り混じり、露店の呼び声や、馬車の鈴の音が行き交う。
この“日常”の中に身を置くことで、ようやく呼吸が整っていくのを感じた。
目当ての喫茶店は、以前にも何度か利用したことのある小さな店だ。
古びた木製の扉を押すと、豆を挽く音と、ほのかに甘い香りが鼻をくすぐった。
「いらっしゃいませ」
軽く会釈を返し、カウンターで簡単に注文を済ませる。
熱い飲み物が欲しかった。
頭を冷やすには、逆説的だが、こういうときは温度のあるものがいい。
カップを受け取り、空いている席を探して視線を巡らせた、その時だった。
「…………あれは」
思わず、足が止まる。
窓際の席。
柔らかな外光が差し込む場所で、一人の少女が本を読んでいた。
満月を思わせる淡い髪。
静かにページをめくる指先。
そして、その横顔。
(……これは驚いたな)
視線が、吸い寄せられるように固定される。
間違えようがない。
つい先ほど、胎動窟で対峙したばかりの少女。
「……ナクセナ?」