千年後まで御機嫌よう   作:エクシーク

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第14話:月影 ―犇めく黒影―

月光が廃墟の石畳を青白く照らす中、アキユキを包囲した五つの影が静かに着地した。

 

その異様な集団を前に、アキユキは息を呑んだ。

 

四人は白い装束に身を包んだ、見るからに鍛え上げられた体格の男たちだ。顔は厚いベールで覆われ、表情を窺い知ることはできない。

 

だが、アキユキの目を釘付けにしたのは、その中央に立つ五人目の人物だった。

 

体格の良い男たちに守られるように佇むその影は、黒い儀礼服を纏った、驚くほど華奢な少女に見えた。

 

「……教祖様、危のうございます。どうかお下がりくださいませ」

 

傍らにいた男の一人が、恭しく、それでいて強い忠誠心を滲ませた声で告げる。少女――アニマ=ノアのトップである「教祖」は、その言葉に従うように数歩後ろへ退いたが、アキユキに向けるその気配には微塵の揺らぎもなかった。

 

(……教祖?あれが教祖だって?それに……)

 

アキユキは一瞥しながら、内心で激しい衝撃を受けていた。世界を人工ヒルコの毒で塗り潰そうとしている組織の長が、これほどまでに幼く儚げな少女であるとは。

 

さらにアキユキの警戒を煽ったのは、彼女がその両手で大事そうに抱えているものだった。それは装飾の施された黄金櫃のような箱だったが、その隙間からは、かつて見たどのヒトガタよりも、そしてどの人工ヒルコよりも「不気味な気配」が、どす黒い霧のように漏れ出していた。

 

(それに、なんだあの櫃は……?人工ヒルコとは明らかに違う。ひどく濁った、吐き気のするような気配がする)

 

その黄金櫃から漏れ出るのは、命を冒涜するような不浄な波動だ。アキユキの右腕のヒルコが、警告を鳴らすように激しく熱を帯びる。

 

そしてこの場において、未だ教祖は一言も発さない。ベールの奥の視線がアキユキを射抜いていることだけが、肌を刺すような冷気として伝わってくる。

 

少女が射程外へ逃れると同時に、残りの三人が一斉に踏み出した。

 

(……解ってるよ。どうせまたアレを使うんだろ)

 

アキユキは、彼らが懐へ手を滑り込ませた瞬間を見逃さなかった。これまで何度も目にしてきた、黒い影へと変異するための不浄な液体。

 

アキユキは神経を研ぎ澄ませた。

これまでの刺客と同様、彼らもまた、あの黒い液体――人工ヒルコを液状化した変異薬を所持しているはずだ。

 

(懐から取り出した瞬間、投与する前に叩く。隙さえ見せれば、一人も変異させずに終わらせる……!)

 

アキユキはザムドの動体視力を極限まで引き上げ、敵の手元に全神経を集中させた。コンマ数秒、指先が動くわずかな「呼び動作」さえあれば、そこを起点に一気に肉薄するつもりだった。

 

だが。

 

「「「真理を、この身に」」」

 

三人の男たちが、呟くように唱えた。

 

(今――!) 

 

アキユキが地面を蹴ろうとした、まさにその刹那。

思考よりも速く、敵の動きが世界を追い越した。

 

「……っ!?」

 

驚愕がアキユキの全身を突き抜ける。

彼らが懐から注射器を取り出し、自らの首筋に突き立てるまでの動きには、驚くほど「起こり」がなかった。

 

通常の人間であれば、腕を引く、肩を上げるといった予備動作が必ず発生する。しかし、目の前の三人の動作は、あたかも最初からそこに腕があったかのように、滑らかで、洗練され、不気味なほど無駄が削ぎ落とされていた。

 

止めようとしたときには、既に針は肉を貫いていた。

投与を阻止しようと伸ばしかけたアキユキの手は、むなしく空を切る。

 

「くっ……随分と手際がいいじゃないか……!」

 

アキユキが立ち止まったまま動けずにいる目の前で、三人の男たちの身体が歪に膨張し始めた。白い装束が内側からの圧力で裂け、あの忌まわしい黒い影が、月光を飲み込むように溢れ出していく。

 

呼び動作のない、完璧な「暗殺」の動き。

それは、アニマ=ノアがこれまでの戦闘データを蓄積し、竹原アキユキという脅威を排除するために研ぎ澄ませた、最悪の結晶の一つでもあった。

 

広場に、肉が腐り落ちるような、そして魂が軋むような異音が響き渡る。

変異を許してしまった三体の「黒い影」が、不気味な蠢きと共にアキユキへとその視線を向けた。

 

 

 

 

「「「……我ラコソ、純然タル真理の化身(ザムド)ナリ」」」

 

(なっ……喋った……!?いやそれ以前に、黒い影になっても、自我を保っているとは……!)

 

三体の黒い影が同時に口を開いた。その声は、擦れた砂同士が噛み合うような、ひどく不快な重低音だ。

 

これまでの個体と同様、彼らからは生命の証であるプラーナは一切感じられない。しかし、決定的な違いがあった。

 

「チッ、まさか連携をとってくるとはね……っ!」

 

アキユキは舌を打った。

一体が正面から黒い腕を触手のように伸ばして視界を奪い、その影に潜むようにして残りの二体が左右から回り込む。その動きには、明らかに「個」としての意思と、互いを補完し合う計算があった。

 

左右から伸びる黒い触手の腕を、身体を捻って紙一重で避ける。だが、その回避行動すら読まれていたかのように、正面の影が黒い飛沫を弾丸に変えて放ってきた。

 

「くっ……!」

 

ザムド化した両足で石畳を蹴り、空中へ逃れる。しかし、即座に三体の影が跳躍し、空中でアキユキを包囲した。

 

(マズいな……。この近くでデカい生命電流は使いたくない)

 

背後には胎動窟がある。

あの中に眠るナキアミの静寂を乱すような真似は、万に一つもしたくなかった。派手な破壊を避け、最小限の挙動で致命傷を凌ぐ――。その制約がアキユキを防戦一方へと追い込んでいた。

 

「無駄ダ……。竹原アキユキ」

「我ラニ……降レ。教祖様ハ……慈悲深イ。従エバ……情ケヲ……」

 

影たちが、片言ながらも明らかな挑発を口にする。アキユキは着地と同時に重心を低く構え、鋭い視線で彼らを射抜いた。

 

「……ハッ、やだね。アンタらの言う『慈悲』なんて、虫唾が走るんだよ」

 

吐き捨てるように返すが、黒い影たちは揺るがない。むしろ、獲物を追い詰めた確信からか、その言葉はさらに残酷な真実へと踏み込んでいった。

 

「……ソレデ……良イ。オ前ノ……意思ナド……不要」

「モウジキ……アノ天女ハ……我ラガ箱舟ノ……旗印トナル」

「天女コソ……我ラガ真理ノ……大義名分……ソノ器ニ……」

 

その言葉が、アキユキの鼓膜に届いた瞬間だった。

 

(………いい加減にしろよ)

 

景色から色が消えた。

頭の中の何かが、パチンと音を立てて千切れた。

沸騰するような怒りが沸き起こるかと思いきや、アキユキの感覚は逆に、恐ろしいほどの静寂と「冷たさ」に支配されていった。

 

彼の周囲の空気が、物理的な重圧を伴って凍りつく。

右腕のヒルコが、これまで見たこともないほどに深く、濃い蒼色の光を放ち始めた。

 

「……旗印、だって?」

 

アキユキの低い声が、広場の空気を震わせる。

 

「彼女を……一体何だと思っている?」

 

黒い影たちが、一瞬だけ動きを止めた。アキユキから立ち昇る気配が、それまでとは次元の違う「死」を孕んでいたからだ。

 

「……天女ハ……真理ノ……」

 

「もういい」

 

キィィ―――ン……

 

一瞬。

中心にいた黒い影の一体は、何が起きたのかを理解する暇さえなかった。

気づいたときには、既にその胸部から腹部にかけて、巨大な「風穴」が穿たれていた。

 

音速を遥かに超える速度で放たれた一撃。

それはアキユキが以前、ヒトガタ兵器を沈めた際の出力を遥かに上回る、超高密度の生命電流弾だった。

 

影を構成する物質が、プラーナの熱に耐えきれず瞬時に蒸発していく。

 

「……ア…………」

 

影は絶叫すら上げられず、その場でひび割れた硝子のように崩れ落ち、塵となって夜風に消えた。

 

「なっ……!?」

「バ……バカナ……!」

 

残りの二体、そして教祖の傍らに控えていた構成員が、狼狽の声を上げた。彼らが視認できたのは、アキユキの掌から放たれた蒼い光の残光だけだった。

 

「口を開くたび、真理だの箱舟だの……」

 

アキユキはゆっくりと顔を上げた。

その瞳には、もはや慈悲の欠片も残っていない。

 

「耳が腐る」

 

「オノレ……コノ異端者ガ!」

 

正気を取り戻した二体の黒い影が、死に物狂いの連携でアキユキへと襲いかかる。四方から影の触手が網のように広がり、退路を断とうとする。

 

だが、今の彼にはそんな小細工など、止まっているも同然だった。

 

「舐めるな……」

 

アキユキの身体が霞む。

右腕のブレードが、最大出力のプラーナを受けて白熱し、空間を歪めるほどの熱量を帯びた。

 

「俺を誰だと思っているんだ」

 

激昂と共に振るわれた刃が、月の光さえも切り裂いた。

 

左右から迫っていた黒い影たちは、アキユキに触れることすら叶わなかった。

精密かつ圧倒的な速度で繰り出された連撃は、影たちの「再生」が始まるよりも早く、その存在を数千の断片へと解体した。

 

「ガ……ァ……ッ!」

 

断末魔のようなノイズを残し、二体の影は塵へと還った。

 

 

 

広場に残ったのは、冷たい月光と、荒い息をつきながら立ち尽くすアキユキ。

 

塵となって消えていく影の残滓が、夜風に巻かれて消えていく。

 

荒い呼吸を繰り返しながら、アキユキは自分の右腕を見つめた。熱を帯び、蒼く光り続けるブレードの刃。そこに宿る殺意は、かつてないほど鋭く、冷徹だった。

 

(……俺は今、何をしていた?)

 

ふと、我に返る。

 

ナキアミへの侮辱に、理性が焼き切れた。その瞬間、彼の内側にあるヒルコが歓喜するように跳ね、破壊の衝動が全身を駆け抜けたのだ。

 

ザムドが堕夢人(ザムド)として自我を保ち、石化の運命から逃れ続けるためには、常に己の深淵と向き合い続けなければならない。感情に身を任せ、思考を止めたとき、人は人でなくなり、ただの異形へと成り果てる。

 

かつて、まだザムドとして歩き始めたばかりの未熟なアキユキは、何度も怒りに呑まれ、暴走し、そのたびに自分を見失いかけた。

 

そんな彼の手を引き、暗闇の底から救い出してくれたのは、いつだってあの少女だった。

 

『考えろ、アキユキ』

 

耳の奥で、千年前の声が鮮明に蘇る。ぶっきらぼうで、けれど誰よりも温かかったナキアミの導き。彼女の懸命な支えがなければ、アキユキは尖端島へ生還することなど叶わず、ましてや「真なるザムド」として覚醒することもなかっただろう。

 

千年の時を「魂の導き手」として孤独に歩みながらも、彼が一度として道を外れなかったのは、彼女が遺したあの言葉が、今も彼の魂の楔となっているからだった。

 

「……ごめん、ナキアミ。また、君に叱られるところだった」

 

胎動窟の方を一瞥しながら、アキユキは深く息を吐き出した。蒼い輝きが静かな色を取り戻し、刺すような殺気が霧散していく。

 

だが、感傷に浸る時間は与えられない。

アキユキが顔を上げると、そこには教祖を守るように立ちはだかる最後の一人の側近がいた。

 

「異端者め……! 教祖様の前で、よくも……ッ!」

 

男の手が、懐へと滑り込む。

先ほどの刺客たちが見せた、予備動作の一切ない、洗練された「投与」の動き。コンマ数秒後には、目の前の男もまたあの冒涜的な影へと変じるはずだった。

 

しかし。

 

「二度は通用しないよ」

 

アキユキの身体が、男の視界から消えた。

一度その動きを「見て」いたアキユキにとって、起こりのない動作すらも予測の範疇だった。

 

男が注射器を首筋に触れさせるよりも早く、ザムド化したアキユキの硬質な腕が男の喉元を捉えた。

 

「ガ……ッ!?」

 

ギリギリと締め上げられる頸部。男の意識が急速に遠のき、その手から注射器が力なく滑り落ちて石畳に砕ける。アキユキはそのまま男を地面に組み伏せ、完全に意識を奪った。

 

 

 

 

アニマ=ノアに動ける駒がいなくなったいま、アキユキはゆっくりと立ち上がり、残された「教祖」へと向き直った。

 

不思議なほど、先ほどまでの激昂は消え失せていた。

目の前にいるのは、あまりにも華奢で、無力な少女の影だ。

 

だが、それだけではない。

 

彼女が纏っている空気が、その存在の揺らぎが、アキユキの知っている「誰か」とあまりにも重なっていた。

 

「……はじめまして、じゃないよね」

 

アキユキの静かな声が、夜の広場に響く。

 

少女は黄金櫃を抱えたまま、微動だにせずアキユキを見つめている。不気味な気配を漏らし続けるその櫃さえ、彼女の一部であるかのように馴染んでいた。

 

「……“君”なんだろう?」

 

確信を込めた問いかけ。

アキユキは彼女の瞳の奥にある、冷たい虚無を知っていた。

 

しばしの沈黙。

 

やがて、少女の細い指が、顔を覆っていた漆黒のベールに掛かった。

それはゆっくりと、けれど一切の躊躇なく取り払われる。

 

「……改めまして」

 

鈴を転がすような、けれどどこか空虚な響きを湛えた声。

月光の下に露わになったのは、満月のような淡黄色の髪と、夜空を映したような黒い瞳。

 

「私はアニマ=ノア最高司祭、ナクセナと申します」

 

そこには、昨日アキユキとコーヒーを挟んで向かい合い、縋るような目で”救ってほしい”と請うたあの少女と、全く同じ顔があった。

 

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