千年後まで御機嫌よう   作:エクシーク

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第19話:降臨 ―真なる救世主―

ナクセナの衝撃的な報告を受け、アキユキは拠点を飛び出した。

彼の背後で閉まった扉の音さえ、今の彼にはもどかしかった。心臓の鼓動が、右腕のヒルコと共鳴して激しく脈打つ。

 

(……間に合え、間に合ってくれ……!)

 

アキユキは迷わず、背中に6つの羽を生やし、脚をザムド化させた。

 

本来、人目に付く場所でザムドの力は行使すべきではないが、数キロ先の胎動窟周辺から漂ってくる、あの吐き気を催すほどに禍々しい気配の奔流――アニマ=ノアの集団の接近――を感知した今、迷っている暇は一秒たりともなかった。

 

「はぁっ……!」

 

ザムドの脚力が地面を爆ぜさせ、アキユキの身体は一筋の蒼白い弾丸となって空を駆け抜けた。風を切り、重力を無視して岩場を跳躍する。

 

やがて視界が開け、湖畔の中央に鎮座する胎動窟が見えてきた。

しかし、アキユキはそこで息を呑んだ。

 

「間に合った……っ、けど……!」

 

そこには、大巡礼を目前に控えた不特定多数のルイコン教信者たちが集結していた。老若男女、巡礼服を纏った彼らは、突然上空から舞い降りた蒼い光――光の羽を生やしたアキユキの姿に、畏怖と混乱の声を上げる。

 

「何だ、今のは!?」

「空から落ちてきたぞ……!?」

 

アキユキは着地の衝撃をいなしながら、人間の姿に戻ると、必死に声を張り上げた。

 

「みんな、聞いてくれ! ここを離れるんだ! アニマ=ノア……あの自爆テロを起こしまくった集団が、もうすぐここを襲撃してくる!」

 

だが、平和な巡礼の空気に浸っていた信者たちに、その警告はすぐには届かなかった。彼らは互いに顔を見合わせ、戸惑うばかりで動こうとしない。

 

「何を言っている、お若いの」

「ここは聖域だぞ、そんな不吉なことを言うもんじゃない」

 

「いいから逃げるんだ!もう時間がない!」

 

アキユキの必死の叫びが虚しく夜空に消えかけた、その時。

湖畔を囲む崖の上から、無数の松明の火が揺らめき、あの不浄な祈りの合唱が響き渡った。

 

ドォォォォォォ……!

 

地響きと共に現れたのは、白灰色の装束に身を包んだ、アニマ=ノアの構成員たち。その数は百を超え、整然とした足取りで胎動窟への包囲を完成させていく。

 

「……ちっ、随分と早いじゃないか……!」

 

事態はさらに最悪な方向へと加速する。

構成員たちの約半数が、一斉に懐からあの黒い注射器を取り出し、躊躇なく自らに投与したのだ。

 

「真理を……この身に!」

「今こそ、天女の降臨を!」

 

悲鳴のような祈りと共に、男たちの肉体が内側から弾け、漆黒の霧が立ち昇る。

月光を飲み込むようにして現れたのは、その半数が既に黒い影となった、百にも上る禍々しい軍勢。

プラーナを完全に邪悪なヒルコへと書き換えられた、虚無の兵器たち。

 

その光景を目にして、ようやく信徒たちは、自分たちの身に迫る死の恐怖を理解した。

 

「な、なんだあいつら……」

「ばっ、化け物だ!」

 

広場は瞬く間にパニックへと陥った。逃げ惑う信者、転倒する老人、泣き叫ぶ子供。

 

しかし、黒い影たちは慈悲など持ち合わせていない。彼らの目的は胎動窟の破壊と、アキユキという怨敵の排除。

 

「……させるか!」

 

アキユキは右腕をブレードへと変形させ、信者たちの盾となるように立ちはだかった。

 

数体の黒い影から無数の触手が同時に襲いかかる。アキユキはブレードと生命電流弾を駆使してそれらを撃ち落とすが、多勢に無勢。背後に守るべき一般人がいるため、派手な広範囲攻撃は使えず、動きを制限されてしまう。

 

「くっ……避難が済むまで持たせられるか……!」

 

四方八方から伸びる影の触手。アキユキは信者を庇い、その一撃を自らの肩で受けながら、歯を食いしばった。

 

防戦一方の絶望的な乱戦。

 

襲いくる百体の影を殲滅すること自体は、今の彼にとって不可能ではない。だが、周囲には逃げ惑う無実の信徒たちが溢れている。下手に広範囲のプラーナを放てば、彼らを巻き込んでしまう。その「制約」が、アキユキの動きを縛っていた。

 

無数の黒い腕を斬り払い、また小規模の生命電流弾も駆使しながら、弾き飛ばす。

けれど、一向に減らない影の奔流に、アキユキの表情が険しさを増していく。

 

その時だった。

 

上空から、不吉な風切音が聞こえてきた。

アキユキが視線を上げると、雲の間から、鈍く光る巨大な飛行船が姿を現した。

 

(……なんだあれは……!?)

 

飛行船の腹部が不気味に開く。

そこから、複数の巨大な筒状の物体が、杭のように地面へと投下された。

 

ドォォォォォン!!

 

広場の石畳に突き刺さった、巨大な円筒。

それを見た瞬間、アキユキの背筋を戦慄が駆け抜けた。

 

「……バカな……。あれはまさか……」

 

忘れるはずがない。

 

1000年前、彼がまだザムドとして歩き始めたばかりの頃。

 

国際郵便船ザンバニ号の甲板に、北政府の戦艦から投下された、あの忌まわしき「分離型ヒトガタ兵器」の投下ポッド。

 

あのときと同様、筒状の塊が分離し、溢れ出してくる無数のヒトガタたち。

 

アキユキは奥歯が砕けるほどに噛み締め、右腕のヒルコを激しく咆哮させた。

 

ナキアミの眠る扉のすぐそばで、世界は再び、一人の少年にあまりに過酷な試練を与えようとしていた。

 

「……ああ、くそっ。……やるよっ、やればいいんだろっ!」

 

アキユキの蒼いプラーナが、絶望に染まりかけた広場を激しく白熱させた。

 

 

 

 

 

広場は地獄と化していた。

 

石畳を穿つ巨大なポッドから次々と這い出してくる、かつての北政府の遺物――分離型ヒトガタ兵器。それらは、自我を失い黒い影と化したアニマ=ノアの構成員たちと混ざり合い、唸りを上げる黒い波となってアキユキを飲み込もうとしていた。

 

「はぁっ、はぁっ……!」

 

アキユキの奮戦により、信者たちの大部分は聖域の奥へと続く街道へ逃げ延びつつあった。だが、それと引き換えにアキユキ自身の疲弊は限界に達し始めていた。

 

(……解体してやりたい。せめて、このヒトガタたちだけでも……!)

 

アキユキは懐に忍ばせたウツツダネの入った容器の感触を確かめる。だが、眼前には十を超える黒い腕が、背後からはヒトガタの放つ生命電流砲が迫っている。一人の魂を浄化するために僅かな隙を許せば、その隙に胎動窟の扉が破壊されるか、逃げ遅れた信者が肉塊に変えられる。

 

(無理だ……これだけの数は、いくら何でも捌ききれない。ここは……解体より、物理的に『殲滅』するしかないのか……?)

 

脳裏に、冷徹な生存本能が囁く。

 

ヒトガタの解体を諦め、高出力の電流砲で黒い影ごと焼き払えば、被害は最小限に抑えられる。胎動窟の中のナキアミを守るためなら、それが最も『合理的』な判断だ。

 

(そうだ、後ろにはナキアミもいる。彼女を守るためにも、今は――)

 

 

――『共に生きる』、そう言っていたはずだろ――

 

刹那、耳の奥で、千年前の涼やかな声が響いた。

それは幻聴。けれど、どんな爆音よりも鮮明に、アキユキの魂を貫いた。

 

ハニューザの村。

石化しゆく大型ヒトガタからナキアミを引き剥がしたあの日。

『共に生きる』と誓いながら、自分を助けようとしたアキユキに向けられた、彼女の悲しげな嘲笑。

 

『ヒトガタは別なのか?随分と都合がいいな』

 

心臓が、早鐘を打つ。

続いて蘇るのは、ザンバニ号の甲板で、空に投げ出された自分をさらった彼女の、祈るような瞳。

 

『解体は本当の解決じゃない気がするんだ。切り離された人生の続きを、もう一度歩ませてやりたい』

『こいつらは、私達と何も変わらない!』

 

無数のヒトガタ兵器に襲撃され、座礁したザンバニ号で、彼女は傷ついたヒトガタの魂を浄化してやれず、己の無力さに涙を流していた。そんな彼女を見て、アキユキもまた自分の至らなさを呪った。

 

アキユキは、無意識のうちに自嘲の笑みを浮かべていた。

 

そうだ。かつて自分を導いてくれたあの少女は、いつだって救いようのないほどに愚かで、危ういほどに優しかった。

 

(……ああ、そうだった。俺はそんな君の優しい我儘が……愚かさがたまらなく好きだったんだ)

 

自分の身を顧みず、異形へと成り果てた者たちの哀しみにまで寄り添おうとする。その献身こそが、かつての残酷だった世界に残された唯一の光だったのだと、千年経った今、ようやく心の底から理解できた。

 

(この不届き者たちに知らしめてやらないとな。俺たちが紡いできた想いは不滅なのだと。幾千の時を越えても、朽ちることは無いのだと)

 

敬愛する人たちとともに戦った、かつてのザンバニ号での死闘。

あの時と同じ熱が、アキユキの全身を駆け抜ける。

 

アキユキは、右腕のブレードを静かに解いた。

代わりに、全身のプラーナを内側へと逆流させる。

 

「ナキアミ。君なら、その全てを救おうとするんだろうな。たとえ、誰にも望まれてなくても、誰も願ってなくても、『生きたい』と彼らが願っているのなら……」

 

アキユキの身体から、蒼い光が霧となって溢れ出す。

その密度は瞬く間に増し、周囲の黒い影たちが、その神聖な圧力に耐えきれず後退を始める。

 

「だったら、俺がその我儘を叶えてやるよ。……アンタらアニマ=ノアが、どれだけ命を冒涜しようとも」

 

アキユキの額から蒼いヒルコが生まれ、その顔面を仮面のような、白いザムドの〈顔〉が覆い尽くす。

 

「その魂の続き……俺が導いてやるッ!」

 

激昂と共に、アキユキの肉体が光の繭に包まれた。

バキバキと骨が組み換わり、外殻が再構成される音。

 

悠久の時を超え、再び現世に舞い降りた究極の生命体。

 

――白き従者、又の名を真なるザムド。

 

まばゆい白光が胎動窟の広場を昼間のように照らし出した。

 

光の中から現れたのは、かつてのどのザムドよりも美しく、どの神話よりも峻厳な、白き導手の姿。

 

アキユキは、千年の眠りを経て完全に制御されたその強大な力を、今、すべての「哀しき隣人」を救うために解き放った。

 

 

 

 

 

 

 

竹原様が去ったあとの拠点は、驚くほど静かでした。

 

窓から入り込む冷たい夜風が、彼が愛用していた薬と清潔な石鹸の匂いを、ゆっくりと連れ去っていきます。

 

私はベッドの端に腰掛け、包帯が巻かれた自分の手足を見つめていました。

 

アニマ=ノアの構成員に突き飛ばされたという「悲劇の教祖」を演じるために、自らの身体に傷をつけ、修道服を引き裂いた。その痛みさえ、今の私には甘美な儀式の準備に過ぎません。

 

(……本当は、教える必要なんてなかった)

 

ふと、思考の裏側で冷淡な自分が囁きました。

 

本物の天女を確実に葬り去りたいのであれば、竹原様には何も知らせず、暴走した構成員たちにあの扉を無慈悲に粉砕させるのが最善だったはずです。

 

けれど、私の内なる渇きが、それを許しませんでした。

 

幼い頃からアニマ=ノアの暗い書庫で、ボロボロになるまで読み耽り、その挿絵の人物を指先で幾度となぞり続けてきた、あの福音の伝承。

そこに描かれた、光り輝く「白き従者」の真の姿。

 

竹原様。貴方が本当にあの物語の主役であるのなら。

 

私の目の前で、その絶大な力を解き放ってほしい。

アニマ=ノアの総力を挙げた軍勢さえも、赤子のようにひねり潰す、あの神話の顕現をこの目でどうしても見てみたい。

 

(激闘は必至……けれど、貴方は負けない。私は信じる)

 

その刹那でした。

 

「っ……!?」

 

心臓が、跳ね上がりました。

肺の空気が一瞬で奪われ、全身の毛穴が逆立つような強烈な衝撃。

 

遠く、胎動窟の方角から、これまで感じたことのないほど巨大で、清澄なプラーナの奔流が押し寄せてきたのです。

 

それは、アニマ=ノアが作り出す泥のような人工物とは、次元そのものが異なる輝き。夜の闇を物理的に塗り潰し、世界の理を書き換えてしまうほどの、峻厳なる命の叫び。

 

(ああ……ああ、間違いない、これだ……!)

 

震えが止まりません。

痛みでも、恐怖でもなく、心臓の奥からせり上がる、病的なまでの歓喜。

 

遂にあの御方がこの地に舞い降られた。

千年の時を渡り、物語の彼方へ消えたはずの『白き従者』が、いま、私の指呼の間に降臨なされた。

 

「あはっ……あはははは……っ!」

 

乾いた笑いが、喉の奥から零れました。

目から涙が溢れ、貼り付けた微笑みは、もはや制御不能な狂喜へと歪みます。

 

「やはり貴方だった……。貴方こそが、私の、私の『白き従者』様……!」

 

私はベッドから飛び起きました。

傷ついたはずの足取りは、羽が生えたように軽やかでした。

 

拠点から出立した私を見て、「先生が安静にと言っていただろ!」と駆け寄ってきた住民たちの制約など、今の私には虫の羽音にも等しいものでした。

 

「……ご心配痛み入ります。ですが、お構いなく」

 

氷のような声一言で彼らを硬直させ、私は部屋の隅に置かれた、あの邪悪なヒルコを封じた黄金櫃を抱き上げました。

 

封印の隙間から漏れ出す、胃を掴むような不浄な気配。

けれど、今の私にはこの重みさえ愛おしい。

 

これが、私の『業』。

これをあの御方の蒼い光で焼き尽くしてもらうことこそが、私の至上の救済。

 

「……『白き従者』様。今、行きます」

 

周囲の制止を振り切り、私は拠点を飛び出しました。

夜の街道を、月光を浴びながら、一心不乱に胎動窟へと駆け抜けます。

 

待っていてください、私の『白き従者』様。

今こそ、この私という『偽り』を知らしめましょう。あの『本物』をも凌駕し、貴方の心を埋め尽くして差し上げましょう。

 

駆ける私の影が、孤月の下で黒く、歪に伸びていきました。

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