はじまりは祈りだった。
それは太古、ルイコン教の黎明期において「魂は流転し、肉体はその器にすぎない」と説かれた、穏やかな信仰の形であった。
死者を恐れず、輪廻を敬い、魂の還る場所を尊ぶ――それが彼らにとっての“救い”であった。
しかし、時の流れは思想を腐らせる。
数百年の時を経て、教義は記憶の層に埋もれ、言葉は伝承の中で形を変えていった。
やがて、人々の間で囁かれるようになったのは、こうした言葉であった。
「肉体は穢れ、魂は結晶となる」
「我らは死を通じ、真理に触れる」
この言葉が、後にかつての狂信を生み出す種となった。
彼らが最初に姿を現したのは、およそ三百年前のこと。
大陸の北端、雪に閉ざされた、とある廃都においてであった。
飢えと疫病で荒廃した地において、ある教主が現れた。
その者は滅びゆく信徒たちに、まるで救済者のように語りかけたという。
「この世界の真理は、すでに形を持っているのだ」
「それがヒルコである。死を超え、魂を留める器だ」
こうして、ルイコン教の教義は歪められた。
“魂の循環”を重んじるはずの信仰は、いつしか“魂を結晶として永遠に留める”という異形の思想へと変貌していったのだ。
教主の説く「真理」を受け入れた者たちは、自らの死を恐れなくなり、むしろ歓喜をもってそれを受け入れた。
そして、死者の魂を宿したヒルコを「真理の結晶」と称え、その光を崇拝しはじめた。
やがて彼らは、自らを“アニマ=ノア”と名乗った。
「魂(Anima)」と「方舟(Noa)」という二重の救済の象徴を重ね、“魂の還る方舟”=「ヒルコこそ人類が目指すべき真理であり、我々はその真理へと導く方舟である」 という思想を体現したものである。
彼らはヒルコを奪い、分け与え、増やし、そして世界を「ヒルコに還す」ことを目的とした。
その理想は狂気そのものであった。
彼らは人の命を「循環を止めた未熟な魂」と見なし、
それをヒルコに取り込ませることで「完成させる」行為――すなわち自爆――を“奉納”と称したのだ。
惨劇の中で祈りを捧げ、血と灰の海で「流魂の詩」を唱える。
死にゆく間際、誰もが笑っていたという。
なぜなら、彼らにとって死は終焉ではなく、“真理に溶ける歓び”であったからだ。
皮肉にも、彼らが模倣したのは、かつてサンノオバの意向で引き起こされた、ザムドを生み出すための爆発事件と酷似していた。
しかし、そこには決定的な違いがあった。
サンノオバたちが扱っていたのは、サンノオバの秘術によってのみ生成される“真正ヒルコ”――
死者の魂を包み、ザムドを生みだすことのできる、神性を宿した存在だった。
だが、アニマ=ノアの用いるのは“人工ヒルコ”であった。
それは、魂の記憶を持たず、ただ肉体を食い破り、生命の殻を模倣するだけの偽物。
そこから生まれるのは、もはや人でもザムドでもない――かつてヒトガタと呼ばれていた、虚無の影にすぎなかった。
彼らはその違いを知らなかった。
あるいは、知ろうとしなかった。
生まれ落ちたヒトガタたちを「
無数の街が血に沈み、聖堂が崩れ、空には灰色の風が舞った。
それでも彼らは言うのだ。
「我らの祈りは届いた。世界はヒルコに還る」
その声は、やがて宗教ではなく“疫病”となった。
思想は理性を食い、信仰は命を削り、祈りは血で書かれた預言書へと変わっていく。
そして今――千年ぶりの大巡礼を前に、アニマ=ノアは再び蠢き始めている。
彼らの旗には、かの"天女"の姿が描かれていた。
その身体には太母のヒルコが絡みつき、その瞳はまるで世界の救済を見通しているかのようだった。
彼らが“天女”――ナキアミの存在を知ったのは、ある古文書の発見がきっかけだった。
アニマ=ノアが誕生してから数十年後、北の大地にあるオオユエの遺跡群の一角で、半ば風化した文書が見つかった。
その表紙にはこう記されていた。
『白き従者と天女の福音』
この書を遺したのは、かつて胎動窟の管理人であり、アキユキとナキアミの旅の証人でもあった青年、シロザだった。
彼は髪をたなびかせながら、終わりなき静寂の洞窟で人々を迎え入れ、
その口で、紙で、石壁に、二人の物語を刻み続けたという。
白い髪と澄んだ瞳を持つ青年であった。
かつて、アキユキとナキアミが命を賭して世界を救った後も、シロザはその地に留まり続け、すべてを見届けた一人でもある。
彼は、滅びの跡に佇む聖地で、何年も胎動窟を管理してきた。
そして訪れた旅人たちに、このような言い伝えを残したという。
「天女は太母の夢より生まれ、白き従者と共にこの世を渡り歩いた。
彼らは人々を救い、ヒルコを鎮め、やがて長い旅路の果てに眠りについた」
彼は、その物語を“伝説”ではなく“記録”として残そうとした。
それは確かにあった事実――救済と別離、そして再生の物語。
だが、時の流れは残酷だった。
シロザが没してから数百年、伝承は断片化し、神話として語り継がれるうちに、いつしか本来の意味を失っていった。
そしてアニマ=ノアの手に渡ったとき、それは狂信の礎と成り果ててしまったのだった――。