レゼを抱えたまま、冷凍庫の外へ出た。
冷たい空気が肌に張りつく。吐いた息が白くほどけて、夜の暗がりに消えていく。
外はもうとっくに日が沈んでいた。空の端だけが薄紫に染まって、街灯の光が滲んでいる。
先生が先に歩いていく。
その背中を追いながら、俺は腕の中の重みを確かめた。
軽い。あの頃みたいに笑って肩を叩いてくる重みなんて、もうどこにもない。
抱きしめるたび、氷みてぇな冷たさが服を通り抜けて、胸の奥まで沁みてきた。
車の横に着く頃には、指先の感覚がほとんどなかった。
それでも、どうしても離したくなかった。
たとえ壊れちまうとしても、二度と手放すつもりはなかった。
先生が無言でバンのドアを開ける。
中から吹き出すエンジンの熱がほのかに温かくて、感覚の無くなった指先にじんわりと血が戻るような気がした。
俺はレゼを抱えたまま、ゆっくりと後部座席へと乗り込んだ。
けど、横たえられた状態で凍ってるもんだから、なかなか上手くはいかない。結局、後部座席を全部倒して、衝撃がレゼにいかねぇように、俺が布団みてぇになって抱きしめる格好になっちまった。
「変なカッコだな」
「なんとでも言ってください。レゼを守るためならこれくらいどうってことないっすよ」
寝ながら先生にVサインを送った。
⸻
「なァ……先生」
「……」
タバコをふかしながら運転する先生に声をかけたが、反応はない。車内には、エンジンの唸りとタイヤが地面を擦る低い音だけが響いていた。
「先生ってば……聞こえてます?」
「……」
おかしい。絶対に聞こえているはずだ……。聞こえないふりか? そっちがその気なら、とことんやってやるよ。
「おぅい!! センセ〜!? 聞こえてますかァ〜!?」
先生の鼓膜をぶち破る勢いで叫んだ。そのせいでちょっとだけ喉が痛んだ。
「………やかましいぞ。なんだ」
「ちょっと運転荒くないっすかね〜!? 俺はいいけど、レゼが割れちまうって!!」
冗談半分で言ったけど、ほんとは結構マジだった。
先生の運転がマジで荒い。ハンドル切るたびに車がガタガタ揺れて、頭や足を何度も車にぶつけてる。その度に腕の中のレゼが小さく揺れて、心臓がギュッとした。行きは俺だけだから気にも留めなかったが、今はレゼがいる。そういう訳にはいかねぇ。
レゼの体を抱きしめる手が震えるたび、ひやっとした冷たさが掌に染みた。
まだ凍ってんだ。血の気が引いたみたいに真っ白で、唇なんかもう紫だ。
指で頬をなぞると、氷の粒がほろっと落ちた。
壊れちまいそうで、息を吸うのも怖ぇ。
「そいつはお前と同じで、トリガーを引けば蘇るだろ。今更なんの問題がある?」
先生はそう言うけどよ……。そういう問題じゃねぇだろと思う。レゼは氷の彫像のように美しいが、人間だ。長い間冷凍されちまってたら、凍傷だってできる。皮膚は所々変色してるし、マキマさんとの戦いでポチタにつけられた傷も、そのまんまだ。
これ以上壊れてしまうのは、見たくない。
「そうだけどさ……そうじゃねぇんすよ。これ以上レゼが傷つくの、もう見たくねぇんだ。ほら、見てくださいよ。長いこと冷凍されてたおかげで、凍傷までできちまってる」
俺が言うと、先生は短く息を吐いて、視線を前に戻した。
車内のタバコの匂いが広がって、冷たい夜風と混じる。
窓の外では、オレンジ色の夕陽が沈みかけているのがかろうじて見えた。
「気持ちはわかる。俺もクァンシが目の前で砕かれたら、どうなっちまうかわからねぇ」
「……先生の知り合いっすか?」
「昔のバディだ。どうせ覚えちゃいねぇだろうが、お前も会ったことはある」
先生の声は相変わらず落ち着いてて、感情の底を見せねぇ。
でも、いつもよりも声が沈んでいる気がした。
あの先生にも、守りてぇ誰かがいたのかと思うと、胸の奥がチクっとした。
「へぇ〜、意外っすね。先生にもそんな人が──っておい! 運転荒いですって! 俺の気持ち分かるって言ったじゃないっすか!」
「我慢しろ。俺はこれから中国に行かなきゃならん。武器人間の処分もあるし、時間がねぇ。割れるのが嫌なら、しっかり抱えとけ」
「中国……? なんで中国なんかっ!?」
後頭部を強く打ち、舌を噛んだ。
これ以上喋るのはやめた。レゼに傷がつかないように、優しく、それでいて衝撃に耐えられるようしっかりと抱く。
車はがたがたと揺れながら、街の外れを抜けた。その度に俺の身体はボコボコになったが、何とか耐えた。
窓の外では沈みかけた夕日。橙色の光がフロントガラスに反射して、まるで誰かの目みてぇにちらついた。
……だんだんと眠くなってきた。けど、眠ったら全部夢になっちまいそうで、目を閉じられなかった。
⸻
どれくらい走ったのか。荒い運転を受け止め続けた俺の尻は、痺れたのか痛みもよくわからない。
長時間レゼを乗せていた腹はだいぶ冷たくなったし、抱えていた腕は、冷気で感覚を失っていた。
ようやく車が止まり、先生が後部座席のドアを開けてくれた。風がひやりと肌を刺した。
「さっきも言ったが、俺は今からやることがある。これからのことは、全てが終わったら話に来る」
それだけ言って、先生は暴走運転であっという間に姿を消した。
レゼを抱えて玄関まで運ぶ。車からここまで、何階分も階段を上った。どこかにぶつけたら、レゼが割れちまう───そう思うと、感覚の無くなった指先にまで力が入り、なんとかここまでたどり着くことが出来た。
部屋に入って、そっと彼女を床に下ろす。
照明をつけると、レゼの体の表面がうっすらと光を反射した。
肌には未だに霜が降りて白い。ただ、所々灰色がかって、触れるとキンと音が鳴りそうなほど冷たかった。
髪にも、まつげにも、細かい氷の粒がこびりついている。
「……マジで、ずっと冷凍庫ん中に突っ込まれてたんだな」
思わず独り言が漏れる。今更ながら実感が湧いてきた。おかしな話だ。さっきまで凍ったレゼを抱いていたというのに。
口の中が乾く。吐く息が白い。
目の前のレゼは、眠ってるってより、“止まってる”みたいだった。
胸の上に手を置くと、固くて、まるで氷の彫像に触ってるようだ。
表面だけじゃない。中まで凍ってる。血も、筋肉も、時間も。
ピンのことが頭をよぎる。
首のところにある小さな輪。
──あれを引けば、レゼは蘇る。
だけど今抜いたら……。
「……体、割れちまうんじゃねぇか?」
誰に言うでもなく、息みたいに言葉が漏れた。
氷が残ったままピンを弾いたら、熱と冷気がぶつかって──パリン、って。
想像するだけで背筋が寒くなる。
先生は「ピンを抜けば蘇るだろ」と言ってたけど、そういう問題じゃねぇ。
だって、レゼの肌はこんなに冷たくて、壊れちまいそうなんだ。ピンを引き抜いたら、きっと壊れる。壊れてしまう。
いくら蘇るとしても、レゼの痛々しい姿はもう見たくなかった。
「しょうがねぇな。温めてやっか……」
毛布を引っ張ってきて、レゼの体を包む。
自分の体温を分けるように、そっと抱き寄せた。
肩が冷たくて、腕が痺れる。息を吹きかけても、すぐに白く凍る。
「けど、俺が冷たいって思ってるってことはよ、レゼにとっちゃ温かいはずだよな」
応えはない。そんなことはわかってる。
「……なぁ、レゼ。急がなくていい。ゆっくりでいいから……」
声が震えた。
胸の奥が熱くなって、喉がきゅっと締めつけられる。
抱きしめたまま、俺はただ息をしてた。
時間の流れが、少しずつ戻ってくるのを感じながら。
ピンを抜くのは、もう少し先だ。
ちゃんと、温かさが戻ってきたら────。
キャラ崩壊してないといいなぁ…