眠りの果てに   作:冬獅郎

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彼女の目が醒める時

 どれくらいレゼのそばにいただろうか。いつしか空は白く染まり、夜明けを迎えている。

 レゼが着ていた服やかけていた毛布はビショビショになっちまってた。そりゃつまり氷が溶けてるってことだ。

 レゼの手に触れる。氷のような感覚はなりを潜め、生物の感触が戻ってきていた。しかしそれでも素直には喜べない。冷たい肌と、硬くなった関節。手のひらに伝わる感覚の全てが、レゼの死を突きつけてくる。凍っている時よりも現実を重く感じ、酷く悲しかった。

 現実から目を背けるように首筋を見やると、金属のピンが目に入った。俺の胸にあるスターターロープと同じ、悪魔化のトリガー。これを引けば、どんな損傷を受けていてもたちまち完治し、何事も無かったかのように蘇ることが出来る。悪魔の心臓を持つ人間は不死身だ。

 俺はピンを引き抜きたい衝動に駆られた。目を開けてくれ。声を聴かせてくれ。その気持ちに思考が支配される。

 レゼの首筋に触れる。レゼを覆っていた氷は溶けている。この状態であれば、蘇った時に体が割れる心配もないだろう。そう判断し、ピンを抜こうとした。

 寸前、手が止まる。

 

「この状態で復活したらよォ、体がびちゃびちゃで不快感ハンパねぇよな……」

 

 レゼの体表は、氷が溶けた影響でうっすらと濡れている。着ていた服や、かけている毛布も同様だ。こんな状態で起こしたのでは、気遣いのできない男だと思われるのではないか。

 それでなくても、自分が復活した時に体が濡れているのは嫌だ。寝起きに寝汗にまみれていた時に近いかもしれない。

 

「体、拭いてやっか……? それと服も替えてやらねえと……」

 

 サクッとピンを抜いて蘇生させるつもりだったが、やることが後から溢れ出てきている気がする。───いや、無意識に目を逸らしているのかもしれない。二道に来なかったってことは、俺はフラれたんだよな。目を覚ましたレゼに拒絶されたら、と想像する。

 ……ダメだ。体が震える。息が出来ねぇ。大切な人を失う恐怖は、確実に俺の中に巣食っている。昔はポチタがいればそれで良かったのに。

 どうせ失うなら、大切な人なんて作んねぇ方が良かったんじゃねぇか?───二人を喪ってから何回も考え続けたことだ。けど、答えが出たことは無い。

 起こってもないことを想像すんのはやめだ。これ以上考えたら、本格的にダメになっちまう。それに、拒絶されるとしても、俺はレゼに会いたかった。

 濡れた毛布を近場のコインランドリーに持っていく。普段は空いてねぇ事も多いけど、早朝だからか今日はがら空きだ。

 洗濯機が回ってんのをずっと見てるのも退屈で、その辺をぶらぶらと歩いた。

 朝の空気はまだ冷たくて、肌を刺すみたいだった。

 コインランドリーに戻る頃には、既に乾燥まで終わっていた。

 ふわふわになった毛布を抱えて帰り、乾いたタオルと替えの服を用意する。服は俺が普段来ているものを用意した。女物の服があれば良かったんだけど、パワーとアキの服は全部売っちまったんだよな。思い出して、寂しくなっちまうから。

 びっしょりと濡れたレゼの服を、慎重に脱がしていく。思えば、レゼの裸を見るのはこれで三度目だ。一度目は真夜中のプールで。二度目は海辺の砂浜で。思えばあの時も寝ているレゼに服を着せたよな。

 

「ごめんな、レゼ。なるべく見ないようにするからよ、怒らねぇでくれよ……」

 

 言い訳みたいに呟きながら、塗れた服を脱がせていく。なるべく見ないようにしていても、その綺麗な白い肌に思わず目が行っちまう。

 その魔力から逃げるように視線を逸らすと、胸に付いた大きな傷が目に付いた。傷口も溶けているので、血が肌を伝っている。

 新たに消毒とガーゼ、包帯を持ってきた。まずは傷口付近の水分をタオルで拭き取り、ガーゼと包帯で傷を塞ぐ。これで着替えても服が汚れねぇはずだ。

 あとは体に付いている水分も丁寧に拭き取っていく。

 タオルを首筋に当て、肩から胸、腕、腹部へとゆっくりと滑らせる。水分が拭き取られるたび、肌がほんのり温もりを取り戻していく気がした。

 髪も濡れたままだった。束ねて持ち上げると、細い髪の間から水滴がぽたり、ぽたりと落ちる。

 指で軽く絞ってから、ドライタオルで包み、優しく撫でるように拭き取った。

 ここまで終わって、ようやく服を着せた。

 服は俺のものだから少し大きい。それでも、今はそれでいいと思った。

 この状態になると、所々に凍傷の跡はあるが、それでももはや普通に寝ているだけなのではないかと錯覚してしまう。それほどに綺麗で完璧だった。

 その状態のレゼをベッドに運び、そっと横たえた。

 

「最後に俺の血を……っと」

 

 ナイフで左手首の動脈を切りつけ、血を用意する。大量に流れる血が服を汚さねぇように、そっとレゼの口元まで持っていった。

 十分な量の血を飲ませてから、自分の傷口を包帯で乱暴に塞いだ。レゼの口元に飛び散った血は、タオルで拭う。

 最後に乾かした毛布をかけて、ようやく準備が終わった。

 

「なァ、レゼ。俺はさ、レゼとなら田舎のネズミになってもいいって、本気で思ってたんだ。だからよ……また、声を聴かせてくれ。レゼがここにいるってことを、俺に教えてくれ」

 

 まるで眠っているかのような状態のレゼに、そう囁いた。もちろん聞こえてはいない。ただ、自分の願いを口にした。覚悟を決めた。

 

「じゃあ、 行くぜ」

 

 首のピンに指をかけ、そっと引き抜いた。

 その瞬間、静寂の中で小さく息を吸う音がした。色を失っていた肌は、たちまち血の色を取り戻している。

 凍りついていた時間が、ゆっくりと動き始める。

 息を呑んでその光景を見守った。

 レゼの睫毛が、わずかに震えた。

 そして──。

 ずっと閉じていた瞼が、ゆっくりと持ち上がる。

 朝日を受けて、その翡翠の瞳が淡く輝いていた。

 

 

 

 *****

 

 

 

 

 死から蘇る感覚は、独特だ。

 それは眠りから醒めるようでもあり、眠りにつくようでもある。相反するこの感覚は、きっと他人に伝えようとしても伝わらないだろう。

 そして今、またこの感覚に襲われた。

 ───私は死んで、蘇った。

 ……どうして?

 普段は自分から死ぬことが大半だ。だから死ぬ前にピンを抜いておく。そうすればすぐに復活して戦闘を継続することが出来る。

 けれども、今回は少し事情が違った。というのも、死んだ記憶がまるで無い。───いや、これは……記憶が混濁しているという方が近いだろうか。

 このまま考えているとおかしくなりそうなので、少し整理する。まず、死因について。これは少しずつ思い出してきた。

 確か、私はマキマさんと一緒にチェンソーマンと戦って……。

 

 マキマ"さん"?

 

 そこで初めて強烈な違和感に気づいた。あの魔女に対して、どうして自分は敬語を使った?

 今でもあの魔女には嫌悪感しかない。先の思考とは辻褄が合わない。ってことは……私は支配されていたのか。けど、何処で?

 そこでようやく思い出す。あの時、デンジ君と一緒に逃げようとして、二道へと向かっていたことを。

 ───デンジ君。

 その名前を思うだけで、心の奥がじんわりと溶かされていく。

 任務の対象でしかなかったはずの彼に、いつの間にか私は心を許していた。許して、そして──惹かれてしまっていた。

 だからだろうか。募金の対価として手にした、あの赤いガーベラを見た時、無性に会いたくなった。どうしても、もう一度だけ顔を見たかった。

 あの駅のホームで、何度も葛藤した。二人で逃げてもきっとマキマに殺される。それでなくても、任務に失敗した自分なんて、祖国にとってはもう不要なモルモットだ。

 それでも、手の中の赤い花を見た瞬間、心のどこかで何かが弾けた。君と過ごした時間を思い出した。今まで知らなかった、あの甘くて優しい世界を。

 ──君となら、どこにだって行ける。

 そう思った瞬間、自分でも笑ってしまった。まるで安い恋愛映画のヒロインみたいだって。

「ダメだ」「やめろ」「馬鹿」と、モルモットとしての「私」が叫んでいた。それでも、その声を押し殺して、生まれて初めて自分の意思で動いた。

 ……それが、最後の記憶。

 結局、辿り着けなかったんだね。

 ねぇ、デンジ君。私、君に会いに行ったんだよ。でも、デンジ君はきっと、私が会いに行ったことを知らないんだろうな。その事実がたまらなく悲しい。

 デンジ君は今何処にいるのかな。何をしてるのかな。

 ……もう、私のことなんて忘れちゃったかな。

 ぼんやりとそんなことを考えていると、ふと気づく。

 私の体は、何かに包まれていた。

 柔らかくて、暖かい。

 微かに、懐かしい匂いがする。口に残る血の味もどこかで覚えがある。

 ──ああ。これは、夢じゃない。

 誰かが、私を助けてくれたんだ。

 神様なんかじゃなくて、きっと……。

 

 その瞬間、指先が震えた。

 暖かい空気が、肺の奥まで流れ込む。

 重たかった瞼の裏に、微かな光が滲んでいく。

 

 ──眩しい。

 

 ゆっくりと目を開けると、窓の隙間から差し込む朝日が、薄く部屋を染めていた。

 その光の中に、誰かの影があった。

 

 ぼやけた視界が、少しずつ輪郭を取り戻していく。

 見覚えのある白いシャツ。

 少し伸びた前髪。

 寝不足みたいな目の下のクマ。

 

 ……デンジ君。

 

 声に出そうとしたけれど、喉がうまく動かない。

 代わりに、胸の奥がじんわりと熱くなっていった。

 頬を伝う一筋の涙が、髪の上に滑り落ちる。

 

 ──生きてる。

 ──もう一度、会えたんだ。

 

 デンジ君の姿が霞んで見えるのは、光のせいだけじゃない。

 それでも、私ははっきりとわかっていた。

 この温もりも、匂いも、声も。

 全部、私の知っている“デンジ君”だ。

 

 震える唇を、どうにか動かしてみる。

 かすれた声で、やっと一言だけ。

 

「……デンジ君……」

 

 その瞬間、彼の顔が安堵したような、柔らかなものに変わった。

 朝の光が差し込む中で、彼の瞳がゆっくりと潤んでいく。

 ──ああ、やっぱり。

 この世界に戻ってきて、最初に見るのが君で良かった。

 

 もう一度、心の底からそう思った。

 

 




キャラ崩壊してないといいなぁ…
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