『世紀の聖女』セオさんが誘拐犯の私をニコニコ振り回していく。 作:てりのとりやき
宇宙における大空洞、ボイド空間。
直径2億光年という極限領域内に物質らしい物質はほとんど存在せず、自ら発光と燃焼を繰り返し続ける恒星や、恒星の輻射熱と重力を祝福として星系を構築するガス型惑星、岩石型惑星などは勿論のこととして存在できる理屈がない──そんな、虚無の黒い洞。
突如として、人間が21人、宇宙空間に出現した。
泡状の膜に包まれた男女21人が出現した直後、合わせて惑星も一つ創り出された。直径約12,756km──惑星には誕生時点で大陸があり、海があり、人が呼吸可能な大気が存在し、様々な動植物が用意されていた。
緑と青で象られた惑星へと21人が降下していく。
大気圏降下時に奔る炎の尾21本は、まるで何者かの意思が介在するかのように一点を目指していく。
これが世界の始まり。
星と人にとっての、創世の0年0月0日0時0分0秒の出来事である。
◇
0年1月1日。
『私』というものが生まれた時、私は既に成人女性の肉体をしていた。
目を開けて、周囲の眩しさに目が慣れてようやく、そこに私と似たような年代の男女がたくさんいることを知る。
「……」
私と同じたくさんの“人間”たち。
そして同じように足と手を二つ持ち、目と耳と鼻を持つが別種の“人間”が21人いることにも、私は……いいえ、私を含めた誰もが気付いていたのでしょう。
なぜか。
分からない。けれど、直感だった。
彼ら21人は一目見て『違うな』と分かるだけの目つきをしていたもの。
「あなたも私とは違うのね?」
私は隣の
「ええ、そうみたい」
彼女は『21人』の内の一人だったが、私は彼女と腹違いの姉妹だということが理解できた。
姉妹。
腹違い。
知らない言葉のはずだというのに、私はすんなりとその概念に馴染んでいる。
……自分の中にある知識が、自分で培ったものではない違和感。
私と同じ違和感に苛まれているのか、『21人』でさえ困惑しているのが見て取れた。
だってそうでしょう。
私達は突然生まれ、突然星の上に立ち、突然何もない草原に放り出されている。
数えることが難しいだけのたくさんの人々が、背の低い草ばかりの草原──そう、私は『草原』という言葉と概念と意味を把握している──に立ち、周囲の人々と話し合っている。
私達は何故ここに居るのか。
私達はこれから何をすべきなのか。
私達は──私達は一体なに──?
戸惑う声。困惑する人々。同じような、清潔な白い長衣一枚を着た若い男女ばかりの私達が語り合う。
……だけど、一人だけ会話に混ざらず空を見上げている者がいた。誰も
誰もが直感で悟っていた。
誰もが言葉を掛けられなかった。
誰もが彼女から距離を置いていた。
何故なら、泣いていたから。誰もが泣いていない今この瞬間に、唯一涙を流せるあの
黒い瞳。
黒い髪。
色をなくしたみたいな、艶のない、ひたすらな黒。
「とてもきれいな色……」
隣の姉妹は、私とは真逆の感想を抱いている様子だった。頬を赤らめ、その艶々とした黒い瞳を輝かせている。
私は小さく深呼吸をして一歩彼女へと近づいた。
それは私が初めて経験する、未知への『緊張』というものだった。
「はじめまして」
声は震えていたかもしれない。それでも、一言が誰に向けてのものかを黒髪の彼女は理解してくれた。
空を見上げてばかりいた横顔が顔の向きをこちらに正す。
未だに涙を流し続ける女性をひと目見て、分かった。
私達と同じように手と足を二つ持ち、目と耳と鼻を持つというのに、あまりにも精緻な顔立ち。外見の若さは私と同じ程度のようだが、その全身はまるで作り物みたいだったし、恐らく私の直感は当たっている。
「『はじめまして』って何?」
女性が不思議そうに呟く言葉に直感は確信へと至る。
挨拶という概念を彼女は持っていない。それは、私達“人間”が生まれた瞬間から備えていた基礎知識だというのに。
創世。
そして誕生。
直後に異種との接触とは……。
「挨拶よ」
「『挨拶』」
「初めて出会う間柄の時はね、さっきのような挨拶をするの」
「『はじめまして』、『挨拶』……そうなんだ」
己の動揺を出来る限り隠しながら、私は次いで自らを名乗ることにした。
「私の名前は──」
名乗り終えたあと、隣の姉妹にも目を向ける。
姉妹もまた彼女に挨拶をしたがっているように見えたから。
「隣の彼女は私の異母姉妹」
「アルフヘイヴ・
「……セオ」
「ええ。セオです」
呟いた言葉は、与えられた刺激にシンプルな反射をしただけのようだった。けれどその一言が嬉しかったのか、姉妹──アルフヘイヴが花開いたように微笑んだ。
私は黒髪黒目の女性に目線を戻す。
「あなたはどこから来たの?」
「私は…………」
女性は少しだけ言い淀んだ。涙の跡がはっきりと残る頬をぎこちなく動かして、不器用に呟く。
「私は、ここではないところから来てしまったんだ」
言葉の意味を理解することが、私にも、アルフヘイヴにも出来なかった。二人してどう反応すべきか言いあぐねていると、女性が尚も続けた。
「空に上がるにはどうしたらいいのかな」
空。
その言葉が指す概念を私は勿論知っている。
仰ぎ見た天蓋には澄み渡るような青だけがあり──女性が言いたいのは、きっと更にその奥へ行きたいという意味なのだろう。
だけど私達にはそのための手段がなかった。
私達人類は、何も持たないまま生まれてしまっている。
「困っている、のね?」
「……うん」
「あなたは私達とは違うところから来た、……人間ではない者?」
「そうだと思う」
アルフヘイヴと私は目を見合わせた。
私達は私達が『造られた』ことを自覚している。『造られた』者同士、ここに居る理由は分からなくとも、同類だという認識がある。だというのにあなたは私達と同じ形をして、同じ言葉を使い、だけど人ではないとそう断じた。その胸のうちに宿る隔絶や孤独を、アルフヘイヴも私も──等しく人間という種は解決することが出来ない気がした。
どうしましょう。
アルフヘイヴが瞳で語る。
……私は。
私はどうにかしたいと思った。
名前や出自に関係なく、私はあなたに笑っていてほしい。
「ねえ。だったら私達と生きてみましょう?」
有り体な一言で説明するなら、これはきっと一目惚れ。
うん。
そういう言葉を私は知っている。
「生きる? ……それは何?」
「そうね。食べて、寝て、作り、学び、……そういったものの延長線上に何かを愛し、尽きていく過程のすべてよ」
「……なんだか難しそう。私にもできるかな」
女性が小首を傾げる仕草に、それが私に対して向けられていることに、高鳴る胸。その内から沸き起こるささやかな喜び。
「ごめんなさい。私にも実はよく分からないの。私も、他の人も、みんな生まれたばかりだから」
きっとこれは恋で、愛で、……他にもたくさんの感情からきた願いなのでしょう。
だから私は、あなたに微笑みかける。
「だけど、生まれてしまったんだもの。私はあなたと生きてみたい」
「──」
女性が目を瞠った時、草原一帯を風が駆け巡った。柔らかな風。草葉を揺らし、人々の裾が翻る。あなたの、黒いばかりの髪もまた同様に。
まるで彼女の意思が星を動かしているみたい。
やがて溢れ続けていた涙が止まり、鼻をぐずらせながらも彼女は小さく頷く。
私は微笑みのままに、はっきりと問いかけた。
「あなたの名前は、なんですか?」
「私は、……ゼームレスという一振りの剣」
「──
そこから始まる99年を、私達人類と、剣のあなたは幸福に過ごした。
手をつなぎ、言葉を交わし、笑い合い、踊り、作り、建て、食べて、触れ、描き、睦み。……アルフヘイヴが人類史上初めての死者となり、その娘が、そのまた娘、さらにひ孫が死んだ時まで。
だけど。
99年の後。
人類と星の誕生から99年が経った頃にあった『とあるお祭り』をきっかけとして、あなたは私たちの前から姿を消した。
……私達は運命として出会い、その身に剣を宿し、運命として破局を迎えたのだ。
それでも私は考え続けている。
私たち人類に許された2199年と、あなたが始めた長い旅路、それぞれについて。
あの時の出会いから1997年が経った今でも、私はあなたに恋をしている。