『世紀の聖女』セオさんが誘拐犯の私をニコニコ振り回していく。 作:てりのとりやき
数日前。世界に三人しかいない異端審問官、ニイナ・漁火=スレイヴイレスパースリーは密室殺人事件を解決しろと、確かにそう言った。
密室殺人事件。
「――事件が起きたのは二か月前。『都市』のはずれの借家に住む一人暮らしの男が、職場で1か月の長期休暇を取っていたが、休暇明けにも関わらず職場に顔を出さなくなった。心配になった同じ職場の上司が家まで様子を見に来たが玄関扉は鍵がかけられており、窓も全て閉められ、ノックをしても反応はなかったそうだ。その日はポストに現状を教えてほしい旨の手紙を入れるまでとした」
神が星創造より先に生み出した別種の人類“
当時を生きていた者が証言する通りならば、視界の中央に、文字が突然浮かび上がったらしい。
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星、人類どちらにとっても創世より1977年が経ち、決して短くはないその20世紀の最中。人類は何度も神に問いかけた。禁忌の理由、殺人行為と経済活動が許されない理由は何なのか。神との連続性証明――世紀級神事『聖体断裂』の真意は何か。なぜ神は人を守護するのか。
果てしなく遠い静止衛星軌道上にある神への問いかけに使われたのは、光や、炎や、巨大なモニュメントであったりした。――神の元へと趣き、直接対話さえ求めようとした。しかし有史以来神が人類との対話に応じたことは一度として無く、ただただ彼らは人類を手厚く庇護するだけだ。
愛し、護ること。
対話を必要としないこと。
双方どちらも矛盾なく行えるのは、神が人とは違う、生命という概念さえ適用されないモノだからなのかもしれない――“教会”を筆頭に、神を観測し研究する者達の中にはそう唱える者もいる。
「一週間後、やはり職場にやってこない男の様子を再び見に来た上司が、ポストに入れた手紙がそのままになっていることを把握する。いよいよ何かが起きたのではないかと思った上司は、近隣住民に話を聞きここ一週間は物音一つしていないという情報を得、近隣住民が連絡を取った家の管理人同意の下で家の中に入ることとした。……聞いてるか、金猫」
「……扉にはまだ鍵が掛かってたんでしょ?」
応えつつ、思考と反応が現実を向く。
――馬車の中。“現場”へ向かう道すがら、概要の説明を漁火から受けている最中だ。
向かい合う形でソファに腰かける女が、何枚かの書類に目を落としながら頷いた。
馬車の車輪が道を蹴る振動と音で揺れる室内。漁火の声は淡々としている。
「ああ。どうも管理人がマスターキーを紛失していたらしくてな、扉はぶち破ったそうだ」
「すご。心配しすぎなんじゃないの?」
「結局その心配は杞憂に終わらなかった。家の中は凄まじい腐敗臭に、蛆や蠅が飛び交っており、リビングに多数の虫が集ることで真っ黒になった“何か”を発見したらしい」
そこまでを喋り終えて、漁火は書類から目線を上げる。自身の隣に行儀よく膝をそろえて座る黒髪の少女へと女の垂れ目が見やる。
「……ツアワリ。強い意向あっての同行だから私はどうこう言うつもりはないけど、緘口令が出されていることと、かなり刺激の強い現場だということは肝に銘じておいて」
「『都市』で起きた事件です。聖堂を預かる司祭としては放っておけません」
諭すような優しい口調にも、きっぱりとツアワリ・
「セオさんもね。気分が悪くなったらすぐ言ってね」
「はい。ノバさんが行くというなら付いていかないわけにはいきませんから」
二人とも真面目な女の子だ。顔の向きをもどすと、自然、漁火のこげ茶色をした丸い瞳と目線が合う。普段は犬猿の仲だが、同じような少女と親しいだけあって考えは同じらしい。二人して苦笑を浮かべた後、漁火は事件の概要説明を続行する。
「――話を戻すぞ。虫の湧く腐敗物の発見以降は“教会”に話が回り、清掃業者と共に現場へ到着。虫を駆除した上で死後数週間は経過していると思われる人間の死体を確認した。死体は全身の損壊が激しく、顔に至っては鼻から上が原型を留めていない状態だった」
「それでも個人が特定できたってことは、歯列?」
「……歯列で誰なのかが分かるのですか?」
と、セオが首をかしげる。
いち早くツアワリが補足した。
「“教会”は、個人個人を書類上で管理できるような体制を整えているんです。戸籍と呼ばれる仕組みで、誰が誰の子供で、親は誰なのかが分かるようになっていたりとか、定期的な健康診断の結果も記載するようになっています」
「なるほど……賢いですね!」
「2000年近く運営されてる管理ノウハウってやつだねー」
「……歯列が“教会”に届出されている診断書の情報と一致した事から、死体の身元は家の入居者である男だと断定した。他にも男の身長やおおよその肉体的特徴にも相違がないことも判断材料の一因としている」
言いつつ、漁火がこちらに書類の束を手渡す。そこに書かれていたのは漁火が説明したものを裏付ける、より専門的な記述だった。ざっと目を通しているとタイミングを見計らって漁火が口を開く。
「ここまでが事件の概要だ。何か質問はあるか?」
「主に4つ」
書類から目を離さないまま続けた。
「1つ目は、腐敗臭がしたのはリビングに入った瞬間だったの?」
「ああ」
「人じゃなくても動物全般、死体は結構臭うものだけど……家の外には臭いが漏れていなかったってこと?」
「そうだ。家の扉という扉、換気扇、窓――とにかく外気と接触する全ての箇所に防水テープが何重にも張られていた」
「ずいぶんと手の込んだ事をするね」
「恐らく死亡時期を臭気で推定させないためだろう。異臭がすれば近隣住民がすぐ気づくだろうからな。張られたテープに剝がした痕跡も確認されていない」
漁火の推測は恐らく正しい。
生理的活性・循環が終了した生物というのは朽ち行く最中に腐敗する。“神の目配せ”――細菌類による分解作用によって。その際に発せられる臭気はインフラ構築が完了しているこの世界の生活様式からはかけ離れたものだ。
徹底した外気との遮断は、それだけ死体の現状を隠すための処置であり、計画性を持った犯行であることを裏付けている。
「2つ目。家の中に入る手段は本当に玄関扉だけ?」
「ああ。“教会”の者も再三確認したが、窓や扉は全て鍵やロックが成され、内側からしか開けられないようになっていた上、鍵はすべて死体の着ていた服のポケットの中にあった」
書類の中には家の間取り図もあった。一階建ての、一人で住むには少し広すぎるきらいのある家屋。玄関扉を開けた先には真っ直ぐ廊下が伸び、その最中にトイレが、廊下の突き当りにある引き戸を抜ければリビングがある。間取り図の通りであり、漁火の言う通り全てに内鍵が掛かっていたなら、確かにまっとうな手段で家の中に入る方法は玄関扉を使うほかないだろう。
『玄関扉を』『鍵を使って』『家に入る』――これ以外の手段は確かに“存在しない”。
「3つ目。死んだ男の職業は?」
「……少し待て、ええと、……活版印刷を行う工房だ。主に個人発注の少数発行本の製作を請け負っていたらしい」
「ふうん。少数発行本かあ……」
「娯楽小説が中心らしい」
漁火とのやり取りの最中、何故かツアワリが急に焦ったような表情をした。
「ね、ねえニイナ? その工房ってなんていう名前なの?」
「ええと……『割烹印刷』って言うらしいぞ?」
「へ――へえー。そうなんだ。そうなんだー」
?
事件にはあまり関係がなさそうな工房名を聞いて、ツアワリはどうしたのだろう。何故かそわそわしているし、明らかに目が泳いでいる。普段、生来の真面目さによって吊り上がりがちな大きな猫目は瞬きの頻度が多い。
「どしたのツアワリちゃん」
「い、いいえなんでも! なんでもありませんからどうぞ続けてください!」
まあ、そう言うならいいけど。
どうも事件とは関係がないところで引っかかっている様子だったので、気にはなるものの放置しておく。
「職場での人間関係は?」
「可もなく不可もなし、だな。極端に人間関係が薄いというわけでもないし、逆に問題を抱えていたというわけでもない。近隣住民や職場での事情聴取でも何かトラブルがあったという報告はない」
こういう厄介ごとを抱えた時の“教会”が持つ調査能力を侮ってはいけない。
信徒599億人という世界最高規模の組織人員数は、それだけ多種多様な能力を持った実務層が手厚いということを意味する。報告書の束に“教会”の正式な書類であることを示す、司教以上の者でないと使えない押印までされているのだから、漁火の発言は真実その通りなのだろう。
つまり、被害者の男は人間関係に問題を抱えてはいなかった。怨恨の線は薄い。
「4つ目。――凶器の特定と、現状の容疑者は?」
「……凶器については死体の傍に置いてあった。大きな木槌だ」
「容疑者は」
質問に、それまで端的に答えていた漁火が押し黙った。腕を組み、目を瞑り、しばらくの沈黙。
馬車の中には道を行く振動音だけが響く。……そして、
「容疑者がいない。というより、容疑者候補に挙がるだけの人間が出てこない」
……容疑者の存在について、漁火は
人が人を殺せない、殺せるはずがない世界で、殺人容疑などという言葉を“教会”が取り扱うその重み。ノヴァク・金猫という個人に分からないはずがない。事実として、続く漁火の言葉の全てが重苦しい。
「男の家族は全員、事件当時すでに死亡しており、職場でのトラブルもなく、死亡時刻の推定が困難なことから死亡前後のアリバイも探しようがないんだ」
「んー。管理人がマスターキーを紛失してるってのは本当なの?」
「確認済みだ。真実その通りだった。管理人に関してはアリバイもあってな、3か月前から一週間前まで、長期の家族旅行をしていたことが証明されている」
「白骨化していない程度の腐敗進行度からして、直近まで『都市』に居ないことがアリバイになるってことか……」
「ああ。管理人による犯行という線は『無い』」
「となると怪しい人物もいない、アリバイから消去法で辿ろうにもそもそもいつ頃からあった死体なのかが分からない――漁火さあ、他殺だと思ってるの?」
「それを認めたくないが認めざるを得ないから困ってるんだ。……事実だけを並べてみてみれば、殺人を否定する材料がない」
殺人。
その言葉に、ツアワリとセオが体を強張らせる。
殺すという一言を口に出すだけで気分が悪くなる者もいる世界だ。数か月前、荷馬車から転げ落ちた丸太に圧し潰されかけた女もそうだった。14歳という若さでありながら数奇な運命を背負う少女達にとっても軽い言葉ではないのだ。
「そして……シンプルに密室だ」
「防水テープが密室を作っているってわけだ」
「ああ。剥がした痕跡が確認されなかった以上、殺害後の部屋からの移動を不可能にしている」
「物理的にあり得ない密室なんてそれこそ『ありえない』でしょ」
「……そうだな。唯一防水テープが張られていなかった扉がある」
「玄関扉?」
「ああ」
もう一度、家の間取り図を見直した。玄関扉から続く一本の廊下。その奥にある引き戸の、更に奥――リビング中央に、×のマーク……。
「引き戸の隙間は廊下側からテープが張られてたんでしょ?」
「そうだ」
「じゃあ密室でも何でもなくない? 単に玄関から出て鍵閉めた――って、ああそっか、鍵は死体が持ってたんだっけ。マスターキーがなくても、合鍵でもあったんじゃないの?」
「その可能性は否定できないが、家の管理者は鍵を一つしか渡していない。周辺の錠前業者を当たっても直近の数年に該当の家屋向けの合鍵製作依頼が入っていない」
「数年かあ」
「仮に数年以上昔に作られた合鍵が存在し、それによって堂々と玄関から出たとしよう。であればそれを行える者は、少なくとも最近出来た人間関係ではないということになる。――しかし男に縁故の人間関係は皆無で、古くからの付き合いがある者も存在しない」
容疑者が鍵を死体に持たせたにしろ、玄関扉を閉めるための鍵がなければ『密室が完成しない』。
しかし鍵は一つしかなく、他殺であり、玄関扉が閉められているがために『密室が完成している』。『密室が完成している』からこそ、明確な意図を持った第三者による犯行の可能性が浮上し、これが殺人事件であることを“教会”も否定できなくなる……。
「『都市』の、全ての錠前業者を当たっている。それでも合鍵の製作依頼はなかった」
「……」
「合鍵があった可能性は限りなく薄い」
よく出来た構図だな、と、ノヴァクは素直な感嘆でもって小さく鼻を鳴らした。
「なるほどね。それで“教会”も解決できないってわけだ」
「今のところ情報規制を行って事件が公になることは防いでいる」
「臭いものには蓋ってわけ。“教会”の常とう手段じゃん」
「ノヴァクさん」
揶揄する言い方に、司祭のツアワリがしかめっ面で反応する。肘掛けであごに手を当てつつノヴァクは笑みを消さなかった。
少女が言葉ではなく態度で示した言い分はつまり、『それは必要な行いだ』と、そんなところだろう。――誰にとって必要な行いかと言えば、それは神の名の下に平等な人類全員にとって。
「漁火。私の立場をはっきり名言しておくとね、私はそもそもこの事件を解決する必要性を感じてないよ」
「……だろうな。あんたのスタンスはよく知ってる」
それでもそんな犯罪者に協力要請が回ってくるほど“教会”は困り果てているのだ。
“教会”関係者では持ち得ない、まっとうでない視点やロジックを求めているから、ノヴァク・金猫にまで話が回ってきた。ノヴァク・金猫という女が、真実の解明に一分も価値を見出していないことは重々承知の上で。
「だから聞きたいんだけどさ……なんのために、どのような解決を“教会”は――漁火は望んでるの?」
神の名の下に皆が平和を享受し、安寧の中で繁栄を許された人類だ。
殺人事件とは即ちその基礎部に撃ち込まれた楔に等しい。
破滅的な力を持った、遅効性の毒さえ兼ね備えているかもしれない楔だ。
犯罪者であるノヴァク・金猫は神を信仰していない。漁火、ツアワリ、セオの三人とは違って“教会”関係者ではないし、不神信者だ。
「でっち上げでない公明正大な真実や事実に何の価値があるの?」
一定の結論を出すことは出来るだろう。ノヴァク・金猫は、事件の概要を聞いた上で捻りだせる
だが、その推測とて事実は覆せない。この事件における『事実』とはつまり――。
「これは漁火が考えているように、まず間違いなく他殺だよ」
死体は、明確な誰かの意図によって破壊されている。
それがこの事件における唯一絶対の『事実』だ。
「……」
問いかけに、漁火は少しの間口を閉ざした。腕を組み目を瞑るのは漁火が頭の中を整理している証だ。いい加減長い付き合いになるから、この女の仕草の意味は十分理解している。漁火が枢機卿団の役職に就けるほど有能で頭の回転が早い女ではないことも。
どちらかというと、ニイナ・漁火=スレイヴイレスパースリーという女は、大事な人を守るために単純な想いでもって前へと進むタイプだろう。愚直に、その手に唯一の獲物を携えて。
「……犯人を捕まえたいだとか、殺人事件ではないという結論を得たいだとか、そういう事ではないんだ」
「じゃあ何さ」
女の、少し気弱なところがある垂れ目が、それでも真っ直ぐにこちらを見据えた。
嫌な目だと思う。
「真実には人を納得させる力がある」
「……」
「どのようなものであれ、まだ『答え』は出ていない気がする」
……嫌いな目つきだ。
弱いのに、強がりを続けている者がする眼差し。背負うものの大きさから強がりを捨てきれない、引き下がれない者がする目だ。
「人の口には戸が立てられないという格言はまさにその通りだ。……このままでは殺人事件が起きたという話が噂に尾ひれを付けていずれ出回る。20世紀近く決して起きたことのない殺人事件が。私には、それがどのような影響を及ぼすか想像もできないんだ」
漁火の弱り切った一言に、ノヴァク・金猫は一切の反応をしなかった。
女の、真実黄金色をした瞳は何一つ畏れることなく瞬きをする。震えることのない視線の形に、漁火とて目を逸らすことはしなかった。
やがて。
「……ふん。漁火のくせに気弱じゃん。そんな情けない姿見せないでよね、なんかこっちまでしょんぼりしてくるから!」
わざとらしく頬を膨らませてそう言えば、漁火は重々しく頷いた。
一定の譲歩を見せ合うことで狭い馬車の中で雰囲気が弛緩する。
「……そういえばセオ様、この辺りに有名な菓子職人がいるのを知ってますか?」
「お菓子職人さんですか?」
「はい。一日限定数百個の羊羹だとかお饅頭を作るんですけど、甘くて、なのに奥行のある味わい深さがあると言うか……」
「それはとても美味しそうですね……」
「あっ! ほら、あの看板です!」
「まあ。ふふふ。立派な看板ですね!」
“現場”までもう少しかかる移動時間を、今度はツアワリとセオが話し始めた。二人の他愛ない雑談を漁火と共に聞きながら、考える。
さて。
この事件、どういった決着の付け方がいいのだろう?