『世紀の聖女』セオさんが誘拐犯の私をニコニコ振り回していく。   作:てりのとりやき

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お子様ランチは如何にして殺人事件に旗を突き立てたのか(not perfect muder)-④

 

 

 馬車で揺られること小一時間。時間にして正午を少し過ぎた程度の頃合い。ゆっくりと停止した馬車から降りると、目の前に一軒の家屋があった。

 漆喰と煉瓦、木材を組み合わせた一般的な白の壁材。赤い屋根も粘土を素焼きしただけの瓦だ。97年間一度として雨の降らない、雲一つない快晴の青を背景に見上げると、その輪郭は際立って目に映る。

 

「外観は……普通の家、だね?」

「ああ。一人で住むには少し広いかもしれないが」

 

 先だって降りている背の高い女――漁火がノヴァクの呟きにそう応えた。馬車の傍で待っていた少女二人がキョロキョロと辺りを見回すのに合わせて、周囲を観察した。

 家屋には特別変わったところはない。 

 1階建てで、柵で囲まれた小さな庭に、玄関扉が真正面に見える。何かを植えたりといった趣味はなかったのか、庭には雑草が生えるばかりで花壇や畑の痕跡はない。しいて言うなら生ごみでも埋めていたのか、少し盛り土があり、そこだけ雑草が他より低かった。──この家に住んでいた男が以前掘ったのだろうか? 

 

「ああ、その庭な。掘ったような跡だったから調査していたが、あったのは豚か牛なんかの骨や内臓とかだったぞ」

「なるほどなるほど」

 

 家屋の外にそれ以上見るべき場所がなかったので、漁火と共に玄関扉をくぐって屋内へ入った。間取り図の通り一本の廊下があり、その途中にはトイレと洗面所、その奥には浴室。廊下の突き当りにある引き戸の前で、先頭を歩いていた漁火が振り向いた。

 

「ツアワリ。セオ様。かなり刺激の強い光景になるから、辛かったらすぐ言うんだぞ」

 

 後ろにいるツアワリとセオがコクコクと頷く。癖のない黒髪と柔らかな亜麻色の髪が同時に揺れた。

 引き戸を漁火が空け、その奥へと入っていく。その後を三人で付いていくとやけに殺風景なリビングが現れた。

 壁一面にずらっと並ぶ本棚に、ぎっしりと隙間なく詰まった本の数々。椅子とテーブル、簡単な筆記具に天井照明が一灯……。

 そして何より。

 部屋の中央にある、『ぐちゃぐちゃ』という言葉以外で説明できない“それ”。

 

「……」

「──」

 

 上あごから上は砕け散っており、頭蓋骨の中身がべっとりとまき散らされている。ぐずぐずに崩れ、腐り、虫食い穴だらけの死肉が詰まった腹部は肋骨が半分以上姿を見せていた。

 頸椎、腰骨、頭蓋骨、胸骨、手足──人特有の形状をした骨の数々が、徹底的に砕かれているのがよく見て取れた。どの順番で槌が振るわれたかまでは分からないが、どこを打ち砕いたにしろその時点で即死だったはずだ。それでも腰、首、頭蓋、胸と執拗に砕き続けるというのは、確かに強烈な殺意をまざまざと見せつけている。

 

「死体は“神の透明な血”を注入してある。現場を保存しておきたくて」

「透明な血って……もう随分昔に生産できるようになったって聞いたけど?」

「習わしってのは従うに足る理由があるんだ。信仰は大事なものだ」

 

 “神の透明な血”とは、生体に反応する特殊な樹脂硬化剤だ。古くから天上の神々によって供給され続けた薬品だが、生体化学技術を発展させるうちに人類でも生成可能になった。変死体など、漁火が言った通り保存目的で使用されることが多い。

 2か月前の腐敗死体がこうもまざまざと強烈な朽ち行く過程を見せつけているのは、樹脂化しているからということ。よくよく見れば死体の全体が透明な光沢で覆われている。

 死体の観察を切り上げ、14歳の少女二人へと目を向けた。

 ツアワリもセオも、これほどグロテスクな死体を見るのは初めてだったかもしれない。顔は血の気を失って蒼白で、体が小刻みに震えている。

 

「ツアワリ、大丈夫? 休む?」

「……平気。大丈夫。私、司祭だから」

「セオさん少し休もうか」

「い、いえ。大丈夫です……もう慣れました」

 

 気丈な少女達だ。

 とはいえ刺激の強い現場であることに変わりはない。漁火が部屋の隅に畳まれていた毛布を広げ、死体に被せる。もともとそうやって人の目に触れないようにしていたのだろう。

 

「とまあ、こういう状態の死体が2か月ほど前に発見されているんだ」

「現場の状況は死体発見当時と同じ?」

「そこは保証する」

「勝手に歩き回ってもいい?」

「まあ……あまり触らなければいいぞ」

 

 漁火が頷いたので、リビングの中をゆっくりと巡りだした。

 部屋にある窓は確かに隙間という隙間を徹底して防水テープが埋めている。外気と遮断されていたという漁火の事前説明を否定する材料は確かに無い。

 それよりも──と、女の金色をした眼は壁一面の本棚に向かった。

 

「んー……本、多いね」

「た、確かにそうですね」

 

 なぜか応じたのはツアワリだった。

 主席司祭として人前に立つ機会も多いというのに、少女の声音は上ずっている。心なしか頬が赤く、猫目の瞬きも異様に多い。

 

「職場の者によると、もともと読書が趣味だったようだ。よく読む本は娯楽小説……らしい。そこの本棚には職場で製作した本なんかも混ざっているらしいぞ」

「へ、へーッ。そんなに本が好きだったんだ―」

「んっ? なんか変わった装丁の本があるね」

「どれのことでしょうか?」

 

 死体が覆い隠されて落ち着きを取り戻したらしいセオが、本棚の一部を見つめているノヴァクの視線を追う。頭一つ分背丈が違う少女はつま先立ちになった。

 

「ほら、あれあれ。『色無き瞳と髪を持つ君へ』って、なんか変わったタイトル……」

 

 その背表紙に向けて女の細い指が伸びた、その時だった。

 

「──わ、わー!」

「どひゃあ!」

 

 いきなり隣のツアワリが大声を上げた。突然のことにノヴァクも、セオも、漁火も少女を凝視する。

 ツアワリ・桜花の顔は真っ赤だ。

 

「びッ……くりしたあ……。ツアワリちゃん、いきなり大きな声出さないでよ」

「ご、ごめんなさい。その……つい」

「ついて」 

 

 まあいいけど。

 

「──それより見てよあの本。なんか気になるタイトルだよねー」

「そッ──その本を読むとノヴァクさんは呪い死にます!」

「えええ!?」

 

 殺人行為を禁止されたこの世界において『呪いをかける』とは最上級の罵詈雑言である。

 普段の言動から生真面目な少女が叱ることはよくあっても、理由もなくボロクソに貶されたことはない。困惑と悲しみから涙目になりながらツアワリに向き直った。

 

「なんでなんで? 私なんかまずいことしたの!?」

「私が呪います!」

「!?」

 

 一体急にどうしてしまったんだツアワリは。いや、どうしても何も、そういえば馬車で移動中も何か様子がおかしかった。あれは確か被害者の職場が活版印刷をしていて、個人レベルの少数発行本を製作している云々の話が出た辺りで……。

 本。

 棚。

 献本。

 突然の罵倒……。

 

「まさかツアワリちゃん……」

「あ、あのあのあのそのそのそのええと──」

「こら二人とも!」

 

 ついに目を白黒させだしたツアワリが何かを言う前に、眉間に皺を寄せた漁火が、眉を立ててこちらを睨む。童顔には似つかわしくない怒りの表情。

 

「事件現場ではしゃがない! あと金猫、見る分には構わないが手には取るな!」

「はーい」

「ごめんなさい……」

「……で、どうだ」

 

 場を仕切り直すように、口調を改めた漁火がそう言う。

 

「うーん……事実確認以上に新たな発見はなさそうだね」

「そうか……」

「しいて言うなら本棚が多くて、小説がたくさんあることくらい?」

 

 この家に住んでいた男の生活模様について理解は及んだが、それが事件の解決に役立つものかと言われると難しいところがある。漁火は真剣な目を向けてくる。

 

「金猫。お前の考えを聞かせてくれ」

「んー……まず、あれは自然死ではないよね。推定容疑者の誰かによる、明確な意志をもった行動の結果があの死体だと思う」

 

 “あれ”──今は布団によって覆い隠された凄惨な腐敗死体。独り暮らしだから、急死に誰も気づかないまま腐敗したというなら話の筋は通る。だが死体の各部は徹底して打ち砕かれており──何より。

 

「だけどあそこまで派手な破壊行為をしておいて、それを見せつけるみたいに現場に残す……」

 

 室内を歩く。

 呟きながら向かった先は部屋に備え付けられた窓。部屋側からのロックが掛けられ、何重にも貼られたテープが通常の手段での開け閉めを不可能にしているのは一目で分かる。

 

「やっぱり防水テープに剥がしたような跡もない」

 

 同じような密閉処理が家屋の全ての箇所にされているという事実。唯一テープが張られていない廊下とリビングを繋ぐ引き戸も、廊下側からはテープが張られていたという。

 犯人は防水テープによる密閉処置と、死体を今保存されている状態までの破壊という2工程を処理した後に、リビングを出た。そして引き戸にもテープを張った後、何事もなかったかのように玄関扉から出て鍵を掛けた……。

 

「だけど合鍵もマスターキーもなく、存在しないはずの鍵が密室を完成させている……」

 

 “教会”の調査を疑う必要はないだろう。信徒数599億人を擁する世界規模組織が、その人海戦術を以て数年以内に錠前業者へ合鍵製作の依頼が入った事実はないと判断した。

 容疑者本人によって鍵が作られた可能性を否定することは出来ないが、――しかしノヴァク・金猫は知っている。この世界の技術文明レベルは、思い付きをそのまま形に出来るほどの加工設備が誰にでも触れる形であるわけでは無いと。何故錠前業者というものが存在できるかと言えば、そこには経験と専門技能と特殊な設備を必要とするだけの理由があるからだ。

 恐らく漁火も同じ考えだから、個人製作の可能性を排除している。

 鍵もなしに玄関扉を閉めることはそれこそ鍵の構造に詳しくなければ不可能だ。……鍵が有る無しに関わらず、いずれにせよそれはとある事実を決定づける。

 

「明らかな第三者による犯行……他殺……」

 

 存在しないはずの鍵を持つ者。

 故意の密室。

 誰が、何故……? 

 頭の中で無数の言葉が巡り続ける。鍵、密室、理由、鍵、密室、理由。そのうち足が勝手にその場でくるくると歩き回りだした。鍵、密室、理由……。

 それを見ていた二人の少女がハッとなって顔を見合わせる。

 

「まさか……」

「『また』かもしれません……! これは珍しいパターンですよ……!」

「『また』?」

 

 漁火が首をかしげるのと同時、動きを止めた女の金眼が三人をそれぞれ見つめ、ぽつりと呟く。

 

「この事件さあ……解決できなくない?」

 

 ──ごくりと誰かの喉が鳴った。

 修道服姿の少女が三人を代表するかのように一歩前に出る。

 

「つまりノバさん。またしても、なのですか……?」

 

 問われ、言葉の意味を探るのにノヴァク・金猫は一度だけ瞬きをし──女もまた何かに気付いた様子で、その場で崩れ落ちた。

 項垂れ、歯噛みし、悔し気に。

 

「今回もやっぱり残念ながら迷宮入りだ……ッ」

 

 喉奥から絞り出した言葉に、急に始まった茶番に、漁火の垂れ目が冷めた様子で女を見下す。

 

「はぁー…………。──無能」

「シンプルに酷いな!」

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

「それで漁火、“教会”にはなんて報告するの?」

「なんても何も、ノヴァク・金猫は無能でザコい犯罪者だったから役に立たなかって、それだけだ」

「なんか冷たくない? しょうがないじゃん分かんないものは分かんないんだしさあ!」

 

 家屋を出、帰りの馬車に乗る直前。事件未解決という結論に至ったノヴァク・金猫にはもう利用価値がないのだと言いたげに漁火の態度は冷たい。

 頬を膨らませて不満をあらわにする女に向けて、童顔の女がするにしてはやけに鋭い横目が向けられる。

 

「……本当にあんたが分かっていないなら、仕方がないんだろうな」

 

 言われても表情は変えなかった。

 本当に何一つ分からないのだと態度で示す。そんな女に、漁火は小さなため息を一つ吐き、家屋の前で待っていた御者に目的地を伝えだす。

 ツアワリは漁火の後ろで馬車に乗り込むのを待っていた。先ほど見た腐乱死体が余程衝撃だったのか、はたまた本棚にあった例の本について思いを巡らせているのか……。とにもかくにも思案に沈んだ顔のまま大人しくしている。

 そしてセオはと言うと。

 

「ノバさんノバさん」

 

 くいくいとノヴァクが着ていたオーバーサイズのパーカーを引っ張って、小声で女の名を呼んでいる。

 おや。何事だろう。

 普段よりも幾分か小さな声音に自然背を曲げ、耳を近寄せた。

 

「セオさんどうしたの?」

「大きな声では言えないお話をしたいです」

「むむ……っ。こそこそ話だね、わかった」

「──二人とも。どうした? 帰るぞ」

 

 馬車に既に乗り込んでいる漁火が、不思議そうな顔をしていた。ノヴァクはにっこりと笑って「ごめーん」と両手を顔の前で重ね合わせる。

 

「漁火! 私セオさんと密会するからちょっと待ってて!」

「……少しだけだぞ」

 

 渋々女が頷くのを見てから、セオに向き直るとその場でしゃがみ込んだ。両膝を突き合わせるノヴァクの姿勢に、女が履いているダメージジーンズは剥き出しの膝を曝け出す。セオも悪戯っぽく笑うと、同じようにしゃがみんだ。

 

「それでそれで? なんの話?」

「あのですね……」

 

 少女は言いつつ両手を口に添えると、筒の形にした。──意図が読めた。よっぽどこそこそ話したい内容らしい。

 だから、セオの口元に耳を寄せると。

 

 

 

「真相を、私に教えてくれませんか?」

 

 

 

 囁く声音は強い好奇心に満ちている。顔を離して、つい怪訝そうに少女を見つめてしまった。

 少女は、セオは──聖女様は、いつにも増してにこにこと微笑んでいる。

 

「ま、まるで私がもう答えに辿り着いてるみたいに言うね……」

「あら。違うのですか?」

 

 弧を描く目のままセオはピンと人差し指を伸ばした。

 

「ノバさんは言いました。──『まず間違いなく他殺だよ』、と」

 

 得意げに。

 そして楽しそうに。

 

「ニイナさんは最初から殺人事件だと口に出しているのに、しきりにノバさんは言いました。他殺(・・)。今日のノバさんは、ニイナさんから事のあらましを聞いている最中からずっと、殺人(・・)とい(・・)う言(・・)葉を(・・)一度(・・)も使(・・)って(・・)いま(・・)せん(・・)

 

 セオが楽しそうにそう言うから、ノヴァク・金猫も楽し気に笑って見せた。

 

「単なる偶然じゃない?」 

「私の知っているノバさんは一度とて嘘を吐かない人です。嘘を吐かないノバさんは、だから無駄なことを口には出さないのです」

「いいんじゃないの? これが殺人事件で、犯人も凶器も見つからなくったって」

「大地で何が起きようと、空の上では主の方々が今日も浮かんでいるから──ですか?」

 

 そうとも。女は頷く。

 地上で人が死のうが何が死のうが静止衛星軌道上を周回する神三体は周回し続けるだけだ。

 殺人を禁じ、

 経済を禁じ、

 ──だが、だからといって罰は用意していない。

 

「神様はね、人を律しはしたけど、それ以上は決めなかったんだ」

「ええそうですね。『教皇』ハイファティ・花疵(カシ)は1977年前の出来事について、確かに、今で(・・)もそ(・・)う証(・・)言し(・・)てい(・・)ます(・・)

 

 “教会”における最上位聖職者──『教皇』は、1977年前の当時を、今でも正しく説明し続けている。

『教皇』の証言が真実その通りであることをノヴァク・金猫も、……まあ、否定はしない。

 

「だったら誰が誰を殺したとか、何が何をしでかそうとしてるかなんて、どうでもよくない?」

 

 禁忌を破ったところで《真理大数11/12(イレニトエル)》も《GHAPS(ガープス)》も何もしないのだから。密室殺人事件の真相解明なんてものに端から興味がなかった理由の最たるところはそれだ。

 ありもしない罰を恐れ、罪を拒む姿勢に何の意味があるのか。

 ノヴァク・金猫は犯罪者だ。罪を犯せる者だ。

 

「数日前にさ、漁火が言った通りだよ。明るみに出て、かつ記録された前科だけでも300件は超すような女に正常な価値観を求める方が間違ってるって思わない?」

 

 しかしそんなノヴァク・金猫に、セオは的確かつ有効な切り札を用意していた。

 少女は未だ崩れない微笑で言う。

 

「でも、お願いを一つ聞いてくださるのですよね?」

「う」

 

 少女が修道服のゆったりとした裾から取り出したのは、紙で出来た小さな旗と、それを糊で巻き付けた爪楊枝──お子様ランチの旗だった。

 数日前、『案月食堂』にてお子様ランチの旗を倒さずセオは完食している。そんなセオに『旗を倒さずに食べきれれば願い事が一つ叶う』と言ったのは確かにノヴァク・金猫だ。

 わざとらしく、両手でそっと握る紙と爪楊枝で出来た旗にだけ目線を向ける黒い瞳。

 

「お願いを一つ叶えてくれるとノバさんは約束してくれましたよねー?」

「う゛……」

 

 こうなると弱いのはノヴァクの方だった。

 ノヴァク・金猫は犯罪者だ。この世のありとあらゆる罪を犯してきた。言動から他人に信用されず、個人的にもそれでいいと思っている生き方に躊躇いはない。

 しかし、ノヴァク・金猫は嘘()吐かない犯罪者だ。特に、今目の前でお子様ランチの旗をひらひら振っている少女に対してだけは決して嘘を吐かないと決めている犯罪者なのだ。

 ──ややあってから、女が浅くため息を吐いた。

 

「はあ……。セオさんって結構鋭いよね」

「ふふふ。ノバさんと一緒に旅をしたおかげです」

「でもねセオさん」

「はい、何でしょ────むぎゅ!」

 

 動いていた少女の唇が唐突に止まる。喋りを邪魔したのは女の両手だった。細い指をぴったりと揃えた掌二つが、セオの頬を両側から包み込んでいた。

 尖った唇が生まれたてのアヒルみたいに可愛らしい少女へと、女の黄金色をした虹彩が真っ直ぐに向けられる。

 

「こんなことを『叶えたい願い』にしないで」

 

 一切の嘘偽りを省いた真摯な眼差しがセオだけを見つめている。

 一切の嘘偽りを省いた真剣な声音がセオだけに話しかけている。

 

「セオさんはもっともっと沢山望んでいいんだ」

「……」

「お願いになんかしなくたって、私は君の望みを何でも叶えるって決めているんだから」

 

 掌の中で、それまで微笑みを崩さずにいた聖女の完璧な表情が緩んでいた。赤い頬に、赤い耳に、首筋には薄らとした汗まで浮かぶ。

 ……少し強く触れすぎたかもしれない。

 セオの反応に包み込む圧を弱めると、今度は少女が己の空いている片手をそっと重ね合わせた。──女の手に、自身を包み込む大きくて細い手に。首を傾げて頭の重みを預けながら。

 

「…………はい。私、この旗は大事にします。絶対、絶対、大事にします」

「うん。いい返事! ……にしてもセオさん~?」

 

 歯を見せて笑ったノヴァクは、一転して声の調子をいつものおちゃらけたトーンに切り替えると、未だに触れたままでいる少女の頬を、少しだけ──本当に少しだけ強く包み込む。 

 

「きゃっ。の、ノバさん?」 

「こんなことでお願い権を使っちゃおうとしたのはこのふわふわもちもちのほっぺたかな~?」

「ノバさん、くすぐったっ、ノバさっ、……くすぐったいです! ふふ、ふふふ……綺麗な金色の髪が、鼻をくすぐって、ふふ、ふふふっ、ノバさんっ」

「……ねえ、セオさんセオさん」

「ノバさんノバさん、何でしょうか」

「私はたぶん何も解決できないよ」

「……」

「なんでも出来るわけじゃない。今の状況から推測できるだけで、それがどこまで事実や真実を含んでいるかは聞き手の想像に任せるしかない」

 

 なぜならノヴァク・金猫は犯罪者だ。

 罪を犯せる者が、社会の根幹をなす常識から外れた視点で物を見た時に現れる結論……それは突拍子もないものだろうから。

 

「そして、明確な解をもった真実ではきっと無い──どこかにもやもやとした曖昧な謎を残すものだ」

 

 事実や真実というものに常に明確な答えがあるだなんていうのは幻想だ。ノヴァク・金猫は知っている。十分なくらい理解している。

 ゆっくりと女は少女に触れていた両手を離す。自由になったセオへとぽつりと言った。

 

「ねえセオさん。私は神様じゃないよ」

「──はい、知っています」

 

 セオは即答し、更に続けた。

 

「ノバさんは主の方々のように全知全能ではないのでしょう。だけど私は、得意不得意なことがあるノバさんだから……」

 

 少女がお子様ランチの旗を持ったまま、両手で祈りの形を組む。目を瞑り思い浮かべる光景はきっと二人が出会った時だ。

 何故ってノヴァクとて目を瞑ればいつでも簡単にあの時の出来事が浮かび上がる。

 

「……ノバさんがひと時ひと時を悩み、考え、その末に最善を尽くそうとしている人だと。出会ったときに一目見て分かったんです」

「私、そんな顔してたかな?」

「はい。してました。私の直感はよく当たるのです」

「ンフフ」

「ふふふ」

 

 二人して笑い合い、ひとしきり心地よい笑い声だけが耳を打つ時間を味わったあと。

 ノヴァク・金猫は立ち上がり、セオと共に馬車に乗り込んだ。漁火とツアワリが仲良く並んで座っているので、ノヴァクとセオも同じように並んで座る。

 

「遅かったな。なんの話をしていたんだ?」

「んー。ンフフ、内緒!」

「そうか」

 

 腕組みをして二人を待っていた漁火が御者に出発の指示を出すと、馬車がゆっくりと動き始める。からからと道を進むたびに車輪が揺れる音が響く室内で、ノヴァクは言った。

 

「漁火。これ、殺人事件じゃないよ」

「は? 急になんだ」

「だから殺人事件じゃないよ」

「いや。でも、死体が……」

「そもそも誰も死んでないよ、人は(・・)

 

 

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