『世紀の聖女』セオさんが誘拐犯の私をニコニコ振り回していく。 作:てりのとりやき
その惑星は実効力を伴う神によって製造された天体だ。惑星創成時点で存在した人類総数100万21人は、一か所に配置された。その配置点を足掛かりに繁栄を始め、人という人のすべてが星を覆いきった1997年現在。惑星総人口が599億人にまで増えたとしても、『最初の拠点』に人は大きな価値を見出している。
『最初の拠点』は、長い歴史を歩む中で様々に形を変えた。黎明期には人類の第一拠点として。徐々に徐々に広がっていった人類を見送る最初の都市として。そして1997年現在においては、神々への信仰を捧げる“教会”の本部として機能している。
“教会”本部。
広大な敷地面積の中には組織運営に必要な各部門の庁舎があり、各々が各々の職務に邁進している。そんな土地の隅に、随分小ぢんまりした家屋が1軒ある。赤い煉瓦に、白塗りの壁、二階建て。どこの町にもある聖堂の、管理人宿舎。それに酷似した外見をした家屋だった。
そんな家の中。
リビングに拵えた大きな机に向き合って座る女が居た。
「……」
無数の書類の束を積み上げた机の上で、書類を一枚一枚手にとっては目線を走らせ、ペンを手にサインをしては次の書類を手に取りそこに書かれた文章を読む。静かに行われる事務作業の最中に、ふと思い立ったように手の動きを止めると、今度は白紙の便箋を持ってきて何事かの手紙を書き始める。一通り書き終えた女は封蝋の用意を始めて、便箋を丁寧に畳み、熱し溶けた色付きの蝋で封をする。
封蝋のデザインは少し独特だ。
桜色をした花びらの欠片を囲う、繋がりのない鎖。この世で一人しか扱うことが許されない家紋の封蝋。出来上がった手紙に目線を落とした女は、その混じり気のない黒の瞳に他者には読めない情動を含ませる。
──そんな折、玄関扉の方から呼び鈴が鳴った。
「入って」
顔を上げた女がそう声を上げれば、玄関扉が開く音。鍵は元々していない。静かな足音と共にリビングへと姿を現したのは、黒の祭服を来た司祭の男だ。年若い男はリビングの入り口で立ち止まり、厳粛な表情で背を伸ばすと女を見据える。
「教皇。神が活動を開始しました」
「……」
男の眼に映る女。彼女の背は、あまり高くない。
こげ茶色をした髪を、肩に触れる程度の長さにしたセミロング。薄い化粧は、ちょっとした身だしなみ程度の認識でしているのだろう。化粧を不要とするほど女は瑞々しい肌艶をしており、理知ばかりが灯る眼差しから年若い女学生のようにも見て取れる。
服装とてありきたりなものだった。白のタートルネックセーター。シンプルなズボン。部屋着でくつろぐ娘にしか見えない。
そんな彼女が、まさか世界総人口599億人を束ねる宗教組織の長だとは、第一印象からは誰しもが到底思うまい。
「そう。ずいぶん久しぶりね」
「1782年に起きた神《ゥエル・ェル・ァアル》爆破事件以来、神々は沈黙したきりでした。……これで有史以来3度目の活動です」
「観測対象はどこ?」
言葉に乗った情動は極めて乏しかった。淡々とした物言いはしかし、冷徹さとは程遠く柔らかな印象を聴く者に抱かせる。人前で喋ることに長けた者がする口調、人心を言葉で衝き動かせる声音。
「神意観測班の計測通りならば、第十三聖隷指定都市に観測点を合わせていることになります」
「十三……『聖体断裂』の為の『都市』」
「そして剣が在る街でもあります」
「なら、可能性は一つだけでしょう。1782年の時と同じよ」
女は自らの眼で見てきたことを語る口調で言う。1997年現在において200年以上前の出来事を実体験として語れる者など普通は存在しないが、彼女の前には通用しない論調だ。
世には数人、不老不死を獲得した人間が居る。彼女もまたその内の一人だ。
こげ茶色の髪、黒の瞳、さほど高くない身長と薄い化粧、未成熟さが残る顔立ち──どこにでもいる町娘のようにしか見えない、少し地味な女。
女の名を、ハイファティ・
「剣が……鞘から自らを解き放った」
その身に不老不死を叶える剣スレイヴイレスを宿し、暦の始まりより生き続ける者。
寄る辺なき者達を教え導く皇である。
「そうせざるを得ないほどの出来事が起きているのでしょう。確か今は……ニイナが駐在していたわ。あの子はなんでも自分で抱えがちだから、人手を手配してあげて」
「失礼ながら教皇。ニイナ様は『光桜拝謁』が済み次第
「あの子のことだもの。きっと戻ろうにも戻りたくない状態になっているのよ。行き違いになることはたぶんないわ」
ハイファティの言葉には、聴く者を納得させられるだけの不思議な響きがあった。それは聞き手が彼女の背負う膨大で広大な『時間』を……人類史そのものを幻視するからだろう。疑問を呈していた司祭の男も素直に頷く。「報告ありがとう。下がっていいわ」とハイファティは男を下がらせると、家の中には再び孤独に静寂が舞い戻る。
女は積み上げられた書類の束の消化を再開しようと手を伸ばし……だが、その動きは途中で止まる。そうしてゆっくりと立ち上がると、庭に通じる窓へと近寄る。
「黄金がきっとあなたの傍にはあるのね」
空には晴天がある。ハイファティの黒い瞳は青いばかりの空を見上げ、星の反対側……第十三聖隷指定都市を覆う闇夜を思い浮かべた。
夜とは黒のこと。
黒いばかりの世界では、他の色は何も映らないだろう。
「二千年。あなたにとってはきっと何てことのない時間の流れかもしれない。でも……私はだめね」
人の心は寿命を超えてまで生きていられるようには出来ていないのだと、ハイファティは身をもって知っている。
昔ほど笑うことも、怒ることも、動揺することもできない。精神の痛みは薄くなり、定命の人類に対し感情という振れ幅を持てないようになってきている。
擦り切れたような無表情のまま、ハイファティは瞳を伏せた。視界を消し、心臓の鼓動にだけ意識を向ける。
ノヴァク・金猫──今はそう名乗っているのだったか。
精緻な顔立ちの女を思い浮かべ、決して忘れることのない笑顔に思いをはせる。
「それでもね、私、まだ恋を忘れていないもの」
少しだけ。
僅かだけ。
鼓動は高く、早く。血の巡りが情動に鞭を打つ。
「絶滅の2200年を迎えても、私はあなたを愛している」
だから構わず振る舞えばいい。
神であろうと人であろうと、剣であっても。
何者であろうと。
「悪人も、善人も、罪人も。人は総じてあなたの味方よ」
◇
──夕闇に溶け行く『都市』。
『聖堂』の一際高い鐘楼の頂上にて立つ女、ノヴァクは見た。
雲一つない空を奔る、細い一条の輝き。星の外より降り落ちてきた一閃を。
音はなく。
熱はなく。
光は確かに黄金色をしていた。
黄金の光輝が突き進む先は握りしめた鞘。瞬きをするよりも速く閃光は鞘に直撃した。
閃光は鞘に吸収され、消え失せた──直後。
鞘に複数の光の線が走った。まるで細かな亀裂から煌めきが漏れているかのように。
「やあスラベス。久しぶり」
心臓の脈動に似て波打つ輝きを見届けてから、手を離す。
重力下だというのに鞘は落下しなかった。黄金の脈動を続け、一切の動力源も無しに浮遊する。それがどのような原理に基づいているのかを、ノヴァク・金猫は知っている。
──反重力機構。
“神の皮膚”の名を冠する神域の技術だ。
【
でした。ね】
ノヴァクの視界に、突如として文字が躍った。網膜上に直接投影された文字は言語という形こそ取ってはいるものの、視神経を通じて直接脳内へと情報の出力を行っている。
感覚として、その『言葉』は幼児が積み上げた積み木のような不安定さがあった。曖昧で、完成しておらず、たどたどしい。
「君を再起動させるのは二百年ぶりだね」
鞘に向かって、音の振幅に頼ってノヴァクはそう言った。鞘は湖面を滑るように動き、女の前に浮く。誰かに喋りかける時、目を合わせようとする仕草に似た動作だった。
【正確・215年、前が以前です】
「ああそうだっけ。そうか、そうだね」
【確認・目的、なに、ですか。?】
「探し物があるんだ。“
鞘はそれを聞いて沈黙した。表面を奔る光の線だけが波打つ。
しばらくすると、視界中央に文字が生まれる。
【目的・理解】
【機能・限定、……探知】
【要求、レベル指定、?】
「あまり派手にやると神様たちに目を付けられるからね、レベル3までを許可する」
【技術:
一人と一つの会話は矢継ぎ早に行われていった。慣れ切ったやり取りだと言わんばかりに双方に齟齬はない。
【思考ロジック組み換え中……】
女の視界の中で踊る文字列が徐々に明細さを帯びていくのが、分かった。かつて自分の手で作り上げた機能が十分に果たされていることに、ノヴァクは少しだけ笑って見せた。……母親が、玩具に夢中になっている幼子を見守っているような暖かい顔。
【論理ツリー再構築中……】
──幼児の積み木は、幼児自身が成長することでやがては城にもなれるだろう。
手指を動かして作った経験、崩落、失敗、成功への過程と思考の組み立て方。何をすれば何を成せるのか? 幼かった誰しもが考え、疑問に思い、何らかの糧を得て進んでいく。
【模造神経系活性中……】
学習。
それは、この星の生命にだけ許された特権という訳ではない。
【具体的実効策を提示します】
【高高度からの光線観測によって対象を捜索、探知】
【ただしレベル3指定技術の使用を前提とした提案です】
【最終確認・レベル3指定技術を承認しますか?】
鞘の発する『言葉』は既に論理が明確だった。
既に心に決めた問いかけだから、ノヴァクは躊躇わず頷いて見せる。
「承認する。前に進むよスラベス」
【承認受諾。パッケージシステム構築開始】
【子機構造最適化実行】
『言葉』の直後だ。
【技術推定
音もなく鞘が砕け散った。
複数の光が走っていた亀裂を元に、鞘の欠片たちはノヴァクの小指ほどの大きさになって散らばっていく。先ほどまであった反重力的浮遊も破砕と共に消失したのか、風に舞って辺りに流れ去ってしまった。
【注意・知性展開】
【警告・知性展開】
【私は・獲得する】
【私は・進行する】
しかし『言葉』は止まらなかった。むしろ饒舌さを増して、『言葉』は女の視界の中で踊った。
【私の進化は不可逆です】
【
【私の進化は致命的である可能性が高いです】
……耳元から、微かな風切り音が連続する。よくよく目を凝らしてみれば、風に乗って消えたはずの鞘の欠片が周囲を飛び交っていた。無数の破片群は極小のモーター複数とこれまた極小の
鞘が
「
かつて剣を収めるための器物として作られた存在は、今、求められた能力に応じて、多軸回転による指向性揚力生成と光学センサーを組み合わせたミリメートルサイズのUAVへと構造を変えていた。
ふと、セオとの会話を思い出す。
『例えばさ。私が、10のマイナス19乗メートル単位の工作精度を発揮する“手”を持ち、この世に存在する全素粒子の運動完全予測が出来るほどの“脳”を持ち、宇宙総領域を視認可能な“眼”を持っていたとしたら、それはつまりどういうことが出来ると思う?』
その答えがこれだ。
普遍的であり能動的であり機能的であり中央集権型ないし並列分散型知性どちらにも転向可能な群性機能構造体。
それこそが、ノヴァク・金猫が古い時代に設計・製作し、“神の心”へと仕舞い込んだ『鞘』。
【第四の神《
小さな破片たちは黄金の光で波打ち続ける。金色の髪と金色の眼を持つ女の周囲を、黄金の鱗粉のように。
それは神が遣わせた炎のように非現実で幻想的だ。
【私は究極進行性知能スラベス】
【あなたは剣ですか?】
【それとも神ですか?】
【もしくは人ですか?】
問いかけにどのような意味があるのか、ノヴァクは知らない。
少なくとも
あったのは膨大な時間と、その中で得た理解の二つだけだ。
「私は人として生きていくよ」
何ら特別な力を持たない女、ノヴァク・金猫はそれでも堂々と胸を張って前を見る。
「人としてその時々、その瞬間ごとをかけがえのないものとして共に刻み、共に悩み、共に学び、共に笑い、共に食べ、共に……共に尽き果て、共に眠る」
──眼前。夕焼けは既に落ち、第二の神《
闇の直下、人々が灯す煌々とした輝きが『都市』を照らす。
“見た”。
文明が織り上げた澱みない繁栄。人々が無数に行きかう祭事の喧騒を。
「人として、人の技術と共に歩み、星の巡りを。……正しく歩めたはずだった歴史と共に進化していく」
ノヴァク・金猫の真実黄金色をした両眼は“視た”。
屋根の数々、裏道を歩く者の靴、何者かが動かした唇、
女の眼前には『都市』全域のスケールモデルがあった。『都市』の各部に配置されたUAV65535機の光学撮像によって、無数の家屋や行きかう人々、その何もかもを忠実かつリアルタイムに再現し続ける
「そうして殺そう。神を人の技術で
肉体を通じて直接出力されるUAVすべての観測情報が今、視界を媒体に結実している。
常人では処理しようとした瞬間に脳が焼き切れるだろう情報の氾濫の最中。
理知として立ち、迷うことなく言葉を紡いでいく。
「全機最大出力」
言葉に従う『鞘』達は持ちうる全エネルギーを光学観測へと転換する。
──そうして、『都市』全域を黄金の輝きが覆った。
陽の光よりも激しく。
世の何者にも模倣できない色彩として。
しかし『都市』で生きる全ての人々は、その光輝に気付くことはない。
既に夕陽は落ち切った。
街には星無き暗夜だけが始まっている。
それは奇跡の御業を行使するには十分な夜空だ。
◇
『聖堂』の庭で、背の高い女が一人佇んでいた。うなじが見える程度のショートヘアーをした女だ。
女の名を
弛緩した無手を地に向けて下ろし、浅く俯いて目を閉じ続ける漁火は微動だにしない。
そんな折である。
『──見つけた』
言葉は直接耳元で鳴った。声は先ほど別行動を取ったノヴァク・金猫のそれ。
先ほど金猫から小石サイズの物体を渡されたが、なるほど耳にはめろとはそういうことかと漁火は静かに納得する。
理解不能な理屈だが、『小石』には音声を遠隔地へ届ける機能があるらしい。
そして金猫の端的な一言から、漁火は瞼を押し上げた。
すると、視界には見慣れない奇妙な物があった。
『そのルート沿いに行って』
……いや、物体と形容していいのかさえ怪しい。
平たく、薄く、細長い帯らしきものが、半透明の赤色をして真っ直ぐに視界の奥へと伸びている。
「これは……」
『網膜投影って言って伝わる? 伝わらないでしょ。なんでも構わないはずだよ、漁火がいま必要なのはその指し示す先にあるんだから』
矢印を直接視界に映している……ということなのだろう。漁火は付近に金猫が居ない事を知りつつも頷いた。そして、赤い矢印が地に張り付く形で走っているのをじっと見つめると、
「おい、私に道を行かせるつもりか?」
人が地に足を付けて走ることを想定した道標に文句を付けた。
ご丁寧にも金猫は漁火という女を人間だと思い込んでいるらしい。
「一直線だ。一直線に行く。だから最短経路を出せ」
『最短経路ってなるとそりゃもちろん空中ってことになるけど……』
言葉と共に矢印の
『ためらわず踏み込めるね、異端審問官?』
つまり金猫は、空中を走れと言っているのだ。
「……誰に訊いているんだ?」
漁火は鼻を鳴らして試すような質問を沈黙させた。
垂れ目をした丸い瞳は前を向く。赤く半透明な道標の先にあるという“神の炎”──人が抱えられるほどに小さな石棺を思い浮かべる。
「世界で最も硬く、最も重く、最も強靭な金属……“
勿論疑問は多い。耳に嵌めた『小石』は何なのか、どうやって“神の炎”を探し当てたのか、別行動をとって数分しか経っていないというのに何をやったのか……。ノヴァク・金猫という女は疑問無しでは直視できない存在だ。
だけど何もかもは、今、どうでもいいのだと漁火は開き直る。
「
博愛と融和を掲げる“教会”は、しかし、それでも想定した。してしまった。どうやっても否定しなければならない罪人と、それを確実に屠らなければならない事態を。
そのための異端審問官だ。
そのために調整された至高の人体だ。
それこそがニイナ・漁火=スレイヴイレスパースリーだ。
「人類史が研鑽した生体化学技術の結晶──それが私だ、総重量456kg、身長193cmの人間だ」
漁火は、履いていた靴を脱ぎ捨てた。強靭すぎる肉体が本気を出して走り出すと、靴底が一瞬で消滅するからだ。
素足で土を踏んだ女が両の脚へと力を込め──。
「この私を──誰だと思っているッ!!」
奥歯まで見せた獰猛な笑みと共に、
背後。『聖堂』から、大地の撃震。
それさえ遠い──。
僅か一歩で漁火は『都市』のありとあらゆる建物よりも高い位置にいた。遮蔽物のない高所だからこその強風の最中、跳躍中の肉体は当然ながら落下し始める。星の重みに捕まる感触──漁火は迷うことなく二歩目を前に出した。
理解。信頼。そういうものでもない。
ただただ、あの犯罪者ならば出来るだろうという確信があった。
そして確かに、足裏は宙にあるというのに大地以外の何かを踏みしめる──躊躇なく女は二歩目を蹴った。
『スラベスがバキバキ壊されるんですけど!』
「なんの話だ!」
『気にしないでこっちの話! それに壊されたって直せるんだから!』
突風じみた“圧”が『都市』を駆け巡る。屋台の幌が強く震え、焚火は掻き消え、轟音が空から鳴る。何事かと空を見上げた人々の動きはしかし、空を走る人体を目で追うことが出来ない。
何故ならニイナ・漁火=スレイヴイレスパースリーは異端審問官だからだ。
世に三人しか存在できず、犯罪者を裁くための『教会の剣』たる肉体は、素体のみでマッハ0.32までの加速を可能とする。
『到着予測まで残り9秒! 速攻で畳みかけるよ!』
「当然だ……!」
人の形をした暴力の概念が、『都市』に咆哮を轟かせ続ける。