『世紀の聖女』セオさんが誘拐犯の私をニコニコ振り回していく。   作:てりのとりやき

20 / 21
神の炎(Theory of Everything)”、降臨―⑤

 

 

 

 

 異端審問官、漁火(イサリビ)は夜空を走った。『聖堂』を離れて僅か十秒。視覚内に強調表示されていた半透明の赤い矢印は『答え』を指し示す。石棺にも似た長方形の立方体、“神の炎”を抱えて『都市』から逃れようと走っている男の背中を。

 

「見つけたァッ!」

 

 場所は路地裏。

 人目を避けた行動、走り疲れつつあるのかどこか覚束ない足さばき。──視界に映る全ての状況に魂の全てが吼えた。

 

「逃がすと思うな……!」

 

 インフラ供給の根幹たる物資を盗んだことへの畏れ? 自らが犯した罪への震え? ──そんなものの為にツアワリ・桜花(オウカ)が泣かなければならなかったのか……! 

 本能から、漁火は剥き出しの激情を従えて一瞬だけ停止した。素足に伝わる確かな足場の感覚を頼りに、腰を折り、膝を曲げ、全身という全身に力を加える。『矯め』を作る。

 刹那の制動。

 直後、女の全身から陽炎じみた“圧”が膨れ上がった。

 

「────……ッ!」

 

 歯噛みした漁火の、全筋肉全細胞を励起するかの如く溢れ出す“圧”。それは錯覚ではない。総重量456kgの質量を持ちながら亜音速にまで加速した超越的人体が、肉体内に留めておけなくなった発熱量を放出するがために茹っているのだ。

 大気を焦がすほどに。

 星無き夜空。果てなき暗い洞。

 夜の世界に、あり得ないはずの蜃気楼が暴力の化身として顕現する。

 そして、矯め切った全ての膂力を、漁火は解放した。

 

「      、 ──」

 

 その跳躍──その突進は、自らの筋肉だけでマッハ0.5にまで到達していた。

 彼我の距離にして僅か100メートル。0.3秒で肉薄した漁火は、路地裏のありとあらゆる物体を抉り削りながら素足で着地。減速を掛けつつも勢いのままに男の背へと手を伸ばし。

 

「──」

 

 漁火は、見た。

 こちらを振り向きつつあった男、犯罪者の表情を。奥歯まで剥き出しにした笑みが物語るものを。

 男の手が握る棒状のシンプルな物体……押し釦の着いたそれは、漁火の記憶に在る限りならば鉱山発破用に用いられるもの。

 ──信管、もしくは起爆装置と人々は呼ぶ。

 

 

 吹 き 飛 べ ッ ! 

 

 

 待ち構えていたのだと、男の指は釦を押し。

 足元の地面が膨れ上がる──直後に鼓膜を突き破る閃光。

 衝撃。

 爆発。

 頭蓋を、その奥の脳漿を揺らす衝撃に、思考は乱れ理性は飛ぶ。

 どうしてか想起されたのは、在りし日の出来事だった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 1983年。とある病院。

 

『おぎゃあおぎゃあ』。

『おぎゃあおぎゃあ』……。

 

 目の前に、わんわんと泣く赤ん坊が二人もいたんだ。

 産まれたばかりで、湯気を立てて泣き叫ぶ赤子たち。二人を取り囲む大勢の大人たちが、これまでの歴史通りに履行された運命に恐れ慄き、幾人かは涙を流して神へと祈っていた。

 

 

 

 二人の赤子は、運命の子ら。

 宿命づけられた人類の試練その体現。

 一つは(インペリア)を。

 もう一つは、(チェーンブロッサム)を。

 本来混じり合うことのない血は、2000年を迎えるために結合した──。

 

 

 

 そして、赤ん坊の一人を。

 先に産まれた女の子を、最も近くにいた若い女性が恭しい手つきで抱きかかえた。産湯で穏やかに洗い、清潔な布で包む。

 慣れた手つきでそこまでを終えると、──女性は寝台で横になる母親へと目を向ける。

 青ざめた顔で女性を見つめていた、たったいま二児の母親になった叔母さんに、……女性は静かに、深々と。

 

「……」

 

 腰を折り。

 ただただ静かに。

 何一つ言葉に出来ない謝罪を込めたみたいに、頭を下げたんだ。

 

「謝らないで……ください。もう、20回目、なのでしょう?」

「……」

「教皇……これは私達人類の宿命で、運命……です」

「……」

 

 教皇ハイファティ・花疵(カシ)は頭を下げたまま何一つ言わなかった。一言も喋らないまま赤子を抱きかかえ、部屋を後にした。教皇と共に部屋に居た人々の半数は姿を消した。

 硬く引き結ばれた唇。その奥に仕舞い込んだ言葉。

 教皇ハイファティが真実その通りの意味で不老不死だというなら、繰り返す1983年のうちに同じような出来事を何度経験したのだろう。

 生まれたばかりの赤子を母親から引き離さなければならない人類の業。

 それを抱えて、人類の代表者たるハイファティ・花疵は何を思ったのだろう……。

 広く、そして静かになった室内で、私は何一つまとまらない考えのまま立ち尽くしていて──すると。

 

「ニイナ」

「……ここにいるよ、おばさん」

 

 おばさんに呼ばれて、私はすぐに駆け寄った。震えの強い表情で彼女は未だに泣き喚く赤子を見つめる。

 

「あなたが……抱き上げて……」

「い、いいのか私なんかで。おばさんが一番最初じゃなくて」

「いいの……」

 

 私はおばさんに言われるがまま赤ん坊を抱き上げ、産湯で洗い、布で包む。たどたどしい手つきに微笑まれて、真っ赤になりながらも必死に。首も据わっていない赤子はそのうち泣き止んだから、私は赤ん坊の愛くるしさにようやく気付けるくらいには落ち着けた。

 

「おばさん。この子の名前は?」

「その子、の……名前……は……」

 

 おばさんが掠れそうなほど小さな声音で呟いた一言に、私は強く、大きく頷く。

 

「うん。……うん! すごくいい名前だと思う」

 

 私が産んだわけではない。だというのに私の胸の内側、奥深いところから暖かいものがたくさんあふれ出した。

 私にも名前がある。ニイナ・漁火という名前。私を、私の母さんはこうやって名付けたのかもしれない。そこには海よりも深い愛情があるのかも。そう思うと、人が次世代へと継いでいく想いの熱量が胸を焦がして。

 無性に、母親になれたおばさんに笑いかけたくなって。

 

「おばさ、────」

 

 ……。

 …………おばさんは、眠っているみたいだった。

 もう、息をしていなかった。

 周りにいた沢山の人達が一斉に騒ぎ始める。脈を測り、声をかけ、薬の名前を叫ぶ医者、祈りの言葉を呟き始める聖職者、たくさんの人がおばさんを取り囲む。彼女の姿が見えなくなっていく。

 

『おぎゃあおぎゃあ』……『おぎゃあおぎゃあ』……。

 

 騒ぎで不安になったのか、抱きかかえた腕の中で赤ん坊はまた泣きだす。

 君の叫ぶ声が近いのに果てしなく遠い。

 

「……ッ」

 

 私は、そっと赤ん坊を支えた。倒れてしまいそうになったから、支えるものがほしかったから。

 泣いてたまるか。泣くもんか。臍を噛む。もう、私は泣いてばかりいられないのだから。

 大丈夫。

 絶対に大丈夫。

 君を……私が守るよ。君のお母さんとお父さんの代わりに。

 何としても、何があっても。

 私が守るから。

 だから、

 

「ツアワリ。ツアワリ・桜花。いい名前だ……!」

 

 だから、せめて泣かないで。

 

 

 ◇

 

 

 

 視界すべてを巻き上がった白煙が塞ぐ。

 肉が抉れ、皮膚が削れ落ち、痛覚という痛覚が産声を上げた。

 

『噓でしょ爆弾?! こいつら、こんなものまで……!』

 

 そして更に、頭上から響き渡った轟音が二度。立ち続けに上方でも爆発が起きているのだと漁火はぼんやりと理解する。

 倒壊する家屋。

 爆薬の臭い。

 

「────」

 

 頭に直撃した重量物。煉瓦か、丸太か何かの建材か……。人に当たってはいけない重量をした物体が連続して全身に直撃した。

 圧し潰されていく。

 視界が消える。

 頭に。足に。肩に、腕に、指に、目に、腹に、骨に内臓に肉に筋に重量物が降り注ぎ叩きつけられる。

 

「やったか!?」

 

 痛み。

 痛覚への刺激。

 殺すつもりの罠だった。

 しかし直接的な危害を加えようとしないのは、まだまだ踏み込めない一線があるということ。

 ……緩い覚悟だと、立ちな(・・・)がら(・・)口端は小さく緩む。

 

「おい、犯罪者」

「──」

 

 瓦礫の山の中。女は微動だにしないまま、数歩先の男へと目を向けた。

 

「な……なんで……直撃、しただろ……!?」

 

 罪を犯し。罪を犯せるだけの狂気を持ちながら。

 一人の少女を泣かせてまで成した罪があっても、人ひとり自らの手で下すことができない。

 ふざけやがって。

 

「ツアワリ・桜花という少女を知っているか」

 

 ──爆心地。一歩、足は進む。

 自らが足を見た。

 肉は抉れ、皮膚は焼けただれ、血で塗れた筋と骨が垣間見える醜悪な怪我。そもそもまっとうな人体ならば肉片一つ残らず吹き飛んでいるはずだ。

 骨は白くなかった。

 筋肉は赤くなかった。

 光の反射率が極限まで抑えられた金属──“神の隕鉄(オズワース)”はひたすらに黒く、それを覆う人工筋肉は不気味なほどに色が無い純白。

 白煙の奥から現れた女の、爆撃から衣服の大部分が焼き落ちた身体を見て、犯罪者の方が息を呑む。

 

「なんだよ……なんだよその体──!?」

 

 まるで折り目正しいパズルが組まれるように走る、全身の縫合跡。

 その奥にある黒き全身骨格、純白の人口筋肉。

 骨という骨を重金属に置き換え、それを覆う筋肉すら張り替える作業。それは施術に50時間以上を要する外科手術によるものだ。

 皮膚をメスで裂き。

 筋肉を切り削ぎ。

 骨を外して。置き換えていく。

 血は溢れ続け、内臓機能の全ては低下し、肉体は死と変わらない状態にまで落ち行く。

 異端審問官適合処置。それは術後生存率0%(・・)の狂気。

 

「こんな姿になっても……あの子は私を家族だと認めてくれたよ」

 

 誰しもに施術できるわけがない。スレイヴイレスがなければ悪辣な人体破壊と変わらない手術を漁火は受けている。生まれ持った我が身を、その骨と筋肉の全てを放棄する人体改造手術──神々が祝福する『人間』というものへの興味から、生体化学技術を異常発達させた人類の所業。

 それこそが、爆弾が直撃しようと平然と立つ女、ニイナ・漁火=スレイヴイレスパースリーという人体だ。

 

「あの子はなあ、生まれつき両親がいなかったのさ」

 

 痛覚など存在しない素振りで犯罪者へと目を向ける。夥しい量の血を流しながら、白煙の最中、女は歩く。話を続ける。

 喋っていく最中にも全身を抉り破壊していた傷という傷が再生を始めた。それは常人にはない再生能力──不老不死たる剣スレイヴイレスを内包するが故の異常現象だ。

 

「寂しかったろうな。辛かっただろうなぁ……。同年代の友達が無邪気に話すのさ、お母さんが迎えにきてくれる、お父さんと一緒にお出かけをする、……だけどツアワリにはいなかったんだ。親というものがいない生活は、私なんかじゃ想像もできない」

 

 漁火は、少女が物心つく頃に訊かれたことがある。

『どうしてわたしにはお父さんもお母さんもいないの?』。

 ……当時は、何一つ答えられなかった。

 

「傍にいたのは何をやらせても不器用で、ばかみたいに飯を食ってばかりの背が高い女だった。頭の硬い女だったからな、あの子が求めるようなものにはなれなかった。迷惑をかけたんだ。何も、何にも、……口先ばかりで。満足にしてやれなかった」

 

 甘えたかっただろう。

 親に甘えてみたかったに決まってるんだよ。──だけど傍にいた女が不甲斐ないばかりに、ツアワリ・桜花は幼い頃から何でもこなした。

 不出来な女の代わりに何でもやったんだ。

 料理も、洗濯も、家事も、……なんでも。女に出来ない何もかもを、あの子は頑張って覚えた。

 

「そんなあの子が言ったんだ。六歳だ。六歳の女の子だぞ? 私に向かって、きらきらした目で……」

 

 異端を裁く為の身体になろうと決して忘れることはない。

 痛みで記憶は破壊できないのだと身を以て知っている。

 ある日の事。

 

『ニイナ!』

『ん? どうしたんだ、ツアワリ』

『あのねあのね、えっとね』

 

 とても大切なものを見つけたのだと、その黒い瞳を輝かせ。

 少女は夢を言葉にした。 

 

「『ニイナみたいなりっぱな司祭になりたい』って」

 

 体は勝手に動いていた。足を震わせ、恐怖から身動きができないでいる男へと一直線に歩いた。

 その歩みを妨げるものは存在しない。

 やがて男の眼の前に立ち、全身全霊を込めて男を睨んだ。血で濡れる顔のままに。

 

「なあ。どこだと思う」

「ヒッ」

「私の神がどこに居ると思う?」

 

 真正面から見下ろす。

 眼光だけで殺してやるつもりで。 

 今。

 ああ。

 ──今、私は最高にブチ切れている。

 

 

 

 

 

「理解しろ。犯罪者」

 

 背後を、突き立てた親指で示し。

 裏道の先。

『都市』のどこからでも見える威容。

 丘の上に建つ『聖堂』を、女は背負う。

 

「あれが、あの子の夢が、私の祈りだ」

 

 

 

 

 

 神で(・・)はない(・・・)

 神だ(・・)けが(・・)祈り(・・)を捧(・・)げる(・・)べき(・・)信仰(・・)じゃ(・・)ない(・・)

 この(・・)身が(・・)抱い(・・)た宗(・・)教とは(・・・)神だ(・・)けが(・・)絶対(・・)では(・・)ない(・・)

 

「私に祈ったツアワリに、私も生涯の信仰を捧げよう──」

 

 言葉の終わりと同時に、更に一歩を踏み込んだ。今度はありとあらゆる膂力を込めて。

 既に再生を終えた素足が地に触れる。総重量456kgを誇る人体が、その身を維持するための身体能力の全てを、その踏みしめた一歩に込める──。

 震脚。

 大地は激震を走らせ、男は転げ落ち、漁火は拳を握る。

 

「あの子が抱いた誠実な信仰をォ゙……!」

 

 道路に背中を打った男へと、躊躇なく片腕を振り上げた。

 ──手指手首前腕肘関節肩まで砕けて構わない。

 ──ありとあらゆる感情を込めて問題ない。

 ──許すな。

 ──怒れ。

 軋み鳴く腕。

 震える手指。

 折り曲がりゆく膝、落とされる腰。

 矯められ爆ぜるのを待つ暴力的感情。

 その全てを、今、力に変えた。

 

「よくも愚弄してくれたな────ッ!!!!」

 

 拳は男の耳横へと叩き落される。

 大地との衝突直後、路地の全てが陥没し、周辺家屋は倒壊した。先の爆発、その衝撃を優に超す一撃。手指の骨を伝って全身に走る衝撃をいなしながら、失神した男を漁火は見下ろす。男が忌々しくも大事そうに抱えていた小さな石棺──“神の炎”を奪い取ると、タイミングを見計らっていたのか耳に嵌めた『小石』経由で金猫が喋った。

 

『周囲の建物の中には誰もいないよ。お祭で出かけてたみたい』

「それはよかった」

『状況終了。お疲れ様。撤収するよ』

「……──いや、まだだ」

 

 男を肩に担ぎ、石棺を脇に抱えて漁火は地を蹴った。そのままの勢いで『都市』の上空を走る。『聖堂』へと戻り“教会”の者に身柄を拘束させるのだ。その移動の最中に、漁火は金猫に告げる。

 

「あんたの言葉の通りなら、今、この都市から脱走しようとしている者が複数いるんだな? 似たようなものを持っている者が」

 

 爆ぜた激情は一度冷え固まることで強固な決意へと直結する。今の自分がまさにそうだ。

 何ら迷いなく続けた。

 

「全員拘束するぞ」

『……了解。全ルートを出すよ。派手に暴れて好きにやれ! 異端審問官!』

 

 

 

 ◇

 

 

 

 同時刻。『都市』の中央広場にて。

 一組の男女が、広場の隅からどよめきの広がる『都市』を眺めていた。

 

「…………ありゃバケモンだな」

 

 男の方が呆然とした様子で呟く。何についてかと言われれば、今まさに広場の上空を突き抜けていった『何か』についてだ。

『何か』。

 それは動体視力に優れた者ならば人の肌色をした物体だと分かっただろう。──しかしそこまでだ。それ以上を素の人体では認識できない。

 

「あれが“教会”謹製の人工筋肉と“神の隕鉄”で構成された改造人間、異端審問官(スレイヴイレスパースリー)か」

「不思議ね。デコイまで用意して複数人が逃走しているのに、一直線に本当の運搬役まで向かっていた」

「偽物を持ってたのは20人だったよな」

「ええ。単純な確率でも二十一分の一。逃走経路の指示をしていたわけでもないから、確率以前の問題なのにね」

 

 平凡に生きていただけの人々の内、一体誰が理解できるのだろう。素の肉体のみでマッハ0.32まで加速し、その速度を数時間以上維持したまま走行可能な同類を。同じ人の形をした者があまつさえ空を走行するだなんて所業を。  

 当然ながら今日を生きる『都市』の人々は困惑と戦慄から立ち尽くしてばかりだった。

 

「まるで空から全てを見通しているみたい」

 

 男女がそうしているのと同じように空を見上げ、時折駆け抜けていく『何か』と、それが生み出す突風と轟音に戸惑いの悲鳴を上げる。

 ……だけど悲鳴を上げるだけだ。

 泣き喚き、混乱から暴動に移り、神経質に発狂するなんてことはない。あくまで理性と信仰心から冷静な対応をできている。

 

「奇跡の御業。……まさか実在するとはな」

 

 人類はかくも素晴らしく愚鈍だ。あり得ないほどに従順で、信じられないほど平和に対し惚気ている。

 理解不可能な事態に手を組んで祈りを捧げる者が、老若男女問わず広場のあちこちで散見された。

 馬鹿馬鹿しい光景と言わざるを得ない。女は思わず吹き出してしまう。

 

「笑いすぎだ、アーティブエイス」

 

 名を呼ばれ、窘められても、女はお構いなしに腹を捩った。

 

「フフ、ウフフ……。だっておかしいじゃない。空を走る人間? 手段不明の探知能力? なにかしらね。私達、いつの間にか絵本の世界にでも迷い込んだのかしら」

 

 口をばっくりと開け、両の手を下腹に当て、体を大きく震わせる。大笑いと言って差し支えない仕草から溢れだすのは明確な感情が一つだけ。

 やがて大仰に笑って見せるのをやめた女……アーティブエイスは、それでもニヤニヤと目を細めながら、

 

「素晴らしい。神の奇跡はこのようにして顕現した」

 

 溢れんばかりの『喜び』を声音に変えた。

 

確定か(・・・)?」

「ほぼ間違いなく。少なくとも1997年現在の技術力をもって解決可能な盗難事件ではないわ」

「……信じられねえ」

 

 女の横で、男はもう一度空を見上げた。息を喘ぐように呼吸を早め、救いを、祈りを捧げるに足る『何か』を探すように四方八方へと眼球を動かし始める。

 

「ああ……本当にいるのか……! 人のための神が……俺たち人類を見守ってきた神が!」

「けれど……そう、やはりあなたは姿を見せてはくれない」

 

 人類史が鍛え上げた究極の個人。……システムとして完成された暴力。そして、人智を越えた神意の発動。それらを用意しなければならない状況に至っても、インフラの根幹に手を出しても、かの者は表舞台に立とうとしない……。

 人を殺すことを禁止されて二千年が経ち、人々はその間に戦争なんて起こさなかった。殺せと言われても出来ない人間ばかりになってしまった。

 不甲斐ない人類の臆病さに失望してしまったのだろうか。

 神は決してその御身を現さない。

 

「神権の代行者を越えなければあなたが降臨なさらないというのなら、──ええ、これがあなたの課した試練なのですね」

 

 空に浮かぶ三つの『主の方々』とやらと同じだ。

 神というものは、よほど被造物に試練を与えることが好きらしい。

 

「であれば“犯罪者達(わたしたち)”は必ず成し遂げて見せましょう」

 

 素晴らしいことだと、女は笑顔で物語る。

 創造者が被造物に難解で達成困難な試練を課すということはつまり、それだけ神が人を愛しているという事に他ならないのだから。

 

「試練って?」

「決まってるでしょう? “教会”保有最高戦力にして人類最強。異端審問官第三席、ニイナ・漁火=スレイヴイレスパースリー」

 

 ひたすらに暗いばかりの夜闇を、一人の人間が疾走していく。『都市』を人体では視認不可能な速度で走り抜け、降下地点で何らかの震動を生み、そうして戻って来る時は人を抱えて『聖堂』へと駆けていく。

 まるで幻想に溢れすぎた出来の悪い観劇だ。

 女も男も、空を(・・)疾走(・・)する(・・)女の(・・)()をまじまじと見つめた。

 

「第一の試練として──まずはアレを殺しましょうか」

 

 祭事の夜。

 果てなどない黒い空の下で、女の笑みだけは奇妙なほど爛々と輝いている。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。