『世紀の聖女』セオさんが誘拐犯の私をニコニコ振り回していく。 作:てりのとりやき
1997年4月某日。
『都市』の聖堂管理人宿舎の二階。私室兼寝室のベッドの上で、グウグウすやすやと気持ちよさそうな寝息を立てていた女が、ウニャウニャと口元を動かした。
「うぅう」
どうやら部屋の窓から差し込む陽光が直接顔に当たるのが眩しかったらしい。日に当たると透けるほど色素の薄い金髪を振り乱し、何度か寝がえりを打った女は、そのうちのそのそと体を起こした。
寝ぼけ眼を擦りながら、女……ノヴァク・金猫はぽんぽんと自分が寝ていたすぐ隣を軽く叩く。叩く――というよりも、さするような仕草だった。
ん? とノヴァクは首を傾げた。
いつも同じベッドで眠っているはずのセオが居ない。
「あー……セオさんは聖堂かな……」
同じく宿舎に居候中の相方、14歳の少女セオは毎日朝早くに起きる。何をしているかと言えば聖堂や宿舎の掃除、礼拝堂での朝のお祈りなどなどだ。いつもノヴァクの方が遅く起きるので、その様子を見たことはない。
「今日もいい天気ですねーっと」
ポリポリ右肩を掻きつつ部屋に備え付けられた窓を開けた。春の柔らかさと涼しさが同居した風が部屋の中に入り込み、窓際に立つノヴァクの頬を心地よく撫でた。
『都市』の聖堂は小高い丘の上に建っている。聖堂敷地内の隅に立つ管理人用宿舎も同じ立地だ。その二階から見渡せるのは、地平線の彼方までを埋め尽くす家々や塔の数々。一様に赤く塗られた屋根が、今日も雲一つない晴天の下で華々しく文明の輝きを見せつける。
近くから椅子を持ってきて、窓の前に腰を下ろす。頬杖を着きながらぼんやりと風景を眺めつつ、ぽつりと。
「いい朝だなあ」
「もうすぐお昼ですけどー!」
声は下から。
顔を向けると、階下──教会の庭で籠いっぱいの洗濯物を抱えた少女が眦を釣り上げている。
曲がったことが嫌いですと言っていそうなくらいキッチリ纏め上げられた黒髪のポニーテール。気の強さで立ち上がる柳眉、大きな猫目。きちっと着た黒の
「ノヴァクさん! 遅起きは神も推奨していませんよ!」
「いいよいいよー神様の勧めなんか従わなくても」
「もー。すぐそうやって怠けるー!」
「ツアワリちゃんはまじめだねー」
ノヴァクに対してぷりぷり怒ってばかりの少女は、今日も元気だ。元気なのはいいことだとノヴァクがにんまり笑っていると、物干し竿にかけた洗濯物を手で広げていた少女もこちらを向いた。
「ノバさんノバさーん」
大きく手を振る少女は、祭服を着るツアワリとは違い修道女の恰好だ。くるぶし丈の黒いトゥニカ、白のスカラプリオ。洗濯物を触っていたからか袖は肩が出るまでまくられている。
修道女の名をセオと呼ぶ。隣のツアワリと同い年の14歳で、アルマツァーレ・
──セオさんも元気だし勤勉だなあ。
ぶんぶんと揺れ動く細くて白い手に、ノヴァクもまた小さく手を振り返した。
「これからツアワリさんと一緒にパンを焼くんです。朝から二人でこねた生地で! ノバさんもご一緒にどうですか~?」
「んー。気が向いたら行くよー」
ノヴァクの言う『気が向いたら』は『ほぼ向かない』と言い換えられるので、ツアワリが呆れた顔でため息を吐いた。
「わかりました。出来上がったら一緒に食べましょうねー」
セオは常変わらずニコニコしていた。
疑似恒星鏡、第二の神《
「元気なセオさんも見れたし、もう一回寝よ」
言って、ノヴァクはもう一度ベッドに戻った。横になって5秒後にはニャムニャムスピーと気持ちよさそうな寝息が聞こえ始める。
◇
こなすべきタスクもない中で迎える二度寝からの目覚め。それは常に至福に満ちているものだとノヴァクは思う。それもバターのいい匂いが漂ってきたら尚更だ。
「……お腹減ったな」
鼻をくすぐる乳脂肪分の匂いに、人体は勝てないよう出来ているのだろう。寝ぼけ眼を引きずりながらノヴァクは部屋を出、階段を降りて一階へ。
台所では、エプロンを着た二人の少女が並んで立っていた。
「どうしましょうどうしましょう……」
「うーん。このまま焼いても……」
二人の奥。作業台の上では、白くてもっちりしてそうな塊が二つ。──焼く前のパン生地だ。
何やら美味しいパンが焼き上がりそうな雰囲気ではなさそうだった。
「二人ともどしたの」
「あっノヴァクさん」
こちらに気付く様子もないのでそう声を掛けると、二人が振り向き、ツアワリは少し困ったと曇った表情をしていた。
対しもう一人の少女、セオはと言うと……。
「──ノバさんノバさん、事件! 事件です!」
「セオさんの目がキラキラ輝いてる……」
小麦粉で手を真っ白くしたセオが、いつにも増して目を輝かせている。三つ編みにした栗毛の先にも白い粉がついているが気付かないほど夢中な『事件』が発生しているらしい。
「それで事件って?」
二人に近寄り、間に入る形で作業台の前に立つ。
そこにはパン生地が二つあった。
ふっくらまんじゅうなまん丸生地と、しょんぼりぺしゃんこな平べったい生地。
「パン生地が膨らまないんです」
「片方の膨らんでるパン生地は?」
「私がこねたものです」
と、ツアワリ。
「セオ様にも同じようなレシピで作るよう薦めたんですけど……」
「私、料理自体が初めてです。まずは内なる直感と閃き、独創性を大事にしてみたいと思います!」
「──と、いうことみたいで」
そういえば、とノヴァクは思い出す。一年程前にノヴァクによってセオが誘拐されるまで、少女は
旅の最中もノヴァクがずっと料理の支度をしていたし、街中に居る間は料理屋に入れば食べたいものが食べられる。経済活動が禁止される世界では、労働の対価は主に『感謝』だ。
つまり、セオにとって今日が初めて料理を作る日なのだ。
「ンフフ料理ってセオリー通りにやらないと面白いことになるよね。味薄いとかしょっぱすぎるとかシャバシャバになったりとかね」
「えっノヴァクさんって料理作ったことあるんですか?」
「し、失礼な。私だって自炊くらい出来るよ」
「えっと……ノヴァクさんの言う料理って鍋から吹きこぼれないよう見守るとか、スープをかきまぜるとかそういうのですか?」
「いくら何でも私の評価が低すぎる……」
信じられないものを見た、と目を丸くするツアワリの一言にノヴァクは少しだけショックを受ける。
「……ちなみにセオさんはどの辺りにオリジナリティ発揮しようとしたの?」
「これです」
女の隣で勢いよくセオが作業台の上を指差す。その先にあったのはガラス瓶──の中を満たす、砂粒ほどの大きさをした物体。
「この、皆さんがパンをこねる前に必ず入れるという不思議な粉を減らしてみました!」
「おおーなるほどねえ……“神の目配せ”を減らしてみたと」
“神の”、という冠詞を持つ物体は全て以下の条件に適合する。
1:人類では原理の解明が不可能。
2:人類では生産できない/かつては生産できなかった物質。
それらは万物創造の権能を持つ《真理大数
「つまり原因はそれだよね。言うほど事件かな」
「ですがノバさん、ツアワリさんはなぜ“神の目配せ”を入れるとパン生地が膨らむのか分かっていないのです」
“神の目配せ”は穀物粉と混ぜた後に時間を置くことで生地を膨らませる不思議な粒だ。
パン生地に居れるその粉は供給量も多く、また人口に応じて必要量が与えられるため左程貴重でもない。そのうえ既に人類でも代替物が生産可能になっているが、原理は未だ不明なままだとノヴァクは昔聞いたことがある。
「神の仕事が人間に理解できるはずがないと話すと、むしろセオ様がワクワクしてしまって……」
そう語るツアワリは声音が少し硬く、どこか落ち込んでいる様子だった。自分の中の知識量では説明しきれない事柄に対処のしようがないことを、聖堂を預かる身として責任感を感じているのだろう。
真面目な女の子だ、とノヴァクはつい微笑ましく思ってしまう。──ツアワリに脛を軽く蹴られた。表情に出ていたらしい。
「ノバさんノバさん、これは……事件です!」
そんな二人のやり取りも気にならないほど、少女は興奮していた。混じり気のない黒の瞳は輝いていない瞬間がなかったし、形の良い小鼻がぴくぴく膨らんでいるのが分かる。
「ふむ。“神の目配せ”がなぜパン生地を膨らませるのか──か」
セオが未知への興味心から『事件』だと言うなら、それはどんなことであってもつまりは事件なのだ。
期待で満ち満ちた少女の眼差しと、女の動向をじっと観察する少女の眼差し。温度差のある視線二つに左右から挟まれて、ノヴァクは腕組みをしてから胸を張った。
「フフフ……セオさんセオさん、これはとても簡単なトリックだよ」
「そ──そうなのですかっ?」
「トリック要素あるんですか? それ言いたいだけじゃないんですか?」
「簡単な…………トリックだと……思うのですが……!」
そのままノヴァク・金猫が苦しそうに顔をしかめだした。
「くっ。わ、わからない。なんで膨らむんだ……? なんでこの粉、パンを作れるんだ……!」
「ま、まさか……『また』……!?」
「まあそんな気はしてたんですが」
ぐわーッ! などと奇声を発しながら頭を抱えだした、自分より頭二つ以上背の高い大人の姿を見て、14歳の少女たちが返す反応は様々である。
「今回もなんですかノヴァクさん」
呆れすぎて感情味のない白けた顔になる少女もいれば、
「『また』なんですか! 『また』なんですね!」
実に楽しそうに両手をぶんぶん振る少女もいた。
そして当のノヴァク本人は、眉を立ち上げた満面の笑みで両手を『お手上げ』状態に持ち上げる。
「──やはり! またしても! 迷宮入りだー!!」
そう言い切るノヴァクに、セオの瞳はキラッキラに輝いていた。ツアワリは理解できないものを見る目で二人を……特にノヴァクを眺めている。
「毎度のことながら何で毎回誇らしげなんですか?」
「フフフツアワリちゃん、その駄目な大人を見るみたいな冷え冷えな視線は心がキュッてなるからやめようね」
すっきりした顔で手を下したノヴァクは、唐突に両手を重ね合わせる。
『ぱちん』。その音に、二人の視線が再度集中した。
「──なーんてね。さすがの私でもこれくらいなら知ってるよ」
ノヴァク・金猫、まさかの二段構えである。
「知っているなら今のやり取りの意味は一体……?」などと呟いているツアワリは放っておいて、女はセオに微笑みかける。
「セオさんは、人の目には見えない存在がこの世には存在することを知っているかな?」