『世紀の聖女』セオさんが誘拐犯の私をニコニコ振り回していく。   作:てりのとりやき

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パンはパンでも膨らまないパンってパンですか?-②

 聖堂管理人宿舎の、台所にて。

 

「セオさんは、人の目には見えない存在がこの世には存在することを知っているかな?」

「“目に見えない存在”が『存在する』……謎々ですか?」

 

 ノヴァク・金猫の言葉に、二人の少女が小首を傾げていた。それも同じ方向に、ほぼ同じタイミングで動くものだからつい女は吹き出してしまう。

 

「ンフフそのまんまの意味」

「???」

 

 何が何だかわからないと仕草だけで語るセオとツアワリに向けて、ノヴァクは続ける。

 

「世の中はね、目に見えるだけが世界じゃないんだ。むしろ人間の目には見えないところの方が大事なんだよ。セオさんツアワリちゃんが立つ大地の、土の中、砂の中、水の中空気の中! どこにでも『彼ら』はいる」

「『彼ら』」

「彼らは彼らの理屈で動き、彼らの生態系の中で物を別の物に変換する」

 

 こーんな小さいの、と人差し指と親指で作った輪を、ぷるぷるとわざとらしく震えさせながら少しだけ隙間を作る。その間に潜むものを見たいのか、三人の中で一番背の低いセオが首を伸ばしつま先立ちになった。

 

「ほら。畑だって肥料を使った方がいい農作物が作れるでしょう? それと同じことを、目に見えないほど小さな『彼ら』は行ってるんだ」

「つまりノヴァクさんが言っているのは……その彼ら、とやらが……パンを膨らませてるってことですか?」

「そういうこと」

 

 ツアワリは口に手を当て、指で唇を撫でている。女の言い分をすぐさま否定することなく、自分の見聞から正否を判断しようという姿勢が表れた黙考。懺悔室で『都市』の人々の悩みをよく聞いているだけのことはある。

 

「つまりセオさんの疑問に答えるならそうだね──パン生地が膨らまなくなったのは、『彼ら』そのものである“神の目配せ”が減って、『彼ら』の仕事量も減ってしまったからなんだ」

 

 迂遠な言葉など使わなくとも、ノヴァク・金猫は“神の目配せ”の正体がドライイーストだと知っている。酵母や、人間が持つ視覚器官だけでは認識不可能なサイズの単細胞生物たちが存在することも。かといってそういった用語を使っても二人が理解できるはずもない。

 

「ノヴァクさんの言うことも一理あるとは思いますが……うーん。普段の言動がなあ……」

「げ、言動……。まあ証拠を示せって言われてもこの場じゃ無理な話だし、信じる信じないは任せるよ」

 

 ツアワリは腕組みをして真剣に考えこんでいるが、どうにも胡散臭い話だと感じているらしかった。

 

「ノバさんが今まで嘘を吐いたことはありませんから。きっとノバさんがそう仰るのであれば、真実なのでしょう」

 

 無条件に女の言葉を信じるセオは、自分がこねたパン生地がさして膨らまない理由には納得している様子だった。とはいえそれはそれとして、料理慣れしているツアワリがこねたパン生地よりも見るからにしょぼくれたへたり具合なことは変わらない。

 

「このしょんぼりしたパン生地は、美味しく食べられないのですね……」

 

 悲しそうに瞳を伏せる少女に、ツアワリがハッとなって慌ててフォローに入る。

 

「だ、大丈夫ですセオ様。硬くてふかふかしてないだけで十分食べられますから。なんなら私がそちらを食べて、セオ様は私の方のパンを……!」

「フフフフ」

「そのようなことはいけません。自らの選択の責を負うことを私は正しい行いだと信じています。私がこねたパン生地です、私が最後まで食べきります」

「ンっフッフ」

「……さっきから何ですかノヴァクさん。ニヤニヤヌフヌフニヤニヤンフンフ……あんまりよくないですよそういう笑い方」

「ンフフー」

 

 たびたびツアワリに『変な笑い方やめろ』と割とストレートに窘められるノヴァクだったが、今回もあまり気にした様子もなく何故かドヤ顔だった。

 自信満々に得意げな顔をする女をセオが見上げる。ツアワリもまた、呆れ半分に女を見上げていた。

 

「セオさんセオさん。ツアワリちゃん。膨らまないパンも、それはそれで美味しいものになるんだよ」

 

 ちょっと見ててよ、と腕まくりをしたノヴァクが膨らみの弱いパン生地に手を伸ばし──。

 

「ノヴァクさん! 生地に触るときはちゃんと手を洗ってからにしてください! 髪も縛る!」

「ごめんなさーい。……消毒の概念はあるのに菌への理解が乏しいのって、観測機器が発達してないからだよなあ」

「ショードク? なんの話をしているんですか?」

「なんでもないでーす」

 

 ──などというやり取りを挟みつつ、ツアワリ監修のもとバッチリ手を洗い、金髪を後ろで一つ結びにしたノヴァクが今度こそパン生地に触りだした。

 打ち粉を振るい、何度かこねて、作業台の上で手際よく動くノヴァクの細腕。

 こねるというよりは形を整えていく動きで、パン生地だったものがどんどん平らになっていく。あっという間に変わり果てた元パン生地に、栗毛の少女が露骨にショックを受けた顔になっていた。

 

「ああっ、わ、私のパン生地が……膨らんでいないけど可愛らしかった私のパン生地がまっ平になってしまいました……」

「ノヴァクさんッ!」

「そ、そんな怒らないでよー。遊んでるわけじゃないんだから」

 

 これも普段の言動の賜物だろうか……。少しだけ悲しい気持ちになりつつ、ノヴァクは冷蔵庫からいくつかの食材を取り出した。トマトペーストに余りもののチーズ、新鮮なハーブ類。トマトペーストを平たくした生地の上に塗り、小さく切ったチーズとハーブを散らす。

 

「あとはオーブンで焼けば完成!」

 

 パンを焼くために予め昇温していたオーブンに、ノヴァクは『平たいパン』を突っ込んだ。それから待つこと十数分後……。

 

「はいできた!」

 

 オーブンから取り出されたのは、焼いた小麦粉とチーズが織りなす香ばしい匂いと湯気。丸くて平たい、綺麗な焼き目のついたパンらしきものだった。

 包丁で手際よく六等分したものを、ノヴァクが皿に分ける。ツアワリがこねた方のパン生地を焼いている間に、女が作った手料理を食べることになった。

 

「もちもちしていて、なのに表面はサクサクです……」

「む。美味しいですね」

「ンフフフフ」

 

 聖堂に居候しだしてから初めて振る舞われたノヴァクの手料理に対し、少女二人の評価は上々だった。女もしてやったりと誇らしげだ。

 

「なるほど、トマトペーストの酸味とチーズの濃厚な塩気の相乗効果か……。ハーブもいい仕事をしています」

「蜂蜜とチーズとバターとかを乗せて焼いても美味しいんだよねえ」

「甘味と塩の融合……ハイレベルですね」

「これ、何て言うパンなんですか?」

「ピザって呼ぶんだよ。こっちの方じゃあんまり作られないみたいだね」

 

 『都市』の遥か西の方では家庭料理としても親しまれているものだが、この星は交通網はまるで発達していない。だから文化の伝播もすさまじく遅いのだ。

 電気もガスも、石油精製品――ガソリンだって生活インフラとして活用されている。ただしそれらは全て“神の目配せ”同様に、人類が自ら発見したものでなく神によって送られ続ける神の産物としてだ。

 冷蔵庫もある。ガス給湯器もある。オーブンもだ。しかし誰もそれらを動かす動力源に興味を持たないから、移動用の道具が開発されない。現状の生活に誰もが満足してしまっていると、技術の発展というものは生まれないのだろうとノヴァクは考えている。 

 

「本当はそれ専用の“神の目配せ”の量があって、色々とパン生地とは違う下ごしらえがあるんだけどね。でも普通にパンとして焼くよりは美味しかったでしょ?」

 

 三人で二切れずつだったから、ちょっとした軽食程度の量はすぐ食べ終えてしまう。初めて食べる味に夢中になってくれたらしく、あっという間に空になった皿を見たノヴァクはほくほく顔で嬉し気だ。「いい食べっぷりだったよ」と微笑まれて、普段はもっと丁寧な食べ方を心掛けているツアワリとセオがほんのりと頬を赤くした。

 

「お、美味しかったですねツアワリさん?」

「こほん。ノヴァクさんにしては……いえ、というよりも、美味しいです。はい、とても」

「ええー? ほんとに? 嬉しいなー」

 

 普段ミソッカスに言うツアワリが珍しく褒めてくるから、女はデレデレと鼻の下を伸ばしていた。普段ならこの辺りで『情けない顔してますよ』なんて諫め方をされるものだが……。

 

「ノヴァクさん、お料理上手ですね。すごいです」

「──」

 

 向かい合って座る黒髪黒目の少女が、いつになく純粋な表情でこちらを見つめる。普段から料理をしているからこそ、美味しいものを作れる者へ尊敬の念を感じている──そう、真正面からこちらを見つめる大きな猫目が物語っていた。

 出会って半年、初めてツアワリが照れ隠し無しで褒めてくれている──ノヴァクは鼻の下を伸ばした情けない顔のまま固まった。

 

「……。………………」

「何ですかその顔は。そんなに口を開けてると手突っ込みますよ」

「セオせんセオさん、……私褒められた? ツアワリちゃんに?」

「ノバさんノバさん、……ノバさん褒められました。ツアワリさんに!」

「こ、この二人は……!」

 

 すぐそうやって……! と対ノヴァク限定で怒りん坊ないつもの司祭様に、女は拝むように手を合わせる。

 

「も、もう一回言って! もっかい!」

「もう言いませんー!」

「お願いお願いお願いお願いお願いお願いお願い!」

「絶対言いません!」

「──はい問題です。ツアワリ・桜花さん、今私は何回『い』と言ったでしょうか」

「え、えっ、えっとえっと……」

 

 突発的な事象に弱いツアワリが目を白黒させていると、そんな様子を女は頬杖を着いて頬笑み交じりに眺めている。──まじめな少女は顔を真っ赤にして膨れっ面になった。

 

「ノヴァクさんのそういうとこ、私キライです!」

「そんなー」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 昼食の後、夕食も済ませてからのことだ。

 宿舎には当然浴室があり、バスタブがある。ガス給湯式の宿舎では風呂を沸かすことも簡単だ。

 

「いい湯加減ですね……」

「そうですね……」

 

 決して大きくはない浴槽だったが、小柄な部類の少女二人でなら一緒に入ることは十分可能だった。

 浴室中を満たす湯気が通気口を兼ねた窓から流れ出ていくのを、ツアワリはぼんやり眺める。

 こちらと同じように膝を折り畳み湯船に浸かる、同い年の少女──などと思うことも畏れ多い『世紀の聖女』アルマツァーレ・聖桜=インペリアルが、くすくすと楽し気に笑い声をあげた。

 

「どうされましたか?」

「ふふふ。ごめんなさい。今日のノバさんはずっと機嫌が良かったので、それがおかしくて」

 

 羨ましくなるほどきれいな亜麻色の髪を簡単なお団子にした聖女様は、自分では出来ないような柔らかな微笑みを浮かべていた。

 頬に産毛が張り付くのさえ絵になるほど、笑顔が素敵な女の子。揺れる水面の先にある小さな肩はつるりとして丸い。

 絵本から出てきたみたいな可愛らしい容姿。

 出会ってまだ半年程度の仲だが、セオは可憐な容姿もさることながら、裏表のない素晴らしい人格者だとツアワリは思う。──その隣に常にいる『犯罪者』ノヴァク・金猫が大概に大概だから、余計に。

 

「そうなんですか? いつも通りニヤニヤヌフヌフしてるようにしか見えなかったんですが」

「笑顔も二割増しといった様子でした」

「そうなんですか……あれで……」

 

 ──まあ確かに、機嫌良くなかったら自分から皿洗いとかしない(ひと)だよな……。

 本来ならこの時間、自分は皿洗いをしている。それを「私がやるからたまにはセオさんと一緒にお風呂入ってきなよ」と妙なことを言いだしたのが、普段は何もしないただ飯喰らいのノヴァクだった。まあ……いつまでもニコニコしているから機嫌は良かったのだろう。恐らく。

 半年間の同棲生活で、概ねノヴァク・金猫という人物がどういった性格かは理解しているつもりだった。

 いつもサボってばかり。

 いつもニヤニヤしている。

 いつも変なことを考えていそう。

 いつも、聖女であるセオと共に居る──。

 

「どうかしましたか、ツアワリさん」

「あ。いえ、その……」

 

 考え事をしていたのが顔に出たのかもしれない。慌てて手を振るから、浴槽の水面がばしゃばしゃと揺れた。

 セオの眼差しはそんな程度では揺らがない。同じ黒色の瞳だというのに煌めきの量がまるで違うから、本当に同じ星の下に生まれた“人類”なのかと疑問に思ってしまうほど眩しい。

 “聖者(インペリア)”は、やはり“人間”とは違うのだろうか。

 ……だからノヴァクも、『世紀の聖女』を誘拐するなんて大それたことをしでかしたのだろうか。

 

「考え事ですか?」

「まあ、はい。そうですね、考え事を……していました」

 

 申し訳ありません、と頭を下げる。するとセオの表情が僅かに曇った。

 

「そう畏まらないでください。ツアワリさんと私は同い年ではありませんか」

「で、ですけど……セオ様はセオ様ですし……」

「もし考え事の内容が私に関することであれば、どうか遠慮なく聞いてほしいのです」

 

 言って、また柔らかな微笑みに戻るセオの顔。……少しだけ寂しそうに見えるのはこんこんと溢れ続ける湯気が見せる幻覚だろうか。

 ──気にならないかって言われたら、もちろん気になるんだけど。

 セオとノヴァクについてだ。

 聞いていいものだろうか。しかしセオは聞いてほしいようにも見える。今更話題を引っ込めるのも……。ええい、ままよ。

 

「ノヴァクさんとセオ様って……誘拐犯と、その被害者……なんですよね」

「はい」

「私、あまり犯罪者(・・・)と会ったことありませんけど、なんというか想像と違うと言いますか……」

 

 司祭として“教会”教義に精通しているツアワリですら、そもそも誘拐という言葉を知ったのは半年前、突如として現れた二人から聞かされてのことだ。  

 罪を犯す者と書いて犯罪者と呼ぶ。

 罪の名前すら普通に生活していたら思いつかない世界で、犯罪者とはそれだけで異常の権化を指す言葉になり得る。

 

「ほら、ノヴァクさんって普段からぜんぜん早く起きてこないし、サボってばかりだし、お祈りもしないし、だらしないし、素肌晒しすぎだし、いつも変な笑い方してるし、ニヤニヤしてばっかのダメダメな大人じゃないですか」

 

 ツアワリはこれまでの半年間を思い返す。呑気に笑ってばかりの、ツアワリが思い描く『大人の女性』像からはかけ離れすぎたノヴァクの姿を。

 遅起きで、お祈りはこれまで一度もしたことがない。

 大人の女だというのに普段から着ている服装が露出も多く、着方もだらしがない。なぜ上着を肩に掛けず腕に通すだけなのかいつもツアワリには分からない。肩が丸見えなのはなんだか……よくない気がする。とても。あと寝間着替わりにしているのがショートパンツにタンクトップ一枚というのもよくない。そんな恰好のままリビングに姿を現すのは非常によくない。

 

「ツアワリさん? なんだかお顔が赤いですが……のぼせてしまったのですか?」

「い、いいえっ。全然大丈夫です。……と、とにかく、どうしてセオ様ほどのお方が、ノヴァクさんと一緒に居るのか未だに不思議なんです」

 

 ぶんぶんと頭を振って、脳裏に浮かんだ生白い太腿や二の腕のイメージをかき消した。

 こちらをしばらく不思議そうに見ていたセオは、ややあってから言う。

 

「ツアワリさんには幾つか誤解があるようです」

「誤解……ですか?」

「まず、私はそうまで敬われるような者ではありませんよ。ツアワリさんと同い年の、どこにでもいる、ただの14歳の修道女見習いです」

「──そんなはずありません」

 

 即答した。セオの言葉を遮る勢いだった。

 口を閉ざした少女をじっと見る。

 心の底から、自分をどこにでもいる14歳の子どもだと思っているアルマツァーレ・聖桜=インペリアルを。

 

「……世紀代表血統(インペリアル)であるセオ様がただの子供なはずは、ないんです」

 

 セオと半年過ごして知ったことは、『運命の聖女』『世紀の聖女』などと呼ばれるほどに世界中の崇敬を集める少女が、自身の肩書きにあまり重きを置いていないということだ。“聖者”でありインペリアルであることに否定的というわけでは無いが、それ以上に『普通の女の子』でありたいと、そう望んでいるように見える。

 セオ様と様付けで呼ぶのを、昔、やんわりと断られたこともある。

 それでも止めなかったの自身が持つ信仰と礼儀が許す最低限のラインがそこだったからだ。

 

「あなたは。あなたは……全ての人類の咎を一身に背負っています」

 

 2年後の『聖体断裂』。

 2100年問題。

 連続性の証明。

 人類の代表者──インペリアル。

 何もかも無視は出来ないはずなのに、“人間”はまだ、考えることを始めていない。

 

「その重圧を、その身一つで受け止められる人を私はセオ様しか知りません」

「そうでしょうか。私はツアワリさんが思っているほど出来た人間というわけでもないのですが」

「……その。こんな場で言うことなのかわからないんですけど……」

 

 神へ信仰を捧げる一信徒として、主席司祭の立場として、ツアワリ・桜花はいつも思っている。

 一生涯をかけても、セオのようにはなれないのだろうな、と。

 

「せ、セオ様は、なんていうか私の理想なんですっ」

「………………理想ですか? 私が?」

 

 予想通りにセオは目を丸くした。ぱちぱちぱちと何度か瞬きをしてから──ふっ、と。

 

「……ありがとうございます。そう言ってくださることに私は喜びを感じます」

 

 花が咲くように柔らかく少女が笑えば、それだけで何かを認められた気がした。聖職者であってもそう思わされるほどの笑顔だった。

 ──聖女様って、ほんと凄いんだなあ……。

 

「それともう一つ、ノバさんはダメダメな大人ではありませんよ」

「ええ……。そうなんですか? だってノヴァクさんって……」

「金色の髪と瞳が美しいですよね」

「え。ん」

 

 キンイロ? 

 

「金色……ですか?」

「ええ。金色」

「……。まあ……見た目は綺麗ですよね」

 

 セオが人らしい少女らしい暖かみをもった可憐さ可愛さの集約なら、ノヴァク・金猫は何というか……人とは別種の、精緻な作り物じみたところがある。素晴らしい技量を持った職人の作った物が、その機能美から芸術品にまで昇華してしまうような。それを加味しても限度があるほど言動が残念なのだが。

 

「もしかしてセオ様って……」

「?」

「ノヴァクさんの見た目がいいから一緒にいるんですか? ──ってすみません! 全然他意はないんですが! その、本当に!」

「ふふふ。ノバさんには内緒にしてほしいのですが、勿論それもあります」

 

 ──あ、あるんだ……。

 もしかしてこれって、すごく貴重な話をしているのではないか? などと今更気づきだした。

 

「ノバさんは約束してくれたんです」

「約束……」

「私の知らないこと、経験したことのない全てを教えてくれるという約束です」

 

 恐らく、一年程前に出会った時の話なのだろう。大事な二人の出来事を話してくれるのは信頼の証だと思いたい。

 しかし。……なるほど。

 今こうしてセオがうっとりとした表情を出来るということは、少なくともノヴァクは有言実行を重ねているということだろう。

 自分が知らない事、経験していない事を教え続けてくれる大人。今日のように貴重な経験を隠すことなく分け与えてくれる女。確かにそれは離れる気なんてまったく起きないだろう。

 ──確かにあの人、セオ様にはすごく甘いよな……。

 

「ノヴァクさんって……セオ様のこと、大好きですよね」

「あら。あらまあ、ふふふ」

 

 ふにゃりと。

 まるで湯の暖かさに溶けてしまったかのように、セオが蕩けた笑い方をした。そうしてから、セオはワンテンポ遅れて口元に小さな拳を当てた。にまにまと緩んでしまう唇を隠すのは、その笑い方をはしたないとでも思っているのかもしれない。可愛い笑顔だと思うのだが。

 

「そうだといいですね。もしそうなら、とても素敵なことだと思います」

 

 ひとしきり笑った後に呟いた一言にどういった想いが込められているのかは、まだ半年の仲でしかないツアワリでは分からなかった。

 

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