アイドルマスター 私たちのM@STERPIECE! 作:なめこP
旧帝国海軍紀伊型戦艦『紀伊』(1941年8月完成)
主武装45口径51センチ3連装砲4基12門(改装前)→45口径56センチ連装砲4基8門(改装後)
全長:320m 最大全幅:43m 基準排水量:13万6400トン 機関:蒸気タービン・艦本ディーゼル併用 スクリュー推進軸6基 最大速力27ノット 装甲:対51センチ対応防御 その他高角砲多数搭載
大日本帝国がワシントン海軍軍縮条約破棄後に唯一建造した超巨大戦艦(140号計画艦は草案の時点で破棄)であり来る航空機との戦闘も見込んで造られた史上初の防空戦艦でもある。「魚雷で沈めるなら40本、戦艦で沈めるなら20隻」と言われる程の超巨大戦艦でありその力を証明するが如く太平洋戦争で米軍を常に苦しめ続けた悪夢の艦である。戦略的には日本軍の敗北となった“ガダルカナルの戦い”において「戦艦では無理だから航空機で沈めるぞ!」と決断した米軍が航空攻撃を実行するも撃沈は出来ず遂に「戦艦を新規設計・建造して沈めるしかない」と決断させてしまう。米軍はこの戦艦が51センチ砲搭載艦だと戦後になって知る羽目になる。
また装填機は鉄道用電動機などを多数同時使用した世界初の「電動機自動装填装置」を搭載し巨砲でありながら素早い装填を実現、1分で1門あたり3発も撃てる巨大戦艦でもあった(砲塔の内部は動力伝達歯車と電動機で一杯だったため「まるで機械の神だ」と生存者が証言していた)。「この一隻でビッグセブンの存在意義が全部消える」と言わしめる程の圧倒的な戦艦であった。沖縄攻略を目指す米艦隊を沈めるべく主砲の交換が行われ脅威の56センチ砲8門となり米艦隊と共に無理心中する形で沈没する。ハワイ真珠湾の艦隊を滅ぼす為に『怒りの日』を流していたのはあまりにも有名な伝説。本土には対応できるドッグも港もないため旅順港が母港となった。
鳳凰院晴敏
戦艦『紀伊』設計者。その人格は満州事変を境に変貌してしまったと言われている。坊ノ岬の戦いで『紀伊』と運命を共にした。晴敏は驚愕する周囲に対して「軍縮条約が無ければ大正年間のうちに46センチ砲搭載艦が実現していた。故にこの戦艦は条約さえ無ければ既に保有していたかもしれず驚くに値しない」と冷たい口調で語ったと言う。
砲塔設計思想
51センチ三連装砲を56センチ連装砲を設計する際に晴敏はソ連軍のT34中戦車の写真を元に「半円形状による防弾性能の上昇と重量増加阻止」を思いつきそれを実行する。これは急降下爆撃はもとより戦艦の艦砲であっても砲塔一つ無力化できないと言う屈辱を合衆国に与えたほどである。
九四式射撃指揮盤
『紀伊』は12門ある51センチ砲と毎分3発と言う射撃間隔を活かした戦術があった。砲戦指令部に設置されたそのディスク式装置が起動すると全ての発射回路を一括調整し毎分3秒から5秒の間隔で51センチ砲を敵に目掛けて発射する。対艦戦闘でも対空戦等でもこれは大きな威力を発揮した。3秒から5秒までは0.5秒間隔でディスクが置かれており必要とされる射撃間隔に合わせてディスクが発砲回路に組み込まれる。それはまるでオーケストラを奏でるレコードのように黒かったと言われている。これはエンガノ岬沖海戦で猛威を発揮した。56センチ砲改装後は全てのディスクが交換され3.75秒間隔となる
マリアナ沖海戦
初陣を飾ったモンタナ級戦艦四隻を戦艦『紀伊』が片っ端から撃沈させてしまい合衆国の戦艦乗りのプライドまで撃沈させてしまった戦い。ここで真珠湾攻撃以降、活躍を続けていた紀伊の名が国民に公表され戦意高揚の要となる。鋼鉄の偶像が誕生した瞬間であった。
エンガノ岬沖海戦
ついに米軍は『紀伊』を戦艦で沈める事を放棄しハルゼーによる機動部隊で完全な撃沈を命令した。しかし『紀伊』は水雷防御・対空兵装に優れた設計もされており然も直前に噴進砲(現代の艦対空ロケット砲の先祖)を多数追加塔載した事から航空機による雷撃・急降下爆撃も全く戦果を挙げられず犠牲者と破損機ばかり増やす結果となる。しかも九四式射撃指揮盤の力がここで躊躇なく発揮され空は51センチ砲と噴進砲による大量破壊・大量殺戮の現場となってしまった。これにより勇猛果敢と評価されたハルゼーですら「『紀伊』は私とその仲間たちを敵とすら思ってない」「うるさいハエか何かなんだろう」と意気消沈してしまう。そうしてハルゼーは軍法会議直前に拳銃自殺してしまう。
第一遊撃部隊〈栗田艦隊〉
紀伊を除くすべての戦艦(長門、金剛、榛名、日向、伊勢)と空母(瑞峰、瑞鳳、千代田、千歳)を総動員して行われたレイテ突入艦隊。ヤキ1カの誤報はあれど空母での艦隊護衛があったためそのまま進軍するが紀伊を恐れていた米戦艦部隊に見つかりレイテ湾手前で袋叩きにされ全艦撃沈される。
坊ノ岬海戦
更迭されたキンメルを呼び戻し沖縄救援に向かう『紀伊』を撃沈する事を命令した。そしてキンメルは「機動部隊による空襲を事前攻撃とし戦艦部隊でとどめを刺す」と言う合成戦術に切り替える。そして坊ノ岬海戦では空襲を受けた直後の『紀伊』にアリゾナ級戦艦10隻、アイオワ級4隻、ノースカロライナ級戦艦2隻、サウスダコタ級戦艦4隻、デ・モイン級重巡洋艦14隻、アラスカ級重巡洋艦16隻からなる大艦隊を編成し沖縄支援に向かう戦艦『紀伊』1隻と駆逐艦6隻を撃沈せんとした。しかし結果はアリゾナ級7隻轟沈、3隻大破のちに現場で自沈処分、アイオワ級3隻轟沈、1隻中破(のちに日本の降伏調印が行われる戦艦ミズーリ)、ノースカロライナ級2隻轟沈、サウスダコタ級4隻大破のちに現場で自沈処分、デ・モイン級重巡洋艦14隻中11隻轟沈、アラスカ級重巡洋艦9隻大破のちに現場で自沈処分、7隻中破という大惨事となってようやく『紀伊』を沈める。ただしこの決戦の直前に『紀伊』は米機動部隊の航空機合計200機による攻撃を受けており兵器としては半ば傷に塗れた状態であった。被撃沈艦23隻、自沈処分艦16隻と言う地獄みたいな結果になり海軍の尊厳を木っ端みじんに破壊された。これは一重に紀伊が51センチ砲から56センチ砲に改装されたことに起因する。
沖縄戦の悲劇『アイアン・クライシス』
沖縄戦では艦砲射撃によるアメリカ陸軍支援が期待されたが全て紀伊によって使い物にならなくなったため、やむを得ず軽巡洋艦や駆逐艦や空母からの爆撃で対地攻撃を行う事になる。しかしそれは決定的な力になり得ず1945年6月1日になっても沖縄本土を落とせずにいた。予定より遅延した沖縄攻略作戦は膨大な死者をアメリカ軍に出ししかも日本本土爆撃すらままならない状態すら生んでしまいそれが本土決戦に備えた戦力備蓄を日本に許してしまう。しかも7月1日を過ぎてもまだ決定打は得られず御前会議は戦力の備蓄を根拠に「本土決戦による巻き返し」を主張、会議が全く定まらない。結局、帝国陸軍のなかでも敗戦を悟った上級士官(本土決戦派を束ねていた)が次々と自害をする事で本土決戦派の影響力を縮小、8月15日に玉音放送となった。
ちなみにアメリカはイギリス軍に頼み『キング・ジョージ五世』級戦艦一隻(他は開戦序盤に長門・陸奥・金剛型四隻との砲撃戦で沈没)を沖縄に回航してもらうも結局、8月15日には間に合わず翌日に沖縄に到着する有様である。