サンズと量子力学とあなたの話/SANS'theng BLUE TALE 作:ふれれら(fure-rera)
メタトンのジェット噴射が火を吹き、鮮やかに空を飛び回る。
暗がりを流星のように、熱線が尾を引く。
サンズはぴくりとも動かない。
眼は真っ暗なまま。力無く揺さぶられて、カラカラと乾いた音を立てるばかりだ。
フリスクは「っ…」と不安に満ちた表情でメタトンを見上げた。
「どうしよう、サンズが……っ!」
「ドクターアルフィーに診せよう! 僕はエンターテイナーであって医者じゃないんだ!」
踊るように火の粉をかわすメタトンが、余裕なくそう答える。
遠い景色の向こうに、三本のサボテンと、お絵描き教室の看板が見えた。ホットランドの隠し通路はもう目の前だった。
「……っ!!」
ここまで戻れば、アルフィーのラボはもう目と鼻の先だ。
フリスクの胸を安堵が占めた瞬間、メタトンがひくっと顔を引き攣らせた。ジェット噴射の速度が鈍る。
「Oh……ここで残念なお知らせだ、子猫ちゃん」
「え?」
メタトンの背中からプスプス、と黒煙が立ち昇る。
「うーん、残念! 燃料切れだね!」
ヒュッと落下して、フリスクは悲鳴を上げた。
緑色の一閃が走る。ガシッとフリスクの胴体に、何かが絡み付いて、ぷらん、と宙吊りになった。がくん、と空中で止まった落下に、フリスクは恐る恐る目を開けた。
「え…?」
顔を上げると、そこには。ぎりぎりぎりと限界まで緑色のツタを引き絞った──……
「まったく、世話が焼ける…!」
「!! フラ、」
フラウィおにいちゃん
とフリスクの唇が紡いで、ぶわっと涙があふれた。
「バァカ、バカバカ、バーカ!」
「フラウィおにいちゃ…!」
「探したんだよ…!?」
ぽた、とフリスクの涙がおとがいを伝って、落下し、ジュッと溶岩で蒸発する。
落ちたらメタトンはともかく、フリスクは一瞬でソウルが焼け落ちるだろう。
ずる、ずる、とツタを慎重に引きずって、マグマに落ちかけた三人をフラウィが引っ張る。
掛かる重量にフラウィが冷や汗をかきながら「重っ!無駄に重いんだよ、このアホロボット!そんなだから燃料切れなんか起こすんだ!」と悪態を吐いた。
「……だぁっ!」
まるで一本釣りするように、フラウィが三人をまとめて放った。
岸にたどり着いた三人が大地に縋り付いている頃、フラウィは滝のような汗で花びらを閉じて「ゼェ…ゼェ…」と少し萎びていた。
「ちょ…ちょっと…いったいどうなってんの…気付いたらこの噴火だし、大停電だし、何が起きてるのかサッパリなんだけど…!?」
あまりにも予測不能なことが起きすぎている。
目まぐるしく状況は変化し、目が回りそうだ。渇望していた『変化』とはいえ、ここまでとは聞いていない。
カンストするほど繰り返されたフラウィの記憶にも、コアの暴走なんて代物は無かった。だってそんなものがあれば、
燃料切れでぷすぷす黒煙を上げるメタトンジェットの下からほうほうの体で這い出したフリスクが、安堵に震えながらフラウィをぎゅっと抱きしめた。
「どうして……?」
「ここが分かったのかって? そこのアホロボットに電話が来たのが、メタトンTVの生放送中だったからだよ」
フリスクはハッとした。
そうだ、先ほどメタトンは生放送中にアルフィーの電話を受けたと言っていた。
地下のテレビは全てメタトンTVを映している。地下のどこでも目に入る。フラウィにここが分かったのも道理だ。
「それでキミたちがこの奥にいるって分かったんだ。慌てて追ってきたけど、僕はこの先に行けないからココでキミたちを待ってた」
メタトンは地面に這いつくばったまま、長い手足を四角く格納して、電池切れにゼイゼイと虫の息だった。
「で、電源……そこのチャーミングなお花くん……どこかで補助電源を貰ってきてくれないかい……?」
「補助電源なんかとっくに落ちてる」
フラウィがそう吐き捨てた。
「地下全域が停電なんだ。見なよ、あの真っ暗闇を!」
フリスクは慌てて顔を上げた。
流れる赤いマグマの海に遠く照らされた、その先の向こう側。
ウォーターフェルからでも見えていたはずの城下町のまばゆい街明かりは、果てしない闇の中だった。
「街が……!」
「緊急用のバッテリーがあるとしたらラボか王宮くらいだけど」
目まぐるしく動く状況を把握しようと頭を回すフラウィが、結論を出して舌打ちした。
「多分、もっと深刻なのは……」
フラウィは来た道を振り返った。
フラウィが見遣った先。
ウォーターフェルへ続く道の『その先』を思い出して、フリスクは「あっ……!」と真っ青になった。
「スノーフルの暖房が……ッ!!」
スノーフルは今、未曾有の危機の中にあった。
真昼に雪を照らす人工灯は全て落ち、暖房を失った住民は寒さに震えていた。
「みんな慌てんな! 大丈夫だ!」
「こっちッサ! 走っちゃだめッサ!」
ワンボーもイヌッスもイヌッサも、ぼうきれに火を灯した松明を振って声を張り上げた。グリルビーから分けてもらった炎は普通より長持ちするが、永遠ではない。火が保つ内に、全住民の避難を完了させる必要があった。
スノーフルの住民は皆、電源が落ちても温かいグリルビーズ、そして
寒さに弱い子供はグリルビーズへ、比較的寒さに強い大人は毛布を持ち寄って図書館に集合している。
元々このスノーフルに居を構えているのは、寒さに強いモンスターばかりだ。そうでなければもっと致命的なことになっていただろう。
だが、長くは保たない。スノーフル全域が停電した際に、電話も繋がらなくなってしまっている。
鼻が効いて暗闇でも動けるロイヤルガードの面々が総動員で動いてはいるが、状況は混乱を極めていた。
「さぁ、こっちへ…! 暖炉のそばにいらっしゃい。慌てないで、ここは安全ですからね」
遺跡ではトリエルが、絶えず声を張り上げていた。
遺跡全体を照らす明かりは完全に落ちてしまっていた。随所を照らすはずの紫色の照明は消えて、完全な闇色に染まってしまっている。
スノーフルほどではないが、暖炉の火が消えてしまえばここも寒い。もっとマズイのは、棘や落とし穴のトラップなど、位置関係が分からなければ進めない障害物が多数あるということだった。こんなふうに真っ暗になってしまえば、道中は危険で一歩も進めない。この遺跡を棲家にしているモンスターたちは、それぞれの居場所から一歩も動けず、泣いて助けを求めるばかりだった。その全てのモンスターたちを、トリエルは魔法の炎を手に救出して回った。
「さあ、もう大丈夫。一緒におうちに行きましょうね」
遺跡を根城にしているのは、小さくてか弱いモンスターばかりだ。壁の中のフロギーまで全員集めても、それほどの大所帯にはならず、何とかホームに全員入り切った。
トリエルは暖炉に魔法で火を追加した。
普段の何倍もごうごうと燃え盛る炎を前に、トリエルは汗を拭った。
「大丈夫、これでしばらくは保つはずだわ」
いったい何が起きているのか分からず震えるモンスターたちに、トリエルは優しく「だいじょうぶ、ここでお留守番していてね」と優しく微笑んだ。
トリエルが厳しく表情を変えて、顔を上げた。
「行かなくては」
【第六章:New Home〜ニューホーム〜】
フリスクがサンズを背負い、その隣でフラウィが電池切れのメタトンをツタで雑にずるずる引きずって、ラボまで駆け込んだ。
ラボには地底全体を監視する監視カメラのモニターがある。停電でも広範囲の状況を把握できるとしたらここしかない。
「み、みんな、無事!?」
落ち着きなくラボの前でウロウロしていたアルフィーが、遠目にフリスクたちを見つけて慌てて駆け寄った。フラウィはアルフィーとの対面を嫌ったのか、しゅるんと地面の中に逃れてしまった。
「アルフィー…! サンズが…!」
「さ、サンズッ!? ど、どうしたの!?」
子供のフリスクでも容易に背負えてしまえるほど軽くなってしまったサンズが恐ろしくて、フリスクは涙ぐんだ。
まるでソウルが体に無いみたいに軽い。いつだって頼もしかったはずの背中は、フリスクにも簡単に背負えてしまうほど小さかった。
「アルフィー…アルフィー…ッ! どうしよう、サンズ、飴を口に入れたのに、起きてくれなくて…!」
「な、なんですって!?」
フリスクは泣いてしゃくりあげた。
サンズの体がモンスター飴を受け付けない。地底の食べ物は意識が無くても口に入れさえすれば瞬時に消えて体力を回復してくれるはずなのに。
こんな現象が起きるのは、もう命が幾許も無い時だけだ。人間に比べて著しくか弱いモンスターのソウルは、限界まで弱ると食べ物を受け付けなくなる。
寿命を迎えたモンスターが『動かなく』なると、灰になるまでの猶予でどれほど食べ物を与えても吸収しない。それで周囲は寿命を悟るのだ。
だが、外傷ではこんなふうにならないはずなのだ。命に障る外傷を受けたモンスターは、本来は食べ物を口にする猶予も無く灰になる。
サンズにいったい何が起きているのか、分からない。今この瞬間にもサンズが崩れて灰になるのではと、恐怖でフリスクは全身の血が凍るみたいだった。
「アルフィー…ッ! サンズを助けて…ッ!」
「と、とにかくこっちに……!」
動かないサンズはまるで、本当に物言わぬ屍になってしまったみたいだった。
賑やかで楽しい軽口が聴こえない。生きた気配がしない。それが酷く恐ろしい。
慌ててサンズをストレッチャーで搬送していったアルフィーに、フリスクは付いて行く途中で足をもつれさせて転んだ。ビタンと床に激突したフリスクが、赤くなった額を上げる頃には、アルフィーはサンズを連れて奥に引っ込んでしまっていた。
メタトンはいよいよ待機電源も切れたらしく、四角く手足を引っ込めたまま沈黙していた。ラボの自家発電器に繋いだメタトンは静かだ。ピクリとも身じろぎしない。再起動まで時間が掛かるらしい。その静けさが、フリスクは何だかひどく恐ろしくて、震えて立つことができなかった。
そんな時だった。
背後からコンコン、と行儀の良いノックが聴こえたのは。
「こ〜んにちは〜!!!」
フリスクは、はたと振り返った。停電で止まったラボの自動ドアの向こうに、扉を無理やりこじ開けることなく律儀にノックを繰り返す拳の──……いや、骨の反響音が、何度も、何度も響いた。
「ロイヤルガードの〜! ええっと、見習いだけど! だいじなだいじな、任務で来ました〜! アルフィー博士、居ますか〜! お返事ください〜! お昼寝してたら、起きてねっ! こんにちは〜!」
震える足を叱咤して、よたよたと玄関のドアにしがみついたフリスクは、縋るような気持ちで扉を内側から引っ張った。かすかに開いた自動ドアの隙間に夕陽色のグローブがにゅっと入り込んで、パッとドアが開いた。
「あれっ、ニンゲン、ここに居たのっ!? 良かった!」
「パピルス……っ」
合流したパピルスはフリスクを抱き上げると「わっ、ボロボロ!」と目を丸くした。火山灰の匂いが染み付いたフリスクを、パピルスはぬいぐるみでも点検するみたいにあちこち見ながら引っ張った。大きな怪我が無いか確認しているのだ。
骨の匂いが、フリスクを無性に安心させた。安堵が涙腺を刺激して、ぽろぽろと止まらない。そんなフリスクにパピルスは「わっ、真っ暗なの怖かった!?」とトンチンカンに慌てていたが、それすら優しく抱きしめられているみたいだった。
安心感に包まれて力が抜ける。
おかげで少しだけ冷静さを取り戻したフリスクはハッとした。
「パピルス、スノーフルのみんなは…!?」
「みんなグリルビーズに集まってるよ! グリルビーが頑張って体を燃やして、寝ないでずっと食べ物食べて頑張ってる!」
握り拳を作ってグッと両腕を曲げたパピルスが、そう言ってグリルビーの奮闘を語った。
パピルスは「でも、真っ暗のままじゃ困っちゃうし、ちっちゃい子は怖がってるんだ」と言い添えて、力こぶを作るみたいに腕を曲げてウィンクしてみせた。
「だから、寒いのへっちゃらなオレさまが来たんだ! アルフィーに停電を直してくださいってお願いしにね!」
パピルスが明るくニカッと笑った。
その笑顔がまぶしくて、強烈な安堵が体を満たす。力が抜けて膝から崩れ落ちたフリスクを「わわっ」とパピルスが腕を伸ばして地面に激突する前に掬い上げた。
「ニンゲン、だいじょーぶ!? 怪我してない!? お腹すいた!? パスタ食べる!?」
赤ん坊を高い高いするみたいに、慌ててフリスクをあやすパピルスの優しさが頼もしくて、恐怖で凍えた指先に血が通うみたいだった。
夕陽色のパピルスのスカーフに泣き縋りながら首を横に振ったフリスクに、パピルスがホッとしてフリスクをゆっくり地面に下ろす。
「ニンゲン、あのね」とパピルスが不安げに眉を落とした。
「にいちゃんどこでサボってるか知らない? 停電のちょっと前から、電話も繋がんなくて」
「──……!」
聞かれてはっとしたフリスクは蒼白のまま、パピルスに縋り付いた。
「どうしよう、サンズが…っ!」
ドドド、と足音を立てて、パピルスは勢いよく駆け込んだ。
「にいちゃん!」
バンッと大きく音を立て、ラボの扉を叩き開けたパピルスに、兄の返事は無かった。
サンズの瞳孔は暗く、診察台の上に力無く横になったまま身動ぎもしなかった。
倒れた兄を前に、立ち尽くすパピルスの背中。
フリスクは糸が切れたみたいに、膝からくずおれた。
「ごめ、ごめ…なさい……!」
フリスクはぶわりと泣き崩れた。
「ごめんなさい…!」
ひぐ、と引き攣った喉では、嗚咽しか吐き出せなかった。
「ご、め、ごめん、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ…!」
フリスクは、蒼白のまま、パピルスに縋り付いて泣きじゃくった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、サンズ、庇って、」
サンズはフリスクを庇って重症を負った。
あれから、ぴくりとも動かない。
「どうしよう、サンズ、『動かなく』てっ…!」
フリスクは、ガタガタと震えた。
「ご、め、ごめん、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ…!」
「ニンゲン、落ち着いて」
パピルスの静かな声が、フリスクに降り注いだ。
ふわりとフリスクの肩に両手が置かれて、幼子に言い聞かせるみたいにパピルスは告げた。
「にいちゃんのソウル、すごく弱ってるけど、そこにある。消えてない。オレさま、わかるよ」
アルフィーを呼び、「にいちゃん、どうしたの」と静かすぎる声で尋ねるパピルスに、アルフィーは冷や汗を掻きながら「い、今診てるから…!」と返した。
(な、なんてこと…! サンズのHP、0.0000になってる……!)
アルフィーは血相を変えた。
(でも本当にゼロなら、灰になってるはず……きっとどこかに、抜け出した残りの0.00001のソウルがあるんだわ)
目まぐるしく思考を働かせたアルフィーが、百面相で慌ただしく診療用の機材をオンにした。
(ソウルと肉体は、目に見えなくても精神で繋がってる……おかけで、致命傷でも灰にならずに済んでるんだわ。けど、欠けたソウルはどこ…!?)
「………………まったく、もう! こんな時まで居眠りなんて! どーしよーもない怠けんボーンだっ!」
パピルスは、ぷりぷり怒った。
腕をぶんぶん振って、目覚めない兄を叱り付ける。
「だいじょうぶだよ、ニンゲン! にいちゃん、ちょっとサボったら、すぐ起きるよ!」
「パピルス…っ」
パピルスは努めて明るく、フリスクの両手を握った。
「だいじょうぶ。にいちゃん、靴下は片付けないし仕事はサボるし、どーしようもないけど! オレさまとのホントの約束はぜったい破らないから!」
握ったパピルスの手は、かすかに震えていた。
「だから、オレさまのこと、ぜったい独りにしない。だから、大丈夫。ニンゲン、泣かないで。笑って」
フラウィが、ぴょこっと地面から這い出す。
地中からラボの周囲をぐるりと見て回ったフラウィは、誰も居ないのを確認してから、最終的に監視カメラ設備の前に顔を出した。フリスクの腕の中から抜け出したのはこのためだった。
伸ばしたツタで、ぽちぽちとキーを押す。
ほとんどは停電で機能せず、真っ暗な景色を映すだけだったが、メタホテルの近くのカメラは生きているようだ。
豪華絢爛なホテルの無駄に明るい照明のために、あちこちから余分に電気を引いている影響かもしれない。
「……なんだ?」
映っているのは、ニューホームからホテルの方角に逃げてくるモンスターたちだった。
混乱していて状況が掴めないが、何かに怯えながら一目散に逃走してきたみたいだった。
(どうしたんだろう? 確かにニューホームはコアの上だから、噴火の影響を真っ先に受けるだろうけど……)
ピク、とフラウィは動きを止めた。
地面の中に伸ばしたツタが震えている。
あの子が呼んでいる。
フラウィは伸ばしたツタを伝って、糸電話と同じ要領で、離れた位置から広範囲の音を盗み聞くことができる。ただし、グリルビーズのように火の気があるとこうはいかないが。
伸ばしたツタが細く震えている。あの子がフラウィを呼んでいる。
フラウィはカメラからそれ以上の情報が得られないと分かると、しゅるんっと地面に引っ込んで、子供が泣く方へ向かった。
フラウィはパッと地面から顔を出した。
「ハウディ!」と無害な顔で微笑むのも忘れない。フリスクはパッと泣き濡れた顔を上げると、幼子がぬいぐるみを抱きしめるみたいにフラウィを抱き上げて、小さく震えた。
「わっ、お花ちゃんもここに居たの!?」
パピルスが背後から顔を出して「お花ちゃん、ニンゲンと一緒にいてあげて。ニンゲン、ちょっとここにいて! アンダインが奥にいるんだって、手伝えることないか聞いてくるから!」と走り出した。
「アンダインっ!」
タタタッと駆け込んだパピルスの声を聴き、アンダインが顔を上げた。
「! 無事だったか!」
アンダインは肩と頬で無線機を挟みながら、サインペンのキャップを噛んで引き抜いた。
「ちょうどいい、手伝え! 一人では手に余る!」
ホワイトボードに荒く走り書きがされている。
車椅子に座ったアンダインが、高速で次々とホワイトボードに走り書きをしていく。
貼り付けられたそれは、地底の簡易地図だった。
アンダインは今、アマルガム用の定期注射が欠かせないせいで、この場所から動けない。注射のおかげで痺れは良くなってきているが、歩くのが難しい身では現場に駆け付けても足手纏いだ。
だからアルフィーが大急ぎで無線機を用意して、それを持ってRG-01と02が走った。今アンダインはこの場所から指揮を取っている。
「スノーフルから来たな? RG-02とすれ違わなかったか?」
「うんん、会ってないよ!」
「ならウォーターフェルの迷路で行き違ったな。問題ない、そろそろ着いている頃だ」
無線機が、ザザッと鳴った。
『こちらRG-02、こちらRG-02、報告あり、応答願います』
「こちらアンダイン! どうした!」
『スノーフルは無事です。西の遺跡が避難所として開放されました。担当区域のロイヤルガードたちで幼い子供から順に誘導しています』
「よし! スノーフルと遺跡にいる司令塔に無線機を引き継げ! お前は安全を確保しながらスノーフルの氷切り出しベルトの点検と対応へ回れ!」
『了解』
『こちらRG-01、こちらRG-01、姐さん、応答してくださいっす!』
「こちらアンダイン! どうした!」
『停止したコアの防犯装置で分断された道に取り残されたモンスター、全員救出したっす! みんな小型から中型、合計7名、内、負傷者は軽傷2名、重症0名っす! 誘導指示くださいっす!』
「よくやった! 安全確保し、速やかにホットランドを離脱! 全員連れてラボに戻れ! 終わり次第、ラボの前からニューホームへ!」
『ラジャーっす!』
アンダインは素早くホワイトボードに目を走らせると、判断を下した。
「馬鹿弟子、よく聞け。まもなく避難民がここにやってくる。全員を地下に誘導して、負傷者を手当てしろ。それまでにラボ中の食品と衛生用品を一箇所に集めておけ。できるな?」
真実のラボには、アマルガムたちの診療用に、ベッドがずらりと並んだエリアがある。
そこなら負傷者の受け入れに最適だと判断したのだ。
パピルスは「うんっ!」と大きく頷いて、パッと踵を返した。ドアをパンッと開け放って「ニンゲン、手伝って!」と声をかける。
フリスクは「あ…」と震えながら青い顔を上げた。奥で治療中の目覚めないサンズに視線をやる。目を離すのが恐ろしくて足がすくむフリスクの頬を、パピルスが両手で優しく覆った。
「よく聞いて、ニンゲン。これからちょっぴり怪我したモンスターたちが避難してくるって。アルフィー博士がにいちゃんに集中できるように、オレさまたちで出来ることやろう」
「!」
フリスクは、サァッと視界が開けたみたいだった。
そうだ、今すべきことは、ここで震えて突っ立っていることじゃない。
兄の命の危機にフリスクよりずっと血の気が引いているだろうに、パピルスはそんなことをおくびにも出さずにフリスクを気遣いながら、まっすぐこちらを見つめていた。
目まぐるしく物事が移り変わる中、フリスクは今自分がやるべきことを見つけた。
「……うん!」
「お花ちゃんも手伝って。ね!」
「……」
フラウィは、抱え込まれたフリスクの腕の中で、黙って答えなかった。
愛と思いやりと優しさで出来たモンスターと違い、フラウィはこういう時、自然に誰かを気遣って動くということが不得手だった。
災害時、協調して自然に動けるのは、思いやりのソウルを持つ者だけ。
フラウィは周りのために動くより、必ず自分の安全確保のために動く。
その動きは、モンスターの集団の中では異質で確実に悪目立ちしてしまう。それをフラウィは、自分で誰よりも分かっていた。
フラウィは黙り込んで、どうしたものかと無言で視線を周囲に流した。
今いるのはパピルスと、負傷して立てないアンダイン、電池切れで動けないメタトンと、意識不明のサンズだけ。
(待てよ…!?)
フラウィは、ピキリと石のように急に硬直した。
(サンズが意識不明ってことは)
その思い付きに、たらり、とフラウィは顎から汗を一雫落とした。
自然と口角が吊り上がる。そう、そうだ。審判者が不在の、この千載一遇の機会なら。
(今なら、虐殺ルートを完遂できるんじゃないか…!?)
サンズが倒れているということは。つまり、フラウィを止められる者が地底にいない!
フラウィは、それに気付いて、思わず固まったまま武者震いした。
フラウィは咄嗟に計算した。
ここからニューホームを抜け、アズゴアを奇襲するまで、どれだけ掛かる?
最大の障害となるアンダインは、ロイヤルガード隊長は負傷して動けない。こんなチャンスは二度と来ない!
必要な手順は分かってる。
今ここには、始末しなければならない全員が揃っている。
パピルスを狙うことを考えた一瞬
ゾワッと背筋が粟立った。
「──ッ!?」
ヒヤリ、とした。
死神の鎌が首に当てられる。
ゾッと振り返ったフラウィは
ベッドに寝かされた、意識の無いサンズの体から流れ出した冷たい錯覚に、息を詰めて凍り付いた。
「? お花ちゃん?」
「……?」
パピルスとフリスクが、困惑したように瞬いて、不思議そうにサンズとフラウィを二度見した。
フラウィは総毛立って、骸骨が齎す死神の鎌の幻覚に、血の気の引いた顔で、ずりずり、と後退りした。
反射的に感じた殺気を、首を振って追い払う。
奥歯を噛み締めて、舌打ちしたい内心を抑える。
(死にかけのくせに…!)
何度も何度も殺されたソウルレスの身に染み付いた、審判者の牽制が。
虐殺者のツタを、地獄からジリジリと引っ張っていた。
「──……なんだと!?」
アンダインがいる奥の部屋から、声が上がった。がたん、とアンダインのいる場所から、椅子が倒れる音がする。
『姐さんやばいっす! 途中でニューホームの外れから逃げてきた親子連れを保護したんすけど……!』
RG-01が慌てて無線機に報告を載せた。
『ニューホーム、コアからあふれた溶岩で避難路が分断されてるみたいっす! このままじゃみんな蒸し焼きになるって、国王が──……!』
パピルスとフリスクがそちらに気を取られた瞬間、ピク、とフラウィは動きを止めた。
震えている。抱いているフリスクのせいではない、地面がかすかに。
「ちょっと離して!」
言いながらフラウィが身を捩るので、慌ててフリスクはフラウィを解放した。
フリスクの腕の中から抜け出したフラウィは、地面に降り立ち、ツタを広げた。
「また地震…?」
フラウィは顔を上げた。
地響きがする。遠く、遠くで。遠雷みたいな、咆哮が。
「いや、違う……?」
ピシッ、と何かにヒビが入るような音がして、次の瞬間、フラウィだけでなく地底中のモンスターが顔を上げた。
「なっ……!!」
フラウィは窓の外を見上げて、蒼白になった。
「嘘だろ……?」
その瞬間、地底中がざわついた。
「おい、見ろよ!」
「あれ見て!」
ピシッ、ピシッと空が割れる。
この地底に雲の浮かぶ青空は無い。だが、空はある。この地底において『空』とは、つまり。
「バリアが…!」
バキッとガラスが割れるような音がする。
その瞬間、何百年もの長きに渡ってモンスター達を圧制していたバリアに。
地底のどこからでも見えるほど、大きな亀裂が走った。
RG-01の声が、無線機から響く。
ザザッ、とノイズと共に、
『────国王陛下が、六つのニンゲンのソウルを吸収して、おかしくなった、って……!』
そしてそれは。
歓喜ではなく、瞬く間に悲鳴で彩られた。
「アズゴア王が、ご乱心めされた」と。
◇ ◇ ◇
「熱い、熱い…!」
「助けて!」
「熱いよぅ、ママぁ!」
その時ニューホームは大災害の中にあった。
時は遡り、コアの暴走をサンズとフリスクが命がけで止めていた頃。
コア緊急停止までのタイムラグの間に、コアに近接したニューホームには、噴火したマグマが、炎の間欠泉が、街中にあふれ出ていた。
王都のロイヤルガードたちが必死に水を汲み上げても、文字通り焼け石に水だった。
「いやぁ!」
「逃げろッ!」
「助けて!」
「ぼうや、ぼうやぁ!」
コアの暴走は、ニューホームに灼熱の業火をもたらした。
地底で想定されうる、最も危険な災害現場だった。
「民を、守らなくては」
騎士達を指揮しながら、城のテラスから街を見下ろしたアズゴアは、ぐっと奥歯を噛み締めた。
「このままでは保たない」
残された方法は、ただ一つだった。
アズゴア王は、決断した。民を守るために。
手元にあるニンゲンのソウルは、六つ。
アズゴアは、まるで自分の喉に槍を突きつけるような高潔さで、ゆっくりと目を伏せた。
「すまない、トリィ」
愛する妻の名を呼んだのを最後に、アズゴアはもう迷わなかった。
隠されていた六色のソウルは、アズゴアに取り込まれて──やがて、空が割れた。
完全な破壊には一つ足りない。だが、バリアにヒビを入れることを可能にするほどの、凄まじい力だった。
天に入ったヒビから、灼熱の熱気が空へ逃げていく。熱は上へと逃げる道理だ。ニューホームの熱気は、急激に収まっていった。
わっと歓喜が上がった。
「国王!」
「国王が我らを助けてくれた!」
「国王!」
「……国王?」
騎士に背を向けたアズゴアは、肩をガタガタと震わせた。
座り込んだ王に、近衛が慌てて「国王ッ!」としゃがみ込んだ。
「どうなされましたか!?」
「……───ッ!!!」
アズゴア王は頭を振り乱し、咆哮した。
バキッ、ゴキッと、おおよそ生物からしてはいけない音がした。
ウォーターフェルには、こう忠告した古き壁画があるという。
ニンゲンの魂を取り込みし者、ニンゲンでもモンスターでもない、バケモノと化す、と。
「ひっ…!」
残ったのは、バケモノと化した国王と、震える民。
巨大化し暴れ狂う王に絶望と悲鳴がもたらされた。
◇ ◇ ◇
「国王陛下が、六つのソウルを吸収して、おかしくなったって……!」
「馬鹿な! 一体どういうことだ!? 何が起きてる!?」
「それが…!」
アンダインが無線に向かって叫ぶ中、ラボの外で、まるで、もがき苦しむような咆哮が、遠く、長く聞こえた。
──………ッ! ……ッ!
地響きのように大気をビリビリ震わせた轟音に、咄嗟にアンダインが身を低くして警戒の形相を呈した。
「今のは……!?」
「……!?」
ズシン、ズシンと重い物が足音を立てて近付くように、大地がぐらぐらと揺れた。地鳴りがする。
──………ッ! ……ッ!
フリスクはハッと振り返った。
まるで熱に焼かれて苦しむようなその声が、自分を大切に慈しんでくれた育ての父のものだと。フリスクは誰よりも早く気付いた。
逆に言えばそれが、致命的だった。
「パパ…!?」
慌てて玄関先へと駆け出したフリスクに、アンダインが「待てッ! 無闇に動くな!」と咄嗟に手を伸ばしたが、間に合わなかった。彼女の指先はすり抜け、フリスクの背中は、風のように走っていってしまった。アンダインは小さな背に叫んだ。
「待て、フリスクッ!」
急いでラボの扉を開けて飛び出したフリスクは、そこにいた『誰か』を見上げて、フリーズした。
「パ…パ…?」
咆哮は歪に響いた。
◇ ◇ ◇
地底において、ニューホームとは首都であり、王都だ。
不便な
たとえば、王都を逃れ住むトリエルしかり、国王軍の第一線を退いて隠居するガーソンしかり、スノーフルに『ある日突然現れた』というサンズとパピルスの骨兄弟しかり──……皆、それぞれの事情あってのことだ。
それほど多くのモンスターがニューホームに住んでいる。利便性もそうだが、ひとえに国王の威光に惹かれ集まってのことだ。
穏やかでのんびりしていて、少しどこか抜けていて、王妃に頭の上がらない国王ではあるが、地底の誰一人として、アズゴアを嘲ったりはしない。
それどころか、モンスターたちは皆、口を揃えてこう言う。
「偉大なる我らが王、眠れる英雄、
《イビト山の王〜
ニューホームにて、華やかな祭りが開かれていた。
毎年9月15日は、地底の国の王立記念日。
そう、あれは、バリアから解放された最初の9月15日のこと。
それはフリスクが初めて王立記念祭の式典を目にした日で、拓けた自由を祝って過去一番の大々的な祭りが開かれた年のことだった。
フリスクはトリエル手製の大きな帽子を目深に被って、熱狂的と言って良いほどのモンスターたちの人混みを、舞い散る花びらの祝福のシャワーの中を、バリアの無い空に上がる弾幕の花火を、縫うように歩いた。
優しく手を引くトリエルもまた、深く帽子を被って、王族の証である紫の衣装は脱いで、その身分をひっそりと隠していた。帽子を外せば、周囲がたちまち王妃と小さな親善大使を見つけて、熱狂的な歓迎を始めてしまうと知っていたからだ。
この年以降、フリスクはその祭りを、毎年、人混みの中ではなく、親善大使として国王の横で迎えることになるだろう。
そうなる前に、一度だけでも、民と同じ側で祭りを見てほしいとトリエルは考えた。だからこうして、祭りの中でひっそりと、フリスクは小さな手を引かれているのだった。
国王がパレードの中心で、親しげに手を振る。
摘んだ野の花で作った小さな花束を、幼いモンスターが差し出すのを見て、優しく抱き上げるアズゴアは、まさしくモンスターたちの父であった。
「国王!」
「国王!!」
街のモンスターたちは、優しげな国王に、わっと熱狂的なほど歓声を上げた。
唱和が響く。繰り返し、繰り返し。
我らが王、Bergentrückungよ
ベルクエントリュィックングよ、と。
「ベルク……なんて言ったの?」
聞き慣れない言葉に、幼いフリスクは首を傾げてトリエルを振り返った。
「ベルク・エントリュィックングよ」
とトリエルは微笑んだ。
「ベルクは山のこと。エントリュィックングは『眠れる英雄の王』という意味なの」
むかしむかし、
かつて、あらゆる全ての迫害されるモンスターを守って戦った王がいました。
トリエルはそう言って、子守唄でも歌うようにやさしくモンスターの歴史を語った。
「かつて、モンスターたちは地上を追われ、この山に行き着きました。今となっては、この広大な地底の国が、山の中に築かれたのが起こりだと知らない子供たちも多くいるわ」
むせかえるほどの人混みの中、モンスターたちが高らかと繰り返す。
我らが王、Bergentrückungよ
ベルクエントリュィックングよ、と。
「我らが王は、Bergentrückung──……この山の王、眠れる英雄」
国王が抱き上げた幼いモンスターに花を飾られる温和な光景は、ほのぼのとして英雄の凱旋には程遠い。
にも関わらず、ぎゅっとフリスクの手を強く握ったトリエルが告げたよく通る声は、フリスクの脳裏に長く残った。
眠れる王が目覚めるとしたら、それは……英雄の目覚め、戦の幕開け。
だから、このままでいい。眠れる王のままで。それが、平和ということだわ。
◇ ◇ ◇
* 英雄の 目覚めだ。
◇ ◇ ◇
「パパ…?」
フリスクは愕然と、無意識に声を上げた。
いつだって優しかった、フリスクの父親代わり。
行く当ての無いフリスクを受け入れ、トリエルと共に目一杯愛してくれた優しい国王。
いつもちょっとだけ格好が付かなくて、奥さんに頭が上がらない温和なモンスター。白いふわふわの毛のフワリン王。
かつて一度だけフリスクに槍を向けた時ですら、迷いと苦悩を隠さなかった優しい王様。
それが。
殺気で肌がビリビリする。
雷のような敵意だった。
天を貫く大狼の咆哮が、ヒビの入ったバリアを揺らす。
嵐のような威嚇で、耳が痺れて何も聞こえない。
山にそびえ立つほど巨大化した、黒いアズゴア
雲を切り裂きそうなほど大きな槍が振りかざされて
次の瞬間、鼓膜が破れるような轟音がした。
何が起きたのか分からなかった。
気付けば、背後にあったラボは半壊だった。
アズゴアが振りかぶった巨大な槍の一撃が、ラボの上半分を容易く吹き飛ばしたのだ。
見るも無惨に崩れ去ったラボの玄関口で、フリスクは倒壊した瓦礫に囲まれたまま、豹変した父親代わりを愕然と見上げた。
獣の咆哮だった。
バキッ、ゴキッと、おおよそ生き物からしてはいけない音がしている。
アズゴアだったはずのその巨大な黒い獣は、口はパックリと裂け、牙は大きく肥大化し、ぐるりと巻いた黒い角が伸び、白かったはずの毛並みは逆立って黒と緑に染まり、背中から二本の緑の巨大な腕が生えて、まるで、────まるで。
まるで、かつて戦った
フラウィの戦闘形態のようだった。
生臭い匂いがする。
腐乱して虫のたかった肉のような、異臭が。
魂を喰らうとされる山犬のバケモノような、緑と黒の獣の遠吠えが。
一帯に響き渡った。
「パ、パ……?」
父親────父親
あまりに壮絶で恐ろしい光景に、頭が真っ白になる。脚がすくんで、動けない。
アズゴアらしきモノの腹に、ガパッと巨大な口が生える。
生え揃った歯が、ギラリとフリスクに向かって限界まで開いた。
「あ…」
巨大な歯が、フリスクの鼻先で口をガバリと開ける。涎を垂らしながら、フリスクの胴体を食いちぎろうと
フリスクの腹を灼熱が襲った。かは、とフリスクは胃液を吐いた。
フリスクの鼻先で、ガチン、と巨大な歯がぶつかる音がする。
その瞬間、バケモノの歯の代わりにフリスクの腹にぶつかったのは、殴り付けるような速度でタックルするアンダインの二の腕だった。
アンダインがフリスクを、脇に抱えるようにダッシュする。ザザザッと、素早く踏みしめた地面が擦れる。
「馬鹿! 何ぼーっとしてる!」
アンダインの一喝が、石のように硬直していたフリスクを正気に戻す。
今アンダインの助けが二秒遅ければ、胴体が真っ二つに食いちぎられていた。それを知りフリスクは震え上がった。
アンダインの背がぐらっとよろめいた。
「ぐっ…!」
「アンダイン…!」
治療の途中で飛んできてくれたのだとわかった。
崩れ落ちるアンダインに、フリスクは慌てて
「アンダイン、まだ身体が…!」
「馬鹿!! 自分の心配をしていろッ!!」
アンダインが手にしていた注射針の蓋を、迷わず噛んで抜く。
自らの二の腕に刺した注射針の中身が、アンダインの腕の中に溶けていく。
フリスクを背に庇い、素早く出現させた槍を構えることもできずふらついて、息を弾ませながら、結局、アンダインは槍を杖代わりに地面に突き刺した。
「アレは、アズゴアなのか……? あんなバケモノが、本当に…!?」
見上げたそのバケモノは天に咆哮しながら、まるで目が見えないみたいにウロウロとあたりを彷徨っていた。
ぴくぴくと鼻を鳴らしたバケモノが、匂いを見つけて、ゴキゴキと音を鳴らしながら突如首を真後ろまで回して、ぐるん、とこちらを見た。
ヒッ、とフリスクは悲鳴を上げた。
緑色のバケモノが、天に届きそうなほどの四肢を振り回して、巨大な槍のようなものを振りかざした。
瞬間、アンダインがフリスクの頭を押さえつけた。揃って地に伏せた瞬間、フリスクとアンダインの背を、凄まじい風圧が通り抜けていった。
一撃で崩壊する建物。
ラボの玄関口は崩壊して、まるでプリンにスプーンでも入れたみたいに、ラボの前半分が斜めに消し飛んでいた。
顔を上げたアンダインが血相を変えて叫んだ。
「……ッ!! アルフィーッ!!!」
「……!!!」
ガラガラと崩れた瓦礫の中から、骨の壁が顔を出す。
ぐるりと大きく囲むような骨の覆いの中に立っていたのは、パピルス、倒れたサンズ、そして腰を抜かしたアルフィーだった。
「あ、あ、あ…!」
「アルフィーッ!! 無事か!?」
「あ、アンダイン…」
「大丈夫!! 博士も怪我ないよ!」
「よくやったパピルスッ! そこを動くな!! 背後を守れッ!!」
アンダインは苦しげに片目を歪めながら手を空へ振り上げた。槍が空に形成される。
降り注いだ青い槍の雨がザクザクと地面に突き刺さり、目隠しの障壁を作る。出来た壁でパピルスたちとアズゴアの間が分断される。上がった息の合間で、アンダインが苦しげに呻いた。
「くそっ、地下の避難民たちが……!」
アンダインが零した言葉を聞いて、フリスクはハッとした。
ダメだ、ここに居たら巻き込んでしまう。
中には避難してきた治療中のモンスターたちと、重症のサンズもいる。
もし今サンズに何かあったら、瀕死の彼はきっと助からない。
アズゴアの狙いは、
「ッ!! おい!!」
ラボと逆方向にダッと走り出したフリスクを、アンダインは慌てて制止しようとしたが、アンダインが伸ばした手をするりとすり抜けて、小さな体は一目散に走って行ってしまった。
まるで、アズゴアの槍の矛先を、引き付けるみたいに。
「待て!! あの馬鹿、独りで…!」
脇目も振らずにニンゲンだけを追っていった、アズゴア
追いかけようとしたアンダインの脚は痺れ、崩れ落ちる。
「くそっ…!」
動かない脚で崩れ落ちたまま、アンダインは拳でガンッと地面を叩いた。
フリスクは必死に走った。誰も巻き込むまいと、独りで。
できるだけ遠く、ラボから遠く。
小さな脚を懸命に蹴ったフリスクの太ももは、けれど、急にフリスクの意思を無視して止まった。
脚に、灼熱の激痛がした。
「……え……?」
力無く地に伏せたフリスクの左脚は、見れば、まるでフォークで肉を突き刺すみたいに、巨大な槍で貫通していた。
まるで蝶が標本にされるみたいに
フリスクの脚は、黒い槍で地面に磔だった。
「あ、ああああああ!!」
激痛にフリスクは叫んだ。
どばっとあふれる赤い血が
フリスクの下に、巨大な赤い水たまりを作る。
追い付いた黒と緑のバケモノが、黒い槍を振り上げる。
「──ッ! パ、」
育ての父の呼び名が形になる前に
それは、あっけなく
フリスクの胸を貫通した。
「……ご、ぽっ」
フリスクの目から光が消える。
赤ペンキみたいな血をごぽごぼ吐きながら
フリスクは、焦点の合わない目で、ぶらん、と両手の力を失った。
宙吊りになったフリスクを磔にした二本の槍が
まるで箸でも引き抜くように、フリスクごと大地からゆっくり持ち上げられて
変形した黒い指先でTシャツの背を摘んで、まるでさくらんぼでも口にするみたいに
血みどろのフリスクの身体は、あーんと開けられた巨大な口の上に、ぶらんと吊り下げられた。
どばどばとあふれる血が、バケモノの口を汚す。
フリスクは、濁り出した目で虚空を見つめたまま
大口を開けたバケモノの口へ、落下した。
その瞬間、伸びたツタが、フリスクの胴体を一気に引っ張った。
フリスクの胴体を噛みそびれたバケモノの歯が、ガチン、とぶつかる音がする。
槍に串刺しにされたままのフリスクを
ツタで思いっきり引っ張って、フラウィが蒼白で叫んだ。
「起きてッ!!!!」
フラウィのツタが、子供を貫通した黒い槍を肉から引き抜く。
フリスクは、ビクンッ、と魚みたいに痙攣して、血泡を吹いた。
慌ててツタがまさぐったフリスクのポケットから、マフェット戦のために残しておいたクモのドーナツが転げ落ちる。血反吐でおぼれたフリスクの口に、フラウィが無理やりドーナツを突っ込んだ。
たちまち瞬時に塞がる傷。Tシャツに開いた大穴。真っ赤でもはや原型を留めていない横縞シャツを引っ張りながら、フラウィが必死に叫んだ。
「起きて!! 起きて走って!!」
「………………ぁ……」
「早く起きて!! キミを持ってると地面に潜れな、あ゛ッ!」
ぶちぶちぶち
紫色の体液が、噴水みたいに子供の体を染めた。
「ぎゃ、ああああああああああ」
フラウィの絶叫が、子供の目を覚ます。
ぼんやりと意識を取り戻したフリスクが目にしたのは、緑の太いツタを、まるでポペトの袋みたいに易々と引き裂かれて、千切れたツタから紫色の液体を天に吹き出すフラウィの、壮絶な姿だった。
夢うつつだったフリスクは悲鳴をあげた。
「いやあっ!! おにいちゃん!!!!!」
羽虫でも叩き落とすがごとく地面に打ち捨てられたフラウィに、フリスクは痺れた左脚を引き摺りながら、必死に縋った。
「おにいちゃん!!! フラウィおにいちゃん!!」
「…………はは……起きちゃったんだ……寝てた方が幸せだったかもね……」
ゴミのように捨てられたフラウィが、そう力無くぼやいた。
フラウィを、息子の体を平然と引きちぎったアズゴアが、もはや原型を留めていない体で、高く高く咆哮した。
大地がビリビリと震える。
腰が抜けて立てない、萎びたフラウィをぎゅっと抱えて、フリスクは、ガタガタ震えながら小声で尋ねた。
「……勝、てる?」
「……はっ…無茶言わないでよ! 普通でも勝てたことないのに、ソウルを六つも取り込んでて、こんなの勝てるわけ…!!」
咆哮が天に響き渡る。
呼応するみたいに空がギラリと光って、空から黒い槍が広範囲に雪崩れ降る。
動けないフリスクの、赤いソウルめがけて。フリスクはヒュッと息を呑んだ。
「ッ…!!」
ダメだ、逃げ切れない。
自分の身体を盾にするみたいに、弱ったフラウィを、咄嗟に全身で抱きしめて地に伏せた。
「バカッ!」
フラウィは腕の中でもがいた。
スローモーションのように
命を絶つ一撃が迫る。
その時だった。
声は戦場に、優しく、不思議とよく通った。
「安心して」
「……!」
美しい焔だった。
ぶわりと魔法の火が、逆巻いた。
青紫色の高温の焔が激しく煌めく。まるで意思を持つように、魔法の火がフリスクとフラウィを取り囲んで、結界のように高く燃え上がった。
「もう大丈夫よ、我が子たち」
熱風が、頬をぶわりと優しくさらっていく。時に灯かり、時に暖、時に料理へと姿を変える、愛が込められた炎。
美しく広がる蒼炎の切れ目に姿を見せた、白い毛で覆われた大きな背中が。
フリスクとフラウィへ雪崩れる槍の攻撃を、全て防ぎ切った。
「この母が来ましたからね」
「ママ…!」
「……!」
フリスクも、腕の中のフラウィも驚きに目を見張った。
厳しく前を睨むトリエルが腕を振り下ろすと、子供たちをぐるりと囲んだ焔が、背後で消える。
燃え上がる青い炎の壁の向こうで、バケモノが見失ったように視線をウロウロと彷徨わせた。
灼熱の焔で距離を取りつつ、二人を庇いながら、じり、とトリエルは後退した。
「
トリエルが、青ざめながら、唇を震わせた。
そのセリフを聞いて、フリスクは強い既視感を感じた。
トリエルはかつて、フリスクの前で全く同じセリフを吐いたことがある。
地上に出る寸前、幼いフリスクのソウルを奪おうと槍を握ったアズゴアを、炎の魔法でいとも容易く追い払いながら、だ。
だが、あの時とは状況が違う。
アズゴアは理性を飛ばして容赦なく、愛する妻の魔法に思わず撤退してしまうような温厚さの欠片も無い。
あの時と同じなのは、そう。
フリスクを殺してソウルを奪おうとしている。
その一点のみだった。
黒いアズゴアが獣のように咆哮した。
大気がビリビリ震えるような、本物の殺気に、冷汗がトリエルのおとがいを伝う。
「こんな姿になるまで…!」
震える子供達の手前、平静を装いながら、震えそうになる声を無理やり押さえ付けて、トリエルは歯噛みした。
「貴方を独りにするべきじゃなかった…!」
火の球を構えたトリエルの手が、深い悔恨で震える。
「何の罪も無い六人の子供を殺したこと、決して許されることではないけれど…」
トリエルは噛み切らん勢いで唇を噛んだ。
「でも、あの子たちを護れなかったのは私も同じ…! その責を、貴方に全て負わせてしまった…!」
もがくような咆哮。
不安を催すような歪な叫び声が、ヒビの入った空にこだまする。
トリエルは苦しげに表情を歪めて叫んだ。
「やめて! もう終わったわ! コアは止まった! もういい、もういいのよ!」
「ダメだ、足りない七つ目を欲してる! 無意識に襲ってくる!」
バケモノと化したアズゴアには、もはや愛する妻の声すら、届かない。
三又槍が振りかざされて
フリスクの足下で、《Mercy》が砕かれる音がした。
《vsアズゴア・ドリーマー
まるで、高熱を出した夜に見るぐちゃぐちゃの悪夢みたいだ。
編集ソフトで切り抜いて適当にツキハギしたみたいな、そんな歪な姿だった。
黒く染め上がった体毛はぶわりと膨らんで
腹に開いたぱっくり裂けた大きな口は、歯をガチガチ鳴らしながら涎を垂らし
バキバキ鳴る背中からグロテスクに飛び出した六本の緑のツタは空高く伸びている。
そんな、恐ろしい化け物にしか見えない黒い巨人が、あの優しいアズゴアだと、いったい誰が信じようか。
咆哮。爪一閃。
無人で放置されたままのナイスクリーム屋の屋台が、ガラガラと音を立てて簡単に木屑と化した。岩肌が菓子みたいに容易く砕ける。
あたりは暴れた爪痕でめちゃくちゃだ。
崩れた瓦礫、落盤した石壁で、綺麗に整備されたホットランドの通路は見るも無惨だった。
向こう側の通路はほとんど崩れかけていて、迂闊に通れば溶岩に真っ逆さまだ。これではニューホーム側に抜けられない。
大地に突き刺さった黒い槍は
咆哮するアズゴアと相まって、周辺は地獄のような様相を呈していた。
もはや愛する妻のことすら分からないらしく、振り上げた巨大な黒い槍が、トリエルへと一直線に振り下ろされた。
トリエルが青い顔で頭上に炎の魔法の壁を作る。
「ッ!!!」
火魔法の障壁が、ごり、と音を立てて力づくで真っ二つにされた。母の背に護られた背後でフリスクもフラウィも悲鳴を上げた。
「やば…!」
「ママ…!!」
きぃん、と
アズゴアの槍を受け止めたのは、青い槍だった。
「王妃ッ! お下がりください!」
「貴女…!」
「アンダインッ…!」
「ロイヤルガード隊長、アンダイン、ただいま馳せ参じました!!」
本調子でない身体に鞭打って、危機に遅れて駆け付けたアンダインが、槍で鍔競り合いするも、一瞬でトリエル共々強引に吹き飛ばされた。
「あがっ!」
「きゃあ!」
「アンダインッ! ママ…ッ!」
「くそっ、なんて力だ!」
アズゴアが高く咆哮した。聞く者をぞわぞわと不安にさせる不吉な雄叫びだ。
このままではニンゲンどころか、地底の全てを滅ぼすまで止まらないだろう。
崩れる石垣から王妃の身を助け起こしながら、まだ身体の痺れが取れないアンダインは唇を噛んだ。
「くそっ、こんな時に限って…!」
ぎこちなく槍を握り直し、思い通りにならない身体に歯噛みしながら叫んだ。
「何か、何か止める方法は無いのか!?」
「……あるよ。一つだけ」
フラウィがぼそりと呟いた。フリスクはハッと庇った後ろを振り返った。フラウィが無言で、緑のツタを一本、指さすように、暴走するアズゴアへと向けた。
「あそこ、見える? アズゴアと六つのソウルだ」
小声でフラウィが指し示す方へ、フリスクは慌てて目を凝らした。
よくよく見れば、ぼやけたアズゴアの白のハートのソウルの周りに、橙、黄、水色、青、緑、紫の六つのソウルが、ひしめき合うみたいにぐるぐると高速で回っている。まるで、混乱するみたいに。
「アズゴアをおかしくさせてるのは、六つのソウルだ。そもそも、モンスターがニンゲンの、ニンゲンがモンスターのソウルなんか取り込んだら、ああなるのは当たり前なんだ。ウォーターフェルの壁画にもあっただろ。モンスターでもニンゲンでもないバケモノができるって」
ウォーターフェルにあった警告。恐ろしい御伽話。
それが現実になった
「その点、ボクは……モンスターでもニンゲンでもない器だから。ソウルレスのボクの方が、ソウルへの親和性はぐんと強い」
水が高いところから低いところへ自然と流れるように。
ソウルもまた、親和性の強い存在の方へ、自然と引き寄せられる。そういうものなのだと、フラウィが小さく呟いた。
かつてフラウィを作り出した王宮の天才科学者。
W.D.ガスターは、そのために空の器、フラウィを作り出した。
国王の身を危険に晒さずに、代わりにニンゲンのソウルを入れるために。
要は、フラウィはアズゴアの身代わりだった。周回しながらラボを調べ尽くし、その真実を知ったフラウィは、だからこそアズゴアを恨んだ。
アズゴアや地底を救うために作られたフラウィこそが、こうして何より国王の脅威となったのは運命の皮肉であり、同時に、もう居ない王宮科学者ガスターへの、フラウィによる意地の悪い仕返しだった。
「だから、アズゴアに触れるくらい至近距離まで近付いてソウルごと一気に六つパクッと食べちゃえば、アズゴアからニンゲンのソウルを引き剥がせると思うよ」
フリスクはハッとして、身を屈め、フラウィに視線を合わせた。
「そうすれば、パパ、元に戻る?」
「たぶんね」
フリスクはそれを聞き、目にパッと希望を宿した。
反して、フラウィは闇を見つめるみたいな暗い声を響かせた。
「でも、本当にいいの? それって、ボクにニンゲンのソウルを六つ差し出すってことだよ?」
「!」
目を見開いたフリスクに、フラウィの顔が、瞬時にぐわりと凶悪なものへと変化する。
「ソウルが六つあれば、リセットの権限を奪うなんて簡単さ。そのまま、セーブロードリセットを繰り返して、キミをずーっとここに閉じ込めちゃうかも……」
剥き出しになった歯が、カチカチぶつかってケタケタ響く。
凄んだフラウィをまっすぐ見据えて、フリスクは揺るぎなく見つめ返した。フリスクが動じないのを見て、フラウィはもう一度、念を押すように脅し付けた。
「キミの大事なもの、アズゴアの代わりにぜーんぶ殺しちゃうかもよ。それでも?」
答えの代わりに、フリスクはぎゅっとフラウィの体を抱き締めた。
フリスクを身を挺して助けたせいで、ちぎられてしまったツタへ、すり、と頬を寄せる。フラウィは鼻で笑った。
「キミってほんとうにバカなんだね」
しゅる、とフラウィは根を抜いて、フリスクの腕にくるりと絡んだ。フラウィを大地からすくいあげるみたいに、フリスクが両手を差し出して前を向く。
「イケる?」
「うん」
フリスクの胸で、まばゆいケツイが輝いた。
「パパ、今助けるから」
小さな足でめいっぱい大地を蹴って、フリスクは駆け出した。
「!?
「聞いてママ、アンダインっ!」
炎の護りの中から飛び出したフリスクは、必死に魔法を構えるトリエルと槍を構えるアンダインの裾を引いて、懸命に言い募った。
パパを止める方法があるかもしれない、ソウルを引き剥がせるかもしれないと。
「なにっ!? 本当か!?」
それを聞いたアンダインが、フリスクを脇に抱えてアズゴアの攻撃から逃げ延びた。間一髪、今居た場所に爪が刺さり、大地を串刺しにした。
「……それが本当なら」
アンダインの視線を受けて、フリスクは、ポケットに手を入れて、中身を取り出した。
魔法で作られた槍型の青い鍵が、出番にきらりと輝いた。
* SAVEしなければならない人が、残っている。
◇ ◇ ◇
「充電完了! ショータイムはいつでもいけるよ!」
バリアの天井に触れるぐらいに空高く、メタトンはフリスクとパピルスを背負って飛んだ。
アンダインに貰った鍵を使って直通エレベーターで先回りしたフリスク達は、アンダインとトリエルの死に物狂いの足止めのおかげで、なんとかアズゴアの真上にいた。
皆、ごくりと息を呑む。
「チャンスは一度きり。一か八かだね」
「にいちゃんが居たら、近道で一発だったのに、困ったサボりんボーンだな」
「あのゴミ袋が居たら、こんな危険な作戦許可しないだろ」
メタトンが両手いっぱいに、料理番組用の爆弾をいっぱい掲げた。
「イッツ、ショーーーータイム!!!」
真上から落とした爆弾が、マグマに落ちて派手に炎の間欠泉を作る。
ドバッと空高く噴出する炎。
火柱に四方八方を囲まれたアズゴアはその場を動けなくなり、メタトンの派手な掛け声に釣られて真上を見た。
「よし、作戦通りだ。この位置からなら…!」
自分ごと串刺しにしてしまう位置だ。厄介な、空から降るあの黒い槍の攻撃は使えない。
アズゴアらしき怪物は、案の定、槍を使わず背中から生えた巨大な緑色の腕を空へ伸ばして襲ってきた。
「行くよ、ニンゲン、お花ちゃん!」
パピルスが呼び出したスペシャル攻撃のブラスターの背に飛び乗って、ごう、とジェット噴射が火を吹く。
二本の腕に向かって急発進したフリスクは、ブラスターが熱線を吐き出して両腕を受け止めた隙に、極太のその腕に飛び移った。
「……!!!」
巨大な毛むくじゃらの緑色の腕の上を転げ落ちるように走る。アズゴアへ向かって走るフリスクを見て、ゴキン、ゴキン、と音を立てながら、背中から生えた六本のツタが、走るフリスクを串刺しにしようと襲ってきた。
「来るよッ!」
フラウィが叫び、フリスクは全力で走った。緑色の左腕の上を。
一本、二本。かわしたフリスクの頬をツタが掠める。ピッと頬が裂ける。
三本、四本、危うく避けた脇腹の服が裂ける。掠った痛みに歯を食いしばる。
フリスクの心臓を貫こうとしたツタが
弓矢のように飛んできた青の槍で弾かれる。
アンダインの援護射撃だ。
「迷うな、走れッ!!」
獣の咆哮と共に左腕が右腕を叩き落とす。
ハエを叩くみたいに押し潰されそうになったフリスクの周囲を、たちまち炎の魔法が包み込んだ。
トリエルの魔法にジュッと焼かれた腕が怯んで、圧死する前にフリスクが腕の下を飛び出す。
交差する両腕を飛び移る。襲ってくるツタ、五本、六本──最後の一本!
ずるり、足を踏み外してバランスを崩したフリスクが、ヒュッと落下する。
「──ッ!!あっ」
その瞬間、フラウィがツタを伸ばして、ブランコの要領でぐるんと自分ごとフリスクを投げ飛ばした。
「だあっ!」
くるくると宙に投げ出されたフリスクが、フラウィを固く抱えたまま意を決してまっすぐ飛び込んだ。
自由落下が加速する。
「今だ、ニンゲンッ!!」
「行けーーーッ!!」
空から落下するようにアズゴアの胸に手を伸ばす。
怪物は腹を大きく開いて、歯を鳴らしながらガバッと異形の口を開いた。
その瞬間、どぼどぼと空から赤い液体が降ってきた。
「おおっとぉ〜! 手が滑ったぁ!」
あーんと開けた口に、料理用のタバスコを降り注がせるメタトン。
どぼどぼどぼ、とあふれんばかりに口の中に注がれた超激辛唐辛子に、もがいて悲鳴のような咆哮が上がる。
(届け…!!)
落下したフリスクの手が、アズゴアの体にゼロ距離で触れた瞬間
フラウィが、大きく口を開けて歯を見せ、ぐわっと巨大な口を
ば、くん。
◇ ◇ ◇
アズゴアは、気付くと暗闇の中を彷徨っていた。
おや、と首を傾げて、周囲を眺める。
さて、自分はどうしてここにいるのだったか。
目を凝らしても何も見えない真っ暗闇をぼうっと眺めていると
まるで、美しく切り取った壁画をひとつひとつ眺めていくみたいに
古い記憶が、きらきらと、優しく後ろから前へと流れていった。
ああ、とアズゴアは理解した。
これは、走馬灯だ、と。
愛しい妻との幸福な日々が優しく流れていく
喪った息子が初めてパパと舌足らずに呼んだ日も
どれもあたたかく、実に愛おしい思い出だった。
命を投げ打っても良いと思えるほどに、深く愛せる者に出会えた自分は、幸福だったと迷いなく言える。
それを全て失ったのは、ひとえに自分の至らなさ故だった。
この地底に、最初のニンゲンが降ってきた日
自分たち夫婦に、二人目の子供ができた日
数百年ぶりのことだった
柔らかな人の子と触れ合うのは
人の子ともう一度、共に生きる。
それは、遠き日の過ちをなぞるのに疲れたアズゴアにとっても正しく希望だった。
どうか、過ちばかりの自分とは違って
息子は人の子の友と善き道を歩めるように、と願っていた。
どうか、どうか。遠い昔に決裂してしまった自分とは違う道を。
ニンゲンの友とも手を繋いでどこまでもいけるように、と。
最初のニンゲン。
あの子の中の憎しみにそっと見ないふりをして、優しく慈しんだ。
同じ過ちを繰り返した。
知っていたのに。
愛は時に憎しみを燃やす燃料になり得ることに。
モンスターは時に愛のために身を犠牲にするが
人の子は時に、憎しみのために己を燃やす
あの子は、重い病気で亡くなった。
その身を蝕んだ
私は確かにあの子の親代わりだったというのに
私たちが注いだ愛が、あの子の憎悪に正当な言い訳を与えてしまった。
ああ、また同じ過ちを繰り返してしまったのだと。
気付くのが遅すぎた。純粋な子ほど、憎しみの炎は激しい。
ひどく懐かしく胸が痛む既視感だった。
自分たちモンスターを山に追いやり、バリアで数百年の長きに渡り封印した、七人の
あの中には、自分たちがよく知る人間の友人もいた。
そう、あの戦争の、自分たちを封印した術者の中にはニンゲンの戦友もいたのだ。
中でも親しい者とは、共に幾度も死線を潜り抜け、命を預けあうほどの仲だった。
思い返すほどに美しい人の子だった。ころころと楽しそうに笑うと儚げなのに、怒って目を吊り上げる時にとびきり美しくなる人の子だった。若き日のガーソンなど、彼女の怒る顔が見たくてちょっかいを出すこともあったほどだった。彼女も恐らく、彼を憎からず思っていたのではないかと思う。
夜に共に焚き火を囲んで、そんな仲間たちの他愛無い休息を見ているのが好きだった。
真実、大事な友人だった。それを疑ったことは一度も無い。たとえ裏切られてしまったとしても。
激化する戦の中で、優柔不断な自分の在り方はあまりに甘すぎたのだろう。
力のある私たちは、非情になれば救えたものもあっただろう。私にはどうしてもできなかった。
どれほど平穏と和解を願っても、きっとそれは国王に許される態度では無かったのだ。いつだって私は、決心するのが遅すぎる。
人間もモンスターもどちらも傷付けたくない、どちらとも手を取り合いわかり合いたい。
そんな自分のどっち付かずの曖昧な態度が、いつしか取り返しの付かない溝になっていたことにも、私は見てみぬふりをしてばかりだった。
繊細な銀細工の魔術師の装束に身を包み
憎しみの焔に瞳を焦がす友の、美しかったこと。
それはそれは美しい魔術師の銀の衣を戦火の中で靡かせ
瞳を愛と憎しみに焦がす友を前に
自分たちは、あまり抵抗せず、山の奥に逃れ住んだ。
友の瞳に燃えていた激しい憎しみに気付かないふりをして、ただ去った。
燃えるような友の怒りに、私たちは応えなかった。
それが正解だったのか、致命的な過ちだったのか
正直なところ、未だに分からないでいる。
それでもただ、私は。
決裂し裏切られたことよりもずっと。
笑い合う仲間を失ったこと、共にクリスマスを過ごせなくなったこと、友の誕生日を祝う権利を失ったこと、友の墓に参る資格を失ったことの方が、余程悲しく辛かった。
もし、あの夜の友の怒りに応えてやれば
最初のあの子の中に燻る憎しみとも、もっと向き合えただろうか
息子ともう一人の子供を同時に喪う前に
私にはどうしても分からない
どうしても許せないことがある者の怒りに、どう向き合えばいいのか。笑って曖昧に微笑む以外に、どうすればよいのか。
怒りに応えられないまま、ニンゲンの友も、モンスターの友も去った。我が子も、我が子に等しい子も失った。
最終的には、愛しの妻の怒りにも応えられず、彼女も自分のもとから去った。
すまない。許してほしい。
優柔不断で、決意が甘く、どうしても非情になれない愚かな王を。
六人もの人の子から輝く未来を奪った咎を。
死してなお生きたいと願う鮮烈なソウルを閉じ込め続ける罪を。
いつか、いつか。
きみたちの魂を、自由な青空の向こうへ還すその日まで
仕方が無いことなのだと、自分に言い聞かせるしかなかった。
モンスターの愛は、人の子の憎しみを煽る。
奇跡を願いながら、諦めていた。
そう、────最後のあの子が降ってくるまで。
ぽたん、と
まるで砂漠に雨が降るように、あたたかな水滴が染み入って、閉じた瞼を二度叩いた。
ふるりと睫毛を震わせ、重たい瞼をこじ開けると
ぽたん、ぽたん、と
頬を叩くあたたかさで、どこかで雨が降っているのを感じた。
視界がぼやける。
白く霞んだセカイの中で、愛する妻の幻がぼんやりと浮かび、たちまち悲愴に歪む。
「トリィ…?」
酷く掠れた喉で、辛うじて妻の幻に問いかける。
ぽたん、ぽたん、ぽたん
とめどなく降り注いでは頬を叩くそのあたたかな慈雨が、妻の涙だとようやく気付いた。
「……っ……!」
トリエルがしゃくり上げて、仰向けに倒れたままのアズゴアの胸に縋り付いた。
「貴方って、ほんとうに馬鹿ね…!」
ボロボロのアズゴアを膝の上に抱き留めたまま泣くトリエルに
ひどく重い腕を、緩慢に動かしてようやく届く。
指先がそっと妻の目元を拭う。けれども拭った端から次々とあふれて止まらない。
「泣かないでおくれ、トリィ」
むすっとした顔でフラウィが、まるでスイカの種でも飛ばすように、ぷっ、ぷっ、と六つのソウルを吐き出した。
へっ、と皮肉めいた顔で嗤ったフラウィを、フリスクの柔らかい
アルフィーが慌てて、吐き出されたソウルをガラスケースの中に仕舞う。
魂たちは脱走することなく、すんなりとケースの中に収まって大人しくなった。
まるで、出番を待つように。やがて幕が上がる舞台の役目を理解しているかのように。
to be continued
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