《第二章:snowdin〜スノーフル〜》
「いい? ボク、この先は一緒に行けないからね」
「えっ…!?」
遺跡の出口で、子どもは雷に打たれたみたいな顔をした。
てっきり一緒だと思っていたのに、と顔に書いてある。
急にハシゴを外されたような気持ちで、フリスクはうるると目をうるませた。
フラウィはたじろいで「ああもう!」とフリスクの涙を拭った。
「監視カメラ! 映るわけにいかないの!」
それを聞いてフリスクは、はたと思い出した。
遺跡の出口には、アルフィーの仕掛けた監視カメラがある。
「じゃあ、その先なら……」
「あんなの序の口! スノーフルには監視カメラが九個あるの!」
「えっ」
ビックリした顔のまま、フリスクは口を開けて固まった。まるっきり初耳だった。
「バカだね、知らなかったの?」
フラウィはあきれ顔をした。
子供は衝撃を受けたような顔のままだった。
嘲笑を引っ込めて、フラウィは少しだけ訝しげにした。
「ねえ、キミ、ほんとに、リセット使ってなかったんだね」
「うん」
フリスクは素直にこくんと頷いた。
「これが初めて」
「それでよくそんな平和ボケした未来に……いや、」
フラウィは途中で言葉を切り、嘆息した。
「だから、かな? どっちにしても、キミと繋がってるのを
心細そうな顔を隠さなかったフリスクは、フラウィのその言葉を聞いて、迷っていた顔をスッと上げた。
瞳の奥に決意が宿る、澄んだ目だった。
「うん」
フリスクはふわりと
「がんばるから、見ててね。……フラウィおにいちゃん」
ぎゅっと、フリスクはフラウィの小さな体を抱きしめた。
棘が刺さらないやり方をよく知った、当たり前みたいな優しいハグだった。フラウィはむず痒そうに身じろいだ。
子供は、遺跡の外に足を踏み出した。振り返らなかった。
(それにしても、あの子、よくおばさんを説得できたな)
ここは本来、トリエルと戦うはずの場面だ。
トリエルは、自分の息子と七人のニンゲンを無力のままに喪っている。
ついに落ちてきた八人目を、決して外に出すまいと思い詰めるあまり、攻撃するはずなのに。
なのに、トリエルは。
外に出ると告げたニンゲンを、全身で抱きしめて、こう言った。
「わたしは今まで、八人もの我が子を、無力なあまり喪ってきました」
ぎゅっとフリスクを抱いたトリエルの声は震えていた。
「親にとっていちばん不幸なことが何か分かりますか? 愛する我が子に先立たれることよ」
トリエルは、子供を固く固く抱きしめた。
「お願い、my child……決して死なないで。生きて……生きていてくれさえすれば、いいのよ。それだけで……」
「うん」
子供は、目尻に涙を浮かべながら、母を抱きしめ返した。
「約束する。死なない、ぜったい……」
あどけない子供の目に、決意が宿った。
(何もかもボクの知る展開と違う。あの子、何か、決定的なズレに、足をすくわれないといいけど……)
バタン、と扉は固く閉ざされた。
フラウィは、するりと地面に潜り込んで、後を追った。
芯から凍える冷気に、フリスクは身震いした。
だぼっとしたパーカーが暖かく寒さを遮ってくれる。心細さは、勇気に変わる。
フリスクは、真っ白な雪の世界で、大きく息を吸い込んで、白い息を吐き出した。
(いこう)
フリスクは、低木の茂みの中にある、監視カメラに向けて、微笑んで手を振った。
その向こうにいるトモダチに、懐かしさと愛を込めて。
(みんなが待ってる)
フリスクは足を踏み出した。
雪がフリスクの一歩を、白のキャンバスに刻んだ。
《snowdin〜スノーフル〜》
モンスターのお年寄りも、ようやく知っているかどうかという大昔。
スノーフルは「snowdin」と呼ばれていた時代がある。
snowed inとは、雪が降り積もるという意味だ。
町ができるよりずっと前。
まだ何もない真っ白な雪原だった時の、古い地名だ。
それを教えてくれた人も。
フリスクにとっては、昨日のように懐かしい
けれど、ずっとずっと昔の話。
この先にいるはずだ。
『初めまして』を、もう一度。
その時、背後から聞こえた、パキッと枯れ枝を踏む、重い足音に。
フリスクは、ハッと振り返った。
「……!」
慌てて踵を返して駆け出した。
足下を確かめる。細い枝は粉々になっている。誰かに踏まれた跡だ。まるでひどく重たいものに押し潰されたみたいに。誰かをわざとおどかすように。
きょろきょろと辺りを見回す。探し人の姿が見えない。
この先で、もう一度出会えるはず。
そうわかっていても、じっとしていられなかった。
フリスクはかつて。ここで、初めて出会った。
最後の瞬間まで、共にいてくれた、サンズに。
不意に、背後に誰かが降り立った気配がした。
「よう、ニンゲン、挨拶も無しか?」
「……!!」
フリスクは震えた。変わらないその低い声に。
一度喪われたその優しい声音に。
じわり、と熱い涙があふれた。
「ここでの挨拶を教えてやる。こっちを向いて握手し、ろ……」
「……っ!!」
サンズの言葉は、途中で途絶えた。
小さなニンゲンが、飛び付くように、サンズにハグをしてきたからだった。
「……わお、熱烈だな。ニンゲンの国じゃ、初対面でもハグするのか?」
いとけない子どもはボロボロと泣いた。
困ったサンズは、宙に浮いたブーブークッションをウロウロさせ、結局自分で間抜けに鳴らした。
子どもは、ほろほろと泣きながら、少しだけ笑った。それは、サンズを無性にほっとさせた。
(……態度を偽ることに慣れていない)
隠す気が無いのか?
気味悪がられると思わないのか?
いや
涙に宿る真っ直ぐさに、サンズはすぐ確信した。
(信頼、してるんだ。どうしようもないくらい。あいにく、心当たりはないけどな)
「あー、オイラたち、ともだちになれそうだな? なにせ、服の趣味がそっくりだ」
そんなふうにお茶を濁しながら視線を下ろして、サンズはぎょっと顔を引き攣らせた。
至近距離でCheckした防御9999の防具。だが、これはどう見ても。
(う、わっ……)
サンズは、ひくっ、と頬を引き攣らせた。
限界まで使い古された、見覚えある青い服。
何の変哲もないはずのパーカーが弾き出す、防御9999という破格の数値。
それを見ず知らずのニンゲンが纏っている意味を、優れた頭脳が素早く弾き出す。
覚えがない。覚えはないが、理解はできる。だからこそサンズは全力でドン引きした。前の時間軸の自分は、よほど過保護だったようだ。幼い頃なら話は別だが、
(記憶の欠けを直視する感覚は、何度味わっても嫌なもんだな)
へっへ、といつものようにへらりと笑って「落ち着いたかい?」と子どもに声をかける。
幼い子どもは恥ずかしそうに、しおしおと手を離した。
「そうそう、いい子だ。こわくない、こわくない」
キラキラした雪のように、ポロポロ、ポロポロと涙が落ちて、子どもが懸命に拭って止めようとする。
それだけで、『前』の自分の死にざまは知れたようなものだった。
この様子ではいささか酷だが、向こうでパピルスが待ってる。定点観測は必要だ。弟に対する反応も見なくてはならない。
子どもの涙が止まるのを辛抱強く待ってから、サンズはニンゲンを弟の待つパズル広場に案内した。
この後、パピルスと顔を合わせた子どもは、輪をかけて怒涛のように泣いた。
パピルスは「ニュエエエエエエ!?」と叫びながら慌てふためいた。
そのあまりに悲痛な泣きざまに、パピルスは「どうしたニンゲン!?」「パズル嫌いか!?」「こうやって解くんだぞニンゲン!!」と大混乱でパニックを起こし、ニンゲンを子猫のように両手で抱き上げたまま、仕掛けたパズルを結局ぜんぶ自分で解いていた。
泣き子をふわふわのハグで慰めるパピルスの優しさは、なおさら涙腺に来るらしく
子供は泣いて泣いて、干からびてよもや骨になるんじゃないかとありえない発想に行き着くほど、泣きに泣きに泣きまくった。
予想はしていたが、愛する弟の死にざまも、愉快な形ではなかったらしい。サンズは暗澹たる気持ちになった。
サンズがそんな重苦しい内心を抱えている内に、パピルスは子どもをあの手この手で慰めて笑いかけ、結局、どうやら、友達になってしまったらしかった。
◇ ◇ ◇
パピルスは、ニンゲンを家に招くことにしたらしい。
隣のガレージではなく、家の中に、だ。
アンダインに引き渡すのではなく、和解させて友達にさせるらしい。明日はアンダインとの戦いに向けてトレーニングを付けてやるという。
いささか見通しは甘いと思うが、その甘さがパピルスの良いところだ。その純朴な甘さと惜しみない優しさを、サンズは心から愛している。
だからパピルスの考えに、サンズが否を唱えることはない。
なら、サンズはサンズがすべきことをするだけだった。ニンゲンが泊まる今夜は、その絶好の機会だった。
「ほら、これだけあれば充分だろ? まだ寒いか?」
ソファをぐるりと囲むようにして、リビングにたくさん置かれたストーブやヒーターに、いとけない子どもが目を細めて「ありがとう」とぎゅっと胸の前で手を握った。
その、どこか切なそうな目に、サンズは理由がわからず、内心首を傾げたが、子どもは微笑むだけだった。
サンズは知らない。
今まで自分がフリスクを、ソファで独りで寝かせるようなことは、決して無かったことを。
部屋に招かれないお泊まりは、初めてだということを。
「ねえ、にいちゃん」
「んー?」
サンズは、穏やかな気持ちで、弟に絵本を読み聞かせてやりながら、そう相槌を打った。
パピルスは、両手で布団をしっかり被ったまま、じぃっと天井を見ていた。
「どうやらニンゲン、俺サマに『ヒトメボレ』というヤツらしいのだ! 初めて会ったのに、泣くほど嬉しいらしい!」
「あー……」
「なんて罪な俺サマ!」
パピルスの中ではそう解釈されたらしい。なるほど、それで部屋に招いて『デート』だったわけだ。合点がいった。
サンズは「そうか、ソイツは気付かなかった。オイラみたいな
ふかふかお布団の中のリアルスターは、顎に手を当ててニカッと決めポーズをかました後、「ねえ、にいちゃん」と続けた。
「俺サマ、ニンゲンにキスはできないけど……もう泣かないで、ずっと笑ってて欲しいな」
まっすぐな意志のこもった、真剣な言葉だった。
「ニンゲンが泣いてると、すごく悲しくて、笑うと嬉しい。にいちゃんは?」
「……そうだな、オイラもそう思うよ」
「やっぱり!」
世界の真理に気付いたような顔で、パピルスはそう笑った。
「だから、明日はパスタを作って、そのあとパスタを作って、最後にパスタを作って、一緒に特訓する! パスタはみんなを笑顔にするから!」
「ああ、ナイスアイディアだ、兄弟」
「でしょ!」
パピルスは、布団を引き上げて、あっという間に眠った。
サンズは、絵本を閉じて、しばらく弟の寝顔を眺めていたが、無邪気な寝顔に静かに『Bless you』(おまえに幸いがありますように)と額の骨をコツンと合わせると、部屋を後にした。
◇ ◇ ◇
寝息が響くリビングに、サンズは音も無く降り立った。
見下ろしたソファの上で、毛布に包まれて、ニンゲンは眠っていた。
寒さを感じにくいスケルトン二人の家には、暖房が無い。サンズがあれこれ骨を折って知り合いからかき集めた簡易式のストーブ達のおかげで、リビングはいつになく暖かかった。
スケルトンと違って寒さに弱いらしいニンゲンを慮ったものだが、本来の目的はこちらにあった。
少し暑いくらいの室温のおかげで、薄手の毛布一枚で眠るニンゲン。
固く抱きしめた小さな腕の中には、自分の持ち物にそっくりな、青いパーカー。
ニンゲンが寝ている間に密かに検分するつもりだった。
そのために、過剰に部屋を温めて脱がせておいたのだ。
音を立てないよう近付いて、慎重に調べる。
灰が付いているのに気付いて、サンズは顔を引き攣らせた。
(うっわ……自分の灰とか、さすがに勘弁してほしいぜ)
モンスター皆にとって灰は自分の死体の破片だ。さすがのサンズも、無い皮膚が鳥肌立った。
表面に付着しているわけじゃない。まるで繊維に織り込まれたみたいに染み込んで、取れなくなっている。
恐らくパーカーが防具として機能する核になっている。そうサンズは見立てた。
(大昔から『生前大切にした物には、モンスターのタマシイの一部が宿る』とは言うが、さすがに自分のソウルで実証するハメになるとは思わなかったな)
サンズは自分の胸に収まったソウルを見下ろした。
正常に見える。だが、こうして近付いてよく見れば、その違和感がよくわかった。
HP1のはずの自分のソウル。だが、気付いた時には『こう』だった。
サンズのソウルは、HP0.99999999になっていた。よくよく見なければ正常と遜色ないだろう。HP1と偽っても気付かれないはずだ。そのぐらいかすかな欠けだった。
痛みもなければ、違和感もない。少しだけ、何かが欠けてスースーするだけだ。
まるで、何かを忘れてしまったみたいな。
サンズは、眠るフリスクが抱きしめたパーカーに、上からそっと触れた。
(なあ、前の時間軸のオレ。アンタ、そんなにこのニンゲンが大事だったのか?)
(あいにく、オイラにはピンと来ないよ。見覚えはあるのに、ソウルが反応しないんだ。まるでソウルの一部が持ってかれちまったみたいにさ)
(灰になってもLoveを手放さないくらい、大事だったのかい)
落としたソウルの欠片。
サンズは、密かに回収しようと思っていたソレを、ため息ひとつで断念した。
(だったら、そんな
重たい夜は更けていく。
パタン、とドアは静かに閉められた。
◇ ◇ ◇
「
めしあがれ!
笑顔はいつでも五つ星、我らがリアルスターのスパゲッティだ。
パピルスのスパゲッティ──パスタの間から骨が飛び出している、スペシャルな逸品だ──を前に、子供は迷わず口にした。ジャリジャリに渋い顔をして、それから嬉しげにポロポロ泣き、また口にしては渋い顔をして、ポロポロ泣く、というふうに、器用に百面相を繰り返した。
「あー……どうやら、泣くほどお気に召したようだぜ?」
「わぉ! じゃあ、おかわり作ってくる!!!!! 待っててニンゲン!!!!」
意気揚々とキッチンに戻ったパピルスに、子供は、たいそう刺激的で壊滅的なパスタを、残さず食べ続けた。腹を壊さなきゃいいが。
「あー……」
サンズは、頬杖をついて、そんな子供を眺めていた。
「そうだな、オイラが思うに……お前さんとは、気が合うんじゃないか?」
来年にはきっと食えるものができているはずだ。
パピルス渾身の手料理を、子供の向かいで、サンズはいつものように残さず食べる。舌がビリビリ痺れる刺激的な味だ。
「そう、アンタはこう思ってるはずだ……アイツのスパゲッティは最高だってな」
どんなにまずくても関係ない。
ただ、パピルスの作ったものが食べられる、それだけでいいんだ。
それが、それだけのことが
どれほど幸せで、かけがえないことか。
幼い子供は、それを知っている目で
ぐしぐしと、両眼を腕でこすって、泣きながらにぱっと笑った。
サンズは、この子供のことが少し好きになれそうな気がした。
結局、子供は腹を壊した。
「スパゲッティを食べたら! 特訓!」
スノーフルとウォーターフェルを繋ぐ道に、新雪の霧が立ち込めている。
かつてパピルスと戦ったこの場所で、フリスクはパピルスと相まみえていた。
「アンダインに会わなくちゃ。だから俺サマがトレーニングに付き合ってやるぞ!」
フリスクは身体をこわばらせて緊張していた。トレーニングにも、アンダインにも。
そう、アンダインは強敵だ。
「アンダインの槍はすごいんだ。俺サマ、アンダインといっぱい特訓してる! だからアンダインがどんなふうに戦うのかよく知ってるぞ!」
大きな身振り手振りで、パピルスが説明する。
アンダインをとても慕っていることが分かる、憧れと尊敬の滲んだ振る舞いだった。
『前』の時は何度も死ぬ目にあった。
ロイヤルガード隊長、アンダインの槍攻撃は、フリスクにとって恐らく最難関になりうるものだった。
ぎゅっと唇を引き結んだフリスクに、パピルスが、にこっと笑って、フリスクと目線を合わせるみたいにしゃがみこんだ。
「にいちゃんに聞いたんだけど、ニンゲン、魔法が当たったら危ないんでしょ?」
フリスクは驚いて、ぱちり、と瞬きした。
そう、ニンゲンにとって魔法は全て致命傷になりかねない。
だが、それを知る者は地底に少ない。モンスターとニンゲンの交流は、何百年も昔で途絶えたままだからだ。だから誰もが悪気なく、挨拶代わりに魔法の弾幕を打ってくる。
「生まれたてのモンスターの赤ちゃんみたいなものだって、ちょっとでも魔法のこもったものが当たると怪我するかもって。だから俺サマ考えたのだ!」
ニコッとパピルスが笑った。
「はいっ! これ持って!」
パピルスに棒のようなものをさっと渡される。
見ればそれは、長い骨だった。
「俺サマがスペシャルアタックに使う骨!」
パピルスが、顎に指を置いてキメポーズをした。
「スノーフル流! 雪玉! トレェェェェェェェニングッ!」
派手で良く通る大声が、スノーフルの雪原に響き渡った。
「アンダインは魔法の槍を使うんだ。いっぱい作って投げてくると思う! だから、こう!」
パピルスは、長い骨をバットのように、雪玉を打ち上げた。
「ね! 俺サマがいっぱい雪玉を投げるから、ニンゲンはかわしたり、骨で打ち返せばいい!」
フリスクは、目をまん丸くして、手元の長い骨を見下ろした。
これなら、フリスクが怪我をすることはない。
てっきり、パピルスの激しい魔法攻撃を「かわしてみろ!」と言われるかと思っていた。
痛い思いを多少なりとも覚悟していたフリスクは拍子抜けした。体力があまりなく、俊敏さに欠けるフリスクにとっては、恐らく最適なトレーニングだ。
パピルスが、手にした雪玉を、軽く放る。
フリスクは、骨をブンッと振った。カンッ!といい音がして、雪玉は飛んでいった。
わっ、と頬をバラ色に染めたフリスクに、パピルスが「そう!その調子!」と手を叩いた。
パピルスは、片手を口元にやって「あのね」とフリスクの耳に、ナイショ話のようにささやいた。
「実は、俺サマ、小さい頃、にいちゃんと喧嘩して怪我させちゃったことがあって……俺サマ、まだちっちゃくて弱い魔法しか使えなかったけど、にいちゃんはちょっと特別だから」
フリスクは、ぱちりと瞬きした。その口ぶりで、サンズのHP1DEF1のことだと分かった。
「俺サマ、ぜんぜん、そんなつもりなかったのに……にいちゃんは『わざとじゃないって分かってるさ』って、笑って許してくれたけど……にいちゃんの怪我、俺サマ、すごく怖くて」
雪原にぎゅっと膝を抱えてパピルスが俯く。
次の瞬間、両腕を大きく振り上げて、明るく笑った。
「だから、うっかり怪我させないように、すごーく練習したのだ。だから、俺サマ、ニンゲンにどうしたらひどい怪我させないか、ちゃんとわかるぞ。ニャハ! こわくない、こわくない!」
ニカッとパピルスが太陽のように笑った。
まぶしくて暖かい優しさだった。
ああ、だから、決してフリスクを殺さなかったのだ。
いちばん最初の時間軸で、パピルスはHP1になると必ず戦闘をやめてくれた。
同じHP1のサンズがいるから。手加減の仕方を知ってるんだ。怪我をさせてしまう辛さと哀しさを知ってるんだ。そう、フリスクは気付いた。
アンダインが、アイツは戦闘に向いてないと言った意味が、よくわかる。
「にいちゃんはサボりんボーンだけど、すごく優しい。アンダインも、ちょっと乱暴だけど、ホントは優しいよ」
パピルスはキラキラ笑った。
「だから、だいじょうぶ。俺サマとおんなじくらい、仲良くなれるよ、にいちゃんとも、アンダインとも」
「……!」
パピルスは、いつもいつもいつも、優しかった。
優しさを教えてくれる人が、昔からそばにいたからだ。
一緒にいればいるほど、大好きになる。
愛すべきスケルトン・ブラザーズが、大好きだった。
緊張なんて、雪みたいにぜんぶ溶けていってしまった。
フリスクは、胸に宿るまぶしい星みたいな喜びが、キラキラと輝くのを知った。
フリスクは、パピルスが投げる雪玉を、めいっぱいかわした。
「上手だぞ! がんばれ!」
キンッと打ち返す。ニィッとパピルスが笑った。
「じゃ、体も
ピンッと指を鳴らすみたいに、パピルスの指が天を向いた。
パピルスの周囲に、青をまとった雪玉が、無数にぶわりと浮いた。
パピルスが、無数の雪玉を従えるみたいに、手のひらを振り上げた。
空に、数えきれないほどの雪玉が、今か今かと落下を待つ。
「そろそろ本気、出しちゃうぞ!」
フリスクは、骨を構えた。パピルスが、ニィッとまばゆく笑った。
「準備はいい? いくよ!」
パピルスが、かっこよく銃を構えるみたいに、ウィンクして指をさす。
「スペシャルアタック! バンッ!!」
勢いよく腕が振り下ろされる。
雪崩のように空から降り注ぐ雪玉に
フリスクは駆け出した。
この地底で、挨拶代わりの魔法の弾幕は、フリスクにとって、いつも脅威だった。
地上に出るまで、わけもわからず、何十回、何百回と浴びた。その痛みは、フリスクのソウルに消えないまま残っている。
だから、いつも不安だった。死ぬことより、忘れられることの方が、こんなに辛い。
でも、今のフリスクは違った。体がポカポカして、ワクワクしていた。こんなふうにワクワク魔法に挑戦できるなんて、初めてだった。
全力で雪合戦したみたいな、心地良い疲労感だった。怖さで竦む体のこわばりがとれる。
胸にキラキラ輝く星の光が、恐れを拭い去ってくれた。
フリスクは、もうだいじょうぶだ、と思った。
雪の上に大の字で転がっているフリスクに、パピルスは「すごくがんばったな! ニンゲン!」とはしゃいだ。
パピルスはフリスクの両脇に手を入れて抱き上げて、メリーゴーランゴみたいにくるくる回った。
「すごいぞ! これならアンダインにだって負けないのだ!」
パピルスとくるくる回って、フリスクは、ぶんぶん振り回されながらきゃっきゃとはしゃいだ。
「俺サマ応援してるぞ! だいじょうぶ、きっとアンダインもわかってくれるよ!」
そのまま、ぎゅうっとハグをくれた。
パピルスの頬っぺたはぷにっと柔らかかった。
パピルスはいつでも暖かくて、幸福と笑顔をくれる。
スケルトンがハグすると柔らかいと、最初に教えてくれたのは、パピルスだった。
スケルトンの頬っぺたは、マシュマロみたいに柔らかい。
『だって、そうじゃなきゃ、笑ったりウインクできないでしょ!』
そう胸を張ったパピルスの笑顔は、フリスクの胸に輝く一等星だった。
手足の骨は硬いけど、笑ったり怒ったりする頬はお餅みたいにとてももちもちしている。
スケルトンはふわふわで、ハグしたくなる。それがフリスクの知っているパピルスだった。
そんなふうに、いつだってやわこくて優しいモンスターだった。
「もう行くの?」
フリスクはこくんと頷いた。アンダインが待ってる。
それに、あまり長居すると、アンダインとの板挟みでパピルスを困らせてしまうかもしれない。
フリスクは、駆け寄って、パピルスに内緒話するみたいに近付いた。
「あのね」
懸命に背伸びして、一生懸命、伝えた。
「パピルスの夢が叶ったら、赤い車に、いっしょに乗せてね」
パピルスは少しびっくりした顔をして、その後ぱぁっと笑った。
「いいよぉ!」
パピルスは、キラキラした笑顔で、フリスクの両手を握ってくれた。
「約束だよ、ニンゲン!」
「うん!」
「……」
木陰で、サンズは、静かに目を細め、優しい光景に背を向けた。
白い雪原に夕陽色のバンダナと灰が落ちなかったことに安堵して、長く長く息を吐き出せば、白くほどけて消える。
見張りの必要は無かったらしい。
激しい疑いを向けたことが少しだけ申し訳なくなるような、幼く純粋な光景だった。
「にいちゃん、こんなとこにいた!」
ビクッと油断したサンズの肩が跳ねる。
「う、お」
「雪合戦、一緒に遊びたいなら、来ればよかったのに!」
雪原に笑顔がまぶしいリアルスターに、サンズは「あー、特訓邪魔しちゃ悪いだろ?」と肩をすくめた。
合流しようとは端から思わなかった。サンズのような存在は、あのまぶしさの中では異物すぎる。
「最後、なに話してたんだ?」
「ニンゲンね、俺サマの赤い車に乗りたいって! 車のベッドじゃなくて、本物のほう!」
パピルスが嬉しそうに腕をブンブン振った。
「俺サマね、実はちょっぴり、ムリかもって、あきらめてたのに……ニンゲンは、そうじゃないみたい」
パピルスは、スッと顔を上げて前を見た。
ウォーターフェルへ向かう道は、もう霧で見えない。だが、あの子どもを見送っているのだと分かった。
「にいちゃん、俺サマわかったよ」
そう切り出したパピルスは、ひどく真剣な声だった。
「ねえにいちゃん。俺サマが昔、にいちゃんに怪我させちゃった時のこと、憶えてる?」
「……さあ、どうだったかな」
サンズは鮮明な記憶を、曖昧にはぐらかした。
まだ幼かった小さな弟は、サンズの瞼の裏に鮮やかなまま今もいる。
「あのね、にいちゃんが『大丈夫、怖くない、怖くない、ぜんぶ、よかったなって、思える日が来るさ』って、そう言ってた意味、わかったよ」
サンズは遠い瞼の裏の記憶を見るのをやめ、顔を上げて弟を見上げた。
ニコッとパピルスはまぶしく微笑んだ。
「悲しいことや、苦しいことも、ムダなんてない。その分だれかに優しくしてあげればいいよ!」
夕焼け色のバンダナがたなびく。弟の背中は、いつの間にかひどく大きい。
「俺サマ、にいちゃんの大きな背中を見て、そう思ったんだんだ。にいちゃんはサボりんボーンだけど、すごく優しい。昔から」
「……へっへ、ソイツは、買い被りってもんだぜ、兄弟」
過大な評価にサンズは目を閉じて、素早く話題を変えた。
「それより、こっちで休んだままでいいのか? いつもなら、アンダインと料理の練習してる時間だろ?」
パピルスは、あっ、という顔をして、「そうだった!」と携帯を頭蓋骨の横に押し当てた。
何度かコール音が続く。パピルスは結局、しょげたみたいに肩を落とした。
「アンダイン、朝から電話に出ないんだ」
パピルスは首を傾げて、困ったように、眉を八の字にした。
「アンダインに『ニンゲンは青いパーカーなんて着てないぞ! ぜったい着てないぞ!』って教えてあげようと思ったのに」
電話のコール音が鳴り響く。
アンダインは、電話に出ることなく
暗い部屋のベッドの上で、胸をガリガリと掻きむしっていた。
「はぁ、はぁ……ッ!」
やがて電話のコール音は途絶えて
苦しそうな荒い息だけが、真っ暗な部屋に降り積もった。
▼ 幕間『今日もどこかで雨が降る』へ