HADES GATE   作:P-PEN

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Reincarnation:刻の浜辺で……

 

 

 ――静寂。此処は、音のない世界だった。

 

 儚は漂っていた。此処は海でも、空でもない。

 ただ、光と影の境を流れるように――。

 

 周囲には、砕けた呪詛の欠片が舞っていた。

 ひとつひとつが、かつての戦いの残響。

 蛇眼の予言者の断末魔、アスモダイの心臓の脈動。

 そのすべてが溶けて、ただの“泡”になって消えていく。

 

 手の中には、欠けた《鴉神剣》。

 もう祓具ではない。

 ただの残骸に過ぎない――それでも、彼女はそれを離さなかった。

 

 胸の奥に、誰かの声が響いた気がした。

 夢のように遠く、けれど確かに“そこにある”音。

 世界を変える意思と力。

 

 >  「――苦しみも、哀しみも。私の世界」

 

 波紋のように広がる。

 水の底から浮かぶように、儚の瞳がかすかに光を宿した。

 

 「……鼎様?」

 

 その名を呼ぶと、世界が揺れた。

 黒い羽根が、どこからともなく舞い落ちる。

 八咫烏――三本足の影が、青い光の中に姿を現す。

 羽ばたきのたび、泡の世界がほどけていく。

 

 門があった。

 蒼く、やわらかく、揺れる 黒と金の装飾を施された巨大な門。その表面には無数の勾玉の文様が蠢き、門の隙間からは、星のように煌く蒼の光が流れ出す。“常世”と“現世”の境界。

 

 儚は“立ち上がる”崩壊した身体が再構築される。

 淡く透けていた痩躯が意思を取り戻し始める。

 ここに留まれば、永遠に“報告者”のままだ。

 だが、彼女はその立場を選ばなかった――帰らなくてはならない。

 

 「報告、続行――九鬼儚。第十八隊任務完遂……帰還する」

 

 声が常世の虚空に溶け、遠くで鴉が鳴いた。

 己に課した“使命”が力となり、儚は冥府の空を飛翔。

 

 ――そして、門を越えた。

 

 

 

 

 

 

 夜明けの海。

 水平線の向こうで、雲を裂くように光が差し始めていた。

 

 海上には、わずかな霧。そこに一艘の救難ボートが漂っている。甲板に腰を下ろした楓呀は、片腕でエリシアを支えながら、もう片方の手で通信機をいじっていた。

 

 「……回収信号、発信中。誰も出ねぇけどな」

 

 空は青黒く、冷たい潮風が頬を撫でる。儚が消えてから――もうすぐ夜明け。時間感覚はとっくに壊れていた。彼はぼんやりと空を見上げ、苦笑した。

 

 「まさか本当に、神を祓って帰ってくるとか言うタイプだったとはな……」

 

 そう呟いた瞬間、風が変わった。低い、静穏式の祓魔術反応。楓呀が顔を上げた、遥か上空――雲を裂き、風を切り裂く影。その形は鳥だが、翼は金属で海上迷彩が施されている。滑空翼に刻まれた呪文陣が、青白く光を放っていた。MWS-SRV《カザキリ》。第十八隊が保有する偵察祓導滑空機。

 

 

 

 機体全幅4.2メートル、時速220キロ。だが今、その速度はさらに上がっていた。瘴気流を推進力に変える滑空翼が、朝焼けを裂いて降下してくる。そして――その操縦席。風に流れる長い黒髪。

 

 九鬼儚。

 

 彼女の右手は操縦桿に、左手は胸の前で印を結んでいる。破損していたはずの鴉神剣は、機体下部に固定され、祓符ケーブルを通じて推進陣と直結していた。つまり、祓具をエンジンに変えて飛んでいる。

 

 「は……?」

 

 楓呀は思わず口を開けた。ボートの上に吹き降ろされる潮風が爆風に変わる。霧が吹き飛び、波が跳ね上がる。

 

 「おいおいおいおい!あの女、戦闘機モードで帰ってきやがった!?」

 

 通信機からノイズ混じりの音が入る。

 

 《……楓呀、確認。回収ルート確保。着水、十秒後》

 

 「着水!?待てまてマテ、本当に待って!やめ――!」

 

 次の瞬間、

 海が爆ぜた。

 

 滑空翼が水面をかすめ、波が白く裂ける。《カザキリ》の機体が優雅に旋回しながら、速度を落とす。潮風に吹かれ、儚の髪が揺れる。彼女は機体の固定を解除し、神楽の舞のような動作で海面へと降り立った。ブーツが水を踏む。波紋が広がる。

 

 「――回収完了。任務、終了」

 

 楓呀は言葉を失った。朝日が上がり霧が晴れる。救難艇と滑空機を照らす黄金の光の中で、儚は確かに現実へと帰還していた。静寂のあと楓呀がようやく口を開いた。

 

 「……はぁ。なあ儚ちゃん」

 

 「何?」

 

 「お前さぁ……」

 

 彼は額に手を当てて、空を見上げた。

 

 「帰還報告に“空挺滑空で登場”って、どういう選択肢だよ!?なにそれ、マジで死亡フラグ折り返してくるなよ!」

 

 儚はほんの少し首を傾げた。

 

 「……滑空軌道の方が、早いから」

 

 「早いから!? そういう問題じゃねぇっての!!」

 

 楓呀の絶叫が海に響く。エリシアが、かすかに目を開けて微笑んだ。

 

 「……あなたたち、本当に……人間?」

 

 「いや、そこのは多分ちょっと違う」

 

 その様な指摘は一切認識できない儚は、エリシアの疑問を無視しているように見える。楓呀はそれを知っているのか知らないのか判断できないスタンスのまま、肩をすくめて続けた。

 

 「でも、帰ってきた。それで充分だろ」

 

 風が海を撫でる。遠くで鴉の声が響いた気がした。

 

 

 

 

 

 

 長野県菰引村の山深く、地下数百メートルに位置するミワシ隊の隠れ拠点。硬質な光の走る作戦室で、黒い軍帽、緋色のラインが走る軍衣、しなやかな手が机の上を静かに叩く。ミワシ部隊を率いる女――烏有先生。その背は、疲労を感じさせつつも綺麗な姿勢を維持していた。

 

 「……予定到着時間は?」

 

 「あと三分、です」

 

 副官の金蓮花苺が、報告書の束を抱えたまま答える。その声は、いつもよりわずかに明るい。だが、司令は顔を上げなかった。

 

 「三分……」

 

 「ふふ、司令。三分前から時計を睨む人なんて、他にいませんよ?」

 

 「任務の報告は分単位で行うものだ」

 

 「ええ。でもこれは、“任務完了”の報告です。それに概要はもう楓呀さんから聞いていますよ?」

 

 烏有の唇がわずかに緩む。そのわずかな動きを、花苺は見逃さなかった。扉が開く。ミワシ隊でも特殊な仕様の靴が床を打つ音――規律正しい、けれど静かな足音。入室した影は、戦場からそのまま歩いてきたよう空気を纏ったまま淡々と告げた。

 

 「――第十八隊偵察部隊、九鬼儚。任務完遂報告に参りました」

 

 凛とした声。いつもと“変わらない”冷たい声が響いた時に実感する。ああ、本当に――帰ってきたのだ、と。

 

 「……報告を許可する」

 

 儚は端的に告げた。

 

 「アスモダイ・コア及びイグ=ナフ=スススハー教団第七派系統《ラミア》の首魁“蛇眼の予言者”の完全祓滅。呪詛構文層は封鎖。ニャルラ・エリシアはグァム基地の米軍に引き渡し済み。被害範囲、限定。……任務、完遂遂行率評価は完遂です」

 

 「……損耗率」

 

 「第十八番隊長の損耗率は九十九・八%。第七番隊長の損耗率は四十四%です」

 

 「“生還”の定義は」

 

 「自己を再定義済み。鴉神剣も予備のパーツを流用して修復済み……問題ありません」

 

 その答えに烏有の眼差しが静かに動く。硬質な軍人の表情のまま、声が低く落ちた。

 

 「……よく、戻った」

 

 その一言は、命令でも報告の応答でもない。どこか、温度を帯びていた。儚は静かに頷いた。そのやり取りを見て花苺が思わず小さく笑った。

 

「もう……本当に、せんせは素直じゃありませんね」

 

 「……花苺」

 

 烏有の声が鋭く響く。だが、そこに怒気はない。代わりに、わずかな照れが混じっていた。

 

 「はぁい。でも、少しくらいはいいじゃないですか。司令、今ちょっと優しい顔してますよ」

 

 烏有は眉を寄せ、書類に目を落とした。

 

 「……見間違いだ。私はいつも通りだ」

 

 「えぇ~? その“いつも通り”が、嬉しいんですよ」

 

 小さなやり取りが、硬い空気を溶かしていく。烏有は深く息を吸い、机の上の電子端末に指を置いた。指紋認証が走り、記録データが更新される。

 

 > 《第十八番偵察部隊 再編成承認》

 > 《隊長:九鬼 儚 現場任務資格 復帰認定》

 

 「……これで正式に、貴様は現役復帰だ」

 

 「了解しました。次の任務に備えます」

 

 「次の任務は、休息だ」

 

 「大尉?」

 

 「貴様の身体はまだ安定していない。三日間、祓浴と静養――拒否するな。これは命令だ」

 

 わずかに間を置いて、儚は答えた。

 

 「……了解、しました」

 

 烏有はその答えに、やっと口角を緩めた。机越しに視線が交わる。そこに、言葉にしない何かが流れた。それは、戦場で命を賭け合う者たちだけが交わす、無言の敬意。それでも、ほんの一瞬だけ、烏有の声が柔らかくなる。

 

 「……帰ってきてくれて、助かった」

 

 儚が微かに目を見開く。烏有はすぐに目を逸らし軍帽を深く被り直した。その時――どたどたと騒がしく、第十四隊医霊隊で治療を受けているはずの楓呀が、包帯だらけの姿で乱入してきた。

 

 「おいおい、こっちはまだ死にかけてんのに、俺チャン抜きでイチャつくのやめてくれない?」

 

 「患者が逃げたぞ!追え!」

 

 「ベッドから二度と起き上がれないようにしてやる!」

 

 続いて突入してきた第十四隊たちが慌てて駆け寄り、データパッドを叩きつけるように持ち上げた。

 

 「心拍数上昇、祓構文再燃してます!再祓浄プロトコル走らせますよっ!?」

 

 「うるせぇ、こちとら医療よりアイスが欲しい。なぁ儚ちゃん、約束、忘れてないよな?」

 

 その言葉に、儚がわずかに目を開ける。

 そして――微笑んだ。

 

 「……バニラ三段重ね。覚えてるわ」

 

 烏有の眉がひくりと動いた。

 

 「貴官等、命のやり取りの最中に交わす約束がそれか?」

 

 楓呀は笑う。

 

 「キツイ任務で生き延びた奴の特権っすよ――ねぇ、儚ちゃん?」

 

 儚は無言で頷き、

 そして視線を天井の光に向けた。

 

 (そういえば、昨日はハロウィーンね)

 

 ――どうせ休息を命じられるなら、名高い新宿か……せめて渋谷ハロウィーンに参加して見たかった(コスプレした鼎を見学したかった)。司令室で取り押さえられて、担架に縛り付けられる第七隊長を横目に、休暇の使い道に頭を悩ませていた。

 

 

 

 

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