ダンジョンに家族を求めるのは間違っているだろうか 作:アロンソ卿
冒険者となって半月ほど経ったベルは、現在5階層にまでやってきていた。1つの階層に3〜4日ほど掛けて降りているペースだ。齢14の少年であるベル・クラネルが、パーティーも組まずにそんなことをしていれば、普通はアドバイザーに怒られるだろう。
では自分が到達した階層を偽っているかというと、そうではなかった。ベルは自身のダンジョン攻略アドバイザーであるエイナ・チュールに、ダンジョンでの行動予定表を提出していただけだった。
ただ、これまで十数回とダンジョンに向かい、大した外傷も無く概ねその計画通りの時間にギルド本部を訪れ、計画通りの交戦をしたのだろうという魔石の欠片を換金し、そのような危なげない冒険をしたのだろうというくらいの成長をしたステイタスを見せつけられたエイナとしては、どうぞと言うしかなかった。
『冒険者は冒険しちゃいけない』なんて口癖は、ベル以外にとっての口癖だった。
しかし、いついかなる時も、どれほど気をつけていようと、ダンジョンは危険なのだった。
〇〇〇〇〇〇
まずは初めて訪れる5階層まで行って、帰り道でモンスターを倒すという計画のもと、ベルは移動を妨げる障害となったモンスターだけを駆逐しながら5階層に着いた。
「ここが5階層か、ここからモンスターがより多く出るらしいな。モンスターを1、2体ほど倒してすぐ帰るか……ん?」
提出した行動計画を頭に浮かべながら少し歩いてみる。
その計画おかげでまだまだ体力、気力及びバックパックに余裕があった。そしてその余裕が妙な振動を捉えた。次いでドドドドという巨大な足音があり、そちらに目を向けたベルが見たのは、神話に聞こえる牛の怪物だった。
正しく怪物、ミノタウロス。前世を通して見てきた中でも規格外の生物に、しばし目を奪われてしまった。それは例えば、サバンナに降り立って現地でアフリカゾウを見た感動のような、そんなものがあった。
その姿が次第に大きくなり、すぐそこまでやってくる。
(あー、ミスった)
頭を切り替えて考える。
俺は必ず生きて帰らなければならない。
ここから地上まではもう歩き慣れた道だ。
でも目の前には怪物。
俺は万全の状態だが、敵との戦力差は明らかだ。
敵は明らかに俺を敵対視している。
俺には逃げるか戦うかしかない。
しかしこの距離からこのまま背を向けて逃げ切れるとは思えない。
ほら、状況を挙げてみたらもう大変。俺は両手のナイフと棒を強く軽く握るしかなかった。
〇〇〇〇〇〇
『ヴヴォオオオッ!』
ミノタウロスが咆哮を上げた。瞬間、俺の体は凍りついたように固まる。しかし同時に、前世から持ってきたままの魂が、『そんなみっともない姿を晒せるか』と虚勢を張った。張り続けてきた懐かしい虚勢だった。
「うおおああっ!」
気合いを入れるために俺も叫ぶ。初めてやったことだが、それは存外効果があった。振り下ろされるミノタウロスの蹄を何とかかわせたのだ。
ばごっと音がして小さなクレーターができる。背中に降った小さな土塊が、更なる勇気を与える。
俺はナイフと棒を構えた。どちらも簡単にへし折れそうな頼りない武器だったが、今はそれしか無かった。それらが折れる前に、多大な混乱を与えるが街まで撤退し切らなければならない。
と、そこまで考えて、俺は自身の行動方針を修正せざるを得なかった。街に混乱を与えるなど、俺はしてはいけなかったのだ。
俺は生きて帰らなければならないのだから、俺は目の前の怪物を少なくとも撃破しなければならなくなった。
覚悟を決める。それは不退転の覚悟だった。
『ヴォオッ!』
振り下ろされた拳を外側にかわす。肘を逆側から棒で強打してみるも、自分の腕がその分だけ痺れて、それだけだ。弾かれた反動で体を回してナイフを突き立てるも、薄皮切ってわずかに血を滲ませる程度だった。
危険を感じてすぐさま飛び退く。さっきまで自分の体があった空間を、暴力的な腕が走った。それに合わせて体を滑らせ、その手首に同じことをする。今度はナイフがより深く肉を切った。
「よし」
柔らかい部分なら何とかなるかもと、目標を膝裏、脇下、赤く燃えるような眼球に絞る。
『ヴォウウッ!』
わずかに怯んだかどうかくらいの揺れがあった。もう今後期待できるか分からないような隙だ。俺は距離を取って周囲の状況を確認する。何か利用できないものはないか、あるいは他に冒険者がいないかどうか探すためだ。
と、ミノタウロスを見通してその向こう、とりあえずこちらに迫る1人のヒューマンが確認できた。その金髪が誰だか確認する前に拳を振り翳したミノタウロスに正対される。
直後放たれる怪腕の下をくぐり脇を切りつけて通り抜ける。小さな体が役に立った。そのままミノタウロスに正対しつつ、後ろに来た冒険者らしい声をかける。
「すみません。このミノタウロスを倒すの手伝ってもらえませんか」
非常識であろうとは思う。しかしここは協力してもらわなければ、この怪物を倒せないのだ。関係ない冒険者を巻き込んでしまうことに対する罪悪感は、状況が吹き飛ばした。
だが、そもそも根本から違っていた。
「えっ?」
そう言った声は女性のもので、俺の横をすり抜けてミノタウロスに攻撃を仕掛けるその後ろ姿は、金の長髪の間から蒼い装備が見え隠れしていた。その装備から伸びるすらっとした白い四肢が揺れて、瞬く間にミノタウロスが切り刻まれた。
確かによくよく考えてみれば、ミノタウロスに向かってきているのだから、まあ1人でも勝てるよなと。そしてただ勝てるだけでなく、目の前の彼女はそれはそれは有名な冒険者だった。外聞もなく、ハハハと乾いた笑いが出てしまった。
こちらに振り向いた彼女は、なぜ笑っているのか分からないようで、コテンと小さな顔を傾げた。
【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン。それはLv.5の冒険者だった。
〇〇〇〇〇〇
どうやらミノタウロスは彼女が逃した獲物らしい。が、そんなことは一旦端に置いておいて、とにかく窮地を助けてもらった俺は、礼を言ってすぐさまその場を離れた。理由はともかく、言ってしまえばこちらは獲物を横取りしようとした身である。お咎めはもらいたくなかった。
それからはいつも通りだった。多少のアクシデントはあったものの、帳尻を合わせるとすれば5階層でモンスターを倒さずに、あとは計画通り冒険を進める。
そうして今回も冒険を終え、俺は都市に帰還した。そのままの足で簡単にシャワーを浴び、ギルドの受付に向かう。だがその足取りはいつもよりほんの少しだけ重かった。
「はあ……億劫だ」
それは、先達とはいえ女性に助けてもらったこととか、あるいはモンスターを倒せなかったこと、他のファミリアに迷惑を掛けたり変なことを言ったとかではなかった。
イレギュラーがあった日の報告はいつもこんなだった。言えば必ず詰められるがしかし、隠蔽していいことなんて一つもない。
窓口に近づき、そこにエイナさんの姿を認めると、俺はふっと息を吐いて気合いを入れた。失礼します、と礼儀正しく言えば窓口に居た何人かの職員がちらっと声の方を見て、彼をよく知るエイナだけがそのままベルに振り向いた。
「ベル・クラネルは本日の冒険報告に参りました」
「はい、どうぞ」
負傷なし。から始まるいつもの報告は、エイナにとって珍しいものだった。けれど全ての冒険者が逐一こんなふうに報告してくれたらいいなあと、心から本気で思う。ほとんど行動計画表通りに、短節かつ明瞭な報告は、それ自体が心地いいものだった。
「5階層にて予定外行動発生、ミノタウロスと遭遇。数度切りつけたのち、アイズ・ヴァレンシュタインと交代してこれを討伐」
ふんふんと小さく頷きながら、エイナは行動予定表にペンで修正を入れる。5階層:1〜2体のモンスターを撃破。ここにペンで修正線を入れ、ミノタウロスと遭遇。アイズ・ヴァレンシュタインが討伐……。
確かな違和感がエイナのペンを止める。しかしベルの口は止まらなかった。両者ともこれが異常だと認識している。どんどん矢継ぎ早に報告を重ねることで、さっさとその異常を突っつかれる前に、後ろに洗い流そうというのがベルの狙いだった。
各階層で何体モンスターを倒した。その時の魔石がこれだ、と数字と魔石を視聴覚に訴え、エイナの脳のキャパを埋めていく。
「以上、報告終わります」
「……はい、では確認事項一点。5階層についてもう一度説明しなさい」
エイナは普通に優秀な受付だった。