ダンジョンに家族を求めるのは間違っているだろうか 作:アロンソ卿
「これ、昨晩の迷惑料です。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
そう、女主人に幾らかのヴァリスを差し出しながら頭を下げる。早朝、俺はまず【豊穣の女主人】を訪問していた。理由は1つ、謝罪である。よくよく考えなくても、なかなかやらかした自覚はあるのだ。
しかし目の前のミア母ちゃんと呼ばれるミアさんは、怒るでもなくじっと見下ろしていた。
「よしわかった」
少し間があって、ミアさんはそれを受け取る。
「久しぶりに男ってやつを見せてもらったからね、まあいいさ。けどねえ、絶対に死ぬんじゃないよ。あんな大見得切って、これからダンジョンに行くんだろう」
「はい。そして絶対に死にません」
自分の状況をもう一度、ちゃんと認識する。俺は生きて帰らなければならない。神様から言われていること、それだけは間違えてはいけないのだ。満足したのか、ミアさんはうんうんと頷いた。
「あの……これ、よろしければ貰っていただけませんか」
俺たちの様子をチラッと伺っていたシルさんが、ずいっとタッパーを差し出す。わずかに頬を赤らめながら上目遣いをする、その破壊力はなかなかだ。
ハニトラにはない純粋な可愛さがそこにはあった。同時に、昨日あんな啖呵を切った自分を心配してくれているのだろう。それは久しぶりに味わう感覚だった。
「……はい! ありがとうございます!」
思わず語尾が跳ねる。そのまま、まだまだ比較的軽めの大きなラックサックを下ろして、その中に入れる。僅かに空いていたスペースもそれで埋まった。
「じゃあ行ってきます」
足腰に注意しながら背負い、立ち上がってゆっくり店を後にする。同時に俺は気持ちを切り替えた。まだダンジョン前とはいえ、ここから始まるのだ。70サイクルを想像してみるが、それはそれは困難な行程だった。しかし、むしろそれが俺に勇気を与えた。
〇〇〇〇〇〇
ダンジョン1階層。すでに何回も通った道は、2週間前に初めてきた時とは比べものにならないほど馴染んでいた。そしてそれが遥か昔に思えるくらい、ここでの生活は濃密で刺激的だった。
飛びかかってくるかゴブリンの胸を、歩きながらそのまま突き刺す。今は魔石の回収は必要最低限でよかったから、躊躇いなく魔石ごと体を斬る。棒でも同じく魔石ごと叩き潰す。
しかし今はダンジョンの刺激や興奮など感じないようにする。そのような無駄な思考などは体力を削るだけだ。そうして下の階層を目指した。
そんな調子で行う3夜4日の迷宮探索及び45分稼働の15分休憩の行動予定は、エイナさんに言えば必ず止められてしまうだろう。だから強行突破した。予定は別の職員に手渡したのだ。今の不安事項は、とりあえず帰ってきた時のお咎めだった。
そうして気付けば第5階層の手前。ここまでの予定に狂いはなく、予定通り1時間の休息を取る。こういう時に仲間がいればなぁと思いながら、一先ず休息のために意識を落とした。
〇〇〇〇〇〇
6階層。すでに戦闘中はラックサックを落としていた。目の前には人型の影『ウォーシャドウ』が2体。十字の頭部に、土蜘蛛のような長い腕と3本のナイフに似た指を持つモンスターだ。
だらんと両腕を垂らし、無構えの構えを取る。
同時に、ウォーシャドウの腕が人ではできない軌道で伸びてくる。俺はそれをムチか槍、あるいは銃剣のように捉えて、そのけら首である手首の部分を切り落とし、まだ勢い余って伸びる腕を半分に切り落とし、そのまま心臓部を貫く。別の腕、もしくはもう1体の腕は棒で叩き落とした。
そんなふうにもう1体も打破し、続いて湧いてくる別のウォーシャドウもまた、同じように魔石を砕かれ、あるいは抜き取られて消滅する。ダンジョンに潜り始めてから、すでに6時間は経過していたが、ベルにとってはまだまだ序盤だった。
だというのに、もう地上は騒然としていた。
〇〇〇〇〇〇
「ちょっとこれどういうことよ!」
昼過ぎ、ベル・クラネルがやってこないことを不思議に思ったエイナは、ぽつりと今日は休みなのかしらねと呟いた。すると近くにいたミィシャ、彼女の同僚でありベルの予定表を受け取った職員は、そういえば預かっていたとエイナに手渡したのだ。ほらこれ彼の、と対して中身を確認せずに。
そうして軽い気持ちで受け取ったエイナは、なんだか違和感を感じながらも、いつもより枚数の多い紙を受け取った。
まず1枚目、いつもより休憩時間が短いことに不安を覚えつつ、彼なら無茶しないだろうと安心することにしたが、しかしすぐさま帰る時間が書かれていないことに気がついた。
まさかと思って2枚目、そこには00:00からのダンジョンでの予定が書かれていた。3枚目も4枚目もそれから始まり、4枚目の途中にようやく10:00に窓口で迷宮探索の報告を行う旨が書かれていた。
持っていく荷物も書かれていたが、サポーターが持つには普通だとしても、決して冒険者が持つような量ではなかった。そんな計画を見て、エイナは叫ばずにいられなかった。
「どういうことも、それあの新人君の計画書じゃないの、いつも出してるやつ。今日は私に渡してきたから変だと思ってたけど」
「じゃあ中身の計画は見たの?! これじゃただの──」
それ以上は恐ろしくて言葉が出なかった。頭を切り替えてすぐさま周りを見回す。なんとか、なんとか対策を立てなければならなかった。
こういう場合、本人の所属するファミリアと連携を取ることが普通だが、【ヘスティア・ファミリア】には彼しかいないし、その主神もどこにいるか分からない。
他の冒険者に助けを求めたいが、しかしそれは個人的な依頼であって、さらにご好意という体を取らなければならない。ギルドが個人に肩入れしすぎるのは良くないのだ。それも無許可でファミリアの橋渡しなどという行為は、より危険だ。
と、視界の端に、たった今まさに摩天楼へとやってきたアイズ・ヴァレンシュタイン氏の姿が映る。私は一も二もなく彼女に駆け出していた。
「アイズ・ヴァレンシュタイン氏! お時間よろしいでしょうか!」
向こうも私のことに気がついたのか、こちらに歩いてくる。確か【ロキ・ファミリア】はつい先日に遠征から帰ってきたばかりだ。それでお願いをするのは心苦しいが、1人の命を思うとそちらを優先せざるを得なかった。
しかしふと冷静になって、私は何をお願いすればいいか分からなくなった。確かに計画は愚かなものだが、自分の実力と照らし合わせた結果と考えることができる程度には、彼には信頼させるものがあった。
それに1人の冒険を、外部の力で中止させるというのも、筋違いな話だ。彼と今だけパーティを組んでくれというのも、あまりにもアイズ・ヴァレンシュタイン氏に失礼だろう。
思考が停止する。
「あの、ベル・クラネルという冒険者はいまどこにいますか」
そんなとき、アイズ氏からそんな言葉が飛び出した。私は弾かれたように動き出し、彼の移動経路が描かれた各階層の地図を手渡した。
〇〇〇〇〇〇
その異常な探索は3日目に突入していた。ほとんどモンスターと戦闘し続けているにも関わらず、ベルに疲労の色は見えなかった。
理由はなにだろう。ずっとダンジョンにいるといっても、しかしその半分は休息に費やしているし、断続的とはいえ掻き集めれば7時間くらいは睡眠できていた。もしくは昼夜誰かに見守られていたことだろうか。ベルはそれがアイズ・ヴァレンシュタイン氏と、別の誰かだと気がついていた。誰かに見守られているということは、少なからず安心感につながるだろう。
どちらも理由として少しくらいはあるに違いなかった。だが主な理由は別にあった。それはなんてことない、ただの痩せ我慢だった。戦闘後も膝に手を突きたい自分を制して、地面に体を投げ出したい自分を止め、頭が痛くなっても呼吸は無理やり平常に行う。
虚栄虚飾。それはまさしく、これまでの彼の魂に刻み込まれた物語だった。
ついに4日目。飛びかかるニードルラビットを躱しざまに蹴り上げ、逆手に握り直した3本目のナイフを眼球ごと脳に突き刺す。ほとんど同時に飛びかかってきたキラーアントは、一旦棒でいなす。もうすでにその棒もベコベコになっていた。
『ヅギャアアッ!?』
突撃を破砕されて地面に着地したキラーアントの腹に棒を突き立てて動きを止め、ニードルラビットから引き抜いたナイフをキラーアントの外殻の隙間に捩じ込んだ。それは即座に生命の基幹部分を粉砕し、余韻もなく消滅した。
ふう、と一息吐くだけで武器をしまう。そのとき、突如として左膝の力が抜けた。だからといってベルが膝を折るはずがなかった。もはや彼は自分と戦っていた。
そのまま疲労もお構いなしにラックサックを背負って歩き出す。その際に最後のポーションを飲み捨てた。
〇〇〇〇〇〇
(何か変だ、魔石が途切れている)
それは最終行程が近づき、地上に戻っていた道中だった。ダンジョンが急に静けさを増し、しかしその不気味さからより警戒心を高めていたとき、足元に散らばる魔石が途切れた。
俺がモンスターを倒し、しかしそのまま魔石を拾わずに進んでいたインターバルが存在したために発生した、魔石の散らばる道。散らばるといっても500Mに1つあるかないかの密度であるが、確かに存在した魔石が明らかに無くなっていた。
だからといって困りはしない。道標のつもりはなかったし、何より道は頭に入ってある。誰かに気がつかれて魔石を回収されたというのも考えられるが、それならそれでいい。しかし、嫌な予感は消えない。
一歩一歩確実に歩く。もうあと5階層だ、ここで倒れてしまっては意味がないし、示しがつかない。両足に、もう尽きているはずの力を込めて歩く。これは次の戦闘のための準備行動なのだからと、心を奮い立たせて。
そのときだった。
『──────ッ!』
5階層。消えた魔石を追いながら、ダンジョンの出口を目指しながら歩いて角を曲がったそのとき、目の前の影による無音の絶叫がダンジョンの通路を駆け抜けた。目の前には、俺が少しずつ落としていったはずの魔石を口に運ぶ、ウォーシャドウがいたのだ。
ほぞを噛む。疲労からか反応が一歩遅れたのだ、到底許されることではなかった。幻聴の怒号が俺に飛ぶようだった。
即座にラックサックを下ろし、戦闘状態に移行する。ほとんど同時、反射的に体を落とした。一息遅れて頭上をナイフのような指が走る。経験よりも遥かに早い攻撃だった。
明らかに通常とは違う個体。そんなことあるかと思いつつも、はっきりと自分に原因があり、かつ実際に目の前にいる存在。放置するわけにはいかない、ここで対処する。
幸いにして他にモンスターは見当たらない。俺はウォーシャドウに向かって駆け出した。いつ他のモンスターが湧くか分からない、努めて早期に撃破しなければならなかった。
ウォーシャドウの長い腕がまるで槍のように空を走ってくる。躱すことには成功したが、今度は手首を切り落とすなんて到底無理だった。だから逆の左腕が伸びてきたとき、その指と指の間にナイフを入れて腕を縦に裂こうとした。
だが指とナイフが交差する瞬間、突如としてウォーシャドウの手が素早く回転し、ナイフが絡め取られて飛ばされた。
まるで宝蔵院流。
妙なことをされるも、しかし動揺はしない。ナイフは無くなったが、しかしここが好機であることに違いはなかった。相手に隙が生じたのだ。俺は何もなくなった右手に棒を持ち替えつつ、ナイフを飛ばす所要のせいで未だ静止する腕沿いに、外側から一挙に接敵する。敵の右腕は迎撃体勢を取って俺の攻撃を破砕しようと動くも、半身になって躱し、その勢いのまま後頭部を棒で突く。
それで終わった。蜜袋が破れるように黒い液体を噴出しながら、ウォーシャドウが倒れる。
ピキリと、壁に亀裂が走った。それはダンジョンからモンスターが生まれる前兆。動揺、絶望、恐怖、観念、落胆、そんな言葉は虚飾された精強の2文字で吹き飛ばす。
虚像の体力気力はまだまだ充実していた。
〇〇〇〇〇〇
「以上、探索報告終わります」
一度シャワーを浴びて服装を正し、エイナさんに報告をする。それらをしているときでさえ、疲労で横になることは許されない。エイナさんもそれを察したのか、夕方もう一度来てほしいとだけ言うと、俺をすぐ換金に送り出して帰した。
はっきりと空に存在する太陽の光を浴びながら、確実に踏み締めるように歩く。もう街中であってダンジョンではない。こんな往来で休憩はできないと歩き続け、拠点としている教会に戻る。
「ただいま帰りました」
そう地下の扉を開けると、ドドドド足音とともに神様が胸に飛び込んでくる。その遠慮のなさは、どれほど心配させたかを一瞬で悟らせる威力を持っていた。
「おかえり……おかえりベル君」
「はい……」
「こんな無茶なことをして……でもよく無事で帰ってきてくれた。いまは横になって休むといい」
俺は神様の抱擁から解放されると、ラックサックを下ろしてその中身を整理し、服を正すその最後まで全身に気を張り続け、ようやく横になった途端、意識が落ちた。
ヘスティアはその枕元に、鞘にしまったナイフと棒を置き、しかしそれでは危ないと近くのテーブルに置き直した。一枚の書き置きとともに。