泥門高校アメフト部「泥門デビルバッツ」1年。
小柄な体格ながら、本場アメリカのプロ最高峰の瞬足を誇る、泥門の絶対的エースランナー。
彼を擁する泥門は高校アメフト秋季大会
セナ自身は、東京予選でベストイレブンランニングバック部門に選出され、関東大会では最優秀選手賞を受賞。そして全国大会でも最優秀選手に選ばれる活躍を見せた。
チビで臆病なパシリだった少年は、数々のライバルと戦い、その中で進化を遂げ、チームを全国一に導いた。
全国優勝後も、セナの活躍は続く。
高校ワールドカップ全日本選抜チームで、最強のライバルたちとともに世界に挑み。
そして現在、決勝戦で、圧倒的実力を誇るアメフト王国アメリカ代表相手に、同点延長戦までもつれ込む大熱戦を繰り広げていた。
……はずだった。
◆
気がつくと、カメラフラッシュの洪水の中にいた。
地響きのような歓声と、万雷の拍手に包まれ、なにも見えない。聞こえない。
突然そんな状況に放り込まれ、小早川瀬那は挙動不審にビクつきながら、周囲を探った。
どうやら室内。それもどこかの体育館かアリーナらしい。
記憶が確かなら、直前までアメリカ代表との試合中だったはずだが、ぜんぜん別の場所だ。
──ええええ、どうなってるの!?
わけがわからない。
混乱の中、目も見えないほどだったフラッシュが、次第にまばらになる。
……なぜか中学生くらいの女の子たちや、記者に囲まれていた。
──ひいいいい、どういう状況!?
小動物的な防衛本能から、思わず飛び退りかけたが、周りを人で囲まれて動けない。
というか距離感がおかしい。女子中学生にもみくちゃにされるなんて体験、セナはしたことがない。
「
──ええええっ!?
詰め寄ってきた記者のインタビューに、セナは混乱しまくる。
天王洲なんて名字にも、レスリングにも、全中女子3連覇なんて業績にも、なにひとつ覚えがない。
そう思った、瞬間。
セナの内側から、記憶がぶわーっとあふれてきた。
天王洲アイル。
都内に屋敷を持つアスリート一家に生まれ、幼い頃からレスリングを続け、たったいま、全中大会3度目の制覇を果たした、世代最強の中学生レスラー。
──ええ? 僕は僕だよね!? なのに中学生で? 女の子で? レスリング? いやいやいや、いやいやいやいや。
「天王洲選手? ぜひひと言を! さあさあ!」
強引な記者がずずいとマイクを押し付けてくる。
ただでさえ混乱してるのに、急かされまくったセナは、ぽろりと漏らしてしまう。
「あ……アメフトが、やりたいです」
とんでもない騒ぎになった。
◆
会場は蜂の巣を突いたような大騒ぎになった。
記者たちは真意を追求する。
顧問や部の仲間たちは混乱しまくる。コーチはおろおろする。
たったひと言が大きな波紋を呼んでしまい、根が小市民なセナは怯えてしまって訂正できない。
おまけに、たまたま応援に来ていたアイルの父が、「将来について悩んでいたとは知らんかった。私はアイルの意志を尊重しよう!」なんて言いだすものだから、騒ぎは余計に膨れ上がった。
戸惑いと混乱の中、セナは先に天王洲の屋敷に帰された。
アイルの部屋は飾り気もなくシンプルで、調度も必要最低限。
ただ、フォームチェックのための大きな鏡が、朴訥とした部屋の中で盛大に自己主張している。
その鏡に、セナは目を向けた。
小早川瀬那とは似ても似つかいない美少女がそこに居る。
幼さを残しながらも凛々しく整った顔立ちは、14歳のわりに大人びている。
……というか金髪だ。
しかもドリルみてえな巻き髪だ。
いや理由はわかる。
ハーフなんだから、この金髪は自前だ。
大柄な体格もそのせいで、身長は170cmほど。
レスリング選手らしく全体的にがっしりしているが、女性的なラインは損なわれておらず、客観的な印象としては「金髪美人」だ。
「天王洲、アイル……」
名を呼ぶ。
不思議なことに、自分の名前だと思える。
自認こそほぼセナだが、厳密にはアイルとセナが妙な具合に混じり合っているらしい。
「うううう、こうなるんだとしても、なんで試合の途中で……」
セナは頭を抱えた。
よりによってアメリカ代表との同点延長戦。佳境も佳境だ。
すごい
最高に楽しい時間を取り上げられたのはひどいと思うけど、文句を言う相手なんて居ない。
「もう、こうなっちゃったのは仕方ない。仕方ないんだけど……どうしよう、これから」
セナは途方に暮れた。
精神の合体事故のせいで、アイルの進路は派手に変わってしまった。
いや、どのみちレスリングは続けていなかったかもしれない。
幼小中あわせて10年間打ち込んできたが、「すごい」と思える人には出会えなかった。
勝ち続けても、心のどこかではずっと退屈で……でも、辞めてなにをしたいか、わからなかった。
そこへセナの、ライバルとの熱い戦いの記憶とかが混じりこんできたものだから、ぽろっと「アメフトやりたい」なんて言葉が出てしまったのだ。
戦犯セナである。
いやどっちも自分なんだから、責任を押し付け合っても仕方ないんだけど。
「アメフトか……高校受験までは時間があるけど……行ってみたいな。泥門高校」
壁のカレンダーを見ながら、つぶやく。
いまは6月。高校ワールドカップが3月だったから、3ヶ月前の話になるのだろうか。
新年度となり、同学年の戦友──モン太や十文字たちは、もう2年生だ。
アイルが来年泥門高校に入学したとしても、校則の都合上、3年生になった彼らは部活を引退。上級生のヒル魔や栗田は卒業してしまっている。
「……また、いっしょにプレイしたかったな」
ぽつりと、本音が漏れる。
栗田とヒル魔。自分がアメフトを始めた、始まりのふたり。
気が優しくて力持ちな、頼れる先輩、
外道で悪魔だけど、アメフトには真摯な頼もしい先輩、
忘れもしない。泥門に入学した1年前のあの日から、ずっといっしょに戦ってきた、本当にすごい人たち。
「……いや、ちょっとおかしいぞ? カレンダーの日付、2年前!?」
ふと気づき、声をあげた。
部屋のカレンダーが古い……わけではない。
思い出してみれば、天王洲アイルの生年は、小早川瀬那と同じ。
その自分が中学3年生、ということは。
「いまは2年前──
新たな問題に気づいてしまって、セナは頭を抱えた。
中3の春といえば、まだ進路とかも全然考えてなくて。
友達もろくにおらず、学校でパシリまくりの人生を送ってた頃だ。
秋になって、年上の幼馴染、姉崎まもりに家庭教師やってもらって、必死で勉強して……来年の春には、小早川瀬那は泥門高校に入学する。
それは本来、天王洲アイルとは関係のない物語。
だけど、
高校ワールドカップ決勝。アメリカ代表との同点延長戦──途中で終わってしまった、熱い戦いの決着が。
「……そうだよ。自分で投げ出したわけじゃないけど……あの場所に自分が居ないなんて、我慢できない」
拳を握る。
ふつふつと、闘志が湧き上がってくる。
じっとしてられなくて、衝動のまま部屋を出てしまう。
視線が高い。
一歩の歩幅が大きい。
あらためて、セナとは違うと感じながら、庭に出る。
屋敷の庭は平坦な芝生で、軽く走るには十分な広さがある。
「……入るのは、泥門高校だ。
つぶやきながら、準備運動をする。
いまの自分は女子だが、高校アメフト界の絶対王者、帝黒アレキサンダーズにだって
実力さえ示せば。ましてや万年選手不足の泥門デビルバッツなら、女子が選手になるのは難しくないはずだ。
「問題は、その先。男子アメフトの世界で、
それを試すために、構えて──思いっきり走り出す。
レスリングで鍛えられた瞬発力が生み出す初速は、しかし40ヤード4秒2──光速の視界に慣れた自分には、ひどく鈍重に感じる。
足を止め、己の両足を見る。
小早川瀬那のそれよりもずっと長く、太く、力強い両足。
「僕は……もう、セナじゃない。アイルなんだ。光速の脚はもう、ない」
その現実を、セナ──天王洲アイルは噛みしめる。
瞬間的な走行ルートの判断、フットワーク技術。
ライバルとの戦いの中で培った経験値。そういったものは、己のものとしてアイルの中に存在する。
だが、天から与えられた才能は、無二のものだ。
小早川瀬那の、フットボーラーとしての唯一にして最高の武器は、自分にはもうない。
「──でも、かわりに別の才能がある。天王洲アイルの武器が、ある」
レスリング漬けの9年間で培った、圧倒的技術と経験値。
身長170cmの、男子アメフト選手に混じっても戦えるフィジカル。
それは光速の脚のような絶対の武器じゃない。超人の、神の領域にある好敵手たちと戦うには、心もとない能力だ。
だが、泣き言を言っても始まらない。
决めたのだ。
なら、ないものを求めて嘆いている暇はない。
アイルは、カールの入った金色の巻き髪を、後ろでまとめる。
幸い、自分には小早川瀬那と天王洲アイル、まったく違う2種類の経験値がある。
ふたつの経験を、スキルを、試しまくり、反復しまくり、よじり合わせて自分の力に昇華する。
泥門入学までの期間は、そのためにこそ費やすと决めた。
もちろん、レスリングを辞めるといっても、すぐには辞められない。
実際問題、強化合宿などはともかく、すでに決まっている国際大会の出場予定を、一方的にキャンセルはできないだろう。
そのあたりは、両親やコーチと相談の上だ。
両親はまあ、認めてくれるだろうが、根が小市民なアイルとしては、先のスケジュールを决めないことで、穏便に引退したいところだが、ともかく。
「始めるんだ。アメリカンフットボールを……もう一度、泥門デビルバッツで!」
アイルは、夜空を見上げた。
宵の月は、ちょうどアメフトのボールのようで。
それを追うように、アイルは月に向かって手を伸ばした。
……まあ、決意したところで、トイレとか、お風呂とかの卑近な問題は山ほど残っているのだが。
たとえ自分のものだという意識があっても、セナ由来の恥ずかしさとかドキドキは相殺されないのである。0+1=1なのだ。
本日もう1話投稿予定です。