関東大会初戦、神龍寺戦まであと6日。
この日網乃大附属病院の一室で、ひとつの重要な決定が下されようとしていた。
赤毛のプロフェッサー、ロス・プロクター。
これまで過酷なリハビリに耐えながら、チームの頭脳として影から泥門を支えていた彼の、神龍寺戦の出場可否だ。
同行したのは、同じく網乃でスポーツ医学に基づくトレーニング指導を受けている泥門の面々──アイル、セナ、雪光の3名。
4名そろって各種検査を受けた後、ロスが真っ先に診察室へ通される。
アイルとセナ、雪光は待機室で待っていたが、思いのほか診察が長引いて、みんな焦れてくる。
3人が心配しながらそれぞれ顔を見合わせていたところ、ようやく診察室の扉が開き、ロスが姿を見せた。
「ロスくん、どうだった……?」
同時に腰を浮かせて、3人が尋ねる。
心配げな仲間たちに、赤毛のロスは不敵な笑みを浮かべて。
「無論、出場──解禁だとも!」
歓喜をにじませながら、両手を広げた。
1年以上に及ぶ過酷なリハビリ生活。
来日してからの、徹底的な管理下での筋力トレーニング。
悪魔じみた執念と努力が、一度は天に奪われたはずのアメフトを、再びその手に取り戻させたのだ。
「ロスさん、おめでとう!」
「関東大会いっしょに頑張ろう!」
「ロスくんがいっしょに戦えるなんて、ほんとに頼もしいよ!」
アイル、セナ、雪光が、拍手して我が事のように喜ぶ。
「──ただし、場合によってはドクターストップをかけさせてもらいますけどね」
と、言いながら。
診察室の奥から声をかけてきたのは、担当医の水戸先生だ。
彼に促され、一同はあらためて診察室に入ると、くわしく説明を受ける。
「ロス君の運動機能は、すでに十全に回復しております。さすがに筋力的にはまだ元通りとはいきませんが、試合でのパフォーマンスは保証いたします」
ただし、と水戸先生は戒めるように表情を引き締める。
「──アメフトはコンタクトスポーツ。故障のリスクは常に付きまといます。だから試合中、出場続行の可否は、僕が現場で判断させてもらいます」
「えっと……それじゃ水戸先生が泥門のチームドクターとして、ベンチに控えててくれるってこと?」
「うむ。我が盟友たる悪魔殿とミスター・ドブロクには事前に打診してあったようだ。ミスターも応急処置の腕は一流だが、本職の医師が加わるのなら、本来の役目に専念できようというものだ」
アイルの質問に、担当医に代わってロスが答える。
トレーナーのどぶろく先生に、マネージャー兼主務のまもりと、指揮下のスタッフチーム。それに加えてチームドクターの水戸先生。頼もしすぎる面子だ。
「水戸先生は大丈夫なんですか? 病院のお仕事とか」
「ははは。君たちが頑張ってくれたおかげでね。僕は泥門デビルバッツの
水戸先生が意味深な笑顔で応じる。
網乃のスポーツ医学の力を示したい病院上層部とか、野望を託した網乃大付属高校とか、あとはアイルの父とか、いろいろだろう。
「それでは遠慮なくお世話になります。水戸先生が居てくれるなら本当に頼もしいです……!」
「こちらこそ。お父上に続き、お嬢様、あなたとともに試合の場に居られることを光栄に思いますよ」
アイルと担当医は固く握手をして。
それから、アイルたちのいつもの検診になった。
すでに各種計測は済んでいるので、待合室で待ちながら順番に呼ばれる形だ。
最初にセナ、次に雪光。セナたちの診察結果も共有するため、アイルの診察はいつも最後だ。
測定されたアイルの各種数値は、女子高校生としては破格。
だが、男子アメフト選手の中に入れば、ようやく一流といったところ。
……とか思ってたら担当医に「やっぱり
天与の才である指先の力に加え、【光速の
加えて、世代の頂点を競う濃密な経験に裏打ちされた、レスリングテクニックがあるのだ。
心・技・体。すべてを総合したアメフト選手としてのアイルは、すでに超人の域にあるといっていい。
それでも、進清十郎や金剛阿含、キッド、大和猛、本庄鷹──超人たちの頂点に君臨し、神の領域を窺う天上の戦士たちには届かないが……アイルはアイルに出来ることで、泥門の勝利を掴み取るだけだ。
そんな決意を新たにしていると。
「──おっす、アイルちゃん! あらためて、東京大会優勝おめでとう!」
手を振りながら診察室にズカズカと入ってきたのは、ひょうきんな顔立ちの、スーツの上からでもわかる分厚い筋肉で鎧われた、長身の中年男性──アイルの父、天王洲スグルだった。
「スグルさん、診察室に入るときにはノックして下さいと、いつも言ってるでしょう」
「まあまあミート、そう目くじら立てんでもええやんねん」
「誰がミートですか……はいはい王子。思春期の娘さんが居るんだから、最低限のデリカシーは身につけましょうね」
「はっはっは。アイルちゃんがわしを嫌いになるわけないじゃろう……だよねー?」
水戸先生が居るからか、ダメな時全開な父に、アイルは深くため息をつく。
悪い人では絶対にないのだが、アイルやセナとは絶望的なまでに距離感の違いがある。
「はいはい。嫌いにならないから、病院であんまり騒がないでね」
「ほれほれミート! うらやましかろう!」
自慢げに胸を張るキン肉マンに、「はいはい」と受け流す水戸先生。
騒がしくもどこか懐かしい、幼いころから天王洲アイルがよく目にしてきた光景だ。
「──と、そういえばセナ君はどこかのう? 普段アイルちゃんが世話になっとる礼が言いたかったんじゃが」
「セナなら待合室に居たはずだけど……居ないならトイレとかじゃないかな? ……あんまり恥ずかしいマネはやめて欲しいんだけど」
「もう、アイルちゃんてば思春期なんだからー!」
うれしそうな父のテンションに辟易しつつ待合室の様子を窺うと、ロスや雪光は居るが、やはりセナの姿が見えない。
仕方なく、先にふたりに父親を紹介していると、しばらくして、やっとセナが帰ってきた……のだが。なぜだか、その額には汗がにじんでいる。
セナはアイルの姿を見て、ぎょっと目を目を丸くした。
「あれ? アイル、いつの間に戻ってきたの?」
「いつの間にって……わたし、ずっとここに居たんだけど」
「いやいやいや……さっきまで僕、アイルと勝負してたんだけど。トイレから出たとこで偉そうなトレーナーさんに連れてかれて、待ってたアイル相手に、いきなりアマレスで……!」
セナは恨みがましげな視線を向けながら、不思議なことを言う。
当然、アイルに心当たりなどない。
というかセナにアマレスで勝負とか、ぶっ殺すと同義なこと絶対しない。
不可解な出来事にみんな首を傾げていると、キン肉マンがはたと手を打った。
「ひょっとして、ママじゃないかのう?」
「マミーが? そりゃマミーなら教え子を連れてこの病院に来ててもおかしくないけど……」
「いやいやいやいや。ふたりして僕をからかってるでしょ? さすがにアイルのお母さんとアイルは間違わないから」
セナは否定するし、アイルもさすがに無理があると思いたい。
たしかに母親とは、容姿も髪型も体格も姉妹かってくらい似ているが、目の色と声色と、なにより若さが違う。
──いや、カラーコンタクトとかメイクで誤魔化せば……いや、それする理由欠片もみつからないけど。
「万が一相手がマミーだったとしたら、よく無事で済んだね。一線引いてるとはいえ、女子アマレスのトップだった人だよ?」
「あははは……何度か倒されたけど、なんとか……予備動作なしにタックルが飛んできて怖かった……」
アイルの母、ナディアの得意技は、まさにその
となると、セナが戦った相手はやはり母なのかもしれない。いや、アイルだと誤解されたのは、ものすさまじく不本意だけど。
──あとでマミーを問い詰めないと。
そう心に誓っていると、アイルとセナの間に、父がひょこりと顔を割り込ませてきた。
「おお、そういえば、キミがセナ君じゃな? いつも娘が世話になってすまんのう」
「いえいえ、こっちのほうがお世話になりっぱなしで……」
「いやいや。こう見えてアイルちゃん、抜けたとこがあるからのう。これからも見放さずに支えてやってくれんか」
なんだか保護者同士みたいな会話をされて、アイルは居たたまれなくなる。
「あの……お父さん、恥ずかしいから……子ども同士のつき合いに、あんまり口出さないで……!」
「子ども同士の関係で済むなら、そりゃあ安心なんじゃがのう……まあ、わしは応援しとるから、がんばれ若人たちよ!」
愛嬌のある笑顔を浮かべて。
キン肉マンは「母さんが来てるなら会ってくるぞい」と言い残して、バタバタと去っていった。
「なんだったんだろう……」
「セナくん、さすがにわかっとかないと……」
「親公認。そういうことだろうとも」
キン肉マンの言葉に首を傾げるセナに、雪光とロスがツッコむ。
セナはそれでもわかってなさそうだけど。ついでにアイルもあんまりわかってないけど。
いや、恋愛関係を勘ぐられてるのはさすがにわかるのだが、具体的になにを心配されてるか、さっぱりわかっていないのだ。しょせんセナである。
そんなとき、アイルのポケットで携帯が震えた。
画面を確認すると、母親からのメール。内容は短く、たった二文字。
──『承認』。
なんだこれ。
意味不明なメッセージに、アイルは首を傾げた。
◆
泥門デビルバッツと神龍寺ナーガには、因縁がある。
正確には、デビルバッツの創設メンバー、ヒル魔、栗田、ムサシとの因縁。
3人は元々、
ただ、3人のうち栗田だけは学力的に一般入試での合格率ゼロだったため、スポーツ推薦枠での入学を予定していたのだ。
だが、推薦枠に突如金剛阿含が割り込んできたことで、栗田の神龍寺入りの夢は無惨に打ち砕かれた。
一般入試での合格確実だったヒル魔とムサシだったが、ふたりは名門、神龍寺への進学よりも栗田を選び、ともに泥門高校で一からチームを立ち上げたのだ。
かつて憧れた王者のユニフォームに、弓を引く。
その覚悟を決めた栗田に、後輩たちも触発され、闘志を燃やす。
──明日からの関東大会、ロスくんを加えた、本当のフルメンバーで戦うんだ。
セナとタイマンでの追い込み特訓を重ねながら、アイルは心中のわくわくを抑えきれない。
いまの泥門には、強豪ひしめく激戦の東京大会を制した誇りがある。
選手のひとりひとりが己の課題と向き合って、さらなる高みを目指している。
「ブチ殺すぞ! 神龍寺ナーガ!」
ヒル魔が吠え、火炎放射器的なアレで深夜のグラウンドを朱く照らす。
その炎よりも、さらに熱い闘志を胸に秘め。アイルは己の武器たる指先をセナに向け、力強く伸ばした。
◆
「──獅子搏兎(ししはくと)」
神龍寺学院の裏手、大滝の前。
細く尖った岩塊の上に
「獅子は兎を捕える時でさえ全力を尽くす。ましてや明朝戦う泥門は、あの王城を下した東京王者。油断できぬ相手よ──さて、一休」
監督の指示で、大滝のスクリーンに泥門の資料映像が映し出される。
それが泥門のチア軍団やまもり、サキュバスメイクのアイルの姿だったりして、一同盛り上がったのは、さておき。
「栗田良寛。こやつが泥門ラインの要だの」
スクリーンの映像が切り替わり、栗田のプレーが映し出される。
デカくて重くて強く、そして上手い。
鉄壁の王城
「スピードこそないが、油断できぬ相手よ。山伏、お前が手刀を駆使したとしても、な」
続いてスクリーンに映し出されたのは、雪光、夏彦、モン太の泥門レシーバー陣だ。
「泥門の3人のレシーバー。正確なルート
「……雪光は身体能力は普通ですが、戦況判断が鬼早い。トリックプレーの要スね。瀧の身体能力は脅威だけどレシーバーとしてはまだ甘い。サル君は……俺に叩かせて下さい。空中戦No1は俺だって証明してみせます」
答える一休の本気──全身から放たれる鬼気に、神龍寺の選手たちが身震いする。
次にスクリーンに映し出されたのは、栗田以外の
「小結、黒木、戸叶、十文字。いまだ尻に殻がついておるとはいえ、油断はできぬ……特に十文字は東京ベストイレブン。練度で劣れどあの王城
仙洞田監督の厳かな言葉に、選手たちはみな無言で頷く。
続いて大滝に映されたのは、アイルの姿だった。
金髪美人が大写しにされて、みんなちょっとテンションを盛り返したのは、さておき。
「天王洲アイル。ラインバッカーとして東京ベストイレブンに名を連ねたが、こやつの本領はリードブロックよ。エースランナー並の速度に、王城の大田原を弾くパワー。それにレスリング仕込みの反射神経に精密なハンドテクニック。此奴こそが泥門の攻防の要よ」
下心込みでみんな熱中しているが、あくまで研究である。
無情にも映像は変わって、スクリーンに赤毛のロスが映し出される。
「ふむ、コヤツに関してはまだ出場機会がない。特別入学枠で泥門に入り込んだ、痩身の米国人。なかなかの曲者よ。泥門の頭脳を担う参謀と見て間違いあるまい」
言葉と同時に、映像はベンチからサインを飛ばすロスの姿に変わる。
ユニフォームを着てはいるものの、日本での出場経験はなく、選手にしては痩せすぎている。
いまだ肉体改造中といった様子で、なにより
また、映像が変わる。
映し出されたのは、カメラに視線を送るヒル魔だ。
「そして蛭魔妖一。これがクセ者でな。身体能力を、奇手と謀略でカバーしてくる。才能への挑戦と言う意味で、雲水、ある意味お主に似とるかもしれんのう……」
「自由にはさせません。獅子搏兎。こちらも打てる手はすべて打ちます」
監督の言葉に、金剛雲水が応じて。
その頭に、グリッと手が置かれる。遅れてやって来た金剛阿含だ。
「あ”──! 相変わらず気ぃ小せえな雲子ちゃん! さらにハゲんぞ!」
雲水に絡みながら、阿含は大滝のスクリーンに視線をやる。
そこには、ヒル魔と赤毛のロスが、素早くサイン交換している姿が映っている。
「心配すんなって。徹底的にぶっ潰してやるからよ。ヒル魔とかいうカスも、ベンチでウザってえクズも──そいつもな」
ヒル魔たちに代わって映されたのは、泥門デビルバッツのエースランナー。光速のランニングバック、小早川瀬那。
大写しにされた、その顔面に向けて。金剛阿含は一年生選手を片手で釣り上げ──容赦なく投げ飛ばした。