賢者アンジュ・カトリーナの試練   作:芝三十郎

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#3BK_IF、Page of Lambdaのアンジュ視点ノベライズ。錬金術師を育てる王立学園で、進級のための試問会が行われる。若き天才アンジュは、画期的な新発明を発表して、注目と反感を集める。


出会い編
天才錬金術師アンジュ①


 石造りの大会堂が人で満ちている。半円形の堂内には、常に倍するほどの椅子が並び、その全てが埋まっている。座っている全員がローブ姿だ。

 

 会堂の入口から最奥の演壇に近づくにつれ、着座するローブの色は濃くなる。白、灰色、濃紺、そして黒一色の衣へと。最前列の長机に居並ぶ者たちだけは、黒ローブに銀の刺繍を施して、教授の威厳を示している。

 

 その鋭い視線を集めて、壇上の若い男は額の汗をぬぐった。分厚い石造りの堂内は夏でも肌寒い。男はもう一度拭い、説明を始めた。

 

「が、学籍二八五番―――です。れ、錬金術はオーブの発明によって一挙に普及し、錬金術師でなくても扱えるようになり、社会を一変させました。わ、私の年次発表は、それをもう一歩進めるものです。」

 

 掲げた片手に黒い球体を載せている。球体から上向きの突起が突き出している。男子学生は、そこに親指をかけた。

 

「火のオーブをさらに簡易にして……ピンを折るだけで発動するようにしました。術者の操作は必要ありません。それにより――」

 

 説明が終わるのを待たず、最前列から質問が飛ぶ。

 

「すると、どうなるのだ。ガレットでも焼けるのか?」

 

 片眼鏡の奥から、老教授の眼光が覗いている。学生は射すくめられたように小さく震えたが、すぐ回答する。

 

「い、いいえ、教授。火のオーブが発動して、炎を撒き散らします。領主軍の装備として有用かと。王室近衛隊(ロイヤル・ガード)の装備にも……」

 

「聞かれたことに答え給え。ガレットは焼けるのかね?」

 

「……」

 

「オムレツなら? 雪の日に暖を取るには?」

 

「威力の調整は、オーブに入れる触媒を減らせばできます。その、一摘みくらいにしておけば、焚きつけにも使えるかと」

 

「それなら火打石でよかろう」

 

 老教授は羽ペンを書類にさっと走らせた。僅か数文字の評価。壇上の学生は前途が断たれたことを悟った。かび臭い空気が一層冷えたようだった。老教授は講評に移った。

 

「術者の操作がいらないと言ったが、操作できない、の間違いだな。君程度の技量でも扱えることは利点とはいえんよ」

 

 蒼白となった学生は、思わず口を開いた。

 

「わ、私は領地の騎士たちに意見を求めました! 皆が褒めて……!」

 

「仕える伯爵の三男が作ったものを、どうして正直に貶せようか? 確言してもいいが、近衛隊はそのような不名誉なものは採用せんよ。献上するだけ、家門の恥になる。だいたい、君は勘違いをしておる」

 

 老教授は立ち上がり、会堂の後方に居並ぶ学生たちを振り返った。

 

「錬金術は、知識と繁栄のためにある。荒事は騎士の剣に任せておけばいいのだ。諸君の中で最も優れたものたちが王宮にあがり、それに次ぐ者たちが大領主に仕えるのは、彼らを教え諭し、真理の道を押し広げるためである。力に奉仕するためではない!」

 

 叱責を石壁に反響させて、老教授は前に向き直り、学生に運命を宣告した。

 

「まして、継ぐべき所領がない者に、食い扶持を与える方便でもない。君の進級は認められない」

 

 壇上の学生、来年にはそう呼ばれる資格を失うことが確定した若者は、手を震わせながら発明品を片付けた。一礼もせずに降壇していったが、その非礼を矯正される価値すらも、彼にはもはやない。

 

 咳ばらいが響き、司会役の若い教授が告げた。

 

「次の者が本年最後の試問です。その前に、お伝えした通り、各教授は席替えを願います」

 

 最前列の教授たちは一斉に立ち上がり、自ら椅子を動かして、長机の中央を開けた。事情を知らぬ者達の間にざわめきが広がる。やがて会堂の脇扉が開き、従僕たちが大きな木箱と大椅子を運びいれた。木箱は壇上に、大椅子は長椅子の空いた中央に据えられる。

 

 見まがいようもない銘木の椅子が事情を語り、場内の動揺を大きくした。卒業年次への進級の可否を決める試問会に、来るはずのない者が来るという。

 

「一同、起立。学院長が入られる」

 

 司会の声に全員が従うと、大扉が開かれた。厳しい顔を皺と白髭で覆った老人が、杖を頼りにゆっくりと入ってくる。後ろに続く従僕たちが、金糸の刺繍を施したローブの裾を支え持っている。老学院長が着席し、尻を落ち着けたのを確認すると、司会はゴクリと唾を飲んでから告げた。

 

「一同、着席。学籍二八五番、アンジュ・カトリーナ、前へ!」

 

「はい」の返事とともに、立ち上がった白いローブの上で、赤い長髪が鮮やかだ。その若い女にあらゆる視線が集中する。その全てを無視して、女はすたすたと壇上に登った。従僕の手で運び込まれた小山のような木箱がある。

 

「これが発表です」と言うと、女は手の甲で木箱の一隅を打った。木箱の正面だけが前に倒れ、中身を露わにする。

 

 入っていたのは、白い布のかたまり。小ぶりな荷車ほどの大きさだ。正体不明の制作物に、場内の者達は囁きを交わす。

 

 その布の各所に四つのガラス球が埋め込まれている。触媒と術式をガラス球に籠め、発動を容易にした錬金術の器具、オーブである。異様なのは、四つの色が異なることだ。赤、青、黄、緑……。それに気づくと、場内の囁きは騒めきになった。

 

「四種、全てのオーブを!?」

「今年も複合術か」

「汽車じゃないぞ」

「一体……」

 

 十分に注目が集まった頃合いを計り、赤髪の女は説明を始めた。やや低く、落ち着いた美声が石壁に響き渡る。聞くものを惹きつけずにおかない、特徴的な声である。

 

 その美声が「これは、空を飛びます」と告げると、堂内の全員が息を呑んだ。女は平然と説明を続ける。

 

「温めた空気は軽くなり、上にあがります。その空気を帆布で閉じ込めたら? 布ごと宙に浮かぶ熱気球になります。水と風のオーブで、空気より軽い燃素(フロギストン)を元素合成すれば、もっと効率的に浮かべます」

 

 女が布の一部を持ち上げると、真鍮づくりの円筒があらわになった。火、土、風、水のオーブと複数の歯車でできた精緻なカラクリは、数十頭の馬に勝る力を生み出すオーブ機関である。

 

 アンジュの白い指がオーブに触れ、一つ一つとピンを緩めると、ガラス球が輝きを増す。あらかじめ設定された術式が発動したのだ。シュー、と機関が音を立て、布全体が急速に膨らむ。たちまち瓜のような横長い形状になると、空中に浮かびあがりはじめた。

 

 すると、横倒しの瓜ならばヘタがあるべき端に、オーブ機関から幾重もの金属棒で繋がった水車状のものが見えた。

 

「汽車と同じオーブ機関を積みました。まわすのは、この風車です。鉄路の代わりに空気を漕ぎます。舵もあります。これは錬金術の力で浮かび、空を進む船なのです」

 

 場内は一挙に騒然とした。教授の一人が立ち上がり、上ずった声で聞いた。

 

「そ、空を飛ぶというのかね。船のように」

 

 答える女は平然として「そう言ったつもりです」と言い放つ。

 

「待ってくれ! その……まさか、人が乗れるとでも」と喘ぐように聞いたのは、また別の教授である。

 

「籠さえつければ乗れますよ。人が乗れない船に何の意味が?」と答えて、女は僅かに小首を傾げてみせる。口角が僅かに上がる。冷笑を堪えているように見えた。

 

「アンジュ・カトリーナくん、儂もひとつ問いたい」

 

 小さな枯れ声が響くと、場内はたちまち静まった。学院長は続けた。

 

「去年は鉄の道を走る車、今年は空を行く船……飛行船とでもいうか。自分の発明が世の暮らしをどう変えるか、君は考えておるかね」

 

「それが進歩です。世界を理解し、改良するのが近代錬金術だと、ここで習いました」

 

「急ぎ過ぎれば転ぶ。まして人の身で空を飛ぶなどとは。思慮を伴わぬ変化、知恵を伴わぬ知識は、危うい。まるで火遊びじゃ」

 

「炭で暖を取っても火事を出す家はあります。でも、炭を焚かなければ、私の村なら凍えて死にます」

 

「娘の身で、何でも知っているようだな。知恵とは、己の無知を知ることじゃ。自然を畏れ敬うのが、本来の錬金術というもの」

 

 老人の声音には含まれる僅かな苛立ちが、若き才媛を刺激した。

 

「戻れって言うんですか? 惚れ薬だの、まじないだので稼いでた大昔の錬金術に」

 

 学院長の杖が机を打つよりも早く、片眼鏡の教授が割って入った。

 

「控えんか、アンジュ!」

 

 立ち上がった教授に見据えられて、女の薄青の瞳から興奮の色が去った。

 

 彼女の噛み締めるような沈黙を、片眼鏡の教授がすぐに引き取った。

 

「学院長、我が弟子の非礼、お詫び申し上げます。全ては、このオジオンの指導の至らなさ。何卒、ご寛恕を賜わりたく存じます」

 

 教授は腰を折り、頭を下げた。その弟子は、傲然と顔を上げたまま、何かを堪えているようだった。

 

 老学院長はふっと息を吐いた。

 

「……お前もラキミーから帰ったばかりの頃は、そうであったかもしれん。己なら何もかもできるように思うて。弟子は師に倣うか」

 

「言葉もありません。身の程知らずの若者に、最良の師は時でありましょう」

 

「そう願おう。さあ、これまでじゃ。皆、苦労であった」

 

 そう言って学院長が合図すると、従僕が歩み寄って介添えをした。

 

 司会が「一同、起立」と指示を出し、皆で老人の退室を見届けた。アンジュだけが合否を告げられないままに試問会が終わったが、疑問をもつ者はいなかった。

 

「学生は解散とする。教授会は、柊の間にお集まりください。試問会の結果をとりまとめます」

 

 異例続きの試問会が終わると、百名あまりの列席者が、がやがやと退室する。その列が大扉でつかえている間、会堂を一度は圧倒した赤髪の娘はやや俯き、袖の下で両手を握りしめていた。

 

 そこへ彼女の師が影のように歩みより、「わしは会議がある。半刻後に来い」と小声で告げると、瞬く間に歩み去っていった。その背は以前より丸く、くたびれて見えた。背中はやがて扉の向こうに消えた。

 

 それを見届けると、赤髪の娘は長髪をかきむしった。後ろを振りかえり、浮かんだままの飛行船に手をやると、オーブの発動を止める。しぼみ始めたそれを片付けるべく屈みこむ。

 

 しかし、その両手は発明品ではなく、自身の顔を覆っている。誰にも聞こえないよう、口の中でつぶやく。

 

「うあー、あかん、あかん。死ぬんだあ。死ぬんだぁ。てか、死んだぁ。もうやだぁ……」

 

 既に学院始まって以来の秀才として知られ、後に天才錬金術師と呼ばれる娘、アンジュ・カトリーナは、まだ十七歳だった。

 

 

 

(次話「天才錬金術師アンジュ②」に続く)

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