賢者アンジュ・カトリーナの試練   作:芝三十郎

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毒牙たち①

「おっと、待っとくれ」と、年老いた守衛は言った。

 

 血管を浮かせ、節くれだった腕が、道に渡した横木に置かれている。

 

「売り物の持ち込みはないようだから、税金は払わんでいいがね。フードを取って、顔と耳を見せてくれるかい。街に入る決まりなんじゃ」

 

 アンジュとリゼは、老人を日陰にしている粗末な関所小屋を見た。壁に張りだした大きな紙に、品目ごとの税率を書いてある。掲げられた旗は、盾に白薔薇。ヘルエスタ王家ではなく、この地を治める領主の紋章である。この簡易な関所さえ抜ければ、王家の直轄領から脱出できるのだ。

 

 問題は、王家の衛兵が回している手配書が、諸侯領にまで及んでいるかどうかだった。各地の治安を保つ衛兵は、それぞれの領主に属している。ヘルエスタ王家は諸侯の主君だが、実際は束ね役に近い存在。王国全土を直に統治してはいない。

 

 特に、最近の王家と諸侯の関係には緊張したところがある。王家が諸侯の筆頭という本来の地位を脱し、真の意味で王国の支配者たるべく、力を増しつつあるからだ。

 

 そのような背景を思えば、王家の衛兵が諸侯領内に手を伸ばすのは簡単ではない。手配書ひとつ回すにも、煩瑣な手続きと儀礼が要る。

 

 その遅滞こそ、なぜか王家の衛兵に追われ始めたアンジュとリゼの狙いだった。

 

 意を決し、二人はフードを取った。午前の太陽が彼女らを照らす。片や燃えるような赤髪の女、片や水色がかった白銀の少女と、実に目立つ組み合わせだ。守衛が少しでも「おや」という顔を見せれば、直ちに逃げ出すつもりでいる。

 

「おや......可愛い嬢ちゃんたちだ」

 

 老守衛は二人の頭部をちら、と見た。

 

「耳も見せてくれるかい」

 

 二人は言われた通り、髪を少しかきあげて片耳を見せた。

 

「うん、大丈夫じゃ。いま開けるからのう」

 

 老守衛は孫でも愛でるような笑みに変わった。実際、リゼとアンジュの祖父が健在であったなら、似たような年齢だったろう。

 

「ありがとうよ。実は、魔物の耳がついておらんか、確かめろというお達しでのう」

 

「魔物は通れないんですか? 住む場所も、移動も、寛容令で自由になったものとばかり」とアンジュが尋ねる。

 

「うん、よく知っておるな、感心じゃわ」

 

 菓子でもくれそうな雰囲気に、アンジュも警戒を緩める。老守衛は横木を持ち上げて道を開きながら答えた。

 

「いま、ご領内に流行り病が出ておってな。魔物どもが出どころだそうな。王様の天領は魔物だらけじゃから、人しか通すなという領主さまのお達しなのよ。」

 

「そうでしたか。ご苦労様です」

 

 愛想よく言って、アンジュとリゼは関を抜けた。先ほどまで横木一本で示していたに過ぎない境だが、そこを越えただけで、逃げ延びたという安心がある。ほっとすると、身体がぐっと重くなった。追跡を撒こうと、道なき道を越え、夜通し歩き詰めだったのだ。

 

「この村で宿を取りたいんですけど」

 

「そんなら、ここを真っすぐ行って……」と、守衛は親切なものであった。「そうそう、宿についたら、薬湯を貰いなさい。病を防いでくれる験があるからのう」とまで教えてくれた。

 

 

 田舎の村にしては良い宿だった。二階には二人で泊まれる部屋があり、寝台が一人一つあるというのだ。棺桶のような木箱ベッドや、壁から壁へ渡した紐ではない。それならリゼを泊めても安心だと、アンジュはすぐに部屋を取った。自分自身にとってはどんな寝所でもどうせ同じことだが、リゼはまともに寝かせてあげねばならない。

 

 酒場を兼ねた一階も、あちこち煤けているが、机と椅子は清潔である。まだ午前だから酔客はいない。あり合わせの食事を注文して腰を下ろすと、アンジュは立ち上がる気が失せた。足が棒のようになっている。

 

 宿の主人に聞こない小声で、アンジュは眠気覚ましを兼ねた相談を始めた。

 

「とりあえず、落ち着いた、でいいよね。諸侯領には、王様の衛兵は入れないんでしょう」

 

「うん。近衛隊だって、何日も足止めされるんだから。手続きで二、三日はかかると思う」と答えたリゼも、昨夜は一緒に歩き通しだったのに、なお溌剌としている。

 

「経験者は語る、か」

 

 リゼは皇女だが、武術の修練のために近衛隊に入っているのだ。従士から始め、実力で騎士叙勲の資格を得た。それで修行としては十分以上だが、この真面目な娘は、並みの近衛隊士同様に、治安任務に精励してきた。

 

 自然、近衛隊は挙げて第二皇女の信奉者になっている。王城に賓客を迎えて閲兵式をする時も、第二皇女が列席していると一段と動きにキレがあると噂になって、リゼを閉口させたほどである。

 

 ともあれ実務の経験から、リゼは治安組織の実情に通じているのだ。昔、とある事件解決でリゼを手伝ったことがあるアンジュは、そうと承知している。

 

「ほな、今夜は休めそうやな。さっさと食べて、ベッドに潜りこみたいわ。すぐ寝れそうな気がする」

 

 リゼは目配せをして、宿の主人が近寄ってきたことをアンジュに教えた。

 

「はい、お待ちどう」

 

 テーブルに音を立てて置かれた皿には、蕎麦粉のパンケーキが薄っすらと湯気をたて、刻みハーブを入れたオムレツが添えてある。あり合わせの軽食にしては、豪華な方だった。

 

 リゼは妙な顔をして店主に尋ねた。やはり蚊の鳴くような小声だ。

 

「あの、この玉子焼き、注文してないんですけど……」

 

「ああ?」と、店主は気難しそうな顔をリゼに向けた。

 

「あっ…でも大丈夫です。いただきます」

 

「はは、たまの旅人さんは大事にしたくてね。俺の気持ちだよ。ありあわせで済まんがね」

 

 店主が厳めしげな顔に笑い皺を寄せると、リゼは少しびくりとしたが、やっと微笑んだ。

 

「ありがとうございます」と言った声は、少しは聞こえるほどの大きさだった。アンジュは密かに微笑んだ。

 

 店主は照れ笑いをしつつ、白いカップを2つ持ってきた。

 

「あんたたち、この村に来たばっかりだろう。聞いたかも知れんがね、悪い病が流行ってるんだ。一時は領主様まで倒れられてね。この薬湯がよく効くから、飲んでおきなさい。なに、領主さまのお慈悲で配って下さってるものだから、これもお代はとらないよ」

 

 カップの中から湯気が立っている。液体は薄い黒色で、焙煎した茶の色に似ている。甘い香りは果物のようで、不快感はない。

 

「苦かったりするのかな」

 

 リゼが取ろうとしたカップを、アンジュの手がさらった。

 

「ちょっと」

 

 目を見張るリゼをよそに、アンジュはカップを唇につけて慎重に啜った。ズズ、と音が立ち、育ちの良いリゼの顔をしかめさせた。

 

 アンジュはコトリとカップを置いた。中身は、ほとんど減っていない。

 

「あかん、リゼ。飲んだらあかん」

 

 怪訝げなリゼをよそに、アンジュは店主に話しかけた。リゼに証拠を見せるつもりである。

 

「ずいぶん、たちの悪い病が流行ってるそうですね。罹ると、吐き気がする。酷くお腹も下す。悪化すると、身体の中の水が足りなくなって、干からびたみたいになる」

 

「なんだ、知ってたのか。守衛さんに聞いたんだね」

 

 店主の相槌に、リゼが顔色を変えて割り込んだ。

 

「そんな話、聞いてない。どういうこと?」

 

「我、錬金術師ぞ? 薬学も修めてる。ってことは、なんだけど、毒にだって詳しいってこと」

 

 リゼは更に青ざめた。まだ理解できていないらしい店主に、アンジュは事態の核心を告げた。

 

「おじさん、この村に病気が流行ってるってんなら、原因は、この薬湯だよ。薬の成分もあるけど、灰色石っていう鉱石が溶けてる。猛毒なんだ。暗殺者が使うやつで、相続の石とも呼ばれる」

 

「馬鹿なこと言わないでくれ! 薬師様が下さったんだ。毒だなんて……」

 

 アンジュは首飾りをたぐり出し、普段は上衣の内に隠している小さな金属板を見せた。錬金術師の証である。自分の尾を食べる蛇が描かれている。授与されるのは学院の卒業生だけだが、アンジュは持っており、肌身離さず持ち歩いている。

 

「あんた、錬金術師さま……!」

 

 この上ない知の権威を見せつけられて、店主は圧倒されたようだった。「その旅の薬師、まだこの村に?」というアンジュの問いにも、茫然としつつ答えた。

 

「ずっと、御領主さまのお屋敷だよ。疫病が収まるまでは逗留して下さるって……」

 

「会う必要があるわね」と、リゼは言った。表情には決意の色がある。

 

「リゼ、うちらは、今は……」とアンジュは言いかけたが、それでリゼが翻意するとは思っていない。

 

「会う必要がある」

 

 皇女は重ねて言った。常に自分よりも他人、民を優先するのがリゼなのだ。勇者の末裔に相応しい。その美点も、欠点も、アンジュはよく知っている。

 

「しゃあないなぁ。一日か二日で片を付けよう」

 

「何から始めたらいい?」

 

「この辺は水海から遠いし、川もない。井戸やな、たぶん」

 

 

 

(次話「毒牙たち②」へ続く)

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