賢者アンジュ・カトリーナの試練   作:芝三十郎

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アンジュは傲慢さを師オジオンに戒められるが、聞く耳を持たない。師は、彼女が王宮にあがる資格を得たことを告げる。


天才錬金術師アンジュ③

「カトリーナです。失礼します」

 

 室内からの返答を待たずに、古木の扉を押し開ける。室内では、机の上にまで堆く積まれた書物の合間から夕日が差し込み、石壁に陰影をつけている。

 

「来たか」

 

 初老の師は、溜息のような声とともに椅子を示した。仕立てて百年はきかぬだろう古木の机に陣取っても、平素の威厳はない。

 

 先生も老け込んだ、とアンジュは思う。

 

 彼女を久方ぶりの弟子にとった三年前には、撫で付けられた髪がもう少し黒かったと思う。短めに蓄えたあご髭もだ。しゃんとしていた背中も、今では少し丸くなった

 

 男の背にかかる重荷の一つが自分だと、そう分かってはいるが、アンジュはそれを態度に表したことはない。可愛げのあることは言えない。

 

「何か御用ですか」

 

 しらばっくれた無礼に気づかぬふりをして老教授は答えた。

 

「無用のことをする。また敵を作ったな」

 

 試問会での攻撃的な態度のことを言っていた。学院長、教授会のみならず、傍聴していた学生たちの間でも、アンジュへの嫌悪と敵意はいや増したに違いない。老人は訥々と諭し聞かせた。

 

「そなたには才能がある。大いなる才能が。ならば、それを御する知恵も大いに養わねばならんぞ。自分の力を、我がものと思ってはならぬ。身を慎み、己を虚しくせい」

 

 アンジュは無言で、顔だけは神妙に聞いている。

 

「そなたの才は、万物の流転の中で、たまたま身の内に留まった宝石の如きもの。正しく使わねばならん。何のための才能、何のための力かと、問い続けるのだ。ゆめ忘れるでない……じき、儂の手も離れるのだからな」

 

「じゃあ、合格ですね」

 

 アンジュが聞きたいのはそれだけだった。身分、嫉妬、そのほか下らぬことのせいで、卒業年次への進級が阻まれないかとは、内心で案じていたところなのだ。師は、渋面で認めた。

 

「合格じゃ。来年一年かけて、あの卒業研究を仕上げることになる。入学してまだ三年にしかならんのに、二年後に卒業とはな」

 

「二十歳で卒業なら、普通です」

 

「十年かける者も珍しくないのだぞ。お前は急ぎ過ぎだ」

 

「急いでますから。早く出たいんです。こんな――」

 

 こんなところ、という言葉は呑み込み、別のことを言った。

 

「学びが足りないとは思いません。いいとこの子たちは、怠けすぎなんです。そのくせ……」

 

「人生は長いのだ、アンジュ。不真面目でも困るが、お前の生き方には遊びが無さすぎる。遊びとは余裕だ。プロムには?」

 

「出ません」と、うんざりした顔で答える。セティアといい、オジオン師といい、田舎者を見世物にしたくて堪らないらしい。

 

「行って、明るく振舞ってみなさい。人気者になれる。お前なら」

 

 いい加減に嫌になり、アンジュは教授の言葉を遮った。

 

「出る幕、ありませんよ。山だしで、赤毛の平民には」

 

「人付き合いを学ぶ機会でもある」

 

「もう笑われるのは、うんざりです。先生、御用は終わりですか?」

 

 師匠は再び溜息をつき、引き出しから封筒を取り出した。

 

「おめでとう。教授会は、今年もお前が学年首席だと決めた。上位五指、恩賜組だ」

 

「ありがとうございます」

 

「三日後、参内する。陛下から指輪を授かって、その後は祝宴になる。礼を失せぬよう気をつけよ。セティアに習うといい。見た目と振舞いで評価されるものだ、人は。よいか、アンジュ。世の中は、才能や力だけで思い通りにはならん。錬金術とは違うのだ」

 

「知ってます。思い通りになることなんて、一つもありません」

 

 だから、早く卒業したい。村一番の秀才と褒められ、町の私塾へやられて、そこでも一番と認められ、気を良くして励むうちに、場違いなところへ辿り着いてしまったのだ。

 

 師は何かを諦めたように言った。

 

「恩賜組は、卒業後に宮廷の錬金寮に加わる。首席となれば、いずれは政務にも携わって、栄達の道が開ける」

 

 アンジュは薄い笑みを浮かべた。首席。栄達。王城で一生を過ごすという。あの忌々しい、中身は空っぽの貴族たちの間で。勉強が妙に得意なだけの、平民の娘が。

 

 田舎で浮かれ上がって、わざわざ王都まで馬鹿にされに来た間抜けに、もっと場違いなところへ行けという。

 

 それでも、今よりはマシなことが一つある。地位を手に入れて、あの連中を見下してやれるなら、少しは気が晴れるかも。何もかも上手くいかない人生だ。

 

「ありがとうございます。身に余る光栄です」

 

 白々しくそう言って、封書を裏返す。貴重な青い蝋を垂らし、印章を押して閉じてある。印形は、三角に一対の翼。ヘルエスタ王家の紋章である。

 

 王様か。初めて見る。祝宴には、他の王族も居並ぶだろう。今上の王には子が多いから。どうせ、意味なく威張っているだけの、ろくでなしに違いない。

 

「それで変わろう。お前の人生も」

 

 願うような師匠の言葉を、この時の彼女は信じなかった。

 

 

 

(次話「皇女と錬金術師①」に続く)




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