夕刻から始まった祝宴では、やはり居所に困った。
最初の方こそ、綺羅に身を包んだ紳士たちに話しかけられ「素晴らしい発明だ」「天才という声も高いとか」などと言われた。しかし、彼らが錬金術の基礎も理解していないことは、すぐに知れた。
術に関わらない話題になると、アンジュ生来の人見知りが顔を出す。恐縮したように「あの、その」などと言うだけの彼女にとどめをさしたのは、門地の話題である。
「ところで、カトリーナとは、いずこの家門か?」
「私は平民の家の出で……」
「ほう、それは立派なことだ。それで、首席まで務めるとはね」
意外なようだが、貴族たちは真っ当な大人だった。学院の子女とは違い、表立って彼女を見下したりはしなかった。ただ、興味を持てない絵画や彫刻に対するように、礼儀正しく相手にしないだけのことだ。
「――さても、錬金機関とは便利なものだ。外海との行き来がずっと安価になったからね」
ようやく自分の知る話題に、なんとか口を挟もうとするが、紳士は彼女に話題を振ったつもりはないらしい。
「――それで、コーヴァスから楽隊を招くつもりでね。」
「それは珍しいこと。外海諸国の中でも、コーヴァスの文物は面白い。同じく帝国を称しても、沙漠のオヴィクスとは趣きが違いますな」
「ぜひお招きに預かりたいわ。宅の娘も、近ごろは外海の音曲に興味が――」
「あのベースという四弦琴は独特ですな。実は、私の次男も――」
歌舞音曲、詩歌に文学、権門の噂に子女の相手探しにと、貴族たちはテーブルを回遊している。話題は尽きないが、どれもこれもアンジュには無縁だ。貴顕の会話に口を挟むのは酷く無礼な気がするし、そもそも興味が持てるものではない。
飲み物を求めるふりをして、そっと輪を離れても、誰も彼女を気にしない。見回してみると、彼女と共に恩賜の指輪を得た四名の男子たちは、社交の寵児となっているようである。封土を継がない次男以下でも、宮廷錬金術師の未来が確約されているとなれば、次女以下の嫁ぎ先に恰好だ。
つまり彼らは、うまくやったということだ。地位と、収入と、結婚を得る。その手段としての学問。
彼女が心血を注ぎ、一生を捧げて悔いなき真理の道は、彼らにとって、おおかたそのようなものなのだ。
「術師のローブも、羽織らないで」
哀れむように呟いて、実際、哀れなのは彼女自身の方だった。まだ宴は続くというのに、居所がない。話し相手もいないのに彷徨い歩くのも馬鹿らしいと、壁際に向かったところで、バルコニーの存在に気づいた。
外はもう暗く、人気はなさそうだ。ああ暑いと、手で顔を扇ぐようにしながら、開け放しの夜への扉へ逃げ込んだ。
やはり人気はない。穏やかな夜風があたる。空には星があるが、彼女を慰めたのは、遠くに点々とする街灯りの方だ。オーブから供給される導力の明かり。錬金術の利器。彼女はやっと息をついた。
「やっぱり、一人っきりか。結局、場違いなんだよな」
夜に消えるはずの独り言は、しかし、思わぬ反論に遭った。
「無礼者」
驚いて、声のした方を見る。バルコニーの反対端だ。室内の明かりに照らされて、少女の姿が目に入る。一人きりで、風にあたっていたらしい。
「し、失礼いたしました。誰もいないかと……。ええと、貴女様は、いずこの姫君であられますか」
見たところ、十歳にもならないほどの少女は、さらに腹を立てたようだった。
「この国の姫です。第二皇女リゼ・ヘルエスタです」
アンジュは言葉を失った。王族がぽつんと佇んでいるとは思いもよらなかった。見れば、少女の髪色は銀。窓から漏れる室内光をきらきらと反射する、輝くような色合いは、昼間に見た王妃によく似ている。
違うのは、表情だ。秀麗な眉がつりあがり、高貴というより高慢な印象がある。
「昼間のひとね」
アンジュの胸よりも低い背丈から響く声は、水晶のように澄んでいる。その響きは高貴というより、年齢相応の高慢に聞こえる。
「何か、見せなさい。空を飛べる魔法使いなんでしょう?」
姫様というより、生意気な小娘のようだった。感想は胸中にとどめ、彼女は姿勢を低くして応対せねばならない。
「失礼ですが、皇女殿下。魔法なんかではありませんよ。私のは錬金術です」
「どちらでもいいわ。退屈しているの」
――なんや、この、ぶすくれたガキ。
貴族という種族に対する偏見に新たな裏付けが加わり、アンジュは微笑の口角をひくつかせた。彼女を刺激した義務感は、礼儀や保身ではなく、術理への誇りである。
「よくありません。迷信を否定するところから、近代錬金術は始まったんです。私の発明は空を飛びますけど、あれだって、何も不思議なことは無いんです。
いいですか、人が飛べないのは空気より重いからです。だから、空気より軽い気体を合成して、袋につめれば、浮くのが当たり前です。ああ、つまり、息をうんと吸ったら人でも水に浮けるとの同じで――」
少女の腕が伸びてくる。意外にも、しっかりした肉付きだ。肩膝をついたアンジュの髪に、指が触れる。
「……あの、聞いてますか」
「綺麗な髪ね」
少女は、どこまでも気ままなようだった。叱られることも、挫折することもないのだろう。アンジュは諦めて、苦笑とともに応じた。
そうだ。どうかしていた。相手は、王族でも小娘。適当にあやしてやればいい。
「髪を褒められたのは初めてです」
「どうして? 燃える炎みたい。初めて見るわ」
「それは、そうでしょう。貴族方には、赤毛は忌まれますから」
「そうなの? でも、とても綺麗よ」
毛先を指先で弄ばれながら、アンジュは気分が変わっていくのを感じた。そうなのだ。赤毛は野卑な癇癪もち、女なら性悪というような、どんな学問にも裏付けられない通念さえ持たないなら、この真っ赤な髪だって、きっと美しいはずなのだ。見下され、決めつけられる必要は、本当はないはずなのだ。
この少女は、心のままに話しかけてくれる。馬鹿な学友どもや、見てくれだけの貴顕どもとは、何故だか少し違うらしい。だから彼女の方も、少しは素直に喋ることができた。
「殿下のお髪は、ええと、銀の川のようです」
「変な色でしょう? 陛下も母上も綺麗な銀髪なのに、私だけ水色っぽいの」
そう言って、不満げに髪を撫でて見せる。なるほど明かりを反射して、見ようによっては水色がかって見える、不思議な髪色だった。
「とてもお綺麗です」
「でも、私は嫌い」
アンジュが浮かべた微笑は、もう心からのものだった。
「錬金術をご所望でしたね。あいにく、触媒を少ししか持ってないので、大したことはできませんが」
そう言って、腰の隠しポケットから小型のオーブを一つ取り出し、水色がかった銀髪の少女に示す。すると、興味を示した少女の目が猫のように丸くなった。瞳は紫色なのだと分かった。
「これは……? 何が入っているの」
「オーブといいます。錬金術の発動に使う材料が、触媒っていうんですが、中に入ってます。これは風のオーブだから、水銀です」
「毒じゃないの?」
アンジュは感心する。聞きかじりだとしても、妙なことを知っている姫君がいたものだ。
「ええ、飲んだりしたら。でも、風の元素を引き出すには必要なんです。土、水、風、火の四元素は万物のもと。だから少しの元素でも、周りの物や空気の元素と反応して、大きな力を引き起こします。これを導力といいます。ランプの明かりも、そうですね」
どこまで理解しているか分からないが、少女は熱心に聞いている。
「でも、術師が使うなら、ランプみたいな機械は要らないんです。術式で直接、操作すれば――」
オーブの口を緩め、指先に意識を集中する。思い描く形は、少女の喜びそうなもの。その思念がオーブに伝わり、触媒を元素に変換し、さらに運動を与える。オーブの輪が輝き、複雑な文様を描いて光る丸い錬成陣が宙に浮かぶ。
一瞬後、陣が消えると同時に、オーブの上に淡い緑の灯火があらわれた。灯火はたちまち変形し、うっすらと輝く蝶の形になる。
この上なく高貴な少女が息を呑み、緊張と感動に包まれているのが分かる。アンジュは気をよくし、さらに思念を送った。
すると、輝く蝶は羽を動かしはじめ、やがて、ふわりと浮かび上がる。二人のまわりを踊るように舞う。
「すごい、すごい……!」
少女は自分もくるくると回転しながら、笑顔をほとばしらせている。蝶は上昇し、やがて宙に溶けるように消えた。オーブが取り出した風の元素が、周囲の空気と結合したのだ。少女の興奮はまだ続いている。
「凄かった。やっぱり魔法みたい」
アンジュは肩をすくめて返す。
「簡単な錬金術です。魔法なんて迷信ですよ」
「でも、賢者は魔法を使ったわ」
「建国神話の? ただのお話ですよ」
「本当よ! 古文書に書いてあったもの」
ああ、そうか――と、迂闊にも思い出す。この少女は王族。となれば先祖は、伝説の勇者というわけだ。およそ千年前、聖剣を振るい、賢者を従える勇者が、自らの命と引き換えに国の危機を救ったという。その子孫がヘルエスタ王家だと言われている。
皇女は、熱心に続けた。
「賢者は魔法の力で勇者を、初代王を助けたの。魔法で海を割って道を作ることも、炎の鳥を呼ぶこともできた」
少女は、まともに信じているようだった。けれど、それは神話、お伽話。王家の権威を高め、統治を正当化するために後で作られた物語だと、教育を受けた人間なら誰もが知っている。
「じゃあ、きっと賢者も錬金術師だったんでしょう」
「あなたも海を割れる? 炎の鳥を呼べる?」
「さすがに海は無理ですよ。火の錬金術ならできますけど」
「できるの!?」
「苦手なんですけど、さっきみたいな小技でよかったら。でも今日は、火のオーブを持ってないんです」
「さっきのとは違うの?」
「中の触媒が違うんです。精製した硫黄でないと」
「じゃあ、また今度。あなたの魔法をもっと見せなさい」
「いや、だから魔法じゃ、なくてですね」
「次は、いつ来てくれるの。あした?」
紫の瞳が、射抜くような光でアンジュを見た。次。我ながら、馬鹿なことを言ってしまったと、彼女は悔いた。小さな子をからかうものではない。
「無理ですよ。私は平民で、王城になんて入れやしません」
「そうなの? 入れないの?」
驚きに目を見張る少女は、世間のことは何もしらないようだった。本来、少女のような王族はもとより、その側に仕える貴族とさえ、アンジュが同席することはありえない。彼女は笑って誤魔化すことにした。
「そうです。怖い衛兵に逮捕されちゃいますよ。きっと酷い目にあわされる」
だから、手品はここまで。後は宮廷の錬金術師にでも――と、アンジュは続けるつもりだった。
「私と一緒なのね」
何事かを理解したように言う少女に、仔細を尋ねずにはいられなかった。
「殿下と、ですか?」
何不自由なく、こんな王城で暮らしている、至上の姫君ではないか。しかし、この国で最も恵まれているはずの少女は言った。
「私は、出られないの。城の外には」
「皇女殿下ともあれば、そう気軽には出られませんね」
きっと、この少女が外出する度、護衛だ、先ぶれだと、大人数が動くのだろう。
「王宮はお嫌いですか?」
「そういうことじゃないの。貴女は好きで学院に行ってるんでしょう」
「それは――」
そのはずだ。入学した時には、そうだったはずだ。王国の最高学府に入り、実力を示せば、人生が変わると思っていた。それが、賢い自分に相応しい道なのだと。
「――まあ、そうですね」
「だから、嫌になることはないの?」
「……ああ、もちろん」
嫌なことばかりだ。どんなに頑張っても、生まれと育ちからは逃げられないと、思い知らされてばかりだ。
「そんな時は何を?」
「気晴らしに、街をぶらついたり――ああ、それが。でも、皇女様もお出かけはなさるでしょう? ほら、お供をたくさん連れたりして」
「訓練なら。行軍とかの」
「軍!?」
見目麗しい少女に似合わぬ言葉に、アンジュの明敏な頭脳が窮する。そして思い出す。
「ええと、武技の鍛錬もなされるという、お噂は。そういうのの他には? お買い物……は、なさらないでしょうけど、物見遊山とか」
「何も」
「何も?」
「王位に相応しい、文武両道の皇女になるまでは」
そう言って、皇女は手の平を開いてみせた。小さな手だった。少女にしても、小さな。その手の平は痛み、四指の付け根にタコができている。これが剣ダコというのだと、本で読んだことはある。
ヘルエスタ王は勇者の正統、王国第一の戦士の称号を帯びる。王位継承は、男女長幼を問わず、最も優れた者が選ばれる。女王が立ったこともある。だから王族たる者は男女を問わず、文武の道を究めるという。
それを真に受けたことはなかったが――しかし、十にもならない女の子に。外にも出られない?
混乱するアンジュに向けて、少女は押し殺すような声で言った。
「羨ましい。好きな学校に行って、外に出られて、凄い物をつくって、ちゃんと褒めてもらえる……」
天才と呼ばれ、賞賛され、その十倍ほどの嫉妬に苦しめられている娘は、自分よりずっと小さく、ずっと恵まれている少女の瞳に、渇望の色を見た。
覚えがある。瞳の色は違っても、よく知っている。鏡の中に見ることがあるから。
――ああ、よせ。馬鹿なこと、考えるな。いや、でも。お姫様だからって、こんな子が。可哀そうに。でも。ええい、言ってしまえ。
「殿下、お住まいは、王城のどの辺りです?」
(次話「ひよこは空に夢を見る①」に続く)
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