賢者アンジュ・カトリーナの試練   作:芝三十郎

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#3BK_IF、Page of Lambdaのアンジュ視点ノベライズ。 第一部「出会い編」最終話。アンジュと城を抜け出したリゼは、飛行船で空を飛び、広い世界とそれぞれの未来に思いを馳せる。


ひよこは空に夢を見る②

 世界にただ一隻の飛行船が、皇女と錬金術師を乗せ、夜明け前の空をゆっくりと上昇していく。

 

「と、飛んでる。本当に」

 

 籠の木枠を握る、少女の小さな手はまだ震えている。人が空を飛ぶという、新奇な体験の渦中にしては、むしろ勇敢なほどの反応だと、アンジュは感心した。

 

「もう少し高度を上げて、湖の上に行きますね。王都の上じゃ、目立ちますから」

 

 アンジュの飛行船の一大特徴は、高度の調整と操船を可能にしたところだった。熱気球は昔から知られているが、浮遊時間が短く、自由な操船が効かない。そこで、空気を加熱する代わりに、火と風のオーブから合成した燃素で球皮を満たし、風を漕ぐ転輪をつけたのだ。

 

 燃素と導力はオーブ機関で生成できるが、正しく動作させるには細かな制御が欠かせない。その上、飛行体の操縦という、まだ体系化されていない技量が要る。開発者であるアンジュは両方を楽々とこなし、リゼに話しかける余裕まである。

 

「船酔いしたりしてませんか?」

 

「大丈夫。船は嫌いだけど、これは好き」

 

 リゼは目を輝かせている。東の地平線が白み、景色が見え始めたためだろう。

 

 見下ろせば、ヘルエスタ城はもうくすんだ四角形にしか見えない。その西には色とりどりの屋根と石畳の市街地が広がる。さらに西は森となり、霊山フジの麓まで続いている。ヘルエスタ人にとって最大の信仰対象である秀峰が、闇の中から徐々に姿をあらわしていく。

 

「毎朝、遥拝してるけど、こんな風に見るのは初めて!」

 

 リゼの興奮した声に安心し、アンジュは東方に目を転じた。

 

「マナの水海も綺麗ですよ。きらきら光ってます」

 

 ヘルエスタの水がめ、聖なる湖は、朝日に輝く鏡面のようだった。そこから水路が引かれ、まだ青い小麦畑を潤している。穀倉地帯は東の地平線まで続いている。点々とあがる白煙は、パンを焼いているのだろう。

 

「すごい。すごく綺麗。街も、山も、水海も、ぜんぶ――」

 

 はるか北には外海、南にはフジの海がかすかに見える。広大な王国の全土を望むとまではいかないが、それに等しい気分だった。鳥ならぬ人の身でこの景色を観た者は、今のところ世界で彼女ら二人しかいない。

 

「綺麗……綺麗な国なのね。ヘルエスタは。私の国は」

 

 幼い皇女の言葉に、感動だけではない何かがあると、アンジュは感じた。優秀と認められれば、いずれ王位を継ぐかもしれない第二皇女の身の上となれば、同じ景色を観ても、感じるものが違うのだろう。

 

「殿下は、なりたいんですね。女王に」

 

「ううん、なるの。ならなきゃいけないの」

 

「どうして?」と尋ねて、無礼なことをしたと悔いる。だが、一転して思いつめた表情の皇女は、気にしていないようだった。

 

「どうしても。そうでなきゃ、駄目だから」

 

 生まれながらに国を背負う人生がどんなものか、アンジュには想像ができない。少なくとも、物語に出て来るお姫様の華やかさからは、遠いものであるらしい。

 

「殿下、あの時、バルコニーでいたのって……」

 

 ちやほやとされるどころか、この子は一人きりだった。その姿に、佇まいに、アンジュは覚えがある気がしたのだ。皇女の答えは、彼女の想像の通りだった。

 

「あなたの言った通り。私、場違いなの。なに話していいか、分からないから」

 

「あれは、私、自分に言ってたんですよ」

 

 この国で最高の身分に生まれた皇女様と、田舎娘の自分。似通っていると思ったのは、錯覚ではなかったらしい。

 

「子どもの頃は――」と、十歳になるやならずやという皇女は、早熟な口ぶりで言った。

 

「みんな、私を褒めてくれてると思ってた。でも違った。第二皇女にお世辞を言ってるだけだったの。いつか王位を継ぐかもしれないから」

 

 アンジュには、無言で頷くことしかできない。慰めに否定すれば嘘になる。

 

「だから、あなたは凄いわ。自分の力だけで、人から本当に褒められているんだもの」

 

「嫌われてもいますよ。妬まれたりも」

 

「羨ましい」

 

 自分の胸にも届かない少女に、アンジュは慰めてもらったような気がした。

 

「あなたは、どこで生まれたの?」

 

 アンジュは北に見える山脈を指さした。

 

「あの山の奥の方です。小さい村で……炭焼きと、木こりばっかりの」

 

「遠いところから来たのね。どうして?」

 

 アンジュは苦笑した。あんな遠くで、田舎娘に生まれて。勉強が得意で。鼻高々で、都の学院に入った。そして自分の思い違いに気づいた。それでも意地だけで耐えて、学院首席。

 

「……勉強が人より上手くやれたから、ですかね。最初は。その後は、意地というか」

 

「一番になりたいんだ」

 

「いいえ――」

 

 負けないため。自分を見下す嫌な奴らを、馬鹿だと見下し返すため。

 

 違う。最初はそうではなかった。もっと単純なことだった。

 

「分からないものを、分かるようになるのが好きなんです。世界をもっと知りたいって、たぶん、それが理由です」

 

「世界を」と繰り返した皇女は、再び遠くに目をやった。

 

「こんなに広いのに、私は何も知らない」

 

「それに気づくのが、知るってことの最初の一歩だって言いますよ」

 

「行ってみたいな。色々なところへ。今は無理だけど」

 

「ええ、いつか、きっと」

 

 彼女の方を振り返り、元気よく頷いた皇女の目には、希望があった。

 

「じゃあ、なってね。宮廷錬金術師に。そしたら一緒に行ける」

 

「……いいですよ。殿下のお望みとあれば」

 

 その一言で、投げ出すわけにいかなくなった。あと一年頑張って、このまま首席で卒業する。そして王城にあがるのだ。

 

 錬金寮の術師たちは、みんな貴族の子女。今と同じだ。宮廷がどんなところかも、少しだけ見た。平民の自分は、やはり相手にされないだろう。

 

 それでも、知ったことか。実力を見せて、無視できなくさせてやる。そうしたら、きっと嫉妬を買うだろう。構うもんか、今でもそうだ。ものの違いを思い知らせて、みんな黙らせてやればいい。

 

 私には、できるはずだ。やってやろうじゃないか。華やかで、誰もが憧れる王城で、居心地悪く一人ぼっちでいる娘が、私一人じゃないのなら。

 

「そういえば、炎の鳥をご所望でしたね。破局の到来を、勇者に教えたっていう」

 

 隠しポケットから別の小型オーブをとりだす。

 

「火のオーブです。触媒は硫黄を使います。こんな少しでも、精製するのは大変なんですよ? 毒気もでるし。さて、殿下。御覧あれ」

 

――せっかくなら、派手にやれ。錬金術を見世物にするのは大嫌いだけど、この子が喜んでくれるなら。

 

 奇術師か大道芸人のような気分になって、アンジュは大仰にオーブを掲げてみせる。小さな錬成陣が一瞬だけ発光し、赤色の粉が宙に浮かんでいく。やがて赤光の線となる。

 

 アンジュが指を宙に走らせて思念を送ると、その構成に従って、赤光は立体の鳥の絵を描いた。

 

「炎の鳥……本当に伝説の……」

 

「錬金術の目くらましです。お伽話とは違いますよ」

 

 現れた炎の鳥は、啼くようにクチバシを掲げると、両の翼を広げた。そのまま翼を羽ばたかせ、地平線の彼方を目指すように飛び、朝焼けの中へと消えていった。

 

「こんなこともできるなんて。天才って、本当なのね」

 

「師匠に言わせると、私なんて、まだまだヒヨッコだそうですよ」

 

「ひよこ?」

 

 リゼはくすりと笑った。何かを思い出したらしい。そういえば、王家には妙な生物が仕えているのだと、アンジュは思い出した。

 

「ああ、お城の侍従さんも、ひよこでしたね。侍従長の鶏には会いました」

 

「ううん、私も、そうだなって思ったの。勇者みたいにならなきゃいけないのに、何にもできない」

 

「これからですよ」

 

「そうね。世界は広いんだ……」

 

 リゼは、再び彼方へと目をやった。アンジュもそれに倣う。空も、野も、どこまでも続いている。地平線からすっかり顔を出した朝日が、東ヘルエスタの沃野を照らしている。

 

 潮時だと、アンジュは告げた。

 

「今日はここまでです。もう戻らないと」

 

「もう?」

 

「バレたら大騒ぎです。私、逮捕されちゃいますよ」

 

 冗談めかしたが、決して冗談ではない。リゼは素直に頷いた、この僅かな時間のためにアンジュがどれほどの危険を冒しているか、朧気でも理解しているようだった。

 

 アンジュは機関部のオーブに手をあて、進路と出力を操作する。左右の転輪が向きを変え、船はゆっくりと旋回していった。彼女らの視界に、再びヘルエスタ城が映る。

 

「また会える?」

 

「ええ、きっと」

 

 飛行船は緩やかに高度を下げていく。徐々に大きくなる城館を見下ろすリゼの目に、涙が溜まっていくのに気づいた。

 

 この皇女が高貴な雛鳥だとするなら、あの壮麗な建物、誰もが憧れる王城は、無慈悲な鳥籠だ。そうと気づいても、アンジュは少女を帰さねばならない。

 

「殿下……」

 

 皇女は急いで目を拭ってから振り向いた。気丈で、勇敢で、今にも消えてしまいそうだった。

 

 どうして、そうしたのかは分からない。どちらから歩み寄ったのかも。

 

 アンジュが気づいた時、幼い皇女は彼女の腕の中にいた。華奢な胸に顔を埋め、声を立てず、僅かに震えていた。その背中を撫でるうちに、飛行船は高度を更にさげて、皇女の私室の窓へ辿り着いた。

 

 開いた窓枠に手を伸ばせば届く距離で、飛行船は静止した。皇女は無言で離れた。アンジュの胸元は少し濡れていたが、リゼの表情は溌剌としていた。アンジュは安堵して、綱を天窓に投げ入れ、室内へと垂らした。

 

「それじゃ、お気をつけて。ここで失礼いたします」

 

「今日は、本当にありがとう。さようなら、アンジュ」

 

「さようなら、皇女殿下」

 

「リゼよ」

 

「さようなら、リゼ様。また、いつか」

 

「うん、きっとね、アンジュ!」

 

 いつか、きっと――そう胸の中で唱えながら、アンジュはリゼを見送った。皇女は跳ぶように窓枠へ移り、その姿を消した。アンジュは重みが消えた綱を巻き取ると、機関の出力を上げた。

 

 勢いを増した転輪が風を漕ぎ、速度を上げていく。朝の心地よい冷気が全身を撫でる。

 

 胸元には、まだ温もりが残っている気がする。空の色は、紫から白、覚めるような青へ変じていく。今日は快晴になるだろう。

 

 もう、あまり時間がない。学院に近づいたら低空に降り、朝の集合までに飛行船を隠さなければ。朝食は食べそびれることになりそうだ。その後は、授業を受ける。いつものように。今日も嫌なことがあるだろう。

 

 まあ、いいさ。

 

 今は戻ろう。つまらない毎日が、未来に繋がっているというなら。

 

「宮廷錬金術師アンジュ、か」

 

 進んだ先で、あの子が待っているというなら。

 

 鬱蒼とした木々の合間に向けて降下し、飛行船はその姿を隠した。

 

 朝を告げる鐘の音が聞こえる。学寮からぼつぼつと人影があらわれ、食堂へ、学舎へ向かう人波ができる。その中に、燃え立つような赤い髪がまぎれている。

 

 ままならぬ日常が再開した。昨日までに比べると、くすんだ石壁も、狭苦しい教室も、窓から眺める庭の木々や、空の色合いですら、少しだけ彩りを増したようだった。

 

 

 

(第一部 出会い編 了

 第二部 旅立ち編 「限界錬金術師アンジュ」に続く)




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