スリー・ハート・プロブレム   作:水里露草

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上:Invisible

 

きれいだなぁ

 

だいっきらい

 

 

 

 

 

 

 斜め上を仰ぎ見る角度付きの椅子はホテルのそれみたいにふかふかで、放課後にプラネタリウムを味わうにはちょっぴり眠たいくらいの座り心地だった。

 座ってるのか浮いてるのかもあやふやな感覚のまま、丸い天井いっぱいに映し出された星を眺める。スクリーンに投影してるだけの画像的な夜空は、学校の帰り道に見上げてもわかりっこないような小さい星まで明るく映し出してて、なんだか、そう、嘘っぽい。

 秋の四辺形がどうこう、フォーマルハウトがなんとか、言葉は壮大なのに事務的で白ける語り口の解説は、右から左へ通り過ぎてくばっかり。

 なんとなく天井の端へ目を向けた。ちょうこくしつ座……彫刻室? え、どこが? 結ばれた線をどう見ても彫刻室って感じしないんだけど。しかも実際の空だったら補助線引かれてないんだよね? えー……?

 

(想像力豊かだなー、昔の人って)

 

 SNSもなかった時代なのにね。点を結んで見立てただけのものがどうして今日まで伝わってるんだろ。

 当時は誰の目にも明らかだったのかな。狭い世界で、同じものを見ても思い浮かぶ選択肢が少なかったとか?

 それか、伝えた人がすごかったか。この人が言うなら間違いない、って誰もが思っちゃうようなカリスマ性がある人が言い出したなら、うん。わかるかも。

 冷めたことばっかり考えちゃうな。雨で天体観測の予定潰れちゃったせい? 学校に先週から宿泊届出してたのに、今日になって雨でーす、っていうのはあんまりでしょ。

 観るはずだったイメージの中の星空が期待を吸い込んでどこまでも綺麗になっていくから、落差でガッカリしてるのかも。これだ、きっと。

 

(……まあ、でも)

 

 隣に視線を転がす。さらりと涼やかなセミショートの女の子が、プラネタリウムの偽物どころかホントの星空にも負けないくらいキラキラした目で天球を眺めている。

 爛々とした輝きに反比例して表情はリラックスしきってて、半開きの口からは感動とか、恍惚とか、開きっぱなしの心の栓が色付けるままに溜め息が漏れてた。

 

(ともり)ちゃんが楽しいなら、いっか)

 

 なんだかんだ雨の日の二回に一回は来てるから、私はいい加減慣れを通り越してちょっと飽きてきたんだけど……よっぽど星が好きなんだなぁ。そうじゃなきゃ天文部なんて入らないか。

 ……や、どうだろ。別に星が好きじゃなくても天文部に入ることは全然ありそう。そもそも私がそうだし──

 

(おぉ、祥子(さきこ)ちゃんも目がキラキラしてる)

 

 逆隣に目を向ける。ロングヘアの両端にリボンを結んだ上品な女の子が、顔いっぱいに湛えた感動と喜びを照り返してた。

 燈ちゃんの瞳とはまた違う静けさに満ちた光を帯びてる気がした。解説と一緒に映し出される星が変わると睫毛が揺れて、目を見開いて、だけど唇はきゅっと引き締めたままで。湖面の月が揺れてるみたい。

 

(ちょっと泣きそうになってない? めちゃくちゃこらえてるじゃん。そんなに?)

 

 プラネタリウムでそこまで感動できる感受性はちょっと羨ましい。

 私も別に嫌いじゃないけど、華やかさとかSNS映えとか、イマドキさに惹かれてるだけ。偽物をそうと分かって眺めても、ふーん、って思うだけ。

 綺麗だよね。

 そういう風に作ってるんだし。

 

「……はぁ」

 

 据わりの悪い眼鏡を外した。ボヤけてちゃんと見えない方が却って綺麗に感じちゃうのは、余計なものが目に映らないから、かな。

 

(ヤダな、こんな冷めた私)

 

 天球を模したドームに響く解説によると、十月の今でもまだ夏の大三角は見えるらしい。ちょっと興味が湧いて、だけどすぐに霧散する。

 

(どうせ雨だし、今日は探せないじゃんね)

 

 掛け直す。

 誇張された光にネームタグを付けた無粋な星空をぼーっと眺める。

 ホンモノもこうだったらいいのに。

 どれが何座で、何等星の何で、どの方角で、いつ見えるのが正しいよって。

 大事なこと、ぜんぶ書いといてくれたらいいのに。

 そしたらきっと、逃げないで済んだのに。

 

 

 

「燈、燈! 明日は夏の大三角を見たいですわ!」

「……見えるかな。22時くらいなら西北西に見える、はず、なんだけど。はっきり見るには街明かりが」

「む……じゃあ宿泊届を出しませんと……でもそうすると受理を待って数日はお預けですわね」

「じゃあうちでする? お泊まり会しよ!」

 

 上映が終わって外へ向かう途中、祥子ちゃんにそんな提案をした。悩ましげだった顔をぱっと明るくして「いいですわね!」と手を合わせる。いかにも上流階級! って感じの垢抜けた雰囲気なのに、こういうとこは子供っぽくて可愛い。

 一方、いつも通りぽわっとした表情の燈ちゃんは、話す私たちを交互に眺めていたかと思うと「ぁ……」と声を漏らした。躊躇う彼女に、優しく、なるべく普段通りの調子のまま尋ねる。

 

「どしたの? 燈ちゃん」

「……ぼ、望遠鏡、持ってってもいい……?」

「あれって持ち運べるの……? や、ぜんぜんオッケーなんだけど」

 

 前に遊びに行ったとき部屋に置いてあったやつだよね、たぶん。あれすごい本格的なのじゃなかった……?

 

「観測スポットへ持っていくものですもの、ちゃんと持ち運べますわよ」

「へー、でも言われてみればそりゃそっか。……お?」

 

 出口まで来て外を覗いてみると、雨は随分と小降りになっていた。燈ちゃんがほっとした顔をする。

 

「これなら帰れる……」

「……愛音(あのん)、じゃんけんしますわよ」

「勝ったほうがまた燈ちゃんと相合傘ね。さーいしょーはグー! じゃーんけーん」

「えっ、え、えっ……!?」

 

 来るときもそうだったじゃん。朝降ってなかったからって傘忘れた燈ちゃんが悪いんだからね……。

「ぽん!」と手を出し合う……ふっ。出したチョキをすーっと顔まで持ち上げて見せびらかすと、祥子ちゃんの顔がみるみる悔しげに歪んでいった。

 

「くっ……」

「へへーん、私の勝ちー。おいで~燈ちゃん」

「独りの傘は広いですわ……」

「て、適切だと思う」

「燈!?」

 

 傘を開く。ばん、ばん、って、爆ぜるような鈍い音。

 やっぱり雨の日は傘を差す方が性に合ってるな、なんて考えちゃって自嘲する。一瞬イギリスにいただけで、しかもそのうち半分くらいは寮に閉じこもってたくせに。

 

 ──逃げてばっかりの人生だった。

 

 できもしないことをできるって言って、つらくない程度に上っ面だけ頑張ってた。大袈裟な目標を掲げて、すごい、さすが、って持ち上げられるのが気持ちよかった。本当に努力したことなんて一度もなかった。

 成績だけは良かったから、調子付いた私は留学するー、なんて言い出した。行き先はイギリス。パパとママも甘いから許してくれた。卒業して、なんとかなるでしょ、って楽観的に半年準備して、一ヶ月もしないうちに逃げ帰った。

 初めての挫折らしい挫折で、恥ずかしくて情けなくて人生最悪の気分だった。大見得切って出てきたくせに出戻りしちゃって、元クラスメイトに会ったりしたらヤダなーって考えてたら。

 

『あれ、千早(ちはや)?』

 

 なんにも考えられなくなった。

 走って逃げ帰った。空港の近くに住んでるわけじゃないからどこかで親の車に拾ってもらったはずだけど、覚えてない。

 それで──

 

「ね、部室寄ってかない?」

「そうですわね……ええ、最終下校時刻までお茶でも」

「さきちゃん……今日は、いいの……?」

「ええ! もう無理にアルバイトをする理由もありませんもの」

「……バイト? 祥子ちゃんバイトしてたんだ」

「え? 去年の……あぁ」

 

 祥子ちゃんがはにかみ笑いをした。

 

「あの頃はまだ、愛音と出会っていませんでしたのね……なんだか昔から友人のような気でいましたわ」

「……そうだよー? 私がふたりと仲良くなったの、進級してからなんだから」

 

 ──それで。

 羽丘女子学園に転入して。

 春になって。

 居場所を見つけたんだ。

 

「そろそろ半年、早いものですわね」

「ね、私も中等部から友達だった気分」

 

 隣でこくこく頷いてくれる燈ちゃんの頭をわしゃわしゃ撫で回した。「ぅぁぅぁぅぁ……」「なになに、かわいいぞーっ」鳴き声はあげても無抵抗なのがほんとに可愛い。クラスのマスコットになるのも今ならわかる。

 

「……もう、増やすまいと。思っておりましたのに」

 

 雨を隔てて、小さく落ちる声がした。

 ……祥子ちゃんはときどき、優しく、だけど遠い目をする。

 

「ん? んんー? どう、羨ましいー?」

「……ええまったく! ズルいですわよ愛音ばかり! (わたくし)だって燈をもっと可愛がりたいですのに!」

「わっ、ちょ、結局三人入り!? 狭いからもうやめよっかって言ったじゃん!」

「いいじゃありませんの! 雨もほとんど上がっておりますもの、大して濡れませんわ!」

「狭いんだってば! スキンシップ大好きすぎない!?」

「さ、さきちゃん……!」

「お、そうだ燈ちゃんいけっ、言ってやれっ」

「……く、くっついてないと、肌寒い、から……もっと……」

「燈ちゃん!?」

 

 傘を押しのけ合ってわちゃわちゃしながら学校へ戻る道すがら、同じ制服の子たちと何度かすれ違った。たまに不思議そうな顔をされていたのは察してる。なんか押しくらまんじゅうしてるのがいるなー、ってだけじゃないよね、たぶん。

 

「ねえねえ。なんかさ、忘れ物取りに来たのかなー、とか思われてそうじゃない?」

「……?」

「ヘンな時間でしょ? 学校に戻るにはさ」

「あぁ……確かに。花の女子高生が放課後に集まる場所と言ったら、そう、カラオケやファミレスですものね」

「知ったようなこと言うー」

「も、もう知っていますわ!」

「ふふ……」

「燈っ、笑いましたわね!?」

 

 校門まで来ると逆に誰とも会わなくなった。それでもずっとはしゃいでたから、なんか世界に三人だけみたいな気分だ。

 傘を下駄箱に置いて、この半年で歩き慣れた特別教室棟を上がっていく。運動部の声もどこか遠い、隅っこの隅っこにあるのが天文部室だった。

 

「ただいまー」

「……た、ただいま」

「ただいま帰りましたわ……で、よろしいですの?」

「やー、なんとなくね。ふふ、ルームシェアしてるみたい」

 

 とてとてと隅へ向かって本棚の上に鞄を置いた燈ちゃんが何度か几帳面に置き直すのを待ちながら、祥子ちゃんのからかうような笑みに答えた。

 実際、あんまり間違いじゃない。

 元々は去年燈ちゃんたちと入れ替わりで卒業してった先輩(私も知ってる現役アイドル。すご!)がひとりで使ってたみたいで、いろんな本とかポスターとかよくわかんないガラクタとかがごちゃごちゃしてたらしいけど……祥子ちゃんが入ってから、かなり整理したんだって。

 溢れてた本は最低限を残して図書室へ寄贈。窓際の本棚の上はクロスを敷いて、天球儀と一緒に鞄を置くスペースに。

 教室の中央は大きく空けてホワイトボードを引っ張り出してあった。祥子ちゃんのきれーな字で書かれた今月の活動予定を、私のラクガキが賑やかにデコってる。自信作。

 窓の前から部屋の角へカギカッコみたいに並べたふたつの長机には日誌を書くための作業場と、小学校でよく見かけたような写真付きのたくさんの学習帳が並んでる。壁に掛かったコルクボードや石がいろいろ収められた小棚ともども燈ちゃんの私物らしい。

 それから……なんか、何? 小さな鍵盤とノートパソコンと、もういっこパソコン? 画面? も置いてある。こっちは祥子ちゃんのだ。なんか色々表示されてるのを見たことあるけどさっぱりわかんなかったなぁ。

 あと、ソファ。カギカッコの短い方にくっつけて置いてあるこれは、ちょっと古いんだけどイイ感じにふかふかだ。ローテーブルも置いてあるからお菓子も食べられる。

 

「私もなんか持って来よっかな」

「愛音は身軽ですわよね」

「んー、スマホとタブレットあれば困んないんだよね。家でする趣味とか……うん、別にないし」

 

 ホントは、ある。っていうか、あった。過去形。

 頑張れないでいい加減に投げ出しちゃった自分が情けなくて向き合えないまま、かと言ってお金も掛かったから手放せもしないでしまい込んでるものが、ひとつだけあった。

 けど。

 

「ここには持ってこなくていーや。みんなで買ったティーカップがあればじゅーぶん」

「可愛いこと仰いますわねぇ……」

「しみじみ言うのなんか恥ずかしいから禁止!」

 

 ぺしっ、とオデコにチョップを乗せてやると小さく「あぅ……」と鳴き声をあげた。なんでこのふたりはちょこちょこ小動物になるんだろ。可愛く作った感じがしないのがズルい。

 

「……」

「あ、バッチリな感じ? 横置いてもいい?」

「う、うん……もらいます」

「ありがとーございます」

 

 お辞儀しながら鞄を渡した。祥子ちゃんからも鞄を貰って横流しすると燈ちゃんは小さく鼻息を吐いて、とっても丁寧に揃えながら横に並べた。うーん満足げ。よかったよかった。

 

「では、少々お待ち下さい」

 

 珍しくお嬢様言葉じゃない敬語でそう言って離れていく祥子ちゃん。鼻唄歌いながら紅茶淹れるのオシャレでいいなー。いや、買い置きのミネラルウォーター抱えて電気ポットに注いでるのにオシャレも何もないはずなんだけど。なんでだろ? ……私がやったらサマになんないだろうから、雰囲気か。お嬢様な風貌した子の特権だ。

 私はスマホを触りながらソファに沈み込んでプレイリストを再生した。適当なクラシック。

 燈ちゃんも隣にやってきてぴったりくっついて座るけど、テーブルの上に置かれたスマホを覗かないように姿勢を正すから「別にいいよ」と許した。ちらりと画面を見て、不思議そうに目を合わせてくる。

 

「……なんて曲?」

「さあ?」

 

 音楽は詳しくな──ううん、ぜんぜんわかんないし。

 画面には『G.Holst: The Planet Op.32』──ホルスト、惑星?

 あんまり午後のティータイムに相応しくない勇ましくて緊迫感あるリズムにふたりで首を傾げていると、茶葉を蒸らしていた祥子ちゃんがくすくす笑った。

 

「面白い選曲だと思いましたのに」

「え、そうなの?」

「イギリスの作曲家グスターヴ・ホルストの『火星』。有名な組曲『惑星』の一曲目ですわね」

「なんだっけそれ」

「『木星』ならご存知ではありませんこと?」

「あー……あれかぁ」

 

 イギリスにいたとき、なんかみんなで歌おうみたいな会があって、『木星』のメロディで歌わされた覚えがある。そっか、あの曲の仲間なんだ。

 私の渋い反応にいまいちピンと来てないと思ったのか、「惑星ひとつひとつがモチーフですもの、違った雰囲気のものだってございますわよ」と祥子ちゃんの講釈が始まった。

 

「地球と、当時は発見されていなかった冥王星を除いた七つの惑星をモチーフに描かれた作品ですわね」

「え、なんで地球ないの?」

「タイトルこそ『惑星』ですが、もともとは占星術……つまり星占いの役割としての惑星が主題だからですわね。地球から見上げた惑星たちだから、この中に含まれておりませんのよ」

「なんか詳しくない?」

「天文部ですもの」

 

 燈ちゃんが小さく「えっ」って言った。知らないみたい。

 

「ふたりとも、砂糖は」

「お任せー」

「ぉ、おまかせー……」

「ふふ、かしこまりましたわ。……この曲を作るにあたって、ホルストは占星術における惑星とローマ神話の神々の対応について学んだそうですわね。英名にも表れておりますでしょう? 水星のマーキュリーはメルクリウス、金星のヴィーナスはウェヌスで土星のサターンはサートゥルヌス」

 

 紅茶を淹れながら諳んじる祥子ちゃんが本当に詳しくてちょっとびっくりしてる私がいた。神話とか好きなんだなぁ、意外かも。燈ちゃんも興味深そうにふんふん頷いてるし天文部ってそういうものなのかな。

 

「そして火星、マーズ。これは戦いの神であるマールスが由来ですわ。その名を冠するホルストの『火星』にも『戦争をもたらすもの』という副題がついておりますのよ。いかにも、でございましょう?」

「確かに。勇ましいし、最初の不穏なとこからだんだんド派手になってきたし……でも、そんな面白い選曲かなぁ」

「愛音なら一番有名な『木星』を選びそうな気がしますもの。J-POPに合唱に、イギリスでは賛美歌となって愛国歌として使われていたりもしますわ。どこかで聞いて、クラシック由来ならお茶会で流せる、と思いそうではありませんか?」

「…………」

 

 否定はしない。イギリスで歌ってなければ聞いたことある! ってノリノリで流してたに違いない。

 

「それに、敢えて『惑星』の一曲目、というのも良いですわね。ある程度飲み進めて、話の弾む頃には『木星』が流れていそうですもの」

「あー、盛り上がってきたとこで良い感じのが来るわけね。そう言われると、私ファインプレーかなって気もしてくるかも!」

「調子がいいですわね……」

 

 流れるクラシックはそのまま、副題に興味が湧いたからスマホで調べることにした。へー、本当に全部についてるんだ。

 

「愛音、紅茶が入りましたわよ……愛音?」

「……ぁ、あのちゃん。紅茶……」

「んー」

 

 火星は聞いたっけ。金星が『平和をもたらす者(the Bringer of Peace)』で、水星が『翼持つ使者(The Winged Messenger)』、木星は──ん?

 

「愛音、愛音! まったくもう」

「へっ? あーごめんごめん、ありがと。燈ちゃんもごめんね」

 

 スルーしちゃってた。しょんぼりしてる燈ちゃんの耳元をくすぐるみたいにわしゃわしゃ撫でながら「ねえ、祥子ちゃん英語得意?」と尋ねた。彼女はソファの前のローテーブルにすっとしゃがんでお盆を置くと、片膝のまま首を傾げる。

 

「学業に差し障り無い程度ですが……なんですの?」

「『Jollity』って『快楽』じゃなくない?」

「あぁ……『the Bringer of Jollity』のことですわね」

「それ!」

「んむっ……」

 

 勢いで燈ちゃんをきゅっと抱き寄せると「こら」とお叱りを受けた。あったかい。私は咳払いした。

 

「もっと陽気とか明るいというか、カラッとしてる感じでしょこの単語。あの曲で『快楽』ならEuphoriaの方が近いイメージっていうか」

「よく即座に思いつきますわね……」

 

 怪訝そうな呟きに「勉強は得意だもん」と言い訳すると、別にそこまで深く考えてるわけでもなかったみたいで「ええ、私も同じことを考えておりましたの」と流された。立ち上がって、ホワイトボードの前までつかつか歩いていく。

 

「そもそも!」

 

 うーん、「進軍!」みたいな感じ? ばっと手を向けながら振り返る。

 

「ジュピターはローマ神話の主神ユピテルから転じたもの、この美しく壮大な旋律を指す副題が『快楽』では格落ちでしてよ」

「すっごい食いつくじゃん……え、じゃあなんか翻案ある?」

「ずばり、『祝福をもたらす者』ですわ!」

「……うーんと、その心は?」

「誰かの幸福を喜び祝うときは、陽気で浮足立つような心地になるものでしょう?」

「おぉー……」

 

 燈ちゃんを解放して拍手すると彼女も倣ってパチパチした。祥子ちゃんはふふんと得意げに胸を張り、それから照れくさそうに微笑んだ。

 

「気づけたのは、ごく最近でしてよ」

「ふーん……」

「……?」

 

 私たちに見つめられて、拍手しっぱなしの燈ちゃんが小首を傾げていた。

 ……ちょっと。ちょっとだけ、面白くない。

 私は結局のところ、仲良しのふたりに後から割り込んだ身なんだよね。別に、それで疎まれてたりは、うん、きっとしない、はず、しないよね? しないと思うんだけど。

 だけどこうして私にはない積み重ねを匂わされると、ほんのちょっと、不安になる。お前は違うぞ、お前はこうなれないぞ、って突きつけられてるみたいで。

 かぶりを振った。

 

「……っていうか、話逸れてない? なんでこの選曲が面白いかって話だったじゃん。私が選ばなさそうだからってだけじゃないでしょ?」

「あら……失礼致しましたわ」

「お嬢様め」

 

 文句をつけると燈ちゃんの逆隣、私の左の微妙な隙間に座り込「えいっ」「ちょ、狭っ! これさっきもやった!」「いいじゃありませんの!」「それさっきも聞いた!」ねじ込んできた! なんなの!? そんなにくっついてたいの!?

 

「結局なに!」

「この『火星』と一番有名な『木星』の間にはアステロイドベルトがあるでしょう!? だからですわよ!」

「はぁ!? ……はぁ?」

 

 なにそれ。いや、待った、ちょっと覚えてる。火星だかなんだかの近くにある、小惑星いっぱいあるエリアだっけ。 

 記憶の片隅からなんとか掘り返そうと顔を顰めて唸る私に「まあ、知りませんの? 天文部ですのに?」とお嬢様がドヤ顔してくる。

 

「火星と木星の間にある、小惑星の公転軌道が密集した領域のことですわよ。もう……重力が釣り合ってバラバラの者たちがひとところに落ち着いているでしょう? それがなんだか──」

「あ、ラグランジュ点……」

 

 ぽつんと聞こえた言葉の方に取っ組み合いをやめて振り返った。燈ちゃんは困ったような嬉しそうなようなちょっと慌ただしい身振りで「え、えっとね……」と言葉を整える。

 

「……たぶん、さきちゃんは勘違いをしてて」

「え」

「アステロイドベルトは木星の重力に邪魔されて惑星になれなかった破片が散らばってるだけだから、安定点に入ってるわけじゃない……はず」

「…………」

 

 顔を覆って項垂れてしまった。「……え、えっと、続けるね……?」「はい……」続けるんだ……。

 

「ラグランジュ点っていうのは……大きなふたつの天体があるときに小さな三つ目の天体がそれらから受ける影響が釣り合って安定する場所のことで、特に中心の天体Eを周回する天体Mの軌道上60度のところにあるふたつの点をトロヤ群、ギリシア群って言って」

「ごめん、ホワイトボードに書いてほしいかも」

 

 角度とか記号まで出てくるとちょっとイメージ追いつかない。

 燈ちゃんははっとした顔でホワイトボードに駆け寄って……おー、器用だなぁ。フリーハンドで綺麗な円を描いていく。

 えっと? 真ん中に天体Eっていうのがいて? その周りを公転してる天体Mがいて……その公転軌道上に三つの点を置いた。天体Mを挟む感じで、公転軌道すぐそばの内側、外側に『L1』『L2』、天体Eを挟んだ正反対の位置に『L3』、天体E・Mと正三角形を作る場所に『L4』、『L5』と書き込む。Lはラグランジュの頭文字なのかな。

 

「天体Eが太陽、Mが木星だとして……木星のL4、L5にある小惑星群のことにトロヤ群って名前が付いてる。……なんで急にアステロイドベルト、えっと、メインベルトの話をしたんだろって思ってたんだけど、小惑星たちが惑星同士の重力で引き合われてこの領域に収まってる、って勘違いしたんだなって気づいて……ふふ、言葉じゃなくても通じ合えて嬉し──」

「申し訳ございませんわ……」

「えっ、あ、怒ってるわけじゃ」

「天文部ですのに……」

 

 祥子ちゃんはしっかり上履きを脱いでソファの上で三角座りしていた。顔は手のひらと膝で隠れて見えない。

 

「少し……少しだけ、『火星と木星の間に隠された安息の地、まるでこの場所みたいですわね』とか、そんなことを言いたかっただけですのに……」

「い、いいこと言うじゃん……」

「……で、でも、アステロイドベルトは別に安定してないから」

「燈ちゃん! めっ!」

「あうっ」

 

 なんで追い打ちしたの! こらっ、何回つついてもぷにぷにのほっぺして!

 座席をくるっと入れ替えて燈ちゃんを真ん中にし、祥子ちゃんの方へ押し付けてやる。

 

「わ、なにをっ」

「燈ちゃんアタックをくらえ!」

「へっ……!?」

「まあっ、くっ、天文部としての自覚に欠けた振る舞いの罰として甘んじて受けねばなりませんわね……いらっしゃい燈!」

「あ、あの、紅茶冷めちゃう、から……!」

 

 広げた腕にころんと倒れ込んだ燈ちゃんは、私たちと淋しげにぽつんと置かれた紅茶を交互に見てそう言った。

 BGMは銀河大戦争な『火星』から、いつの間にか綺麗で平和な曲調に変わってる。こっちは『金星』かな? 平和をもたらすもの。

 

「……お茶にはちょうどいい雰囲気じゃない?」

「お待ちなさい愛音、まだ私の腕は空いていましてよ」

「狭いってば! いいからお茶飲も!」

 

 騒がしくてわちゃわちゃ暑苦しくて、雨降るアンニュイな午後の優雅なお茶会、なんて空気はどっかに綺麗さっぱりって感じ。最初からなかったけど。

 ……うん、でも、まあ。

 沈んだ気持ちも、どっか行ったし。

 ふたりが楽しそうだから、いっか。

 

「あら、『惑星』全曲のプレイリストでしたのね」

「変える?」

「……いえ、せっかくですもの。このまま流していましょうか」

「おっけー」

 

 カップに手を伸ばしながら、そばに置かれたスマホの画面に目をやった。まだ『金星』の半ば、この後にはまだ『水星』もある。

『木星』まで遠いなぁ。

 

 

 

 

『まだギター聞こえる……』

 

 大ガールズバンド時代ってゆーの?

 みんなバンドやってるじゃん。同じクラスにも何人かいたし、去年卒業した生徒会長もだし、なんなら代替わりした今の生徒会長もそう。そのせいかわかんないけど、放課後になると残って練習してる子が多くて、どこ行っても楽器の音がした。

 安息の地を探していた私は、トワンギーな音の波に追いやられるまま特別教室棟に流れ着いていた。

 なるべく意識しないために教室のプレートを眺めながら歩く。

 

(地学室……理科室じゃないんだ。家庭科室、被服室、名前なし、なし、ここも名無し……あ、社会科準備室。なにそれ?)

 

 空き教室、っていうか無駄な教室多いなぁ。余ってるのに無理に資料とか置いて使ってます感出してたり。

 

(会議室……第二美術室……書道室、あ、違う、第三美術室なんだ。変な教室ばっかじゃない?)

 

 階段を登っていく。綺麗な進学校だけど人目を避けて隅っこに行けばどことなくホコリ臭くて、薄暗い景色になってくる。気に障らないくらいまで喧騒が薄れた校舎の隅っこに、その教室はあった。

 

(『てんもんぶ』……天文部?)

 

 ラミネート加工された紙が表札代わりに貼り付けてあるドアからは、かすかに話し声が聞こえる。まだぜんぜん日は高いし、星観てるわけないよね? なにやってるんだろ。

 気になって、こっそり、気付かれなければ失礼しましたーって引き返す気で、魔が差して。

 

『……こんにちはー』

 

 覗き込んで──そうだ、そういえば。

 

『──ごめんなさい。ごめんなさい、燈』

『うん』

『ひどいことを言って、ごめんなさい。わたくし、私が、あなたを誘ったのに』

『うん、うん……いいの』

『私のせいで──』

 

 もつれ合ってソファに倒れ込んだふたりの生徒。

 窓の向こうは今日と違って、嫌味なくらい澄んだ青空だったっけ。

 

 

 

 

 

「着替えは」

「よし……!」

「ご挨拶は」

「とりあえずママはいるよ、お鍋作るぞーって張り切ってた」

「あら、では早い方がいいですわね。じ……バイト先から頂いたカニがありますのよ。あっ、アレルギーなどは」

「かに……!」

「カニ! あ、アレルギーは大丈夫! 家族で食べ行ったことあるし」

「ふふっ、よかったですわ。ではお土産もよし。……天文部、活動開始ですわ!」

「おー!」

「おー……!」

 

 揃ってこぶしを突き上げてみる。先を見上げると、ふたりの住むマンションがのっそり伸びてる。背景には雨の止んだ曇り夜空。

 ……これ星見える?

 うーん、あんま気にしなくてもいっか。泊まり込む場所が学校から私んちになっただけで、今日はもともと三日三晩……ふつかみばん? 張り込む予定には変わりなかったし。

 

「遊びますわよーっ」

「おーっ!」

「ぉー……あ、あれ、夏の大三角は……?」

 

 本題はこの通りだしね。

 にしても大荷物。燈ちゃんは天体望遠鏡が入ってるらしいデッカいバッグを抱えてるし、祥子ちゃんは小さなキャリーケース引いてその上にクーラーボックスを乗せてるし。

 

「重くない?」

「だいじょうぶ……好きなものだし、持ってたい」

「ん、そっかそっか。祥子ちゃんは? どっちか持とっか?」

「お気遣いなく。この程度ならへっちゃらですわ」

 

 断られちゃった。そして宣言通り、引き摺らない程度にだけどひょいとケースを持ち上げる。おお、パワフル。軽いようには見えないんだけど。

 

「キャリーケースなに入ってるの?」

「着替えと宿題と……あとはいつものパソコンと鍵盤ですわ」

「へー……」

 

 バイトしてるってさっき言ってたっけ。ずっとなにしてんだろと思ってたけどそれ用なのかな? カラオケの音源作るバイトとかあるらしいし、そんな感じの。

 

(……いい加減、聞かなきゃかなぁ)

 

 もうそのあたりまでは踏み込んで来ていいってお許しなのは、薄々分かってるんだけどね。上手くやれるかはちょっと別問題っていうか……自分の隠し事に触れなきゃいけないのがネックだ。

 失望されたくない。

 メッキの私じゃダメなんだって思い知らされたから天文部で羽根を伸ばしてるのに、ありのままの弱いところまで曝け出すのは、まだ、怖い。

 

「……あのさ」

「はい?」

 

 数歩前に出て振り返った祥子ちゃんが半身で振り返った。歩道橋の真ん中、私とふたりが間を空けて立ち止まる。

 

「……私が、その……」

 

 良い例え話を──違う。言い訳を探しそうになってる。

 逃げてばっかり。

 

「……真面目にじゃなくてさ。なんとなーく音楽やって、なんとなく飽きたり上手くできなくて投げ出したりしたら……おこる?」

「はぁ……?」

 

 綺麗な眉を片っぽ顰める。……おこってる!

 普段あんなだけどめちゃくちゃしっかり者の祥子ちゃんが怒んないはずないじゃん! 言い出さなきゃよかったかも。

 気まずくて顔も見れない私に「はー」と呆れかえった溜め息が落ちてくる。

 

「あのですわねぇ……その程度のことで怒ったり失望したりしませんわよ」

「ほ、ほんと……? こいついい加減だなーとか」

「ありませんわ。いえ、自分で流したBGMがなんの曲か把握していなかったり、どうでもいいことには大雑把だと思いますけれど」

「うっ」

 

 自覚アリ。なんでも丁寧にできたらいいんだけど、どうでもいいことってどうでもいいことだから意識できないっていうか。

 

「あのちゃん」

 

 燈ちゃんの声がぽつんと聞こえた。

 下がっていた顔を、おそるおそる上げる。

 

「……こっち」

「あら……ふふ。ほら愛音、そんな離れてないで、こちらにいらっしゃいな」

 

 燈ちゃんがおずおずと右手を。祥子ちゃんが優しく微笑んで左手を差し出していて。

 

「……あーっ、結構一大決心だったんだけど!?」

 

 駆け足で近づいた。

 ふたりの手を取った。

 

「横並びじゃ階段降りるとき狭くない?」

「……がんばる!」

「いや縦長になれば大丈夫って意味じゃなくて……」

「はぁ!? これくらいへっちゃらですわよ!」

「一番荷物持ってんだから無理しちゃダメだって! ほら、クーラーボックスちょうだい!」

「嫌ですわよ絶対離しませんわ! このまま手を繋いで愛音の家まで参りますわよ!」

「おー……!」

「なんなのそのやる気!」

 

 まだなんにも話してないのにすごいテンションに絡め取られて、気にしすぎなのかなーって思い始めてる自分がいる。

 見栄のためにいろんなもの無駄にした挙句逃げ出して、今も向き合おうとしない卑怯者のくせに。

 歩道橋をばたばた降りて、いつもだったら電車に乗るところを一駅だからって歩き始めて。なにやってんだろうね。

 

「……あのさー」

 

 そう思ったら、あっさり。

 

「私さ、ギターやってたんだ」

「いいじゃありませんの」

「ヘッタクソだったよ。ほとんど初心者と変わんないの。曲の合間とかでじゃーんってやるか、なんとか簡単なコードを押さえっぱなしで弾くのが精いっぱい」

「……弾けるだけ、すごい。私、痛くてダメだった」

「わかるー! 弦痛いよね!」

 

 一番新しいだけで、一番大きな傷じゃないからかな。

 脳裏にフラッシュバックするのは自分のことじゃなくて、あの日の天文部室のふたりだった。

 私は──私も、なんていうかな。

 

「それでさ……それで、逃げちゃったんだ」

 

 同じになりたい? そうだけど、でも、なんか違くて。

 白状したい……いや、じゃなくて、えっと。

 

「去年の冬くらい、バンドに入れてもらったの。コピバンやろーってクラスの子に誘われて。でも、でも、ダメだったなぁ。逃げちゃったの。すごい人たち見てさ? あー私なんかダメダメじゃん、って思い知ったってゆーか」

 

 縋り──

 

「愛音」

 

 握られてる手に力が籠もる。

 

「ギター、後で聞かせてくださいませんこと?」

「……え」

「聞きたいですわ。ね?」

「うん……それに、見たい。あのちゃんが、ギター持ってるところ」

「わかりますわ! きっとキマってますわよ」

「うん……!」

 

 わかってたけど。

 ずっと、わかってたんだけど。

 ふたりが求めてるのは『生徒会長で勉強ができてギターも弾けちゃうすごい千早さん』じゃなくて、ただの天文部仲間の千早愛音なんだなぁ。

 

「……ほんとにヘタなんだけどな」

 

 すっごい無邪気に求められて苦笑が漏れた。

 ……あれ?

 さっき、なに考えてたんだっけ。

 

「じゃあ教えますわ! ギターは少しだけわかりますもの」

「祥子ちゃんギターできるの?」

「本当に少しだけですが……ええ。私も、音楽をやっておりますもの」

「知ってる」

「えぇ!?」

「ぶふっ」

「……ふふっ」

「なっ、なんで笑いますの!? 燈まで!」

 

 ずっと、ずーっとこうして賑やかに、気楽にいられたらいいんだけどなぁ。

 そのためにはきっと少しずつ、少しずつ。自分のイヤなところも曝け出して行かなきゃいけないのかな。

 怖いけど、まあ。

 

「ギターもだけどさ、ふたりのことももっと教えてよ。知らないこといっぱいだし」

「私たちのこと、ですの?」

「うん。話せることでいいから」

 

 ふたりと、ちゃんと友達になれるなら、うん。

 頑張ろっかなぁ。

 

「……ええ、そうですわね。お互いに隠してることが多いですもの」

「じゃ、じゃあ……えっと……す、水族館が好き、です」

「知ってる」

「えっ……!?」

 

 結局本当にみんなで手を繋ぎっぱなしのまま家に帰ってママにニヤニヤされることになった。恥ずかしかったけど、空港から走って逃げた日よりはずっと、ずっとずっと、マシな気分で。

 まるで罪を許されたみたいな、勘違いをしてた。

 

 

 

 

 

『ぁ、あの……あのとき、見てましたか』

 

 新学期の初日、席についた私に真っ先に声を掛けてきた子に見覚えがあった。

 短めの髪型、不安げで庇護欲をそそる顔立ち。あの日の天文部室で抱きつかれてた……慰めてた? 方の子。

 今にも泣き出しそうっていうか明らかに『とんでもないところを見られちゃったどうしよう』って顔してて、もしかして春休みの間ずっと心配してたのかなーって気の毒になっちゃったので、誤魔化せずに素直に答えちゃった。

 

『……あー、ごめん。人気のないところ探してたら、たまたま……』

『うぅ……』

 

 彼女は椅子ごとこちらに振り向いたまま、恥ずかしそうに手で耳を覆って項垂れた。前後の席だったから、私の机を挟んで顔を寄せ合う形になる。

 

『あのー……天文部なの?』

 

 こくんと頷く。

 

『もうひとりの子も?』

 

 もう一度こくん。

 

『友達?』

『……わかんない』

『わかんない?』

 

 え、それは、え? 恋人一歩手前とかそういう?

 勝手にドギマギしちゃう心臓を押さえていると隣の席から『あら?』と聞こえた。

 まさか。目を向けた。

 まさかだった。

 

『…………燈。この方ですの?』

『……う、うん』

 

 風もないのに靡くくらい手入れされた長い髪と、両サイドのレースリボン。上品さと可愛らしさが調和したその子は、ひやりと冷たさを感じる鋭い目で私を睨めつけた。あまりに剥き出しのオマエ近づいてくんなよ感にびっくりする。

 

『ど、どうも』

『……んわ……』

 

 なんか呟いてる。聞こえなかったけど絶対に碌なことじゃないだろうなって察しはついた。だって私ならなんとか口止めするもん。

 少し前に転入してきて、入ったバンドも逃げ出して。ただでさえ居場所がないのに敵なんか増やしたくない。メッキを塗りたくるうちに培われた保身用の回路がぎゅんぎゅん回って、口から答えが飛び出した。

 

『あのさ、天文部なんだよね』

『っ、ええ、そうですわ』

 

 ですわ? お嬢様? いや下手に突っ込むと私も詮索されちゃうな。スルー。

 

『よかったら見学させてくれない? 話したいこともあるしさ』

『……かしこまりましたわ。ええ、受けて立ちましょう……っ』

 

 遠回しにあの日の話をしたいと伝えたら、冷たい敵愾心を浮かべた眼差しで貫かれる。

 やっば、間違えたかも。

 仲良くできなさそうだけど、せめて不可侵条約は結べたらいいなぁ。

 

 

 

 

 

「愛音! 燈! 部室に行きますわよ!」

 

 ……なーんて思ってたのにね。

 近くまでやってきて『慰めてた子』ともども手を握って連れて行かれる仲になるんだよーって言ったら、あの日の私はどんな顔するんだろ。引くかな? 引くんだろうなー。べたべたしすぎてたらクラスで浮いちゃうじゃん、って。

 

「とりあえず練習メニューは作れましたし、徐々にこなしていければいいですわね」

「ほんとにやるの? ギター練習」

「ええ!」

 

 燈ちゃんは無反応のままさっさと支度を整えて「いかないの?」みたいな顔で首を傾げていた。いや、いいんだけど、いいんだけどいいの? 軽音部じゃんこれじゃ。

 

「いつか愛音がバンドに戻れるようになったとき、ブランクがあっては気兼ねしてしまうでしょう? 万全にしておくべきですわ!」

「えぇ……?」

 

 祥子ちゃんはどうも、やるとなったらすごいガチなタイプだった。薄々わかってたけどさぁ。

 あと、なんか仕方なくバンドを離れざるを得なかったみたいに思われてるっぽい。

 ……留学のこと隠しながら話したせいで訳ありだと勘違いされたみたい。自分がしんどすぎてほんとのこと話せないし、その上で別に何もないよって言っても気遣われるばっかりだし。ぜんぜん誤解が解けないから、とりあえず先送りにしてる。逃げてばっかだ。

 

「ほら、練習するとなると時間はいくらあっても足りませんわよ!」

「急ご、あのちゃん……!」

「引っ張らない背中押さないっ」

 

 ……前から、似たようなものではあったけど。

 もっと距離感近くなってない? 気のせい?

 祥子ちゃんは私をぐいぐい引っ張るわりに急いでないっていうか、手じゃなくて腕を絡めて連れて行こうとしてるし、燈ちゃんも背中が温かいし足ぶつかってるからたぶん張り付いてるんだろうし。

 天文部に入ってから調べたもののひとつでジャイアントインパクト説ってあったなぁ。おっきな天体同士が衝突した瞬間の、破片をばらまきながら不格好にくっついたままふたつが慣性で回ってるCGモデル。あれが思い浮かんだ。

 実際はそんな状態だったの一瞬ですぐに沈み込んでひとつになってたし、破片もあっという間に月に変わっていったけど。

 ……まああんな威力で、しかもふたつもぶつかってきたら天体アノンとしては堪ったもんじゃないし、喩えとしては間違いかも。

 あ、近くの席の子の迷惑になってるかも。

 

「ごめんなさい、うっさかったよね」

「えっ、いやいや、大丈夫……あの」

「ほら行こ! ここでわちゃわちゃしてたら邪魔!」

 

 ふたりを急かしながら教室をさっさと出た。

 

「……愛音」

「ん?」

「今の方は、お知り合いですの?」

「知り合いって、クラスメイトになに言って」

 

 笑い飛ばそうとしたけど、言葉に詰まった。

 燈ちゃんに背中を押されたからだった。

 

「……いこ、あのちゃん」

「え、う、うん」

 

 弱々しいのに、なんだか逆らえない。

 静かになっちゃってどことなく気まずいまま部室へ向かっていく。初めて天体部室にたどり着いたときみたいな空気感だ。周りの喧騒に流されるばかりで馴染めずに浮かんでる。

 ……そういえば。

 

(ふたりがクラスメイトと話してるとこって、見たことあったっけ)

 

 いつも三人で喋ってて他の人といるところは知らない、ような? 知らないだけかな。転校してきてから最低限クラスメイトと会話くらいしてるけど、私ももうそんな熱心にコミュ取ってないし。

 思い出せないまま天文部室まで着いてしまった。ラミネート加工された『てんもんぶ』は今日も照明を反射してて読みづらい。

 

「さー、軽音部活動開始だー」

「あ、あのちゃん……天文部だよ……」

「そうですわよ愛音、星を見つめ悠久の時に思いを馳せる部活ですわ」

「どの口で言うわけ!?」

 

 ドアを開けると真っ先に出迎えてくれるのは私のギターだった。

 くすんだエメラルドグリーンがオシャレな、ちょっと丸みを帯びた可愛いシルエットのギター。押し入れにしまい込んでたのを引っ張り出したやつ。汚れとか埃とか、そりゃしまいっぱなしだったんだから当たり前なんだけど全然ないまんまで、変わらず待っててくれたのかな、とかセンチメンタルに浸ったり。

 ごめん嘘。毎回ちょっと身構えてる。だって教室のど真ん中で待ち構えるみたいに鎮座してるもん。

 

「ギターを鳴らしますし、ドアはきちんと閉めておきましょうか」

「ん、そだね」

 

 祥子ちゃんが念入りにドアを閉めた。天体観測中に使ってる毛布もドアの前に吊り下げて気持ち防音……防音できてるかなぁ。いいとこほんのり反射抑えてる程度じゃない?

 燈ちゃんが私と祥子ちゃんの鞄を受け取っていつもの置き場に並べるのを横目に、ギターレッスンの準備を始めた。

 

「さて……よい、しょ……!」

 

 ギターを取っていつものソファでチューニングをしてると、祥子ちゃんがホワイトボードの表裏をひっくり返してた。そういえば裏側はなんも書いてないっけ。特にカンペを見るでもなくさらさらとマーカーを走らせてロードマップを描いていき、最後に余った上側のスペースに『あのんギター強化月間!』と大きく題字する。

 待って、え? 月間?

 

「こんな具合で行きますわよ!」

「ウェイト」

「あら、なんですの愛音」

「月間? マンスリーコースなの?」

「ええ」

「聞いてないんだけど」

「え? ええ、でも一朝一夕でどうこうなるものでもないですわよ」

「…………そう、だね……」

 

 ドアをちらっと見る。

 めっちゃ塞がれてる。

 うん。

 

「……………………頑張る……」

「ええっ、その意気ですわ!」

 

 お嬢様はぺかーと眩しかった。ガチだ。ガチ勢だ。ついてけるかどうかで言ったらそんなわけないから引き摺られる覚悟はしてあるけど、無事でいられるかな。紅葉おろしになりそう。

 ぺーん、と弦を弾いてチューナーの機嫌を取りながらロードマップを確認する。なに? リズム練習しよう、ピッキングやってみよう、オルタネイトピッキング、スケール練習、コード、課題曲『春日影』……って?

 

「祥子ちゃん、その課題曲……ハルヒカゲ? って誰の曲?」

「……実は今日、その話をしたかったのですわ。燈」

「う、うん……えと、あった。……ど、どうぞ」

「ど、どうも……? ありがとうございます……?」

 

 燈ちゃんは鞄からノートを引っ張り出して、こっちに手渡してくれた。小学校で使ってるような、そこの机にいっぱい並んでるのと同じシリーズの学習帳だ。裏表紙には表紙に写ってる花の解説が書いてある。スイートピー、へぇー。

 紙の束が挟まってるからそこを開く。……楽譜? 楽譜だ。ギターだけ抜き出してるやつ。

 ぱらぱらめくってみる。手書きじゃなくてきちんと印刷された綺麗な五線譜にオタマジャクシ踊ってる。私が知ってる数字のやつじゃないちゃんとした楽譜だ。

 しばらくめくるとギターだけじゃない他のパートと一緒になった楽譜が顔を出した。

 それぞれに名前が書いてある。『私』『睦ちゃん』『祥ちゃん』『そよちゃん』『立希ちゃん』……ん? 『私』って?

 顔を上げた。恥ずかしそう、っていうか自信なさそうな燈ちゃんがもじもじと俯いていた。

 

「ボーカルやってたの!?」

「ぅ、そ、そうで」

「バンドで!?」

「…………は、はい」

「燈ちゃんが!?」

「ご、ごめんなさい」

「怒られてはいませんわよ」

 

 泣きそうな顔で頭を下げる燈ちゃんの背をポンポン撫でながら、祥子ちゃんは「そこに書いてある通り」と引き継ぐ。

 

「私たちもバンドをやっていたのですわ……そして、これは、私だけですが」

「さきちゃ」

「いーえ。私だけ、ですのよ。いいですわね? 愛音」

「……オキィドーキィ」

 

 ここまで来たらちょっと察しもつく。

 やり込められた燈ちゃんが気の毒だから、祥子ちゃんじゃなくて彼女の方に向けて冗談めかして肩をすくめた。ほっとした顔に、祥子ちゃんも肩の力が抜けたみたいだった。

 

「バンドを……もうおしまいだと、放り出してしまったのですわ」

「放り出した?」

「私が声を掛けて始めたバンドでしたのよ。だというのにしばらく空けた挙句、久々にやってきては辞めさせろと宣って……逃げるに飽き足らず、自ら叩き壊して」

「祥子ちゃん」

「……なんですの」

 

 睨んでくる。なんか懐かしいな。それに、ちょっとわざとらしい。

 祥子ちゃんは美人さんだ。目鼻立ちが通っててお人形さんみたい。ちょっと海外系っぽい気のしないでもない、はっきりして迫力ある顔立ちをしてる。

 だから、悪ぶってるのが逆にわかりやすい。

 

「一瞬だけ黙ってて」

「……なんでですの」

「かーわいー」

 

 ほら、拗ねたらあどけない。怖くないもんねー。

 揶揄うつもりでにぃーっと笑って見せて、それから燈ちゃんに向き直った。

 

「燈ちゃん、クエスチョン!」

「え、お、おーらい……?」

「祥子ちゃんのこれってしょうがない事情があった感じ?」

「なっ」

「……っ! ……っ」

 

 燈ちゃんがふんふん頷いた。

 声を出せなくても誰の目にも明らかにしてやろうって、必死に訴える仕草だった。

 

「ふーん……」

 

 ……祥子ちゃんってもっと公明正大っていうか、自分に厳しいイメージあったけど。

 なーんだ。

 

「私と一緒じゃん」

「へ……?」

 

 燈ちゃんが首を傾げる。そうだよね、私みたいにダメダメなのが嫌で逃げるのとはわけが違いそうだよね。

 実際その事情ってやつ、私だったら立ち向かえないようなレベルなんだろうけど。でも、今大事なのはそこじゃない。

 

「だってさ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 私が、完璧な生徒会長のメッキを剥がせなかったみたいに。

 

「なんかの事情になす術なく流される、か弱い女の子になっちゃったら……『みんなを引っ張るすごい祥子ちゃん』でいられなくなったらさ、なに支えにして立ったらいいかわかんないもんね」

 

 私がレベル1なら祥子ちゃんは100っていうか、私が悪い意味なら祥子ちゃんこそ正しい意味でって感じだけど。

 たぶん根っこは一緒。

 

「プライドが折れちゃったら、頑張るのしんどいもんね」

「愛音……」

「いっしょだよ。……たぶん、だけど」

 

 事情ってやつまで聞く気はなかった。音楽バリバリやってるっぽいしね、なんとかはなったんだと思う。

 でも、どれだけ立派でも、どれだけ私と違っても、これはきっと一緒。

 

「友達に本音言うってさ、怖くない?」

「……怖いですわ。ずっと。謝る機会から逃げてばかり」

「謝る気あるだけ偉くない? 私ずーっと『バレたら失望される! どうしよう!』だよ」

「あら、私よりずっと悪い子ではありませんの! ……でも、わかりますわ。本当はちっぽけでしかないことなんて、自分が一番知っていますもの。騙し続けなくては、でも続くほどに落差がひどくなるのでは、なんて」

「わかるわかる、メッキでごめんとか言えないよね」

 

 あーダメだ、話が弾んじゃった。初めてほんとに羽伸ばせた気がするけど、これ以上は私たちの顔を交互に伺って心配そうにしてる燈ちゃんに悪い。

 一旦ギターを置いて「おいでー」と腕を開き受け入れ態勢を整えると、燈ちゃんはおずおず躊躇ってから結局収まりに来た。かわいい。こういうとこが祥子ちゃんを癒してると見たね。

 

「私も仲間だしさ、弱いとこ見せてよ」

「……ええ……っ」

 

 片腕に燈ちゃんを寄せて、空いたもう一方を差し出してみる。

 ほら、今日は狭いとか言わないであげるからさ。

 

「天体アノンはおっきいよー? 惑星ふたり抱きしめるくらい、へっちゃら!」

「……三体問題は解けませんわよ」

 

 うん? なにそれ。数学……いや天文部知識かな?

 まあなんでもいいっしょ。

 

「私たちなら大丈夫! ほら、おいで」

「……はいっ」

 

 腕の中に天体サキコが落下した。燈ちゃんとコツンと額をぶつけて笑い合いながら、甘えるみたいな──

 

(──っていうか、縋るみたいな)

 

 私は──私たちは。

 まだ目を瞑ってる。

 

「ね。練習の合間でいいから、このバンドのこと教えてくんない?」

 

 親も巻き込んだくせに海外から逃げ帰るくらい浅ましい私の虚栄心。

 バンドを解散させて友達を傷つけてでも止まれなかった祥子ちゃんの傲慢。

 燈ちゃんは──なんだろうね。

 まるですべて打ち明けあったみたいな顔してるのに、ほんとの傷には触れないままでいること。

 

「ええ、私たちの思い出を余すことなく伝えてみせますわよ」

「重そー……手始めに、そうだなぁ。この歌詞って書いたの燈ちゃん?」

「ぅ、うん……もうぜんぶ捨てちゃったけど。前まで、言葉をたくさん書き溜めてて」

 

 気持ちは振り返って初めて気づく。

 引き合う力は目には見えない。

 ゆっくり膨張していつか自壊する。

 心って、たぶん恒星なんだ。

 

 そして。

 天体Aが大きすぎたらラグランジュ点は求められないこと。

 私が、ふたりの軌道を狂わせてしまったことに。

 三体問題のことも知らない天文部の自覚に欠けた私はまだ、気づけていなかった。

 

 

 

 

 

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