スリー・ハート・プロブレム   作:水里露草

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中:Integrallity

 

いつまでも抱えてる

 

真珠も宝も亡い

 

煌びやかなゴミ箱

 

 

 

 

 

『次の曲でライブはおしまいだけど……あたしたちが終わるわけじゃない』

 

 まだ付き合いの浅いクラスメイトに連れて行かれたのは、生徒会長がやってるっていうバンドの卒業ライブだった。講堂を貸し切りにして、赤と黒のカッコよく決まった衣装で青春の思い出をぶちまける。

 転入してすぐの頃、お願いギター足りないの、って拝み倒されて私が入ったのは、そんな先輩たちのコピーバンドだった。

 

『いつかまた、あたしたちの曲を聴かせる日が来る。その時に今日のこと、この曲のこと……最後だったな、なんて思わせない』

 

 赤いメッシュの先輩と、目が合った気がした。

 私の中に火がついた。プラスじゃない。大事に大事に守っていた脆いなにかに、致命的なところに、バチンと火花が跳んだ気がした。

 

『一生リフレインする一瞬を』

 

(……ああ、これがホンモノなんだ)

 

『頭ん中焼き尽くすくらいの最高を叩きつけてあげる──!』

 

 なれない。

 私は、ぜったい、こんな風になれない。

 

(黄金ですらない金メッキが、こんな、太陽みたいになれるわけないじゃんか)

 

 延焼していく胸のうちに諦めがこだました。

 次の日、あれこれ言い訳してバンドを辞めた。

 逃げ込んだ先からも逃げ出してさ。

 バカみたい。

 

 

 

 

 

「……ちょっとさ、祥子(さきこ)ちゃんお手本見せてよ。お手本」

 

 天文部が軽音部になって一週間ちょっと。上達具合はっていうと、えっと、ぼちぼち。とりあえずコードを押さえるまではいける感じ。コードチェンジ? 無理。

 ていうかやっぱ継続が無理みたい。根性ナシの現代っ子だなー私……なんて茶化して逃げることは今更できないから、せめてご褒美っていうか、あー、息抜き? 気分転換? とりあえず切れた集中を繋ぎ直すターンがほしい。

 ソファでギター練習に取り組んでいた私は、正面に立ってあれこれ指導してくれていたコーチに文句をつけた。

 

「やっぱさ、コーチが直々に見せてくれるって大事だと思う。ウン。言うじゃんほら、やってみせ、言って聞かせて、えーっと」

「わかりましたわよ……コホン。その、なにかリクエストはございまして? 『春日影』以外でも構いませんわよ」

「めっちゃやりたそうじゃん! えー、そうだなぁ……」

 

 そういえばここ、なんでか知らないけどバンドのポスター貼ってあるんだよね。ここの卒業生って聞いた。

 

「じゃああのバンドのやつは?」

「かしこまりましたわ。ではギターを少々拝借して……潰えぬ夢へ、燃え上がれ──!」

「えっ歌あり?」

 

 六弦のチューニングをぱっと直したと思ったらゴリゴリにリズム刻み始めた。隣で私の肩に頭を預けて眠っていた(ともり)ちゃんが跳ね起きたから「大丈夫大丈夫、ゆっくりしててー」と落ち着かせ、ふたりで祥子ちゃんの演奏を見守る。

 

「うわぁ……」

 

「うわーっ!」じゃないよ。「うわぁ……」。普通に上手くてちょっと引いてる。

 練習用のミニアンプとは思えない音だ。めっちゃメタルっぽい。

 

「ギターちょっとしかわかんないって言ってなかった……?」

(むつみ)に比べればちょっとですわ」

「えぇ……これが『ちょっと』になる上手さってなに……?」

「ふふ、睦はですわね──」

 

 ふたりがやってたバンドの話は、こうして少しずつ教えてもらってる。

 初めて顔合わせするときに集まった喫茶店をみんなして気に入って、休日にばったり出くわすとなんだかおかしかったこと。

『春日影』にみんなで歌うパートがあるからって即興でパート分けして、恥ずかしがる燈ちゃんを唆しながらあの歩道橋で歌ってたこと。

 練習してたらすっかりお腹が空いて、スタジオのロビーで生まれて初めてカップ麺を買ってみんなで食べたこと。

 エトセトラ。

 ふたりとも細かいエピソードまで覚えてて、結構聞いたはずなのにまだまだ知らないネタが出てくる。

 

「それで、どこへ行くにもギターを持っていくようになりましたのよ。今まではぼんやり座っているか、私の後ろをちょこちょこついてくるくらいでしたのに、暇さえあればずーっとずぅーっと弾いていて」

 

 特に幼馴染らしい『睦ちゃん』とは学外、バンド外でも交流があったらしくて(そりゃそっか)、だいぶ単体エピソードが豊富だった。

 

「ぽーっともの思いに耽っているのは変わりありませんのに、手元は日を追うごとに少しずつ洗練されていって……継続は力とはまさしく、と思ったものですわ」

「疲れないのかなそれ……」

「もの思いとは申しましたけれど、特に何を考えていたわけではなかったそうですわ。手慰みに基礎練習をなぞり続けていたくらいの感覚でしょうか」

「あ、そんなもんなんだ」

「ふふ、そんなもん、でいいのですわよ。あの子だって『お菓子があるから、一旦休憩して一緒にいかが?』と聞いたらすぐにギターを置いて駆け寄ってきて」

 

 ……なんていうか、やさしー顔してるな。

 わりかしいつもそうだけど、友達のことを話してるときは特に。普段はちょっと冷たくて近づきがたい感じなのにね。

 

「……うん、動画観てるときとかになるべく弾いてるようにするくらいなら、私もなんとかできるかな」

「心配せずとも愛音(あのん)には見込みがありますわ。コードチェンジの覚束なさは指の力の問題ですもの、じきに弾きこなせましてよ」

「ホントかな……」

「ホントですわよ!」

「わかったわかった、信じる」

 

 祥子ちゃんも『睦ちゃん』もたぶんホンモノってやつで、そこまでどれくらい距離があるのかもまだよくわかんないくらいなんだけど。行くべき方向は示してもらってるわけだし、まあなんとか頑張ってみよっかなーくらいは、根性ナシなりに思えていた。

 指をもにょもにょ蠢かせる私をじっと見て、燈ちゃんはぽつんと呟いた。

 

「……私も、やってみようかな。授業でギターやるみたいだし」

「そんな!? 燈のこのぷにぷにの愛らしい指が失われては人類の損失でしてよ!?」

「ねえ祥子ちゃん、それ私なら別にいいってこと? ねえ」

 

 私のことうっすらナメてない?

「こんにゃろ!」「あぁんっ!」とギターを奪い返して、祥子ちゃんのあんま力いっぱい握ってるような感じのないリラックスした押さえ方を真似してみる。

 うーん、まだちょっと不格好だなぁ。これ単体ならともかく曲の中でぱっといける気はしな……いやいや、練習練習。集中とかしなくてもやってれば染み付くって今聞いたっしょ。

 

「……ちなみに祥子ちゃん、ギター歴何年?」

「はい? ちょうど一年ほど……いえ、でも学校のクラシックギターでの練習を含めれば二年になりましてよ」

 

 才能マンだった。

 おのれ見てろ、いまに愛音ちゃんすごーいって言わせてやるからね。

 

「燈ちゃーん、一緒に練習する? こんなひとりでどんどん上手くなってく祥子ちゃんなんか仲間はずれにしちゃお」

「だ、ダメ……! さきちゃんも一緒じゃないと……!」

「おっ、おぉ……」

 

 予想外に強い剣幕で否定された。

 ……あ、そっか、バンドの解散。

 

「……じゃ、代わりに講師役としてしっかり引っ張ってくれないとね!」

 

 燈ちゃんの顔がほっと和らぐ。

 ふたりのバンドのこと、事情があって離れざるを得なかった祥子ちゃんのトラウマとして捉えてたけど、考えてみれば燈ちゃんこそ壊された側なんだよね。過敏にもなるか。

 ていうか、置いていかれた側? ……や、なんかちょっと違うような?

 

「ビシバシいきますわよ!」

 

 ……当事者の片割れは腕を組んで堂々と仁王立ちしておられるし、あんまり外野が気を揉んでもしょうがないか。

 

「……が、がんばる」

「あ、燈はほどほどで大丈夫ですのよ。クラシックギターは抑えて弾けばあまりうるさくもなりませんし、家での趣味に向いていますもの。ほどよく気楽に付き合って行くくらいの心構えでいるのが長続きのコツですわ」

「過保護じゃないかなぁ! 私も甘やかしてほしいんだけど!」

「……甘えたいんですの?」

「え」

 

 軽口じゃなくてなんか、え……? なに?

 戸惑った感じの声で聞かれても戸惑うのこっちなんだけど。

 

「そりゃ……え、大変よりはラクな方がいいに決まってるじゃん」

「……だっ、ダメですわ! 基礎を固めてこそ先がありますのよ!」

「はあ!? じゃあなんで聞いたの!?」

「知りませんわよ! 言い出したのは愛音じゃありませんの!」

「えぇー……?」

 

 なにちょっと顔赤らめてんの。狼狽えて顔の前でわたわた両手クロスさせてて、は? そんな反応されても困るんですけど。そこはほら、ぴしゃっと窘めてもらって手打ちにする流れじゃん。受け入れられるとこっちも絡みにくいんだけど……えー……?

 

「ちょ……こわ。もう少し離れてもらっていい?」

「無体な!」

 

 ぎゅーっと抱きつかれて燈ちゃんとサンドイッチされる。

 これ言うか迷ってるけどやっぱり距離感おかしいって。知らないけどさ、お嬢様ってもっと貞淑なものじゃないの? それともやっぱナメられてるのかな。

 

「ほーら練習するから離れて、はいっ、おしまい! おしまいでーす!」

「あぁ……燈、慰めてくださいまし……」

「…………ょ、よしよし……」

「いま燈ちゃんもちょっと躊躇ってなかった?」

「た、躊躇ってない……」

 

 私と目が合わない燈ちゃんだった。

 体が空いて自由を手に入れたしアンプの設定を戻そうと立ち上がったけど、別になんも変えてなかった。じゃあ弾き方なんだ、あんな変わるんだなー。

 ……うーん、『睦ちゃん』に倣うならあのままでも弾きっぱなしでいるべきだったか。でも十月とはいえふたりに挟まれたら暑いよ流石に。

 

「なんとなく弾く、なんとなく弾くねえ……」

 

 肩のストラップを軽く直して構える。

 考えごとしながら? 意味あるの? ……前だったらどうせすぐには上手くなんないしって言って辞めてただろうし、習慣づけにはもってこいか。

 クロマチックでもしてよ。指板の端から端まで一フレットずつ鳴らしていくやつ。

 えーと、なるべく指は立てる、音の大きさとリズムを一定に、余計な力は抜く! よし!

 

「……先程の愛音、なんだかそよみたいでしたわね」

「ちょっと、わかるかも」

「『そよちゃん』? 優しくてお姉さんっぽい、ってゆー」

 

 あ、喋りながらだと普通にしんどいかも。よせばよかった。

 もう始めちゃったし話しかけたせいで注目も向いてるしですぐに手を止めるのも気が引ける。しんどい顔するのは悔しいから余裕な態度を頑張って繕うしかない。

 

「ええ。朗らかで気立てが良くて。それでいて月ノ森では世間にも明るい子でしたのよ」

「……名前の通りで、そよ風みたいな」

「そうでしたわね、同じ穏やかさでも燈の静けさとは少し違って、どことなく涼やかで」

 

 そのへんは前にも聞いたなあ。物腰柔らかで、長い髪がほんのりウェーブしてるとかなんとか。聞いた限りだと、夏より春、日差しよりは春風って感じの明るさな印象がある。燈ちゃんの言う通り名前のイメージ先行かもだけど。

 

「思えばそよは甘やかしてくれそうな雰囲気でしたけれど、どちらかといえばしっかり窘めてくるタイプでしたわね」

「……そう、だったっけ」

「燈は叱られるようなことなんてありませんでしたものね」

「むしろ祥子ちゃんは叱られてたわけ?」

「……ドリンクバーが好奇心を煽る作りをしているのがいけませんのよ」

「ファミレス?」

「カラオケで……」

 

 相槌を打ちながら、クロマチック練習をゆっくり、ゆっくりこなす。色とりどりの(Chromatic)って名前なのに私の弾き方じゃまだまださっぱり無彩色だ。うっすらペールカラーってとこ?

 ぶっちゃけ初心者向けの練習動画とか見ても淡々としててそんな感じしなかったけど、『睦ちゃん』『そよちゃん』なら色彩豊かに弾けたりするのかなぁ。

 一番高いとこまでいった。折り返す。

 

「そんなしっかりした子と似てる気はしないんだけどなぁ」

「……」

「確かにすべてそっくりだなんてことはありませんけれど……なんだか、愛音はみんなを思わせますのよ。どことなく」

「『立希(たき)ちゃん』って子にも?」

「ふふっ、そうですわね。燈を挟んで言い合いなんてしていると……ええ。私もあの子とこうなれたかもと、考えてしまいますわ」

 

 寂しそうな声色だった。

 

(私は『睦ちゃん』でも『そよちゃん』でも、『立希ちゃん』でもないんだけどなぁ)

 

 ……祥子ちゃんはときどき、優しく、だけど遠い目をする。

 バンドの話を聞くようになってからわかった。思い出を見てるんだ。

 

(……私が、持ってないやつ)

 

 積み重ねとか、頑張った勲章とか、大事なものとか。

 ふたりにとってのバンドってただの演奏仲間じゃなくて、短い間でもぎゅっと色んなものを詰め込んだ大切なものだったんだろうな。

 羨ましい。

 欲しい。

 最近はちょっとだけそう思う。

 メッキを塗りたくっていた私が求めてたのってさ、数より質だった気がしてるんだよね。周りの大勢からの小さくて軽い賞賛をたくさん集めるんじゃ届かない、重い価値あるもの。これさえあればなに言われてもいいやって平気な顔していられるようなもの。

 

(……それがあれば、逃げずに踏ん張れたのかなぁ)

 

 今してるギター練習ひとつとっても、なんとなくじゃなくて意識高く頑張れたり。

 ……留学だって、なんとなくじゃなくて、ちゃんと。

 

(……二回も逃げちゃったし、もう遅いか)

 

 指板の中ほどまで登っていたクロマチック練習を止めた。なんとか押さえられるCコードを思いっきり鳴らす。

 ……視界が開けたりはしないけど、うん。少しだけすっきり。

 パチパチと目を瞬かせるふたりに向き直って、お腹に力を入れて言う。

 

「祥子ちゃん、やっぱもう一回お手本やって。『春日影』の方!」

「……ええ。わかりましたわ」

 

 私は『睦ちゃん』でも『そよちゃん』でも、『立希ちゃん』でもないけどさ。

 今、この場にいない子達の代わりに支えになってあげるくらいは、したっていいでしょ。

 私だけのものなんかないなりに、今は、いまは、それでいい。

 いいの。

 ホントだよ。

 

 

 

 

 

千早(ちはや)ってギターやってたの!?』

『あー……ちょっとだけね、ちょっと』

 

 チハヤって苗字の響きが綺麗でお気に入りだったから周りにもそう呼ばせてた。一応ホント。可愛いじゃんチハヤ、主人公っぽくて。

 でも、掴みに丁度いいからそう言ってたとこもあった。アダ名があったらとりあえず一歩近い距離感から始められて溶け込むのが楽だし、呼ぶときの響きで立ち位置もわかりやすい。あと、ヘンテコな呼び方されちゃたまんないし。

 この学校はみんな優しいっていうかイイコばっかで、みんな素直にアダ名をアダ名として親愛込めて呼んでくれる。

 その子もそうだった。

 

『実は、折いってお願いがございまして……』

『え〜……?』

 

 私の返事は前までなら渋ってる風もう一押しお願いしますだったけど、一年生冬、留学から逃げ帰ってきてまだ日の浅い当時としてはマジの渋り方だった。

 問題は、こういうときに嫌がるって態度の取り方を体が忘れてたこと。聞くだけは聞くくらいする方がもともとの振る舞いに近くて低ストレスだから、つい、受け止める姿勢を作っちゃった。

 

『お願いしますよ〜千早様! 千早大明神! 話だけでも!』

『……話だけね?』

『ありがとう! ごめんね!』

 

 そういえば。

 なにかにつけて、ごめん、って言う子だっけ。

 私がこのあとなんだかんだ言いながら加入したときも、初めてのスタ練でミネラルウォーター奢ったときも、練習予定作りたいからって暇な日聞かれたときも。

 

『……そっか。えっと……じゃ、じゃあしょうがないかー! あはは……』

 

 ホンモノの輝きを見て、ムリだって思ったときも。

 

 

 

 

 

「あれ……え、っと……千早? それ……」

 

 ──そう、そんな顔してたっけ。

 

 家でも練習しよーって毎日ギター持ち帰ってたからさ、元バンドメンバーに見られるのが嫌ですっごい早く学校に来てたんだよね。だって気になるでしょ、辞めたはずのやつが毎日ギター持ってたらさ。

 なのにさぁ。

 なんで見つかっちゃうかな。

 

「……久しぶり。クラス変わっちゃってからだし、えーっと、半年ぶりくらい?」

「ひ、久しぶりー! そだね、そのくらい、かも。へへ……」

 

 ぎこちない。他に誰もいない肌寒い昇降口に風がうっすら吹き込んで、それきり黙り込んだ。

 元バンドメンバーとは交流がなかった。部活違うしクラス離れたし、選択授業も被んなかったから。学校って狭いようで広いからさ、このへんズレるともう顔なんか合わせない。

 ……はずなんだけどね。

 

「ギター、やめてなかったんだ」

 

 どきりとした。

 事実を噛み締めたついでに歯先で漏れた、息の掠れみたいな呟きからはなにも読み取れなかった。怒ってるのか、それとも安心したのか。私ってこんなコミュ力低かったっけ。

 

「……うん。最近、ちょっとね」

 

 どうしようの五文字が、バラバラにほつれてずーっと頭の中で回ってる。

 このままなあなあにしてサヨナラ?

 そんなの逃げてるのと一緒じゃん。やっと少しだけ気持ちが上向いてきたとこなのに、三回目なんていよいよダメになる。

 じゃあ謝る?

 ……どの面下げて?

 大体なにを謝るの。逃げたこと? 謝って、じゃあもう一回入るの? バンドやりたいわけでもないのにウソついてまで? それとも本心じゃやりたくなかったってぶちまけるの? それこそありえない、無駄に傷つけるだけだってわかってるでしょ?

 私、どうしたいの?

 

(……わかんない、けど。『わかんない』って言えるのは、ほんと)

 

 それしか思いつかない。

 なんの禊にもならない先送りが、すぐに取れる中では誠実っていうか、一番ウソが少ない気がした。

 

(……うん、ウソじゃない。だって、ギターやっと少し弾けるようになってきたとこだよ? バンドどうするとか考えらんないじゃん。……ね、だよね。私、悪くない)

 

 第一さぁ、逃げたやつが許してもらえるわけないじゃん。

 だから、だから、まだ練習はしてるよって、でもバンドできるかはわかんないやって、そう、言おうとして────

 

「──愛音!」

 

 はっと顔を上げた。

 気付いたら、すぐ隣に祥子ちゃんが立っていた。

 ……なんで? いつもならまだ来てない時間じゃん。今日だって別に来る時間伝えてないのに。

 疑問がいっぱい湧き上がるけど、私の反応を待つ間もなく彼女は手を取って、そのまま歩き出そうとする。

 

「今日も()()()()練習しますわよ! そろそろ通しで弾けるようになってもらわなくては、作曲者としても少々もどかしいですわっ」

「そんな急かすの……いや、待って、今……」

「待ちませんわよ」

 

 ひやりと。

 いつものやり取りの中に、冷たい隙間風が吹き込んで。

 

「……そ、そっか。千早、他のとこでバンド再開したんだ」

「え……ちが」

「ごめんね、練習前に引き留めちゃって……頑張って!」

 

 固い笑み。

 手を振られて。

 祥子ちゃんに引かれるまま、私は、あれ、ねえ、なんで。

 

「……祥子ちゃん、あ……ぁ」

 

 ありがとうって、言おうとした。

 私、なんかのラインの上にいた気がする。あと半歩踏み出したら落っこちる際の際から、引き戻してもらった。

 なのに。

 なのに、なんで、こんな。

 胸が痛いの。

 

「あ……の、さ。今日、来るの早いね」

「……なんとなく早く目が覚めただけでしてよ。家にいても仕方がありませんもの、部室で音楽でも作っていようかと思って」

「……そっか」

 

 祥子ちゃんの足は止まらない。引かれる私も。

 階段を登る。なんの掲示物もない寂しい踊り場を折り返して、運動部のかすかな練習の声が遠のいていく。

 

「……ねえ、いつまで手」

「愛音」

「掴ん……で」

 

 一瞬。

 呼ばれたことに気づかなかった。

 こんな冷たい、怖い声で名前を呼ばれたこと、一回もない。

 

「さっき、なんの話をしてましたの」

「なにって」

「前のバンドの人ですわよね」

 

 ざらりと触れられた。

 かさぶたを剥がされるみたいな不快感。

 

「……それが?」

「まさか、戻るつもりですの」

 

 ……は?

 

「……なに? ダメなわけ? そこまで指図される覚えないんだけど」

「指図なんていたしませんわ。ただ、このままでは同じ轍を踏むだけではありませんこと」

「へぇー……」

 

 私さぁ。

 それなりに気使ってたよね。

 友達だし、お互いにさ、嫌なことには触んないようにしてたじゃん。上手くやってたよね。

 距離感探り合ってちょうどいいとこに落ち着いて、これならもっと素を見せても大丈夫かなーって、そういう流れで来たじゃん。

 え? なに、その態度。

 

「……」

「ギターだってまだ大した上達はしておりませんでしょう。今のまま戻ったところでまた逃げ出すだけ──」

「──あのさぁ。ナニサマ?」

 

 祥子ちゃんの手を引き返した。

 

「同じ部活なだけでしょ? 前のバンドの子とちょっと話したくらいでなんでそこまで言われなきゃいけないわけ?」

「だけ? 居場所を同じくする仲間を案じてなにがいけないんですの」

「へー案じるってそんな上から目線な意味なんだー! バカにすると間違えてない?」

「……バカにしてると思われる心当たりがお有りですのね。直したらいかがですの」

「いちいちイヤミ言わなきゃ会話できないの?」

「言わせてる側が宣っていいことではありませんわよ」

 

 売り言葉に買い言葉でどんどんヒートアップしてく。

 繋いでたはずの手は襟首掴み合って、突き合わせる顔は怒りに歪んで。

 

「いっつも我慢してたけどさぁ! なんでもかんでもやってあげる教えてあげるって感じで見下すのやめてくんない!?」

「見下してなんか! そもそも見下せませんわよ、低次元にもならないうちに放り出しますものね!」

「はあ!? あんたに付き合わされてギター続けてる私にそれ言う!?」

「言わないとどうせ逃げるでしょう!?」

「あーあーあー言ったね、逃げてるって言うならさぁ、そっちだってずっと逃げてるでしょ!?」

「なにを──」

 

 もうとっくにブレーキなんか利かなかった。ていうか、カッとなって、ブレーキ掛けようなんて思いもしなかった。

 いつもなら気にも留めてなかったような些細な不快感が次々に言葉になって祥子ちゃんへ飛んでいく。あっちからも、散々。

 だからこのときも、ぶん殴ってやろうとしか考えてなかった。

 

CRYCHIC(クライシック)のこと」

 

 わざわざ名前を出した。

 祥子ちゃんの顔が、かっと赤くなった。

 

「調べたら名前出てきたよ。一瞬しか活動してなかったけどファン多くてさ、いなくなったあとも探してる人結構いるんだね──そしたらさぁ、私、見つけちゃったよ」

 

 見つけて、そのときはすごいなって思った。

 だってそうでしょ? 去年ってことは私がイギリスから逃げようとしてた頃だよ。同じときに自分の力で身を立てた子がいて、しかもそれが今はおんなじ部でじゃれ合ったりしてる子なんだもん。

 すごいと思ったよ。尊敬した。

 ホンモノじゃん、って。

 

「Roseliaとおんなじ事務所に去年から入った覆面のミュージシャンがいるの。ソロだとメタル系っていうの? すごいハードな曲なんだけど……編曲とか楽曲提供ですっごいバズってるときさ、作風、前のまんまじゃん」

 

 止まらない。突いちゃいけない気がして飲み込んでた称賛や好意が腐ったみたいに、酷い言葉へひっくり返っていく。

 

「ねえ、『()()()()()()()』」

「ッ……貴女!」

 

 ああ、そっか。

 支えてあげようって思ったのは。

 代わりになってもいいかって思ったのは。

 嫉妬と諦めの裏返しだったんだ。

 

「あのちゃん、さきちゃんッ、やめて──!」

「お金儲けのためにバンド捨てたくせに、その代わり扱いしないでよ!」

 

 叫んだ瞬間に頬を叩かれた。

 横へと大きくブレた視界の隅で、燈ちゃんが階段を駆け上がってくるのが見えた。

 

(……あー、あ。なんで、今日に限って)

 

 いつもみんないないのに。

 ほんと、なんで今日に限って、みんな揃っちゃうかな。

 

「あのちゃん! 大丈夫!?」

「祥子ちゃんさぁ、図星だからって手はナシでしょ。図星だから、って」

 

 燈ちゃんが助け起こそうとしてくれるけどぜんぜんダメだ、立てないや。膝が笑ってる。私もちょっと笑ってるよ。

 だってさぁ。

 もうさ。笑うしかなくない?

 昨日まで一緒に、しょうもないことで笑い合ってたのに。

 

「いい加減になさいなッ! 言っていいことくらい」

「あーうっさいなぁ! 知らないよ私でお人形遊びしてるやつの事情なんて!」

 

 気づかなきゃよかったなぁ。

 ふたりが求めてるのはただの天文部の千早愛音──なんて、勘違い。

 私、お友達じゃなくてお人形だったわけ。

 

「おかしいなーって思ってたんだよ。ずっと距離感近くてさ、知り合ってから仲良くなるのもあっという間でさ、クラスでも他の子と話さないくらい壁があるのに妙にベタベタしてきてさ。前から友達だったみたいだなーって思ってたよ……そりゃそうだよね、前の友達の代わりだもんねぇ!」

 

 いつの間にか、祥子ちゃんの顔色が落ち着いてる気がした。なんか真っ白、ウケる。

 なんでか来てる燈ちゃんも、振り抜いた手が中途半端に浮いたままの祥子ちゃんも黙ってて、私だけが捲し立ててた。

 変なの。夢?

 夢かなぁ。早起きしたし。

 

「あのちゃん、あのちゃん……! 落ち着いて……!」

「やめて」

 

 弱々しい力でブレザーを掴む燈ちゃんの手を払って、這いずるみたいに動き出した。ちょっと迷って、まあどうでもいっかと思ってギターケースを杖にする。おお、立てるじゃん。立って、どうしよ。

 ネック折れたりするかな。折れたら直すの高そうだし、ギター辞めちゃおっかなー、なんて。

 ……バカらし。

 

「ていうか、燈ちゃんにもなんも言われたくない」

「……え」

「CRYCHICの代わりって、否定してくれなかったね。やっぱりって感じ」

 

 忘れてたや。

 この天文部は、元同じバンドのふたりと、よそ者が独りでできてるんだった。

 

「いつも黙ってるのに、都合よく止めに来ないでよ」

 

 言っちゃった。

 ……言っちゃった。

 ああ、ぜんぶ言っちゃったや。

 言葉を大事に選ぶ寡黙で静かなとこ、控えめで優しいとこ。好きなところなのに。

 いまは、イヤなところにしか見えない。

 

「……私なんか、いらないでしょ。もうほっといて」

 

 言われるまでもないか。

 こんなヤなやつ、みんな嫌いでしょ。

 

「……まって。待って、待ってよ、あのちゃん……!」

「燈……燈まで、いかないで……!」

 

 燈ちゃんが追いかけてくるのがわかった。押されるように走って逃げる。ずっとくっついていた温度が、当たり前にそばにいた重みが、今は遠くに感じることすら耐えがたい。

 

(燈ちゃんのことしか呼ばないじゃん)

 

 いっそ足滑らせて死ねないかなって思いながら、階段も廊下も飛ばして走った。あ、上履き、履き替えんの忘れてたなぁ。ていうか授業サボっちゃうな。

 どうでもいっか、別に。

 

(私なんか、どうだっていい)

 

 今更、さっきの罵倒が響いてきた。

 どうせ逃げるだろって。

 ホントにね。

 

 

 

 

 

『よくも見ましたわね』

『……や、まあ、ウン』

 

 学校って曲がりなりにも公共の場なんですけど。

 放課後になると迅速に天文部へ連行されて、そこで髪の長いお嬢様な方に詰められていた。

 なんかちょっと不格好に壁ドンされてる私を、髪の短い方の子がおろおろ見てる。助けてはくれなさそうだなぁ。

 

『……そういえば、見ない顔ですわね』

『見ない顔って、そりゃクラスメイトとしては今日が初対面だし』

『これまでの学校生活でですわ』

 

 ぐ、鋭い。

 一年も学校に通ってれば同級生の顔くらいなんとなく頭に入ってくる。はっきり覚えてなくても、見たことないかどうかは意外とわかっちゃうんだよね。

 

『……転入生だよ、去年の冬から』

『そう。……詳しくは、その、聞きませんけれど』

 

 ちょっと気まずそうにする彼女だった。顔に出てたかな。

 

(……もしかして、優しい子?)

 

 これから恥ずかしい場面の口止めするなら、秘密なんていくらでも握りたいはずじゃない?

 躊躇うんだ、この子。

 

『……では、部活には入っておりませんのね』

『そうとは限らなくない?』

『ここに来るまでに連絡をする素振りもありませんでしたわ。もともと休みだとしても、急に私に捕まったからには予定の狂いはありますでしょう』

『……いや、やっぱ無理筋なような』

『入ってませんわね!?』

『はい!』

 

 ドンって言った! 壁! 今ドンって!

 優しい子じゃないよ絶対! 勘違い! 暴力反対!

 

『貴女もなにか知られたくないことがお有りなのでしょう?』

『……まあ』

『でしたら、天文部にお入りなさいな。部室はこの通り校舎の隅でほとんど人が来ることはありません。この場を貸す代わりに、この外へはなにも伝えないようお願いしたいのですわ』

『オネガイねえ……』

 

 脅迫(オネガイ)って感じ。でも願ったりかなったりかな、人の寄り付かないところを探してたのは事実だし。

 

『……喋る代わりに、そっちも詳しく話してくれるの?』

『はい? 話しも聞きもしませんわよ。秘密なのでしょう?』

 

 なに言ってんのこいつって顔されてんだけど。え? じゃあこの流れなんなの? 茶番?

 髪の短い方の子に目線を向ける。タスケテー。あっよくわかってなさそう!

 

(……悪い子じゃない、んだろうな。世間ズレしてないっていうか)

 

 だったらまあ、キョーハクされてあげてもいっか。

 両手を挙げて降参すると、彼女はすんなり解放してくれた。……逃げられるとか考えてなさそー。ホントにすんなりだった。

 

『入部届とかある?』

『後で構いませんわ』

『……は、入ってくれるの……!?』

『う、うん』

『よかった……』

 

 アンニュイな可愛い顔をぱっと輝かせて喜んでくれる。なにごと、と思ったら『あとひとり入らないと今年度で廃部でしたのよ』と耳打ちされた。……へー? ふーん?

 

『……な、なんですの?』

『いやー? 優しいなーって思って』

『イヤミですわね……』

 

 恥ずかしそうとかじゃなくて本気で嫌そうだった。ゴメンゴメン。

 

『じゃあ、まあ、これで私も天文部、ってことで。……天文部であってるよね? お茶会部とかじゃなくて』

『確かにあまりらしくない部室ですけれど、天文部であってますわよ』

 

 ティーセットが棚に入ってたり、なんかパソコンとか鍵盤があったり、ぱっと見よくわかんない部室をぼんやり眺めた。私物なのかなぁ。入り浸ってれば、そのうち私もここになにか持ってきたりするのかな。

 

『違和感があろうと忌避感があろうと、天文部に入るからには一蓮托生、運命共同体でしてよ! ええ、破滅するときだって一緒になってもらいますわ』

『うへ〜、破滅ぅ?』

『未来のことはなにがあるかわかりませんもの』

『……そだね、確かに』

 

 破滅は知らないけど、未来がわかんないのはごもっとも。

 逃げ帰ってきてからなんだか、人に馴染んでる自分が想像できなかったんだけど。

 ここなら、どうかな。ハメツしないかな。

 

『あ、あの、自己紹介とか……』

『あぁ、そうですわね。改めてしておきましょうか』

 

 お嬢様が短い髪の子の手を取ってこっちに戻ると、ふたりで空いたもう一方の手を差し出して。

 

豊川(とがわ)祥子(さきこ)ですわ』

『た……高松(たかまつ)(ともり)です』

 

 手を繋いで自己紹介とか、幼稚園みたいだなー、なんて。

 だけど、やり直すにはそれくらいから始めるのがちょうどいいかもって、このときは思ってたっけ。

 

千早(ちはや)愛音(あのん)。チハヤって呼んで』

『……名前じゃいけませんの?』

『え、いやいいけどさ……チハヤの方が可愛くない?』

『アノンも可愛いですわよ! ねえ?』

『う、うん……弾んでて、丸い感じ……』

『えぇー……? なにそれ』

 

 そんなこと、話してたのになぁ。

 

 

 

 

 

 最低。

 最低最低最低サイテーサイテーサイテー。

 サイテー、私。

 

「少しも我慢できなかった……」

 

 逃げ癖だけじゃなくて堪え性のなさも追加。ダメな現代っ子の典型すぎて笑っちゃうなー、はは。

 ……はぁ。

 

「……別に、あれくらい言ったってイイでしょ。私は私だし、元バンド仲間の誰かじゃないし。ていうか最初からCRYCHICの曲が課題だったしあからさますぎでしょ。よくよく考えたら最初から……でもはじめのうちバンドの話なんかしなかったし……でも、でもふたりがわるいもん。私、わるくないもん……」

 

 いつの間にか走るのもやめてとぼとぼ歩きながら、ずーっと恨み言ばっか言ってる。

 でも、しょうがないよね。先に私の地雷踏んだのあっちだし。信じて弱み見せたのにわかって突いてきたじゃん。やり返しただけだし。

 

「……祥子ちゃんだって、祥子ちゃんの方が……上から目線だし、いっつも口うるさいし……古文の背景とか調べてきたら褒めてくれるけど……いやでも体育とかジャージ可愛く着てたらだらしないとか言うし……ハイタッチとか、そんなんで大喜びするし……みんなのカップ一緒に置いとくとなんか、愛おしそうに見てるし……」

 

 ……バンドのこと言ったとき、あんな真っ赤になって怒ってたのに、気づいたら死んじゃいそうなくらい白くなってた。言い過ぎちゃったかな。でも、先に言ってきたの向こうだし……でも、だからってあんなになるまで言う気なんか、だけどこっちだってあんな無理だなんだ言われる筋合いないっていうか……でも……ううん、えっと、ていうかなんであのとき燈ちゃん割り込んできたの。偶然?

 そうだよ、燈ちゃんだって、なんでこんなときに限ってちゃんと……ちゃんと、止めようとしてくれて。

 

「燈ちゃんもだよ……いっつもひとりでなんかしてて私に興味なさそうだし、よくわかんないか星の話とか捲し立ててくるし……先生に当てられて間違えた後とか、なんも言わないで横座ってくれるし……星座の早見表とか、くれたし……紅茶飲みながら目があったらなんか、なん、かっ……ぐすっ……嬉しそうにしてくれるし……でも……」

 

 ……燈ちゃんにまであんなに言う必要は、別に、なかったけど。泣きそうな顔してたけど。でも、でもいつも黙ってたのもほんとじゃん。もっと早くお人形扱い否定してくれてもよくない? ……でも、振り切っちゃったけど、追いかけてくれたし。でも……でも、やっぱ、だから、それで……それで?

 

「クライシックの代わりじゃなくて天文部の部員で……ふたりの友達の愛音で、あのちゃんで……ぐす、ともだちで、私、トモダチだったのに……トモダチなのに゛ぃ〜……!」

 

 ヤダな。

 ヤな子だ、私。

 あんな酷いこと言っといて、ふたりの好きなとこばっか思い出してる。

 

「友達に、ひぐっ……ひどい゛ごと言っちゃ゛ったぁ……!」

 

 もっと早く踏み止まらなきゃいけなかったのに、なんでこんなになるまで止まれなかったんだろ。メッキが剥がれたら人間関係もダメダメじゃん、私なんか、私なんか……私、もうなんにもないよ。

 

「ごべんなざい〜……!」

「だっ……だ、大丈夫!? なんでこんな時間に、いやとりあえず、えっと」

「わだ、わだじ、なんで……うわぁ〜ん!」

「よ、よしよし、落ち着いて、大丈夫だからね……! うちの制服だよねこれ……? うちっていうか、もう卒業したけど……」

 

 なに今更後悔してんだろ。バカ。勉強しかできないアタマなんか転んでぶって割っちゃえばいいんだ。

 涙でぐしゃぐしゃの視界をどうする気にもなれなかった。どうせ見えてたって顔色なんかまともにわかんないんだし。顔色わかってたら、ちゃんと、ひどいこと言う前に止まって、今のダメなやつだったね、ごめんねって……もう遅いんだぁ……!

 

「ごめ゛んね、ともりちゃん……さきこちゃん……!」

「……え、いま燈ちゃん、祥子ちゃんって言った……?」

「へ……?」

 

 手があったかかった。ふたりの名前が聞こえて、びっくりして顔を上げる。

 涙が落ちる。ちょっとだけはっきりした視界の真ん中に、誰かが映ってる。

 短い髪──

 

「……ともりちゃ」

「こ、これ使って……! あと、その。うち、喫茶店なんだけど」

 

 幼めな顔立ちを心配そうに強張らせながら私の手を握って、そっとハンカチを差し出してくれてる。

 ……燈ちゃんじゃない。

 去年卒業した、バンドやってた生徒会長だ。

 

「よかったら、あったかい飲み物飲んでかない?」

 

 勉強しかできないアタマから引っ張り出す。

 たしか、羽沢(はざわ)つぐみさん。

 

 

 

 

 

 

「はい、アップルティー。明日から秋限定で出す予定なんだー」

「あ、ありがとうございます……」

 

 涙が落ちてちょっと濡れてた眼鏡も拭き終わった。掛け直しながら頭を下げると、秋らしいブラウン系のセーターの上にエプロンをつけたつぐみさんが、空いたお盆を胸元に抱えて可愛らしく微笑んでくれた。前に講堂でライブ観たときはギラギラして見えたけど、近くで見ると素朴な感じ。

 木製のカウンター席はコーヒーの香りで満たされてたけど、コースターに置かれた陶器のカップをそっと引き寄せると慣れ親しんだ匂いと入れ替わった。あの部室と同じ紅茶の匂い。アップルティーの温度がじんわりと手に染みて、やっと、人心地ついた。

 

「ミルクも持ってくるから、ゆっくり待ってて」

「いいんですか、その、至れり尽くせりってゆーか」

「いいのいいの。今なら飲み比べて感想くれたら、テスター優待でタダにしちゃう」

 

 ぱちん、と慣れてなさそうなウィンクをして、「えへへ……しょ、少々お待ちください!」と引っ込んでいく。え、なにあれ、かわいい。

 

「あざとかわいい……」

 

 私への気遣いでちょっとおどけた感じに頑張ってくれたんだろうなーってわかるあたりがあざとい。すご、大学でモテそう。男の子よりは同性にがっちりガードされてそう。

 

「……あまい」

 

 おいしい。はちみつかな、優しくてホッとする味だ。でもなんかさっぱりする風味もあるっていうか……ショウガかな? このところ寒くなってきたから祥子ちゃんが入れてくれるようになってて……うぅ。

 

「……ごめん、ごめんね、祥子ちゃん……」

「お待たせしましたー……わ、カップ震えてる震えてる!」

 

 つぐみさんが支えてくれてなんとかセーフだった。いけない、本格的にまずいかも。

 

「すみません……」

「……この時間ね、お客さんあんまり来ないの。平日だし」

「え? あ、そ……えーと」

「あはは、見ての通り」

 

 言いづらい。ていうか、平日朝って喫茶店開いてるもんなの?

 扉の方をちらっと見る。ドアノブに掛かってるプレートには『OPEN』の四文字。こっち側から見てそうってことは……「しー」「すみません……」お言葉に甘えよう。

 

「……聞かないんですか」

「うーん……あなたは、どう? もう少しゆっくりする?」

「……ミルクお試しの分だけ、もうちょっと」

「うん。大丈夫だからね」

 

 自分でやろうと思ったけど、ポットをさっと取ったつぐみさんがさらりとミルクを差し入れてしまった。……ちょっとやりたかったな。昨日は燈ちゃんがやって、一昨日は祥子ちゃんだったから。

 甘やかに澄んだ金色が、ミルクでくすみ色に溶けていく。なんとなく見覚えがあった。惑星っぽいんだ。火星っぽいような木星っぽいような金星っぽいような、でもやっぱりどれも違うような。

 混ざって、やがて星みたいな模様もベージュ色に均された。湯気でくもった眼鏡越しに「いただきます」と呟いて口付ける。味がまろやかになって、なんだか眠たくなっちゃいそうだ。

 午後はこっちの方が嬉しいかもなぁ。放課後に、祥子ちゃんに入れてもらって……それで、みんなで、ソファで手を繋いでお昼寝、なんて。

 ジンジャー入りの紅茶でぽかぽかしてきて、くっついたら暑いんですけどー、なんておこって。そしたら祥子ちゃんがこうしたら平気ですわって窓開けに行ってさ、燈ちゃんがちょっと困った顔してるの。

 

「……ケンカしちゃったんです」

「うん」

「私、なんとなくの友達作るの得意で、でも、ふたりは初めてちゃんとできた友達で」

「うん」

「でも……でも、シリアスな話っていうんですか、嫌な思い出に関係してることで、ちょっと、タイミング悪くぶつかっちゃって。相手の傷もなんとなくわかってるのに、先に言われたんだからやり返そう、なんて、カンタンに考えちゃって」

「……うん」

「それで……それで、すごく、言い過ぎちゃった。それだけじゃなくて、止めようとしてくれた子にまで、私、酷い八つ当たりして」

 

 また涙をこぼして、ちょっと鼻もすすりながら、思いつくままに話し続けた。

 天文部に入ってること。一緒の子たちが良い子で、私はヤな子なこと。前にバンドをやってたけど辞めちゃったこと。喧嘩はそのときのメンバーとたまたま再会したところを見られて発生したこと。バンドやってたけどギターはヘタで、天文部の子に教わってたこと。

 つぐみさんはときどき頷いて、ときどき相槌を打って、言葉に詰まったらお冷や紅茶のおかわりを淹れてくれたりもして。私の取り留めないし時系列もめちゃくちゃな話を根気強く聞いてくれた。

 

「……話してくれてありがとうね」

「い、いえ……むしろごめんなさい、こんな悩み相談みたいな」

「遠慮しないで、これでも元生徒会長だし、お仕事みたいなものだもん」

 

 ……私、こんなこと言えるかな。母校の制服着た子が泣いてるからって迷わず手を差し伸べて、嫌な顔ひとつせず聞いてあげるとか。可哀想だなーって通り過ぎちゃうだけな気がした。

 元羽丘生で、生徒会長やったことあって、バンド経験もあって。私とおんなじなのに、私と大違い。

 

「……私、優しくないや。その、愛する音って書いてアノンって名前なんですけど。愛とか優しさとか、ぜんぜんだなって」

「そんなことないよ」

 

 つぐみさんはすぐに否定した。ありきたりな慰めにしては妙にはっきりした口調なのが引っ掛かる。

 

「……なんで、そう言えるんですか? 初対面ですよね」

「少しだけ、知ってるから。チハヤアノンちゃん、だよね。苗字はなんて書くの?」

「え……数字の千に、えっと、早寝早起きの早いです」

「あぁ、響きもだけど字面もなんか綺麗だね」

「……え、なんで私の苗字知ってるんですか?」

 

 去年の冬に滑り込みで入った転入生だから? 生徒会長の情報網的な?

 首を傾げてるとくすくす笑われた。……不思議だな、バカにされてる感じとか少しもしない。

 

「私の先輩……先代の生徒会長がね、天文部だったの」

「へ? ……アイドルの?」

「そう、アイドルの」

 

「知ってたんだ」っていう割に驚いてなさそうな呟きに「日誌にテレビで見た名前が書いてあって」と返した。アイドルで、天文部で、生徒会長。肩書き全部盛りじゃん。

 

「もともと先輩ひとりだけの部活だったから、卒業したらなくなっちゃうはずだったんだけど……すごくお世話になったから、どうにか残したくて。そこに去年ふたりも入ってくれたでしょ?」

「あ……燈ちゃんと、祥子ちゃん」

「うん。そこ繋がりで、たまに近況教えてくれるの」

 

 腑に落ちた。燈ちゃんは日誌をマメに書いていたし、祥子ちゃんも絡んだ先輩とかいたら報告とかしてそう。

 

「休みの日とかにときどき顔出してくれるんだけどね、決まって一回は愛音ちゃんの話してるんだよ」

「……悪口とか」

「まさか!」

 

 わりかし本気めだったんだけど、つぐみさんは笑い飛ばしてくれた。

 

「いつも紅茶ばかりで愛音を飽きさせていませんかしらーとか、イルカショーで水飛沫から庇ってもらえて嬉しかったですとか、プラネタリウム楽しんでくれるかなーとか。あ、ここを紹介したいですわねー、とかも言ってたかも」

「そう、なんだ……」

 

 さらりと語られる裏側は本人の口からじゃないからこそ信憑性があって、陰口の逆っていうか、彼女たちの本音として素直に信じられた。

 ホントはなんとも思われてないのかもって考えてた。けど、そっか。ちゃんと友達だったんだ。

 CRYCHICの代わりではあったかもしれない。でも、それだけじゃなかったんだ。

 

「よかっ……ぐすっ……よかったぁ……!」

 

 ホッとして、さっきまでと違う涙が出てきた。しゃっくりとかと一緒じゃない、言葉もなく染み出すみたいな静かな涙。

 気づけば隣に腰掛けて頭を撫でてくれていたつぐみさんにされるがまま甘えていると、彼女は「それにしても……」と呟く。

 

「祥子ちゃんが……そっか」

「……祥子ちゃんが、どうしたんですか」

「前のメンバーの子と話してるのを見られて、っていうのがね。……嫉妬だったりするのかな」

「……嫉妬、ですか? なんで?」

「友達が自分から離れちゃうかもってなったら嫉妬くらいしちゃうものじゃない? 誰だって……祥子ちゃんだって」

 

 ……想像できない。

 いや、そりゃあね? 燈ちゃんと相合傘だー、みたいなことしてるときにふざけてそんな態度見せてくれることはあったよ。でもやっぱり、私にとっての祥子ちゃんはなんでもできるすごい子って感じで、友達ひとりっぽっち離れたとこで痛くも痒くもなさそうな──

 

(──あぁ、でも。クラスで他の子と話してるとこ、思い出せなかったっけ。それに)

 

『──ごめんなさい。ごめんなさい、燈』

『うん』

『ひどいことを言って、ごめんなさい。わたくし、私が、あなたを誘ったのに』

『うん、うん……いいの』

『私のせいで──』

 

 もつれ合ってソファに倒れ込んだふたりの生徒。憎たらしいくらいの青空。いつかの光景がふと、脳裏をよぎる。

 燈ちゃんに縋って泣く祥子ちゃんは思えば壊れそうなほど弱々しくて、あれが本性に近いなら『すごい子』らしからぬ嫉妬もわかるところだ。

 ていうか、もしかして。

 

(……天文部が、CRYCHICの思い出に並ぶくらい大事になってたり……する? だとしたら今の状況って──)

 

「──祥子ちゃんにまた、大切なものを壊させちゃった?」

「まだわからないよ」

 

 ぽん、とおでこにつぐみさんの手のひらが乗る。

 

「つぐみさん……」

「祥子ちゃんのこと、嫌いになっちゃった?」

「……なってないです」

「燈ちゃんのことは? 嫌いになったかな」

「なってないです」

「じゃあふたりのこと、どう思ってるの。──ほら」

 

 つぐみさんが立ち上がる。カウンターには私が泣きじゃくってる間にカップが追加されていて、彼女はそっとアップルティーを注いだ。

 

「伝えてあげて」

 

 バックヤードへ戻っていく彼女にドアベルが応える。

 

「はっ……はぁっ……けほっ……ぁ、あのちゃん」

 

 開いた扉から、息を切らせた燈ちゃんが現れた。

 

 

 

 

 

「……ごめんね、置いてっちゃって」

「う、うぅん……ここ、紹介したかったから……運がよかった、かも」

 

 先に私のお冷もあげて息を整えてもらってから、まずはそこから謝った。いきなり本題はその、気まずいし。

 

「CRYCHICができたとき、みんなで集まった喫茶店なんだ。……あのあたり、だったかも」

「へー……オシャレなとこセッティングしたね」

「月ノ森のみんなとうちの近くで集まって、ここの前で初めて立希ちゃんと会ったから……さきちゃんか、立希ちゃんが決めたんだと思う」

 

 燈ちゃんが指差したテーブル席をぼんやり眺める。燈ちゃんが歌詞を書いたノートを持ってきて見せた……んだっけ? それはもっと後なんだったかな。

 

「あのときは、確か、ピーチティーだった」

「春だったんだもんね。そっか、そのときも限定メニューだったんだ」

「睦ちゃんはいつも、マンゴージュースだったけど……ぁ、え、えっと……」

「……もー。いいのいいの」

 

 そりゃあさ。友達との思い出なんか、大事に決まってるよね。

 代わりにされたー、なんて思っちゃったけど、離れた友達の面影がある子に会ったら懐かしむくらいするでしょ。

 ましてや私、ちょっとくらいは代わりになれたらなーとか考えてたんだし。

 

「……燈ちゃん」

「は、はい」

 

 椅子を少し引いて居住まいを正した私は、体ごと正面を彼女に向けて頭を下げた。

 

「酷いこと、しかも八つ当たりであんなに言って、ごめんなさい」

 

 最後、声が震えちゃった。

 目をぎゅっと瞑らずにいられない。さっきまで紅茶飲んでたのに喉カラカラだ。

 ……喧嘩した友達に謝るのって、怖い。こんなに怖いんだ。宿題忘れて先生に謝るときなんか比じゃない。一瞬の沈黙にも耐えきれなくて口を開く。

 

「友達が喜んでくれるなら誰かの代わりでいいやって考えてたのに……最初から友達の代わりにされてたって思ったら、すごく……モヤモヤして、抑えらんなかった」

 

 モヤモヤ、なんて言ったけど。

 つぐみさんが言ってたね。友達が離れちゃうかもと思ったら、って。

 私にない大切なものがあることに、じゃなくて。

 ふたりのことがただ大好きだったんだ。だから嫉妬したんだ。だから、CRYCHICの形に空いた穴に、代わりに収まりたかったんだ。

 

「止めようとしてくれたのに、あんな態度で酷いこと言って無下にしたこと。……言葉数少なくて、でも代わりに丁寧に選んで話してくれる誠実なとこ、大好きなのに、歪めて伝えたこと。本当に、ごめんなさい」

 

 ぜんぶ吐き出した、と思う。つぐみさんにもさんざんぱら泣きついたくせに、今更泣き腫らした後の胸の奥だった。きゅっとするのになんだかすっきりしてるあの感じ。

 

「……あのちゃん」

 

 揃えた膝の上でスカートを握りしめていた両手に、燈ちゃんのそれが重なった。

 

「顔、あげて」

「……うん」

「…………ん」

 

 こつん、とおでこが触れ合う。

 

「……つ、伝わる?」

「……まだ、わかんないかも」

「そ、そっか……あったかい?」

「……うん」

 

 両手と、おでこ、温度が混ざっていく。不思議とあんまり気恥ずかしさはなかった。近すぎて曖昧な視界のまま、澄んだ瞳と交わし合う。

 

「……あのちゃん。あのね、私、星が好きで」

「……知ってる」

「石も好き。魚とか、水族館で生き物を見るのも好き。好きなもの、結構、いっぱいある」

「……それも、知ってる」

 

 燈ちゃんのティーカップは柄物で、ときどきうっとり眺めてる。戸棚に石が並んでたりもする。彼女なりに好きなものの基準がたぶんあって、それを満たすものは思いのほか多いみたいだった。

 

「だけど、クラスの子とおんなじ好きを持てたこと、ないんだ。ドラマも、服も、大勢との繋がりも」

「……そっか」

「でも……でもね。あのちゃんは、いつも私の話を聞いてくれた。どこが好きなのか聞いて、わかろうとしてくれた。あのちゃんが好きなものだっていっぱい教えてくれた、連れてってくれた」 

 

 手に一層力が籠もる。彼女の目が柔らかく細まるのがわかる。

 

「CRYCHICの子たちみたいだからじゃ、ない。私は、天文部の、私の友達の、千早愛音ちゃんが好き」

「……っ」

「代わりじゃない。代わりなんていないっ。他にどんなに大事なものがあったって、あのちゃんが、友達が大切じゃないなんてことない!」

 

 こんな大きな声をあげる燈ちゃん、初めて見た。

 

「なんかじゃない、いらなくない、あのちゃんいるよ……! ここに、ずっといてよ──!」

 

 言葉がまっすぐで、あんまりに直截で、気持ち丸ごと剥き出しのままで叩きつけられてた。心臓をダイレクトにパンチされてる気分。心臓っていうか、魂っていうか、形の見えない、大事ななにかを。これ、なんて言うのかな。

 

「……ごめん。ごめんね゛、ごめんねっ、だいすき、とも゛りちゃん……!」

「……いいの。いいんだ、あのちゃん」

 

 手が離れておでこが滑って、引き寄せられる。固く抱き締められる。

 私たちの間に繋がる、結び目みたいなもの。温かくてちょっと苦しくて、緩やかに引き合う重力みたいな。

 

「私も、大好きだから。赦してあげる」

「……ふ、ぐすっ……あぁ──あ……っ──!」

 

 胸の中に頭を抱かれて、絞り尽くしたと思った涙がまだ溢れる。

 

「ともりちゃん……さきこちゃんにも、謝りたい……大好きって、ちゃんと言いたい──!」

「うん……手伝う。なんでもするよ」

 

 涙の雨で思い出す。ギターのことを打ち明ける前、雨の部室で話したラグランジュ点について。それから、打ち明けたあとに彼女がこぼした、三体問題のこと。

 ラグランジュ点を導き出す問題は円制限三体問題ってやつなんだって。無視できるくらいちっちゃな天体Aが、大きなふたつの天体の釣り合う影響下で安定する場所を探すこと。

 天体Aが大きくなれば他の軌道にも影響しちゃって、釣り合う場所を探せなくなる。

 

 春の私は、まだ取るに足らない質量だった。

 元同じバンドの深いふたりと、後入りの他人。

 秋の今、私はふたりの友達になっちゃった。

 心の万有引力は互いに引き合って、計算できたはずの重力と軌道がめちゃくちゃになっちゃった。どうやって戻せばいいのか、なになら手を付ければいいかもわかんない。

 

「……燈ちゃん。したいことがあるの」

「うん……なに、あのちゃん」

 

 勉強得意だもん。むずかしい問題を解くコツもわかってる。補助線引いたり組み替えたりして、簡単になるまでバラせばいい。

 一般三体問題は解けない。不可積分性っていうんだっけ?

 じゃあさ。戻しちゃえばいいの。

 釣り合う天体Eと天体M、取るに足らない天体Aに。

 

「祥子ちゃん、あれで意地っ張りでしょ。今だってこの場所知ってそうだけど、来てくれてないし」

「う、うん……」

「謝るなら、ちゃんと場所整えないとだし……酷いこと言っただけのお詫びも、しなきゃじゃんね。だから──」

 

 問題です。

 天体Aが取るに足らなかったのは、どうしてでしょーか。

 

「──もう一度、CRYCHICの子たちを集めたい」

 

 私がちっぽけになるくらい大事な存在があったから。

 まずは正しい星を正しい場所へ。

 占星術(てんもんがく)の基本でしょ、祥子ちゃん。

 

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