プロローグ 魔法少女
「ん・・・うーん」
ふかふかとした、質の良い布団。その心地よさが、目覚めようとするボクの意識を、もう一度夢の中へと引き戻そうとしてくる。だけど。
――ピピピピピ、ピピピピピ!
朝を告げているのだろう、けたたましい電子音がそれを許してくれない。
耳障りな音が、無理矢理に意識を叩き起こした。
「わっ!? わっわっ――痛ぁ!?」
驚きのあまり、ベッドから落ちてしまった。
寝起きで上手く動かない身体を、固い床に軽く打ちつける。ジクジクとした痛みが、皮肉にもボクの意識を完全にハッキリとさせた。
「な、なに⋯⋯?」
痛みが引いてきたところで、ボクは立ち上がり、辺りを見渡す。見知った記憶のない壁。様々なファンシーな家具、小物が整頓されて置かれた、たぶんボク好みの空間。自分の部屋ではないのは、確かだ。
だけど――【自分の部屋がどうだったかが、わからない。】
いや、それどころじゃない。記憶をどれだけ手繰り寄せようとしても、何も出てこない。不自然なくらい過去の記憶が朧気で、何一つとして具体的な思い出が浮かんでこないのだ。
「どういうことなの? ボクは⋯⋯そうだ、エマ。桜羽エマだ」
桜羽エマ。高校生になったばかり。二階堂ヒロという幼馴染がいる。その記憶だけは、他とは違って明確に覚えている。……おかしい。これを単なる記憶喪失と呼ぶには、さすがに不自然だ。明らかに、そこだけを誰かの手によって残されたように思えてしょうがない。
「いったい何が起きてるの? そもそもここは何処?」
考えても、答えは出ない。とにかく、今は動こう。
ボクはパジャマ姿のまま、部屋の重い木製のドアを開けて、外へと踏み出した。
廊下に出ると、左右にある他の部屋のドアからも、同じように少女たちが次々と出てきているところだった。みんな、困惑した表情で周囲を窺っている。
そして、その中に見知った人物の姿を見つけた。
「エマ⋯君も来ていたのか」
「う⋯⋯うん、ヒロちゃん」「「⋯⋯」」
お互いを見つめ合った瞬間、胸の中に強烈な【違和感】が走った。何か、何か大切な前提があったはずなのに、何も思い至らない。
ただ、お互いに相手がどういう人物なのかがよく分かっている。そのことだけが、記憶に濃く刻まれている気がする。
「ヒロちゃん。ヒロちゃんは、どれくらい記憶って残ってる?」
「おそらく君と同じくらいだと思う。私も過去の記憶が全く無い」
ヒロちゃんは、一度言葉を区切って周囲を睨んだ。「……何かされたのだろうが⋯⋯」
「やっぱり、ヒロちゃんも⋯」
「あ!エマさん!ヒロさん!お久しぶりです!」
この緊迫した空気に、場違いなほど元気で快活な声が降ってきた。声のした方を振り向くと、水色の髪の少女――シェリーちゃんが、両手をブンブンと元気に振りながらこちらに近づいてきていた。
「シェリー、君は記憶があるのか?」
「ありません!」
満面の笑顔での即答だった。いつも通りよく分からないな、とボクは思う。
――【いつも通り?】そう思った瞬間。脳の奥を直接いじられたような、奇妙な感覚が走った。
さっきまで無かったはずの【シェリーちゃんに関する記憶】が、脳裏に直接書き込まれるようにじわりと浮かび上がってくる。ボクは、少しゾッとした。
「じゃ、じゃあなんで久しぶりって言ったの?」
「なんかそういう感じかな?って思いまして!お二人もそんな感じじゃないんですか?」
「それは⋯⋯確かにそうだな。そういう感覚がある」
「でしょー?」
「それでも、こんな状況で久しぶりだなんて言うのはおかしいとは思いませんでしたの!?」
シェリーちゃんの後ろから、まるでお人形さんのような容姿のハンナちゃんが姿を見せた。
やっぱり、というか。彼女の姿を見た瞬間にも、またパズルのピースが強引にハメ込まれるように、ボクの頭の中に新しい記憶が呼び起こされた。
「ハンナちゃんも来ていたんだね」
「ええ。シェリーさんとは、お二人が姿を見せる前に会いまして。わたくしもシェリーさんも、同じく記憶がひどく不鮮明でアレな感じですの」
「うん……」
「正しくないな、この状況」ヒロちゃんが、低く、険しい声で呟く。「いったい何が起きている?」
「それは、これからお話するので、皆様降りてきてください」
下の階から冷徹な声が聞こえてきて、ボクたちは一斉にそちらへ視線を向けた。
共用リビングらしき場所。長テーブルの一番奥に座るその少女は、理知的な目つきときちんとした服装に身を包み、コーヒーを飲みながらボクたちを見上げていた。
「どうしましたか。この状況を知りたいのでしょう?」
黒眼鏡の少女は片手で眼鏡のブリッジを整えると、早く来いと手招きするようなジェスチャーをしてみせた。
ボクたちは、何に圧されたわけでもないけど大人しく従い、リビングに用意された【13】の席へと腰を下ろす。全員が揃ったのを見届けてから、謎の少女は冷徹な言葉を紡ぎ出した。
「さて。この状況を教えるとは言いましたが、如何せん言えることは少ないものでね。まず皆様には、この私の寮で共同生活を行ってもらいます」
「はぁ!? んな話聞いてねぇぞ! 四の五の言わずに早く家に帰せよ!」
「そうだそうだ! あてぃしは今日、家で配信する予定――だったはずだし!」
一番に激しい声をあげたのは、やっぱり二人だった。マスクで顔を隠した目つきのキツイ少女、紫藤アリサちゃん。そして、いつも付けているはずの猫耳ヘッドホンを忘れているストリーマーの、沢渡ココちゃん。
二人は激しい戸惑いと怒りを黒眼鏡の少女にぶつけ、そのまま出口へと向かおうとした。だけど、それを遮るように和風のメイド服を着た少女が立ち塞がった
「退けよ!」
「⋯⋯」
「良いからそこを退けって言ってんだろ――」
グゥゥゥゥゥ⋯⋯⋯⋯
緊迫した空気を完全に終わらせるような、盛大な音がアリサちゃんのお腹から発せられた。
「うわ、すんごい音⋯⋯」
ココちゃんが思わず一歩引いて、アリサちゃんのお腹を見つめる。
「ぐっ⋯⋯!」
アリサちゃんは一瞬にして顔を真っ赤に染め、自分のお腹を抱え込むようにして俯いた。その様子を見て、黒眼鏡の少女はフッと口元を緩めた。
「マリカ、朝食の準備を」
マリカと呼ばれた少女は小さく一礼すると、遮るのをやめて厨房へと向かっていった。「空腹のまま外に出ても倒れるだけだ」とも言われ、アリサちゃんたちも胃袋には逆らえないと言わんばかりに、渋々と席に戻っていく。
そうして運ばれてきた朝食は、驚くべきものだった。トースト、和食、パンケーキ……なんと、並べられた料理は全員少しずつ違っていたのだ。まるで、ボクたち一人ひとりの大好物を最初からすべて把握しているかのように。それを見た瞬間、ボクも含めて全員のお腹が次々と鳴り始め、誰もが目の前の朝食を早く食べたそうに視線を注いだ。
「じゃあ⋯⋯いただきます」
◯
食べ終えて、一旦パジャマからそれぞれの服に着替える。お腹が満たされた幸福感と一緒に、ようやく、冷静な思考が戻ってくるのを感じた。
ボクたちの視線は、再び、長テーブルの奥へと集まる。そこには、満足そうに布巾で口元を拭いている黒眼鏡の少女がいた。……ちなみに彼女、ボクたちの倍は食べていた。
「まぁ、簡単に言うなら、君達はこの【都市】で暮らすこと。それ以外には特に縛りはない」
「待ってくれ」遮るように声が上がる。
「まず君の名前は? 私達は何故ここにいる? この記憶の欠落はなんなんだ?」
ここに来る前は役者だった、少し抜けてるところがあるけどボクたちの副リーダーみたいな立場のレイアちゃんが、みんなの疑問を代弁するように質問を投げかけた。
黒眼鏡の少女は、食後のハーブティーを一口すする。そして、静かに息を吐き出してから、返答した。
「私の名前は百合園リンネ。君達は……そうだね、公式的には【魔女】になるかもしれないから、ここに集められた。記憶の欠落は⋯⋯ここで暮らすうちに埋まっていくとだけ告げておく」
「魔女⋯⋯」
レイアちゃんがその言葉を呟いた瞬間。ボクの頭の奥からも、またしても記憶が呼び起こされる感覚が走った。それはボクだけじゃない。ここにいる13人全員が、ハッとした表情を浮かべている。【魔女】。【魔女因子】によって魔法を発現した少女たちが、最終的に行き着いてしまう存在の名称。数字、最後には【なれはて】と呼ばれる怪物になってしまうという、絶望的な事実。ボクたちは、それを確かに思い出し始めていた。
……はずなのに。やっぱり、どこか違和感があった。もっと大事な、何か決定的な記憶があったはずなんだと、ボクの心が細く警鐘を鳴らしているような、そんな奇妙な感覚。
「なるほど、リンネ……さんと呼ばせてもらおうか」
レイアちゃんの鋭い視線が、リンネちゃんを射抜く。
「自由にして良いとの話だが、君の目的はいいったい何なんだ? さっき【公式的には】と言っていたからね」
「良く聞いてるね」リンネちゃんは薄く笑う。
「私の目的か。……全ての君達のような存在、【魔法少女】を救い導くってところかな?」
「――ま、魔法少女?」
魔法少女、という単語。ボクは真っ先に女児アニメのフリフリ姿の少女を連想しちゃって、あまりにも気恥ずかしいそのネーミングに、しばらくポカンと口を大きく開けていた。それはレイアちゃんも同じだったみたいで。
「ご、ゴホン! ……それは、少し恥ずかしくは無いかな? もっと別のネーミングは⋯⋯」
真面目な顔のまま、気まずそうに咳払いをしている。
「いや、魔法少女だ。他のネーミングが欲しいならそちらで勝手に決めてくれ」
「り、リンネっち、ぶふっ、もしかしておもろい人ぉ?」
ココちゃんが緊張の糸が切れたように笑いを堪えた。それに釣られるように、他のメンバーの強張っていた表情も、少しだけ緩んでいく。……ただ一人。先ほどから難しい表情を崩さない、ボクの隣のヒロちゃんを除いて。
「⋯⋯まぁ、この話はこのくらいにして。私達は自由に動いていい。それで良いんだね?」
レイアちゃんが仕切り直すように言う。
「自由にやってみるといい。私は何も関与しないし、何も言うつもりもないのだからな」
「⋯⋯わかった」
レイアちゃんは、外に向かうドアのほうへ歩を進めた。今度はマリカちゃんに阻まれることもなく、すんなりとドアノブに手が届く。
「私は私で動くつもりだけど、皆もリンネさんの言う通り自由に動いてくれ。私はとりあえず、ここがどういう場所かを把握しようと思う。それじゃ」
「今は7時だね。12時に昼ご飯あるから、ご飯が欲しいならこの時間に帰ってきても良いよ」
リンネちゃんの事務的な言葉を背中で聞き終えると、レイアちゃんはそのまま重いドアを開け、外の向こうへと消えていった。
「⋯⋯それじゃあ魔法少女の皆さん、いってらっしゃい」
次々と外に向かっていくボクたちに、リンネちゃんは感情の読めない薄い笑みを浮かべながら、ひらひらと軽く手を振っていた。
――ボクたちの新しい生活が、ここに始まったんだ。
寮番号0番 寮長補佐
「……」
寮人プロフィール
無口無表情の和風メイドの少女。リンネよりもロボットを思わせ、リンネの言うこと以外には反応しない。度々奇行を目撃されているが、いろいろと謎の少女である
魔法 ●● トラウマ ●● 誕生日 1月5日
原罪 未来を閉ざした者 身長156cm 体重47kg