永久の軌跡   作:お倉坊主

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今回から第四回の試験実習。色々な人と出会って縁を繋いでいくと共に、トワの秘密を徐々に明らかにしていく予定です。テンポよく進めるよう頑張ります。


第36話 翡翠の公都

「はい、全員集まっているわね? 今月の実技教練を始めるわよー」

 

 赴任してしばらく経つというのに、一向に士官学校の教官らしい威厳というものが身につかないサラ教官のどこか呑気な声がグラウンドに響く。「はーい」と返事をするトワをはじめとして、この場の全員が揃って軍人の卵とはとても思えないので、そこのところはお互い様だろう。

 ともあれ、実習地発表を前に恒例と化した実技教練である。各々、好き勝手な返事をする教え子たちに頷いたサラ教官はトワに笑みを向けた。

 

「あんたも、もう大丈夫みたいね。あんまり周りに心配かけるんじゃないわよ」

「あはは……その節はすみませんでした」

 

 つい先日まで周囲の人々を遠ざけていたトワ。夏至祭におけるクロウたちの尽力もあって立ち直った彼女は、心配をかけた人たちに対して頭を下げるばかりであった。師匠の姪という縁もあって可愛がってくるサラ教官も勿論その一人である。

 といっても、誰も彼も怒ってなどいない。いつものトワに戻ってくれたことに胸をなでおろし、他愛のない世間話で笑い合える日常に安堵するものばかりである。トワ自身の人徳、そして人に恵まれたこと双方があってこその顛末だろう。

 おかげで憂いもなく試験実習にも臨めるというもの。その準備段階、実技教練に対しても四人はやる気満々だ。肩をぐるぐる回すクロウが「んで?」と問いかけた。

 

「今回もサラが相手になってくれんのか? さっさと始めるとしようぜ」

「やられっぱなしも癪ですからね。そろそろ一矢報わせてもらいますよ」

「血の気が多いわねぇ……ご期待に沿えなくて悪いけど、今回はちょっと勝手が違うのよ」

 

 過去二回の教練でサラ教官に敗北を喫してきたこともあり、クロウとアンゼリカはリベンジに燃えていた。ところが、肝心の相手の言葉からしてその機会は今回ではないらしい。

 どういうことかと首を傾げるトワたち。サラ教官は何とも言えない微妙な表情で説明する。

 

「学院で新しい教材を仕入れたというか、むしろ押し付けられたというか……まあ、諸々の経緯で使うことになった新機材のテストをしてほしいのよ。こいつの、ね」

 

 と言いながら指を鳴らすサラ教官。途端、宙より得体の知れない物体が姿を現した。

 赤銅色のボディに丸みを帯びたシルエット。頭部と胴体に二つの腕部がくっついた珍妙な木偶の坊、言うなればそんなものが浮いていた。機械的なステルス状態になっていたのか。突然に出現した得体の知れないものにトワたちは目を瞬かせるばかりだ。

 

「…………」

 

 ただ一人、ジョルジュだけが静かに目を細めるも気付いたものはいない。彼のほんの僅かな異変は周りに気取られることなくあっという間に埋没した。

 

「えっと……何なんですか? これ」

「戦術殻っていうらしいわ。色々と設定を変えられて訓練に活用できる高性能な案山子みたいなものだそうよ。動く原理とかは聞かないで頂戴。私も知らないから」

 

 トワが問うも、サラ教官から返ってくる答えは投げやり気味なものばかり。ほとんど伝聞形なことから、彼女自身もこの戦術殻というものについて詳しく知らないのは本当だろう。

 ふよふよと浮いているだけで動く気配のない戦術殻。自律行動はしない、指示によってのみ動くものなのだろうか。ひとまず危険はなさそうだと認めたクロウとアンゼリカなどは、近くに寄ってその奇妙な案山子もどきをまじまじと観察する。

 

「またけったいなものが出てきたものだね。金属、というよりは陶器に近い質感だが」

「どこのどいつがこんなもんを作ったんだか。ジョルジュ、なんか知らねえのか?」

 

 こういう技術的なものはジョルジュの領分である。当然ながら疑問は彼の方に飛び、少し考える様子を見せた後に普段と変わらない調子でその口が開かれた。

 

「こういったものが開発されたという話は聞いたことがないね。少なくとも、RFやヴェルヌ社、ZCFにエプスタイン財団みたいな一般的なところが出処ではないと思う」

 

 ただ、と彼は言葉を続ける。

 

「大陸各地には独自の技術を持っている工房も少なくない。政府や猟兵団からの仕事を請け負うところもあると聞くしね。たぶん、そういうところで作られたものなんだろう」

 

 一般市場に出回っている導力製品はジョルジュが挙げたような大手のものが大半を占めるが、何も導力技術はそれらだけのものではない。むしろ、日の目を見ないところで他に類を見ない進歩を遂げている場合もあるのだという。この奇怪な案山子も、そうした類の技術の産物なのかもしれない。

 そんなジョルジュの推察にトワたちは納得する。そして、それは決して的外れなものではなかったようだ。サラ教官が先と変わらない微妙な表情で頷く。

 

「ま、だいたいそんな感じでしょうね。そんなものがどういうわけか、どこぞの誰かさんの手を通してうちに押し付けられたのよ」

「なるほど。サラ教官が浮かない様子ということは、察するに帝国政府でしょうか?」

「ノーコメント、とだけ言わせてもらうわ」

 

 黙秘を主張しつつも、それは遠回しな肯定であった。そういうことならサラ教官が微妙な表情なのも頷ける。因縁浅からぬ帝国政府から一方的に送られてきた正体不明の物品ともなれば、あまり喜ばしい気分にはなれないだろう。

 とはいっても、学院側が受け取ってしまった以上は突っ返すわけにもいかない。倉庫の肥やしにして無駄にスペースを取るのも癪であるし、精々有効活用させてもらう腹積もりといったところか。釈然としない気持ちを振り切ったサラ教官は、コホンと咳払いをして仕切りなおす。

 

「ともかく、戦闘訓練に使えそうなのは確かよ。実際に生徒の相手役としてどうなのか、そこらへんを実技教練がてら試してほしいってわけ」

 

 ひとまず状況は理解した。そういうことならトワたちに否やはない。サラ教官へのリベンジがまたの機会というのは残念だが、自分たちは試験実習班。ARCUSや実習のみならず、こうしたテストを請け負うのも役割の一つだろう。

 

「分かりました。一応、壊さないようにした方がいいんですか?」

「別に思いっきりやってくれていいわよ。むしろぶっ壊してくれた方がすっきりするわ」

「私怨丸出しじゃねえか……それなら遠慮なくやらせてもらうがよ」

 

 武具を構えるトワたち。新品の備品に対するトワの気遣いを一蹴したのには苦笑いしか浮かばないが、全力でやっていいというのならばそれはそれで望むところ。ルーレ実習で結実した戦術リンクの力、思う存分発揮させてもらうとしよう。

 士気旺盛な四人にサラ教官は不敵に微笑む。その力、見せてみろとばかりに。

 

「機械相手だからって足元をすくわれないよう気をつけることね。それでは――始め!」

 

 指示を下された戦術殻が動き出す。不規則な軌道を描いて突撃してくるそれを迎え撃つトワたち。三回目の実技教練、その火蓋が切られた。

 

 

 

 

 

「……あの、サラ教官」

「……何よ」

「動かなくなっちゃったんですけど……」

「見れば分かるわよ」

 

 が、その決着は思いのほかあっさりとついてしまった。具体的には、一分あるかないかで。

 トワの足元にはプスプスと黒煙を上らせて転がる戦術殻の残骸。銃弾で穿たれ、鉄拳に凹まされ、鉄槌で潰され、一刀のもとに両断された有り様は見るも無残。修復不能、スクラップである。

 

「んだよ、思ったより手応えのねえ相手だったな」

「同感だ。もう少し手古摺るかと思っていたのだが」

「僕たちの連携に対応しきれなかったようだったね。思考アルゴリズムが単純なのかな」

 

 あっさりとした結末にそれぞれ拍子抜けしているが、サラ教官からしてみれば想定外なのは四人の成長度合いの方であった。戦術殻は設定を最高レベルにしていた。事前に試したサラ教官が、これなら少しばかり手を焼くだろうと判断した戦闘能力をそれは有していたのだ。

 それがどうだ。実際には秒殺もいいところ。完璧と評していい澱みのない連携。戦術リンクを完成させたトワたちは、サラ教官の想定を大きく超える成長を遂げていた。

 うっすらと冷や汗が滲む。今の彼女たちに、果たして自分は勝てるだろうかと。修正した情報をもとに脳裏で剣戟を交わし――導き出した答えは「困難」であった。

 

(来月あたり、覚悟しておかないといけないかもしれないわね……)

 

 背中のすぐ後ろにまで迫ってきている教え子たちに溜息を零す。めきめきと実力を伸ばしているのは教官として喜ばしい。しかしながら、一個人としてはまだまだ追いつかれるまいと思うプライドがあるのも確か。サラ教官の内心は割かし複雑であった。

 

「すぐ終わっちゃいましたけど、実技教練は終わりでいいんですか?」

「あー……まあ、仕方ないわね。どうだったかしら、実際にやってみて」

 

 そんな内心など露知らず、四人は不完全燃焼な気分を持て余しながらも構えを解く。本来の想定より随分とあっさりとしたテストになってしまったが、一応は目的を果たすために聞いておかなければならない。戦術殻の所感を問われたトワたちは短い戦闘から得た印象を口にする。

 

「訓練用に使うのに問題はないと思います。けど、一定以上の実力を有していると効果が薄いかな、と」

「そこのところは数で補うしかないかもな。それか何か条件付けたうえでの模擬戦にするか」

「ふむ、複数を運用するなら戦術殻同士の連携を崩す訓練とかも面白いかもね」

「設定にどこまで自由が利くかにもよるけど、確かにいい案かもしれない。僕もちょっと手を加えられないかな」

 

 個としての運用では目安を計る程度。だが、複数を用いれば疑似的な集団戦の相手として活用することもできるだろう。個々に役割付けたうえで連携を取らせられればなおよい。意外とポンポン出てくる意見を書き留めながらサラ教官は感心する。腕っ節のみならず、こうした洞察力や発想力も実習を通して伸ばしているらしい。

 ともあれ、所感としてはこれで十分だ。パン、と手を叩いて視線を集める。これにて実技教練兼戦術殻の運用テストは終了。ならばお待ちかねの時間である。

 

「それじゃあ実習地の発表に移るわよ。はい、回していって」

 

 いつもの校章入りの封筒が配布される。トワたちも既に慣れたもの。特に騒ぎ立てることもなく、いそいそと中身を取り出して今回の行き先を確認する。

 

「バリアハート、ですか。ルーレに引き続いて四大名門が治める州都というわけですね」

「クロイツェン州というと、アルバレア公爵家だっけ。四大名門でも家格が上って聞くけど」

 

 四回目の実習地として選ばれたのは、東部クロイツェン州の州都バリアハート。四大名門の一角、アルバレア公爵家が治める翡翠の公都と謳われる一大都市である。そうした基本情報を確認するトワとジョルジュに、アンゼリカはどこか皮肉めいた笑みを浮かべた。

 

「まあね。四大の中でもアルバレアとカイエンは一段上に位置する……その点、同じ州都といってもルーレと似たように考えない方がいい。あそこは真実、貴族のための街と言って過言ではないからね」

「なるほど。これまた一筋縄じゃいきそうにない実習地じゃねえの」

「ふふ……そこのところは到着してからのお楽しみということにしておこうか」

 

 アンゼリカの言から察するに、また難儀する実習になりそうだ。ルーレはログナー侯爵家の所領と言ってもRFを中心とした技術都市としての側面が強かったのに対し、バリアハートは純粋に貴族勢力が本拠を置く街。そう簡単に事が運びそうにないのは容易に想像できた。

 だが、いかなる困難が待ち受けていようと立ち止まっているわけにはいかない。貴族の牙城だろうが何だろうが、いつも通りに正面から立ち向かっていくのみである。

 

「日程はいつも通りに今週末から二日。面倒ごとに首を突っ込まないよう……とは言わないけど、ちゃんと元気な姿で帰ってくること。いいわね」

「あはは、分かりました」

 

 実習のたびに騒動に関わってくるトワたちに、サラ教官はもはや諦観の念を抱いている模様。どこか呆れたような、けれど教え導くものとしての温かみを帯びた言葉に、トワも笑って返す。

 

「あの、ところでサラ教官」

 

 と、そこで終わればよかったのだが、生憎とそうはいかず。「どうかしたの?」と首を傾げるサラ教官に対して、トワは足元に転がる戦術殻の残骸に改めて視線を移した。

 

「これ壊れちゃいましたけど……始末書とか大丈夫ですか?」

「あ」

 

 翌日、生徒会への依頼にサラ教官の手伝いが加わっているのを認めて、ちょっぴり溜息を洩らしながらも引き受けるトワの姿があったとか。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 週末、早朝の時間帯にトリスタ駅に集合したトワたち。四回目ともなるとトリスタの人々も分かったもの。出発前の準備ができるようにと早い時間から店を開けてくれる親切心には感謝する他ない。頑張ってと応援してくれた駅員に見送られ、四人は一路バリアハートへと出発した。

 初回の実習で訪れたケルディックを経由し、クロスベル自治州ひいてはカルバート共和国へと続く大陸横断鉄道と分岐して帝国南東方面へ鉄路を進む。秋の収穫を期待させる青々と葉が揺れる穀倉地帯の風景を楽しみつつ、列車は滞りなく目的とへと向かう。

 そうして到着したバリアハート。駅に降り立ったトワは、座りっぱなしで固まった体をほぐすように「うーん」と背伸びをする。

 

「鉄道に長い時間乗っていると、気付かないうちに体が凝っているよね。皆と話したり遊んだりしていると気にならないものだけど」

「そりゃ同感だが、それにしてもお前ゲーム全般に弱すぎだろ。全戦全敗だったじゃねえか」

「た、楽しかったんだからいいじゃない。ゲームなんだから」

 

 乗車中にやっていたブレードの対戦結果を蒸し返すクロウに物申すトワ。負けが込んだのは確かだが、楽しめたのも事実だからそれでいいのだ。実際にはえげつない手を思いついても、遠慮が勝ってジリ貧になるのが敗北の原因だったりする。心優しい性根ゆえの些細な欠点であった。

 と、そんな車中での一幕を経てたどり着いたバリアハート。四大名門の治める州都は伊達ではなく、街の規模も大きい。ぐるりと駅舎を見渡したジョルジュがその印象を口にする。

 

「綺麗な駅だね。ルーレは無骨な感じだけど、ここは壮麗な感じというか」

 

 ルーレの駅は貨物線なども多く乗り入れており、装飾のない鉄臭さがあった。対してバリアハートは所々に装飾が施されており、なんだか駅だけでも上品な雰囲気を醸し出している。鉄臭さに馴染んだジョルジュなどは少し落ち着かない様子だった。

 

「言っただろう。ここは正真正銘、貴族の街だってね。建物一つから街全体に至るまで、そのすべてが貴族の為に作られているようなものだ」

 

 どことなく呆れた目を周囲に向けるアンゼリカが言う。トワたちも実際に目で見ることで、その言葉の意味を朧気ながら理解してきていた。

 都市の玄関口には、やはりその都市の色というものが如実に表れるものなのだろう。ルーレならばRFを中心とした工業都市とログナー侯爵の質実剛健さが窺えた。そしてここでは、麗美さと表裏をなすように気位の高さとでも言い表すものが見て取れる。

 良くも悪くも貴族らしい雰囲気。平民の三人のみならず、アンゼリカもあまり肌に合わなそうなところだ。

 

「一応忠告しておくが、この街では貴族の横暴が罷り通る。下手な口をきいて牢にぶち込まれないよう気を付けてくれたまえよ」

「へいへい、了解しましたよっと」

 

 わざわざ目を向けての注意にクロウは肩を竦める。流石に彼もそれくらいは弁えているつもりだ。もっとも、そのように弁えなければいけないことが当たり前になっているバリアハート――依然として貴族の力が強い地域が多いのも、エレボニアを取り巻く現実の一面なのだろう。

 ルーレではRFの存在もあって貴族の強権を殊更に感じることはなかったが、今回はそうもいかないかもしれない。漠然とした予感と不安に難しい顔をしていると、頭の上あたりから声が響いてくる。

 

『気にしてばかりいても仕方ないの。まずは感じてみてから考えてみたら?』

 

 人目を憚って息を潜めていたノイの言葉に、それもそうかと気を取り直す。玄関口でいつまでも立ち往生していても仕方がない。実際にこの街の姿を見て感じて、そこからどうするかは後に考えればいい。まずは動き出すのが肝要だろう。

 それなりに人の多いホームを移動し、改札を出て駅の出口へと向かう。観光客や商人と思しき人たちの姿を流し見ながら、ふとトワはいつもながらの疑問を口にした。

 

「今回は誰が現地責任者なんだろうね。サラ教官、また教えてくれなかったけど」

「もう教える気なんて欠片もねえだろ。完全に楽しんでやがるぜ、ありゃ」

「うーん、否定できないね」

 

 例のごとく、トワたちは今回も実習地における責任者が何者なのか知らされていなかった。シグナの一件から味を占めてしまったのだろうか。サラ教官は傍目に見て口を割る気など更々なさそうであった。もはや実習のお約束となってしまった感がある。

 

「バリアハートの代表者といえばやはりアルバレア公だが……あの御仁は父上とはまた違う理由で実習などには目もくれないだろう。となると誰になるのやら」

 

 統治者たるアルバレア公は、アンゼリカの知る人柄から判断するに、実習に対して興味を示す類ではないようだ。では誰が責任者となるのか。バリアハートでは既に遊撃士協会の支部も撤退しているのでその線は薄いだろう。おおよその予測をつけようにも、情報が少ないために候補を絞れない。

 揃って首を傾げながらも駅の外に出る。優美な街並みに感心しながらも足を進めようとして――はた、とトワたちはその歩みを止めた。

 

 広々とした駅前の通り。そこに一台のリムジンが停まっていた。RFの最高級モデルであるそれは威風堂々と存在感を示しており、道行く人々の視線を否応にも寄せ付ける。

 だが、それ以上に人目を集めるのは、リムジンの傍に佇む一人の男性であった。嫌味を感じさせない深緑の装束、揺蕩う金髪は輝きを放つようで、麗美な面立ちに周囲の女性たちが示し合わせたように熱っぽい吐息を零す。

 そんな圧倒的存在感を放つ人物が、トワたちの姿を認めて微笑を浮かべた。

 

「やあ、時間通りの到着のようだね。つつがなく実習を始められそうで何より」

 

 唖然とするトワたちにお構いなく、男性は迎え入れるかのように腕を広げる。その所作がまた洗練されていて、相手が並々ならぬ人物であることを思い知らされた。

 

「翡翠の公都、バリアハートへようこそ。歓迎させてもらうよ。トールズ士官学院、試験実習班の諸君」

 

 内心でひっそりとため息をつく。どうやら今回もサラ教官の思惑にまんまと嵌ってしまったようだ。こんな出迎えを想定するなど無理な話ではあるのだが。

 伯父に背後を取られるわ、巨大飛行船が飛んでくるわ、いつもながら実習の始まりは刺激的である。それらに勝るとも劣らない貴公子による出迎えをもって、バリアハートにおける試験実習は幕を開けるのであった。

 

 

 

 

 

「では、改めて自己紹介をしておくとしよう」

 

 リムジンの車内。宿泊先のホテルまで送ってくれるという豪奢なそれの席で、トワたちを出迎えてくれた金髪の男性がそう口を開いた。

 

「ルーファス・アルバレア。アルバレア公爵の長子にして、今回の実習における現地責任者を務めさせてもらうものだ。見知りおき願おう……といっても、アンゼリカ君とは既に面識があるがね」

「ええ。正直、意外でした。公爵家が直接関わってくることはないだろうと思っていたところに、まさかルーファスさんがやってくるとは」

 

 今回の現地責任者、ルーファスは本人の言う通りアルバレア公爵家の長男である紛うことなき貴公子だ。既に父の名代として活動しており、社交界でもその名を馳せているのだとか。公爵本人ではないにしても、たかが士官学院の実習活動――しかも試験的なものに出張ってくるには大物にすぎる人物であった。

 前回のイリーナ会長も格で言えば決して劣るわけではないが、それでもあちらは明確な関りがあった。戦術リンク、そしてARCUSの開発元であるRFの会長が、その試験を行う実習を監督する立場にあったとしてもおかしくはない。だが、ルーファスには――アルバレア公爵家にはその関りがない。アンゼリカが意外と口にするのはそうした理由があってのことだ。

 相手もそれは分かっているのだろう。小さく笑みを浮かべて肩を竦めた。

 

「この件に関しては、公爵家というよりも私個人が引き受けたようなものでね。君たちの学院の理事長から打診を受けて責任者としての役目を仰せつかった次第だ」

「理事長って……オリヴァルト皇子のことですか?」

「殿下とは最近、社交界で顔を会わせる機会が多くてね。その時に話をいただいたのだよ」

 

 その口から出た人物の名に四人は驚きを覚える。リベールよりアルセイユ号で凱旋したその日に目にした、皇位継承権を持たない庶子の皇子。以前までは人前にあまり姿を見せなかったという彼が積極的に社交界で活動しているというのもそうだが、トワなどからすればそんな雲の上での出来事から自分たちの実習に繋がるとは思ってもいなかった。

 

「君たちからすれば実感はないかもしれないが、この試験実習……そしてその先の特科クラスも殿下の発案によるものだ。殿下自身、その実現に向けて注力していらっしゃるし、私にも随分と熱心にその話をしてくださったよ」

「そ、そうだったんですか。じゃあルーファスさんが責任者を引き受けたのも……」

 

 歴史ある士官学院でも前例を見ない試みであるだけに理事長も無関係ではないと思ってはいたが、まさか発案者その人であったとは。ルーファスの口から明かされた事実に少なからぬ衝撃を受けつつも、それらを踏まえて腑に落ちた気分にもなる。きっと彼もこの試みに興味を抱いたからこそ、個人的に責任者の役目を引き受けたのだろうと。

 ところが、目の前の貴公子はなかなか食えない人物であるらしい。悪戯っぽく微笑むと、トワたちの意表を突く言葉を放ってきた。

 

「まあ、殿下の試みに興味を持ったのも確かではあるが、今回に関しては君たち四人に会ってみたかったというのが本音かな」

「俺たちに……?」

「アンちゃんはともかく、私たちはそんな大層なものじゃないですけど……」

 

 自分たちに会って、いったいどうするというのか。アンゼリカは四大名門の息女ではあるが、それ以外の三人は紛れもない平民。ルーファスがわざわざ顔を会わせようと思えるほどの魅力があるとは考えられなかった。

 

「謙遜することはない。君たちの活躍は私の耳にもしかと届いている」

 

 そんなトワの言葉にルーファスは首を横に振る。身分のそれとは関係なしに、四人それぞれに注目するに値する点があるのだと彼は言う。

 

「アンゼリカ君は侯爵家の出身でありながら、型に縛られない振る舞いで立場に関わらず信望を得ている。同じ四大の身としては羨ましい限りだ」

「単に放蕩娘と評した方が適切かと思いますが、そう言っていただけると幸いです」

 

 傍から見ればアンゼリカの自虐の通りなのだろうが、同じ四大の子息という立場からすればまた違ったように捉えられるのか。ルーファスの言葉に皮肉めいたものは感じられない。

 

「ジョルジュ君はあのシュミット博士の弟子であり、君たちがテストする戦術リンクの開発にも大きく寄与していると聞く。学生の身でそれほどの技術力を有しているものはそうはいないだろう」

「過分な評価と思いますけど……ありがとうございます」

 

 目が移った先のジョルジュにも純粋な称賛が。大貴族らしい大貴族にこうも持ち上げられると逆に恐縮してしまうものがある。褒められ慣れていない部分もあってか、ジョルジュは萎縮するばかりだ。

 

「クロウ君も卓越した戦闘技術を有しており、学院内においても上級生に勝る銃の腕を誇っているのだとか。叶うならば、是非とも領邦軍に招きたいところだ」

「はあ、そりゃどうも」

 

 流石にリップサービスだろうと思っているのか、クロウは気のない返事。銃の腕前と同じくして生活態度もルーファスの耳に入っていることだろうから、そう思うのは当然のことだろう。論理的に考えて判断しても、一見して本気なように窺えるのが怖いところだが。

 三者三様の評価を口にしたルーファス。「そして」とその目が最後にトワへ向けられ、自身の奥底を覗き込んでくるような碧眼に彼女は息をのんだ。

 

「学年首席、かの《剣豪》より教えを授かった剣の腕前、生徒会の一員として学院のみならず周辺住民からの評価も上々……およそ非の付け所がない優秀さだ。それが一見、幼げの残る少女だというのだから恐れ入るよ。トワ・ハーシェル君」

「……いえ、まだまだ未熟な身です。剣も、そして心も」

 

 謙虚なことだ、と相貌を緩めるルーファス。トワとしては本心からの言葉だったのだが、そうとは受け止められなかったのか。あるいは、それを見越したうえで言っているのか。どうにも腹の内が読めない人。トワの中でルーファスはそんな位置付けになりつつあった。

 

「ともあれ、個々人でも魅力的な若者たちが各地における実習で目を見張る活躍をしているというのだ。青田買いとは言わずとも顔を繋ぐ好機ともなれば、私がここにいるのはなんら不思議なことではないと思わないか?」

 

 どこまで本気なのか分からないが、トワたちのことを評価しているのは嘘ではないのだろう。わざわざ現地責任者の役目を請け負ったのだから、それは間違いないと思う。よく分からないからと言って構えるのも失礼な話だ。ここは素直に納得しておくことにした。

 それにしても、と思う。自分たちを評価してくれているのは分かったが、その口から出てきた情報はいったいどこから仕入れてきたのやら。クロウも同感だったのか、若干呆れたような目をルーファスに向けていた。

 

「何というかまあ、よくご存じで」

「情報は時に何にも勝る武器になる。剣ではなく言葉で戦う場では特に、ね」

 

 これも熾烈な貴族社会を生きる上での嗜みということだろうか。なるほど、貴族派きっての貴公子とは伊達ではないらしい。その意味深な微笑みからは、ちょっとやそっとでは裏をかくことも出来なさそうな智謀の影が窺えた。

 しかし、試験実習の話がルーファスの耳に入っていたというのも実感が湧かないものだ。結果的にとはいえ、各地における魔獣被害の解決に貢献してきた実績。それも本人たちからしてみれば、その場で出来ることを精一杯やって来たに過ぎない。思いもよらない縁が巡ってきて戸惑いを覚えているのがトワたちの正直な心情である。

 それもまた好ましく映るのか、ルーファスは笑みを絶やさない。さて、と一言区切ると、彼はおもむろに一通の封筒を取り出す。トワたちも見慣れた士官学院のものである。

 

「お喋りは切り上げて、そろそろ実習の話に移るとしようか。こちらが今回の課題になる」

 

 差し出されたそれを受け取る。見た目の厚さより重い。というより、何か依頼書以外のものが入っている感覚だ。何だろうかと内心首を傾げるも、まずはルーファスの言葉に耳を傾ける。

 

「領邦軍、貴族、職人……バリアハートを理解し得る依頼を私なりに見繕った。一筋縄ではいかないものもあるかもしれないが、これまでの経験もある君たちなら問題ないだろう」

「これまた持ち上げるようなことを。そのご期待に沿えるよう、精一杯努めるとしましょう」

「ふふ、君たちの手並みを楽しみにさせてもらうよ。っと、着いたようだね」

 

 芝居がかった調子のアンゼリカにルーファスが返したところで、リムジンは速度を緩めて建物の前に停まる。先月に泊まったルーレのホテルと遜色ない高級感を放つ今回の宿泊先に、庶民的なトワはやはり気後れを覚えてしまう。個人的には宿酒場とかで構わないのに。責任者が責任者なので、最低限の見栄が必要なこともあって無理なのだろうが。

 リムジンから荷物を下ろしたところでルーファスとは一先ずお別れだ。窓から顔を覗かせる車中の彼に、トワは礼儀正しく頭を下げる。

 

「送っていただいてありがとうございました。実習、頑張らせてもらいます」

 

 トワに続いて三人も口々に感謝を述べる。「どもっす」と普段通りの軽い調子を崩さないクロウに頬の一筋も揺るがないルーファスはやはり大物だと思う。

 

「何か困ったことがあれば貴族街の城館を訪ねるといい。門番には話を通しておこう」

 

 最後まで親切なことを口にして、ルーファスは「では、健闘を祈るよ」と残しリムジンで走り去っていった。出会いもそうであれば、別れも正統派の貴公子らしく優雅である。

 リムジンが視界から消えていくなり、大きな息を吐くのはジョルジュ。まだ依頼に取り掛かってもいないというのに、彼は既に気疲れした顔をしていた。

 

「緊張したなぁ。まさかアルバレアの跡取りが来るなんて」

「何を今更。四大の血筋というのなら、私と毎日顔を会わせているだろうに」

「いや、アンと一緒にするのはちょっと……」

 

 ジョルジュが苦笑いを浮かべてそう言うのも致し方なし。立場としてはそう変わらずとも、アンゼリカとルーファスではあまりにもタイプが違いすぎた。良し悪しをつけるような話でもないけれど。

 

「とりあえず荷物を部屋に置いてくるとしようぜ。話はそれからでも遅くねえだろ」

 

 それもそうかとクロウの言に賛成の意を示すトワたち。まずはチェックインするために豪奢なホテルのロビーへと足を向けるのであった。

 領主たるアルバレアの名はやはりこの街では効果抜群なのか。やたらと畏まって応対してくるオーナーに恐縮し、一般の客室でも最高級の名に恥じない内装に頬を引き攣らせる羽目になる。準備を整えてロビーに集まるだけでもこれなのだから、つくづく自分は格式高いものに馴染みがないのだなと実感するトワであった。

 閑話休題、まずは依頼の確認である。封筒を開けて中身を出してみれば、数枚の依頼書と共に古びた鍵が一つ出てきた。どうやら渡されたときに感じた重みの正体はこれらしい。

 

「何の鍵だ、これ?」

「それは内容を検めれば分かることだろうさ。トワ、いつも通り頼むよ」

「うん。じゃあ確認していくね」

 

 アンゼリカに促され、依頼書に目を通していく。貴族から珍味であるという果実の採集、服飾を手掛けている職人からは何故か魔獣の毛皮の調達を、そして領邦軍より地下水路の手配魔獣の討伐をそれぞれ願うものがあった。

 大方、ルーファスが挙げていた通りの依頼人たち。前者二つは直接話を聞かないことには要領を掴めないが、最後の一つに関しては簡潔だ。同封した鍵でバリアハートの地下水路に入り、そこを根城にしている魔獣を倒してくるようにという旨がやたらと上から目線で書かれていた。

 

「この街にも地下水路があるんだ……こんなおざなりに鍵を渡されていいのかな」

「どうせろくに管理なんてしちゃいないんだろ。お高くとまっている連中が薄汚いところなんかに好きこのんで出向くわけがねえ。ちょうどいい厄介払いとして面倒ごとを押し付けてきたんだろうさ」

 

 地下水路の鍵とは分かったが、本来なら厳密に管理するように思えるものを人伝にポンと渡されるのもなんだか不安になる。そう口にするジョルジュにクロウは皮肉たっぷりに答えるが、それは否定するには現実味がありすぎた。

 ケルディックで目にしたクロイツェン領邦軍の性質は、歯に衣着せず言ってしまえば傲岸不遜。アルバレア公の私兵として領民に対し見下した態度を取っており、地下水路の魔獣退治などに骨を折るようにはとても思えない。この若干錆び付いた鍵からも、管理の不行き届きは明らかだろう。

 思うところはある。が、ここで難しい顔をしていても仕方ないだろう。まずは実習活動を開始するべく、トワは頭の中で組み立てた行動の指針を三人に提示する。

 

「他の依頼は街道に出ることになりそうだし、まずは地下水路から片付けよう。魔獣を退治したら領邦軍に報告して、その後に残りを並行して進めていく。それでいいかな?」

 

 少しの吟味を経て首肯するクロウたち。異論は出なかった。

 では早速、と行動を開始する。向かう先は依頼書に書かれた地下水路の入り口。ホテルを後にして目的地に歩を進めるさなか、群衆の声に紛れたノイが『それにしても』と不意に零した。

 

『地下水路だなんて、帝都でトヴァルと会った時を思い出すの。あんなことがまた起きなければいいけど』

「あはは……流石にあんな不幸な偶然はそうそう起きないと思うけど」

 

 冗談めかしてそんなことを口にする姉貴分にトワは苦笑い。ほんの二か月前の実習の思い出話に懐かしい気分になりながらも、バリアハートにおける実習活動を開始するのだった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「はぁー、すっごい綺麗な街ねえ。なんだか立派な身なりの人たちが一杯だし……」

「帝国でも一、二を争う大貴族のお膝元だからね。それより、あまりきょろきょろしないでよ。観光じゃなくて仕事で来ているんだから」

「はは、まあいいじゃないか。あまり肩ひじ張っても疲れちまうからな」

 

 一方そのころ、バリアハート駅にとある三人組が降り立っていたのだが――それはまだ、お互いに与り知らぬこと。

 二つの軌跡が、知らず知らずのうちに交錯しようとしていた。

 


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