永久の軌跡   作:お倉坊主

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第56話 遺跡と神話の島

「……ロウ君、クロウ君ってば」

「んあ……?」

 

 耳朶を震わせる呼び声、身体の揺らぎからクロウは眠りから目を覚ました。

 はっきりしない意識のまま五感が状況を捉える。見慣れない天井、潮の香り、波に合わせて自分の横になっているハンモックが揺れる。

 ああ、そうだ。ここは残され島へ向かう連絡船の船室。流星群の眺めを堪能した後、翌日に備えて床に就いたのだと思い出す。

 

「あ、目が覚めた? もう朝だよ」

「……分かったから離れろ。近いっての」

 

 そこまで微睡みに近い頭で理解したところで、眼前の少女に対して文句を零す。少し体を起こせば額がくっつきそうな距離から紅い瞳が覗いていれば当然だ。揺り起こすにしても、そこまで近づく必要はないだろうに。誰か彼女に適切な男女の距離感を教えてほしかった。

 

「ふぁ……ほら、君もさっさと起きたまえ」

「うえっ……? うわああ!?」

 

 とはいえ、それ以上の余計なことは口にするまい。欠伸交じりのアンゼリカに蹴り起こされたジョルジュを見て固く誓う。自分もあんな起こされ方をするのは勘弁だ。

 しかし、この眠気はどうしたことか。クロウは別段朝に弱いわけではない。いくら眠り慣れない環境とは言え、ここまで寝覚めが悪いのは想定の外。アンゼリカが欠伸を漏らしているのも珍しかった。

 

「どっこらせ……朝って……今何時だよ?」

「だいたい四時前なの」

「いや、それまだ夜じゃね……?」

 

 どうにかこうにか起き上がり尋ねてみると、応えたのはトワの肩に座っているノイ。素っ気なく告げられた現在時刻に重い瞼を閉じたくなる。どうりで眠いわけだ。既にしっかり起きているトワがおかしいだけである。

 昨晩の一件から元の姿のままでいるトワ。流れる白銀の髪には寝癖一つなく、きちんと身だしなみが整えられている。こんな朝かどうかも怪しい時間帯によくもまあ、とクロウからすれば思わずにいられない。

 

「もう少しで残され島に到着だよ。降りられるように準備しておいてね」

 

 そんな彼女からお達しが。到着予定は早朝と聞いていたが、それにしたって早いだろう。どうやら自分たちと彼女の間では言葉の捉え方に齟齬があったようだ。

 しかし、もうすぐ目的地となれば是非もない。用件を告げると男子の船室を後にするトワたち。その後ろ姿を見送り、クロウたちも寝ぼけ眼を擦りながら下船の準備に取り掛かるのだった。

 

 

 

 

 

 甲板に上がった一行を出迎えたのは濃い霧だった。海の先はまるで見通せず、目的地に到着したと言われても島の輪郭さえつかめない。

 搭載されていた小型のボートが水面に降ろされる。島へはこれに乗り換えて上陸するらしい。海底の沈んでいる遺跡の影響で、大型船ではこれ以上進むと座礁してしまうのだとか。四人にクラック船長、定員ギリギリのスペースで身を寄せ合い霧の中を進んでいく。

 

「本当に遺跡が沈んでいる……これが全部テラから?」

「そうなの。経年劣化で落着したほんの一部だけど」

 

 先の見通しは利かないものの、透き通る海の中はよく見える。エメラルドグリーンの海に沈む多くは風化し藻や海藻が繁殖しているが、確かに建造物の形を残しているものが殆ど。空より降ってきた遺物は、今では魚などの水棲生物の住処となっているようだった。

 一つの島を形成するような遺跡の量も以ってしても、ほんの一部とは。全くとんでもない話に理解する気持ちすら湧いてこない。この遺跡群の大元であるテラとはどんな代物なのかと今から空恐ろしい思いである。

 気が遠くなったりリゾート地も斯くやといった感の海に目を奪われていると、距離が近付いてきたことで霧の中に島の影が現れる。そこからは早いもので、入り江の小さな漁港があっという間に目の前にあった。

 桟橋にボートを横付けして上陸する。昨夕ぶりの陸になんだか安心感を覚える。船旅も思いの外悪いものではなかったが、やはり足元はしっかりしていた方がいい。

 

「そんじゃあ到着だ。長旅ご苦労さんだったな」

「クラック船長もお疲れ様です。送ってくれてありがとうございました」

「なぁに、トワちゃんのおかげで道中楽できたからな。帰りもお任せあれってもんよ」

 

 クラック船長はそう言ってトワたちを送り出すとボートで連絡船に折り返していった。他の積み荷を全て降ろすためには何往復か必要なのだ。いつものトワなら言われずとも手伝うところだが、今回は実習で来ている身。仕事は本職にお任せして桟橋を島の中央に向かって進んでいく。

 

「おっ、トワじゃないか。父ちゃん、姉ちゃん、トワが帰ってきたぞ!」

「本当? わあ、お友達も一緒じゃない」

「何だ、思ったよりも早いじゃねえか。入れ違いになると踏んでたんだが」

 

 と、大して歩みの進まぬうちに別の声が聞こえてくる。桟橋に泊まっていた一隻の漁船。そこで早朝から漁の準備をしていた親子からであった。

 

「コリーさんにベルさん、それにアレクさん*1、ただいま帰りました」

「ああ、お帰り。ノイさんも久しぶりだね」

「半年程度だけどね。そっちは変わりないの?」

「全然よ。今日もコリーとお父さんに頑張りに行ってもらうとこ」

 

 見た目からして三十台半ばになるかならないか。姉弟らしい二人とトワとノイは帰郷の挨拶を交わす。そのやり取りから島の住人同士で近しい関係を築いていることが窺える。これだけ小さな島の集落なら当たり前なのかもしれない。

 それにしても「ノイさん」というのも聞いていて妙な気分になる。彼女が島に腰を下ろすことになった理由の異変が起きたのが三十年ほど前。その頃に幼い子供の身であればそういう呼び方にもなるのかもしれないが……普段トワとの姉妹同然の姿を知るだけに、あまり年齢差のようなものは感じないのが正直なところである。

 

「で、そっちが噂の実習仲間か。なかなかの面構えじゃねえか」

「ど、どうも……」

 

 アレクと呼ばれた初老の男性が三人へ興味深げな視線を向ける。ガタイのいい相手にジロジロと見られるのは圧力を感じるものだ。ジョルジュは少し気圧され気味になってしまうが、それに対してアレクは頬を緩めた。

 

「そう構えんな。トワのダチっていうなら歓迎しないわけにはいかねえ。後で獲った魚を持っていくから楽しみにしてな」

「えっ、いいんですか?」

「いいのいいの。これくらいお安い御用よ」

「はは、良い魚獲れるように頑張ってこなくちゃね」

 

 どうやら厳ついのは外見だけのようで、闊達に笑うと親切にもお裾分けを約束してくれる。ベルとコリーも異論があるどころか乗り気しかない。トワの存在あってこそのことではあるが、それでも彼らの人の好さが窺えた。

 

 漁へ出発するアレクたちと別れて桟橋の先へ。そこへまた別の人物が現れる。桟橋から上がる階段の近く、帽子をかぶったナユタとそう変わらないくらいの男性が佇んでいた。

 こちらの姿を認めるや「よう」と片手を挙げてくる相手。それに対してトワとノイは呆れ混じりの笑みを浮かべる。

 

「ルーバスさん*2、もしかして待ち構えていたんですか?」

「へへ、ここなら必ず通るからな。折角の美味しいネタを見逃すわけないだろ」

 

 斜に構えた感じの男性――ルーバスはニヤリと頬を上げる。なんだか妙な手合いが出てきた。等とクロウたちが思っていると、彼はしげしげと観察するような目を三人に向ける。

 

「話に聞いちゃいたが、本当にてんでバラバラな面子だな。不良、メカオタク、男装貴族令嬢。なんともまあ、キャラの濃い」

「……あながち間違ってねえのが性質悪いな。そんな話まで出回っているのかよ?」

「こんな辺鄙な島だ。トワから手紙が来たら、その日の間に内容が知れ渡るぜ」

 

 ジトっとした視線が集中してトワは慌てて首を横に振る。クロウたちのことを手紙に書いたのは事実だが、そんな悪口を書いた覚えは毛頭ない。捉え方によっては、そう思われるかもしれない事実を書きはしたかもしれないけれど……

 残され島で三人の話がどんな形で広まっているかは知らないが、少なくとも現時点で悪いのが誰かは分かり切っている。この噂好きで捻くれ者な男に抗議の意を示すも、ルーバスはひょいと肩を竦めるに留めた。

 

「まあ、こんな退屈な島だが精々楽しんでいってくれ。面白い話を残してくれたら尚良し」

「それはどうも。こちらとしては、既に十分刺激的ですがね」

 

 そいつは何より、とニヒルな笑みを浮かべてルーバスはさっさと退散していった。なかなかいい性格をしている男のようである。トワとノイが仕方ないとばかりにため息をついているあたり、いつもあのような調子なのかもしれない。

 

 桟橋から階段を上り、トワの先導に従って霧の中を歩んでいく。それからも数歩進んでは村人から声を掛けられた。長閑な島でいまいち必要性が疑われている衛兵、ドラッド*3。生意気小僧がそのまま大きくなったような農家、ブーティ*4。他にも会う人全てがトワの帰りを喜び、クロウたちの来訪を歓迎してくれた。

 その人たちと言葉を交わす中で、確かに大陸の人々とは異なる雰囲気を三人は感じていた。それぞれが独特な人物ではあるものの、揃って根が善人とでも言えばいいのだろうか。到着して早々ではあるが、トワが底抜けのお人好しに育った理由が垣間見えた心地である。

 

「こんな朝っぱらからよく出歩いているもんだ。いつもこんな具合なのか?」

「まあね。でも、今日はトワの帰りを待っていた節があるかもなの」

「やっぱりそうかな。皆元気そうでよかったけど」

 

 こんなにも道行く先で声を掛けられるのは総じて朝が早いのもそうだが、久しぶりのトワの帰郷を心待ちにしていた証拠でもあるようだ。嬉しそうに頬をほころばせるトワに心温まる。

 石造りの建物が並ぶ島の中心部からやや離れて丘を登っていく。相変わらず霧が濃いが、この先がトワの実家なのだろうか。道中の田畑や霧の合間に見える海を眺めつつ歩を進める。

 不意に「あっ」とトワが足を止める。自然と三人も倣いつつ首を傾げた。

 

「トワ、どうかしたかい……っと、どうやら人のようだね」

「本当だ。今度はどんな――」

 

 霧の中に人影を認める。個性的な人ばかりなので、次はどんな手合いが来るのかと興味半分、やや構える気持ち半分。

 

 だが、そんな気持ちは現れた姿を目にした途端に全て吹き飛んだ。

 

 長い白銀の髪が潮風に揺れていた。白を基調とした装いに肩にかけられたショール、そこから覗く肌には一点のシミさえも見つからない。身体を構成する全てが完成されていた。

 今までに美人と呼べる女性には幾度となく出会っている。だが、今目の前にいる人物は美しさという次元で語れる存在ではなかった。

 

「め、女神だ……」

 

 アンゼリカが呆然と呟く。女神――そう、女神だ。全てが黄金律で構成されたような存在を前に、それ以上に適切な言葉は見当たらなかった。

 あまりの存在感に圧倒されるクロウたち。ただ呆然と見惚れている他にない。そんな彼らを更なる衝撃が襲う。

 

「ただいま、お母さん」

「ええ、お帰りなさい」

 

 驚きも度を越えると声さえ出せなくなるらしい。三人にできたのはあんぐりと口を開けることのみ。動作不良に陥っている面々を他所に、トワは母のもとへと駆け寄っていく。彼女を迎え入れたのは柔らかな抱擁だった。わぷっ、と胸元へと顔を埋める。

 

「こうするのも久しぶり。少し逞しくなったかしら?」

「学院に入ってから色々あって鍛えられたの。私も頻繁に出番があるくらいには」

「ふふ、そうみたいね。ノイもお疲れ様」

「もう……皆の前だと流石に恥ずかしいんだけど」

 

 こうして抱かれるのは嫌いなわけではないが、友達の前だと気恥ずかしさが勝る。頬を赤くする娘の抗議に「そういうものかしら」と母親は微笑ましそうにしながら腕を解いた。

 並んだ親子の姿はよく似ている。一本一本が光り輝いているような白銀の髪、紅耀石の煌きのごとき真紅の瞳。なるほど、常人ではない容姿は親譲りと言われると頷ける。しかしながら、その人間離れした美貌に母親という言葉を結び付けるのは難しい。

 それで、と吸い込まれそうな瞳が硬直したままの三人に向けられる。彼らは今になって思い出していた。トワの身に宿る特別な力、その起源がどこにあるのかを。

 

「貴方たちも遠いところからようこそ。トワの母、クレハ・ハーシェルです。娘がいつもお世話になっているみたいでありがとう。どうかゆっくりしていって」

 

 星の力を操るミトスの民。その純血たる彼女が人間離れしているのは当然と言えば当然のこと。十人中十人が見惚れるような笑顔に、三人はようやく頷き返すのが精一杯であった。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 島の外れにある小高い丘、崖際に海を臨むそこにトワの実家はある。素朴な木造の二階建ての家。増築が行われたことにより過去より幾分か大きくなっているが、基本的な構造に変わりはない。

 庭先の犬小屋に羊の囲い、それに便利屋への依頼が届いていた郵便受けもそのまま。変化したことと言えば、軒先に下がった遊撃士協会の紋章と依頼の宛先だろうか。

 

 クレハに出迎えられて帰宅を果たしたトワにノイ。慣れ親しんだ生家で彼女は親子ともども台所に並んでいた。実習について話すことは多々あれど、まずは朝食にしなければ始まらない。寮暮らしで成長した腕前を披露しようと張り切っている。

 一方、お邪魔している形のクロウたちはやっと現実感を取り戻してきていた。強すぎる刺激も徐々に慣れていくもの。どうにか台所で仲睦まじく料理をしている二人が親子であると受け入れる。まだ姉妹と言われた方が納得できるが。

 

「……何というか、トワの顔立ちがナユタさんの方に似ていて良かったよ。色々な意味で」

「違いねえ。少なくともゼリカが毎日暴走しちまうところだった」

「うーん……流石に大袈裟だと思うけど」

 

 疲れた顔で率直な感想を述べる男二人。その対面でナユタが苦笑いを浮かべていた。無論、クロウとジョルジュは冗談抜きでトワが父親似であったことに安堵している。今でも顔立ちの整った美人ではあるが、これが女神の如き母親のそれであった日にはどうなることか。きっと学院では目立ちまくり、アンゼリカは興奮冷めやらぬ毎日を送っていたことだろう。

 かくいうナユタも初めて出会った時は見惚れてしまった口である。彼らの言わんとすることが分からないでもない。従妹のマーサの家に連れて行ったときに散々騒がれたのを思い出し、どこか遠い目になっていた。

 

「こんなに賑やかな朝食は初めてじゃないかしら。ふふ、腕によりをかけないといけないわね」

「アーサさん、そんなに力を入れられたら私たちの立つ瀬がないじゃないですか」

「そうだよ、伯母さん。簡単に作ったものでも敵う気がしないのに」

「そうは言われてもねえ。トワがこんなにお友達を連れてきてくれたとなると、自然と気合が入っちゃうというか」

 

 そんな男性陣のやり取りを他所に、台所では穏やかな時間が流れている。トワとクレハに並んで朝食を手掛けているのはアーサ・ハーシェル。ナユタの姉であり、トワの伯母に当たる人物である。義妹と姪に困った顔をされるくらいには料理上手ということで島では有名だ。

 ナユタの姉ということは、少なくとも五十歳に近いはずなのだが……こちらもこちらで豊かな金髪が流れる顔立ちは若々しさが保たれている。驚くべきことなのかもしれないが、クレハに比べたらまだ常識の範疇と思ってしまうのはクロウたちの感覚が狂ってきた所作だろうか。

 

 いずれも見た目と年齢が釣り合っていないことを除けば、実に心温まる光景である。島の住人といい、帝都で出会った親戚家族といい、つくづくトワは周りに恵まれているようだ。

 羨ましい気持ちを感じながらも、しばらくこの和やかな空気を共有させてもらおう――と、普通ならそのようなところで落ち着く場面。しかし残念かな、この場の面子は良くも悪くも普通ではない。誰かしら一人は突飛な行動に出る。

 その御多分に漏れず、がたりと立ち上がる音。クロウたちが目を向ければ、今まで沈黙を保っていたアンゼリカが肩を震わせていた。

 

「アンゼリカ、どうかしたの?」

「……もう辛抱堪らん!」

 

 不思議そうにするノイを放ってトワたちのいる台所へ疾駆するアンゼリカ。その表情はだらしなく弛んでいた。

 

「クレハさぁん! どうかその玉体をお触りさせてください!!」

 

 女の子好きで名を馳せるアンゼリカ。そんな彼女がこれまでに目にしたことがないほどの美女を前にして大人しくしていられるだろうか。いや、ない。

 友達の母親だろうと人妻だろうと知ったことか。理性を上回った煩悩の赴くままに彼女は突進する。呆気にとられた周囲には止める猶予もない。

 あら、とクレハが振り返る。眼前に迫る色情魔のいかがわしい手つき。あわや魔の手に落ちるか――そう思われた瞬間、彼女は突っ込んできたアンゼリカをそのまま抱き留めた。

 

「もうアンちゃんってば、包丁使っているんだから危ないじゃない」

「意外と甘えん坊さんなのかしら? ふふ、良い子だから座って待っていてちょうだい」

「…………」

 

 邪まな気持ち満点で迫ってきた相手を一撫でするや、刃物を使っているときは危ないからとテーブルへリリース。何事もなく朝食の調理へと戻る。

 抱き留められた途端に呆けた顔になっているアンゼリカがフラフラと帰ってきた。周囲の何とも言えない視線を集めながら着席。ふっ、と淡い笑みが漏れた。

 

「負けてしまったよ……ああ、完膚なきまでにね」

「君はいったい何と戦っているんだい?」

 

 心底呆れ果てたジョルジュの言葉が全てだった。まったく仕方のないと溜息を吐くクロウとジョルジュの傍らで、ナユタが含み笑いを漏らす。ひとまず、彼女はこの寛大なご家族に感謝するべきであることは明らかだった。

 

 

 

 

 

「さて、それじゃあ今回の実習についてだけど」

 

 ハーシェル家の普段よりちょっと気合の入った朝食――アンゼリカ曰く、実家のシェフと遜色ない――を頂いて腹を満たし、準備万端となった試験実習班。テーブルの上を片付けたところでナユタが残され島における実習内容について切り出した。

 

「基本的には島の皆から寄せられた依頼に対応してもらうことになる。まあ、昔からトワがやってきた手伝いと同じだね」

「つまり、いつも通りってことなの」

「身も蓋もねえな……ところで今回の現地責任者は誰になんだ?」

 

 こうして説明を買って出てくれているナユタがそうなのかとも思うが、彼はあくまで博物学者である。実態はともかく、実習を監督するのに適当な立場かというと首を傾げる部分がある。

 その疑問は的外れではなかったらしい。ああ、とナユタが説明を付け加える。

 

「一応はシグナがそうだけど、報告とか相談は僕や姉さんでも構わないよ。肝心の当人がまだ帰ってきていないことだしね」

「シグナ君も今日明日中には帰るって言っていたし、そのうちふらりと現れるでしょう。はい、コーヒー」

 

 アーサが淹れてきてくれた食後のコーヒーで会話に一区切り。それぞれ礼を言って手を付ける。その香り高さからこちらの腕前も相当であることが窺えた。

 ともあれ、現地責任者のことについてはあまり細かく気にする必要はないようだ。言うなればハーシェル家の全員がそれに当たる。このような普通の民家に遊撃士協会の紋章がぶら下がっている有り様だ。依頼対応や事務処理などについては自然と身についている。

 

「トワがいるなら滅多なことでは問題にならないだろうけど。少なくとも、兄さんに出番があるかは怪しいところね」

 

 それはトワも同じこと。故郷という勝手知った庭ともなれば、実習を進めるのに何も問題はないだろう。今回の現地責任者は名目上のものに過ぎないようだった。

 

「でも、テラに行くときは気を付けて。トワは大丈夫でも、三人は不慣れな場所でしょうから。ラ・ウォルグではこの前に噴火もあったし」

「分かった。ちゃんと注意して案内するよ」

「ふ、噴火……?」

 

 クレハの口から何やら不穏な単語が聞こえたのは気のせいだろうか。平然と頷き返すトワを見るに、大して問題があるようには窺えないが……噂の巨大遺跡に赴く際には十分な準備が必要なようだ。主に心の準備が。

 

「説明はこれくらいにして、そろそろ依頼を渡しておこうか。これが今日の分だよ」

 

 漠然と嫌な予感がするクロウたちに構わず話は進む。父の手から渡されたいつもの校章が入った封筒。封を外して中身を確認し、出てきた三枚の依頼書に目を通した。

 一つ目は祖父オルバスからのもの。トワの学院や実習における話は当然ながら彼にも届いている。島の外での修練の成果を確かめよう、後で海岸に来なさい。依頼書には端的にそう綴られている。腕試しの類とみて間違いなかった。

 二つ目は宿酒場《月見亭》から。宿酒場といっても、客人の足が疎らとなって久しい今では別の施設としての役割が強いのだが――今は置いておこう。どうやら困りごとがある様子。詳しくは直接説明するとのことだ。

 そして三つ目、他ならない目の前の父からの依頼。テラでの調査に人手が欲しいとのこと。これは分かりやすい。つまりいつも通りということだ。

 

「お父さんの方は何か急ぎの用はある?」

「いや、先に師匠とライラの用件を片付けてくれてからでいいよ。僕は先に行って作業を進めておくから」

 

 それだけ聞ければ予定は組み立てられる。まずは祖父のもとへ。そこから月見亭の用件を聞いて、そちらが済んでからナユタのもとへと向かえばいいだろう。

 

「お弁当を作ったから持っていってね。お昼に皆で食べてちょうだい」

「これはご親切に。どうもありがとうございます」

「こんなに沢山……手際がいいですね」

 

 アーサからは人数分の弁当が渡される。朝食と一緒に用意していたそれは動き回ることを見越してか、なかなかのボリュームがありそうだった。ノイ用に小さいものまで用意しているあたり手が込んでいる。

 実習開始の用意は整った。懇切丁寧に昼食まで拵えてもらって不足などあるはずもない。しっかりと持ち運びの荷物の中に弁当を仕舞い、試験実習班はそろそろ動き始めることにする。

 

「じゃあ行ってきます。夕方くらいには戻ってくるね」

「行ってらっしゃい。夕飯は腕によりをかけて作るから楽しみにしていて」

「頑張ってお腹を空かせて来るの!」

 

 アーサの料理が楽しみになのは分かるが、腹を空かす方が目的に据えられるのはどうなのだろうか。ノイの奇妙な気合の入り方に苦笑いを浮かべながらもトワたちは出発するのだった。

 

 

 

 

 

「おや……霧もだいぶ薄くなったようだね」

「本当だ。視界の心配はしなくてもよさそうかな」

 

 ハーシェル家より出た先で、一同は到着時よりも見通しが利くようになっていることに気付く。島全体を厚く包んでいた霧は段々と晴れてきているようで、もうじき水平線まで見えるようになるように思われた。

 天候も回復傾向にあるようで何より。まずは先ほど固めた活動工程を改めて確認する。

 

「お祖父ちゃんは島の反対側の海岸に住んでいるんだ。まずはそっちに向かおう」

 

 《剣豪》オルバス・アルハゼン。八葉一刀流の開祖、《剣仙》ユン・カーファイと並んで東方剣術の達人として挙げられる人物である。ナユタにシグナ、トワの剣の師である彼との対面に、クロウたちとしては楽しみでもあり緊張の種でもあった。

 

「はてさて、どんなおっかねえ爺さんが出てくるのやら」

「どんな想像しているのかはともかく、そんな無暗に厳しい人じゃないの。多少は扱かれるかもしれないけれど」

 

 険しい顔をした厳格なご老人。一見して華奢なトワを腕の立つ剣士へと育て上げた人物だ。彼女が剣に対して生真面目なことを知るのもあり、おっかないイメージが先走る。

 ノイの口ぶりからしてそうとも限らないようだが、後に続いた言葉が不安を上塗りする。どの道、顔を合わさずには済ませられないのだ。件の老剣士がどのような用事なのかは分からないが、せめて常識的な範疇に収まる話であることを祈るばかりである。

 

「そう心配しなくてもいいと思うけど……取りあえず、お祖父ちゃんの用事が終わったら月見亭っていう宿酒場に行って、それからテラに向かう形だね」

 

 月見亭での依頼がどのようなものかで動きは変わるが、概ねそのような想定で間違いはないだろう。テラでは先に行くというナユタが待っている。そちらに合流し、彼の研究の手伝いに取り掛かるのが今日一日の大まかな流れだった。

 三人にも異論はない。いつものことではあるが、特に今回はトワの故郷である。地元のことは全面的に任せておいて間違いない。

 しかし、異議はなくとも気になるところはあった。

 

「それはそうと、その肝心のテラというのはどこにあるんだい?」

 

 先ほどから普通に会話に上がっているテラの名前。聞いている側としては、行き来にあまり手間はかからないような印象を受ける。残され島からそう離れていない場所にあるはずだ。

 だと思うのだが、ここに来るまでの間にそれらしいものは目にしていない。話に聞く通りの巨大な遺跡なら嫌でも目に付くはず。霧中で視界が悪かったとはいえ、全く気付かなかったというのもおかしな話に思えた。

 そんなことを尋ねられ、対するトワはポカンとしていた。彼女にとっては当たり前のこと過ぎて、逆に反応が遅れてしまったような。数拍おいて三人の疑問を理解した彼女は恥ずかし気に頬を掻いた。

 

「あはは……そっか、皆は気付かなくても仕方ないよね」

「この霧だからね。でも、そろそろ見えてくる頃じゃないの?」

 

 ノイの言葉に頷き、トワは「こっちだよ」とクロウたちを手招く。丘の先、海を見渡せる大木のもとへと。成長の過程で取り込んだのだろう。幹に埋まった門のような遺物に目を奪われながらも彼女についていく。

 

「ここからならよく見えるよ。ほら、あの海の向こう」

「ああ、確かに海岸の向こうにデカい塔が……」

 

 指差された方を見る。島の海岸より沖へ向かった先に、斜めに傾いだ大きな塔が認められた。あれが噂のそれの一部なのか。

 そう思った矢先、目の前の光景に違和感を覚えた。

 

「…………は?」

 

 絶句する。クロウもアンゼリカもジョルジュも、一様に自分の目に映ったものに愕然とし、言葉を失った。トワが指差す先、あの斜塔よりも更に向こうにあるものを認めて。

 

 濃霧のベールが晴れた先にあったのは水平線ではなかった。途方もないほどに莫大な質量の物体が光景を埋め尽くす。全体像が分からない。あまりの遠大さにスケール感が失われる。

 落着によって生み出された瀑布がそのままに凍り付いていた。氷のオブジェに身を包んだそれは半ばが海に没し、幾何学模様が刻まれた外壁が淡く碧い光を放っている。首が痛くなるほどに見上げた先では、半球状の外郭が上部全体を覆われているようだった。

 

 かつてテラは小国ほどの大きさを誇ると聞かされた。それを忘れていたわけではない。ただ、正しく理解はしていなかった。それも仕方ないだろう。いったい誰がこのような代物を想像できるというのだろうか。

 

「まあ、そういう反応が普通なの」

「ふふ……それじゃあ改めまして」

 

 超弩級の遺跡を背にトワが大きく手を広げる。故郷への来訪を歓迎するように。

 満面の笑みをと共に、彼女は節目となる実習の始まりを告げる。

 

「ようこそ、遺跡と神話の島《残され島》へ! 実りある実習にできるよう頑張っていこう!」

 

*1
残され島で漁を営む男性とその子供たち。幼児のコリーから見るに、ノイは「大きい虫さん」らしい。

*2
長閑な残され島の日常が退屈に感じることがあるようで、何かしら刺激的なことがないかと島の事情に詳しい少年。母親のジャニスおばさんは途轍もない怪力である。

*3
残され島の衛兵。ただし、あまり実力は期待できない。冴えないオッサンだが、後には力不足を感じてオルバスに鍛えてもらうなど気概はある。

*4
農家スクルプの息子。悪戯好きの困った子供だが、異変が起きて以降は仕事の手伝いをするようになったりと、少しは大人になったようだ。


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