なんか都合がいい感じのラ・マンチャランドくれ   作:300狂気

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二話

 

私のつまらない日常は、少しだけ変わった。迷子の彼を見送って以来、時折彼の姿を見かけるようになったのだ。ある時は畑で、ある時は街で、またある時は風車小屋で。

畑の水やりを手伝ってもらったり、街で一緒にお買い物したり、ただ見晴らしの良い丘で遠くを眺めたり。恋人と呼ぶには僅かに遠く、見知らぬ他人と呼ぶには近い距離の間に、私と彼はいた。

 

偶然と呼ぶには頻度が高いと思って彼に尋ねても、その都度やれ偶然だとか、偶々会っただけとか、迷子になったとか、何かと理由を付けてはぐらかされていた。

私とお喋りしたいなら素直にそう言えばいいのに、どこかいじらしくて子供っぽい。言い訳と言うには苦しすぎるから、もう少しマシな理由を考えたほうがいいと思う。可愛いから、別にいいけど。

 

それでも、数日は彼の姿を見かけていなかった。態々待ち合わせる約束をしている訳でもないのだから、当たり前と言えば当たり前なのだけど、彼との他愛のない話はそれなりに楽しかったから少しだけ寂しさを感じる。

別に彼と会っても合わなくても、日々はそんなに変わらないけど。

 

乾いた畑に水をやって、家畜を軽く世話してやり、お腹が減れば小麦を挽いてパンを焼く。一日の全ての義務が終われば、日が暮れるまで散歩に出かけるか、針仕事をして退屈を紛らわしていた。

いつの間にか日も落ちてきて、辺りはもう暗かった。手元も暗くぼやけていて、あまり針仕事にも気が乗らない。起きている理由もないなら、もう寝てしまおう。

 

きぃきぃと軋む木の階段を上って、二階の寝室に付く。田舎に街灯なんてものはないから、辺りも部屋も真っ暗だった。それでも今日は明るい方。月明かりが窓から差し込んでいて、微かだけどぼんやりと見えるから。

 

優しい月明かりに惹かれて、ベッドに腰掛け、窓から空を仰ぎ見る。私は時々、こうやって窓辺から星を眺めて憂鬱に浸っていた。何も考えずに、ただ眺めていた。

月もあれば星もあるけど、この夜空が本物の星空なのかは定かではない。君主ホンルがあの空は偽りだ~みたいなことを言っていた気がする。最早朧気で、前世の記憶なんてほとんど忘れてしまったけど。

 

綺麗な夜空を眺めても、私はあまり満たされることはなかった。寂しかった。こんな時...彼が隣にいて、お喋りしてくれればいいのに。そう思うけど、私の隣には誰もいない。

殺されるなら、今日が良かったのに。美しい満月の下で殺されるなら、みすぼらしい私も少しは美しく終われる気がするから。

 

星すら飽きた私は、ただ俯いた。瞼を閉じて、やってくるであろう睡魔に身を任せた。身体はそれなりに疲れていたから、すぐにでも眠気がやってきそうなのに、どこか心がざわついて眠れない。

今夜、何かが起こるっていう私の直観か、それとも女としての本能だったのかはわからない。それでも何かが起きる気がした、そんな時だった。

 

「すまない、ドゥルシネーア。少し遅れてしまったな」

 

かひゅ、と自分でも理解できない吐息が漏れた。意味が、わからなかった。鼓動と一緒に私の身体は跳ね上がり、先走った身体が思考を飛び越えて、窓辺へ向かって振り返る。

 

「ぇ、ぁ...どぅる、しネーア?」

 

彼は、確かにそう呼んだ。でも私の名前はドゥルシネーアじゃなくて、私は姫でもなんでもない身分で、身なりだってみすぼらしくて、

 

「美しい君には、美しい名前が相応しいと思ったんだ」

 

わたし、私は、ドゥルシネーアなの?当然のように、彼はそう言い切った。気付くきっかけは沢山あったのに、私はまだ、ドゥルシネーアじゃない気がしていた。

確かに髪色も同じだし、胸大きいし顔も整いすぎてたけど...だからって私がドゥルシネーアだなんて欠片も思ってなかった。

 

唖然として、何も反応出来ていない私を置いて時間と彼だけが進んでいく。

 

俺の姫になってほしい。そう言って手渡されたのは、ライラックの刺繡が施された、紫のドレス。柔らかくて、信じられないほど肌触りが良くて、私には不釣り合いなくらい仕立てが良かった。

 

困惑のまま、彼の顔を伺った。真剣で、でもどこか優しくて、私だけを一心に見つめているその瞳。言外に、ドレスを着てほしいという意味を理解する。

抵抗感はなかった。布の襟を掴んで、ゆっくりと腕を抜いて、彼の目の前で下着を脱ぎ始める。

 

少しの動揺と期待があって、でも彼はぷいっと背を向けてしまった。別に見て減るものじゃないのに。そういうところはちゃんと男っぽいんだなと思ったけど、ここまで来たらもう、関係ない。別に抱かれたって構わない。

暗闇の中、月明かりだけを頼りにドレスを着るのは難しかったから、所々彼の手を借りて、私はまるで本物の姫みたいに飾り付けられていった。

 

不思議とサイズはぴったりで、この手のドレスはちゃんと採寸しないと合わないはずなのに、私の身体に吸い付くようだった。身体をドレスに馴染ませるように、背を伸ばしたり、くるくると回ってみたり。

そして最後に...今まで、刈り入れの時邪魔だからってお団子で纏めていた髪を、ゆっくりと解いた。

 

「うん、やっぱり俺が見越した通りだ。よく似合っているぞ」

 

月明かりの下で、私は私を眺めてみる。鏡に映った私は私と同じように飾り付けられていた。鏡の中にいる私は、私じゃない気がした。だって、私はこんなに美しくない。それなのに、鏡の私は私と同じように揺れ動いている。

ただの農民としては邪魔でしかないけど、姫か娼婦としては完璧な、私の胸。それを大胆に露出させるこのドレスを着てみれば...なんだか、痴女になった気分だった。悪い気分では、ないけれど。

 

彼といると言葉では表せない安心感を覚える。大きな羽毛に包まれているようで、彼と一緒にいれば、私の心はどこか暖かい。

私の意志も、身体も、全部を彼に委ねてしまいたかった。そうすれば、私は幸せになれるっていう、漠然とした予感。

 

だけど、それは間違いだ。このままいけば私は...きっと、彼の家族になる。血鬼になるとはどういうことか、私は知っていたから。

全ての欲望が血に置き換わって、それ以外で満たされることはなくなる。永遠に不幸であり続けるということ。

 

私だけが不幸であるなら、それは別に構わない。だけどこの手を取ってしまえば、私はいつか第二眷属として家族を増やし、彼はきっと遊園地を建てて、私が作るであろう子供たちまで巻き込んでしまうのだろう。

子供たちの為に、彼を杭で貫かなきゃならない日がきっとくる。私にそんな覚悟も、責任も、負えやしない。私の手はちっぽけで、自分を守るだけで精いっぱい。それならば...せめて今、私を食い殺してほしい。

 

「お願い、私を食べて。私を今、ここで終わらせて」

 

きっと、その願いは叶わない。それでも私は嘆願して、彼の胸元に飛び込んだ。傍から見れば、火に惹かれる蛾のような姿だったかもしれない。首筋を彼の口元に宛がい、殺されるために抱き着いた。

彼の胸の内に抱かれて、ぎゅっと目を瞑って、その時を待った。抱き合って、お互いの熱と。どくどくと波打つ鼓動を感じる。

 

首筋に、鋭い痛みが走った。ぁ、だめ、しぬ、しんじゃう、ちがう、吸われてない、むしろ、注がれてる。人間として絶対に受け入れちゃいけないナニカが、私の中に入っていく。

 

白くなっていく私の肌、生気を失っていく私の指先、全身に熱い血液が駆け巡り、心臓がどくんと跳ね上がる。そして、ついに私の脳に水よりも濃い血が到達し...歪んでいった。

夢、期待、希望。あらゆる人間的な欲望が、全て血に集約されていく。私はまだ血の味を知らない、でも、きっと血より美味しいものはないんだろうなって本能で理解する。

 

水に対する恐怖心、家族に対する愛情が焼きごてのように強制的に烙印され、そして濃い、あまりにも濃い血への熱望が私を飢えさせる。

私を育ててくれた両親への愛や信頼は薄れさり、今や全くの赤の他人のように感じられる。記憶は朧げになり、私を愛してくれた人みんなが、最早歩き回る食料にしか考えられなくなった。

 

自分が歪んでいくのを感じる。私の全部が濃ゆい血に侵され、思考も、倫理も、本能も。存在そのものが書き換えられていって、元あった私というものはもういなくなってしまったのかもしれない。

父上、そう、御父上。何の理由もなしに、彼が敬愛すべき偉大な存在のように感じるし、私が、私のまま私じゃなくなっていく。

 

寒くて、怖くて、身体の震えが止まらないのに、彼に抱きしめられた途端、訳の分からない恐怖心がふっと消える。背中を優しく撫でられて、人肌のぬくもりを感じて、胸の内から暖かさが湧いてくる。

この暖かさも血鬼の呪われた血が生み出した愛なのか、それとも人間のように自然と培われていった愛なのか、私には区別がつかない。

 

私は人を辞めてしまう選択を、自ら選んだ。揺らめいた私の心は、結局、理性よりも感情を選んでしまった。この選択を永遠に後悔する日がきっとやってくる。それでも、よかった。

 

彼と血を分ち合い、同じ存在になれたことが何よりも嬉しくて、彼の物になったという多幸感が、全身を支配していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人を捨てて血鬼となった私は、半ば攫われるようにして彼の腕に抱かれ、彼の住むお城に案内された。広い、広いお城。がらんどうで、空っぽで、空虚なお城。

 

初めて感じた印象は、寒さだった。ここラ・マンチャは北部とはいえそれほど寒い場所ではない、それでも、私はこのお城に心の底から寒さを感じ取っていた。

彼があれ程までに家族を渇望し、孤独に苦しめられていた理由が今、分かった。この城は、一人が住まうにはあまりにも広すぎて、寂しすぎる。私を眷属にした理由が、今、やっと本当の意味で理解できた気がする。

御父上は自らの血を用いて、この孤独な城を創造され、ただ一人、離れることもなくずっと住み続けていた。それでも、前よりはこの場所も暖かくなったらしい。理由は明白だったけど。

 

「サンチョ!聞いてくれサンチョ!新しい家族ができたぞ!」

 

御父上は大はしゃぎで寝間着のサンチョに飛び掛かった。ちょっと前までは私の前でかっこつけてたのに...こうも急に犬みたいにはしゃがれると、なんだか、ギャップを感じる。

彼がそういう人だってのはわかっていたつもりだったのに、いざ目で見てみるとなんだか情けない。

 

「ふぁあ...なんですか、こんな夜更けに...今寝るとこなんです...が。今なんて言いました?」

 

寝ぼけ眼をぱちくりとして、サンチョは父上と私を交互に見る。眠そうな表情から、見る見るうちに困惑と驚きが混じった顔つきに変化していって、面白くて笑いで引き攣りそうな頬を何とか抑えた。

 

「私はたぶん、ドゥルシネーア。よろしくね」

 

「えぇぇぇぇ!?最近どこで道草を食べているんだと思ってたら眷属を作りに出かけてたんですか!?言ってくださいよホントにもう!あぁもうこんな初対面で情けない寝間着で合わせるなんてまた私に恥を掻かせたいんですか父上様は...。けほん、サンチョです。よろしくお願いします」

 

もう少し寡黙な性格だと想像していたけど、実際に会ってみれば意外と御父上に似てお喋りなのかもしれない。

 

もう夜更けも夜更けなのに、御父上は歓迎パーティを開こうだとか言って慌ただしくお城のどこかへと駆けて行ってしまった。血鬼ってそういうのするんだ...って意外に思ったら、サンチョの表情を見るにどうやら初めてのことらしい。

あっという間に遠くまで行ってしまった彼の後ろ姿を、私とサンチョは一緒に眺めていて、思わず顔を見合わせる。たぶん、今私もサンチョみたいな表情をしているんだと思う。

 

原作だと三言以上会話が続かなかったらしいけど...この顔を見て、意外と仲良くなれそうだなって、そう思った。

 

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