なんか都合がいい感じのラ・マンチャランドくれ 作:300狂気
病を広めて絶えず血を求め、更に家族を作れ。
私たち血鬼にとって、家族を作るということは吸血に次ぐほどの強い欲求であり、本能だった。
他の家門の血鬼たちは皆本能に従って自然と眷属を増やしていったし、サンチョや私、あと会ったことはないけれど、エレナのように眷属を作ることに消極的な血鬼というのは寧ろ珍しい部類に入るのだろう。
御父上は、より多くの家族を望んでいられた。でも、サンチョは前だけを見て生きていたいから、眷属を作りたがらない。私も、いつか負うであろう責任に耐え切れないから、作りたくない。
つまり、御父上とサンチョと私の三人だけで慎ましやかに生きていく...選択。でも、それは難しいかもしれない。三人いれどこの城はまだまだ広くて、あまりにも寂しすぎた。
いつか夢見るサンチョの為には、私が眷属を作った方がいいのだろう。御父上が夢を見てラ・マンチャランドを建てられ、サンチョが囚人になるとして。
あの局面、あの瞬間にサンチョが囚人として夢を追い続ける選択を選べた理由は、サンチョには眷属がいなかったから。夢を望む気持ちはどちらも同じくらい強くて、しかし御父上は夢を諦め、サンチョは夢を追いかけられた。その理由。
それは、責任がなかったから。7章は、そういうお話。
もし私がニコリーナを眷属にするとして、なら、私はどうやって責任を避ければいいのか。私一人が200年もの間飢えに苦しむだけなら、それは別に構わないけど、ニコリーナを眷属にしてしまえば、私はニコリーナを苦しめることを許容したことになる。
ニコリーナは、きっと私を恨まない。でも、私が、私自身を許せなかった。ニコリーナを苦しめることを。
ううん、苦しめるのは、ニコリーナだけじゃない。たぶん、血鬼になったニコリーナは眷属を作ることを躊躇しないだろう。たった一人でも眷属を作ってしまえば、私は第二眷属として家族皆を背負っていく立場になって、きっと私はその重圧に耐えきれない。
私は、決して強い人じゃない。私は本物のドゥルシネーアじゃないから、家族の為に御父上に杭を刺すなんて、例えマンブリーノの兜があったとしても、できやしない。
それならば…御父上の夢を、終わらせるしかない。夢が始まってしまう前に。
白い月の騎士、バリを殺してしまえばいい。御父上に夢を与える前に。そうすれば、夢を見ない御父上はラ・マンチャランドを建てず、子供たちを苦しめることもない。でも、それって正しいの?
人から夢を見る権利さえ取り上げて、御父上をこの暗い、灰色のお城に閉じ込めて、ゆっくりと殺していくなんて。そんなことが許されるだろうか?
私は、私は、どうすればいいの?
ニコリーナを眷属にしたいという衝動は日に日に強まっていくばかり。答えの出ない疑問は、まるで呪いのように私を蝕んでいった。
何もできやしない自分に対する無力感。応援したい、しかし終わらせなければならない夢。いつか負うであろう親不孝の罰。
「はぁ…どうしよう」
ここしばらく、自分の気持ちに折り合いがつかない。部屋から出て、ニコリーナの姿を見てしまえばその時。きっと私は、ニコリーナを眷属にしてしまう。自分の衝動に耐え切れなくて、だから、部屋から出たくない。
御父上が創造されたこのお城は全体的に日当たりが悪くて、昼間でも生気がない。照明も何もつけていない私の私室は薄暗く、その闇こそが私の理性を保っていた。そんな仄暗い闇の中で、私に近寄ってくる足音が、一つ。
かつ、かつ、と音はだんだん大きくなってくる。どうかこの足音が御父上か、サンチョのものであってほしいと、そう願った。でも、姿が見えなくとも、この足音の主はニコリーナだってことに私はもう気付いていた。
「ドゥルシネーア様ぁ、どうしてお顔を見せてくれないんですかぁ。髪はちゃんと毎日お手入れしないとすぐ痛んじゃいますのよぉ!」
コンコンと、扉を優しくノックする音が聞こえる。私は、何も返事をしない。ただ沈黙で返すだけ。
「ドゥルシネーア様ぁ?どぅ~る~し~ね~あ様ぁ、いらっしゃりませんことぉ?」
何も聞きたくなかった。特に、ニコリーナの声は。毛布に包まって、目を閉じて、耳を塞ぎ、ただニコリーナが帰ってくれることを願って、膨れ上がる欲求を抑えようとギリギリと掌を握りしめる。
血への渇望よりも強く苦しい私の想いは耐え難くて、胸が張り裂けそうだった。頭の中でカンカンと今もなお叫んでいる。病を広めて絶えず血を求め、更に家族を作れと。
「三日も顔を出されないなんて、どうされたんですのドゥルシネーア様ぁ、ドンキホーテ様もサンチョ様も心配なさってますのよぉ、一言でいいからお返事をくださいましぃ」
10分か、20分か。長い間、沈黙だけがその場にあった。息を潜めて、ただ耐え忍んでいた。私は結構粘り強い方だったと思う。なのに、ニコリーナは決して扉から離れない。
頭の中でぐるぐると葛藤と不安がかき混ぜられて、結局、私は根負けしてしまった。これ以上、ニコリーナの声を聞いたら耐えられない。ニコリーナの存在を、感じたくない。
「帰って」
心底冷たくて、掠れた声だったと思う。他者を思い遣る気のない、粗野な言い方。今にも理性の糸を手放してしまいそうな私が、一抹の理性から搾り出したのは、そんな言葉だった。
「私、今喉が渇いているの。だから…死にたくないなら、帰って」
鏡を見れば、どんな姿が映っているだろうか。きっと、ぎらついた目で血と家族を渇望した、とても見てられない酷い姿をしているんだろう。
どうか、私のことを嫌いになってほしい。どうか、私に構わないでほしい。でも、ニコリーナに会いたい。会いたくない。そんな矛盾した感情。
耐えがたい衝動に頭がおかしくなりそうだった。いや、私は血鬼になったその時からずっと狂っているのかもしれない。
本能に振り回されそうな身体を必死に宥め、どうか私が正気なうちにニコリーナが離れてくれないかと、懸命に祈った。血鬼に神がいるのかはわからない。それでも、何の神でもいいから誰か私の願いに答えてほしいと、私は必死に願っていた。
そんな時だった。かちゃり、と聞こえてはならない音が聞こえたのは。軋む扉の隙間から、私を伺うニコリーナの姿が垣間見える。瞳と瞳で見つめあう。ニコリーナと私の目線が、合って、しまった。その瞬間。
私の自制心。理性。そういったものが、熱せられたチョコレートみたいにぐずぐずに溶けていく。意味が、わからなかった。ちゃんと、鍵は掛けていた…はずで、でも、そんなことを気にしている余裕は今の私には一片たりとも残っていない。
だめなのに。だめ、なのに。ぁ、だめ、だめだめだめ!今顔を合わせたら、絶対我慢できないのに!
爆発的に膨れ上がる欲求のままに、獣のようにニコリーナに飛びかかって、床に押し倒した。
ゴキリッ、と嫌な音が聞こえる。きっと、ニコリーナの骨が何本か折れたのだろう。それはそうだ。だって私は第二眷属。対して、ニコリーナはただの人間。私がこのまま少しでも指に力を加えてしまえば、ニコリーナはそのまま死んでしまうのだろう。
かひゅ、とニコリーナの肺から空気が漏れて、痛みと苦痛に喘いでいるのに、それでもニコリーナの目は、真っ直ぐ私を見つめていた。
「どぅ、ドゥルシネーア様に食べられて終わるのなら…それも、構いませんわよ」
咄嗟に押し倒した際に、私の長い爪で傷ついたニコリーナの柔肌から、血が少しずつ滲んでくる。
蒸発した理性のまま、思わずペロリと舌で舐め取ってみた。
嗚呼、ああ、なんて美味しいんだろう。あまりの快感に脳が弾け飛びそうになって、もう、一抹の理性すら完全に消え去ってしまった。
もっと、もっと血が飲みたい!たった一滴ですらこれほど美味しいのなら、ぜんぶ、全部味わい尽くしたい!本能のままニコリーナの首筋に噛みつこうとして、ふと、思う。私って、こんなに獣みたいだったのだろうかと。
人は理性を失った時、不意に正気を取り戻すことがある。例え怒りに荒れ狂っていたとしても、ある瞬間急に理性を取り戻して、自分じゃない自分を遠くから見つめているような感覚になる時がある。今、人格が分裂したような気がした。飲み込まれた衝動から、私の身体が帰ってくる。
今の私の身体を動かしているのは、果たして本当に私なのだろうか。血鬼の、私じゃない、血の意志のそのものが、私を乗っ取っていたんじゃないか。
きっと、ニコリーナは何よりも美味しいんだろう。でも、私の中の気持ちは…吸血よりも、遥かに強い衝動があった。
食べてしまうよりも…ニコリーナを、家族にしたい。この気持ちも、果たして血鬼の本能が生み出したものなのか、それとも私とニコリーナの人間的な関係と情愛から生まれたものなのかは、私には区別がつかない。
本当に理性が私に残っているのなら、きっと、私は逃げ出さなきゃいけないんだ。ニコリーナを家族にしたいというこの気持ちも、呪われた血が生み出した本能に違いない。
なら…どうして私はニコリーナを掴んで離さないの?
「でも…やっぱり、死にたく、死にたくないです、の…」
痛いのだろう。苦しいのだろう。私に上から全身を押さえつけられていても、ニコリーナは少しでも命を繋ごうと必死にもがいていて、私はどこか他人事のようにそれを見つめていた。解けてしまった理性の糸を手繰り寄せて、また一本一本編んでいく。
ちゃんと、聞かないと。私は、私はニコリーナを家族にしたい。でもニコリーナがそれを、今の醜い私を見ても受け入れるかを、確かめないと。それが、きっと私の人としての最後の礼儀だから。
「ねぇ、ニコリーナ」
「なんで、しょう。ドゥルシネーアさまぁ」
「いつかの未来、例え200年もの間血を啜れずに、飢えに狂って苦しみ抜いて死んでいったとしても…私の手を取ったことを、後悔しないって、言い切れる?」
「…わかりませんわぁ、でも…私、ドゥルシネーア様の家族になれたら、きっと幸せですぅ」
その言葉は全くの嘘偽りのない、本当の気持ちだった。ニコリーナの、本当の気持ち。
なら…私も、ニコリーナが好き。すとん、とようやく腑に落ちて、私は、ようやく認めることができた。これは、本能じゃない、純粋な自分の感情。
家族とか、責任だとか、そんなごちゃごちゃしたものなんて関係ない。私は、ニコリーナが好きだったんだ。
「ごめんね」
今、決めた。覚悟というには拙くて、それでも、もう逃げない。葛藤も、躊躇も、今全部飲み込んだ。
ニコリーナの首筋に、牙を突き立てた。
私の内に広がる毒を、呪いを、ニコリーナになみなみと注いでいく。頭の天辺から、足の爪先まで。ニコリーナを私で染め上げていく。
循環する血液を通じて、身体の隅々まで呪われた血が行き渡って…ついに、脳までもが書き換えられていく。倫理も、価値観も人間としての大切ななにかも、血鬼の歪んだものに置き換えられて行って、決して人とは相まみえない。
もう、ニコリーナと私は友達じゃない。母親と、娘でしかない。一度濁った水はもう元には戻らない。今日、私は人としてのニコリーナを殺したんだ。
夢も、期待も、希望も全部血で塗りつぶして、ニコリーナは私の娘へと生まれ変わっていった。
震える指先を絡めとって、抱き合って熱を分かち合う。御父上が私にそうしてくれたように、ニコリーナの寒さを、少しでも私が和らげてあげたかった。
「どぅるしねーあさま…わたし、いま、とってもしあわせですわぁ…」
私の全部を、注ぎ切った後。名残惜しくも、首筋から牙を抜いて、ゆっくりと身体を起こしていく。血に酔ったようにふらふらと、目線も定まらずにニコリーナはぼんやりと私を見つめ、ただ幸せに打ち震えていた。
ニコリーナの頬に手を添え、軽い口づけを交わす。甘酸っぱくて、柔らかな唇を重ね、また抱き合って、血と幸せを分かち合う。ニコリーナの温かさを、熱を、まだ感じていたい。
「ねぇ、ニコリーナ。私のこと、まだ、友達だと思ってる?」
「お母様はお母様だけど友達ですぅ!」
ニコリーナの笑顔は、眩しかった。