なんか都合がいい感じのラ・マンチャランドくれ 作:300狂気
歓び。後悔。愛情。罪悪感。そして、自己嫌悪。あらゆる感情が私の中で走馬灯のように駆け巡って、浮かんでは消えてゆく。
私は、母親としてニコリーナをちゃんと愛してあげられるのだろうか。そんな不安と、それでもニコリーナを愛しんで、母として面倒を見てあげたいという本能から来る愛情。
そして、ニコリーナを渇きと言う名の檻に閉じ込めて、永遠の苦痛を味合わせてしまうかもしれないという恐怖と罪悪感。
濁流のような感情に押し潰されそうだった。頭がくらくらして、私の心はぐちゃぐちゃにかき乱されて、もう何を言えばいいのかわからない。
血と温かさを分かち合った喜びは何よりも甘く愛おしくて、でも、ずっと温かいままでいることはできない。
熱く流れる血も、いつか冷めて固まっていくように、浮ついて夢心地の私を現実に引き戻したのはニコリーナの紅く染まった瞳だった。
ぱちり、と目が合って、でも、もう前のニコリーナじゃない。ニコリーナは既に第三眷属の血鬼であり、私の娘だった。
胸を締め付けるような罪悪感はあれど、まだ幸せの余韻が残っていて、しかしゆっくりと、生殖の狂熱が引いていく。絡ませた指先を一つ一つ丁寧に解いていって、抱き合った身体を、少しずつ離していく。
熱も、鼓動も、もう感じない。でも、想いはまだとても近くにある気がして、心と心が通じ合っている気がした。
私の娘となったニコリーナを、少し遠くから、まじまじと見つめた。
瞳は真っ赤に染まっていたし、髪の色も布にインクが垂れて滲んでいくように徐々に変わっていって、インナーカラーは黒一色から、赤が混じっていて。そして瞼を閉じても、血で繋がった本能で変わってしまったニコリーナのことが手に取るようにわかる。
なんだか、気まずかった。正気になって自分の行動を鑑みると…私もニコリーナも、浅い関係ではなかったから、抱き合うまではわかる。でも、口付けまで交わしてしまうなんて。母親とか、友達をちょっと通り越してると思う。一応、私はこれでも姫なのに、はしたない。それに、あれだけニコリーナを眷属にするつもりはないと公言しておいて、結局本能に屈して血を分け与えてしまうなんて。みっともなかった。
でも、私の胸を締め付ける罪悪感とは裏腹に、ニコリーナはニコニコと満面の笑みで私を見つめるばかり。もじもじとしている私と、にやにやとしているニコリーナ。
少しの間、気まずい沈黙が続いて。先に口を開いたのは、ニコリーナのほうだった。
「さぁ!これで私もちゃんと、ドゥルシネーア様の眷属になれましたわよぉ、ドゥルシネーア様の本当の家族として生きていけるなんて…まだ、どこか信じられませんわぁ」
ニコリーナはそれはもう嬉しそうに、自分の喜びを隠せていない。私の娘になってもニコリーナは元気いっぱいのままで、少し安心した。でも…
「良かったの?血鬼になったら、もう人として表の世界には関われない。今まで築き上げた地位も、名声も、全部無駄になってしまうのに。それに…」
そこから先は、言葉が出なかった。人の血を飲まなければ、私たちは決して幸せにはならない。明日を期待することもできなくなり、何にも喜ぶことができなくなる。その事実を…私は、告げてやれなくて。
「いえいえ!私の作ったドレスを都市で一番美しいドゥルシネーア様が着てくれるなら私はそれで満足ですわよぉ!」
「…そう」
ニコリーナがそういうのなら、そうなのだろうけど。それでも…私は恐ろしくてたまらない。
私は、ニコリーナに取り返しのつかないことをしてしまった。血鬼になることで得られる家族の愛と幸せは確かにあって、でも、血鬼になってしまえば永遠の渇きにも囚われてしまう。
それに、ただ渇きの苦痛に囚われるだけじゃない。私たち、ラ・マンチャの血鬼の末路は…
ああ、ダメ。未来のことを考えると憂鬱になってしまう。またため息をつきたくなって、でも、何とか堪えて、息を飲みこんだ。
私が、私がニコリーナを血鬼にすることを決めたのなら、せめて私が祝福してあげないと。そうでなきゃニコリーナは報われない。今私の目の前にニコリーナはいるのだから、未来じゃなくて、今を見つめないと。
今頃、御父上やサンチョはどうしているのだろうか。二人とも心配しているだろうし、ニコリーナを眷属にしたのだから、一度顔を出さなきゃいけないけれど…
「…私、二人にどんな顔をして合えばいいの」
やっぱり、情けなかった。飛び掛かって押し倒して、挙句の果てには骨を折ってまでして噛みつくなんて。やっぱり、私はお姫様じゃなくて獣でしかないのかもしれない。
ニコリーナを眷属にするにせよ、もっと気を遣って、お姫様らしく優雅に、優しくしてあげたかった。こんな酷いやり方でニコリーナを眷属にしてしまっただなんて、二人に知られたらと思うと、何となく気が滅入ってしまう。
合わなきゃいけないのに、なんだか会いたくない。御父上がはしゃぎまわって飛び回るのは目に見えているし、サンチョに何かお小言を言われるのもわかっていたから。
「お二方ともとぉっても心配なさってんたんですわよぉ!ドンキホーテ様は嫌われたんじゃないかって慌てふためいてましたしぃ、サンチョ様は…まあ、そこまで変わりありませんけどぉ、不安がどことなく滲み出てましたしぃ、ドゥルシネーア様が御顔を見せてくれるだけでみんな安心なさいますわよぉ」
私が閉じこもっていたのは、だいたい三日か、四日くらいだと思う。私にとってはそれほど長い時間ではなかったけど…子煩悩な御父上にとっては、少し長かったかもしれない。
でも、サンチョも心配してくれていたなんて。今になって思えば、一言くらいは返事くらいはした方が良かったのかも。
「あぁそれと、ドンキホーテ様…じゃなくて、お父様に会われるなら身嗜みを整えてからにしましょうドゥルシネーア様ぁ!その…色々と格好も髪も乱れていますし」
ニコリーナのことばかり考えていたから気付かなかったけど、今の私はちょっと、だらしないかも。ぼさぼさの髪、着崩れた衣装、目に浮かんだ隈。
うん…やっぱり私、お姫様向いてないかもしれない。それでも、私は御父上に見染められたのだから、美しくあらないと。
「そうね。私はお姫様なのだから、御父上にだらしない姿は見せられないもの」
その先は言葉がなくても、お互いの身体は自然と動いていて、すべきことがわかっていた。私たちはいつものように、姫と御付きの理髪師としての関係に戻っていて、その関係に、母親と娘であることが加わっただけ。
いつものように髪を解いてもらって、ドレスを着こなし、軽くお化粧をして。ニコリーナのお蔭で、私は自信を持ってお姫様であることができる。母として面倒を見てあげたいとは言ったけれど、寧ろ面倒を見られているのは私の方なのかも。
理屈で考えると、ニコリーナを眷属にしたことは、絶対、絶対、間違いだったと思う。でも…私の感情は、これが何より正しい選択だったって、訴えかけていた。
私は苦しい言い訳をしているのにすぎないのかも。ニコリーナを眷属にしたことは、間違いじゃなかったって、自分を肯定したいだけなのかもしれない。
それでも、ニコリーナの笑顔と、少しずつ温かくなってゆくこのお城を見ると…私は、この選択が間違いだって言い切ることができなかった。
ニコリーナを眷属にしてからは、世界は目まぐるしい速さで変わっていった。私の眷属…このお城に子供たちが一人、また一人と増えていくうちに、私は母親としての責任と愛情を感じるようになっていった。
今のところ、人数はそれほどでもない。両の指ほどにも収まる、十人にも満たない小さな家族。朝が来ても寂しさを感じることはなく、夜が来ても静けさに覆われることはない。冷え切っていたこのお城に…家族の温かさが、じんわりと染みわたっていく。
母親として子供たちの面倒を見るのはそれほど苦ではなかったし、御父上のくだらなくもあるけど、どこか暖かい話を聞いてぼんやりと生きていくのも悪くはないんじゃないかって、そう思っていた。
でも、この温かさは破綻の始まりに過ぎないのかも。私たちラ・マンチャの血鬼たちの末路は、どうあがいても悲劇で終わるから。夢を追い続けることを選んだサンチョだけを残して、一族皆死ぬのか。それとも、サンチョが室長になって永遠の苦しみと罪悪に囚われるのか。あるいは…全て、炎で焼き尽くされるか。幸せは、永遠には続かない。この幸福には、必ず終わりが来る。私はそれを知っていた。
変わっていく私たちと同じように、都市もだんだんと私の知る姿になっていったと思う。特異点による翼の台頭。裏路地・巣・外郭の境界の明確化。ハナ協会の創設。そして、頭の誕生。
普段お城に引きこもって生きていたから、外の事情にそこまで詳しくないというのもあるけど、それにしたって時代と技術の進歩の速度が速すぎる。ハッキリ言って、時代について行けてなかった。私だけが世界から取り残されたような、そんな感覚を覚える。
そんな風に時代が変わっていくにつれて、人も、技術も、都市も、そして法も変わっていくものなのだろう。
私の中でも、まだ目新しい出来事だったそれは、都市に人間以外が存在することを許さない法だった。都市は人間が築き上げたものなのだから、人間の為だけにあるべきだ。そういう建前だった気がする。
人と頭は、都市に人間以外の知性が存在することを許容しなかった。人以外の知性体、亜人たちは都市から追い出され、取り除かれ、今や外郭の遥か遠くに存在するのみ。
けれど…私たち血鬼は、頭によって追いやられることもなく、今もなお都市の中に息づき、存在することが許されている。理由はよくわからない。私たち血鬼は元々は確かに人間だったけど、血によって歪み、変質し、変わりきってしまった存在でもある。
ねじれや幻想体を見るに、頭は元々人間であった存在にはある程度寛容なのかもしれないし、私が思うに、欲望で以て人を殺し、血に酔って生きていくという血鬼の生態そのものが頭の哲学に沿っているからだと思う。
とにかく、そんな人以外の存在を排斥する流れの真っ只中に私たちは生きていて…だから、都市が人間と区別がつかないほどの自意識を持つ機械を許さないのも、当然だった。
人工知能倫理改正案は今までの産業とか色々な事情を無視して当然のように可決されたし、勿論、その影響は機械と人工知能を生業とする今のP社にも波及していた。
外から隔絶されたこのお城に引きこもっていても、肌で感じるほど都市は揺らめいていて、今にも爆発してしまいそうなほどに都市は人と機械への怒り、怨嗟、憎しみに満ち満ちていた。
もしかしたら…翼が折れるかもしれない。戦争の足音と…焦げ付いた血の匂いが、ここラ・マンチャにも迫っていた。