三日月が照らす、実力至上主義の教室   作:ににぬうす

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続きます。


第四話

「これは…」

 

「えぇ…渚君」

 

図書館の閲覧机に広げられた資料を前に、僕たちは言葉を失っていた。

椎名さんは、静かに、しかし突き放すような事実をはっきりとした声で口にした。

 

「どうやら、私たちのクラスの生徒の名前は、この学校の輝かしい歴史には、ほとんど刻まれていないようですね」

 

それは単なる記録の偏りではない。

学校側が意図して作り上げた、揺るぎない序列の証明。

 

僕は積み上げた資料の束を見つめる。

生徒会名簿、全国大会に出場した部活動の実績、学術コンクールの入賞者リスト。 どれもこれも、AクラスとBクラスの生徒たちの名前で埋め尽くされている。

Cクラスの名前が、干ばつの川底に水たまりを見つけるように稀に見える程度で、僕たちDクラスの名前は、文字通り、ただの一つもない。

 

(まるで、Dクラスの生徒は、最初から『いない』ものとして扱われているみたいだ…)

 

冷たい汗が背中を伝う。この感覚を、僕は知っている。

椚ヶ丘中学校の本校舎から隔離された、あの山の上の旧校舎。E組もまた、学校からは「いない」もののように扱われていた。

 

椎名さんは、僕が広げたメモ帳に視線を落とした。

 

「Sシステム…ですか?」

 

僕が考えに沈んでいると、椎名さんが、僕が広げたままにしていた調査メモに視線を落とした。 彼女は僕が走り書きしたメモを、興味深そうに眺めている。

咄嗟に隠すべきか迷ったが、ここまで調査に協力してもらった以上、もう隠す意味はないだろう。僕は、諦めたように素直に頷いた。

 

「うん。入学初日に僕のクラスの先生は『実力で評価する』って言っていたけど、具体的な基準については何も説明がなかった」

 

「なるほど…。それで渚君は、過去の記録から、その『実力』の定義を探ろうとしていたんですね」

 

椎名さんは、すぐに僕の意図を理解した。頭の回転が速い。

 

「そう。でも、僕の予想以上に…その、Dクラスはひどくて…」

 

僕は、苦笑いを浮かべながらDクラスの現状──授業中の弛緩しきった空気、ポイントへの無邪気な楽観──について、かいつまんで説明した。

椎名さんは、同情するように少しだけ申し訳なさそうな表情を浮かべる。

 

「お役に立てることはできないかもしれません。すみません。でも…」

 

彼女は、ふと何かを思いついたように、細い指を白皙の顎に当てた。

 

「渚君、少し整理してみませんか? 今分かっていることと、分かっていないことを」

 

「整理…?」

 

「えぇ。推理小説でも、名探偵は必ず情報を整理してから真相に辿り着きますから」

 

椎名さんは、そう言って微笑んだ。

彼女は本当に、推理小説が好きなんだろう。

その楽しそうな様子を見て、張り詰めていた僕の気持ちも少しだけ楽になった。

 

「じゃあ、まず分かっていることから」

 

僕はメモ帳の新しいページを開き、書き込みながら話す。

 

「一つ目。この学校は『実力で評価する』と明言している。

 二つ目。その評価に応じて、ポイントが支給される。

 三つ目。初回支給額は全員一律10万ポイント」

 

「そして四つ目」

 

椎名さんが、静かに続けた。

 

「歴代の輝かしい記録を見る限り、Dクラスの生徒が、学校の表舞台で活躍した例は皆無。

 つまり、Dクラスは『実力が低い』と評価されている」

 

僕は頷き、その冷たい事実をメモに書き加える。椎名さんは、さらに続けた。

 

「ということは、『実力』という評価軸は、入学前の段階で既にある程度決まっていた、と考えるのが自然ですね」

 

「入学前…」

 

(そうか。僕たちがDクラスに配属されたのは、偶然じゃない。学校側は、何らかの基準で、僕たちを『劣等』だと判断して、このクラスに振り分けたんだ)

 

その事実に、僕の胸が少しだけ痛んだ。

でも、それは大きな驚きではなかった。椚ヶ丘中学校のE組も、同じだった。

僕たちは、何かしらの『落ちこぼれ』の烙印を押されて、あの山の上の校舎に隔離されていたんだ。

 

「でも」

 

僕が沈んだ表情になったのに気づいたのか、椎名さんは少しだけ声のトーンを明るくした。

 

「もし入学前の評価が全てなら、わざわざポイントを『毎月支給する』という面倒な制度にする必要はありませんよね? 入学時に三年分をまとめて渡すか、最初から固定額を毎月渡せばいいはずです」

 

「…!」

 

その言葉に、僕ははっとした。そうだ、そこが最大の違和感だった。

 

「そっか。毎月『支給する』ってことは、金額は固定じゃない。つまり、ポイントは変動する。入学後の僕たちの行動次第で、来月には増えたり、あるいは、減ったりするんだ」

 

「えぇ。そしてその『行動』を評価する基準こそが、Sシステムの核心なのでしょうね」

 

椎名さんは、推理小説の謎を解くように、楽しそうに微笑んだ。

彼女にとって、これは知的なパズルなのかもしれない。でも僕にとっては、クラスメイトの未来がかかった、切実な問題だ。

 

「じゃあ、その基準って…一体何なんだろう」

 

僕が呟くと、椎名さんは少しだけ真剣な表情になった。

 

「恐らく、この学校が求める『実力』の定義が、そのまま評価基準になっているはずです。

この高度育成高等学校が、どんな生徒を『優秀』だと考えているのか…それを見極めることができれば」

 

「基準が分かる…」

 

僕は、メモ帳に書き込む。

 

『仮説:ポイントは行動で変動する。基準=学校が求める「実力」の定義』

 

椎名さんは、その文字を見つめながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「渚君。私が思うに、この学校が求めているのは、単純な学力や身体能力だけではないと思います」

 

「どういうこと?」

 

「もし学力テストの点数だけが基準なら、入学試験の結果順にAからDまでクラス分けをすればいいはずです。でも実際には、きっともっと複雑な基準でクラスが分けられている。そして、Dクラスには…その、大変失礼な言い方になってしまいますが」

 

椎名さんは、少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。

 

「何らかの『欠陥』があると、学校側が判断した生徒が集められているのではないでしょうか」

 

「欠陥…」

 

その言葉に、僕は茶柱先生の視線を思い出した。

 

(僕たちは、欠陥品…)

 

殺せんせーは、僕たちE組のことを、決してそんな風には呼ばなかった。

でも、世間は違った。先生や親たち、他のクラスの生徒たちも、僕たちのことを『落ちこぼれ』『欠陥品』と認識していた。

 

そして今、この学校でも、同じことが繰り返されようとしている。

 

「でも」

 

僕は、強く首を振った。

 

「欠陥があるから、ずっとDクラスのままだって決まったわけじゃない。椎名さんが言った通り、ポイントは変動するんだ。だったら、クラスだったり生徒が変動するかもしれない」

 

椎名さんは、少しだけ驚いたように目を見開いた。

 

「クラスの変動…ですか」

 

「うん。もし、Dクラスが十分な実力を示せたら、Cクラスに上がれるかもしれない。逆に、Cクラスが評価を落とせば、Dクラスに落ちるかもしれない」

 

僕の言葉に、椎名さんは数秒間、じっと考え込んだ。そして、ゆっくりと頷いた。

 

「…なるほど。確かに、それなら全てが繋がりますね。Dクラスの生徒が過去の資料に存在しないのは、彼らが卒業までにDクラスから脱出したか、あるいは…元Dクラスだったクラスが、上位のクラスに下剋上する可能性も…」

 

「つまるところ」と彼女は続けた。「この学校は、固定された序列ではなく、絶え間ない流動的な『競争』を生徒に課している」

 

「そう。だから、僕たちDクラスにも、チャンスはあるはずなんだ」

 

僕がそう言うと、椎名さんは、少しだけ複雑な表情を浮かべた。

 

「…渚君。私、Cクラスですけど」

 

「あ…」

 

しまった。僕は、つい熱くなってしまって、目の前にいるのが他クラスの生徒だということを忘れていた。

もし僕の仮説が正しいなら、僕たちDクラスが上がるということは、CクラスがDクラスに落ちるということだ。

 

「ご、ごめん。その…」

 

慌てて謝ろうとする僕を、椎名さんは優しく制した。

 

「いえ、謝らないでください。渚君が、自分のクラスのために頑張ろうとするのは、当然のことですから」

 

彼女は、穏やかに微笑んだ。でも、その笑顔の奥に、ほんの少しだけ、寂しさのようなものが見えた気がした。

 

「それに…この学校が競争を求めているなら、私たちはいずれ、敵同士になるのかもしれませんね」

 

「敵…」

 

その言葉が、妙に重く響いた。

椎名さんは、僕が言い淀むのを見て、小さく首を振った。

 

「でも、今日は、とても楽しかったです。渚君と一緒に、謎を解くような時間を過ごせて」

 

「僕も…楽しかったよ。椎名さんがいなかったら、こんなに整理できなかった。本当にありがとう」

 

僕が心からそう言うと、椎名さんは、今度は本当に嬉しそうに微笑んだ。

 

「では、今日はこの辺りで。私も、自分のクラスについて考えなければいけませんし」

 

彼女は窓の外を見て、静かに席を立った。いつの間にか空は茜色から深い藍色に溶けようとしており、図書館の閉館を告げる音楽が小さく流れ始めていた。

 

「渚君。もし私の推理が正しければ、来月には、Sシステムの真相が明らかになるはずです」

 

「どういうこと?」

 

「だって、ルールを全く知らせないまま競争させるなんて、フェアじゃありませんから。この学校がどれだけ冷徹でも、教育機関としての役目を果たすなら、必ず『答え合わせ』の機会を与えるはずです。恐らく、最初のポイント変動の時に」

 

椎名さんは、推理小説のトリックを見抜いたような、確信に満ちた表情でそう言った。

 

「その時が来たら、渚君がどうするか…私、楽しみにしています」

 

彼女は、軽く手を振ると、本棚の影が長く伸びる、図書館の静寂の中へと消えていった。

 




「あ、渚君」

資料を漁る中、椎名さんは、手に持っていた文庫本を差し出した。

「これ、よかったら読んでみてください」

表紙を見ると、『Another』と書かれた、どこか不穏な雰囲気を漂わせる文庫本だった。

「えっと、これは…」
「ミステリーホラーです。主人公の榊原恒一君が、中性的な雰囲気で…その、渚君と少し似てるかなって」

「…椎名さん、それって遠回しに何か言ってない?」

椎名さんは、どこか楽しそうに続けた。

「学校の謎に巻き込まれていく話なんです。渚君も、今まさにこの学校の謎に直面してるじゃないですか。だから、共感できる部分があると思って」

僕が苦笑いすると、椎名さんは珍しく少し慌てた様子で首を振った。

「ただ、渚君なら、この物語の知的な謎解きも、緊張感も、両方楽しめると思うんです。それに…」

彼女は少し声を落として、

「私が好きな本を、同じように楽しんでくれる人がいたら嬉しいな、って」

その言葉に、僕は本を受け取りながら、「じゃあ、読んでみるよ」と答えた。

「本当ですか? 感想、聞かせてくださいね」

僕は手の中の文庫本を見つめながら、思わず小さく苦笑した。

推理も得意だけれど、人に本を薦めるのも好きらしい。椎名さんらしいな、と思った。

でも。

(僕は探偵じゃなくて、探偵に追い詰められる側の人間だったんだけど)

そんな皮肉を、誰にも聞こえないように心の中で呟く。

新しい生活はまだ馴染めていなそうだ。
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