三日月が照らす、実力至上主義の教室 作:ににぬうす
「これは…」
「えぇ…渚君」
図書館の閲覧机に広げられた資料を前に、僕たちは言葉を失っていた。
椎名さんは、静かに、しかし突き放すような事実をはっきりとした声で口にした。
「どうやら、私たちのクラスの生徒の名前は、この学校の輝かしい歴史には、ほとんど刻まれていないようですね」
それは単なる記録の偏りではない。
学校側が意図して作り上げた、揺るぎない序列の証明。
僕は積み上げた資料の束を見つめる。
生徒会名簿、全国大会に出場した部活動の実績、学術コンクールの入賞者リスト。 どれもこれも、AクラスとBクラスの生徒たちの名前で埋め尽くされている。
Cクラスの名前が、干ばつの川底に水たまりを見つけるように稀に見える程度で、僕たちDクラスの名前は、文字通り、ただの一つもない。
(まるで、Dクラスの生徒は、最初から『いない』ものとして扱われているみたいだ…)
冷たい汗が背中を伝う。この感覚を、僕は知っている。
椚ヶ丘中学校の本校舎から隔離された、あの山の上の旧校舎。E組もまた、学校からは「いない」もののように扱われていた。
椎名さんは、僕が広げたメモ帳に視線を落とした。
「Sシステム…ですか?」
僕が考えに沈んでいると、椎名さんが、僕が広げたままにしていた調査メモに視線を落とした。 彼女は僕が走り書きしたメモを、興味深そうに眺めている。
咄嗟に隠すべきか迷ったが、ここまで調査に協力してもらった以上、もう隠す意味はないだろう。僕は、諦めたように素直に頷いた。
「うん。入学初日に僕のクラスの先生は『実力で評価する』って言っていたけど、具体的な基準については何も説明がなかった」
「なるほど…。それで渚君は、過去の記録から、その『実力』の定義を探ろうとしていたんですね」
椎名さんは、すぐに僕の意図を理解した。頭の回転が速い。
「そう。でも、僕の予想以上に…その、Dクラスはひどくて…」
僕は、苦笑いを浮かべながらDクラスの現状──授業中の弛緩しきった空気、ポイントへの無邪気な楽観──について、かいつまんで説明した。
椎名さんは、同情するように少しだけ申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「お役に立てることはできないかもしれません。すみません。でも…」
彼女は、ふと何かを思いついたように、細い指を白皙の顎に当てた。
「渚君、少し整理してみませんか? 今分かっていることと、分かっていないことを」
「整理…?」
「えぇ。推理小説でも、名探偵は必ず情報を整理してから真相に辿り着きますから」
椎名さんは、そう言って微笑んだ。
彼女は本当に、推理小説が好きなんだろう。
その楽しそうな様子を見て、張り詰めていた僕の気持ちも少しだけ楽になった。
「じゃあ、まず分かっていることから」
僕はメモ帳の新しいページを開き、書き込みながら話す。
「一つ目。この学校は『実力で評価する』と明言している。
二つ目。その評価に応じて、ポイントが支給される。
三つ目。初回支給額は全員一律10万ポイント」
「そして四つ目」
椎名さんが、静かに続けた。
「歴代の輝かしい記録を見る限り、Dクラスの生徒が、学校の表舞台で活躍した例は皆無。
つまり、Dクラスは『実力が低い』と評価されている」
僕は頷き、その冷たい事実をメモに書き加える。椎名さんは、さらに続けた。
「ということは、『実力』という評価軸は、入学前の段階で既にある程度決まっていた、と考えるのが自然ですね」
「入学前…」
(そうか。僕たちがDクラスに配属されたのは、偶然じゃない。学校側は、何らかの基準で、僕たちを『劣等』だと判断して、このクラスに振り分けたんだ)
その事実に、僕の胸が少しだけ痛んだ。
でも、それは大きな驚きではなかった。椚ヶ丘中学校のE組も、同じだった。
僕たちは、何かしらの『落ちこぼれ』の烙印を押されて、あの山の上の校舎に隔離されていたんだ。
「でも」
僕が沈んだ表情になったのに気づいたのか、椎名さんは少しだけ声のトーンを明るくした。
「もし入学前の評価が全てなら、わざわざポイントを『毎月支給する』という面倒な制度にする必要はありませんよね? 入学時に三年分をまとめて渡すか、最初から固定額を毎月渡せばいいはずです」
「…!」
その言葉に、僕ははっとした。そうだ、そこが最大の違和感だった。
「そっか。毎月『支給する』ってことは、金額は固定じゃない。つまり、ポイントは変動する。入学後の僕たちの行動次第で、来月には増えたり、あるいは、減ったりするんだ」
「えぇ。そしてその『行動』を評価する基準こそが、Sシステムの核心なのでしょうね」
椎名さんは、推理小説の謎を解くように、楽しそうに微笑んだ。
彼女にとって、これは知的なパズルなのかもしれない。でも僕にとっては、クラスメイトの未来がかかった、切実な問題だ。
「じゃあ、その基準って…一体何なんだろう」
僕が呟くと、椎名さんは少しだけ真剣な表情になった。
「恐らく、この学校が求める『実力』の定義が、そのまま評価基準になっているはずです。
この高度育成高等学校が、どんな生徒を『優秀』だと考えているのか…それを見極めることができれば」
「基準が分かる…」
僕は、メモ帳に書き込む。
『仮説:ポイントは行動で変動する。基準=学校が求める「実力」の定義』
椎名さんは、その文字を見つめながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「渚君。私が思うに、この学校が求めているのは、単純な学力や身体能力だけではないと思います」
「どういうこと?」
「もし学力テストの点数だけが基準なら、入学試験の結果順にAからDまでクラス分けをすればいいはずです。でも実際には、きっともっと複雑な基準でクラスが分けられている。そして、Dクラスには…その、大変失礼な言い方になってしまいますが」
椎名さんは、少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。
「何らかの『欠陥』があると、学校側が判断した生徒が集められているのではないでしょうか」
「欠陥…」
その言葉に、僕は茶柱先生の視線を思い出した。
(僕たちは、欠陥品…)
殺せんせーは、僕たちE組のことを、決してそんな風には呼ばなかった。
でも、世間は違った。先生や親たち、他のクラスの生徒たちも、僕たちのことを『落ちこぼれ』『欠陥品』と認識していた。
そして今、この学校でも、同じことが繰り返されようとしている。
「でも」
僕は、強く首を振った。
「欠陥があるから、ずっとDクラスのままだって決まったわけじゃない。椎名さんが言った通り、ポイントは変動するんだ。だったら、クラスだったり生徒が変動するかもしれない」
椎名さんは、少しだけ驚いたように目を見開いた。
「クラスの変動…ですか」
「うん。もし、Dクラスが十分な実力を示せたら、Cクラスに上がれるかもしれない。逆に、Cクラスが評価を落とせば、Dクラスに落ちるかもしれない」
僕の言葉に、椎名さんは数秒間、じっと考え込んだ。そして、ゆっくりと頷いた。
「…なるほど。確かに、それなら全てが繋がりますね。Dクラスの生徒が過去の資料に存在しないのは、彼らが卒業までにDクラスから脱出したか、あるいは…元Dクラスだったクラスが、上位のクラスに下剋上する可能性も…」
「つまるところ」と彼女は続けた。「この学校は、固定された序列ではなく、絶え間ない流動的な『競争』を生徒に課している」
「そう。だから、僕たちDクラスにも、チャンスはあるはずなんだ」
僕がそう言うと、椎名さんは、少しだけ複雑な表情を浮かべた。
「…渚君。私、Cクラスですけど」
「あ…」
しまった。僕は、つい熱くなってしまって、目の前にいるのが他クラスの生徒だということを忘れていた。
もし僕の仮説が正しいなら、僕たちDクラスが上がるということは、CクラスがDクラスに落ちるということだ。
「ご、ごめん。その…」
慌てて謝ろうとする僕を、椎名さんは優しく制した。
「いえ、謝らないでください。渚君が、自分のクラスのために頑張ろうとするのは、当然のことですから」
彼女は、穏やかに微笑んだ。でも、その笑顔の奥に、ほんの少しだけ、寂しさのようなものが見えた気がした。
「それに…この学校が競争を求めているなら、私たちはいずれ、敵同士になるのかもしれませんね」
「敵…」
その言葉が、妙に重く響いた。
椎名さんは、僕が言い淀むのを見て、小さく首を振った。
「でも、今日は、とても楽しかったです。渚君と一緒に、謎を解くような時間を過ごせて」
「僕も…楽しかったよ。椎名さんがいなかったら、こんなに整理できなかった。本当にありがとう」
僕が心からそう言うと、椎名さんは、今度は本当に嬉しそうに微笑んだ。
「では、今日はこの辺りで。私も、自分のクラスについて考えなければいけませんし」
彼女は窓の外を見て、静かに席を立った。いつの間にか空は茜色から深い藍色に溶けようとしており、図書館の閉館を告げる音楽が小さく流れ始めていた。
「渚君。もし私の推理が正しければ、来月には、Sシステムの真相が明らかになるはずです」
「どういうこと?」
「だって、ルールを全く知らせないまま競争させるなんて、フェアじゃありませんから。この学校がどれだけ冷徹でも、教育機関としての役目を果たすなら、必ず『答え合わせ』の機会を与えるはずです。恐らく、最初のポイント変動の時に」
椎名さんは、推理小説のトリックを見抜いたような、確信に満ちた表情でそう言った。
「その時が来たら、渚君がどうするか…私、楽しみにしています」
彼女は、軽く手を振ると、本棚の影が長く伸びる、図書館の静寂の中へと消えていった。
「あ、渚君」
資料を漁る中、椎名さんは、手に持っていた文庫本を差し出した。
「これ、よかったら読んでみてください」
表紙を見ると、『Another』と書かれた、どこか不穏な雰囲気を漂わせる文庫本だった。
「えっと、これは…」
「ミステリーホラーです。主人公の榊原恒一君が、中性的な雰囲気で…その、渚君と少し似てるかなって」
「…椎名さん、それって遠回しに何か言ってない?」
椎名さんは、どこか楽しそうに続けた。
「学校の謎に巻き込まれていく話なんです。渚君も、今まさにこの学校の謎に直面してるじゃないですか。だから、共感できる部分があると思って」
僕が苦笑いすると、椎名さんは珍しく少し慌てた様子で首を振った。
「ただ、渚君なら、この物語の知的な謎解きも、緊張感も、両方楽しめると思うんです。それに…」
彼女は少し声を落として、
「私が好きな本を、同じように楽しんでくれる人がいたら嬉しいな、って」
その言葉に、僕は本を受け取りながら、「じゃあ、読んでみるよ」と答えた。
「本当ですか? 感想、聞かせてくださいね」
僕は手の中の文庫本を見つめながら、思わず小さく苦笑した。
推理も得意だけれど、人に本を薦めるのも好きらしい。椎名さんらしいな、と思った。
でも。
(僕は探偵じゃなくて、探偵に追い詰められる側の人間だったんだけど)
そんな皮肉を、誰にも聞こえないように心の中で呟く。
新しい生活はまだ馴染めていなそうだ。