「皆殺し…」
韋駄丸は傘の下、クリップボードをギュッと握ってつぶやいた。強い雨がバラバラと傘を叩き、風はないながらかなり肌寒い。
韋駄丸は美甘と共に怪しい館の住人に関する依頼を受けた。しかし、その文章がどうにも引っ掛かっていた。その美甘は雨を避けるために完全に地面に潜り、尻尾の先だけが地上に出ている。
「もうすぐ書いてあった村と崖が見えるはず…」
韋駄丸がいうや否や、森林を切り開いて作られたような道が突然開け、広い平原のような光景が広がった。確かに奥には村がある。オレンジ色の明かりが暖かそうに光っていて、木製の家が立ち並ぶ小さな村だ。
「む…依頼書には崖の上にそれがあるんだよね」
美甘が地面から顔の上半分だけを出して言った。韋駄丸はゆっくりと美甘の方へ近づき、彼女を傘の範囲内に入れてから依頼書を見せた。
「多分あの崖だね」
韋駄丸が小声で言った。2人がいる場所から見ると、村の左手は平原が坂道のように広がっている。そして村の右手には、ゴツゴツした崖のような岩場があり、その上には高い山が聳えている。
「土砂崩れきたら即潰れそう」
美甘が呟き、再び地面の下へ戻って行った。韋駄丸はそれを確認すると、足早に村の横の道を通って、例の崖の上へ続く坂道を登り始めた。
「あ…あれかな」
韋駄丸の呟きに、顔だけ出して美甘が頷いた。ゴツゴツとした岩を無理やり退けて作ったような道があり、その頂上付近に、雨の中ぼんやりと浮かぶ影があった。見たところ明かりはついていないようだ。それどころか、周辺に何かがいる気配すらない。幽霊屋敷のようなそれは、死んだように静かにそびえていた。
2人が徐々に近づくごとに、その洋館の大きさと不気味さが浮き彫りになった。壁は真っ黒で、レンガを組み合わせて作られているように見える。周辺を取り巻く柵は銀色で刺々しく、韋駄丸の背よりも高い。館の横幅は200メートルはありそうだ。
韋駄丸は柵に近づき、そっと手で触れた。雨に濡れて冷やされ、氷のように冷たい。美甘は雨の中、上半身だけ出してぽかーんと館を見上げていた。
「…六階建てくらい?でっかいなぁ…」
美甘の言葉に韋駄丸は頷く。周囲にも中にも人の気配は全くない。柵の鉄格子の門も閉ざされ、もはや入る方法がない。
「侵入するしかないか…」
韋駄丸は助走をつけ、柵へ足をかけた。そして力を込めて、雨に濡れ滑る柵を軽やかに飛び越した。美甘は地面に潜ってなんなく通り抜けた。韋駄丸が着地すると、地面に溜まった水がバシャンと派手に跳ね、美甘が嫌そうに目を閉じた。
「さて…」
韋駄丸は目の前に立つ3メートルほどのアーチ型の扉を下から上に見た。上品な装飾が施され、かなり重そうに見える。
「開くん…?これ」
美甘がカリッとチョコを噛み砕きながら言った。協会で韋駄丸にもらったチョコをずっと舌の上で転がしていたらしい。韋駄丸は扉の表面に手を触れ、そっと押してみた。
驚くことに、扉は音もなくスムーズに開いた。美甘がすぐに薙刀を構えて臨戦体制を取るが、室内には誰もいなかった…それどころか、真っ暗でほとんど何も見えない。どうやら2階まで吹き抜けの構造になっているらしく、大きくカーブした階段が左右対称に部屋の両側に配置され、2階への通り道となっていた。床には赤黒いカーペットが敷かれている。
「美甘…だれもいないらしい」
「…静かだね」
美甘の言う通り、中には反響する雨の音しか聞こえない。依頼には怪物がいるという話だったのに。
ガシャンッ
背後から何の前触れもなく鋭い音が響き、素早く振り返る2人。たった今入ってきた扉が閉じていた。館内は本当に真っ暗となった。韋駄丸は美甘の手首のあたりを掴む。はぐれると面倒そうだ。
「ひとまず階段で2階に行ってみる」
「…ン」
韋駄丸と美甘はお互いに掴まるように手探りで、階段を一段一段登って行った。