——目覚ましは、鳴らなかった。
電池が切れていただけだが、俺は妙に納得していた。
世界はだいたい、肝心なタイミングで沈黙する。
有馬レオ。
元・底辺ゲーム会社のプログラマ、現・無職。
いや、正確に言えば——二周目の人生を生きている。
前世の俺は、そこそこ技術があった。
クライン・エデン星のニューロ・フレーム社の下請けとして働いていた。
「創造はAIがやる。人間はデバッグしてろ。」
それが社の標語だった。
オリジナルを夢見るたび、上司は笑った。
AI、最適化、エンジン調整、どれも得意だった。
けれど「才能」はなかった。
シナリオもデザインも評価されず。
AIの設計書を黙って仕上げるだけの歯車だった。
オリジナルを作らせてもらえる機会は、とうとう一度もなかった。
それが、死ぬほど悔しかった。
だから、死んだ。
——そして、目が覚めた。
前世の記憶を持ったまま、この世界に。
天涯孤独の高卒無職、有馬レオの身に。
この設定は知っている。転生。古典で読んだやつだ。
脳の奥が常にざわついている。
なぜか、前世で埋め込まれていた補助チップが、魂ごと一緒に転生してきたからだ。
チップに宿っていたAI――名を《ラムダ(λ)》という。
六畳のワンルーム。机の上の中古ノートPCのファンが、虫の羽音みたいに弱く唸っている。
窓の外では出勤ラッシュの足音が連続的なノイズを作っていた。
俺はマグカップを持ち上げ、ぬるいコーヒーを一口。思わずつぶやいた。
「今度こそ、自分のゲームを作ろう」
「……会社の歯車には戻らない。なら――歯車そのものをゲームにしよう」
我ながら意味不明だ。でも、どこかでカチッと噛み合った。
タイトルは仮に『Gears of Me(ギアーズ・オブ・ミー)』。
プレイヤーは歯車。
回る。かみ合う。摩耗する。
それだけ。だが徹底的に、回転の手触りを作り込む。
[λ] 起動……こんにちは、作者。
きょうのあなたは比喩が多いですね。
画面隅の黒いコンソールに、緑の文字。
転生してもついてきたチップの中の住人だ。
「おはようラムダ。比喩は朝に強い」
[λ] 歯車ゲー、社会批評の香り。
ただし説教臭い危険があります。
「説教は書かない。手触りだけを書く。あとは操作から滲めばいい。」
***
歯先の当たり判定は円ではなくインボリュート曲線に。
歯面の摩耗は時間ではなく負荷と潤滑の履歴で決める。
回転は単なる角速度ではなく、微細なトルクリップルを波形で再現。
コントローラーの微振動に同期させて「カチ……カチ……」を皮膚で聞かせる。
BGMは無し。代わりに、振動が音になる。
画面は金属の荒れた反射。
UIは歯数とバックラッシュの数値だけ。
回っているうちに、数値がじわじわ変わる。削れるからだ。
ふと、キーボードに指が止まる。
この手触りを物語に繋ぐ一本の糸が欲しい。
でも、説教はしない。できるのは、ただ回転の事実を置くこと。
ノートに書き付ける。
目的:大きな機械全体を動かすことではない。
ただ、隣の歯車に傷を残さず一日を終えること。
[λ] いまのは良い。
UIに隣の摩耗率を小さく出しましょう。
「採用」
徹夜が二日つづき、指の節が痛くなった。
でも気持ちは静かだった。正解のない設計図を、手触りで埋める。
前世でできなかった真似をしない制作が、六畳の空気をゆっくり温めていく。
***
起動。黒。
ゆっくりと、金属の輪郭が現れる。
俺は歯車になっていた。中心の穴に軸が刺さり、隣の歯が近づいてくる。
――噛合い。
カチ、とほんの小さな音。
指先の振動。掌から肘へ、肘から肩へ、骨が回転の階段を上る。
画面の隅、数値が微かに増える。隣の摩耗率 +0.1%。
俺は慌てて潤滑ボタンを押す。
油の薄い膜が光り、数値が戻った。代わりに、自分の摩耗率が+0.1%。
隣の歯車、さらにその隣、そのまた隣。
ひとつの回転が、どこまでも繋がっていく。
遠くで巨大なベルが鳴り、工場が目を覚ます。
朝の光が鉄の肌を滑り、微かな埃がきらめいた。
[λ] テスト結果:手触りは中毒性。
問題点:何も起きない。
「何も起きなくていい。回って、終わる。それでいい回だってある」
[λ] 市場性は?
「知らん」
マウスを放すと、歯車が止まった。
画面に小さなメッセージだけが残る。
今日、あなたは隣を削らずに働けました。
おつかれさま。
保存。ため息。笑ってしまう。
地味すぎる。地味すぎて、たぶん誰もやらない。
でも、俺の胸は不思議と軽かった。
***
リリースページを作る。
説明文は、できるだけ短く。
あなたは歯車です。回って終わります。
隣の摩耗率を小さく保ってください。
価格は300円。
無料にしないのは、手触りに値段の責任を乗せたかったからだ。
公開ボタンを押す。
世界は何も変わらない。
六畳の壁紙が、ほんの少し黄ばんで見えるだけ。
数時間後、最初のレビューがついた。
★★★★☆「意味わからんけど泣いた」
なぜ泣く。なぜ四つ星。なぜ五ではない。
笑いながら、俺はレビュー欄を開いた。
ディスコードの小さなコミュニティで、十人ほどがプレイしている。
誰もバズらせていない。
ただ、静かに回って、スクショを貼り、今日の摩耗率を報告し合っていた。
「隣の摩耗率、今日は0.8%。合格?」
「俺、0.2%まで詰めた。キーボードに油を塗ると実機感ある(やめろ)」
「朝の出勤前に回すと落ち着く」
[λ] カルトの気配。
でも、こういう小さな火が一番長く燃えます。
「わかる」
夜、一本のDMが届いた。
アイコンは歯車、差出人は「GEAR_教」。
こんにちは。勝手ながらファンコミュニティ歯車教団を作りました。
毎朝6時に朝回しを行い、摩耗日誌をつけます。
作者様のご参加は不要です。どうか、回り続けてください。
「宗教にするな。……でも、ありがとう」
[λ] 参加は?
「しない。作る」
***
翌週、海外のインディー系ブログが短い記事を書いた。
“Gears of Meは、労働のメタファーをゲームプレイに落とした小品だ。
作者は説教しない。ただ回させる。そこがいい。”
シェア数は少ない。
だがある国のフォーラムで、スレッドがじわじわ伸びた。
「祖父の工場を思い出した」「退職願いを書きながら回した」
なぜか、退職代行サービスの広告がスレの下に出ていて、それも含めて笑いになった。
販売本数は、一日十、二十、三十……。
低空飛行だが、右肩上がり。
返金率はほぼゼロ。
レビュー欄は、なぜか長文が多い。
みんな、回転の記憶を書き残していく。
[λ] 統計。 平均プレイ時間:7分。
でも、翌日も回す人の割合:68%。
「7分の信仰」
[λ] 名前をつけましょう。7分間の祈り。
「良いな。サントラにそう書こう。BGMないけど」
***
ある日、営業メールが来た。
ギャラクシィ・ソフト——この界隈では知らない者のない巨大プラットフォームだ。
件名は「素晴らしいミニマリズム」。
「御社の『Gears of Me』に惚れました。
続編『Gears of Us』のパブリッシングを弊社で——
UIに感動的なテキストを入れ、演出を増やし、課金要素をわずかに——」
俺は深呼吸し、ゆっくり返信した。
件名:Re: ご提案
本文:ご連絡ありがとうございます。
ですが、回転に演出は要りません。
課金要素は、歯先が欠けます。
有馬
送信。
胸の中央に小さく入ったヒビが、逆に強度を上げる。
俺はもう、誰の歯車にも戻らない。
***
夜中。
再生数の少ない配信者が、『ギアーズ・オブ・ミー』を回していた。
名前は桐生メイ。この時点ではまだ、誰も知らない人。
「みんな、これ……やばい。回るだけ。なのに、手が勝手に優しくなる」
彼女は七分間、何も喋らなかった。
ただ回し、止め、油をさし、また回した。
終わって、泣いた。理由は言わない。
視聴者は二十人。チャットは静か。
けれど翌朝、歯車教団の掲示板に、その配信リンクが貼られた。
「今日の祈りに最適」
その日から、七分間の視聴者がゆっくりと増えた。
まだバズではない。微熱がつづく感じ。
でも、微熱ほど長く続くものはない。
***
俺は一つだけアップデートを入れた。
「隣の摩耗率」を、さらに小さく、画面の端に置く。
意識しないと見えない位置。
プレイヤーの視線は、数字から感触へ移る。
[λ] 変更理由?
「優しくしたいという気持ちを、数字じゃなく指で覚えてほしい」
[λ] 技術者のくせに詩人。
「詩人のくせに技術者だ」
***
発売から一ヶ月。
売上は、生活ができるかどうかのギリギリの線を半歩越えた。
俺は、半額弁当の唐揚げをレンジで温め、箸を割って、七分待った。
画面の中では、今日も歯車が回っている。
――カチ、カチ、カチ。
終わりのメッセージが出る。
今日、あなたは隣を削らずに働けました。
おつかれさま。
電気を消す。
暗闇の中で、コンソールがひとつ光る。
[λ] 作者。
次は?
「もっとばかばかしくて、もっと遅いゲーム。ナメクジだ」
[λ] 予測:塩で炎上。
でも、あなたは笑う。
「笑うよ。だって、俺のズレは、もう俺のものだから」
六畳の天井に、夜の風が薄く触れた。
外では、朝に備えて無数の歯車が眠っている。
その奥で、人間たちが、少しだけ優しくなっているといい。