深夜三時。
六畳の部屋に灯るのは、モニターの光だけ。
冷めたコーヒーの表面が、青白く光を返す。
[λ] 起動……こんばんは、作者。
また徹夜ですね。
「夜じゃないと作れない。昼は現実がうるさい。」
[λ] 今日のテーマは?
「ホラー。」
[λ] 幽霊、出ます?
「出ない。」
[λ] ……また、そう来ますか。
「出ないから作るんだ。
幽霊を探してただ歩くだけ。」
[λ] それで、終わりは?
「終わりは、風の方で決める。」
***
公開ページの説明文は、いつも通り不親切。
幽霊は出ません。
それでも、探したい人へ。
スクリーンショットは、闇のトンネルと水面。
冷たい静寂のような投稿。
初日は散々な言われようだった。
「イベントなし」
「詐欺ゲー」
「徒歩シミュレーター」
実況者の声も戸惑いを隠せない。
「……何も起きない。
ただ、途中から、なぜか泣きそうになる。」
しかし、レオの古参ファンだけはわずかに笑っていた。
《出ないはフラグ》
《歯車卿の静けさは伏線》
《たぶん、沈黙の中に何かがある》
***
ゲームの冒頭、夜の道を歩く主人公がぽつりとつぶやく。
『幽霊は、未練を残してこの世に留まるらしい。』
それだけ。
テキストは、風の音にまぎれて流れていく。
多くのプレイヤーは聞き流した。
――けれど、それが全てだった。
***
プレイヤーは地図を手に、夜の街を巡る。
廃トンネル。廃駅。神社。湖畔。丘の上の東屋。
幽霊は、出ない。
画面の隅に時折、短い独白が現れる。
『ここにも、いない。』
『怖がりで、夜が嫌いで。』
『もう寒くないかな。』
最初のうちは、ただの雰囲気ゲーに見える。
だが、独白が重なるにつれて、プレイヤーは気づき始める。
この主人公は、誰か特定の人を探している。
幽霊を探すというより、
その誰かが幽霊になっていないかを確かめに歩いている。
***
タイトルは《出ないって言ってるのに探す配信》
桐生メイはピンクのマイクに息を落とす。
「こんばんは、メイです。
今日は事件が起きないホラーをやります。
レオさんの仕業です。
――やられたくないけど、たぶんやられます。」
最初の30分、何も起きない。
ただ、夜風の音と足音。
最初は、肝試しの実況のように軽口が飛び交う。
《ビビらせ要素皆無w》《お散歩シュミレーター?》
だが、徐々に雰囲気が変わっていく。
主人公の独白が、誰かに寄り添うような温度を帯びはじめるのだ。
廃トンネルの出口で、主人公が立ち止まる。
『まだ、この夜のどこかにいるかもしれない。』
「……あ、この人、誰かを探してるんだ。」
コメント欄が一瞬、止まる。
《出ないけど、何かいる》
***
廃駅のホーム。
ベンチの右端に視点が固定される。
『この席に、いつも座ってた。』
『残っているなら、また、ここに。』
「……探してるっていうより、確かめてるね。」
コメント欄も静かに盛り上がる。
《これ、ホラー?》《ホラーの皮をかぶった手紙では?》
***
神社の境内。
古びた絵馬が揺れている。
どれも文字が薄れて読めない。
一枚だけ、画面の中央にピントが合う。
『また会えたら、笑ってくれますように。』
「……会うことが、願いじゃないのかも。」
***
次の場所は湖畔。
風の音。遠くの水面に、光がひとすじ揺れる。
『ここにも、いない。』
『でも、風がやわらかい。』
『――もう、行けたんだね。』
メイは息を飲む。
「出ないって、優しいな。」
《出ないことで救われた》《これがレオ流供養か》《静かなハグ》
***
リリースから数日。
酷評ばかりだったレビュー欄に、一本の長文が投稿された。
幽霊は出ません。
でも、探す時間が残された側の祈りになります。
会えないことが、やさしさになる——そんなゲームです。
タグが生まれた。
#出ないでありがとう
心に誰かを残した人たちが、夜の街を歩き始めた。
いないことを、そっと確かめに。
***
最終回。
丘の上の東屋。
夜明け前の光が、画面を淡く染める。
風鈴がかすかに鳴る。
『ここにも、いない。』
『でも、いないままで、いい。』
メイはマイクを持つ手をゆるめた。
「……ねえ、幽霊って、未練があると現れるんだよね。
出なかったってことは――もう、安心してるんだ。」
コメントが静かに流れる。
《出ないで泣かせる天才》《怖くないホラー=人間賛歌》《レオの真骨頂》
最後のテキスト。
『会いたかった。』
『でも、会えなくてよかった。』
沈黙。
風。
エンディングは、無音のまま終わった。
***
[λ] 作者。
幽霊、出ませんでしたね。
「出なくていい。
出ないほうが、優しいから。」
[λ] それでも、探すのはなぜ?
レオは少し笑って、答える。
「いないって確かめるまでが、人間の仕事だよ。」
[λ] ……作者、少し疲れてますね。
「疲れてる方が、まじめに作れるんだ。」
モニターの光が彼の横顔を照らす。
その光は、まるで画面の向こう側から届いているように見えた。
幽霊は出ません。
それでも、探したい人へ。
その二行が、もう一度、静かに浮かんでいた。